a 長文 4.1週 nnza
長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。
 近代合理主義の精神は、思考の過程、あるいはものを考える過程で、さまざまな夾雑きょうざつ物、余計な要素を取り除き、いくつかの単純な原理にしたがって論理を進めようとする思考法をとる。その過程で仕掛けしか られる判断の基準も、できうるかぎり単純であることが望まれる。そして、その考えられる単純な原理こそが、ふたつのものからそのいずれかを選択せんたくするという判断基準であった。
 すなわち、真と、善と悪、美としゅう、正と否など二者択一にしゃたくいつの論理こそ、近代合理主義がむねとする判断の方法にほかならない。真なる前提から始まって、真なる判断を繰り返しく かえ ていけば、真理に到達とうたつすると固く信じられたのである。デカルトが、数学的方法に思考方法のあるべき姿を認めたのも、伝統的な数学がこの真偽しんぎ二者択一にしゃたくいつの方法に絶対的に依っよ ていたからだ。
(中略)
 しかし、真偽しんぎの弁別を繰り返しく かえ ていって世界全体の判断に達するという演繹えんえき的な論理は、世界全体を判断の傘下さんかに収めようとするのだから、当然のことに、判断の普遍ふへん妥当だとう性を要求することになる。つまり、ある部分では当てはまるが、べつの部分になると当てはまらない理論は、斉一せいいつ的な世界像を求める近代の科学的合理主義のなかでは市民権を得ることはできないのである。たとえば、科学実践じっせんの現場でも、理論にそぐわない実験結果や現象が現れたときに、それらを無視し捨象しゃしょうして理論の斉一せいいつ性を守るということが日常茶飯におこなわれるのである。しかし、そうした例外に属する現象が無視しえなくなれば、それを取り込むと こ ことのできない理論そのものを変える必要がでてくるわけで、こうして理論の転換てんかんがおこなわれるようになる。これが、「科学革命」あるいは「パラダイム・シフト」と呼ばれる現象のひとつである。
 こうした現象は、しかし、世界に対する理論の普遍ふへん妥当だとう性という信念ないし確信にも似た意識に由来するものだということがわかる。あらゆる理論は、数学の原理がそうであるように、
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いついかなるところでも当てはまらなくてはならないと固く信じられてきたのである。そうしたなかで、理論に妥当だとうしない例外的な現象は、偶然ぐうぜん的なもの、あるいは蓋然的がいぜんてきなものとして貶めおとし られてきたのである。そして、不確定性原理の出現に見られるように、現象をもれなく網羅もうらし説明する理論の普遍ふへん妥当だとう性そのものが揺らぎゆ  出してくると、方法としても、もはや確率統計的な方法をとらざるをえなくなってきたのである。つまり、現象の世界に対し人間の側がなしえるのは、一定の法則を世界に押しつけるお    ことではなく、現象のあるがままの姿を記述することと考えられるようになったわけだ。
 理論や法則の普遍ふへん妥当だとう性という近代科学の絶対主義的傾向けいこうは、相対性理論や量子力学など二十世紀の初頭に相次いで現れる新たな潮流によって、おおいに揺さぶりゆ   をかけられた。これらは、学問や理論の世界のなかだけで起こったことのように思われているが、そうではない。われわれの日常生活にも、少なからず影響えいきょう与えあた ているのだ。影響えいきょう与えあた ているというよりは、むしろ、同じ大きな流れが、理論的世界にも、また日常生活にも現れているというべきなのだろう。
 とにかく、「すべての……は……である」といった論理学の全しょう判断のようなものに見られる、普遍ふへん性への意識をもった思考法は、個の意識が昂揚こうようし、多様性が横溢おういつするようになった社会的意識や日常生活のレベルにおいては、もはや妥当だとう性を失いつつあると考えるべきだろう。

(山本雅男『ヨーロッパ「近代」の終焉しゅうえん』より)
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長文 4.1週 nnzaのつづき
 野球で「二年目のジンクス」ということがよく言われる。一年目は好成績を残したのに、二年目はさっぱりダメという場合である。イチローのような特段に優れた選手は例外で、ほとんどが並の実力の持ち主だから、一年目は誤差でたまたまいい成績となっただけで、二年目からは平均に戻っもど たと考えた方が正しいだろう。にもかかわらず、スウィングが悪い、モーションが悪いと指摘してきされ、自分もそうではないかと思い込んおも こ でフォームを崩しくず てしまい、結局大成しなかった選手が多くいる。数年間を見て実力を見極める度量が欲しいものである。

 以上、判断の各過程におけるエラーについて述べてきたが、それらに共通する心理を整理しておこう。
 まず、「認知的節約の原理」がある。限られた情報から欠けた部分を経験や先入観や単純な類推によって補い、効率よく事態を処理しようとする心理のことだ。本人にとって負担が少ない思考法だが、そこにエラーが生じてしまうのだ。
 続いて、「認知的保守性の原理」を挙げよう。すでに持っているスキーマを保ち維持いじしようとする傾向けいこうで、反証を無視したり、無理にでも自分の像に合わせてしまう心理である。自分は一貫いっかんした考え方をしていると自認できるので心理的な安定感が得られることになる。だからこそ間違いまちが やすいとも言える。自分が安心できる思考法でつい安住してしまうからだ。
 もう一つは、「主観的確証の原理」で、どちらともつかない証拠しょうこだけでなく明らかな反証であっても、自分の予期を積極的に支持していると勝手に解釈かいしゃくする心理傾向けいこうである。「いやよいやよも好きのうち」と身勝手に思い込んおも こ でセクシュアルハラスメントに及ぶおよ 人間がその典型と言える。自分の身勝手さに気づかず、全て他人のせいにして安閑あんかんとしている人にお目にかかることが多いのはこのためだろう。被疑ひぎ者に対して状況じょうきょう証拠しょうこしか見つかっていないのに犯人と決めつけ、すべてその仮定の下で解釈かいしゃくしたがる例もある。犯人が見つかっていないと不安だが、強引にでも決めつけてしまえば安心するのだ。(早く安心したいという気持が底に潜んひそ 
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いることもある。)この心理には、思考の経済性や一貫いっかん性なども絡み合っから あ ている。こうなるともはや自省する気持を失ってしまう。
 さらに付け加えるとすれば、「偶然ぐうぜん性を拒否きょひしたい心理」、言い換えれい か  ば「確固とした因果関係として説明したい心理」もある。偶然ぐうぜんに起こったことであっても必然だと思い込みおも こ 、それをきちんとした因果関係で説明しようとすると科学的な理由が見つからず、ついにちょう常的現象だと考えてしまうケースである。予知夢がテレパシーしかないと解釈かいしゃくし、たまたま当たったのを透視とうしできたと受け取り、そのまま信じ込んしん こ でしまうのだ。認知的エラーを自覚しない人ほど、自分の体験を絶対化して信じ込むしん こ 傾向けいこうが強い。「しょせん、体験したことがない人にはわからない」として、他人の意見や忠告を受け入れなくなってしまうのだ。そして、自分の意見を強調すればするほどその信念はいっそう強くなっていき、もはや後戻りあともど が不可能になる。
 むろん、人間の認知エラーが多いと言っても、私たちは日常生活において大きな支障なしに生きている。それを無意識のうちに矯正きょうせいしたり、または大きな問題が起こらないので気づかないままやり過ごしている。ときには認知エラーが人間の生存にプラスにはたらいていることもあると知っておくべきだろう。あまりに気にし過ぎると神経症しんけいしょうを病むことになりかねないからだ。
 ただ、突発とっぱつ的な事件が起こって即座そくざの判断を迫らせま れたり、すぐに合理的な解釈かいしゃくができない事象に遭遇そうぐうしたりしたとき、認知過程には誤りが多いことを自覚して、自分の推論を絶対化しないことが肝腎かんじんなのである。それは疑似科学に騙さだま れていないか自らを点検することにも通じるからだ。

(池内りょう『疑似科学入門』による)
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a 長文 4.2週 nnza
 さて十九世紀の進行のうちに、自然科学がものすごい勢いで発達し、社会のあらゆるものをこれが動かすこととなるにつれて、科学精神は歴史をもとらえずにはおかなかったのであります。そして歴史は歴史科学と呼ばれることになります。近代科学の開祖であるデカルトは、歴史をあまり重視しなかった。それは近代科学を歴史的制約の外に純粋じゅんすいに発展させるために必要な態度であったのですが、ここでは人間の知識ないし思想は二つにはっきり分かたれ、一方に厳密な自然科学があり、他方に文学があって歴史は後者の中に入れられていたのであります。ところが、その後歴史は歴史科学の名の下に文学の世界から科学の世界に移るのであります。そこでは歴史はもはや過去の再現ではなく、一定の法則による過去の理論的構成であろうとし、また、自然科学がだんだん細かい分野に分かれると同じように、歴史も何々史、さらに何々における何々の研究というふうに細分化される。その各々は全体をとらええぬかもしれぬが、それぞれの研究の成果は客観的な真理であるから、あたかも自然科学における一々の発見のように、後から来るものはそれを踏み台ふ だいとして先に進むことができる。かくして蓄積ちくせきされた厳密な史料によって全歴史がいつか構成されて成立する、というふうに楽観的に考えられたのだと思います。そしてそうした科学的歴史は個人というものの価値を社会の中に埋没まいぼつさせる傾向けいこうを生じました。自然科学ではありとかおおかみとかの発生・進化を環境かんきょう即しそく て研究するが、ありおおかみの心理や個性(もしそういうものがあるとしたらの話ですが)を黙殺もくさつする。そうした科学をモデルとする以上、歴史における個人の軽視ということは当然であったといえます。
 ところで、歴史家が自然科学者のように自我を殺して、自分が歴史的世界に生きる人間であることを忘れ去って、歴史を研究し記述することが果たしてできるかどうか。細部については、それは可能でありましょう。例えば、関ケ原の戦いに家康がどこから引き返して、どこで何日滞在たいざいし、何日かかって戦場に着いたかというようなことは古文書こもんじょその他によって、厳密に決定することができ、また万一不正確な点があれば訂正ていせいもできます。しかし、実はそういう仕事は考証家の仕事で歴史ではない。そういうデータが無限に集まれば自ずと歴史が出来上るのではないのです。歴史家はそれらを集めて歴史を書くのですが、関ケ原の役の意義を考えるにはその種の世界観がなくてはできず、つまり、史料の統一には史観というのが
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なければ成立しません。そうすれば必ずそこに歴史家の主観が出てくるので、もしもまったく純粋じゅんすいな精神というようなものの持主があったとしたら、歴史など書かない、また書けもしないだろうと思われます。そもそも歴史事実の選択せんたくないしとらえ方にも、その歴史家の史観は働くのであります。もちろん、愛国心に作用されたり、伝統文化を偏愛へんあいしたりして、その史観が何ほどか曇るくも といったことも起こりえましょう。しかし、こういうことは避けさ がたいことで、もしこれを恐れおそ ていたならばデータの採集ないし小さな特殊とくしゅ研究以外に出られないことになります。クローチェは、歴史家が主観を抑えるおさ  ことは、いわば禁欲であって不能であってはならぬといいましたが、味わうべき言葉だと思います。学問とは冷静な、計量された冒険ぼうけんなのであります。
 こうした素朴そぼくな客観主義の歴史観を根底から揺り動かしゆ うご  たのは、最近の物理学、歴史がモデルとした自然科学そのものの基本をなす物理学の進歩であって、その物理学が素朴そぼくな客観主義ないし決定論を棄てす ねばならなくなったことであります。対象は研究者がたんに自我を殺して無私的に見れば見えるようなものではなくて、研究者がそこに操作を加えることによってはじめてとらえられるものである、とされるのであって、「研究者はかれが研究するところのプロセスの中に押し入るお い 」、そしてこのことは自然科学研究についても歴史研究についても共に正しい、とエドガー・ヴィントはいっています。だからディルタイのいうように、歴史家は自己を脱却だっきゃくし、あらゆる時代に合一するようなことは可能で、もしそんなふうに現在から脱却だっきゃくしうる純粋じゅんすいな精神というようなものがあったら、その精神は歴史をとらえようとはしないでありましょう。この点、ヴァレリーの言葉は意味深く読まれます。「歴史の真の性格は歴史自体に参与さんよするということである。過去の観念が一つの意味を持ち、また一つの価値を形成するのは、自分のうちに未来への情熱を見出す人間にとってのみである。」

桑原くわばら武夫「歴史と文学」による)
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a 長文 4.3週 nnza
 分析ぶんせきとは外から見る立場です。というよりも、外からものを知る方法として、分析ぶんせきという仕方が生まれたのです。(中略)
 分析ぶんせき的方法の確立者とも言えるデカルトは「研究しようとする問題のおのおのを出来る限りの、そうして、それを最もよく解決するために要求される限りの、部分に分けること」と言っております。そうして、それこそ、対象、あるいは問題の要素と言われるものなのです。その意味で、分析ぶんせきとは要素への還元かんげんであるとも言われるのです。
 例えば、水は水素と酸素からなるという場合、水はたしかに水素とか酸素とか私達が名づけるものから成り立っているのでありますが、私達はそのもの自体を知るのではなく、水素とか酸素とか名づけることによって、それを理解するのです。もちろん、それは水素とか酸素とかいう言葉で示されるとは限らず、ドルトンが行ったように、すべての原子を白い丸とか黒い丸とか、中に線を引いた丸とか中心に黒点を書き入れた丸とかいった図形的記号で示すことも出来ますし、さらにOとかCとかNとかHとかいういわゆる化学記号を用いることも出来ます。そうして、科学の記号としては、一切が数学的記号で示されるのが理想でありましょう。が、ともかくいわゆる物質の要素も、分析ぶんせき的認識としては記号的認識以上には出ないのです。もっとも、ここにはさらに次のような疑問が起るかも知れません。それは、水素、酸素などの原子ではまだ最後の要素ではないとしても、その原子を原子核げんしかくと電子にわけ、さらにかくを陽子とか中性子とか中間子とかに分けてゆけば最後には真の物質的要素に到達とうたつするのではないかという疑問です。しかし、物質の成分をどんなに小さく分割していっても問題は少しも変りません。というのは、認識の対象が外にある限り、言い換えれい か  ば、外からものを眺めるなが  限り、やはりそれをとらえるためには、立場と記号が必要であるということには変わりはないからです。むしろ、今述べたような極微きょくびの世界では、それを知るのはもはや、日常的な感覚や知性では不十分で、数学的表現のみがそれを正確に表わしうるのであることを思う時、分析ぶんせき的認識は記号的認識であるということは、一層明らかとなるのです。
 以上お話ししましたことによって、分析ぶんせきするとは対象を記号と
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しての要素にわけることであることは明らかになったと思いますが、そこで注意しなければなりませんことは、その分析ぶんせきの要素とは、単にその対象だけにあるものではなく、他の多くのものにある一般いっぱん的要素であるということです。例えば、水素や酸素は水にだけ含まふく れているものではなく、アルコールにも、空気の中にもあるのです。ということは、つまり、分析ぶんせきするとは、特殊とくしゅなものを一般いっぱん的なもので理解するということなのです。そうして、それは、逆に言えば、もしユニークなもの、唯一ゆいいつ独自なものがあるとすれば、そのようなものは、分析ぶんせき出来ないということなのです。――このことは、動きと分析ぶんせきについても言えることで、刻々に変化するものは分析ぶんせき出来ないものなのです。なぜかと言いますと、分析ぶんせきするとは要素つまり、単位に分けることでありますが、単位とは、それが不変なもの変わらないものであればこそ単位と言えるのですが、対象が刻々に変っているとすれば、それらすべてに共通な単位というものは有りえないのです。もし、一刻の休みもなく変わっているものを何らかの記号で示そうとするなら、逆にその記号が次々に変わらなければならない。それは単位が変わるということである。しかし、それでは、それはもはや単位ではありません。
 このように考えてきますと、分析ぶんせきという認識方法は、すべての対象に適用出来るものではないことが明らかとなります。全く個性的な、絶対に他のものによって置き換えお か られない唯一ゆいいつ独自な、オリジナルなものと、刻々に新たになるもの、すなわち正しい意味の「時間」の認識には、分析ぶんせき的方法は適用出来ないのです。

澤瀉久敬おもだかひさゆき哲学てつがくと科学」)
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a 長文 4.4週 nnza
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 経済学の父アダム・スミスはこう述べています。「通常、個人は自分の安全と利得だけを意図している。だが、かれは見えざる手に導かれて、自分の意図しなかった公共の目的を促進そくしんすることになる」。ここでスミスが「見えざる手」と呼んだのは、資本主義を律する市場機構のことです。資本主義社会においては、自己利益の追求こそが社会全体の利益を増進するのだと言っているのです。
 経済学者の「悪魔あくま」ぶりがもっとも顕著けんちょに発揮されるのは、環境かんきょう問題に関してでしょう。多くの人にとって、資本主義が前提とする私的所有制こそ諸悪の根源です。環境かんきょう破壊はかいとは、私的所有制の下での個人や企業きぎょうの自己利益の追求によって引き起こされると思っているはずです。
 だが、経済学者はそのような常識を逆なでします。私的所有制とは、まさに環境かんきょう問題を解決するために導入された制度だと言うのです。
 『かつて人類はだれのものでもない草原で自由に家畜かちくを放牧していました。家畜かちくを一頭増やせば、それだけ多く肉や皮やミルクがとれます。草原はだれのものでもないので、家畜かちくが食べる牧草はタダです。確かに一頭増えれば他の家畜かちくが食べる牧草が減り、その発育に影響えいきょうしますが、自由に放牧されている家畜かちくの中で自分の家畜かちく占めるし  割合は微々たるびび  ものです。それゆえ、人々は草原に牧草がある限り、自分の家畜かちくを増やしていくことになります。その結果、牧草は次第に枯渇こかつし、いつの日か無数の痩せこけや   家畜かちくがわずかに残された牧草を求めて争い合う事態が到来とうらいすることになると言うのです。』
 これこそ「元祖」環境かんきょう問題です。そして経済学者は、それは、自然のままの草原がだれの所有でもない共有地であるがゆえの悲劇であると主張します。環境かんきょう問題とは「共有地の悲劇」だと言うのです。
 『事実もし草原が分割され、その一画を牧場として所有するようになると、その中の家畜かちくはすべて「自分の」家畜かちくとなります。
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その時さらに一頭飼うかどうかは、その一頭が新たに牧草を食べることによって、牧場内の他の家畜かちくの発育がどれだけ影響えいきょうを受けるかを勘案かんあんして決めるようになるはずです。もはや牧草はタダではありません。他人に牧場を貸したり売ったりする時でも、その中の牧草の価値に応じた賃料や価格を請求せいきゅうするようになるはずです。牧草は合理的に管理され、共有地の悲劇から救われることになります。私的所有制の下での自己利益の追求こそが環境かんきょう破壊はかいを防止することになると言うわけです。」
 「悪魔あくま」の一員だけあって、経済学者の論理は完璧かんぺきです(私自身この論理を三十年間教えてきました)。実際、一九九七年の地球温暖化防止に関する京都議定書は、この論理を取り入れました。先進諸国に温暖化ガスの排出はいしゅつわくを権利として割り当て、その過不足を売買することを条件付きで許したのです。
 ここでは温暖化ガスが汚染おせんする大気は家畜かちくが食べ荒らすあ  牧草に対応し、各国が売買しうる排出はいしゅつわく牧畜ぼくちく家が所有する牧場に対応しています。すなわち、それは大気という自然環境かんきょうに一種の所有権を設定することによって、それが共有地である限り進行していく温暖化という悲劇を解決しようとしているのです。
 では、これで環境かんきょう問題はすべてめでたく解決するのでしょうか?
 答えは「否」です。わが人類は不幸にも、経済学者の論理が作動しえない共有地を抱えかか ているのです。
 それは「未来世代」の環境かんきょうです。

岩井克人「未来世代への責任経済学の「論理」と環境かんきょう問題の「倫理りんり」による)
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長文 4.4週 nnzaのつづき
 私は『牡丹ぼたん灯籠どうろう』の速記本を近所の人から借りて読んだ。その当時、わたしは十三、四さいであったが、一編の眼目とする牡丹ぼたん灯籠どうろう怪談かいだんの件を読んでも、さのみに怖いこわ とも感じなかった。どうしてこの話がそんなに有名であるのかと、いささか不思議にも思う位であった。それから半年ほどの後、円朝が近所(麹町こうじまち区山元町)の万長ていという寄席へ出て、の『牡丹ぼたん灯籠どうろう』を口演するというので、私はその怪談かいだんの夜を選んで聴きき に行った。作り事のようであるが、あたかもその夜は初秋の雨が昼間から降りつづいて、怪談かいだん聴くき には全くお誂えあつら 向きのよいであった。
「お前、怪談かいだん聴きき に行くのかえ」と、母は嚇すおどか ようにいった。
「なに、牡丹ぼたん灯籠どうろうなんか怖くこわ ありませんよ。」
 速記の活版本でたかをくくっていた私は、平気で威張っいば て出て行った。ところが、いけない。円朝がいよいよ高座にあらわれて、燭台しょくだいの前でその怪談かいだんを話し始めると、私はだんだんに一種の妖気ようきを感じて来た。満場の聴衆ちょうしゅうはみな息をんで聴きき すましている。伴蔵とその女房にょうぼうの対話が進行するにしたがって、私ののあたりは何だか冷たくなって来た。周囲に大勢の聴衆ちょうしゅうがぎっしりと詰めかけつ   ているにもかかわらず、私はこの話の舞台ぶたいとなっている根津ねづのあたりの暗い小さい古家のなかに座って、自分ひとりで怪談かいだん聴かき されているように思われて、ときどきに左右を見返った。今日と違っちが て、そのころの寄席はランプの灯が暗い。高座の蝋燭ろうそくの火も薄暗いうすぐら 。外には雨の音が聞こえる。それらのことも怪談かいだん気分を作るべく恰好かっこうの条件になっていたには相違そういないが、いずれにしても私がこの怪談かいだんにおびやかされたのは事実で、席のねたのは十時ころ、雨はまだ降りしきっている。私は暗い夜道を逃げるに  ように帰った。
 この時に、私は円朝の話術のみょうということをつくづく覚った。速記本で読まされては、それほどに凄くすご おそろしくも感じられ
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ない怪談かいだんが、高座に持ち出されて円朝の口に上ると、人をえさせるような凄味すごみを帯びて来るのは、実に偉いえら ものだと感服した。時は欧化おうか主義の全盛時代で、いわゆる文明開化の風が盛んに吹きふ 捲くま っている。学校に通う生徒などは、もちろん怪談かいだんのたぐいを信じないように教育されている。その時代にこの怪談かいだんを売り物にして、東京中の人気を殆どほとん 独占どくせんしていたのは、怖いこわ 物見たさ聴きき たさが人間の本能であるとはいえ、確かに円朝の技に因るものであると、今でも私は信じている。(中略)
 前にもいう通り、話術のみょうをここに説くことは出来ないが、たとえばかの孝助が主人のめかけお国の密夫源次郎げんじろう突こつ うとして、誤って主人飯島平左衛門を傷つけ、それから屋敷やしきをぬけ出して、将来のしゅうとたるべき相川新五兵衛の屋敷やしき駈けか 付けて訴えるうった  件など、その前半は今晩の山であるから面白いに相違そういないが、後半の相川屋敷やしきは単に筋を売るに過ぎないであまり面白くもない所である。速記本などで読めば、軽々に看過ごされてしまう所である。ところが、それを高座で聴かき されると、息もつけぬほどに面白い。孝助が誤って主人を突いつ たという話を聴きき 、相手の新五兵衛が歯ぎしりして「なぜ源次郎げんじろう……と声をかけて突かつ ないのだ」と叱るしか 。文字に書けばただ一句であるが、その一句のうちに、一方には一大事出来しゅったい驚きおどろ 、一方には孝助の不注意を責め、また一方には孝助を愛しているという、三様の意味がはっきりと現れて、新五兵衛という老武士の風貌ふうぼう躍如やくじょたらしめる所など、その息の巧みたく さ、今も私の耳に残っている。団十郎じゅうろうもうまい、菊五郎きくごろうもうまい。しかも俳優はその人らしい扮装ふんそうをして、その場らしい舞台ぶたいに立って演じるのであるが、円朝は単におうぎ一本をもって、その情景をこれほどに活動させるのであるから、実に話術のみょう尽くしつ  たものといってよい。名人はおそるべきである。

岡本おかもと綺堂きどう岡本おかもと綺堂きどう随筆ずいひつ集』による)
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a 長文 5.1週 nnza
一番目の長文は暗唱用の長文で、二番目の長文は課題の長文です。
 ハマーショルドの日記はきわめて特異である。国連事務総長という要職にあった人の、またその職責にひたむきに献身けんしんしていた人の手になるものでありながら、職務にかかわる記述が一行としてない。それを読んだだけで書き手の職業を言い当てるのは、おそらく不可能だろう。世俗せぞく的な属性だけではなく、時間も空間もすべて超越ちょうえつしているかに見える。時折現れる日付さえ、この印象を拭いぬぐ 去りはしない。それはそうだろう。この日記はかれと「神とのかかわり合いに関する白書のようなもの」(友人のレイフ・ベルフラーゲあての遺書)なのだから。
 神との対話は透徹とうてつした自己省察となる。もし神の視線が自分に照射されたなら明るみに出されるのは何か、それを測り尽くすつ  とでも言うかのように、ハマーショルドは自分の弱さと卑小ひしょうさを見つめ続けた。「それから目をそらしたなら、たちまち自分の行動の誠実さを脅かすおびや  ことになるから」(一九五七年四月七日)である。傲慢ごうまんさや自己憐憫れんびん怯懦きょうだや取るに足らぬ自尊心を徹底的てっていてき排除はいじょした。かれにとって誠実な生の営みとは、存在にまつわるそれらの夾雑きょうざつ物をぎりぎりまで削ぎそ 落とすことだった。日記中に引用されている次の文章が、そうしたかれの思考をあますところなく伝えている。
 大地に重みをかけぬこと。悲愴ひそうな口調でさらに高くと叫ぶさけ のは無用である。ただ、これだけでよい。
 大地に重みをかけぬこと。(一九五一年・日付不明)
「大地に重みをかけぬこと」とは、言いかえれば自己放棄ほうきつまりおのれを空しくすることを意味する。この自己放棄ほうき(ないしは自己滅却めっきゃく)という言葉はしばしば日記の中で用いられており、ハマーショルドの思想的中心点の一つだと言ってよい。それは夾雑きょうざつ物に惑わさまど  れたり、自分自身にのみ拘泥こうでいしたりせぬことである。こうしてかれは、精神の高みに飛翔ひしょうする瞬間しゅんかんのために準備を続けた。
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まさにたましい彫琢ちょうたくとでも呼ぶほかはない。
 何がこれほどまでに、かれたましい彫琢ちょうたく駆り立てか た たのだろうか。この人の「憧れあこが 」は何であったのか。ここで私たちは、「よき死のための成熟」という一つの答えに出会う。
「死はおまえから生に捧げるささ  決定的な贈物おくりものたるべきであり、生に対する裏切りであってはならない」(一九五一年・日付不明)、そうかれは自分に語りかけている。そこに見られるのは、漠然とばくぜん した死への恐怖きょうふなどではなく、躍動やくどうする生の営みの果てに積極的に死を迎え入れよむか い  うという、確固たる姿勢である。みずから命を絶つあきらめでもなければ、他人の生を踏みしだくふ    傲慢ごうまんさでもない。
 死を「生に対する贈物おくりもの」にすべくかれが求めてやまなかったのは、「成熟」ということだった。一九五三年四月七日、国連事務総長に就任した日の日記には、くり返しそれへの渇望かつぼうが書かれている。たとえば、「成熟なかんずく、子供が仲間と遊んでいるときのように、現在の瞬間しゅんかんに明るく澄んす だ無心さで遊び、仲間と心がひとつになりきってかげひとつささぬ境地」。遊びほうける幼子との結びつけが意表を衝くつ が、この「無心さ」が、実は自己滅却めっきゃくと同じものであると考えるならさほど不思議はない。こうしてかれは、国連事務総長という、「世界で最も不可能な仕事」(初代事務総長T・リー)を、気負いもたかぶりもせずに、成熟と自己滅却めっきゃくという自分自身の原則を静かに再確認することだけで始めたのだった。

(最上敏樹『国境なき平和に』による)
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長文 5.1週 nnzaのつづき
 劇は、つねに宗教的な秘のうちに、その起原を置いている。ギリシア劇においては、そのことが明瞭めいりょうに看取される。その宗教的背景が、シェイクスピア劇では、一見うしなわれているかのように見えるのだ。(中略)
 もちろん、かれの詩的天才を疑うものはいない。またやや通俗つうぞく的ではあるが、その作品の劇的効果は否定しえない。それにしても、近代的な合理主義からいえば、かれの作劇術は、あまりにも粗雑そざつにすぎ、実証的な写実主義からいえば、心理的リアリティを欠いている。その精神や思想にいたっては、私たちはシェイクスピアのなかに一個の人間である作者の像をみとめることができない。つまり、かれは近代的な意味における芸術家ではない。ひとびとはいうであろう、ハムレットやリアの主張を読みとることができても、作者の主張はどこにも読みとれない。作者はどこにいるのか、と。
 そういうひとたちに、私は答える。すでにいったように、私は個人の主張などというものに、もはやなんの興味も感じない。個性や心理の、いかに微細びさい分析ぶんせきも、いまの私にはなんら新鮮しんせんな、驚異きょういや喜びを与えあた ない。すべてはわかりきったことだ。それらは季節に開花する路傍ろぼうの花ほどにも、私の眼を惹かひ ぬであろう。が、作者の思想と現実の分析ぶんせきとがなくして、現代文学はなりたたぬ。問題は、それが路傍ろぼうの花にどう道を通じているかである。私ばかりではあるまい。私たちが求めるのは博物学でも博物学者でもなく、生きた花なのではないか。シェイクスピアから私たちが受けとるものは、作者の精神でもなければ、主人公たちの主張でもない。シェイクスピアは私たちになにかを与えよあた  うとしているのではなく、ひとつの世界に私たちを招き入れようとしているのである。それが、劇というものなのだ。それが、人間の生きかたというものなのだ。
 宗教的な秘は、つねにそのことを目的としていた。見ることを許された特定のひとたちを、眼前に「おこなわれていること」の世界に引きずりこむのが秘の目的である。いわば路傍ろぼうの花が私たちを季節のなかに引きずりこむように、奥儀おうぎ啓示けいじされるのである。(中略)サルトルが「嘔吐おうと」のなかで女にいわせている「
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完璧かんぺき瞬間しゅんかん」というのも、じつはそういうものを背景にしなければ成りたたぬのである。対象とのあいだに、違和感いわかんを見ず、自己も対象も部分のままでありながら、全体に抱きいだ かかえられている瞬間しゅんかん、それを女は欲した。そして失敗した。相手の男が協力しなかったからである。ということは、女は男のまえで、路傍ろぼうの花にたいするようにすなおに自分の違和感いわかん棄てす さることができなかったということだ。のみならず、女は相手にそれを棄てるす  ことを求めていたのである。いいかえれば、自分が主役を演じうるように、相手がふるまうことを期待していたのである。もし、個人が、個人の手で全体性を造りあげようとすれば、自分がその中心になり、相手を自分のまえに跪かひざまず せるまでは、とどまることを知らぬのである。「嘔吐おうと」のなかの女は、たとえ受身の端役はやくにおいても、主役を批判し制御せいぎょしようとしているではないか。
 対象を路傍ろぼうの花にかぎれば、それは逃避とうひにしかならぬ。が、自然のみを対象とすることも、今日ではすでに逃避とうひである。天災と戦おうとする科学は、私たちの自然にたいする支配よくの現れかもしれぬが、その裏で、もし私たちが自然との調和だけを心がけるとしたなら、やはりそれは逃避とうひであろう。同様に、階級や戦争の悪を根絶しようとする試みも、私たちのあいだにあっては、容易に逃避とうひに転化しうるのだ。

(福田恆存つねあり「人間・この劇的なるもの」)
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a 長文 5.2週 nnza
 就業人口の半分以上が従事する産業に時代を代表させ、社会の発展段階を狩猟しゅりょう社会、農業社会、工業社会、情報社会と分類すると、現在は情報社会の盛期に位置するという解釈かいしゃくがある。
 それぞれの社会がどれくらいの期間にわたり持続したかを計算してみると、現代の人間の直系の祖先をネアンデルタールなど後期石器時代の人類とすれば、狩猟しゅりょう社会は数万年、農業社会は数千年、工業社会は数百年という単位で継続けいぞくし、二十世紀の中ごろから出発した情報社会が数十年という単位で経過したのが現在ということになる。(中略)
 農業社会は特定の地域で特定の作物が集中して栽培さいばいされる単品種多生産方式が特徴とくちょうである。工業社会になると、種類を限定した製品を大量に生産する少品種多生産になる。
 情報社会になると、工業製品であっても、同一の仕様のものはきわめて少数しか生産しない多品種少生産が特徴とくちょうとなる。情報社会の産業のコメといわれる集積回路(IC)の中の特定用途ようと集積回路はその代表である。この特徴とくちょうは生産技術の進歩にもよるが、希少であるほど価値があるという情報の性質を反映していると理解してもよい。
 この方向を発展させると、一品種一生産という特徴とくちょう浮かび上がるう  あ  。ある製品を一品ずつしか生産しないという特徴とくちょうは、産業革命以前に逆行するかのようだが、この一品種一生産は高度な技術に支援しえんされた方式である。各種の製品についてこのようなシステムが実用化すれば、一品種一生産であっても産業革命以前とは根本的に違うちが 生産方式が実現することになる。
 農業の発生と並行して集合し定住するという生活形態が出現したが、それは農業が短期に多くの労力を必要とするからであり、労働集約生産が農業社会の特徴とくちょうである。工業社会でも労力は必要だが、より重要な要素は生産設備である。高度な設備の導入が生産効率を向上させるため、企業きぎょうが競って工場に最新の設備を投入する設備集約生産が工業社会を特徴とくちょうづける。
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 情報産業の代表であるソフトウェア産業では状況じょうきょう大幅おおはばに変化する。この分野は新規の労働集約産業といわれ、端末たんまつ装置が配置された部屋に多数の人間が集まってソフトウェアを生産する。しかしそれらの人間は肉体労働をしているわけではなく、高度な知識を駆使くしして知的生産に従事しており、知識集約産業と表現するのが適切である。
 次期社会の重要な産業になると期待されているものに映像産業がある。衛星放送やCATV(有線テレビ)の普及ふきゅうによりテレビジョンの総放送時間数は急増し、今後十年間で四倍程度に増加すると予測される。一部は過去の映画などを利用するとしても、ほとんどは新規に制作される必要がある。
 この制作も多数の人間による労働集約的な生産であるが、そこで要求されるのは農業社会での労力でも情報社会の知識でもなく、人間が感動したり感激したりする内容を創造する能力である。この能力を「感性」と表現すれば、次期社会での産業は感性集約産業ということができる。
 工業社会から情報社会に移行する時期に、重厚長大から軽薄けいはく短小への転換てんかんという言葉が流行した。重量や容積当たりの価格が高価な製品に産業が移行するという現象だが、「軽薄けいはく短小」以後は、そのような言葉では表現できない製品を生産する産業が登場してくる。
 次代の十兆円産業と期待される映像産業が創造するイメージウェアは、重量で計測できる製品ではなく、まったく異質の価値基準でなければ測定できず、そこで誕生してきた表現が「美感遊創」である。
 (中略)
 終焉しゅうえんしつつある情報社会を代替だいたいして出現する感性社会では、技術は芸術も目指し、技術者は芸術家に変身すると言えよう。

 (月尾つきお嘉男よしお「産業技術」による)
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a 長文 5.3週 nnza
 われわれのからだは、そのすべての部分がいつも同じようにはたらいているわけではない。ているとき、座っているとき、しゃべっているとき、歩いているときは、はたらいている神経も筋肉も同じではない。われわれは、刻一刻たえず新しい身の統合をなしとげている。このたえず変化する動的な統合の複雑さには、どのような人工的システムもかなわないだろう。だがこの現実的な統合が身の統合のすべてではない。
 道を歩いている人のなかには、剣道けんどうの達人もあれば、ピアノの上手な人もあるだろう。道を歩くという現実的な統合の範囲はんいにとどまるかぎり、ふたりの身の統合の構造は似たようなものであり、からだとしては同じだ、といえるかもしれない。しかし、それがふたりの身の真の姿ではない。ふたりの身は、今は実現していないが、実現しうる潜在せんざい的な統合可能性を構造化している。ひとりの身のうちには、これまでのけんの立ち合い、さらにはこれまでの剣道けんどうの歴史、けんぜん一致いっちの思想までも、肉化しているかもしれない。ピアノを弾くひ 人は、ピアノの鍵盤けんばんを身体図式のうちに組みこみ、ピアノ曲の解釈かいしゃくの歴史、演奏法の伝統をも潜在せんざい的な身の統合のうちに包みこんでいる。身は解剖かいぼう学的構造をもった生理的身体であると同時に、文化や歴史をそのうちに沈澱ちんでんさせ、身の構造として構造化した文化的・歴史的身体にほかならない。つまり身体は文化を内蔵するのである。(中略)
 この内蔵化の過程というのは、連続的な過程にみえて、実はかなり不連続である。スポーツでも楽器の演奏でも、あるいはもっと抽象ちゅうしょう的な学習でもよい。試みるたびにうまくなり、理解が進むのは当然として、あるとき突然とつぜん身の動きが自由になり、頭が晴れる思いをすることがあるのではないだろうか。あたかもそれまで無かった網目あみめ突然とつぜん身のうちに張りめぐらされたかのように。経験は身のうちに沈澱ちんでんし、くりかえしは(能動的な訓練の場合はもちろん、とくに意識することなくくりかえしている場合でも)、自分では気がつかない小さな発見と創造によって、まだ不確定な網目あみめ潜在せんざい的に身のうちに紡ぎつむ 出しているのではないだろうか。
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 練習は、能動的に身をある方向に整除して、統合を容易にする回路を身のうちに形成する試みである。身体を動かさないイメージ練習や、イメージを積極的に浮かべう  て練習することが、動きを内蔵する早道であることがある。これは意識的・能動的な統合である。ところが逆につぎの段階では、イメージが邪魔じゃまになる。こんどは動きによってイメージを消し、無心の状態に達することが必要になる。場合によっては、練習を休むことによって、上手くなったり、こつがつかめることさえある。この場合にはたらいているのは、無意識的・受動的な統合ともいうべきものである。休んでいる間も練習された動きは、徐々にじょじょ 身のうちに沈澱ちんでんし、動きのネットワークが受動的に構成され、あるとき突然とつぜん網目あみめがつながるのであろう。
 ところが一たん網目あみめができあがると、くりかえしはただの反復に陥りおちい がちである。最も抵抗ていこうのない道がえらばれ、習慣は惰性だせいとなるだろう。しかし惰性だせいなくりかえしは、あるとき飽和ほうわ状態になる。われわれは突然とつぜん惰性だせい的生に飽きあ ていることを発見する。
 どんな立派な計画やユートピアにたいしても、「否!」という少数者がいるというだけではなく、計画は現実化するにつれて惰性だせい化し、それに飽きあ た多数者を生み出す。哲学てつがく者の故生松敬三氏の巧みたく な表現を借りれば「人間はユートピアにさえ飽きるあ  存在」なのである。人間は座りつづけることもできないし、立ちつづけることもできない。すぐに惰性だせい化する存在でありながら、惰性だせい的でありつづけることもできない。人間は易きにつく存在だから、禁欲の時代のつぎに享楽きょうらくの時代が来るのはわかりやすい道理である。面白いのは、人間は享楽きょうらくにも飽きるあ  ということである。享楽きょうらくの時代のつぎに禁欲の時代が来るという不思議さ――同じ状態を永くつづけることができない人間のいたたまれなさは、動かしがたくみえる生き方を転換てんかんし、不可避ふかひとみえる袋小路ふくろこうじを打開する力さえもっている。これが惰性だせい的=創造的な習慣的身体の逆説である。

 (市川ひろしの文章による)
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a 長文 5.4週 nnza
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 マインド・コントロール概念がいねんの導入は、カルト問題の現場に大きな変化をもたらした。なぜ人がカルトに入信するかを説明する、明確な道具ができたからである。それまでは、これらは親子関係や教育問題などから言及げんきゅうされていた。マインド・コントロール概念がいねんはメンバーが自分に起きた出来事を理解する手立てとなり、家族が状況じょうきょうを理解するためにも役立った。これを臨床りんしょう心理学の言葉に置き換えれお か  ば、心理教育ということになるであろう。心理教育とは、症状しょうじょうや行動がどのようなメカニズムで起きているか、それを緩和かんわさせたり予防したりするにはどうしたらよいかを教育する介入かいにゅう方法である。この機能は、今後も十分に役立つであろう。
 反面、この説明がいつでも有効性を持つわけではないことも事実である。ありがちなのは「自分はマインド・コントロールされていたのではなく、自分で選んだのだ」という主張である。この場合、マインド・コントロール概念がいねんは自身のプライドを傷つけるものとして語られる。ここには、自分には十分なコントロール能力があり、その結果、信じたのであって、他人の思うようにコントロールされていたわけではないという反発のニュアンスが含まふく れる。実際、個々のケースにおいて、個人がどの程度マインド・コントロールと呼ばれるものの影響えいきょう下にあったかは、究極的には知る術がない。
 HowモードとWhyモード
 マインド・コントロールという社会心理学的説明で、すべてが解決されるわけでもない。なぜなら、社会心理学が担えるのは事象の説明や解明であり、当事者が自身の経験をどう受け止めるかという臨床りんしょう的側面は担っていないからである。「自分がマインド・コントロールされていたことは、よくわかった。でも、それが何になるのか」という言葉を当事者から聞くことは、しばしばある。これは、How(いかに)とWhy(なぜ)の相違そういである。人の持つ知的欲求として「どうして」を知りたい場合と「なぜ」を知りたい場合とがある。これは対象となる事象によっても異なるであろうし、どちらを知ることが満足につながるかが個人のメンタリティによって異なることもある。カルトがもたらす信念は、元来Whyに重点を置くものである。例えば「なぜ社会には、こんなに悪がはびこっているのか」「なぜ私は、こんなに生き辛いつら のか」などの疑問や
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苦悩くのうに答えるところから、これらの信念は魅力みりょく呈するてい  。よって、これらの集団にはWhyに関心を引き寄せられやすい人が残ることになる。
Whyは形而上けいじじょう的な問いであり、そもそも多くの人が納得する正答を用意する性質のものではない。カルト・メンバーに教義論争を吹き掛けふ か て、出口の見えない堂々巡りどうどうめぐ 陥るおちい のは、このためである。信じるか信じないかの基準しかないものに、客観的な正当性を求めるのはナンセンスである。したがって、カルト的思考を持った個人が別の視点を見出すのは、けい上的な問いの前提に自ら疑問を持つときか、思考の方向性がHowのモードに切り替わっき か  たときのいずれかであろう。そこで個人がHowを理解すれば、それだけで事足りる場合もある。だが、そもそもWhyに関心を持っていた彼らかれ は、原点に戻るもど 場合も少なくない。それは、哲学てつがく的・宗教的問いに対する絶対的な答えを失い、呆然とぼうぜん 立ちすくむWhyであることも、過去の個人的経験に対するWhyであることもあるであろう。

(戸田京子「カルト問題における心理学――社会心理学から見えるもの・臨床りんしょう心理学から見えるもの」による)
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長文 5.4週 nnzaのつづき
 「日本人は、奈良なら時代には梅が好きだった。ところが平安時代から好みが変って、桜を愛するようになった」
 と、こんなことを教室で教えられたり、本で読んだりしたことは、ないだろうか。少くとも私はそうだった。こう書いてある本も、いっぱいある。
 しかし、そんな事実はない。太古以来、日本人は桜を愛してきたのである。
 それでは、どうしてこんな間違いまちが がおこったのか。じつは奈良なら時代にできた『万葉集』という歌集でいちばんたくさん詠まよ れた花は、梅である。
 だから、みんな、梅が好きだったと思った。
 ところが、これは当時の中国好みの貴族趣味しゅみによるもので、ある歌人などは梅見に人びとを招集し、みんなでいっせいに四十首ほどの梅の歌を作った。おまけに、後からこの時をしのんで梅の歌を作った人もある。
 こうなるといっきょに梅の歌の数がふえてしまう。その数を、歌の性質を吟味ぎんみしないで数えたから、個人やごく少数の人の好みを、一般いっぱんの人の好みとかんちがいしてしまったのである。
 反対に、単純に桜の歌を数えると、数は梅に及ばおよ ない。しかし桜が民衆的には熱烈ねつれつに愛されていることがわかる。
 また、平安時代になっても、ごく初期のころには、宮中の正殿せいでんの前に、梅とたちばなが植えられていた。それが火事で焼けて、その後桜とたちばなに変った。そこでまた、人びとは梅から桜へと趣味しゅみが移ったと誤解するのだが、最初は万事中国好みの宮廷きゅうていだったから、梅を植えたのである。やがては素直に、日本趣味しゅみにしたがって桜を植えた。
 そこで、今後は若い世代にも「日本人はずっと桜を愛してきた」と、言おうではないか。
 しかし、そうなると日本人はどうしてこうも、長い間桜を愛しつづけるのだろうという疑問がわく。もう桜は、遺伝子の中に組みこまれてしまった記号だろうか。(中略)
 もう桜は、日本人の遺伝子の問題である。
 ではどんな遺伝子なのだろう。
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 先ほど『万葉集』について述べたが、その中に、次のような一首がある。

  桜花 時は過ぎねど 見る人の こいの盛りと 今し散るらむ

 桜の花はどうして散るのか、作者は推測する。「この桜の花は次のように思って散るのではないか」と。つまり桜は「私を見ている人は、いまが一番私を愛してくれている」と思う。だから桜はしおれるのを待たないで散ろうと思う。
 そう、作者は桜の落花を納得した。
 人間にいいかえてみると、恋人こいびとがいま、一番私を愛してくれている。だから自殺をしよう――そう思うことになる。
 そんな人がいたら、盛りの命の死を惜しまお  ない人はいない。
 もっと生きつづけて永遠の愛に生きればよかったのに、とやや批判をする人もいるだろう。しかし反面、長くは生きられない命だから、花の盛りに死んでよかった、と賛成する人もいるだろう。
 いずれにしても、これらは時間の中で命を見ていることに変りはない。
 命は時間の力を、まぬがれがたい。
 このもっとも根元的な命の課題を、死からもっとも遠い花の絶頂期に考えることの、衝撃しょうげき力は強い。
 万葉の歌の作者は、桜の花をじっと見ることによって、無意識に体の中にたたえられていた命のうつろいが誘い出ささそ だ れ、花の姿がわが命の代行者として映ったのだろう。人間の死の想いを誘い出しさそ だ たものは、花のあまりもの美しさだったことになる。

(中西進の文章による)
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a 長文 6.1週 nnza
一番目の長文は暗唱用の長文で、二番目の長文は課題の長文です。
 一七九〇年、フランス革命政府議会は、それまでのように人体を尺度にした、地方ごとに違うちが 長さの測り方をやめ、世界中同じ単位で長さを測れるようにしようという決議をした。この時代には、グローバリゼーションの震源しんげん地はアメリカではなく、フランス革命政府だったのだ。
 だが同様に普遍ふへん指向が強かった古代ギリシャの生んだ哲学てつがく人プロタゴラスは、「人間は万物の尺度なり」という、特殊とくしゅ指向こそが普遍ふへん的だという、見事な逆説的命題を吐いは た。実際、人体のさまざまな部分を規準にした尺度は、十八世紀末までは、まさしく普遍ふへん的に、だれもそれを怪しむあや  ことなく、国ごと、地方ごとに用いられていたのだ。
 フランスで当時用いられていた、長さを測る単位には、アンパン(片手の指をいっぱいに広げたときの親指の先から小指の先まで)、クーデ(ひじから伸ばしの  た中指の先まで)、ピエ(足の意。ヤード・ポンド法のフィート「足」に対応)、プース(足の親指の意。一ピエの十二分の一)、トワーズ(身の丈み たけの意。六ピエ)、ブラス(両うで伸ばしの  て広げた長さ。五ピエ。日本のひろに対応)等があった。クーデに対応する日本の尺は、呉服尺ごふくじゃく鯨尺くじらじゃく曲尺かねじゃくでも違うちが が、やはり前腕ぜんわんの骨の長さから来た尺度だ。布などを測るのにひじを曲げたかたちは測りやすいのか、西アフリカのモシ社会でも、細長い帯状に織った綿布を売るとき、曲げたひじから中指の先までの長さを単位にして測る(カンティーガ、複数でカンティーセという)。日本語で前腕ぜんわんの小指側の骨を尺骨しゃっこつと呼ぶことからも、この測り方と前腕ぜんわんとの関連が窺わうかが れる。尺骨しゃっこつを指すラテン語の解剖かいぼう用語はulnaだが、これは古代ローマでの長さの単位でもあった(三七センチに対応するから、日本の呉服尺ごふくじゃく鯨尺くじらじゃくのあいだくらいの長さだ)。尺という漢字は手の親指と中指を開いた象形で、日本ではあただ(てのひら下端かたんから中指の先までともいわれる)。
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 一七九一年、フランス革命政府は学者を招集して、地球の北極点から赤道までの経線の距離きょりの一千万分の一を、世界に共通する長さの単位とすることを決定した。だが実際にこの距離きょりを測ることはできないので、フランス北岸のダンケルクから、地中海に面したスペイン領バルセロナまでを精密な三角測量で測り、両端りょうたんの地点の緯度いどから、北極点・赤道間の距離きょりを算出するという方法がとられた。
 この二地点のあいだは山岳さんがく地帯が多く、革命直後で政情も不安定であり、測量は困難を極めた。それでも一七九八年に測量を完了かんりょうし、翌年には白金製のメートル原器が作られた。地方ごとに人間中心で作られていた尺度を、ヒトを離れはな た「地球」(グローブ)の寸法から割り出すことにしたのだから、これこそ語義通りの「グローバリゼーション」の先駆けさきが というべきだろう。
(中略)
 アメリカ合衆国は一八七五年の国際メートル条約の原加盟国だが、ヤード・ポンド法は「慣習的単位」として禁止されていないどころか、日常生活ではこちらの方が普通ふつうに用いられている。しかもアメリカの影響えいきょうが強い航空・宇宙関係の国際用語では、メートル法を採用している国も、アメリカの「慣習的単位」に合わせざるをえない状態だ。国際線の旅客機でも、高度や距離きょりの表示に、メートルとフィートが併用へいようされていることは、よく知られている。
 現代におけるグローバル化の中心にある米英が、かつてのフランス主導のグローバル化に対して、ローカルな「慣習的単位」に固執こしつしている事実を見ても、グローバル対ローカルという関係が、文化外の要素も多分に含むふく 「力関係」の上に成り立っていること、普遍ふへん指向と特殊とくしゅな慣習的価値の尊重という対立も、状況じょうきょう次第、「力関係」の都合次第でいかに変わるものであるかがよく分かる。

(川田順造『もう一つの日本への旅』による)
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長文 6.1週 nnzaのつづき
 もしも「忘れる」という現象が境界の融けと てしまう現象であるとしたら、この「融けと てしまう」という現象の形で現れているものをさらに私は問わなくてはならない。というのも「融けと てしまう」というのは、融けと て消えてしまうというような意味では決してないからである。
 融けると  というのは、一滴いってきのインクが大海のなかに拡散的に融けと てなくなるというようなものではない。そうではなくて自分を保ちながら、ある相手と交わり、そのあいだの境界を融かしと  てしまうあり方のことをここでは意味している。
 これはある交流の形態である。私たちはたしかに大気や大地といつも交流し、交感し合っている。実際私たちの生理現象(呼吸や消化や新陳代謝しんちんたいしゃ等)はまさに大気や大地との相互そうご性そのものである。しかし問題は、そういう相互そうご性そのものに目をとめよ! というところにあるのではない。そうではなくて、そういう相互そうご性を私たちは少しも自覚していない、つまりそれを忘れているという現象の方に注目しようというのである。
 生理学や生態学であれば、おそらくその相互そうご性そのものに諸手でとびついて、いかに生体が環境かんきょう世界と交わり合っているか、得意気に説明しにかかるであろう。素人の私たちは、そんなにもたくさんな関係を自分たちは外界とむすんでいるのかと、説明されるたびに感心することになるだろう。けれども実際のところは、そういう説明を聞いたその十分もたたないうちに、大地の上を二本足で歩き、空気を吸って、つねに新陳代謝しんちんたいしゃしていることなどキレイさっぱり忘れて行動しているのである。これが日常の姿である。
 これはどういうことなのかというと、私たちはこの「忘れる」という形で、実際のところキレイさっぱり大気や大地のことを忘れ去っているのではなく、私たちと大気や大地との関係を気にもとまらないほどに融けと 合わせている、ということだったのである。つまり融けと 合うという形で相手と交流し合っていたのである。「忘れる」とは「失う」ような関係ではなく、もっと積極的な相手との交流の実現の形だったのである。
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 私はここで一気に主題の核心かくしんを取り上げておこうと思う。それは私たちの存在様式が、その根本において、個体としてではなく交わりとしての存在様式である、ということについてである。つまりある存在があってそれが外界と関係をもっているというのではなく、そもそもはじまりそのものが交わりとしてある、ということについてである。
 この根源としての交わりを「忘れる」ことによって、私たちは逆に、交わっていることよりか、互いにたが  区別し合って境界をもっていること、つまり私たちが個体であることの方をより自覚してきたのである。「覚えている」とはまさに境界を覚えていることであり、覚醒かくせいとは、個体であることの自覚なのである。
 根源に交わりがある。いや根源が交わりである。このことを本当に理解することは、今日ではしごく難しいことになってきている。なぜなら私たちは交わりということを思い浮かべるおも う   前に、かならず個体を想定してしまうことに慣れているからである。出発は個体ではなく交わりそのものである。このことの理解がしだいにできなくなりつつある。
 「根源としての交わり」と私が呼んだもの、それを私たちのよく知っていることばに言い直せば、生命ということになる、と私は思う。(中略)
 結論をさきにいえば、意識や心理や認識はすべて個体の現象として扱えるあつか  面があるのに(むろんそれはみかけにすぎないのだが)、生命には個体をこえる拡がりがあるかのように感じられるからである。(中略)
 問題は生命なるものを日常的に問う観点が発見されていないところにあるのではないか。宗教用語や生物−生理学用語で記述される生命以外に、日常用語で記述される生命がまだないのではないか。その辺が最大の問題であるように私には感じられてきた。

 (村瀬むらせ学の文章に拠るよ 
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a 長文 6.2週 nnza
 ニュートンが集大成したようなテクノロジー科学はたんに思想上の成果として学者たちの規範きはんになっただけではなかった。それは政治的・社会的にも支持を獲得かくとくすることができた。というより、政治的・社会的に同様のエートスがすでに生成され定着しつつあったために支持を得ることができたのである。
 このことをもっと立ち入って論じてみよう。テクノロジー科学は十七世紀に登場した近代国家の中に受容された。何かを作れたりするという意味で有用であったから受容されたのだろうか? 必ずしもそうではない。そう見るのは、狭隘きょうあいな実用主義的短見である。テクノロジー科学はいわば「イデオロギー」として近代的政体に取りこまれたのである。
 近代政治哲学てつがくの伝統は、イタリアのニッコロ・マキアヴェッリによって始められたと言われる。かれの政治哲学てつがくは、政治の目的や理想をほとんど問題にしない。それは、与えあた られた状況じょうきょう下で君主がいかにして他の有力なライヴァルたちの詐術さじゅつにかかって敗北することなく、人民にほどよく信頼しんらいされ、すなわち恐れおそ られすぎもせず、かといってあなどられもせず、統治できるかの技法について論ずる。『君主論』(一五三二年)は、君主の闘争とうそう手段として、法と力をあげているが、マキアヴェッリが主として考察の対象とするのは、力による統治である。かれによれば、君主は野獣やじゅう性と人間性とを巧みたく に使い分け、ともかく勝利しなければならない。それゆえ力の保持が重要である。「武装せる予言者は勝利し、武力なき予言者は破滅はめつする」(第六章)のが政治の冷徹れいてつな法則である。このような政治技法は、マキアヴェッリを待たずとも、およそ政治が存在してからというもの現実に行われていたに違いちが ない。けれども、かれは政治悪を現実に認容し、自分の名前で、一書をもって理論化をあえてした点で嚆矢こうしをなすのである。(中略)
 近代自然哲学てつがくは機械論的であると言われる。機械論的自然像とは自然を機械として見る考えをいう。説明することが困難な生命的、有機的なことがらを可能な限り排除はいじょしようとするのである。抽象ちゅうしょう的言葉づかいでは、「自然は微粒子びりゅうしの位置運動からなる」と
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言いかえられる。デカルトは、宇宙が微粒子びりゅうしの集成で、それらを統御とうぎょしているのは数学的自然法則であると見る、機械論的宇宙像の最初の提唱者となった。数学と自然学における波の最重要概念がいねんは「分析ぶんせき」であった。十七世紀には、最も精緻せいちな機械は機械時計であると考えられていたので、科学革命当時、自然は時計と類比的に見られた。(中略)自然は生きているに違いちが ないが、とりあえず機械と見てそれにアプローチしようとするのが、テクノロジー科学の方法論的合意なのである。そうアプローチする方が、自然を理解しやすいからである。換言かんげんすれば、技術的に操作することが可能になるのである。その点で、テクノロジー科学はマキアヴェッリの政治哲学てつがくに実によく似ている。かれにとって政治とは人民の統治の技術なのである。「いかにして」の技術なのである。
 マキアヴェッリのリアリズムは、前述のようにベイコンによって高く評価され、さらにホッブズによって近代科学的よそおいをほどこされた。
 ホッブズは国家を機械と見たのである。伝統的主権者(王権)は神秘的仮面をはがされ、国家をよりよく統治し、人民に安寧あんねいを提供しうるもののみが主権者に値するとされた。ホッブズにとって、政治科学にアプローチする最も重要な概念がいねんは、「分析ぶんせき」であった。かれによって、国家の成り立ちは個々人にまで分解(分析ぶんせき)され、こうした個々人の安全(最悪の事態としての突然とつぜんの暴力死の回避かいひ)を保障してくれる政治システムはいかなるものであるかが探究された。こういうアプローチの仕方から得られる帰結は、主権者はだれでもよい、したがって、政体は君主制でも共和制でもどちらでもよい、要は、人民に安定した生活を約束してくれれば、政治の最低の役割は果たされる、ということである。このリアリズムの観点に立った政治科学は、だれにでも評価されるはずであったが、現実認識があまりに冷徹れいてつすぎたために、ホッブズはかれ先駆せんくマキアヴェッリ同様みなから嫌わきら れた。今日でもあまりに正直すぎる者が嫌われきら  の的になるように――。
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a 長文 6.3週 nnza
 このように、一七世紀から一八世紀にかけて、すでに地球や自然界の歴史的展開ということは何人かの人びとにとっては当然のこととなってはいたが、しかも、一つ大切な点は、そうした時期における「自然界の歴史的展開」は、「進歩」すなわち「悪い状態から良い状態へ」という価値スケールのなかで考えられていたわけではないという点である。むしろ、自然は人間の堕落だらくに見合うように神が悪い状態に造り変えているのであり、それが破局の積み重ねとなって最後の審判さいご しんぱんにいたるのだ、という考え方が強かったと言えよう。
 こうした終末論的な悲観論を逆転させた、地球、生物界、そして人間社会の歴史が「悪い状態から良い状態へ」の「進歩」の歴史である、という楽観主義は、まさしく啓蒙けいもう主義と産業革命の所産であったと言えよう。一七世紀までの神の支配する自然という考え方から、人間の支配する自然へという一八世紀啓蒙けいもう期の考え方への転換てんかん如実にょじつに示すように、歴史は自分たちの手で築くものであり、また世界の歴史は、より良い方向に向かってつねに進んでいるという「進歩」の思想がヨーロッパ世界を強く支配し始めた。それが「生物の進化」、すなわち下等動物から高等動物へという価値尺度を歴史が昇りのぼ つめてきた、という思想を下から支えることになったのである。
 したがって、生物進化論はそうした「社会進化論」と密接に連なっている。たとえばのちに見るように「適者生存」や「生存競争」など進化論の概念がいねんとして使われているものは、もともと資本主義の理念としての「自由競争」に由来していて、「社会進化論」の強力な推進者として知られているスペンサー(一八二〇−一九〇三)の用語であったし、ダーウィンやウォーレスの生物進化論のきっかけが社会学者としてのマルサス(一七七六−一八三四〉の『人口論』であったことも、生物進化論と社会科学的思想との強い関連を物語っている。(中略)
 ダーウィニズムは、すでに述べたように、社会思想から重要なフィード・バックを受けていたが、ダーウィニズム自身が今度は、人類の「社会」的問題を扱うあつか 思想領域へ逆にフィード・バックすることになった。
 「最適者生存」の「最適者」という概念がいねんを、きわめて恣意しい
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に、自分の都合のよいように解釈かいしゃくして、それを倫理りんりや社会思想の面に応用しようとする態度が、『種の起源』以後急速に拡がっていくのがそのことを示している。自由競争という資本主義の理念こそ、その競争のなかで最良のものが生き残るという生物学的原理が保証する社会進歩の原理なのであって、競争を否定する社会主義では、人類社会の進歩は希めない、という社会主義批判も、「科学」の名のもとに横行したし、「天賦てんぷ人権論」など万人が平等な権利をもっているとする発想も、ダーウィニズムの名で攻撃こうげきされた。たとえばチェンバレン(一八五五−一九二七)は元来はイギリス人(一九〇八年ドイツに帰化)でありながら、一八九九年に『一九世紀の基礎きそ』という書物をドイツ語で書いたが、この書物は、人種の優劣ゆうれつを生物学的に証明しようとし、とくにゲルマン民族の優秀ゆうしゅう性を強調して、そこに暗に「優勝劣敗ゆうしょうれっぱい」というダーウィニズムの通俗つうぞく的スローガンを示唆しさしたし、ダーウィンの従弟ゴルトン(一八二二−一九一一)が始めたと言われる「優生学」は、一方において、遺伝的操作のなかで悪性の素質を排除はいじょすると同時に、他方では「優れた」素質を伸ばすの  という考え方を基にしており、「人種改良」や「人間の進化」が現実の問題として浮かび上がっう  あ  てくることにもなった。
 しかし、このように、「人間」が「人間」の素質の善・悪を判断し操作するという思想がきわめて危険であることは、ナチズムの例が鮮やかあざ  に教示してくれており、「優生学」が一部には進化論を中心とする純粋じゅんすいの科学理論に根を下しているだけに、これまでになかった「人間の手による人間の人為じんい淘汰とうた」という思想の合理化さえ行なわれるようになったことは注意しなければならない。そして、このような「人類」の進化や、「人類の改良」という着想から、いわゆる一九世紀末の「超人ちょうじん思想」も現われてくることになると言えよう。

 (広重 とおる伊東いとう俊太郎しゅんたろう・村上陽一郎よういちろう 『思想史のなかの科学』 村上氏執筆しっぴつ部分より)
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a 長文 6.4週 nnza
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 「私が結婚けっこん相手に望む経済力は、そんなに大きなものではありません。ただ私と子ども二人が安心して暮らせる程度でいいのです。子どもには小さいときから習い事をさせてやりたいです。お金がないからといって子どもにみじめな思いをさせるのだけは絶対にいやです。そして、子ども二人を私立大学に行かせてやれるくらいの給料は求めます(だって、私もそうしてもらったので当然だと思います)。月に一回は外食し(もちろんまわるお寿司すしではなく、お洒落 しゃれなイタリアンとかです)、年に一回は海外旅行に行く。そういう程度の経済力です。私には玉の輿たま こし願望はありません。私の両親が夫の両親に対し、肩身かたみ狭いせま 思いをするのはいやなので、軽い玉の輿たま こし程度で十分です。もちろん夫は真面目に働く人でないと困ります。ちょっといやなことがあると会社を辞めるとかされたりすると、とても困ります。それから、土曜日には子どもを連れて公園でサッカーしたり、川の堤防ていぼうの下でキャッチボールしたりするのを、私は堤防ていぼうの草むらに坐っすわ 眺めるなが  のが夢です。それから、煙草たばこを吸う人は絶対にお断りです。本人よりも周りにいる私や子どもたちの受動喫煙きつえん怖いこわ からです。家族(子どもと私の両親)を大事にして、結婚けっこん記念日とかは絶対に覚えていてくれないといやです。あとDVとかして、暴力を振るうふ  人ももちろんお断りです。まだ、他にもありますが、先生が三つまでと言われたので、このくらいにしておきます」
 言っておくが、これは学生の書いたものを合成したり、特定の個人のものを意図的に抽出ちゅうしゅつしたりしたものではない。みんなみんな、こう書いてくるのである。なんでここまで同じなのか、私が聞きたいくらいである。この女子学生の結婚けっこん願望を男子学生に紹介しょうかいすると、教室中に「冬虫夏草」みたいな菌糸きんし状のものが浮遊ふゆうする。漠然とばくぜん した怒りいか と不安めいたものだ。
 こういう、学生の書いたものを何年も多数読んできて、私はこの国の晩婚ばんこん化は止まらないと思ったのである。今は、まだ晩婚ばんこん化で済んでいるが、これから非こん率の上昇じょうしょうも必至である。就職難と結婚けっこん難が、双子ふたごになってやってくる。
 男の子は、正社員として就職できずにフリーターになれば結婚けっこん
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きない。結婚けっこんできないで家庭を持てないから、就労意欲が低下し、ますます離職りしょく促進そくしんされる。女の子は、正社員で就労意欲の高い、ついでに給料も高い男性目指して、「容貌ようぼう偏差へんさ値」を上げるのに余念がない。しかし、「実用偏差へんさ値」はきわめて低い。料理を作ったことがない。ご飯を炊いた たことがないという女子は多い。なぜなら、女子学生の母親は「女は、結婚けっこんするといやでも家事をしなければいけないから、家にいるうちはそんな苦労をさせたくない」と、むすめに家事をさせないからである。むしろ、男子学生の母親の方に「将来、息子が結婚けっこんしたら、奥さんおく  も働いている可能性が高いので、男も家事ができなければならないので、今から教えている」と語るケースが多かった。だから、男の子の方が、基本的な炊事すいじはできるのである。現在、大学生はとても忙しいいそが  。授業以外に専門学校に行き、アルバイトもしている。
 「バイトで深夜の十二時にアパートに帰り、カップめんを食べていると侘しくわび  なり、就職してもこういう生活かと思うと、家に帰ったときにはやはり誰かだれ 人の気配があってほしいなと思います」
 こういうことを女子学生が書いてきたケースは一回もない。男子学生にのみ見られる。こういう生活実感から来る結婚けっこんへの憧れあこが は、だからこそディテールに凝っこ た具体的なものになるのであろう。

(小倉千加子『結婚けっこんの条件』)
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長文 6.4週 nnzaのつづき
 今の世の中、孤独こどくという言葉は、なぜか悪いイメージで塗りぬ 固められている。いつからそうなったのか、私は知らない。いつのころからか、引きこもりという言葉が、現代の若者や子どもたちの、社会や学校に出られないで家にこもり切りになる特殊とくしゅな状態を指すようになってから、孤独こどくのイメージはすっかり悪くなった。言い換えるい か  なら、引きこもりの若者や子どもたちが何万、何十万という数になってから、いよいよ孤独こどくのイメージは、社会的に手を差しのべてあげなければならないもの、克服こくふくしなければならないもの、といった否定的なものになってしまったのだ。
 もちろん、集中的ないじめを受けたり、心の病になったりして、まともに対人関係を保てなくなった場合には、周囲からの何らかのサポートが必要であることは言うまでもない。そういう場合の孤独こどくと、人間ひとりが生きていくうえで本来的にまつわりつく孤独こどくとでは、本質において違うちが もののはずだ。両者の間に明確な線引きはできないにしても。
 ところが、両者をいっしょくたにして、すべて孤独こどくはあってはならないものであるかのような風潮になっているところに問題がある。子どもには子どもなりに、心の成長や考える力をつけるためには、孤独こどくな時間はとても大事なのに、今の社会はそのゆとりを持たせようとしない。ミヒャエル・エンデの『モモ』に描かえが れた「時間貯蓄ちょちく銀行」の銀行員のように、何もしないでいると、たとえば、「あなたはきょうは、二時間三十一分四十七秒無駄むだにした。一生は六十六万六千四百三十二時間二十五分四十八秒しかないのだから、時間をそんなに無駄むだにしてはいけない。一分一秒でも何もしない時間は私どもに預けなさい」といったぐあいに迫るせま のだ。
 やれじゅくに、やれお稽古 けいこに、やれ宿題に、と迫らせま れることに耐えた られない子どもたちは、ゲームやケータイやパソコンに没入ぼつにゅうする。大人たちは奇妙きみょうなことに、ちゃーんとゲームやケータイやパソコンを大量生産して、子どもたちがどんどんその世界に入るのを誘っさそ ている。そういうものをどんどん子どもに与えるあた  のは、「麻薬まやく
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与えるあた  に等しい」と言ったのは、医療いりょう少年院に勤務する精神科医・岡田おかだ尊司氏だ。
 ダブルバインド(二重拘束こうそく)という精神医学用語を紹介しょうかいしたことがある。社会学や人類学などマルチな才能を持つベイトソンという学者が作った、人間の心の領域にかかわる用語だ。ベイトソンが紹介しょうかいしている象徴しょうちょう的な症例しょうれいはわかりやすい。母親が精神病院に入院中の息子に面会に行く。息子と並んで座った母親は、口では「あなたを愛してるのよ」と言うが、内心では息子を恐れおそ ている。息子は言葉をそのまま受けとめ、嬉しくうれ  なって母親にキスをしようとする。ところが、母親は一瞬いっしゅんだがピクッと顔をこわばらせ、キスされるのを避けるさ  ように身をそらす。内心が身体に表れたのだ。息子は鋭くするど 母親の二面性を読み取り、病室に駆けか 戻るもど 。母親が帰った後、息子は暴れまくり、保護室に入れられてしまう。
 親が二律背反のことを同時に子どもに言うと、子どもはどちらを選んでいいかわからなくなり、精神的に混乱したり、身動きができなくなったりする。そういう親に育てられた子は、心の発達にゆがみが生じるおそれがある。これがダブルバインドとその結末だ。

柳田やなぎだ邦男くにおの文章による。一部省略がある。)
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