a 長文 1.1週 re
 1ある書物がよい書物であるか、そうでないかを判断するために、普通(ふつう)私たちがやっていることは誰(だれ)でも類似している。自分が比較的(ひかくてき)得意な項目(こうもく)、自分が体験などを総合してよく考えたこと、あるいは切実に思い患っ(わずら )ていること、などについて、その書物がどう書いているかを、拾って読んでみればよい。2よい書物であれば、きっとそういうことについて、よい記述がしてあるから、大体その箇所(かしょ)で、書物の全体を占っ(うらな )てもそれほど見当が外れることはない。
 だが、自分の知識にも、体験にも、まったくかかわりのない書物に行きあたったときは、どう判断すればよいのだろうか。3それは、たぶん、書物に含ま(ふく )れている世界によって決められる。優れた書物には、どんな分野のものであっても小さな世界がある。その世界は書き手の持っている世界の縮尺のようなものである。4この縮尺には書き手が通りすぎてきた「山」や「谷」や、宿泊(しゅくはく)した「土地」や、出会った人や思い患っ(わずら )た痕跡(こんせき)などが、すべて豆粒(まめつぶ)のように小さくなって籠(こ)められている。どんな拡大鏡にかけてもこの「山」や「谷」や「土地」や「人」は目には見えないかもしれない。そう、事実それは見えない。見えない世界が含ま(ふく )れているかどうかを、どうやって知ることができるのだろうか。
 5もしひとつの書物を読んで、読み手を引きずり、また休ませ、立ち止まって空想させ、また考え込ま(かんが こ )せ、要するにここは文字のひと続きのように見えても、実は広場みたいなところだなと感じさせるものがあったら、それは小さな世界だと考えてよいのではないか。6この小さな世界は、知識にも体験にも理念にもかかわりがない。書き手が幾度(いくど)も反復して立ち止まり、また戻り(もど )、また歩き出し、そして思い患っ(わずら )た場所なのだ。彼(かれ)は、そういう小さな世界をつくり出すために、長い年月を棒にふった。7棒にふるだけの価値があるかどうかもわからずに、どうしようもなく棒にふってしまった。そこには書き手以外の人の影(かげ)も、隣人(りんじん)もいなかった。また、どういう道もついていなかった。行きつ戻り(もど )つしたために、そこだけが踏み(ふ )固められて広場のようになってしまった。8実際は広場というようなものではなく、ただの踏み(ふ )溜り(たま )でしかないほど小さな場所で、そこから先に道がついているわけでもない。たぶん、書き手ひ
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とりがやっと腰(こし)を下ろせるくらいの小さな場所にしかすぎない。9けれどもそれは世界なのだ。そういう場所に行きあたった読み手は、ひとつひとつの言葉、何行かの文章にわからないところがあっても、書き手をつかまえたことになるのだ。
 私は、なぜ文章を書くようになったかを考えてみる。0心の中に奇怪(きかい)な観念が横行してどうしようもなく持て余していた少年の晩期のころ、しゃべることがどうしても他者に通じないという感じに悩まさ(なや  )れた。この思いは、極端(きょくたん)になるばかりであった。この感じは外にもあらわれるようになった。父親は、お前このごろ覇気(はき)がなくなったと言うようになった。過剰(かじょう)な観念をどう扱っ(あつか )てよいかわからず、しゃべることは、自分をあらわしえないということに思い患っ(わずら )ていたので、覇気(はき)がなくなったのは当然であった。われながら青年になりかかるころの素直な言動がないことを認めざるをえなかった。今思えば、「若さ」というものは、まさしくそういうことなのだ。他者にすぐわかるように外に出せる覇気(はき)など、どうせ、たいした覇気(はき)ではない、と断言できるが、そのとき、そう言いきるだけの自信はなかった。そうして、しゃべることへの不信から、書くことを覚えるようになった。それは同時に読むようになったことを意味している。
 私の読書は、出発点で何に向かって読んだのだろうか。たぶん自分自身を探しに出かけるというモチーフで読みはじめたのである。自分の思い患っ(わずら )ていることを代弁してくれていて、しかも、自分の同類のようなものを探しあてたいという願望でいっぱいであった。すると書物の中に、あるときは登場人物として、あるときは書き手として、同類がたくさんいたのである。
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a 長文 1.2週 re
 1農業は、きわめて恣意(しい)的な営みである。
 土を耕す仕事は自然と調和したエコロジカルな行為(こうい)と一般(いっぱん)には思われているようだが決してそうではない。恣意(しい)的、といって曖昧(あいまい)なら、人間が自然を自分の都合のよい方向にねじ曲げる行為(こうい)、といったらいい過ぎか。
 2だいたい、野菜、という概念(がいねん)からして人工的なものである。
 人は野草や山菜を採集する労苦と非能率を恨ん(うら )で、採ってきた植物を住むところの近くに置いて管理しようと試みた。種を取って播き(ま )、みずからの意志によって自然を手なずけようとさえした。
 3人間の管理下に置かれたもののうち、栽培(さいばい)されることに甘んじ(あま  )た植物もあったし、断固としてそれを拒否(きょひ)し、野生の状態でなければ生育しないことを死をもって示した種もあったろう。
 食用になる野草山菜のうち、人の管理下での植栽()が可能なものが「ベジタブル」と呼ばれる。4生長・増殖(ぞうしょく)することが可能、という意味である。
 そればかりではない。品種の「改良」という名のもとに、人間は植物の姿かたちさえも自分たちの望む通りに変えてきた。根が食べたいと思えば、根を太くする。茎(くき)が固いと思えば、柔らかく(やわ   )する。
 5たとえばレタスとかキャベツとかいった、丸く結球する野菜を考えてみよう。
 これらの植物は、芽が出てからしばらくのようすを見ていればわかるが、最初はごくふつうの、それぞれの葉が外側に反りながら上に伸び(の )ていくかたちの青菜である。6それが、ある時点から、しだいに外側の葉が内側の葉を包むように巻きはじめる。
 この性質は、人間がつくったものである。
 葉が丸く内側に巻きはじめるのは、過剰(かじょう)な栄養のために過度に増えた葉がこみあって伸びる(の  )場所を失うからだ。7もちろん生体が想定し得る以上の栄養を与える(あた  )ことができるのは人間だけであり、そうして得られた結果――つまり、結球することによって内部は日光を遮断(しゃだん)されて白く柔らかく(やわ   )なり、同時にひとつの固体の摂()食可能な部分の体積が飛躍(ひやく)的に増える――を享受(きょうじゅ)するのもまた人間なの
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だ。
 8私は、野菜のために土を耕しながら、ときどきそんなことを考えた。
 「文化」という言葉の語源は「耕す」という意味だと教えられ、そうであるとすれば土を耕す農業こそはまさしく文化的な営みだと納得するが、9しかしそれにしたところで、文化というのは人間が手をつけられないような荒々しい(あらあら  )自然をなんとか馴化(じゅんか)して管理下に置こうとする試みなのだ、と種明かしをすれば、それほどたいしたことをやっていないのはすぐにわかる。0人は自然界にある無限の音から人の耳に美しいと感じられる楽音だけを取り出して音楽をつくり自然界の無限の風景のうち気に入った部分だけを抽出(ちゅうしゅつ)して絵画に構成する。農耕も含め(ふく )て、そうした「文化」的な営みの中においてだけ、人は自然を自分たちのコントロール下に置いたような気分になるのである。
 私たちの農作業は、「文化」からはほど遠いところにあった。
 九二年は、前述したように乾燥(かんそう)した暑い夏だった。
 九三年は、一転して雨ばかり降り続く寒い夏で、コメが大凶作(きょうさく)に見舞わ(みま )れたことは記憶(きおく)に新しい。私たちの畑でもブドウには病害が発生したし、トマトは降り続く雨にたたられてひどい減収、ジャガイモは掘り返す(ほ かえ )前に半分が土の中で腐っ(くさ )た。
 そして九四年はまたまた予想を裏切る酷暑(こくしょ)と旱魃(かんばつ)のシーズンで、ブドウは辛くも(から  )枯死(こし)をまぬがれてなんとか収穫(しゅうかく)にまで至ったもののブルーベリーは熟しつつある実をつけたまま立ち枯れ(た が )、トウモロコシも皮を剥く(む )と乾(ひ)からびた実があらわれた。そのため連日水やりに追われたが、地熱があまりにも高くそれこそ焼け石に水であった。トマトもピーマンも水不足で小さな表面の乾い(かわ )た悲しい実しか実らせることができなかったし、秋になってようやく持ち直したと思ったら台風の風で倒さ(たお )れた。
 まったく、自然を手なずけるどころか、自然の大きな力に翻弄(ほんろう)されるばかりである。
 もちろん、その理由の大きな部分が私たちの技術や予測の未熟さ設備や投資の不足にあることは明白だが、しかし必要なソフトやハ
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長文 1.2週 reのつづき
ードをすベて兼ね備え(か そな )ているはずの周辺のプロの農家も結局はほとんど同じような被害(ひがい)に苦しんでいることを考えると、そもそも農業というのは、人間が自然に働きかけかなりの程度それを飼い慣らしたように見えて、実際には単に大きな自然界のほんの少々の「おあまり」をいただくくらいのことしかできないのだ、ということがわかってくる。
 畑仕事をはじめた最初の年には、抜い(ぬ )ても抜い(ぬ )ても生えてくる雑草と格闘(かくとう)しているうちに、「いったい、俺(おれ)はなんでこんなことをしているのだろう」と自問することがしばしばあった。「こんな無駄(むだ)なことにかかわっている時間に、もっとほかにやるベきことがあるのではないのか?」そう思ってイライラしたこともある。
 しかし、そんな過渡期(かとき)の思いも、二年めに入るとしだいに消えていった。
 畑仕事は、いくら人間が焦っ(あせ )ても、できないものはできない。われわれの望むもののうち、自然の合意を得られた分だけを、ゆるゆるとすすめることしかできないのである。

(玉村豊男「種まく人」より)
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a 長文 1.3週 re
 1われわれ自身は必ずしも意識していないかも知れないが、例えば「スミマセン」という表現は不思議だと感じられることがある。この表現は英語で言えば「Thank you」と「I am sorry」といういずれの表現の使われる場合にも用いられるが、2一方は「お礼」、他方は「お詫び( わ )」の表現であり、そのように一見相反するとも思えるものが同じことばで表されるのは不可解だというわけである。しかし、われわれ自身がこれらの表現を使う時の気持を少し意識的に内省してみればすぐ分かる通り、3相手から何か好意あることをしてもらうことは有難い(Thank you)と同時に、負担をかけたという意味で申し訳ない(I am sorry)ことであり、こちらからもそれに応える何かをお返しするまでは事はすまないし、自分の気持ちもすまない――ということで、日本語にはそれなりの論理が背後にあるわけである。
 4あるいは、このような例はどうであろうか。英語では、「I am cold」「You are cold」「He is cold」は、どれも同じように普通(ふつう)の自然な表現である。ところが日本語だと、「ボクハ寒イ」はよいが、「君ハ寒イ」、「彼(かれ)ハ寒イ」というのは不自然に聞こえる。5一見、日本語の方は筋が通っていないように思えるが、それなりの論理は背後にある。つまり、寒いと感じるのは本人の感覚であり、それを本当の意味で体験できるのはその本人だけである。したがって、自分の寒いのは自分で分かるから良いが、同じことは他人についてはできないはず、というわけである。6「君(彼(かれ))ハ寒イ」などという表現を聞くと、何となく差し出がましいことを言っているという印象を受けるのもそのためである。(本人が寒いということは、本人以外にはその内的な感覚が外からも知覚できるような形で現れて初めて分かることである。7「君(彼(かれ))ハ寒ガッテイル」ならば不自然でなくなるのは、そのためである。)
 この種の例は言語のいろいろな面で、またいろいろな抽象(ちゅうしょう)度で、見出し議論することが可能である。そこで見出される特徴(とくちょう)も、この言語特有のものから、どの言語にも普遍(ふへん)的なものに至るまで、さまざまな段階のものがあろう。8そして、また、それぞれの特徴(とくちょう)の持っている文化的な意味合いもさまざまであろう。それは、言語を使う人間が一方では自分なりの創造をすることのできる文化的存在であり、同時に、他方では生物学的存在として生理的・
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心理的に(例えば、発声・調音器官の構造の類似、記憶(きおく)力の限界など)共通の制約を有しているからである。
 9しかし、いずれにせよ、一つの言語を習得して身につけるということは、その言語圏(けん)の文化の価値体系を身につけ、何をどのように捉える(とら  )かに関して一つの枠組み(わくぐ )を与え(あた )られるということである。0(その意味で、一つの言語を習得するということは一つの「イデオロギー」を身につけることなのである。)そこで身につけられる価値体系やものの捉え(とら )方の枠組み(わくぐ )は、決してそこから抜け出せ(ぬ だ )ないといった性格のものではない。しかし、われわれがとりわけ日常的なレベルで、それらを「自然」なものとして受け入れている限りにおいて、自らの身につけている言語によって、ある一つの方向づけをされているのではないか。しかも、われわれ自身はそれに必ずしも気づいていないのではないか。もしそうだとすると、この点における言語の働きは、人間という存在にとって「無意識」の働きにもある程度類比できるのではないか。いや、むしろ、「無意識」の方がいろいろな意味でその働きを言語に負っているのではないか。こういった反省にまで進んでいくことになるのである。

 (池上嘉彦(よしひこ)「記号論への招待」)
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a 長文 1.4週 re
 なにぶん絵本のことで、生々しい絵の印象も手伝ったにちがいないが、「安寿(あんじゅ)と厨子(ずし)王」の話は私には暴力にも似た一撃(いちげき)であった。グレアム・グリーンが『失われた幼年時代』で言っているように、「本というものがわれわれの人生に深い感化を及ぼす(およ  )のは、おそらく幼年時代だけである。それ以後は、感心したり、面白がったり、これまでの見方を修正したりすることはあっても、多くはすでに考えていたことを本で確認するにとどまる。恋(こい)をしていると、自分の顔かたちが実物以上によく見えるような気がするのと同じである。」
 私が鴎外(おうがい)の『山椒(さんしょう)大夫』を読んだのは、大人になってからであった。そして今度また久しぶりに再読したが、結末のところを見て、そうかと思った。あの母親は、可愛いさかりの娘(むすめ)と息子をさらわれた哀しみ(かな  )に夜も昼も泣いて暮らすうちに、とうとう目がつぶれてしまった、というくだりがあるような気がしていたからである。むろん、作者はそんなことは書いていなかった。書く必要もなかったにちがいない。私はたぶん昔の絵本でそう読んだのか、でなければ自分でそう考えたのであろう。いずれにしても、私の心には絵本のイメージのほうが生きていたのである。
 私が鴎外(おうがい)の結末でいい加減に読み過ごしていた箇所(かしょ)は、もう一つあった。作者はこう書いている。
「女は雀(すずめ)でない、大きいものが粟(あわ)をあらしに来たのを知った。そしていつもの詞を唱えやめて、見えぬ目でじっと前を見た。そのとき干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤い(うるお )が出た。女は目が開(あ)いた。
 『厨子(ずし)王』という叫び(さけ )が女の口から出た。二人はぴったり抱き合っ(だ あ )た。」
 それは厨子(ずし)王が姉の形見に肌身(はだみ)離さ(はな )ず持っていた守り本尊の力であるという。そこが、ほとんど私の印象にはなかった。絵本のほうはどうであったかは、もう覚えていない。子供心にも、この最後の奇蹟(きせき)はいくぶん付けたりのように思われたかもしれない。今の私には、親の一念、子の一念とはそれほどのものかもしれないと思う気持ちもある一方で、不幸な女の盲目(もうもく)という書き方に、何か古い物語
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の慈悲(じひ)のようなものを感じる。ハッピーエンドがつまらぬというのではなく、目が明くことのほうが残酷(ざんこく)な場合も人生にはあるだろうからである。
 作者鴎外(おうがい)は、この作品の発表(大正四年)と同時に『歴史其儘(そのまま)と歴史離れ(ばな )』という文章を書き、自ら詳しい(くわ  )解題を行っている。そして、「山椒(さんしょう)大夫のような伝説は、書いて行く途中(とちゅう)で、想像が道草を食って迷子にならぬ位の程度に筋が立っているというだけで、わたくしの辿っ(たど )て行く糸には人を縛る(しば )強さはない。わたくしは伝説そのものをもあまり精しく探らずに、夢のような物語を夢のように思い浮かべ(おも う  )て見た」と言っている。
 「夢のような物語を夢のように」というその夢は、ある特定の個人が見る夢というより、われわれ日本人の誰(だれ)しもが民族の血の中に受け継い(う つ )できた古い歴史の余映のようなものであろう。夏目漱石(そうせき)も短編集『夢十夜』(明治四十一年)で、われわれの現在を支配する過去の恐ろしい(おそ   )姿を、不条理なイメージの断片を突きつける(つ    )ようにして、あばいて見せた。伝説のみならず、お伽噺( とぎばなし)や民話や怪談(かいだん)のたぐいがいつの世にも子供の心をとらえるのは、子供自身の血の中に、自分が生まれる何代も前の記憶(きおく)を呼び起こそうとする本能が潜ん(ひそ )でいるからだとでも考える他はない。

(阿部(あべ)昭『短編小説礼讃(さん)』)
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a 長文 2.1週 re
二番目の長文が課題の長文です。
 1どこかへ旅行がしてみたくなる。しかし別にどこというきまったあてがない。そういう時に旅行案内記の類をあけて見ると、あるいは海浜(かいひん)、あるいは山間の湖水、あるいは温泉といったように、行くべき所がさまざま有りすぎるほどある。2そこでまずかりに温泉なら温泉ときめて、温泉の部を少し詳しく(くわ  )見て行くと、各温泉の水質や効能、周囲の形勝名所旧跡(めいしょきゅうせき)などのだいたいがざっとわかる。しかしもう少し詳しく(くわ  )具体的な事が知りたくなって、今度は温泉専門の案内書を捜し出し(さが だ )て読んでみる。3そうするとまずぼんやりとおおよその見当がついて来るが、いくら詳細(しょうさい)な案内記を丁寧(ていねい)に読んでみたところで、結局ほんとうのところは自分で行って見なければわかるはずはない。もしもそれがわかるようならば、うちで書物だけ読んでいればわざわざ出かける必要はないと言ってもいい。4次には念のためにいろいろの人の話を聞いてみても、人によってかなり言う事がちがっていて、だれのオーソリティを信じていいかわからなくなってしまう。それでさんざんに調べた最後にはつまりいいかげんに、賽(さい)でも投げると同じような偶然(ぐうぜん)な機縁(きえん)によって目的の地をどうにかきめるほかはない。
 5こういうやり方は言わばアカデミックなオーソドックスなやり方であると言われる。これは多くの人々にとって最も安全な方法であって、こうすればめったに大きな失望やとんでもない違算(いさん)を生ずる心配が少ない。6そうして主要な名所旧跡(めいしょきゅうせき)をうっかり見落とす気づかいもない。
 しかしこれとちがったやり方もないではない。たとえば旅行がしたくなると同時に最初から賽(さい)をふって行く所をきめてしまう。あるいは偶然(ぐうぜん)に読んだ詩編か小説かの中である感興に打たれたような場所に決めてしまう。7そうして案内記などにはてんでかまわないで飛び出して行く。そうして自分の足と目で自由に気に向くままに歩き回り見て回る。この方法はとかくいろいろな失策や困難をひき起こしやすい。またいわゆる名所旧跡(めいしょきゅうせき)などのすぐ前を通りながら知らずに見のがしてしまったりするのは有りがちな事である。8これは危険の多いへテロドックスのやり方である。これはうっかり一般(いっぱん)の人にすすめる事のできかねるやり方である。
 しかし前の安全な方法にも短所はある。読んだ案内書や聞いた人
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の話が、いつまでも頭の中に巣をくっていて、それが自分の目を隠し(かく )耳をおおう。9それがためにせっかくわざわざ出かけて来た自分自身は言わば行李(こうり)の中にでも押しこめ(お   )られたような形になり、結局案内記や話した人が湯にはいったり見物したり享楽(きょうらく)したりすると同じような事になる、こういうふうになりたがるおそれがある。0もちろんこれは案内書や教えた人の罪ではない。
 しかしそれでも結構であるという人がずいぶんある。そういう人はもちろんそれでよい。
 しかしそれではわざわざ出て来たかいがないと考える人もある。曲がりなりにでも自分の目で見て自分の足で踏ん(ふ )で、その見る景色踏む(ふ )大地と自分とが直接にぴったり触れ合う(ふ あ )時にのみ感じ得られる鋭い(するど )感覚を味わわなければなんにもならないという人がある。こういう人はとかくに案内書や人の話を無視し、あるいはわざと避け(さ )たがる。便利と安全を買うために自分を売る事を恐れる(おそ  )からである。こういう変わり者はどうかすると万人の見るものを見落としがちである代わりに、いかなる案内記にもかいてないいいものを掘り出す(ほ だ )機会がある。

(寺田寅彦(とらひこ)「案内者」より)
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長文 2.1週 reのつづき
 1現代はアイデンティティ不定の時代といわれている。私はなにものか。私は何をして生きていけばよいのか。どうすれば自分らしさを発見できるのか。これらの問いは青年期につきものだが、最近では、青年期に限らず、およそライフステージのどこにおいても、このような問いにつきまとわれることが多い。
 2近代社会は、前時代の共同性を解体させ、一人の個人がある具体的な共同体に属することの内的な意味を希薄(きはく)化させた。それが、私たちのアイデンティティ不定の大きな要因として関係している。3それは同時に、私たちの社会において「大人である」とか「大人になる」とかいうことが、何を指すのかがはっきりしないことをも意味する。
 なぜならば、かつては、大人になることは、端的(たんてき)に、個人が自分の属すべき共同体の一員としての資格を得ることを意味していたからである。4共同体があるひとつの精神のもとに統一性を保っていれば、大人であることの意味はおのずから決まってきた。したがって大人になることは、その共同体の核(かく)をなしている精神を心身両面において理解し、それを自分が生きていくための基本の型として承認することを意味していた。
 5よく知られているように、近代以前の社会には、それぞれの社会の要請(ようせい)に見合った何らかの通過儀礼(ぎれい)が存在した。子どもと大人はこの儀式(ぎしき)によってはっきりと分けられていた。6たとえば、わが国の武家社会における元服の儀式(ぎしき)は、それを最もよく象徴(しょうちょう)している。一定の年齢(ねんれい)になると、男子は幼名を廃(はい)し烏帽子(えぼし)名をつけ、服を改めて、髪(かみ)を結いなおしたりさかやきを剃っ(す )たりした。
 7ところが近代は、子どもから大人への変化期からこの単純な境目を取り払い(と はら )、代わりに「教育課程」という、長い射程をもったシステムをあてがうことにした。いうまでもなく、学校制度がその機能を果たすことになったのである。
 8「教育課程」は、節目のはっきりしないたいへん間延びしたプロセスである。それは、人間はだんだんと段階的に成長していって大人になるものだというイメージを私たちのなかに知らず知らずのうちに植えつける。9近代の教育制度は、自分がどこで大人になったのかという自覚を曖昧(あいまい)なものにさせる効果を持っていたのである。
 一方では、いま述べた認識と一見矛盾(むじゅん)する次のようなこともいわれている。
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 0近代以前には、子ども期と呼べるような時期は存在せず、子どもはみな小さな大人であった。幼児期をすぎると、ごく早い時期から子どもは大人の集団に仲間入りして、かれらの話や行動のなかから見よう見まねで大人社会の規範(きはん)やそのありさまを学び、明瞭(めいりょう)に問題化されることとひそやかに語られることとの区別などを身につけるようになっていった。(中略)
 ところが近代になって、資本主義的生産が飛躍(ひやく)的な発展を遂げる(と  )に従い、一人の生産者が複数の消費者を養えるようになると、「家族」が、一般(いっぱん)世間から明瞭(めいりょう)な輪郭(りんかく)をもって成立するようになった。
 この、一般(いっぱん)世間からの家族の明瞭(めいりょう)な自立が、年少の人々を内部に囲い込み(かこ こ )、そこに子ども期と呼ベるような独立した時期を誕生させた。人間の成長・成熟にとって、家族生活の重要性が浮かび上がる(う  あ  )ようになった。(中略)
 それまでは、子どもは生むにまかせ、大した配慮(はいりょ)もなく育つにまかせていた。子どもは、家族の内側と外側のはっきりしない境界線を、早くから行き来していた。そして、親から身体的な意味で自立できるようになるごく早い年齢(ねんれい)段階から生産にかり出され、大人の世界に参加させられていた。
 ところが、ある時期から、人々は、子どもをまさに子どもとして「大切に」あつかうようになった(あつかいが実質的に少なくなったのかどうかという判断の尺度にはならない)。フィリップ・アリエスのいう「十七世紀までは子どもは小さな大人にすぎなかった。子ども期は近代になって発見されたのだ」という有名なことばはそういう意味である。
 したがって、両方の認識は矛盾(むじゅん)するのではなく、同じ一つのことを異なる二つの側面から観察したものと考えるべきだ。要するに、子どもと大人との間に単純に荒々しく(あらあら  )引かれていた境界線が取り払わ(と はら )れ、それまでは半ばどうでもいいものとして無造作に考えられていた子どもが、もっと細心な視線を注がなければならない存在として、大人たちの意識のなかにクローズアップされてきたのである。そしてその結果、子ども期は、いくつかの段階を抱え(かか )持ちつつ、次第に大人になってゆく、「過程的な」存在とみなされるに至ったのである。

(小浜(こはま) 逸郎(いつお)「大人への条件」による)
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a 長文 2.2週 re
 1私の英語力はほとんど中学三年間の教育に依拠(いきょ)している。高校時代に覚えた難しい単語は記憶(きおく)の彼方(かなた)へ霧散(むさん)してしまったし、大学時代の英語教育はなきに等しかった。大学にはLL教室があったけれども、テレビモニターを相手におうむ返しに発声するという行為(こうい)の単純さと滑稽(こっけい)さには耐え難い(た がた )ものを感じた。2現代小説を読むリーディングの授業は他力本願で何も身につかなかった。一番ひどかったのがアメリカ人講師による会話のクラスだ。これにはどうしてもなじむことができなかった。その主な理由は、講師の「笑顔」にあった。3金髪(きんぱつ)の彼(かれ)は、授業の間中、表情豊かに微笑(びしょう)しつつ頻繁(ひんぱん)に学生たちに語りかけていた。たいてい私はうつむいて、机の下で爪(つめ)をいじったりしながらそれを聞いていた。それがいけなかった。
 4視線を落として指先のあたりを見つめるのは「意識を集中して何かを聞く」ときの私の定型ポーズにすぎないのに、彼(かれ)にかかると、それは授業に対する「不満の表明」とみなされる。しょっちゅう机の脇(わき)に来ては、「何か問題がありますか?」「具合でも悪いのですか?」と尋ね(たず )られてうっとうしいことこの上ない。5私は無表情に首を振る(ふ )。「別に、何もありません」心の中では思っていた。おかしくもないのにあなたみたいに笑っちゃいられないわよ。馬鹿(ばか)じゃないんだから……。そうこうする間に私の英語力は息絶えた。
 6それから十年以上が経った昨夏、女子大生の語学研修に同行してアイオワ州のある私大へ行った。私自身は英語のレッスンに参加したわけではなかったけれども、ひと月近く滞在(たいざい)するうちに、あちらの教授陣(じん)とかなり緊密(きんみつ)な付き合いをすることになった。7なにしろ、朝昼晩の食事が一緒(いっしょ)である。毎日、レッスンの前後にあちこちへ案内され、週末には自宅へ招待される。それはもう逃げ場(に ば)もなく英語攻め(ぜ )ということでもあり、苦しさ半分有り難さ半分といった日々。苦しさの方は、言葉が頭の中に渦巻く(うずま )ばかりで口から発射されないことだ。8だいたいすれ違う(  ちが )たびに見知らぬ人と挨拶(あいさつ)を交わすという習慣からして私にはつらい。にっこり笑って、「ハーイ」というだけのことにどっと疲れ(つか )てしまう。
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 有り難さの方は彼ら(かれ )のあふれるホスピタリティに触れ(ふ )たことだ。9アルバイトの学生から役付きの偉い(えら )教授までが、私の日常の細やかな部分に気を遣っ(つか )てくれる。立場が逆だったら、こうまでは出来ない。「笑顔」である。彼ら(かれ )は揃い(そろ )も揃っ(そろ )てにこやかな人々だった。いつ会ってもキゲン良さそうに微笑ん(ほほえ )でいる。0ほとんど朝から晩まで笑っているのかと思うほどだ。もしかすると表情筋が笑顔に固定されているのかもしれないとさえ思った。陽気な奴ら(やつ )なんだ、きっと。笑顔の民族なんだな。ある時私は見てしまったのだ。今までにこやかに笑顔を振りまい(ふ   )ていた教授が、一人になったとたん、考え深げな、どことなく徒労感の漂う(ただよ )表情に戻る(もど )のを。彼(かれ)はふと、まだ傍ら(かたわ )に私がいるのに気づいたけれども、再び同じテンションの笑顔に持っていくまでには驚く(おどろ )ほど時間がかかった。その時、彼ら(かれ )の笑顔が意識的な努力の賜物(たまもの)であることを私は悟っ(さと )た。
 彼ら(かれ )は実に意識的な人々だった。明快な価値観を持ち、一瞬(いっしゅん)一瞬(いっしゅん)を選択(せんたく)し、行動に移す。笑うべきだと思うから笑うということだ。たとえ一番気が抜ける(ぬ  )はずの家庭でさえ、意志の力で支えていかなければあっという間に瓦解(がかい)するという厳しい認識が、日常の些細(ささい)な行為(こうい)の背後にも痛いほどに感じられる。現実は厳しく、それを乗り越える(の こ  )ためには強靭(きょうじん)な意志力と行動が必要なのだ。
 その厳しい現実の一つがきっと理解不可能な他者の存在なのだろう。ひと月の間に、さまざまな場所でさまざまなアメリカ人とすれ違う(  ちが )うちに、私は一つの妄想(もうそう)を抱く(いだ )ようになった。「向こうから知らない人が歩いてくる。言葉は通じそうにない。何か誤解されたらナイフを突き付け(つ つ )られるかもしれない。ピストルだったら即死(そくし)だ」そのような心理的風土のもとでなら、過剰(かじょう)だろうがなんだろうが誤解の余地もないほどに微笑ん(ほほえ )で敵意のないことを相手に示そうとするだろう。相手もそうするだろう。摩擦(まさつ)を起こさず、安心してくらせる市民社会の、それがルールになるだろう。
 ここにいたって、その昔、苦手だった英会話のクラスで何が起こ
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長文 2.2週 reのつづき
っていたのか、私はようやく理解した気がするのだ。こういう国から来た人ならば、うつむくばかりでコミュニケーションの努力を怠っ(おこた )た私には苛立っ(いらだ )たはずだ。今思えば、彼(かれ)もまた強靭(きょうじん)な意志力によって精一杯(せいいっぱい)私たちに微笑み(ほほえ )かけていた。こちらが無表情だった分、彼(かれ)の微笑み(ほほえ )は過剰(かじょう)になるのかもしれなかった。英語表現の基礎(きそ)は語彙(ごい)でも構文でもなく、伝えようとする意志、微笑む(ほほえ )その姿勢だと教えていたのかもしれなかった。
 アメリカ人は、あんなに毎日一生懸命(いっしょうけんめい)に生きていて疲れ(つか )ないのだろうか。
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a 長文 2.3週 re
 1大相撲(おおずもう)をはじめて見にいったとき、びっくりしたことがある。それは、取り組み中、観客席が四六時中ざわざわしていて、呼び出しから仕切り、立ち会い、組み合い、そして勝負までのしだいに盛り上がっていくはずの緊迫(きんぱく)感がぜんぜんないということだ。2それどころか、そもそも立ち会いの瞬間(しゅんかん)も注意をこらしていないと、すぐ見逃し(みのが )てしまい、眼を上げたら勝負は終わっていた、ということもしばしばだ。3テレビの相撲(すもう)中継(ちゅうけい)では、懸賞(けんしょう)の提供者紹介(しょうかい)や客の呼び出しなどの館内放送や観客席のざわめきは遮断(しゃだん)されていて、制限時間いっぱいになってから観客の声援(せいえん)を入れるよう演出してあるから、下のほうの取り組みでさえ、一抹(いちまつ)の緊張(きんちょう)感がただようわけだ。4ではなぜ館内がざわついているのか。答えはかんたんだ。一枡(ます)四人食べ物を拡げ、酒やビールを呑み(の )ながら、声をひそめることもなくおしゃべりに興じているからだ。食べながら見る、見ながらしゃべる。取り組み表の紙をばしゃばしゃさせて、勝敗を記入する。5あいだに前をひっきりなしにお茶屋のひとが食事やお茶やみやげ物を運ぶ。ざわついて当然だ。(中略)
 演ずる者と見る者、つまり演じられている舞台(ぶたい)とそれを鑑賞(かんしょう)する観客とを空間的に分離(ぶんり)すること、そういう制度になれてしまうと、大相撲(おおずもう)とか歌舞伎(かぶき)の楽しみかたに、はじめはとまどう。6けれども、今わたしたちが劇場やコンサートホールで入場券を買って鑑賞(かんしょう)する西洋の演劇や音楽にしたって、もともとは人びとでなんとなくざわついている宮廷(きゅうてい)の庭や居間で、あるいは街の芝居(しばい)小屋や路上で、催し(もよお )として行われていたわけで、必ずしも純粋(じゅんすい)な鑑賞(かんしょう)の対象であったわけではない。7渡辺(わたなべ)裕(ひろし)によれば、たとえば十八世紀の演奏会は極端(きょくたん)な言い方をすると「音楽のあるパーティー」といった趣(おもむき)の社交の場だったようで、客のおしゃべりがうるさくて、声楽曲を聴く(き )場合は歌詞を印刷したプログラムが配られることもあったそうである。
 8「おしゃべりだけではない。聴衆(ちょうしゅう)は演奏中にさまざまな「副業」を行っていた。ツェルターは後に一七七四年のベルリンでのコ
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ンサートの回想の中で、「無数のパイプから立ち上った煙草(たばこ)の煙(けむり)のもやの中で指揮をすることは容易ではなかったろう」と述べている。9また一七八四年のエアフルトでの演奏会の記録によれば、ビールや煙草(たばこ)が認められていただけでなく「とりわけ音楽が好きでない人々は気晴らしにトランプをやっており、ご婦人方は徐々に(じょじょ )そちらに加わっていった」。0フランクフルトのコンサート協会が一八〇六年に定めた規則に「犬を連れてくることは禁止」と書かれていたというのも興味深い。そんなことをわざわざ断らなければならないというのは、そういうことを何とも思っていない輩(やから)がいたということのあらわれである。(渡辺(わたなべ)格「聴衆(ちょうしゅう)の誕生」)」
 じっと息をこらして、作品の世界にひたりきるという「集中的聴取(ちょうしゅ)」の思想はまだなかったわけである。いま、たまたま思想ということばを使ったが、居ずまいを正して作品に集中するというような聴取(ちょうしゅ)の態度はかならずしも自明のものではなく、「芸術の享受(きょうじゅ)」あるいは「作品の鑑賞(かんしょう)」という一つの思想をバックボーンとして、制度化されてきた態度にほかならないということである。そしてそのために、演ずる者、演奏する者と見る者、聴く(き )者とを空間的に分割する装置が、劇場やコンサート・ホールとして建造されたのだ。
 「隔たり(へだ  )」ということが、ここでポイントとなる。演ずる者、演奏する者と見る者、聴く(き )者、つまりは、見られるものと見るものとを空間的に分離(ぶんり)する装置のなかで、二つの距離(きょり)が発生する。主体と対象との隔たり(へだ  )と、主体と唯(ただ)の主体との隔たり(へだ  )である。
 見る主体と見られる対象との隔たり(へだ  )は、芸術の場合、「鑑賞(かんしょう)」という概念(がいねん)と連動している。愉し(たの )みの「享受(きょうじゅ)」というよりもむしろ、距離(きょり)を隔て(へだ )て「鑑賞(かんしょう)」すべき客体として「芸術作品」が主体から空間的に分離(ぶんり)されていくそのプロセスを支配していたのは、近代芸術における「美の自律性」という考えかた、「美」はそれ自体としての独立の価値をもつという考えかただ。「芸術作品」は、それが創られた時代や環境(かんきょう)を超え(こ )た独自の「美的」世界をもつ。それが置かれた状況(じょうきょう)、あるいはそれを前にした鑑賞(かんしょう)者によって価値
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長文 2.3週 reのつづき
を変えるなどということは、本来、「芸術作品」にとってありえないことなのだ。そのためには、これらの作品は味覚とか嗅覚(きゅうかく)、触覚(しょっかく)といった、そのつどの状況(じょうきょう)によって感覚内容が変化するような「低級」な感覚に支えられるようなものであってはならない。そうではなくて、視覚や聴覚(ちょうかく)のような、距離(きょり)をおいた感覚、対象と接触(せっしょく)したり混じりあったりすることのない「普遍(ふへん)的な感覚」によって支えられるのでなければならない、とされるのである。
 さて「隔たり(へだ  )」のもう一つの意味は、他者との隔たり(へだ  )ということである。たとえばコンサートでも演劇でも、開演にあたってまず客席の照明が落とされる。これはまずは、見るものと見られるもの、演奏するものと聴く(き )ものとを空間的に分離(ぶんり)するためもあるが(客席を暗くすることで、演奏家や俳優は自分は見る人ではなく見られるばかりの人になり観客は見られることなく見るだけの人になる)、同時に、まわりにいる他の人間たちから個人を分離(ぶんり)し、隔離(かくり)するためのものでもある。観客が、他人にじゃまされることなく、個人として作品鑑賞(かんしょう)に集中できるよう、作品世界に投入できるように、照明が落とされるのだ。だから建物は、純粋(じゅんすい)に「作品」の世界だけに集中できるよう、周囲の騒音(そうおん)を遮断(しゃだん)する構造になっているし、観客は観客で、持ち物、パンフレット、咳払い(せきばら )などで余計な物音を立てることのないよう注意しなければならないのである。
 一九六〇年代に音楽や演劇や美術の世界に起こった反逆、例えば演奏中に客が絶叫(ぜっきょう)するようなライヴ演奏とか、観客を演劇の中に巻き込み(ま こ )、ストーリー展開のなかに偶然(ぐうぜん)的な要素をどんどん導入していくハプニングなどのパフォーマンスやテント小屋の実験演劇(路上で予告なしに劇が開始されることもあった)、アクションペインティングなどは、まさにこのような近代の「芸術鑑賞(かんしょう)」という制度そのものに攻撃(こうげき)の照準を合わせていたのであった。

 (鷲田(わしだ)清一)
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a 長文 2.4週 re
 その翌日であった。母親は青葉の映りの濃く(こ )射す縁側(えんがわ)へ新しい茣蓙(ござ)を敷き(し )、俎板(まないた)だの包丁だの水桶(おけ)だの蠅帳(はいちょう)だの持ち出した。それもみな買い立ての真新しいものだった。
 母親は、自分と俎板(まないた)を距()てた向こう側に子供を坐ら(すわ )せた。子供の前には膳(ぜん)の上に一つの皿を置いた。
 母親は、腕(うで)捲り(めく )して、薔薇(ばら)いろの掌(てのひら)を差し出して手品師のように、手の裏表を返して子供に見せた。それからその手を言葉と共に調子づけて擦り(こす )ながら云っ(い )た。
「よくご覧、使う道具は、みんな新しいものだよ。それから拵える(こしら  )人は、おまえさんの母さんだよ。手はこんなにもよくきれいに洗ってあるよ。判ったかい。判ったら、さ、そこで――」
 母親は、鉢(はち)の中で炊き(た )さました飯に酢(す)を混ぜた。母親も子供もこんこん噎せ(む )た。それから母親はその鉢(はち)を傍ら(かたわ )に寄せて、中からいくらかの飯の分量を掴み(つか )出して、両手で小さく長方形に握っ(にぎ )た。
 蠅帳(はいちょう)の中には、すでに鮨(すし)の具が調理されてあった。母親は素早くその中からひときれを取り出してそれからちょっと押さえ(お  )て、長方形に握っ(にぎ )た飯の上へ載せ(の )た。子供の前の膳(ぜん)の上の皿へ置いた。玉子焼鮨(すし)だった。
「ほら、鮨(すし)だよ。おすしだよ。手々で、じかに掴ん(つか )で喰()べても好いのだよ」
 子供は、その通りにした。はだかの肌(はだ)をするする撫で(な )られるようなころ合いの酸味に、飯と、玉子のあまみがほろほろに交ったあじわいが丁度舌一ぱいに乗った具合――それをひとつ喰()べてしまうと体を母に拠り(よ )つけたいほど、おいしさと、親しさが、ぬくめた香(こう)湯のように子供の身うちに湧い(わ )た。
 子供はおいしいと云う(い )のが、きまり悪いので、ただ、にいっと笑って、母の顔を見上げた。
「そら、もひとつ、いいかね」
母親は、また手品師のように、手をうら返しにして見せた後、飯を握り(にぎ )、蠅帳(はいちょう)から具の一片(ひとき)れを取りだして押しつけ(お   )、子供の皿に置
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いた。
 子供は今度は握っ(にぎ )た飯の上に乗った白く長方形の切片を気味悪く覗い(のぞ )た。すると母親は怖く(こわ )ない程度の威丈高(いたけだか)になって、
「何でもありません。白い玉子焼きだと思って喰()べればいいんです」
といった。
 かくて、子供は、烏賊(いか)というものを生まれて初めて喰()べた。象牙(ぞうげ)のように滑らか(なめ  )さがあって、生餅(もち)より、よっぽど歯切れがよかった。子供は烏賊(いか)鮨(すし)を喰()べていたその冒険(ぼうけん)のさなか、詰め(つ )ていた息のようなものを、はっ、として顔の力みを解いた。うまかったことは、笑い顔でしか現さなかった。
 母親は、こんどは、飯の上に、白い透きとおる(す    )切片をつけて出した。子供は、それを取って口へ持って行くときに、脅かさ(おびや  )れるにおいに掠め(かす )られたが、鼻を詰まら(つ  )せて、思い切って口の中へ入れた。
 白く透き通る(す とお )切片は、咀嚼(そしゃく)のために、上品なうま味に衝き(つ )くずされ、程よい滋味(じみ)の圧感に混じって、子供の細い咽喉(いんこう)へ通って行った。
「今のは、たしかに、ほんとうの魚に違い(ちが )ない。自分は、魚が喰()べられたのだ――」
 そう気づくと、子供は、はじめて、生きているものを噛み殺し(か ころ )たような征服(せいふく)と新鮮(しんせん)を感じ、あたりを広く見廻し(みまわ )たい歓び(よろこ )を感じた。むずむずする両方の脇腹(わきばら)を、同じような歓び(よろこ )で、じっとしていられない手の指で掴み(つか )掻い(か )た。
「ひ、ひ、ひ、ひ、ひ」
 無暗に疳高(かんだか)に子供は笑った。母親は、勝利は自分のものだと見てとると、指についた飯粒(めしつぶ)を、ひとつひとつ払い(はら )落としたりしてから、わざと落ちついて蠅帳(はいちょう)のなかを子供に見せぬよう覗い(のぞ )て云っ(い )た。
「さあ、こんどは、何にしようかね……はてね……まだあるかしらん……」子供は焦立(いらだ)って絶叫(ぜっきょう)する。
「すし! すし!」
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長文 2.4週 reのつづき
 母親は、嬉しい(うれ  )のをぐっと堪(こら)える少し呆(とぼ)けたような――それは子供が、母としては一ばん好きな表情で、生涯(しょうがい)忘れ得ない美しい顔をして、
「では、お客さまのお好みによりまして、次を差し上げまあす」
 最初のときのように、薔薇(ばら)いろの手を子供の眼の前に近づけ、母はまたも手品師のように裏と表を返して見せてから鮨(すし)を握り(にぎ )出した。同じような白い身の魚の鮨(すし)が握り(にぎ )出された。
 母親はまず最初の試みに注意深く色と生臭(なまぐさ)の無い魚肉を選んだらしい。それは鯛(たい)と比良目であった。
 子供は続けて喰()べた。母親が握っ(にぎ )て皿の上に置くのと、子供が掴み(つか )取る手と、競争するようになった。その熱中が、母と子を何も考えず、意識しない一つの気持ちの痺れ(しび )た世界に牽き(ひ )入れた。五つ六つの鮨(すし)が握ら(にぎ )れて、掴み(つか )取られて、喰()べられる――その運びに面白く調子がついて来た。素人の母親の握る(にぎ )鮨(すし)は、いちいち大きさが違っ(ちが )ていて、形も不細工だった。鮨(すし)は、皿の上に、ころりと倒れ(たお )て、載せ(の )た具を傍ら(かたわ )へ落とすものもあった。子供は、そういうものへ却って(かえ  )愛感を覚え、自分で形を調えて喰()べると余計おいしい気がした。子供は、ふと、日頃(ひごろ)、内しょで呼んでいるも一人の幻想(げんそう)のなかの母といま目の前に鮨(すし)を握っ(にぎ )ている母とが眼の感覚だけか頭の中でか、一致(いっち)しかけ一重の姿に紛れ(まぎ )ている気がした。

(岡本(おかもと)かの子「鮨(すし)」)
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a 長文 3.1週 re
二番目の長文が課題の長文です。
 1先進国の後を追いかける途上(とじょう)国経済と、世界の先頭を走る先進国経済のもっとも重要な差は何かというと、「途上(とじょう)国経済では物まねができたけれども、先進国経済では自分で新しい知識を創造しないとそれ以上の発展ができない」ということである。2途上(とじょう)国の有利な点は、第一に、先進国モデルが存在し、容易に産業化のための目標がみいだせること、第二に、先進国から技術を導入できること、そして第三に、賃金など全体的なコストが先進国に比べて有利であることなどである。
 3このような有利性が存在しているかぎり、自らオリジナルな技術や知識を創造する必要性はそれほど高くない。先進国から使える技術を輸入し、それに安い賃金の勤勉な労働力を張り付けるだけで競争力を身につけることはできるだろう。4もっとも、これとてどこの国にでもできるほど簡単なことではないが、日本や現在急成長中の東アジア諸国はいずれもこのシナリオで成功してきた。
 しかし、日本についていえば、これらの好条件はすべて消滅(しょうめつ)したといってよいだろう。5十年ほど前に、日本経済は歴史的なコスト条件の逆転を経験した。またインプット拡大による成長にも人口の高齢(こうれい)化、労働力人口の減少、貯蓄(ちょちく)率の低下などの理由から多くを期待することはできない。6その結果、日本は先進国の宿命すなわち自らの行く先を自らの創意工夫で切り開かなければならないという宿命を、好むと好まざるとにかかわらず背負うことになったのである。
 7日本の社会経済体制は、欧米(おうべい)に追いつき、追い越す(お こ )という明治以来の国策にそって形成されてきた。たとえば、日本の教育制度は欧米(おうべい)の先進的知識を詰め込む(つ こ )ことを目指して発達してきた。これはすばらしい戦略であった。8欧米(おうべい)と日本の間に、科学技術や近代思想などの点で大きな知識のギャップがあったのだから、まずはこのギャップを一刻も早く埋める(う  )ことが必要であったし、そうすることがキャッチアップを効率的に進める唯一(ゆいいつ)の方法であった。
 9しかし、日本がキャッチアップを終えた今となっては話は変わってくる。外来の知識を学ぶだけでは必ずしも独創的な知識は生まれない。日本の学校教育(とくに義務教育)はすばらしいという説があるが、それは少なくとも今日的観点からはとんでもない誤解である。0たしかに、先進国に追いつく目的のために、先生が生徒に
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知識の押し売り(お う )、詰め込み(つ こ )を強要することは理にかなっていたかもしれない。いや、欧米(おうべい)との巨大(きょだい)な知識ギャップを一刻も早く埋める(う  )ためには、大車輪で知識の吸収に努めなければならないことは当然であった。知識吸収を急ぐあまり、時に青年たちの独創性、オリジナルなものの考え方を育成するもうひとつの教育の重要な役割が多少なおざりにされたとしても、それはある意味ではやむをえなかったことといえるかもしれない。
 しかし、今日のように、自ら価値を創造することが要求される時代になっても、教育システムが本質的な意味で何も変わっていないとすればそれは大きな問題であろう。最近の教育改革論議は当然のことながらこのような観点からなされることが多い。しかし、教育の現場では、相変わらず先生が大教室で黒板に知識を羅列(られつ)し、日本的な意味での「優秀(ゆうしゅう)な」生徒は、試験のときにそれを正確に再現することを要求されている。生徒の能力差や、興味の所在などは無視し、とにかく上から与え(あた )られた課題を、先生が決めたスピードでこなしていくことが「優秀(ゆうしゅう)な」生徒の絶対的条件である。極度に一律化された教育風景である。
 日本の教育現場で自分の頭で考えた独自の意見を前面に押し出す(お だ )ことが高得点につながるという話はおよそ聞いた試しがない。試験では先生が正解と認定する答を書くことが得策であって、先生の頭になかったようなユニークな答を尊重する風潮はない。生徒は一定の枠(わく)のなかで発想する習慣をたちまち身につけてしまう。このように「優秀(ゆうしゅう)な」生徒はいくつかの入試を経て、完璧(かんぺき)なまでに「知識吸収型」の枠(わく)にはまった答しかできない受動的人間になってしまう。

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長文 3.1週 reのつづき
 1今日では、道徳的共同体をつぶしてきた法的社会がふつうの社会となり、国家となっている。しかし、今日、共同体が完全につぶされたわけではない。豪族(ごうぞく)など大きな共同体はすでにつぶされてしまっているが、依然として(いぜん   )最小単位共同体の家族は残っている。2そして一方、共同体意識の方は、今も人々の間にしぶとく生き続けてきている。
 共同体の本質は感覚であるから、理屈(りくつ)、理論すなわち知よりも情が尊ばれる。漱石(そうせき)の言う「智(ち)に働けば角が立つ」わけである。3しかし、法が現代の社会を動かすものとなっていることを認めざるをえないから、「情に流されまい」とする努力が必要となる。この両者の間をゆれているのが、現代の人間である。
 しかし、孔子(こうし)はそうではなかった。4彼(かれ)が生きていた時代は、法が登場しはじめたころであり、当時、法優先は異端(いたん)の思想であった。それは、共同体という体制の根幹をゆるがす「悪の思想」とみなされていたのである。孔子(こうし)はその「悪」の摘発(てきはつ)者であった。こういう話がある。
 5晩年、おそらく六十代も半ばを越え(こ )たころ、孔子(こうし)は為政者(いせいしゃ)としての地位を求めて、諸国を流浪(るろう)していた。あるとき、葉(しょう)という小さな街に立ち寄ったらしい。この街は、南方の強国であった楚(そ)国の一行政地区である。その街の長官の葉(しょう)公が、孔子(こうし)にこう言った。6自分の街に「直躬(ちょくきゅう)」(正直者の躬(きゅう))という仇名(あだな)の者がいる。その父親が羊を盗ん(ぬす )だとき、その子は父の犯罪を隠さ(かく )ないのみならず、盗ん(ぬす )だことの証言をした、と。
 ところが孔子(こうし)は言い返した。私の仲間の「直」という仇名(あだな)の男の行動は違い(ちが )ます。7「父は子のために(子の犯罪を)隠し(かく )、子は父のために(父の犯罪を)隠す(かく )。直(の本当のありかたは)、その中に在り」と。
 この問答を読んだとき、現代人のわれわれの大半は、おそらく葉(しょう)公の言い分、すなわち父といえども犯罪者は法の裁きを受けるべきであり、証言に立つ子の立場を正しいとするであろう。8それは人間社会における法優先の立場である。近代国家では、それが正
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しい、善いことである。
 しかし、前述のように、孔子(こうし)のころは、まだ各種共同体が現実に機能していた時代である。仮に犯罪が起っても、共同体でそれを裁く長老は、いろいろと事情を考えて罰(ばつ)を決める。9時には、罪として公にしないで、事件を闇(やみ)から闇(やみ)へと処理するだろうし、時には、皆(みな)への見せしめに、窃盗(せっとう)程度でも死刑(しけい)にすることすらある。そのように裁量のはばが広い。その罰(ばつ)を決めるのは、共同体をリードする道徳にどのようにそむいているかという点においてである。
 0だからたとえば共同体の有力者が、明らかに罪を犯し、裁かれるとき、その有力者の犯罪の証言を拒否(きょひ)する部下は、法優先の公の立場からは指弾(しだん)されても、同じ共同体メンバーの立場からは、逆に賞賛を受けることであろう。このように、法的社会と道徳的共同体との関係は、いまもってなかなか善悪の判断のむつかしい問題を抱え(かか )ているのである。
 秦(しん)の始皇帝(しこうてい)を代表者として、中国古代の秦(しん)・漢帝国(ていこく)が成立したころ、法的社会を作ろうとする側と、従来からの道徳的共同体とは、至るところで衝突(しょうとつ)を起こしたのである。まして、法がしだいに社会的に認知されつつあった春秋時代、すなわち孔子(こうし)が生きていた時代では、法は、共同体側から見れば、自分たちの体制を崩す(くず )悪であるとするのが常である。各種共同体が機能しなくなってしまった現代では、法的処理の間にはさみこまれる共同体的処理が、逆に不正なこと、悪であるとされる。たとえば、今日、老父の罪を見逃し(みのが )てもらうために、贈賄(ぞうわい)すれば、どうなるか。子は罪を犯すことになる。しかし、老父を捕え(とら )た検事や警察の側が、その父を老人であるがゆえに、その罪を公にしないとすると、一転して、温情ある処置として美談となる。共同体的感覚による行為(こうい)である贈賄(ぞうわい)と美談とは紙一重の差なのである。
 このように、法的社会が形成されて以後、共同体との関係というやっかいな問題を人間は抱えこん(かか   )できて今日に至っており、いまなおその解決方法に苦しんでいる。
 さて、共同体の指導原理は、道徳であるから、指導者はその条件
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長文 3.1週 reのつづき
として道徳性を身につけなくてはならない。ちょうど、法的社会の指導原理が法であり、指導者はその条件として、法を守りかつ政策能力を身につけなくてはならないのと同じように。あえて言えば、共同体社会は規模が小さく、前例主義なので、新しい政策の立案といったようなことはあまりなかった。
 この道徳的指導者は、法のように強制するのではなくて、しぜんと見習わせて、人々を感化することになる。 だから孔子(こうし)は葉(しょう)公に対して、「近き者(近くの人々)は説び、遠き者(遠くの人々)は(慕い(した ))来る」と述べている。これが道徳政治というものの姿である。
 すなわち「共同体→共同体のきまり(慣習)→道徳」という体系に合わせて「共同体の指導者→共同体のきまり(慣習)の熟達者→道徳的完成者(聖人)」という図式を考えだしたのである。そして道徳的完成者(聖人)を最高指導者とし、その人の道徳に感化され教化される政治を道徳政治(徳治政治)としたのである。これは、「法的社会→法的社会のきまり→法」に基づく「法的社会の指導者→法的社会のきまりの実行者や政策プランナー」という図式による法的政治(法治政治)と鋭く(するど )対立する。
 前者の道徳政治を主張したのが、儒家(じゅか)であり、その組織的理論化や、理論的指導を行なった最初の人が孔子(こうし)であった。
 後者の法的政治を主張したのが、孔子(こうし)よりずっと後に出てきた法家(ほうか)(たとえば韓非子(かんぴし))であり、その方式に基づく大政治家が、秦(しん)王朝を建てた始皇帝(しこうてい)である。

 (「論語を読む」加地伸行(のぶゆき)より)
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 1イロリの社交は、家族結合の社交であった。一家団欒(だんらん)ということばは言うまでもなく家族がおなじ火をかこんでいることを指した。ひとつの火を通じて心がかよいあう。そういう不思議な力を火はもっていた。家族だけではない。2客人もまた、おなじ火をかこむことで、他人ではなくなる。火は人間を近づけるのである。若者たちが夏の山や海で火を燃やしてひらくファイヤー・ストームなども、まさしく火による人間結合の現代的なあらわれのひとつであろう。
 3イロリの社交には、秩序(ちつじょ)があった。よく知られているように、イロリの四辺には誰(だれ)がどうすわるかについての約束事がある。土間に面していちばん奥(おく)の辺は横座である。そこには戸主以外の人間がすわってはいけない。4横座からみて左がわの辺にすわるのは主婦によって代表される家の女たちである。この座席はカカ座などと呼ばれる。そして客人の席、すなわち客座は横座からみて右、横座の正面は使用人や場合によっては嫁(よめ)の座る下座――そんなふうに席の割りふりがきまっていたのである。5こんにち、比喩(ひゆ)的に、たとえば「主婦の座」というようなことばが使われるのは、このようなイロリの座の割りつけから延長されたものだと考えてよいだろう。
 それぞれの座がきめられ、冬の夜などイロリをかこんで世間話がつづく。6火を共有しているという事実が、そして、ときにはバチバチと音をたてて燃える炎(ほのお)が、いわばその世間話の背景音のようなものになる。火は、家庭の健在をしめす象徴(しょうちょう)なのでもあった。
 これとまったくおなじことが、西洋でも考えられる。7かつてマーガレット・ミードはフランス文化を論じて、フランス文化の基本になっているモチーフはFoyerであるといった。このフォアイエというのは、一家団欒(だんらん)を意味し、同時に火床(ひどこ)を意味することばだ。8同一の火床(ひどこ)ないしは暖炉(だんろ)を共有する家族の結合がかたいのである。
 フランスだけではない。ヨーロッパやアメリカの住宅で中流以上といういささかゆとりのある家にはたいてい暖炉(だんろ)がある。9そして、こんにちでは、ちゃんと中央管理暖房(だんぼう)がゆきとどいているにもかかわらず、ときどき暖炉(だんろ)に薪(たきぎ)をくべて火の共有の事実を演出するのである。じっさい、イロリと暖炉(だんろ)はその機能においてきわめて類似している。
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0もちろん、火をまんなかにしてかこむイロリと火にむかって半月型にならぶ暖炉(だんろ)とでは、社会構造は少し違う(ちが )かもしれない。だが、おなじ火のぬくもりと光を受けることのできる場を家庭の象徴(しょうちょう)とすることは、たぶん東西共通なのである。
 火が人間を接近させ、親密さを強める効果をもっていることをわれわれは直観的に知っている。ラジオが大衆化したとき、アメリカの大統領F・ルーズベルトは、定期的な「炉辺(ろへん)談話」番組で国民に親しく話しかけた。番組の題名にある「炉辺(ろへん)」ということばだけで大統領と国民はぐんとその距離(きょり)を縮めることができたのだ。(中略)
 火の共有による親密な人間関係は、調理の火を考えてみればよくわかる。「同じ釜(かま)の飯を食った」関係、というのは、遠慮(えんりょ)のない親しい関係ということだ。おなじ火で調理されたものを飲食するというのは、暖房(だんぼう)や照明の火の共有よりもさらに深い共通感覚を人間たちに与える(あた  )。
 カマドをわける、あるいは別火にするというのは、人間のまじわりの単位をわける、ということである。調理の火の共有、それは人間をつなぐ基本的に重要な文化項目(こうもく)であった。
 この点でも、日本文化はいろんな工夫を凝らし(こ  )、それに美的洗練をあたえつづけてきたように思える。たとえばさまざまな鍋(なべ)料理。それは、人間が共通の火で調理されたものをわかちあうことで親密さをつくりあげてゆくためのすばらしい知恵(ちえ)であった。
 茶の湯もまた、ある意味で火の共有を象徴(しょうちょう)する社交の形態であった。小さな風炉(ふろ)とカマ、そこからまさしく茶の湯がうまれる。茶会はおなじカマからつくられた、おなじ味覚を共有する深い人間関係を形成してゆくのである。暖房(だんぼう)、照明、調理、それらは、いずれも人間生活にとってきわめて実用的な火の機能である。だが、人間はそういう実用性を超え(こ )て、火を人間関係調整の手段としても展開させてきたのであつた。火の管理はたんに物理現象としての火を管理するというだけでなく、その火をめぐる人間集団の管理をもふくむものであった。

 (加藤(かとう)秀俊(ひでとし)「暮らしの思想」より)
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a 長文 3.3週 re
 1今、日本の都会では、路上でものを売る人を見かけることがほとんどない。たまにあっても、ヒッピーのアクセサリーとかワゴン・セールとか、朝市とか、いかにも特別な売り方で、ただなんとなく道端(みちばた)に立ったりしゃがみこんだりして客を待つという売り手がいなくなった。
 2順序から言うならば、常設の店ができる前は商売はみんな路上で行われていた。道は人や馬の行き来のためだけにあるのではなく、立ち話やものの売買や時には喧嘩(けんか)のための公共スペースだった。家の裏の小さな畑で出来た豆や芋(いも)を町まで運んでいって道端(みちばた)で売る。3売れたら、そのお金で、家では作れない野菜や道具類や贅沢(ぜいたく)品を買って帰る。商売はこうして始まったのだ。
 しかし、道で売っているものは時として信用できない。村の顔見知り同士ならともかく、大きな町で見知らぬ者からものを買うと、万一、それがインチキな品でも苦情を持ち込む(も こ )先がない。4今でも訪問販売(はんばい)や通販(つうはん)の類にはこの種の問題がつきまとっている。
 訪問と言えば、三十年前に見事な詐欺(さぎ)にあったことがある(どうもぼくは詐欺(さぎ)にひっかかりやすい性格らしい)。日曜日の昼ごろ、庭で草取りをしていると、威勢(いせい)のいい魚屋風の男がやってきて、道から声を掛ける(か  )。5うなぎを買わんかと言うのだ。今と違っ(ちが )て冷凍(れいとう)の蒲焼(かばやき)がいつでも手に入るわけではなく、うなぎはなかなか贅沢(ぜいたく)な食べ物だった。それが安い。たしかに安い。男は垣根越し(かきねご )に、なぜ安いかという理由を、特別のルートとか何とか、言葉巧み(たく )に話す。
 6日曜だからどこの家でも父親がいる。一つ奮発しようということになって、家族の数だけうなぎを買う。それから御飯(ごはん)を炊く(た )算段になる。この時差が大事だ(保温式の炊飯(すいはん)器はまだなかった)。買ってすぐに食べるものではこの話は成立しない。7一時間後、いよいよ白い御飯(ごはん)がどんぶりに盛られて、蒸して温めたうなぎが乗り、タレがかかってみんなの前に並ぶ。子供たちはわくわくして箸(はし)を取る。ところが、一口ほおばると、これがあなごなのだ。見た目はそっくりだが、味はだいぶ違う(ちが )。8あなごはあなごでうまい魚だけれども、うなぎに化けてはいけない。もちろん男は二度と来なかっ
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た。路上の取引には、いつもこのくらいのリスクがつきまとう。
 日本のように万事がお金本位になってしまっていない国では、まだ路上の商売は賑わっ(にぎ  )ているし信頼(しんらい)もされている。9イスタンブールでは子供たちが街頭に並んで、声を張り上げて煙草(たばこ)を売っている。それがなぜか毎日のように品が変わる。ある日は全員がケントを売っている。次の日はそれがサムソンという国産ブランドに変わる。0トルコの子供たちはよく働く。寒風の中で鼻をすすりながら、サムソンサムソンサムソンと黄色い声で呼ぶのが、今でも聞こえる。
 スーダンの煙草(たばこ)の売り方はまた違う(ちが )。首都のハルトゥームは全体が砂漠(さばく)色にくすんだ町で、その広い挨()っぽい道の脇(わき)に、煙草(たばこ)屋は黙っ(だま )て坐っ(すわ )ている。買うのはほとんど常連で、取引の単位は一本である。スーダンの人にとって煙草(たばこ)は相当な贅沢(ぜいたく)で、一度に一箱をまるごと買える者は少ない。だから、一本ずつ買う。朝、仕事にゆく途中(とちゅう)で一本買って、その場で吸う。マッチで火をつけるのは無料サービス。煙草(たばこ)屋の周囲に立ったり坐っ(すわ )たりして、本当においしそうに吸う。まわりにいい匂い(にお )の煙(けむり)が立ち込める(た こ  )。吸い終わると、元気に仕事に行く。お金に余裕(よゆう)がある時には、昼にも一本買う。
 まだ禁煙(きんえん)していなかったぼくは、ある日、この煙草(たばこ)屋から一箱買おうとした。橋を渡っ(わた )てオムドゥルマンの町までラクダ市を見に行くのに、道中で吸う分を持参するのだ。
 一度にたくさん売れば、簡単に儲かる(もう  )わけだから煙草(たばこ)屋も喜ぶだろうと思ったのだが、それはみんなが煙草(たばこ)代に困っていない国から来た者の、浅ましい考えだった。
 ぼくは、一箱は売れないと言われた。つまり、この煙草(たばこ)屋にしても、毎朝早く、その日に売る分だけを仕入れてくる。だから、ぼくが二十本も買ってしまうと、昼休みの一服を楽しみにしている誰か(だれ )の分が足りなくなる。事情を知ったぼくは、一本だけ買って、火をつけてもらい、ゆっくりとその場で吸って、橋に向かった。いい気持ちだった。

 (「インパラは転ばない」池澤(いけざわ)夏樹より)
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 要するに、ニューヨークは何もない街らしい。だから、その点、東京によく似ているといえる。実際、商店の飾り窓(かざ まど)のかざりつけだの、道路から直接二階へ上る狭い(せま )階段の入り口だの、そんな何でもない街のたたずまいの中に、ときどき「おや」と思うほど東京にそっくりの情景が眼につく。そう思って眺める(なが  )と、東京がニューヨークを真似しているのか、ニューヨークが東京を取り入れたのか、一瞬(いっしゅん)どっちがどっちだかわからなくなるようだ。私の前を、ゴムの半長靴(ながぐつ)をはいた女が一人、前かがみの姿勢で歩いて行く。踏み(ふ )荒らさ(あ  )れた舗道(ほどう)は毀れ(こわ )てデコボコだし、おまけに一週間まえに降った雪が凍りつい(こお   )たり溶け(と )かかったりして、よほど気をつけないと滑っ(すべ )てころぶか、氷まじりのヌカルミにぞっぷり足のクルブシまでつかってしまう。道の片側に高い板塀(へい)がつづき、中ではコンクリート建築の作業をやっている。間断なしに響く(ひび )重苦しい金属音。道路をうめつくしてやっと動いているタクシーや乗用車。……
 見るものは何もない(その気になれば芝居(しばい)でも、美術品でも、世界の一級品がふんだんにあるにもかかわらず)、ぼんやり休んでもいられない、そのくせ黙っ(だま )て空気を吸っているだけでも金がへって行くようなニューヨークの街は、およそ観光客には不向きのようだが、住んでみたら案外暮らし好いかもしれないと思わせるところもある。近代美術館がそうだったように、ここには伝統や権威(けんい)や際立った性格的なものは何もないかわり、外来者が眼に見えぬ圧迫(あっぱく)感を加えられることもなさそうだ。ナッシュヴィル()のようにホテルのロビーでまわり中から眺め(なが )られることもないし、どんな恰好(かっこう)をして歩いていても平気だ。黒人の男が白人の女とつれだっているのを見掛け(みか )たが、これはナッシュヴィル()では夢みたいなことだ。……朝、コーヒー・ショップで食事をしていると、眼にクマどりのある顔色の悪い女の子がドーナッツを半分だけ惜し(お )そうに食べ、あとの半分を紙ナフキンに包んで、木綿のワンピース一枚の姿で雪と氷の戸外へ、ゆっくりと出て行った。彼女(かのじょ)の痩せ(や )た肩先(かたさき)には、無残で優美な都会の無関心さが肩掛け(かたか )のようにかかっている。
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 アベイ・ホテルの地下室にはストックホルムの海賊(かいぞく)料理のレストランがある。その他、ちょっと足をはこべばヨーロッパの各国から集まった各国の料理店がそれぞれ軒(のき)を並べている。しかし前を通っても別段、どの店へ入ろうという気もしない。アメリカへ来て「戦前並み」のフランス料理を食うというのが馬鹿馬鹿しい(ばかばか  )からではなく、興味がまったくわかないからだ。それなら日本料理屋はどうかというと、最初から私はこれに最も反発を感じた。話に聞くだけでもイヤなことだと思っていた。しかし一度でも誘わ(さそ )れて入ってみると、ここには麻薬(まやく)のような吸引力がある。先月末、アメリカに着いて三日目だったが、M紙の特派員Y氏につれられて行った店で、ミソ汁(じる)を一と口すすった瞬間(しゅんかん)、私は嘘(うそ)もかくしもなく、全身から一時にシコリが脱(ぬ)けて行くのを感じた。まるで毛穴が全部ひらいて、そこから自由な空気がいっぺんに流通しはじめるみたいだった。それに給仕人に母国語で注文を発し、母国語でこたえられるのは何としても避け(さ )がたい魅力(みりょく)だ。汽車や劇場の中などで同国人に出会うと、本当のところ顔をそむけたくなる気持ちがある。それが食い物屋では逆の作用をあらわしてしまうのは、どういうわけだろう。ドルが円で呼ばれ、51 streetが五十一丁目と言いなおされるようなことを、どうしてうれしがるのかわからない。けれども腹が空いてくると、脚(あし)が自然に日本料理店の方へ向いてしいまうのである。

(安岡(やすおか)章太郎(しょうたろう)「アメリカ感情旅行」)
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