1ケンタウロスは、人間の上半身に馬の胴と脚がついた生き物だ。人魚姫は、人間の上半身に魚の胴と尾がついている。インドのガネーシャは、人間の身体にゾウの顔がついている。これらの不思議な神話上の生物を作る技術を、現代のバイオテクノロジーは手に入れつつある。2科学の進歩は、科学の悪用の可能性と不可分の関係にある。その典型的な分野のひとつが、核物理学である。物質が持っている膨大な熱量の可能性を、人間はエネルギーとして利用することもできるし、兵器として利用することもできる。3同様のことが、バイオテクノロジーの未来についても言えるのではないか。
バイオテクノロジーの今後の発展から予想される第一の問題は、できることとやっていいことは違うという区別の基準がまだはっきりしていないことである。4遺伝子の解析技術が発展すれば、各種の遺伝的な疾病の改善には役立つだろう。しかし、それは遺伝的素質による就職や結婚の差別を生み出すことにもつながる可能性がある。人類のこれまでの歴史は、無条件に病気を悪、健康を善としてきた。5しかし、不老不死が技術的に可能になりつつある時代に大切なのは、いかに生きるかという技術よりもいかによりよく生きるかという哲学である。自然界を見ればわかるように、生き物はみな成長し子孫を残し年老いて死んでいく。6永遠の生命を求めることは、大きく見れば自然の摂理に反することではないだろうか。自然の摂理と人間の倫理の統合がこれから求められてくる。
問題点の第二は、科学の発達による恩恵が強力なものであればあるほど、あとでその弊害がわかったときに、手後れとなることも多いということである。7特に、生命に関することについては、人間の知識は肝心なことは何もわかっていないと言ってよい。生命を生み出す知識さえないのに、生命を部分的に操作する技術だけはあるという状態が最も危険なのだ。8この危険性を防ぐためには、多様性の確保を技術の発達以上に優先することだ。農業の品種改良で、F1雑種による成果が取り上げられることは多いが、それが地域固有種の絶滅に結びつくようなことがあってはならない。大きな恩恵は、大きな弊害と裏腹の関係にある。
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