a 長文 7.1週 nnzi2
 社会学者の森真一によれば、心理主義とは、社会から個人の内面へと人々の関心が移行する傾向けいこう、社会現象を社会や環境かんきょうからではなく個々人の性格や内面から理解しようとする傾向けいこう、および「共感」や相手の「きもち」、あるいは「自己実現」を最重視する傾向けいこうのことである。心理主義は、かならずしも心の科学(心理学や精神医学、認知科学など)が生み出したものとは言えないが、その知識や技法が多くの人に受け入れられることによって生じてきた社会的傾向けいこうである。本来は社会的・政治的であるはずの問題を、その人たち個人の問題へとすり替え  か て、問題を「個人化」することは政治的なプロパガンダ(宣伝)の典型的な手法である。
 職場における精神疾患しっかんの原因が、不健全な組織風土や恒常こうじょう的な勤務過剰かじょうから生じているにもかかわらず、それを特定の個人の特異な病理として扱おあつか うとすることなどは、その一例である。あるいは、理論心理学者のフィリップ・バニアードが『心理学への異議』で批判しているように、心理主義とは、内面化という手段によって暗黙あんもくのうちに人々を統治する方法である。バニアードによれば、意図的であれ、結果的であれ、心理学はこれに加担してきてしまったのである。
 心理主義は、自己への問いかけを不健全なかたちで内面化し、原理的に解答が出ないような議論や不毛な行動へとミスリードする。そこで、心理主義がどのような場面で問題になるのか、その分かりやすい例をあげてみよう。
 たとえば、就職を前にした学生に対して、学校はしばしば性格テストや自己分析ぶんせきを行わせ、その結果から自分にあった職業や職場を探すように勧めるすす  自己の性格に見合った職業を選ぶことが良い職探しだとされているからである。しかし、「自分の性格はコレコレだ」ということから、あるいは、自分はコレコレの能力に優れているということから、ただちに自分の職業を選ぶことができるのだろうか。「外向的」な性格をしている人間は、サービス業の営業・販売はんばい部門に向いている、その部門を担当することを好むなどと言えるだろうか。「内向的」な性格をしているがゆえに人と関わるすべを学びたくて、営業や販売はんばいを選ぶ人がいるかもしれない。内気だが誠実な性格が幸いして顧客こきゃくから信用を得て、営業や販売はんばいが喜びとなってゆく人がいるかもしれないではないか。
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 あるいは、近年の日本では若年層にニート(無就学・無就労状態)が増えてきているというが、その原因を個々人の怠惰たいだややる気のなさといった心理的な性向に求めるような説明方式は、典型的な心理主義である。ほとんどの若者は就職しないのではなく、できないのであり、その原因はおもに企業きぎょうが中高年の雇用こよう維持いじして、新規採用を抑えおさ ていることにある。あるいは、やはり近年では社会の階層化が拡大しているというが、下層階級に位置する人々について、「コミュニケーション・スキルの未熟」や「対人関係における積極性が足りない」といった指摘してきをすることも心理主義的解釈かいしゃくである。多くの人のコミュニケーションがうまくなれば、下層階級がなくなるかどうか考えてみれば、この説明のおかしさが分かるであろう。失業者や下層階級という政治的課題が、怠惰たいだとかコミュニケーションという個々人の心理の問題へとすり替え  か られているのである。
 自分が置かれている環境かんきょう分析ぶんせきすることなく、やみくもに自己を「内省」させること。経験を豊かにさせるのではなく、ともかく内面に注意を向けさせること。これらは心理主義的発想の現れに他ならない。この傾向けいこうにとらわれてしまって、的外れな「自分探し」をしている若者も多いはずである。

(河野哲也てつや「心はからだの外にある『エコロジカルな私』の哲学てつがく」による)
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a 長文 7.2週 nnzi2
 盆栽ぼんさいの話をしよう。
 こう切り出せば好事家はともかく、おおかたの知識人はまゆをひそめるに相違そういない。自然の樹の姿をねじまげるのは心ない仕業だ、のびのびと枝葉を繁らしげ せよ、という自然主義によって盆栽ぼんさいのサロン芸的矮小わいしょう性を批判し、その前近代性をあばく前に、ともかくこの高度の園芸術の素性を見定めねばならない。
 武蔵野の深い森に囲まれた皇居の一隅いちぐうに数百はち盆栽ぼんさいを保有する御苑ぎょえんがある。日本史を飾るかざ お歴々の寄進した逸品いっぴんぞろいのなかに三代将軍徳川家光の愛した五葉の松まで目にすれば、この国の園芸文化の奥深おくふかさにただ脱帽だつぼうするしかない。しかも盆栽ぼんさい愛好の風潮は権門貴顕きけんに限らず広く市井しせい浸透しんとうしている。愛好層の広さと息の長さはやはりただごとではない。今日、日本のどんな片田舎へ行っても一つや二つの盆栽ぼんさい愛好会はあるものだ。人口が十万の都会となれば、その数は十は下らないだろう。
 大衆文化としての盆栽ぼんさい愛好に関するこの連綿たる事実は、戦後、俳句第二芸術論が知識人を衝撃しょうげきしたにもかかわらず俳句熱はいっこう衰えるおとろ  どころか、ますます市井しせいにおいて盛んなことを想い起こさせる。
 いったい盆栽ぼんさいとは日本の生活史のなかでどういう位置を占めるし  のだろうか。
 盆栽ぼんさいの起源についてのこまかな詮索せんさくはともかく、およそ平安末ないし鎌倉かまくら期に発した盆栽ぼんさいは、中世を通じて庭先の台またはえんに置かれ、庭の築山を背景として楽しむならわしだった。その様子を書いた『帰絵詞』などを見ると、盆栽ぼんさいは庭の一部で、しかも濡れ縁ぬ えんの延長でもある。築山と盆栽ぼんさいの関係は、あたかも自然の山峰さんぽうとそれを借景した庭のような関係を成している。盆栽ぼんさいは築山を背景として眺めるなが  ものだったらしい。
 また一方、室町期に山峰さんぽう叙景じょけい術として出現した立花は、次第
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に花への意識を集中させるため抽象ちゅうしょう性を高めながら、一方で花のとこ映りをよくするため庭の花影はなかげは逆にこれをつとめて抑制よくせいさせるしぶ好みの庭園を発展させた。生け花もまた、庭との関係が常に強く意識されていたのだった。つまり、山、借景庭、濡れ縁ぬ えん盆栽ぼんさいとこの生け花という、野生から掌中しょうちゅうにいたる序列化された自然のくさりが、日本人の生活空間を貫いつらぬ ていたと思えてならない。この山水の美的序列は座敷ざしきと庭との不即不離ふそくふりな関係と並行していた。(中略)
 自分の志操を山水に託したく 、これを胸中に収めた日本人はたしかに自然を愛したが、しかし、原始のままの自然を身近に置いたりはしなかった。自然と人間の間のとり方が問題であった。
 すなわち、太古の自然は敬して遠ざけ、しかるのちてい内に築いた庭にこれを借景としてとり入れた。庭はやがて軒下のきした凝縮ぎょうしゅくされてつぼ庭となり、さらに盆栽ぼんさいとなる。自然を社会化するこの流れは、土を払いはら 落とした草木がとこの間へ上り、人々がはなまぼろしをそこに見るまでやまなかった。巧みたく 巧またく れてついに身辺へたぐり寄せられた山水は、作法美の域にいたってようやく人々の掌中しょうちゅうに収められたのだ。
 生命現象の次元では手つかずの自然は尊いが、文化現象の話になれば自然は作法化されなければならなかった。それは人間と自然との美的黙約もくやくである。

(「風景学・実践じっせんへん」(中村良夫)より)
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a 長文 7.3週 nnzi2
 あとになって水かけ論にならないように、契約けいやくによって権利義務をあらかじめきちんとするという慣行は、日本ではまだ確立していないように思われる。とくに身近な人との間では、契約けいやく書をつくらず、口約束ですましている。よくいえば、日本人は人がよくて相手を信用しすぎるということかもしれない。しかし悪くいえば、ものごとのけじめをはっきりつけないで、ルーズにしておくということでもある。
 しかし、人はあらかじめ紛争ふんそうが予見できるくらいならば、もともと契約けいやくをむすばないものである。つまり、こういうことである。契約けいやくをむすぶことは、それ自体つねに相手方を信用することであり、「まさかそんなことはおこるまい」と思うことなのである。そしてまさに権利の行使が問題になるときは、つねに、そのまさかという信用がうらぎられたときのことなのである。だから、契約けいやくの内容をきちんとしたうえで契約けいやく書を交わすことは、権利を大切にする社会ではしごく当りまえのことである。
 日本は、ウェットな社会で情緒じょうちょを重んじる。これはこれで、すぐれた日本人の資質である。しかし、それは反面、日本の甘えあま 社会を助長しているのではなかろうか。個人的人間関係では情緒じょうちょが通用しても、契約けいやくは通常、利害の対立する者の間のルールであるから、いわばビジネスの問題である。もちろんビジネスでも情緒じょうちょ入り込むはい こ が、それが中心となったのでは契約けいやく社会は崩壊ほうかいする。友情は友情、ビジネスはビジネスなのである。ウェットな関係とドライな関係を使いわけることは、日本ではまだむずかしい。人びとはこの両者を混同し、そのためにものごとをあいまいにして生きている。これでよいのか、という根本の問いがここにはある。
 客観的ルールの定立が人間の信用やメンツを傷つけるものであるかのように受けとる日本人の心理は、人間をはじめから信用のおける人間(善玉)と信用のおけない人間(悪玉)とに区別し、状況じょうきょうに応じて変化するものとしてはとらえないという、固定的思想にもとづくものであろう。しかし、契約けいやくにおいては、相手方の人間の誠実さを疑うかどうかが問題なのではなく、疑おうと思っても疑うことのできない客観的状況じょうきょうのなかに相手方をおく、という
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ことが問題なのである。だから、ここで要求される誠実さとは、ルールに拘束こうそくされ、それにしたがって行動するという誠実さにほかならない。
 この点で、「契約けいやく拘束こうそくする」あるいは「契約けいやくは守らなければならない」という命題が、私たちの社会では今日なお一般いっぱん常識となっていないことが問題である。借金して返済の日が来ても、一日ぐらいはよいだろう」とか、「すこしくらい大目にみてくれるだろう」など、ルーズな気持ちがはたらく。
 約束やルールを守らないことは恥ずは べきことであるという意識、約束した以上は責任をもって守るという意識は、市民の間でも成熟していない。これは日本社会の根底にふれる問題を含んふく でいる。そういう社会的土壌どじょうの上に、政治社会の公約違反いはんがまかり通る。
 政党や立候補者の側にも国民の側にも、約束を守る意思、守らせる意思は微弱びじゃくである。政党も国民も「どうせ選挙のための道具だ」という程度にしか考えていない。国民に示した約束はかならず守るという責任感のきびしさを、日本の政党はまだ身につけていない。国民の側にも、公約を果たすことを政党・立候補者にきびしく要求し、公約を守らない議員は次の選挙で落とすというほどのきびしさを持っていない。やや大げさないい方になるが、日本人のルーズな契約けいやく観は、この国の政治腐敗ふはいをもたらす一つの要因となっている。
 さらに、情緒じょうちょ社会になれている日本人相互そうご契約けいやくならば、ルーズであっても、それなりにうまく解決できる場合でも、契約けいやく拘束こうそく力について日本人よりもきびしい考えをもっている外国人との契約けいやくとなると、そうはいかない。そこでは日本人的甘えあま は通用しないからである。今後は、国際化の時代において、日本人も異文化との接触せっしょくがますます多くなるであろう。国際取引や世界市場に乗り出す企業きぎょうはもとより、私たち市民が外国旅行や留学する場合であっても、異文化摩擦まさつを生じないようにするためには、あらかじめ他民族やその国家の文化についてなにがしかの知識を持っていないと、誤解のもとになる。
渡辺わたなべ洋三『法とは何か』)
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a 長文 7.4週 nnzi2
 社会的固定化と儀礼ぎれい化がすでに深く武士の生活様式をとらえていた享保きょうほ年代に、かつての戦国華やかはな  なりし武士道を無限のノスタルジアを含めふく て回想した山本常朝の『葉隠はがくれ』を見ても(そこでは、戦国武士の解放性と溌剌はつらつ性が歪めゆが られてかげにこもった色調に蔽わおお れているとはいえ)、その強調する主君への純粋じゅんすい無雑な忠誠と「献身けんしん」が、けっして権威けんいへの消極的な恭順きょうじゅんではなくて、むしろ卑屈ひくつな役人根性や大勢順応主義に対して、吐き気は けをもよおすばかりの嫌悪けんお感に裏うちされ、学問と教養の静態的な享受きょうじゅにたえず抵抗ていこうする行動的エネルギーを内包し、中庸ちゅうようでなくて「過度」、謙譲けんじょうでなくて「大高慢こうまん」、――要するに「気力も器量も入らず候。一口に申さば、御家おいえを一人してになひ申す志出来申すまでに候。同じ人間がだれ劣りおと 申すべきや。惣じてそう  修行は大高慢こうまんにてなければ役に立たず候」というような非合理的主体性とでもいうべきエートスに貫かつらぬ れていることを看過してはならないだろう。ここでは御家おいえの「安泰あんたい」は既成きせいの「和」の維持いじではなくて、行動の目標となる。こうした側面はとくに集団の危機感に触発しょくはつされた際に奔騰ほんとうする。忠誠が真摯しんし熱烈ねつれつであるほど、かえって、「分限」をそれぞれまもる形での静態的な忠誠と、緊急きんきゅうの非常事態に際して分をこえて「お家」のために奮闘ふんとうするダイナミックな忠誠とが、生身をひきさくような相剋そうこくをひとりのたましいのなかにまきおこすのである。
 たしかに徳川三百年の「文治」主義と「天下泰平たいへい」とは武士の家産官僚かんりょう化を広汎こうはん押しお すすめ、後期に至っては忠誠の形式化と偽善ぎぜん化をもたらした。けれども幕末の動乱と切迫せっぱくした対外的危機意識は、「封建ほうけん的忠誠」のなかに潜在せんざいしていた、さきのような名誉めいよと責任感、それと結びついた「行動主義」を奔騰ほんとうさせる最後のチャンスをよびおこすこととなるのである。いわゆる激派浪士ろうしたちの行動様式に戦国乱世の「豪傑ごうけつ」的気概きがい奔放ほんぽう性とが再現していると
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するならば、他方でたとえば吉田よしだ松陰しょういんに見られる「没我ぼつが的」忠誠と主体的自律性、絶対的帰依きえの感情と強烈きょうれつ実践じっせん性との逆説的な結合のうちには、あきらかに『葉隠はがくれ』的なエートスに通じる伝説を窺ううかが ことができる。
 さきに述べたように、武士の存在形態の変質と封建ほうけん的階層制の全国的な系列化は、社会的結合のベルトを、主従の「ちぎり」や「情誼じょうぎ」といった直接的人格関係に放置することを許さなくなり、そこに「諸侯しょこう」とか「卿大夫けいたいふ」とか「士」とかいった古典中国に由来する組織のカテゴリーが大規模に登場して、五倫ごりん五常が体制倫理りんりにまで拡大されてゆく客観的な基盤きばんがあった。けれども、一方で武士のエートスが家産官僚かんりょう的精神のなかに完全には吸収されなかったように、他方で儒教じゅきょう的世界像の浸透しんとうもけっしてたんに「封建ほうけん的忠誠」の静態化、固定化の役割だけを演じたわけではない。むしろ一般いっぱん的に言って、日本の思想史において、人間または集団への忠誠と関連しながら、しかもそれと区別された原理への忠誠を教えたのは、やはり中国の伝統的範疇はんちゅうである道もしくは天道の観念であった。仏教の「法」の観念も、その元来の世界宗教の本質からすれば、儒教じゅきょう以上に普遍ふへん主義的な原理への忠誠をもたらしてよいはずであるが、仏教哲学てつがく自体に積極的な社会倫理りんりとしての側面が比較ひかく的に稀薄きはくなことと、とくに日本仏教の伝統的性格のために、人間行動への独自な規範きはん拘束こうそく力はそれほど大きいとはいえない。神「道」や仏「道」は、公然もしくは隠然いんぜんと、「聖人の道」をとりこみ、これと癒着ゆちゃくしたかぎりで人倫じんりんの原理となりえたのである。

(丸山眞男まさお『忠誠と反逆』による)
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a 長文 8.1週 nnzi2
 渓流けいりゅうに糸をたれた釣人つりびとのすがたを見ると、変な連想だけれども、ぼくはいつもじぶんの張ったあみでじっと獲物えもののかかるのを待っている蜘蛛くものすがたを思い出してしまう。たんに、獲物えものを待っているすがたが似ている、というのではないのである。釣りつ をしている人間が自然とのあいだにつくりあげようとしている一つの「関係」のようなものが、蜘蛛くもあみをとおしてはえとのあいだにつくりあげようとしている「関係」と、とてもよく似ているとぼくは思うのだ。
 蜘蛛くもはえとはちがったやりかたでまわりの世界を見、知覚し、その世界のなかを動きまわり食べながら、生きている。蜘蛛くもはえは生物としての構造が違うちが だからそれぞれは、それぞれのちがったやりかたで自然の世界を生きている。ちょっと気どって記号論風に言えば、ふたつの生物は異質なコードをとおして、まわりの自然と交流しあっているのだ。だから、もしも蜘蛛くもが空中に張りわたしたあのあみさえなければ、蜘蛛くもはえとはおたがいのあいだになんの関係もつくりあげることのないまま、おなじ空間のなかの違うちが 世界を棲みす わけつづけることもできただろう(なにしろ、ふたつの生物は別種のコードをとおして、おなじ空間を別のもののように知覚しているのだから)。ところが、ここにあみがある。蜘蛛くもが長い生物進化のなかでつむぎだしてくるのに成功したあみがある。このあみが異質なコードのあいだの接続を実現してしまうのだ。はえあみにかかる。この瞬間しゅんかんはえはいやおうなく、別種の生物である蜘蛛くものコードをうけいれざるをえなくなるのである。またそれと同時に、蜘蛛くものほうもはえのコードをうけいれる準備をととのえておかなければならなかったはずだ。もし蜘蛛くもはえの生物学的なコードをまったく無視していたりすれば、蜘蛛くもの張ったあみはいつまでもむなしく風のそよぎばかりをうけとめていなければならないだろうから。
 捕食ほしょくという生物の現象のなかには、いつもこういう「コード横断(transcodage)」がおこっている。つまり、ひとつ
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の生物が別の生物に出会い、異質なコードどうしが接触せっしょくする場所に、生物界のもっとも感動的な瞬間しゅんかんが発生するのである。「自然はひとつの音楽だ」と言われるときの「音楽」は、じつはこの瞬間しゅんかんのことをとらえた言い方なのである。たがいに異質なコードどうしが接触せっしょくしあい、おたがいのあいだに横断がおこったとき、そこにはリズムが、メロディーが発生する。雨が植物の葉っぱをうつ。そこに音楽が生まれる。だがこのとき葉は雨のコードを受け入れてしなり、雨は植物を受けとめて落下の方向を変化させていく。ここでも同じ現象がおこっている。生物が別の生物を待ちうけておたがいのあいだに決定的な接触せっしょくの状態をつくりだそうとするときと、おなじ「コード横断」の現象がおきている。
 釣人つりびと渓流けいりゅう釣糸つりいとをたれているとき、そこにおこっているのも、まったくおなじ「コード横断」の現象だ、とぼくは思うのだ。人間はこのとき釣竿つりざおをとおして水のなかの生物界と関係をつくろうとしている。(中略)
 釣りつ のもっとも感動的で魅力みりょく的な瞬間しゅんかんは、この「コード横断」のおこるカタストロフィの瞬間しゅんかんなのだろう、とぼくは思う。その瞬間しゅんかんに「人間─釣竿つりざお─糸─えさ(針)─魚」という、それをひとまとめにしてみると、まったく奇妙きみょうな混合生物ができあがっている。このとき、人間もふつうの生活のときとは微妙びみょうにちがう生物に変貌へんぼうしている。かれは細心の注意をはらって、からだの動きや感情や知覚をコントロールして、じぶんの生物的コードの一部分を、魚のそれとの接触せっしょくと横断が可能になるような状態に変化させておかなくてはならないからである。釣人つりびとはこのとき魚の生物コードの一部分をじぶんのなかにとりいれている。人間が水中に入りこんで乱暴に魚を手づかみにするときにはこういう微妙びみょうな変化はおこっていない。

中沢なかざわ 新一『みつの流れる博士』)
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a 長文 8.2週 nnzi2
 ともかく正しいこと、しかも百パーセント正しいことを言うのが好きな人がいる。非行少年に向かって「非行をやめなさい」とか、「シンナーを吸ってはいけません」とか、忠告する。煙草たばこを吸っている人には、「煙草たばこは健康を害します」と言う。何しろ、だれがいつどこで聞いても正しいことを言うので、言われた方としては、「はい」と聞くか、無茶苦茶でも言うより仕方がない。後者の場合だとすぐに、「そんな無茶を言ってはいけません」とやられるに決まっているから、まあ、黙っだま て聞いている方が得策ということになる。
 もちろん正しいことを言ってはいけないなどということはない。しかし、それはまず役に立たないことくらいは知っておくべきである。たとえば野球のコーチが打席にはいる選手に「ヒットを打て」と言えば、これは百パーセント正しいことだが、まず役に立つ忠告ではない。ところが、そのコーチが「相手の投手は勝負球にカーブを投げてくるぞ」、と言った時、それは役に立つだろうが、百パーセント正しいかどうかは分からない。敵は裏をかいてくることだってありうる。あれもある、これもある、と考えていては、コーチは何も言えなくなる。そのなかで、敢えてあ  何かを言うとき、かれは「その時その場の真実」に賭けるか  ことになる。それが当たれば素晴らしい。もっとも、はずれたときは、かれは責任を取らねばならない。
 このあたりに忠告することの難しさ、面白さがある。「非行をやめなさい」などと言う前に、この子が非行をやめるにはどんなことが必要なのか、この子にとって今やれることは何かなどと、こちらがいろいろと考え、工夫しなかったら何とも言えないし、そこにはいつもある程度の不安や危険がつきまとうことであろう。そのような不安や危険に気づかずに、よい加減なことを言えば、悪い結果が出るのも当然である。
 ひょっとすると失敗するかもしれぬ。しかし、この際はこれだという決意をもってするから忠告も生きてくる。己を賭けるか  こともなく、責任を取る気もなく、百パーセント正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間が良くなるのだったら、その百パーセント正しい忠告を、まず自分自身に適用して見ると良い。「もっと働きなさい」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても、それほど効果があるものではないことは、すぐわかるだろう。
 もっとも、自分はその通りにやっているし、効果もあげている、という立派な方も居られるが、そこまで立派な方は人間を通りこし
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て、既にすで ホトケになって居られるのだろう。ホトケに「こころの処方箋しょほうせん」など不要なのはもちろんである。実際、いつどこでもだれにでも通じる正しいことのみを生きていては、「個人」が生きていると言えるのかどうか疑わしい。それは既にすで ホトケになっている。
 百パーセント正しい忠告は、まず役に立たないが、ある時、ある人に役立った忠告が、百パーセント正しいとは言い難いことも、もちろんである。考えてみると当り前のことだが、ひとつの忠告が役立つと、人間は嬉しくうれ  なってそれを普遍ふへん的真理のように思い勝ちである。たとえば、次のようなこともあった。
 ある宗教家が「死にたいと言う人に、本当に死ぬ人はない」と思い込みおも こ 、(こんなことは決して断言できない。「死にたい」と言って自殺する人は沢山たくさんある)「自殺をしたい」と言う人に、それなら自殺の仕方を教えてやろうと詳細しょうさいに死に方を教えてやると、その人はびくついてしまって自殺を断念した。それに味をしめて、その宗教家が次の人にも同じ手を使ったら、その人が言われたとおりの方法で自殺をしてしまったので、自殺の方法を教えた宗教家は、すっかり落ち込んお こ でしまった。
 これは極端きょくたんな例であるが、このようなことは、あんがいよく生じる。これは、一回目のときには、相当に自分を賭けか て言っているのに、二回目になると、前のようにうまくやってやろうと思って、慢心まんしんが生じたり、小手先のことになって、己を賭けるか  度合が軽くなっているために、うまくゆかないのである。前と同じようにやろう、などと言っても、考えてみると人生に、「同じこと」などあるはずがないのだ。もちろん、「昨日も七時に朝食を食べた、今日も同じように……」というレベルでなら、同じことは存在し、朝食のパンを毎朝正しく焼くことも可能であろう。しかし、ある個人の存在が深くかかわってくるとき、そこには同じことは起こらなくなってくるし、まさにそのときに、その人にのみ通じる正しいことが要求され、それは、一般いっぱんに人が考えつく、百パーセント正しいこととは、まったく内容を異にするのである。………
 ここに述べられたことは、百パーセント正しいことである、などと読者はまさか思われないだろうが、念のために申しそえておく。
(河合隼雄はやお「心の処方箋しょほうせん」の文章による)
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a 長文 8.3週 nnzi2
 個としてのアイデンティティとクラス──性的・文化的・社会的・国家的・民族的、等々のクラス──という問題は、それこそ人間の生き死にに関わるテーマであったし、いまなおそうであり続けている。しかも、クラス・アイデンティティはたんに個人の選択せんたくの対象ではなく、しばしばマジョリティ(多数派)からマイノリティ(少数派)に押しつけお   られるものでもある。実際、あのナチによる「ショアー」においては、何百万人という人間が「ユダヤ人」というクラス、「ジプシー」というクラス、「障害者」というクラス、等々に分類され、最終的には「生きるに値しない存在」というクラスに一方的に「選別」されることによって、殺戮さつりくされたのだった。その意味で、ぼくらは「ショアー」を、個体としてのアイデンティティヘのクラス・アイデンティティのもっとも暴力的な付与ふよ押しつけお   )、と呼ぶこともできるだろう。
 だがそれでいて、個としてのアイデンティティとクラスとしてのアイデンティティをきれいに選り分けることはおそらく困難であると思われる。クラスとしてのアイデンティティ規定をどんどん削ぎそ 落としてゆけば、その人間の個体としてのアイデンティティも次第に形式的なもの、空虚くうきょなものとなってゆかざるをえないからだ(そして、この空虚くうきょで形式的な「自己」こそを単位として、近代の国民国家はそこに自らの創出神話を充填じゅうてんしてきたとも言えるのだ)。むしろ、個体としてのアイデンティティは、大枠おおわくとしては、さまざまなクラス・アイデンティティのそれ自体個性的な布置、という形で捉えとら なおさざるをえない側面があるのではないだろうか。
 しかし、その場合のクラス・アイデンティティはしばしばマジョリティ側からマイノリティ側に「押しつけお   られた」ものである。たとえば、プリーモ・レーヴィは元来その生育環境かんきょうのなかでは「ユダヤ人」であることをさほど意識していなかったし、当時のルーマニア領チェルノヴィッツに生まれたパウル・ツェランも、父親が「ユダヤ的」教育を施そほどこ うとするのをむしろ嫌っきら ていたと伝えられている。逆説的にも、ナチによって一方的に「ユダヤ人」という規定を付与ふよされることによって、彼らかれ は自らの「ユダヤ人性」を
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深刻に想起させられたのだった。その意味で彼らかれ にとって、「ユダヤ人」というアイデンティティには、最初からある種の他者性が付着していたと言えるのだ。そんな彼らかれ が「ユダヤ人である」という問題に、どう向き合おうとしたか。彼らかれ の表現を「ユダヤ人性」一般いっぱん還元かんげんすることができないのと同様に、彼らかれ はユダヤ人である以前にひとりの書き手であった、というだけで済ますことができないのも事実なのだ(むしろ、彼らかれ は「ユダヤ人」であることによって、「書き手」であらざるをえなかった、と言うことも十分可能なのだ)。
 要するに、マイノリティの位置にある──あらざるをえない──人々にとって、アイデンティティをめぐる問題は、また、マジョリティ側の土俵、圧倒的あっとうてきに「他者」の支配している舞台ぶたいでなされるほかない、という側面が抜きぬ がたく存在しているのである。自分が自由な個としてアイデンティティを選び取る以前に、マジョリティの無数の指先が自分に突き立てつ た られていて、自明のように帰属クラスを指定しているという理不尽りふじんな事態。そこでは敵の舞台ぶたいで、敵の武器を逆手にとって、「固有の自己」をもとめての暗闘あんとう繰り広げく ひろ られる、という局面が現出せざるをえないのだ。

(細見和之かずゆき『アイデンティティ/他者性』)
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a 長文 8.4週 nnzi2
 遊戯ゆうぎ上のこの経験の核心かくしんの部分に影絵かげえのように映っている「実物」は一体何か。すなわち隠れん坊かく  ぼうの主題は何であるのか。窪田くぼた富男氏が訳業の労をとられたG・ロダーリの指摘してきに従って端的たんてきに言うならば、この遊戯ゆうぎ的経験のしんに写っているものは「迷い子の経験」なのであり、自分独りだけが隔離かくりされた孤独こどくの経験なのであり、社会から追放された流刑るけいの経験なのであり、たった一人でさまよわねばならない彷徨ほうこうの経験なのであり、人の住む社会の境を越えこ た所に広がっている荒涼たるこうりょう  「森」や「海」を目当ても方角も分らぬままに何かのために行かねばならぬ旅の経験なのである。そして、そういう追放された彷徨ほうこうの旅の世界が短い瞑目めいもくの後に突然とつぜん訪れて来るところに、ある朝眠りねむ から醒めるさ  到来とうらいしているかもしれない日常的予想をはるかに超えこ た出来事の想像がそのかげを落している。(中略)
 しかし他方、隠れん坊かく  ぼうが模型化している一連の深刻な経験は、実際の事実世界における経験そのものから写し取ったものではない。それは「実物」でも「原物」でもなく、既にすで 「おとぎ話」固有のある構図の中で物語られ昇華しょうかされている経験からの写しであった。ここで私たちは、もう既にすで 、「孤独こどくな森の旅」や「追放された彷徨ほうこう」や、そして一定の「眠りねむ 」の後に起こる「異変」や「別世界の事」どもを、子供に向って物語っている様々な「おとぎ話」や「昔話」の数々を想い起こしているはずである。先程来述べられたような「試練」や「他界の経過」を経て、日常的予想を超えこ た在るべき結末(たとえば結婚けっこん)に到達とうたつすることによって社会の中に改めて再生する物語は、決してただ一つの表現形式に限られてはいないのだけれども、しかしその主題を子供の世界で展開するものは「おとぎ話」一つなのである。
 しかも隠れん坊かく  ぼうとおとぎ話におけるその主題の消化の仕方は絶対的な軽さを持っている。主題は先に挙げた一連の基本的経験であったがその深刻な経験の質料から来る重圧感はここにはない。煩雑はんざつな細密描写びょうしゃを全て削ぎそ 取って明快簡潔に構図(構造というよ
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り構図)を描き出すえが だ おとぎ話固有の方法が、経験の重量を消去してそのエキスを血清のようにき出しているからでもあったが、それと同時にそのおとぎ話を台本とする寸劇が言葉の使用を徹底的てっていてき取り払うと はら ことによって、玩具がんぐ的に簡略なそく物性を倍加させたからでもあった。経験はここでは粘着ねんちゃく的個性から解放されている。こうしておとぎ話が主題として語る経験は寸劇化されることによって一層重苦しさから解き放たれたエキスとなって、知らず識らずの間に血清として子供の心身の底深くに注ぎ込まそそ こ 蓄積ちくせきされていく。将来訪れるであろう経験に対する胎盤たいばんがこのようにして抗体こうたい反応を起こすことなく形成されるのであった。
 こうして見ると、家のすぐ外の路地で隠れん坊かく  ぼうが行なわれていることがいかなる意味を持つかがいくらか分って来るはずである。家の中で聞いたおとぎ話の主題は(あるいは部屋の中で読んだおとぎ話の主題は)、隠れん坊かく  ぼう翻案ほんあんして遊ぶことによって、「聞く」こと(あるいはそれに加えて「読む」こと)と「演ずる」こと、という次元を異にした二つの通路を通して心身の奥深くおくふか に受け入れられる。話を聞く際に受け取る抑揚よくよう韻律いんりつの知覚、読む場合に自生的に起こる知的想像、無言演劇への翻案ほんあんを通して込むこ 身体感官的な感得、それらが一体となって統合的に主題が消化されるのである。
 経験が、前頭葉だけのものでなく身体だけのものでもなく感情だけのものでもなくて、心身全体の行う物事との交渉こうしょうである限り、心身一体の胎盤たいばんが備わっていないところには経験の育つ余地はまずないと言ってよい。そういうところでは、経験となるべき場合においてさえ、そこから一回きりの衝撃しょうげき体験だけを受け取ることになるであろう。だとすれば、おとぎ話と隠れん坊かく  ぼう、話と遊戯ゆうぎの統合的対応が失われている状態を放置することは取りも直さず経験の消滅しょうめつ促進そくしんすることにほかならないであろう。

藤田省三『精神史的考察』による)
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a 長文 9.1週 nnzi2
 建築について「狭いせま 」というのはたいてい負の評価であり、その延長上に「狭苦しいせまくる  」という表現がある。しかし私は、まぁ状況じょうきょうによりけりであるが、しばしばせまさを快適に感じる。たとえば寝台しんだい車がそうで、あの狭いせま 場所に身を置いて間仕切りカーテンを閉めるとみょうに落ち着いた気分になり、深夜の停車駅で窓側のカーテンを細く開けて人影ひとかげのないプラットホームを覗きのぞ 見たりするとゾクゾクと嬉しいうれ  これはたぶん、「あそこ」は広く寂しいさび  が、自分の居る「ここ」は、それから区分されて狭いせま が心理的に保護された親しい場所になっていると感じるからだ。つまり「ここ」は「せま楽しい」のである。
 これと対照的に、だだっ広い空間はしばしば落ち着けない場所になるもので、たとえばシーズン・オフの観光地のホテルのロビーでたまたま自分一人だったりすると居心地が悪いが、これは自分の居場所が「あそこ」と区別された「ここ」になりにくいからだろう。
 世の中には狭いせま 場所に閉じこめられるのを嫌うきら 人も少なくない。これが病的になると閉所恐怖症きょうふしょう(claustrophobia)になるわけだが、私のように広さが苦手な体質も極端きょくたんになれば、広場恐怖症きょうふしょう(agoraphobia)になる。精神の病いというものは人にもともと内在する性向の極端きょくたん化である場合が多いから、私たちはみな、病いの源を持っているわけで、狂気きょうきと正常の間には広いグレーゾーンがあると考えれば人間は多かれ少なかれ広場恐怖きょうふ的、閉所恐怖きょうふ的のどちらかの傾向けいこうを持っている。
 このどちらが良いかは場合によりけりで定め難いが、どうも住宅の設計には前者、つまり「せまさ」の快適さを理解する性向のほうが適しているような気がする。対照的に「広さ」の快適さを味わえる人は記念碑きねんひ的建築や儀式ぎしきの場所の設計に巧みたく だろうから、建築家としてはどちらが適性とも言えない。
 なぜ住宅ではせまさが重要かというと、これは私の住宅観にもよるのだが、住まいとは、基本的に「何にもしない」場所だと思うか
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らだ。そりゃ家事や仕事や勉強もしますよ。そういう「何か」をしている時には、広さのゆとりが便利だし快適でもあろうから、住まいにも広さを要する領域もある。しかし「何もしていない」時、自分の感覚で支配しきれない広さに身をさらすと、落ち着かないのではないか。そういう時「広さ」は、「はだかで身をさらす」感じになる。逆に「せまさ」が時として快いのは、自分の感覚で支配し得る領域を「身体の延長として身にまとう」感じになるからだろう。寝台しんだい車のブースを快適と感じる時、私はそれを「着ている」。その着心地が良いのは、旅という周囲がよそよそしい状況じょうきょうの中で自分専用の場所としての「ここ」を確保したからで、自宅で寝台しんだい車のブースのような狭いせま 場所にて快適というわけにはいかないだろう。また狭いせま 場所に自分の意志に反して幽閉ゆうへいされたら耐え難いた がた 違いちが ないので、快適さは自ら進んでそこに引きこもることからくる。独房どくぼう寝台しんだい車には、着衣で言えば拘束こうそく衣と外套がいとうのような差があるのだ。
 「ここ」性は、「あそこ」の広さと区別され対照される相対的な「せまさ」から生まれる。つまり「せまさ」とは必ずしも物理的、絶対的なサイズの問題ではなく、「ここ」を適度に限定するように「囲われている」ことである。そう考えると、住まいの本質は「囲い」なのだ。この囲いは、拘束こうそくではなく、「ここ」をつくり出すことによって人の心に安らぎを与えあた 、解放するのだ。
 その意味でご同業の畏友いゆう・益子義弘よしひろの次の言葉は、まさに至言である。「人が自由になれるには、いくらかのものの支えが必要だ。はだかのままでは最早人は生きることはできない。(中略)適度な囲いが人の心を開く力は計り知れない」。

渡辺わたなべ武信「空間の着心地」)
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a 長文 9.2週 nnzi2
 物にはことごとく名前がある。「何か」として命名できないものはない。たまに命名できないものがあると、その不気味さにだれもがおののくが、それでもそれはすぐに「何か」として了解りょうかいされなおし(物のばあいなら「何か」として、人間のばあいなら個人名はわからなくても「ひと」として)、やがていつもの世界のなかに収容される。
 「何か」であるそれらの物は、同時にしかし、ことごとく「だれかのもの」でもある。身のまわりを眺めなが て、だれのものでもないものを見つけるのはむずかしい。物だけではない。他人も(たとえばだれの子か)、そして自分自身についても(このからだ、この記憶きおくはわたしのものである)、だれのものかが問題になる。
 わたしたちのまわりはいつのまにこのような光景になってしまったのだろう。あらゆるものが同時に、だれかある個人もしくは団体のものとしてある光景。
 所有されてきたのは、土地・家屋・調度品・著作・作品や情報という知的財産だけではない。家族関係にも、さらには臓器移植から安楽死・妊娠にんしん中絶、さらには売春まで「ひとの身体」の処遇しょぐうにも、「所有」の問題は複雑に絡んから でいる。
 それは、「所有」の問題が、社会の秩序ちつじょのあり方、個人のアイデンティティーのあり方に基本的なところで結びついているからである。
 考えてみれば、わたしたちの喜びも哀しみかな  もほとんどここから発生する。何かを失う、だれかを失う……もはやそれらはわたし(たち)のものではない、と。またこれを取り違えと ちが たり、無視したりすると、とたんに「社会」の事件となる。不動産や遺産、これをめぐる抗争こうそうはもう果てしがない。トイレで尿にょうとともに自分が流れ出てゆくと感じれば、それは病気とされる。
 「わたし」は、わたしが所有するところのものである。身体、能力、業績、財産、そして家族。わたしたちの社会では、わたしはだれかという問いは、わたしは何を自分のものとして所有しているかという問いにほとんど重なる。
 近代社会は、そういう所有の境界を示し、その権利をたがいに契約けいやくによって承認し、かつ保全しあうという理念の下になりたってきた。しかもその権利は、基本的には個人もしくは法人を単位とし
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た「私的」所有のそれだとされてきた。その擁護ようごとその制限とが、自由主義体制と社会主義体制の対立の基本的なかたちをなしてきた。所有の配分ということが社会のさまざまなかたちを決めてきた。
 その所有の制度が、しばらく前から、いろんな場面できしみだしている。災害後のマンションの建て替えた か 、銀行の救済、知的所有権の権益調整などにもその問題が顔をのぞかしている。公共性をめぐる議論やボランティア活動の活発化、私的所有権の無際限な承認によるさまざまな葛藤かっとうと、それにともなう個人生活の閉塞へいそくヘの強い意識から発しているようにみえる。
 所有の意識と制度は、その対象を交換こうかん譲渡じょうとが可能なものとみなす。そういう視線が物の世界の細部にまで浸透しんとうしてゆくなかで、リアルな物のもつ独特の抵抗ていこう感を蝕んむしば でしまい、さらにその反照として身体のみならず「わたし」という存在すら取り替えと か 不能な決定的なものとは感じられなくなってゆく。自分にしかないものとは何かというふうに、所有の根拠こんきょヘの問いを自分のうちに向ければ向けるほど、内部の空虚くうきょ膨らんふく  でゆくことを、ひとは日々思い知らされてきたはずだ。
 私的所有の制度が個人の存在を保護するものとしてあるのは言うまでもない。が同時に身体ひとつとっても、個人の存在は、誕生から病や老いをへて死にいたるまで、その過程でだれかの庇護ひご介護かいごを得てはじめて可能である。「わたしが事物を意のままにすることを可能にしてくれるその当のものが、現実にはわたしの意のままにならない」とは、哲学てつがく者G・マルセルが身体をネントウにおいて述べた言葉である。そのとき、従来の所有権の思想が考えてきたように、何かが自分のものであるということは、その何かを意のままにできるということとはたして同じか、そのことがいま、あらためて問われているように思う。
 自分のものでありながら自分の意のままにならないもの……そういう地平で「所有」というものを設定しなおす必要がある。これは家族や学校、企業きぎょうや国家と個人のかかわりという、社会関係の基本的なありようを考えなおす長い行程でもあるだろう。
鷲田わしだ清一「キーワードで読む21世紀」より)
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a 長文 9.3週 nnzi2
 近代以前の伝統社会では、こんにちのような青年期はなかった。母のもとで暮らしていた子供は、ある年齢ねんれいに達すると母親のもとから切り離さき はな れて、いくばくかの集団的な訓練をうける。そして彼らかれ は、子供としては死んで・大人として再生することを象徴しょうちょうする、特別の儀式ぎしき(通過儀礼ぎれい)に参加する。この儀式ぎしきを終えると、彼らかれ は、そのまま大人として、共同体の成員になる。
 しかし、近代化とともに、社会は複雑になり、社会の成員となるために身につけねばならない技能・知識は、しだいに膨大ぼうだいになってきた。それらを習得するには、長い時間が必要になる。こうして、「もはや子供ではなく、さりとて未だ大人でもない」過渡期かときが長くなる。あいかわらず親に養育されていて、労働・納税・兵役の義務を免れまぬか ている、という意味で、未だ大人ではない。しかし、家庭とべつのところで、大人になるための技能・知識を身につけるよう、訓練をうけている、という意味で、もはや子供ではない。こうしたどっちつかずの「境界人」という不安定な時期が、「青年期」なのである。
 しかし、「社会的な役割を表わす言葉による自己確認」という意味での「アイデンティティ」の確立が、青年期の課題とされるようになったとき、その背景には、出自と役割の分離ぶんりという、近代化のもう一つの姿がある。近代以前の伝統社会では、出自(生まれ)によって、役割は自動的に決まった。小作農の家に生まれれば、自分もそのまま小作農という役割を引き継ぎひ つ 、商人の家に生まれれば、そのまま商人という役割を引き継ぐひ つ このように生まれによって、引き受ける役割も決まる。伝統社会では、そうであった。しかし近代化とともに、職業の選択せんたくは個人の自由となり、宗教の選択せんたくも、政治的立場の選択せんたくも、個人の自由に委ねられるようになる。出自と、引き受けるべき役割が、切り離さき はな れたのである。
 こうなると青年期は、大人として必要な技能・知識を身につけるだけではすまなくなる。自分は、どの役割をどう引き受けるのか。社会的な役割を表わす言葉を、どう組み合わせて、自分を定義するのか。農民らしく、それとも職人らしく、……教徒らしく、それとも……、国民らしく、それとも……。どのような「らしさ」を、どのように組み合わせて、「これが自分だ」と名乗って出るのか?
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 青年期とは、こうした選択せんたく迫らせま れる時期となったのである。
 簡単におさらいする。近代化とともに、社会的な役割を習得するための訓練期間が長くなったこと。社会的な役割の選択せんたくが、出自を問わず、個人の自由に委ねられるようになったこと。この二つが合わさって、個人の人生に「青年期」という段階が生まれ、「社会的な役割を表わす言葉による自己定義」が、青年期の課題となったのである。
 現代社会は、近代化された社会である。したがって、いま見たような「アイデンティティの確立」が青年期の課題であることに変わりはない。学歴・職業・宗教・国籍こくせき・政治的立場のみならず、「男である・女である」という述語も、いまや生物としての性別から切断され、自由に選択せんたくされる役割を表わすようになる。これもまた、役割と出自の切断という、近代化の延長線上の事象である。
 しかし現代は、近代の延長だけでもない。近代の延長線上にありながら、近代の枠組みわくぐ が、確実に、ゆるみ・崩れくず はじめてもいる。それとともに、アイデンティティの問題も、少しずつズレはじめている。近代のアイデンティティ概念がいねんは、いっさいから自由な個人、という観念を前提としていた。出自を問われることも(あるいは、すら)なく、自分の意のままに、自由に役割を選択せんたくする、自由な個人……。しかし、いまや、そのようにいっさいのきずなを切って自由になったことが、一人の・取り替えが のきかない個人であるということの土台をヒタヒタと侵食しんしょくしつつある。

(大庭健『私という迷宮』より)
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 阻害そがい語の代表的なものが、「ムカツク」と「うざい」という二つの言葉です。
 この言葉は、このところ若者を中心にあっという間に定着してしまった感のある言葉です。「ムカツク」とか「うざい」というのはどういう言葉かというと、自分の中に少しでも不快感が生じたときに、そうした感情をすぐに言語化できる、非常に便利な言語的ツールなのです。
 つまり、自分にとって少しでも異質だと感じたり、これは苦い感じだなと思ったときに、すぐさま「おれは不快だ」と表現して、異質なものと折り合おうとする意欲を即座そくざ遮断しゃだんしてしまう言葉です。しかもそれは他者に対しての攻撃こうげきの言葉としても使えます。「おれはこいつが気に入らない、嫌いきら だ」ということを根拠こんきょもなく感情のままに言えるということです。ふつうは、「嫌いきら だ」と言うときには、「こういう理由で」という根拠こんきょ添えそ なければなりませんが、「うざい」の一言で済んでしまうわけです。自分にとって異質なものに対して端的たんてき拒否きょひをすぐ表現できる、安易で便利な言語的ツールなわけですね。
 だから人とのつながりを少しずつ丁寧ていねいに築こうと思ったとき、これらの言葉はなおさら非常に問題を孕んはら だ言葉になるのです。
 どんなに身近にいても、他者との関係というものはいつも百パーセントうまくいくものではありません。関係を構築していく中で、常にいろいろな阻害そがい要因が発生します。他者は自分とは異質なものなのですから、当然です。じっくり話せば理解し合えたとしても、すぐには気持ちが伝わらないということもあります。そうした他者との関係の中にある異質性を、ちょっと我慢がまんして自分の中になじませる努力を最初から放棄ほうきしているわけです。
 つまり「うざい」とか「ムカツク」と口に出したとたんに、これまで私が幸福を築くうえで大切だよと述べてきた、異質性を受け入れた形での親密性、親しさの形成、親しさを作り上げていくという可能性は、ほとんど根こそぎゼロになってしまうのです。これではコミュニケーション能力が高まっていくはずがありません。
 もっとも、流行語になるずっと以前から、「むかつく」とか、「うざったい」という言葉はありました。でもあまり日常語として頻繁ひんぱんに現れるということはありませんでした。なぜかといえば、
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現在の状況じょうきょうのように、すぐに「ムカツク」とか「うぜー」と表現することを許すような、場の雰囲気ふんいきというものがなかったのです。でも今はあります。
「ムカツク」「うざい」が頻繁ひんぱんに使われる以前はどうしていたのでしょうか。私たちの世代でも今の若い人たちと同じように、ムカついたり、うざいという感情を持つことはあったはずです。でもそれを社会的に表現するには、それだけの理由、相手に対するそういう拒絶きょぜつを表現してもいいのだという根拠こんきょ与えるあた  理由がないと言えないという雰囲気ふんいきがあったわけです。
 それが今は、主観的な心情を簡単に発露はつろできてしまうほど、社会のルール性がゆるくなってしまったのだと思います。昔は、そんな言葉はきちんとした正当性がない限り、言ってはいけないという暗黙あんもく了解りょうかいがありました。だから、いくらムカついてもグッと言葉を飲み込んの こ でおくことによって、ある種の耐性たいせいがうまく作られていったと思うのです。
 さて、ここで私のむすめの話に戻るもど のですが、こうした言葉を言わなくなってから人に対する彼女かのじょの態度がハッキリ変わりました。自分が気に入らない状況じょうきょうやまるごと肯定こうていしてはくれない他者に対してある程度耐性たいせいが出来上がったようなのです。それは単に年齢ねんれいが上になったからとか、少し大人になったからといった自然成長的な変化ではありません。彼女かのじょの内面で確実に何かが変ったのだと思います。
 友だちとのコミュニケーションを深くじっくり味わうためにも、自分の内面の耐性たいせい鍛えるきた  ためにも「ムカツク」「うざい」という言葉はやはり使わないほうがいいでしょう。

菅野かんの仁『友だち幻想げんそう 人と人の「つながり」を考える』)
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