長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。
1近代合理主義の精神は、思考の過程、あるいはものを考える過程で、さまざまな夾雑物、余計な要素を取り除き、いくつかの単純な原理にしたがって論理を進めようとする思考法をとる。2その過程で仕掛けられる判断の基準も、できうるかぎり単純であることが望まれる。そして、その考えられる単純な原理こそが、ふたつのものからそのいずれかを選択するという判断基準であった。
3すなわち、真と偽、善と悪、美と醜、正と否など二者択一の論理こそ、近代合理主義が旨とする判断の方法にほかならない。真なる前提から始まって、真なる判断を繰り返していけば、真理に到達すると固く信じられたのである。4デカルトが、数学的方法に思考方法のあるべき姿を認めたのも、伝統的な数学がこの真偽二者択一の方法に絶対的に依っていたからだ。
(中略)
5しかし、真偽の弁別を繰り返していって世界全体の判断に達するという演繹的な論理は、世界全体を判断の傘下に収めようとするのだから、当然のことに、判断の普遍妥当性を要求することになる。6つまり、ある部分では当てはまるが、べつの部分になると当てはまらない理論は、斉一的な世界像を求める近代の科学的合理主義のなかでは市民権を得ることはできないのである。7たとえば、科学実践の現場でも、理論にそぐわない実験結果や現象が現れたときに、それらを無視し捨象して理論の斉一性を守るということが日常茶飯におこなわれるのである。8しかし、そうした例外に属する現象が無視しえなくなれば、それを取り込むことのできない理論そのものを変える必要がでてくるわけで、こうして理論の転換がおこなわれるようになる。9これが、「科学革命」あるいは「パラダイム・シフト」と呼ばれる現象のひとつである。
こうした現象は、しかし、世界に対する理論の普遍妥当性という信念ないし確信にも似た意識に由来するものだということがわかる。0あらゆる理論は、数学の原理がそうであるように、
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