長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。
1生物の遺伝的複製技術という意味でのクローニングは、衝撃ではない。誰でも知っている、植物のいちばん簡単なクローニングは、「さし木」というかたちである。動物の場合は、さし木というわけにはいかないが、体の一部分から全体が再生するものはいる。2人間も含めた脊椎動物にとって、最も身近なクローニングは、一卵性双生児である。それほど頻繁に起こるわけではないが、しかしひとつの受精卵に由来し、しかも同一の子宮で育つ一卵性双生児が存在することは、古くから知られている自然界の出来事である。3この点では、体細胞の核移植により作られ、母親とは別の胎内で育てられてできている羊や牛のクローンなどよりも「完璧な」クローンであると言える。
4羊や牛のクローニングが社会的に衝撃を与えたのは、言うまでもなく動物の核移植クローニングという技術が、人間にも応用されるのではないか、そして、ひとりの人間から、大量にコピーが作られるのではないかという憶測と危惧のためである。5同じ遺伝子だから同じ人格が作られるという憶測である。一卵性双生児でさえ、それぞれに独立した別個の人格を認めていることを考えれば、このような遺伝子決定論が間違いであることは明白である。6にもかかわらず、人間の大量コピーというイメージが一般化したのは、特に合衆国において、遺伝子を絶対視し、環境因を軽視する傾向があるためでもある。7このことをスティーヴン・J・グールドは、「生まれ」に気をとられるばかりに「育ち」の重要さを見落としている社会の危険性として早々と指摘していた。
8「ドリー」のニュースをはじめ、その後各国で報じられるクローニング成功のニュースに接するたびに、わたしの脳裏に浮かびあがる「複製」のイメージがある。一九九三年(平成五年)秋、伊勢神宮で見た光景である。9この年は二十年に一度の「式年遷宮」の年にあたるが、そのクライマックスである「遷御」の日、内宮のなかを撮影しながら、日の落ちる夕刻まで歩いたことがあった。0二十年ごとに御正殿をはじめ、神宮すべての神殿から神宝
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