1十倍もの今川軍の接近に直面した信長には、篭城か降伏かという二つの方法が選択肢できた。しかし、信長の目指したものは、あくまでも勝利だった。勝利の一点を見つめたことが、桶狭間での奇襲という新しい活路を見出したのだ。2世界の歴史を切り開いてきたのは、用意された方法で問題をうまく解決した人ではなく、問題そのものに深く直面した人だった。では、私たちもまた、安易な方法への誘惑を拒否して、問題に直面して生きるためにはどうしたらよいのだろうか。
3第一は、マニュアルに頼る心を捨てることだ。昔の修行は、師の技を盗むものだった。今は、手っ取り早くマニュアルを学ぶことが、教える側にも教わる側にも求められる。その根底には、問題には必ず一定の答えがあるものだという前提がある。4だから、困ったことがあると、然るべき人にどうしたらよいかを聞くことになる。本当は、困ったことに対して、効率のよい解決を見つけようとする前に、その問題にしみじみと困ることが必要なのではないか。5その人にしかできないような深い悩み方こそ、その人にしかできない解決への第一歩だ。
第二は、解決に近づくことに価値があるのではなく、問題と格闘することに価値があるのだと発想の転換をすることである。もし解決だけが尊いのであれば、物まねでもカンニングでも解決すればよいことになる。6しかし、世の中には解決を拒む問題も多い。親鸞は、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と言った。イエスは、「罪のない者だけが石を投げよ」と言った。ここにあるのは、教科書的な解決方法ではなく、その問題を深く生きた人にしか語れない真実の言葉だ。7だからこそ、これらの言葉は時代を越えて私たちの心を動かす。どんな人間の心の中にも悪が存在するということは、方法によっては解決することのできない人間の本質だ。だからこそ、必要なのは解決なのではなく、問題の共有なのだ。
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