a 長文 1.1週 nnze
 近時、大学教師の悩みなや の種は、授業中の私語の多さである。私はいつも最初の講義のとき、「オシャベリはいけない」と学生たちに厳しい態度を示してから講義に入ることにしている。
 問題は私語ばかりではない。昨年あたりから、教室に新現象が起こり始めた。四月、いつものように私語禁止を言い渡しい わた てから講義に入った。学生たちは静かに聞いている。今年の学生は質がよいのかと、私はうれしくなった。が、ふと見ると、前から三分の一あたりのところで、机上に英語の教科書と辞書を広げている者がいる。ちなみに私の授業は「西洋精神史」であって、英語ではない。だから、彼女かのじょ行為こういは「内職」である。
 授業中の内職は、別に新しい現象ではない。だが、内職は教室の後ろのほうで、机の下でこっそりとやるから内職というのである。前のほうで、しかも机の上で堂々とやる内職は初めて見た。つまり、彼女かのじょには、自分が悪いことをしているという意識がまったくないのである。
 こういう学生を叱るしか のは実に骨が折れる。「なぜ悪いのか」をわからせるのがひと苦労なのだ。もともと内職が悪いことだとは毛頭思っていないから、注意すると、ただポカンとして私の顔を見つめる。彼女らかのじょ はおそらく、小学校でも、中学校でも、高校でも、また家庭でも、そうしたことで注意されたことがないのであろう。
 同じことはアクビについても言える。授業中にアクビをするなと言うと、学生たちは不思議な顔をする。「生まれて初めてアクビを注意されました」と言わんばかりである。
 こんなことは昔なら一言、「礼儀れいぎを重んじなさい」と言えば済んだ。それがいまは通じない。「いけないこと」を一つひとつ示し、「なぜいけないのか」を丁寧ていねいに説明しなければならないのである。原理原則に従う行動様式、思考様式を持っていないから、原理を示しても無駄むだなのだ。
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 評論家やジャーナリストは、こういうタイプの人間を「指示待ち人間」「マニュアル世代」などと名付けるが、現象だけしか見ない、皮相なとらえ方である。彼らかれ は単に、指示を待たなければ、マニュアルがなければ行動できないというのではなく、抽象ちゅうしょう的な原理に従って行動することができないのである。つまり、自分の中に行動の原理原則がないのだ。いわば、自分の中心に背骨がないようなものである。それゆえ、本質を見るならば、こういう型の人間はずばり「背骨のない人間」「無脊椎せきつい人間」とでも呼ぶべきなのである。
 行動の原理原則の中でいちばん大切なのが「善悪」の原理である。そして、これを教えるのは主として父親の役割である。母親は、個々の行為こういについて「よい」「悪い」を注意するが、父親は、そもそも世の中にはして「よい」ことと「悪い」ことがあるのだという原理を教えるのである。
 ところが、いまは父が父の役割を果たしていない。その結果、善悪の感覚のない人間が成長してしまう。たとえ「よい」「悪い」の区別を教えられたとしても、その基準はせいぜい「他人に迷惑めいわくをかけない」「他人を傷つけない」という程度だから、礼儀れいぎやマナー、あるいはその行為こういが「美しい」か「醜いみにく 」か、「他人に不快感を与えあた ない」かどうかという視点が欠落してしまう。だから、遅刻ちこくも内職もアクビも居眠りいねむ も、すべて「悪くない」ということになってしまい、たまたま注意を受けると意外だという顔をするのであろう。
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a 長文 1.2週 nnze
 真意を伝えるのはむつかしいが、誤解をうけることはやさしい。私はけっして文学至上主義者ではないが、同様、視聴覚しちょうかく文化の主謀しゅぼう者でもないつもりだ。私が言いたいのは、要するに、言語芸術と視聴覚しちょうかく芸術とは、機械的に対立させられるべきものではなく、そこに共通の課題を見出すことによって、はじめて両者の独自性も発揮できるのだという、ごく単純なことにすぎないのである。
 サルトルは、「嘔吐おうと」(正しくは、むかつきとでも訳すべきものだろう)という小説の中で、まだ、名づけられないもの(=実存)が人間にあたえる衝撃しょうげき苦悩くのうをえがいた。名づけ、言語の秩序ちつじょの中にくりいれることで、人間は外部の存在を服従させ、安全なものにし、家畜かちく化することができたのである。たとえば、棒に棒という名前をあたえ、棒として認識することで、個々の棒ではない、抽象ちゅうしょう的な棒一般いっぱん(無限個数の棒)を手に入れることが出来た。すなわち、道具の使用が可能になったわけである。さるも棒をつかう。しかしさるのつかう棒は、棒一般いっぱんではない。したがって、さるは道具をつかうことができないのである。人間はほとんどすべての存在に名をあたえてしまった。単に名前をあたえただけでなく、物と物の関係を言葉の組立てによって言いあらわした。文法の進化とは、つまり人間の自然認識の進化にほかならないわけだ。この関係は赤ん坊あか ぼうから大人への言語習得の過程をみてもよく分る。また失語症しつごしょう患者かんじゃが文法構造を次第に小児型から幼児型へと退行させていくのに並行して、空間関係の認知までが対応的に崩壊ほうかいしていくという事実もある。重症じゅうしょう失語症しつごしょう患者かんじゃになると、角度の概念がいねんまでが無くなり、板を直角にきるために定規をつかうという操作さえできなくなるということだ。現実への言語の浸透しんとうには、想像以上のものがあるのである。
 こうしてわれわれの堅固けんごな日常世界が構築される。パヴロフはこれをステロタイプ、安定化した条件反射と呼んだ。もっともパヴロフはべつにロマンチストではなかったから、ステロタイプという言い方を、かならずしも否定的な意味だけにつかっているわけではない。むしろ、個体保存のための、きわめて効果的な能力として評価しているくらいだ。たしかに言語のヨロイをはぎとられた
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失語症しつごしょう患者かんじゃは、あたかも幼児のごとく、無防備になってしまうのだから。言いかえれば言語を媒介ばいかいにしないむき出しの事物とは、一種の魔境まきょうにほかならない。むき出しの事物は、意味をもたない。そこには因果関係も、脈絡みゃくらくも、観念の誘発ゆうはつも連想もありえない。ただ口唇こうしん感覚の延長上にとらえられた切れぎれな印象の断片だけが現実である嬰児えいじの世界、もしくは寸断され変形され事物相互そうご脈絡みゃくらくを見失った精神分裂ぶんれつの世界だけが、かろうじてそのはだかの事物の不気味な姿を類推させるくらいのものだろう。おそらくそれは、メドゥサの頭のように、見たものを石にする。言葉は、メドゥサの呪術じゅじゅつから身を守る、鏡のたてなのである。
 ところが、いわゆる映像論者は、犬だろうと、さるだろうと、赤ん坊あか ぼうだろうと、眼がありさえすればなんでも同じように物が見えるという、きわめて素朴そぼくな反映論に立っているらしく、平然と次のような主張をする。「映像は、言語とちがった、独自の方法で、さまざまな抽象ちゅうしょう的内容を表現し、伝達し得る、云々うんぬん……。」しかし残念ながら私には、言葉をもたない動物――犬や、さるや、ぶた――等が、なんらかの抽象ちゅうしょう的思考に到達とうたつしえただろうなどとは、想像することもできない。そんなことはただ、童話の中でしか起こりえないことではあるまいか。どうやら映像論者の諸君は、言語の機能を過小評価しているのみならず、彼らかれ の旗印であるはずの映像についても、言語の類比でしかみないという、不当な誤ちをおかしているように思われてならないのだ。 (中略)
 かと言って、べつに映像のもつ意義を無視しようとしているのではない。それどころか、実は映像論者などより以上に、映像の今日的意義を高く評価しているつもりである。いわゆる、映像論者というのは、一見映像と言語を対立的にとらえているようにみえながらその実、映像を言語と対等の場所にもち上げようとしてやっきになっている、その言語コンプレックス患者かんじゃにすぎないのだ。映像価値は、なにも言語と対等であることで保証されるものではない。むしろ、一切の言語的要素――抽象ちゅうしょうによる安定や普遍ふへん化、意味づけ、伝達、解釈かいしゃく、連想、その他――と拮抗きっこうして、破壊はかい的に作用すると
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長文 1.2週 nnzeのつづき
ころにこそ、その存在理由を見出すべきではなかろうか。
 映像の価値は、映像自体にあるのではない。既成きせいの言語体系に挑戦ちょうせんし、言語に強い刺激しげきをあたえて、それを活性化するところにあるのだ。 (中略)
 こう考えてくると、文学と視聴覚しちょうかく芸術とはもはや単なる対立物などではありえない。ジャンルの如何いかんをとわず、もともと芸術的創造とは、言語と現実との癒着ゆちゃく状態――言語というかべにとりまかれた、ステロタイプの安全地帯――にメスをいれ、異質な言語体系をつくり出す(それはむろん同時に新しい現実の発見でもある)ものであるはずだ。このことは、当然のことながら、散文芸術についてもそのまま当てはまる。小説が、言語(=意識)に衝撃しょうげきをあたえ、それを活性化するだけのエネルギーを回復するためには、一度まず小説というわくをはなれ、芸術の共通課題に立ってみる必要があるだろう……という意味では、私はやはり映像主義者以上のちょう映像主義者に違いちが ないし、またそれをもって任じてもいる。だが同時に、視聴覚しちょうかく文化の現状は、映像の破壊はかい力を利用するどころか、小説同様に言語のかべにがんじがらめになっているわけで、この停滞ていたいをうち破るためには、さらに強く方法意識が自覚されなければなるまい……。という意味では、むしろ文学(たとえばこの私の文章などをもふくめたごく広義の)主義者になるわけだ。
 映像で方法は語れない。そして、言語のかべは、想像以上に堅固けんごなものである。小説家もまた、言語破壊はかいのダイナマイト造りに参加する義務があるだろう。

(安部公房こうぼう砂漠さばくの思想」による)
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a 長文 1.3週 nnze
 アジアには国と国との協調をはかる組織が少ない。ASEANや南アジア諸国連合など存在しないことはないが、本格的な国家をこえる連合体を作ろうとする動きはみられない。EU諸国のように国境をビザなしで通り抜けるとお ぬ  ことができる経験をアジアの人々はもつことができない。EU諸国を旅していて、空港でEUパスポートと記された入口が設けられているのをみる度に残念な気がしてならない。ASEANもいまや活発な活動に入ったが、EUのような政治共同体や通貨統合へといった動きはみられない。
 それどころか現実にはますます国と国との境は高くなっているような気がする。確かに市場開放の動きとともに、中国やベトナム、ミャンマーまでが門戸開放を行ないはじめたのは好ましい徴候ちょうこうだとはいえ、それはあくまでも経済活動と観光のためであって、先に触れふ たような連合体へ向かう動きではない。ビザなしの国境移動などは考えることもできないというのが、現状ではあるまいか。それに実際のところ、毎年アジアを旅していて感じるのは、各地での国家主義の高まりである。表面は国際協調をうたうが、内実は民族主義的な国家統制が厳しくなってきている。国内的にも、地域や宗教や民族の自己主張が強くなり排他はいた傾向けいこうを示すところが少なくない。
 私は、タイでもマレーシアでも、あるいはスリランカでもインドでも、それぞれの社会や文化のあり方に共感をもち敬意も抱くいだ が、ナショナリズムの強制だけにはついてゆけないものを感じざるをえない。どこの国でも地域でも土地の文化のあたえるものを享受きょうじゅするのにためらいはないのだが、国家主義や過度の自民族・自宗教・自地域中心主義には正直いってうんざりしてしまうし、その面では文化相対主義にとどまることができなくなる。
 それで毎度東南アジアや南アジアをめぐってきて、ナショナリズムに疲れつか 香港ほんこんに着くと、ほっとする経験を三〇年近く繰り返しく かえ てきた。
 香港ほんこんは英国の植民地であるが、少なくとも私の知るこの三〇年ほどは、まず自由港として、次に英国でも中国でもないような東西融合ゆうごう地点として存在してきた。 (中略)
 近代のもたらしたアジアの悲劇の中心には何といっても西欧せいおう列強による植民地化があり、それに日本も加わったわけであるが、植民地からの独立はほとんどのアジア諸国の悲願であった。第二次大
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戦後多くの国は独立したが、その後の国家づくりは決して平坦へいたんなものではない。近代国家のモデルである「国民国家」を作り出すことでは、敢えてあ  いわせていただくならば、ほとんどの国が失敗しているとみてよいのではないか。
 多民族、多言語、多地域の社会からなる国々では、統合された国民と国民文化と国語の形成がまず困難である。中央政府の支配は国の隅々すみずみまでとうてい行き届かない。官僚かんりょう制も弱い。日本やタイなどの例外はあっても、韓国かんこくやベトナムは植民地後遺症こういしょうとしての内乱の混乱から生まれた分断国家に悩みなや 、中国は体制の基礎きそづくりのために国を閉ざし、インドは統合よりも多文化共存の方向へと苦しく転換てんかんをよぎなくされた。こうした国家づくりの中で、政治権力が行なうのは国家主義の強調である。重苦しい抑圧よくあつ雰囲気ふんいきが、外面の陽気さのかげにこもっている。異国を旅する者の勝手な感想にはちがいないとしても、こうした雰囲気ふんいきに次第にいら立つことの多い国々の中で香港ほんこんは常に息抜きいきぬ となった。
 たしかに植民地近代の落し子ではあっても、自由港には独特の気易い雰囲気ふんいきがある。その文化も混合文化の性格をもつ。アジアには少なくとも三つのこうした都市国家があった。ベイルート、シンガポール、そして香港ほんこんである。
 ベイルートはパレスチナ問題と中東での紛争ふんそう巻き込まま こ れて、崩壊ほうかいしてしまった。私自身一度はベイルート滞在たいざいを密かに願っていたのに、それは叶わかな ぬ夢となっている。シンガポールも独立後は発展への道を輝かしくかがや   歩み出したが、その分だけ国家主義の色彩しきさいも強まった。短期間の観光やビジネスの出入りでは世界で一番といってよい通りのよさを有してはいるが、いまやあまりにも国家規制の多いところとなった。発展とともに国家主義も強くなるのは歴史によくみられる例にちがいない。
 香港ほんこんは東アジアにおける英植民地という逆説を生きてきた。それがいつの間にか東と西、南と北とを仲介ちゅうかいする緩衝かんしょう地帯の役目をはたすようになった。香港ほんこん舞台ぶたいとする小説は数あるが、ジョン・
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長文 1.3週 nnzeのつづき
ル・カレの「スマイリー閣下」の香港ほんこんが冷戦下のエスピオナージ活動の緩衝かんしょう地帯としての香港ほんこん描いえが て出色であった。それは英国人の眼からとらえた植民地都市ではあるが、そこに漂うただよ 雰囲気ふんいきはまさしく香港ほんこんである。
 香港ほんこん一般いっぱんには通過する場所であって、そこに留まることを目的とすることは少ない。もちろん、香港ほんこんを故郷とする中国人も英国人もいるわけだし、本拠地ほんきょち香港ほんこんにおく内外の企業きぎょうも多いが、基本的な部分でそこは「本来ない場所」との認識もあるのだ。中国に属する領土にはちがいなく、英植民地の期限も一九九七年六月三〇日には切れる。一九八〇年代初めころに訪れると、中・英の香港ほんこん返還へんかん交渉こうしょうが行なわれていたときでもあり、何か将来についての思いが定まらない刹那せつな的な気分が漂っただよ ていた。ショッピングでもホテルでもレストランでもいやな感じをもったことがいくつかあった。すさんだ気分があふれて、香港ほんこんもこれまでかと思ったこともある。
 しかし、一九八三年の秋には中国への返還へんかん交渉こうしょう妥結だけつして、それなりに未来図が描けるえが  ようになったこともあってか、落着きを取り戻しと もど ていた。勝手な話であるが、また香港ほんこん緩衝かんしょう性を享受きょうじゅできる気になったのである。

(青木保「逆光のオリエンタリズム」による)
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a 長文 1.4週 nnze
 一方、生き残る方言には、二種類のものがある。ひとつは、それが方言だと気づかれないで使われる方言である。例えば、東北地方では「捨てる」ことをナゲルと言う。「テレビをナゲル」は、テレビを放り投げるわけではなく、廃棄はいきするという意味である。このように、意味はずれるものの形が同じことばは、共通語と錯覚さっかくされるために残りやすい傾向けいこうがある。しかし、それらは方言だと気づかれたが最後、共通語へ切り替えき か られていく運命にある。
 生き残る方言のもうひとつは、方言だとわかってはいるが、使わないではいられないといったものである。それらは、文末詞や、感情語彙ごい、程度副詞、挨拶あいさつことばなどの中に多い。例えば、仙台せんだいの文末詞なら「行くっチャ」の「チャ」がよく使われる。これは共通語に直せば「行くさ、行くとも」であり、「当然だろ、何でそんなこと聞くんだ」といったニュアンスを表す。また、「行くべ、行くべ」は、「行こう、行こう」という意味で、相手を誘うさそ ときによく使う。こういった「チャ」や「ベ」は今でも元気である。
 感情語彙ごいでは、「メンコイ」や「イズイ」が生き残っている。「イズイ」は体表面のなんとも言えぬ不快感を表すもので、襟元えりもとに毛が入って「イズクてたまらない」とか、セーターを洗ったら縮んでしまって「イズクてしょうがない」、といったふうに使われる。こういう方言は、今でも老若を問わず根強い人気があって、かなり使われている。気づきにくい方言と違いちが 、これらこそ地元の人々の支持を得た、正真正銘しょうしんしょうめい生き残る方言といえる。
 これらの「真正」生き残る方言に共通するのは、いずれも相手の感情に訴えうった かける性質を持つという点である。右で見た文末詞や感情語彙ごいはもちろん、程度副詞(関西のメチャ、名古屋のデラなど)や挨拶あいさつことば(東北のオバンデス)も、同様に理解してよいだろう。これらの感情的要素は相手の心に響くひび ものだけに、会話の雰囲気ふんいきを気取らない、打ち解けたものにする効果が抜群ばつぐんである。すなわち、こうした方言を使うことで、「私はあなたと心を割って、親しく話したいんだ」とか、「肩肘かたひじ張らないで、リラックスして話しましょうよ」といった意思表示を行うことができる。共通語の使用が相手との間にかべを築くのに対し、これらの方言は逆にそのよう
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垣根かきね取り払いと はら お互い たが の心的距離きょりを縮める役目を果たす。現代人は無意識のうちに、こうした方言の機能を会話のストラテジーとして利用しているように見える。
 「方言」と一口に言っても、もはやそれはシステムではなくスタイルに変質してしまった。それならば、方言スタイルという確固とした文体が存在するのかといえば、若者たちの方言の実態は、共通語が主体でそこに右に見たような要素をわずかに加えた程度のものにすぎない。会話の雰囲気ふんいき作りのために共通語に散りばめられる要素になってしまった方言を、私は、服飾ふくしょくになぞらえて「アクセサリーとしての方言」と呼ぶ。アクセサリーはあえて付ける必要のないもので、それを付けることには積極的な意味がある。同じように、若い人たちは共通語だけで十分コミュニケーションが成り立つのに、あえて方言を使おうとしている。それは、親しい仲間同士の会話を楽しむ潤滑油じゅんかつゆとして、方言の価値を認めているからにほかならない。
 ところで、アクセサリー化したといっても、仙台せんだいあたりの若者が使う方言はあくまでも地元の方言である。ところが、最近では、東京の若者たちが、全国各地の方言を取り込んと こ 携帯けいたいメールを楽しんでいるという。正直、方言がここまでくるとは思わなかった。考えてみればこうした無国籍こくせき的な方言の使い方は、アクセサリー化した方言の究極の姿であると言えるだろう。だが、土地から遊離ゆうりした方言は果たして方言と言えるのか。「母なることば=方言」というイメージにとらわれていると、蕎麦そばの薬味のような方言を方言と認めるには抵抗ていこうがある。「方言」とは何であるのか、自明のように思われたことが、今、あらためて問われているのである。

 (小林たかし「現代方言の正体」による)
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a 長文 2.1週 nnze
二番目の長文が課題の長文です。
 私たちはよくテイストという言葉を使います。好みといったような意味ですが、世間一般いっぱんの言い方に従えば「センス」という言葉に近い意味に使っています。センスとは何かといえば「違いちが を見分ける才能」だと思います。
 AとB、二つの選択肢せんたくしがあるとき、見た目はまったく変わらない。あるいはどうみてもAのほうがよさそうにみえる。そういうときでも背後に潜むひそ 微妙びみょう違いちが のようなものを感知して、「Bがいい」というのがセンスです。いずれにしろ極上のセンスが常識的であることはめったにありません。
 あるいはカンといわれるもの。これもセンスの一つです。勝負カンのある人は勝負センスがいい。いずれにしろ科学者はテイストがよくないと、なかなかよい業績が上げられません。「科学者の成否はテイストで決まる」という人もいるくらいです。
 私自身は、自分が「テイストがいい」と胸を張っていうほどの自信はありませんが、ときにわれながら「いいのではないか」とうぬぼれることもあります。パスツール研究所とツバ競り合いをしていたときのことです。
 こちらがまだ遺伝子の解読に着手もできないでいるのに、パスツールがすでに八割がた終わるところまで進んでいたことは前述しました。あのとき実はもっとすごいことになっていたのです。
 パリからドイツに飛んだ私はハイデルベルク大学の友人を訪ね、話を聞いてみると、パスツールだけではなくアメリカのハーバード大学でも同じテーマでやっていることがわかりました。おまけに「うちもやってるよ」とハイデルベルクの友人にもいわれました。進み具合を探ってみると、私たちよりはるかに進んでいる様子。パスツール、ハーバード、ハイデルベルクと並んだら、この世界では横綱よこづな、大関クラス。こっちは十両からやっと幕内に上がったくらいなのです。
 こうなると、もう絶望的です。そういう状況じょうきょう下で中西重忠先生に出会い、先生の協力を得たのですが、そのときのことをもう少し詳しくくわ  話しますと、中西先生は私の知らないあることを教えてくれたのです。
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「実は遺伝子暗号というのは九分九厘くぶくりん読めても、最後でつまずくことがあるんですよ。それにいまさらパスツールがヒトだからって、こっちがサルでやってどうするんです。絶対あきらめないでやるべきです。なんなら私の研究室で……」ということだったのです。
 問題はこの瞬間しゅんかんです。このとき私が「そういっていただくのはうれしいのですが、ここは潔く撤退てったいして……」と断っていたら、それでおしまいでした。私はそのときどう思ったか。いま考えると不思議ですが、中西先生の応援おうえんを得たことで「天の味方がついた。これで勝った!」と直感したのでした。冷静に考えれば、不利なはずの選択肢せんたくしをそのとき選んでいたことになります。
 そして私は大急ぎで帰国し、それまでいくらやってもダメだったヒト・レニン遺伝子の取り出しに成功しました。これは中西研究室のおかげでした。
 そうなるとみんなの目の色が違っちが てきます。筑波つくばから京都に移った大学院生たちは下宿にも帰らず、昼夜兼行けんこうで研究に没頭ぼっとう。一種の興奮状態のなかで、三カ月で一挙に暗号を読み切ってしまったのです。
 世界初のヒト・レニンの遺伝子暗号解読は、大学院生の不眠ふみん不休の努力とハイデルベルクの酒場で私が九九%の負け戦を「勝った!」と思ったことにあるのです。遺伝子ONの世界が火事場のバカ力のように出てきた例といえるでしょう。
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長文 2.1週 nnzeのつづき
 経験界で出合うあらゆる事物、あらゆる事象について、その「本質」を捉えよとら  うとする、ほとんど本能的とでもいっていいような内的性向が人間だれにでもある。これを本質追求とか本質探究とかいうと、ことごとしくなって、何か特別のことでもあるかのように響くひび けれど、考えてみれば、われわれの日常的意識の働きそのものが、実は大抵たいていの場合、様々な事物事象の「本質」認知の上に成り立っているのだ。日常的意識、すなわち感覚、知覚、意志、欲望、思惟しいなどからなるわれわれの表層意識の構造自体の中に、それの最も基礎きそ的な部分としてそれは組み込まく こ れている。
 意識とは本来的に「……の意識」だというが、この意識本来の志向性なるものは、意識がだつ目的に向かっていく「……」(X)の「本質」をなんらかの形で把捉はそくしていなければ現成しない。たとえその「本質」把捉はそくが、どれほど漠然とばくぜん した、取りとめのない、いわば気分的な了解りょうかいのようなものであるにすぎないにしても、である。意識を「……の意識」として成立させる基底としての原初的存在分節の意味論的構造そのものがそういうふうに出来ているのだ。
 Xを「花」と呼ぶ、あるいは「花」という語をそれに適用する。それができるためには、何はともあれ、Xがなんであるかということ、すなわちXの「本質」が捉えとら られていなければならない。Xを花という語で指示し、Yを石という語で指示して、XとYを言語的に、つまり意識現象として、区別することができるためには、初次的に、少くとも素朴そぼくな形で、花と石それぞれの「本質」が了解りょうかいされていなければならない。そうでなければ、花はあくまで花、石はどこまでも石、というふうに同一律的にXとYとを同定することはできない。
 ぜん者のいわゆる(第一次的)「山はこれ山、水はこれ水」とは、このような「本質」から成り立つ世界。無数の「本質」によって様々に区切られ、複雑に聯関れんかんし合う「本質」の網目あみめを通して分節的に眺めなが られた世界。そしてそれがすなわちわれわれの日常的世界なのであり、また主体的には、現実をそのような形でみるわれわれの日常的意識、表層意識の本源的なあり方でもある。意識をもし表層意識だけに限って考えるなら、意識とは事物事象の「本質」を、
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コトバの意味機能の指示に従いながら把捉はそくするところに生起する内的状態であるといわなければなるまい。表層意識の根本的構造を規定するものとしての志向性には、「本質」の無反省的あるいは前反省的――ほとんど本能的とでもいえるかもしれない――把握はあくが常に先行する。この先行がなければ、「……の意識」としての意識は成立し得ないのである。…(中略)…意識がXに向って滑り出しすべ だ て行く、その初動の瞬間しゅんかんにおいて、Xはすでに何かであるのだ。そしてXを何かであるものとして把握はあくすることは、すなわちXの原初的定義であり、最も素朴そぼくな形における「本質」把握はあく以外の何ものでもない。もしこのような原初的「本質」把握はあくもなしにただやみくもに「外」に出て行けば、たちまちあの「ねばねばした」目も鼻もない不気味な「存在」の混沌こんとん泥沼どろぬまの中にのめり込ん   こ で、「嘔吐おうと」を催すもよお ほかはないだろう。そして、そうなればもう、「……の意識」などかげも形もなくなってしまうだろう。「存在」の深淵しんえん垣間見るかいまみ 嘔吐おうと的体験を描くえが とき、サルトルが、この「存在」啓示けいじの直前の状態として言語脱落だつらくを語っていることは興味深い。
 「ついさっき私は公園にいた」とサルトルは語り出す。「マロニエの根はちょうどベンチの下のところで深く大地につき刺さっ  さ  ていた。それが根というものだということは、もはや私の意識には全然なかった。あらゆる語は消え失せていた。そしてそれと同時に、事物の意義も、その使い方も、またそれらの事物の表面に人間が引いた弱い符牒ふちょうの線も。背を丸め気味に、頭を垂れ、たった独りで私は全く生のままのその黒々と節くれ立った、恐ろしいおそ   かたまりりに面と向かって坐っすわ ていた。」
 絶対無分節の「存在」と、それの表面に、コトバの意味を手がかりにして、か細い分節線を縦横に引いて事物、つまり存在者、を作り出して行く人間意識の働きとの関係をこれほど見事に形象化した文章を私は他に知らない。コトバはここではその本源的意味作用、すなわち「本質」喚起かんき的な分節作用において捉えとら られている。コトバの意味作用とは、本来的には全然分節のない「黒々として薄気味悪いうすきみわる かたまりり」でしかない「存在」にいろいろな符牒ふちょうを付けて
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長文 2.1週 nnzeのつづき
事物を作り出し、それらを個々別々のものとして指示するということだ。老子的な言い方をすれば、無(すなわち「無名」)がいろいろな名前を得て有(すなわち「有名」)に転成するということである。しかし前にもちょっと書いたとおり、およそ名があるところには、必ずなんらかの形での「本質」認知がなければならない。だから、あらゆる事物の名が消えてしまうということ、つまり言語脱落だつらくとは、「本質」脱落だつらくを意味する。そして、こうしてコトバが脱落だつらくし「本質」が脱落だつらくしてしまえば、当然、どこにも裂け目さ めのない「存在」そのものだけが残る。「忽ちたちま 一挙にとばり裂けさ て」「ぶよぶよした、奇怪きかい無秩序むちつじょかたまりりが、恐ろしいおそ   淫らみだ な(存在の)はだか見」のまま怪物かいぶつのように現われてくる。それが「嘔吐おうと」を惹きひ 起こすのだ。
 「嘔吐おうと」体験のこの生々しい描写びょうしゃは「本質」なるものが人間の意識にとってどれほど大切なものであるかということを示している。志向性を本性とする意識は「本質」脱落だつらくに直面して途方とほうに暮れる。己れの外に「本質」、あるいは「本質」的なもの、を見なければ、意識は志向すべきところを失う。しかし、志向すべきところを全くもたない意識は、意識としての自らを否定するほかはない。こうして「……の意識」としての意識は、一時的あるいは永続的に、収拾すべからざる混乱状態、一種の病的状態に陥るおちい のである。

井筒いづつ俊彦としひこ「意識と本質」による)
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a 長文 2.2週 nnze
 新しい世紀にむけ、何を次代に伝えるか。こういう課題を与えあた られてわたしにやってくるのは、自分のこれまで生きてきた時間がほぼ、日本で「戦後」と呼ばれる時期に重なっていた、という感慨かんがいです。この「戦後」の何がよきもので何が克服こくふくされなければならないか、それを明らかにした上で、それにピリオドを打つこと。わたしはいま自分に残された課題を、そんなふうに感じています。
 これまで戦後の道徳は、自分のことだけ考えるな、まず社会のため、世の恵まれめぐ  ない人のために考えよ、と教えてきました。これはある小説家が思い出させてくれたことですが、わたし達戦後生まれの人間が小学生のころは、どこでも、クラスの後ろに、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」といった標語が掲げかか られていました。しかし、この二ひきへびが相手を食べあっているようなオールマイティのモラルの円環えんかんの中で、わたし達は、どこからはじめればいいかわからず、じつは、モラルをへし曲げ、モラルにへし曲げられる、そういうモラルを生きる感覚を、失ってきたと思います。
 昨年(一九九五年)、阪神はんしん地方で大震災だいしんさいがありボランティア活動が若い人々を中心に多くの関心を集めました。これまでの私利私欲に代わりこれからは公共性がモラルのバックボーンになるという人もいましたが、わたしはそうは思いませんでした。そうではなく、これまで「私利私欲(自分のため)」と「公共性(他人のため)」はつねに予定調和的一致いっちの外観を見せつつその実二者択一にしゃたくいつの問題だった(「自分のため」はよくない、とされ、しかし時代はその実、「自分のため」で動き、エコノミック・アニマルを作りました)。それがようやくこの「私利私欲」――ひとりのため――を足場に、ここから出発して「公共性」――みんなのため――にいたるみちすじが見えてきた。ここにポスト戦後の可能性はあるのではないか、わたしはある機会に先の論に反論し、そう書いた記憶きおくがあります。
 わたしの考えのいわばバックボーンをなしているのは石橋湛山たんざんのリベラリズムの考え方です。なぜ石橋は戦前の時期を軍部の圧力にもめげずかれだけ、というより例外的に反軍国主義の自由主義者として立つことができたのか。かれは他の大正期のリベラリストが
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朝鮮ちょうせん・中国への侵略しんりゃくは人道にもとる、相手に悪いから、よくない、と述べた時、自分は所謂いわゆる「人道」という言葉は嫌いきら だ、といいました。かれは数字をあげ、相手をパートナーでなく奴隷どれいにしてしまう侵略しんりゃく的植民地政策が何より経済的に、日本の得にならない、といいます。つまりかれは、他の知識人が「相手のため」にならないからこれをやめよう、という時、「自分のため」にならないからこれをやめよう、という言い方で、軍部に抗しこう 、またその実「人道」の本質を救いだす論理を作ったのです。
 では、こういう「自分のため」、「自分がしたいこと」にはじまり、そこから「人のため」にいたるみちすじは、どんなふうに作られうるのでしょうか。
 阪神はんしん大震災だいしんさいでは、ボランティアに来た若者が仕事を選り好みするというので非難されました。人のためにしている実感できる老人介護かいごなどの仕事は喜んでするが、ボランティアらしくないデスク・ワークはいやがるというのです。しかしこの「選り好みするボランティア」、これにわたしは「自分のしたいこと」が「人のため」につながる、という新しい道を模索もさくする、若い人々の無意識の働きを見ます。わたし達はこれに目くじらをたてるべきではない。百年単位で考えれば希望は、このわがままなボランティアにこそ、あるのかも知れないのです。

加藤かとう典洋「自分から他者へ――二十一世紀の新課題」より)
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a 長文 2.3週 nnze
 「大人」は一人前の社会人としてさまざまな権利や義務をもつが「子ども」はそうではない。「子ども」は未熟であり、大人によって社会の荒波あらなみから庇護ひごされ、発達に応じてそれにふさわしい教育を受けるべきである。そうした子ども観は、われわれにとってはほとんど自明のものである。しかし、われわれの子ども観がどこでも通用するわけではない。社会が異なれば、さまざまに異なった子ども観があり、それによって子どもたち自身の経験も異なってくる。このことをアメリカの社会学者カープとヨールズは、次のような例を挙げて示している。
 例えばナバホ・インディアンは子どもを自立したものと考え、部族の行事のすべてに子どもたちを参加させる。子どもは、庇護ひごされるべきものとも重要な責任能力がないものともみなされない。子どもの言葉は大人の意見と同様に尊重され交渉こうしょうごとで大人が子どもの代弁をすることもない。子どもが歩き出すようになっても、親が危険なものを先回りして取り除くようなことはせず子ども自身が失敗から学ぶことを期待する。こうした子どもへの信頼しんらいは、われわれの目には過度の放任とも見えるが、自分と他者の自立を尊重するナバホの文化を教えるのにもっとも有効な方法であるという。(中略)
 今日のわれわれの子ども観、つまり「子ども」期をある年齢ねんれいはばで区切り特別な愛情と教育の対象として子どもをとらえる見方は、フランスの歴史家、フィリップ・アリエスによれば主として近代の西欧せいおう社会で形成されたものであるという。アリエスは、ヨーロッパでも中世においては、子どもは大人と較べくら て身体は小さく能力は劣るおと ものの、いわば「小さな大人」とみなされ、ことさらに大人と違いちが があるとは考えられていなかったという。子どもは「子ども扱いあつか 」されることなく奉公ほうこうや見習い修行に出、日常のあらゆる場で大人に混じって大人と同じように働き、遊び、暮らしていた。子どもがしだいに無知で無垢むくな存在とみなされて大人と明確に区別され学校や家庭に隔離かくりされるようになっていったのは、十七世紀から十八世紀にかけてのことである。アリエスはこのプロセスを「『子供』の誕生」のなかで、子どもを描いえが た絵画や子どもの服装、遊び、教会での祈りいの の言葉や学校のありさまなどを丹念たんねんに記述するこ
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とによって浮き彫りう ぼ にしている。アリエスらによる近年の社会史の研究は、われわれになじみの深い子ども観も、そして、人が幼児期を過ぎ、自分で自分の身の回りの世話ができるようになってからもすぐに大人にならずに「子ども」期を過ごすというライフコースのあり方自体も、歴史的、社会的な産物であることを明らかにした。
 西欧せいおうでは「子ども」は、社会の近代化のプロセスにおいて、近代家族と学校の長期的な発展のなかから徐々にじょじょ 生み出されていった。一方、日本では、明治政府による急激な近代化政策のなかで、近代西欧せいおうの子ども観の影響えいきょうを受けながらも、西欧せいおうとはやや異なったプロセスで「子ども」の誕生をみることになった。
 明治維新めいじいしんまで、子どもは子どもとして大人から区別される以前に封建ほうけん社会の一員としてまず武士の子どもであり、町人の子どもであり、あるいは農民の子どもであった。さらに男女の別があり、同じ家族に生まれても男児と女児ではまったく違っちが 扱いあつか を受けた。たとえば武家の跡取りあとと の子どもは、いつ父親が死んでも家格相応の役人として一人前に勤めろくを得ることができるよう早くから厳しい教育が施さほどこ れたし、農民の子どもも幼いころから親の仕事を手伝い村の子ども集団に参加して共同体の一員としての役割を担った。近世後期以降、寺子屋や郷学が農村にまで作られそこで読み書きの初歩を習うこともあったが、それはあくまで日常生活に必要な知識にとどまり労働のなかで親たちから教えられる日常知と区別されるものではなかった。子どもたちは封建ほうけん的区分のなかで、所属する階層や男女の別に応じてそれにふさわしい大人となるようしつけられた。
 明治五(一八七二)年の学制の公布は、そのようにそれぞれ異質な世界にあった子どもたちを、学校という均質な空間に一挙に掬いすく とり、「児童」という年齢ねんれいカテゴリーに一括いっかつした。その意味で、わが国において「子ども」はまず、建設されるべき近代国家を担う国民の育成をめざして、義務教育の対象として、制度的に生み出されたということができよう。
 しかし、制度ができたからといって、「児童」という存在に対して当時の人びとがすぐさま今日のわれわれがもっているような「子ども」のイメージを抱いいだ たわけではない。社会的・文化的な意味で
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長文 2.3週 nnzeのつづき
「児童」という存在にある属性が付与ふよされ、近代的な「子ども」観が誕生するためには、学制という制度に加え、もうひとつ別の契機けいきが必要であった。それが文学であった、と柄谷行人(からたにこうじんは述べている。
 柄谷からたにによれば、「児童」は「風景」や「内面」とともに近代になって初めて発見された。「児童が客観的に存在していることはだれにとっても自明のようにみえる。しかし、われわれがみているような『児童』はごく近年に発見され形成されたものでしかない」。「児童」は明治末期小川未明をはじめとする文学者たちの夢としてあるいは退行的空想として見出された。今日、未明らの描いえが た「児童」は、大人によって考えられた児童であって、まだ「真の子ども」ではない、と児童文学者や教育者たちから批判されているが、実は未明らが賛美し描いえが た観念的な存在によってこそ「児童」は成立したのである。その意味で、「児童」がまず、夢や空想をともなう「ある内的な転倒てんとうによって見出されたことはたしかであるが、しかし、実は『児童』なるものはそのようにして見出されたのであって、『現実の子ども』や『真の子ども』なるものはそのあとで見出されたにすぎない」(「日本近代文学の起源」)。いわば、近代になって人びとの子どもに対する認知の構図が変化したため、新しい輪郭りんかくをもった「子ども」という存在が浮かび上がっう  あ  てきた。柄谷からたには、文学という制度のなかにこの重大な認知の図式の変化が生じたと考え、「児童」はまず文学者のロマン主義的観念として生まれたと主張するのである。
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a 長文 2.4週 nnze
 生産性向上を目指してきた近代社会は、機械化と時間管理の徹底てってい化によって単位時間当たりの生産性を高め、一日、一週間、一月、一年といった各周期の労働時間の短縮を行なってきた。一九八八年、労働基準法の改正により、日本でもようやく週四〇時間を目指して労働時間の短縮を図る動きが国の側から開始された。いまだに実質的に週四〇時間労働が実現しないとはいえ、自由時間の増大に対応するための社会システムのあり方が模索もさくされている。そこで目標とされるのは年間で一八〇〇労働時間の社会であり、睡眠すいみん時間や通勤時間を除いても年間の自由時間は約四〇〇〇時間となる。さらに、圧倒的あっとうてきに多い自由時間は、人生全体のなかで大きな比重を占めし 、人びとは自由時間の過ごし方を中心に人生の設計を図らなければならない。
 しかしながら、近代社会の理念の下では、けっしてこの自由時間は個人の自由に完全に委ねられるわけではない。それは、自由裁量の時間でありながら、労働や他の義務的活動によって生じた疲労ひろうを回復し、気晴らしになり、しかも自己の発展と文化の発展につながるような活動で埋めるう  ことを求められる。享楽きょうらく主義や自己破壊はかいにつながるような時間の過ごし方は、近代の理念に反するのである。その意味で、レジャーは、新しい時代の社会規範きはんにしたがって水路づけられることになる。
 他方で、自由時間の過ごし方は、時間をあくまで定量的に把握はあくする近代の時間観念に依拠いきょしている。労働時間が資源として扱わあつか れ経済的価値を帯びるにつれ、それを切り詰めるき つ  ことによって獲得かくとくされた自由時間にもその経済的価値意識が反映されてくることは、必然の成り行きでもある。すなわち、自由時間を有効に無駄むだなく過ごそうという意識が、自由時間内の活動自体に浸透しんとうするのであり、近代の時間意識は、自由時間においても変わらない。複数の人びとが共同で行なうレジャー活動は、多くのスポーツや趣味しゅみのクラブや個人の日常の各周期のスケジュールのなかで、厳格に共時化され、順序づけられ、進度調整が図られる。
 しかし、時間を合理的に使おうとする割には、自由裁量性に目を奪わうば れたり期待をかけすぎて、われわれはすべての活動が時間を消費することを忘れがちである。たとえば、テレビの番組をビデオに
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収録して自分の好きなときに見るという発想は、時間消費の自由裁量性を高める工夫であるように見える。しかしこれは、今は読めないがいつか読むつもりでたくさんの本を買い込むか こ 悪癖あくへきを想起させる。現実には、それは限られた自由時間にきわめて時間消費量の多い活動を詰め込みつ こ 、結局睡眠すいみん時間を切り詰めるき つ  結果になりがちである。この傾向けいこうは、消費社会の論理によってさらに加速される。

 (長田1攻一「現代社会の時間」『岩波講座現代社会学 時間と空間の社会学』岩波書店、一九九六年による。)
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a 長文 3.1週 nnze
二番目の長文が課題の長文です。
 情報処理能力。
 これはまず、コンピューターのことを考えてください。コンピューターはいま、日進月歩しています。たとえばA、B、C、Dというふうにたくさんの情報があったとします。
 古いコンピューターは、Bの情報は処理できるけれども、AやCやDの情報は処理できないとします。時間もかかる。でも新しいコンピューターで情報処理能力が高まれば、メモリーも大きいし、クリックすることもできる。AもBもCもDも、処理してしまいます。
 病気というのも、結局、一つの情報にしか過ぎません。そうすると、古くて情報処理能力の低いコンピューターは、病気があってもその病気を情報処理することができないので、病気を解決することができません。
 ところが、新しいコンピューター、情報処理能力の高いコンピューターは、AもBもCもDも、山積みする問題を一瞬いっしゅんのうちに情報処理してしまいます。病気という情報が処理されて、病気がなくなってくるわけです。
 この情報処理能力が高い低いというのは、その人の病気に対する態度だけを見るのではなくて、その人がほかの人に対してどういう態度をとっているのかということが非常に大事になってきます。
 つまり、自分のことだけを大事にするとか、好き嫌いす きら が非常にはっきりしているとか、この人だったら好きだけど、この人だったら嫌いきら ……。これも結局、情報処理能力が非常に限られているということになります。
 この情報処理能力がうまくいかない一つの原因は、生まれたときの「三つ子のたましい」という、小さいときの育て方によって変わってきます。小さいころに、お父さんとお母さんの一〇〇%の愛情と、自分が愛されているという気持ちを持って育っていない人は、このコンピューターの情報処理能力が低いまま、大人になってくるわけです。
 お父さんが非常に怖いこわ 人で、いつもその顔色をうかがいながら大きくなってきたというケースでは、その人の心は、そこで傷ついたまま、大きくなってこないのです。体は大きくなってくるけれども、心が大きくなってきません。
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 情報処理能力が大きくなってこないので、こういう人たちが病気になったときに、それを自然に情報処理する能力がなくなってきます。病気という情報体を処理できなくなってくるのです。これは病気だけではなくて、たとえばその人の家庭が非常に不幸ばかりであるとか、あるいは事故を起こしやすいとか、あるいは何をやってもうまくいかないとか、そういうものにも通じてくるわけです。
 病気とは、簡単にいえば、その人の情報処理能力の低さがそこで浮き彫りう ぼ にされてくるということです。だから、その情報処理能力を高めてあげるという治療ちりょうをすると、病気だけではなくて、ほかのことも処理できるようになってきます。
 心の歪みゆが を治すということは、これによって引き起こされる肉体的病気を治すことになりますが、あまりにも肉体的症状しょうじょうにこだわる方にはこうお話しします。
「私は、肉体的な病気というものにはあまり興味がありません。私が興味があるのは、その病気を通して、あなた自身の生活や人生をもっと楽しくする、幸せにすることです。それが私の治療ちりょうなので、ここが痛い、あっちが悪い、という話は興味がないのです。だつてあなたは、あなた自身の肉体的病気だけを治したとしても、それだけで本当に幸せになれますか?」と。
 私は、病気を通して、その人の人生がより豊かになるという形の治療ちりょうを心がけています。病気を通して、患者かんじゃさんとそのほかの人々の人生を豊かにするというチャンスを差し上げる、そういう治療ちりょうを目指しているのです。
 肉体的な病気治しは本当に通過点にすぎないのです。
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長文 3.1週 nnzeのつづき
 しつけは心の面で実に複雑な仕事をする。外から見てしつけで一番目立つのは母親やそれに代わるはたらきをする重要な人物が子どもの行動を制限してひとつのわくや型にはめ込む  こ ということである。子どもの思いというより、親の思いに従わせることである。
 赤ん坊あか ぼう時代のように、子どもは自分の好きに行動したり、欲求を充たしみ  たりすることができなくなる。おっぱいが欲しくても与えあた られなくなる。オシッコやウンチを垂れ流しにすると、叱らしか れたり、きまった時間やきまった場所にするように促さうなが れる。また、食事もきまった時間や場所でしなければならない。よごれたらいやでも手や顔を洗ったり、服やシャツなどを着替えきが て身ぎれいにせねばならない。
 これまで好きなようにやれていたのに、この変化は大変なことである。これまでやったこともないことを強制される。逆らうと時にはばつを受け痛い目にあう。逆らってもよいことはない。従うほかない。
 このような外からの心理的な圧力を受けいれることは大変なことである。このためには、親は自分のためにやってくれているという信頼しんらいや信用を心のどこかでもっていることが必要である。言い換えるい か  と、母親の世界を信頼しんらいするからこそ、はじめてしつけという苦痛な制限を受けいれることが可能となるのである。これによって苦痛で不快な制限を受けいれるのである。
 しかし、母親を含めふく て自分の周囲、つまり世界が自分にばっ与えあた 行動を制限する力をもつものだという不信感もどこかに残る。これがアンビヴァレンスである。また、苦痛の向こう側には親や同胞どうほうや自分を受容する世界が開かれていること、自分がより一層自由に表現ができる世界があることも体験する。
 このようにして、しつけは外からの制限を内在化して、その内的な規範きはんわくによって今度は自分を統制し、社会的に受けいれられるようになる人とのかかわりのプロセスのことである。このことが自律性の形成という重要なプロセスであり、これはとても複雑な心のプロセスということができる。
 このプロセスを苦痛や不安が妨害ぼうがいする。苦痛、不安、不快に
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対抗たいこうしてプロセスを進めるのが親への信頼しんらいである。信頼しんらいがないと外の力に一時的に屈服くっぷくさせられて命令に従うが、その命令は内在化されない。外的命令が内在化されないままの場合、外的な力が遠ざかると再び自分の内的な衝動しょうどうに従った行動が出てしまうことになる。
 内在化が少ないことは、自分の行動を自己統制する力が生まれないことを意味している。だから外的に適応した行動が必要なときには、その場に外的な力を代表する人がいなければならないことになる。普通ふつうはこの役割を母親に任せ、自分の身代わりの代理自我として行動している。そして、受け身的に与えあた られるものを受け取るという心の体制をつくりあげてしまう。
 内的な規範きはんをつくりあげて、構造ができるためには、内発的な規制を思案しなければならない。しかしわが国の場合、外的なもので行動を規制したり、また支援しえんしたりすることが多い。例として、日ごろ私たちの目にとまるのは、次のようなことではないだろうか。
 私は勤務地への通勤にJRを利用している。車両は四人けでたまに親子が同席して座ることがある。行儀ぎょうぎが悪く、席の上で騒いさわ だり、くつのままで席を汚しよご たりすることがある。しかし、母親は平気で子どものために他人が迷惑めいわくをしていることなど、関心がないかのように振る舞うふ ま 。こんなときに、思いきって注意をすると、子どもはおとなしくなるが、母親は怒っおこ たような顔をする。悪かったと謝る人は多くない。しばらくして、また子どもがごそごそすると、今度は次のように言う。「ほら、となり恐いこわ おじさんがいるから、静かにしなさい」「となりのおじさんがまた、怒るおこ よ」子どもは私の方をじろりと見て静かになる。子どもが他人に迷惑めいわくをかけているのは、子どもや親の問題ではなく、となりのうるさいジジイのせいなのである。行動の規制は内的というより、私という外側の人間のせいなのである。私がいなければ、同じ行動も平気で許されるらしい。
 私たちはこのような外的な規制をいつもやっていないだろうか。「近所の人が見ているよ」「先生からしかられるよ」「友達が笑うよ」といった外的な規制は、内発的に善悪の基準をつくりあげるは
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長文 3.1週 nnzeのつづき
たらきかけではない。「周囲が見ているか」「権威けんいの目」といったことによって、自分の行動を規制し、価値判断をしようとする姿勢である。
 これらの姿勢は自分が価値判断をするのではなく、周囲に判断を任せ、それに従う姿勢を要請ようせいしていることになる。そのためには、いつも周囲の反応はどうか、周囲の判断はどうかに敏感びんかんでなければならない。
 ある行動をして悪かったのは、他人が注意をしたからであり、他人が悪いと判断したからである。だから、同じ行動でも、他人が悪いと判断しなかったり、判断を逃れのが たりすると、それは許される行動となってしまう。場面によって、同じことが駄目だめになったり、よいということになったりする。
 先ほどの列車のなかでの子どもの行動も、私が駄目だめと言ったから駄目だめなのであり、前の日には同じ行動も許されていたのである。また、私がいなければ許されるのである。 (中略)
 これが人格の受け身性ということであり、自律性の形成不全である。受け身性は与えあた られた遂行すいこうすべき課題に対して無力となることが多い。母親のような代理自我が存在する場合は適応的な行動をすることができるが、代理自我的な人物がいないと、無力な自分が人前にさらされてしまうことになる。隠すかく べき自分を隠すかく 術もなく、自分がむき出しのまま人にさらされる可能性が高くなる。
 
たたら八郎はちろうはじと意地――日本人の行動原理」による)
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a 長文 3.2週 nnze
 人間科学における根本問題は、研究の対象が人間であり、それを行う主体の方も人間である、ということである。このことは、人間科学を考える上で忘れてはならないことである。しかし、「科学」という場合、われわれは、まず自然科学のことを考え、わけても物理学をその中心として考えるのではなかろうか。村上陽一郎よういちろうは「科学」ということについて、常に深い思索しさくを展開してきているが、一般いっぱんに、科学的ということに対して、「分析ぶんせき的である」という暗黙あんもくの前提があり、このことをもう少し詳しくくわ  言えば、「現象を、ただ現象としてとらえるのではなく、その現象を、それを成立させている何らかの要素群に分解し、その要素群が、時間―空間のなかでどのように振る舞うふ ま か、その有様を記述することによって、もとの現象を説明する」ということになろう、と述べている。そして、このような考えに立つ限り、物理学が科学のなかの模範もはんとなってくるのも当然であろう、としている。
 村上の言うとおり、この方法によって近代科学はその方法論を確立し、これによって得た事象の因果関係の法則を知ることにより、人間は自然を支配するようになってきたのである。近代科学の成果は取り立ててここに述べる必要がないほど、われわれは日毎にその恩恵おんけいを受けて生きている。このように近代科学の成果があまりにも見事であるので、近代科学による現実認識が唯一ゆいいつの正しいものである、という考えが一般にいっぱん 強くなってきたのも当然である。しかし、ここでわれわれは近代科学が正しいというのと、近代科学による世界観が正しいというのを区別して考えねばならない。
 近代科学のはじまりにおいて、その方法論の根本にいわゆるデカルト―ニュートンのパラダイムがあることを忘れてはならない。このことは、必ずしもデカルトやニュートンという人間がそのような世界観をもっていたことを意味するものではないが、近代科学のよって立つパラダイムを通常このように呼び習わしているのである。
 デカルト―ニュートン・パラダイムにおいて最も大切なことは、明確な「切断」の機能である。自と他を切り離すき はな こと、精神と物質を切り離すき はな ことが第一の前提である。他から切り離さき はな れた「自」が自と無関係に、「他」を観察する。その結果わかってきたことは、「自」と無関係である故に、だれにでも通用する普遍ふへん性を
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もつ。このことは実に偉大いだいなことである。ニュートンの見出した法則は、ニュートンという人間、イギリスという国などを超えこ 普遍ふへん的な真理としても提出できる。もちろん、これに対して疑問を呈するてい  ことはだれでも可能であり、その際は、ニュートンの行ったのと同じ実験を、かれの「自」を事象から切り離すき はな 方法を踏襲とうしゅうして行い、検証することができる。論理実証主義という方法論によって、ある法則の正しさが、だれにでも何時でも、確かめることができるようになったのは、実に強力なことである。それのもつ普遍ふへん性というものが実に広いのである。 (中略)
 自然科学の方法および、そこから得られる結果が普遍ふへん性をもち、その法則があまりに有効であるので、その方法を社会科学や人文科学が借りようとするのも無理からぬことである。そして、そのような方法によってそれなりの成果を得ている。そこで、自然科学の方法を人間に対しても適用することによって、「人間科学」が発展するわけで、生命科学などはこの部類に属するであろう。このような「人間科学」は今後ますます発展してゆくであろう。しかし、これだけによって、人間の研究のすべてをつくしているとは言い難いのである。
 ここで筆者の専門とする臨床りんしょう心理学における例について考えてみよう。たとえば、ある非行少年に対してわれわれが「自」と「他」の区別を明らかにして、極めて客観的な研究を行った結果、その少年の非行の在り方、両親の生き方、友人の有無などから判断して、「再教育不能」と断定する。その後も客観的観察を続けたところ、確かに非行はますます悪化し、先の科学的判断は正しいことが立証される。このようなことをしても、まったくのナンセンスであることはだれしもわかるであろう。
 このようなとき、臨床りんしょう家のこころみることは、前述した自然科学的態度とは異なって、その非行少年の行為こういを「それを成り立たせている何らかの要素群に分解し」たりするのではなく、まず、その少年を一個の全体的な人間として、むしろ、「自」と「他」との区別をできるだけなくするようにして、かれとのかかわりを求めてゆくことである。われわれがそのような態度で接してゆくと、その少年はあんがいに本音で話をしてくれたり、だれにも話をしたことのない
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長文 3.2週 nnzeのつづき
大切な秘密を打明けたりして、そこから、かれが立ち直ってゆくきっかけが開かれたりする。もちろん、一度や二度の面接で事が解決することはなくて、われわれが前述のような態度で接し続けていると、かれもだんだんと変化して立ち直ってくる。ここは、そのことについて論じる場ではないので省略するが、このような過程を記述することも、「人間の科学」であると言えないであろうか。
 キュブラー・ロスは死にゆく人を看とって、その過程として一般いっぱん的に言って、1死の否認、2怒りいか 、3(神との)取り引き、4よくうつ、5死の受容、の五段階を経ることを明らかにした。彼女かのじょのこのような発見は、現在においてターミナルケアをする人たちに対する重要なひとつの指針となっている。このことにしても、もしキュブラー・ロスが死んでゆく人を「客観的観察の対象」とする態度で接していたのでは、決して明らかにならなかったであろう。つまり、研究の対象である人間に対して、研究者がどのような態度をとるかによって、そこに生じる現象が異なってくるし、また、そのことこそが人間の研究にとって極めて大切なことなのである。

(河合隼雄はやお「人間科学の可能性」による)
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a 長文 3.3週 nnze
 そういう「定着文化」というか、うごかないことがよしとされる日本で育ったわたしは、長じてアラビアでのフィールドワークをするようになったとき、そうではない文化、「移動文化」ともいえるものにぶつかり、ある種のショックを受けた。といっても、それは異文化からきたわたしだから「ショック」なので、その人たちにとってはごく当り前のこと。おどろきでもなんでもない。わたしのフィールドのように自然条件・社会条件がきびしいところでは、しんどいことの連続なのだが、こういうおどろき、異質さの魅力みりょくというものに惹かひ れてなんとか今日までやってこられたようにおもう。
 アラビアの砂漠さばくでは、昼間の暴君である太陽が、夜のやさしさにその支配権を渡しわた 、やっとおだやかな夜がおとずれると、わたしもみなといっしょにほっとしたものだった。砂の上に横たわり、ねぶくろから顔だけ出してアラビアの星たちと交信するのも、楽しみのひとつだった。研究の対象はもちろん天の星ではなく、地上の遊牧民、ベドウィンだったが、かれらの移動について調査していて、どうもよくわからないことがでてきた。なぜ移動するのだろう。うごく必要はないではないか。水、草、子どもたちの学校、そのほかの生活の条件は同じ、あるいは悪くなるかもしれないのに、うごくことがあるのだ。
 このあたりのことは、先に「アラビア・ノート」(NHKブックス、一九七九年)で少しふれたが、「どうしてなの」ときくわたしに、「なにもかもよごれてしまったからね」という答えがかえってきた。これだけではどういうことかよくわからなかった。フィールドワークをしていると、言葉のやりとりだけではわからないことがたくさんあった。当然のことである。人は、言葉だけでわかりあうわけではない。
 一年ほどいっしょにくらすうち、砂のまじった食事も気にならなくなるのと同時くらいにかれらの「移動の哲学てつがく」がわかってきた。体系的なものを哲学てつがくとしてもっているわけではないが、かれらは人間がひとつのところにじっとしているのは退行を意味すると感じているのである。
 ひとつのところで生活をしていると、ごみが出てくるとか、死人が出たというような物理的なよごれもあるのだが、人間の心のほうもよごれてくる、よどんでくるように感じているようなのだ。うごくことによって浄化じょうかされるという感覚をもっている。これはセム族の中に古くからあるものとつながっているようでもある。「旧約
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聖書」にも、荒野あらの放浪ほうろうし、きよめられたもののみカナンの地に入れるという思想がみいだされる。いずれにしろ、うごくことによって浄化じょうかされるのだというおもいが、ふつふつとからだのなかにわいてくるようなところがあるようだ。 (中略)
 そういう元遊牧民たちだけでなく、オックスフォードやハーバードに留学したようないわゆる「都会の遊牧民」といえるアラビア人たちのなかにも「動の思想」はビルトインされているようである。政府の役人でも、一カ所にじっとしている人は少ない。あちこちに港すなわちオフィスをもっていて、風のように来ては去るのでつかまえるのに苦労する。ポケットベルがよく売れており、コードレス電話も日本で普及ふきゅうするよりはるか前から人びとのあいだで使われていた。よくうごくかれらは、これらを使ってビジネス上の連絡れんらくをとるというよりは、家族や友人、親類と連絡れんらくをとり、おしゃべりを楽しんだりするのである。職をかえることも日常的なことである。
 日本人の終身雇用こようの話をすると、目をまるくしておどろき、就職するときに「絶対うごきません」というような契約けいやくをしてしまうのかとたずね、けげんな顔をする。いや、そんな契約けいやくはしないが、ほとんどの人はうごかない、一生、同じ職場で仕事をするのだというと、ますますおどろかれてしまう。
 からだも心もうごいていくことを前提とするかれらは「ハサブ・ル・ズルーフ」という言葉を日常生活のなかでよく使う。「そのときの状況じょうきょうしだい」という意味である。すべての「時間」は「現在」に集約されると考え、大事なのは、同じ時間を同じ空間でわかちあっているこの瞬間しゅんかん、現在しかないのだという。明日はこうしようとおもっていても、次の朝起きてみると状況じょうきょうがうごいているかもしれない。母が危篤きとくとか、本人が熱を出したとか、そういうときはその状況じょうきょうにしたがって行動するしかない。そこで約束事には、日本では悪名高い「インシャーアッラー」(神の意志あらば)という言葉をそえて処方箋しょほうせんとする。人間の意志だけで、ものごとはうごくわけではない。昨日が今日をしばることもできない。晴耕雨読感覚で生きるということになるだろうか。
 それでは困ると考えられるときには、第二の処方箋しょほうせん契約けいやくにもち
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長文 3.3週 nnzeのつづき
こむ。古来より、こいの詩歌を愛し、ロマンスをこのむアラビア人だが、こいほのおもうつろうことを認識している。うつろうからこそロマンティックなのだと考えているようである。そこであらかじめ、うつろったときのことを考えて、結婚けっこん契約けいやくとする。離婚りこんにいたったときの処置も決めておくのである。結婚けっこん契約けいやく書をとりかわし、そこに契約けいやく解除のときの具体的事項じこうもかきこまれるのだ。
 カナダのエジプト人調査のおり、手に入れたムスリム(イスラーム教徒)の結婚けっこん契約けいやく書にも、解約事項じこうをかきいれるらんが大きくあけられてあった。
 「うごく」あるいはうつろうことを前提とした書類と、さきにのべた「うごかない」ことを前提とした日本の書類とをくらべてみると、文化の差異が象徴しょうちょう的にわかるようにおもう。アラビアから地理的にたいへん遠いカナダにまで、さかんに移動していることを知ったのもおどろきであったが、そのような遠隔えんかく地で、しかも文化のまったく異なる環境かんきょうにあっても、自分たちの「動の文化」を大切にして生きている人たちがいることを、フィールドワークは、あきらかにしてくれたのだった。

 (片倉もとこ「『移動文化』考イスラームの世界をたずねて」)
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a 長文 3.4週 nnze
 思考は語りとは別だという考えは、言語をもっぱら伝達の手段と見なす言語観によっても補強されよう。「きれいな夕焼けだね」と人に語るとき、まずわたしのなかに、きれいな夕焼けだという思いがあり、それを相手に伝達するために、そのような言葉を発したのだと考えられる。言語がもっぱら自分の思考を相手に伝達するための手段だとすれば、思考は語りとは別であり、語りに先だって形成されるということになろう。
 しかし、考えることは語ることと本当に別なのだろうか。語ることに先だって思考が形成され、それをたんに日常言語で表現するにすぎないのだろうか。言葉を用いて考えるとき、まさに語ることとともに、思考が形成されているようにみえる。「今日は暑いな」と語るとき、そのときはじめて今日は暑いなという思考が形成されたのであって、語ることに先だってあらかじめそのような思考が形成されていたようには思えない。もし語ることに先だって思考が形成されていたとすれば、その思考は無意識の思考ということになるだろう。わたしが今日は暑いなと意識的に考えたのは、「今日は暑いな」と語ったときである。したがって、それに先だって、今日は暑いなという思考があったとすれば、それは無意識的な思考にほかならない。
 このような無意識的な思考が存在するかどうかという問題については、ここでは紙幅しふくの都合上、扱わあつか ない。そのような無意識的な思考が存在するとすれば、それは語りとは別だといえるかもしれない。しかし、意識的な思考については、どうであろうか。わたしが今日は暑いなと意識的に考えるのは、まさに「今日は暑いな」と語るときである。この場合ですら、思考は語りとは別なのであろうか。そうだとすれば、「今日は暑いな」と語ることとは別に、そしてそれと同時に、今日は暑いなという意識的な思考が形成されていることになる。しかし、「今日は暑いな」と語るとき、わたしの意識にのぼるのは、「キョウワアツイナ」という音声(声に出したものであれ、頭の中のものであれ)だけである。それとは別に、今日は暑いなという思考が意識に現れるわけではない。したがって、思考が語りと別だとすれば、ここでも思考は無意識的だということにならざるをえない。つまり、意識的な語りの背後に、無意識の思考が存在するということにならざるをえないのである。
 結局、意識的な思考を認めようとすれば、言葉を用いて意識的に考えるとき、思考は語りにほかならないと考えるほかないであろう。「今日は暑いな」と語るとき、そう語ることが今日は暑いなと考えることであり、それとは別にそのような思考があるわけではないのである。「きれいな夕焼けだね」と人に語るときは、たしかに
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そう語るまえに、きれいな夕焼けだという思いが形成されていよう。しかし、その思いが意識的だとすれば、それはわたしの頭のなかで「きれいな夕焼けだ」と語ること(つまり内語)によって形成されたものにほかならないだろう。そうだとすれば、この場合も、きれいな夕焼けだという思いは「きれいな夕焼けだ」という内語にほかならないのである。

 (信原幸弘ゆきひろ「言語による思考の臨界」による。)
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