a 長文 7.1週 ri2
 柳田やなぎだ國男くにおの日記によれば、柳田やなぎだは、一九四五年八月一一日――「土よう 晴あつし」とある――に、元警視総監けいしそうかん長岡ながおか隆一郎りゅういちろうより、「時局の迫れせま る話を」、つまり終戦が近いことを知らされる。日記は、この事実を記したあと、「いよいよ働かねばならぬ世になりぬ」と、自身の決意を記した文が続く。
 この決意の結果、柳田やなぎだが戦後まもなく上梓じょうししたのが『先祖の話』である。この著作での柳田やなぎだの学問的な問題意識は、家の存続ということの信仰しんこう上の基盤きばんを明らかにすることにあった。それはさらに、戦争における死者を救済し、慰霊いれいしなくてはならないという、実践じっせん的な問題意識によって駆り立てか た られていた。「人を甘んじあま  邦家ほうかために死なしめる道徳に、信仰しんこうの基底が無かつたといふことは考へられない。さうして以前にはそれが有つたといふことが、我々にはほゞ確かめ得られるのである」。戦争による死を犬死にしてはならない、というわけである。
 だが、家の存続を支える祖れい崇拝すうはいの伝統の存在を実証することが、どうして、死者の救済になるのだろうか? 戦場に散った若者たちの死は、国のための、国体のための、もっと端的たんてきに言えば天皇や皇室のための死であった。敗戦ということは、死者たちがそれのために死んでいったものが、つまり天皇や皇国といった観念が、無意味なものへと転ずることである。つまり、天皇をその内部に位置づける万世一系の血統から、その超越ちょうえつ性が完全に奪わうば れることを意味する。このとき、死者たちの死を無価値から救済するためには、皇室や天皇家の伝統などはその一部でしかないような、もっと包括ほうかつ的で深い伝統が、日本人という「民族の自然」にはあることを実証し、その死を意味づけ直すほかない。そうして、死をあらためて意味づけるような参照わくとして柳田やなぎだが提起したのが、家の存続を支える先祖信仰しんこうである。皇室や国体のため(のみ)の犠牲ぎせいと見れば、若者たちの死や彼らかれ を戦場へと送り出した戦前・戦中の日本人の行動は、無価値だったとしか解釈かいしゃくできない。しかし、彼らかれ が守ろうとしたのは、敗戦によって失われることのない家であり、それゆえ彼らかれ は祖れいの集合の中に迎え入れむか い られるのだとすれば、その死
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

も、それを応援おうえんした人々の行動も無価値とは言えないだろう。
 なぜ、柳田やなぎだは家の存続にこだわるのか。家が、常民の道徳・規範きはんの源泉になっていると、柳田やなぎだは考えるからである。家とは、死者を、祖れいの集合の中に繰り込みく こ 、生者と親しい相互そうご交流の関係におくシステムである。柳田やなぎだによれば、常民が道徳的でありうるのは、祖れいのまなざしによって見守られている、との意識があるからだ。桑原くわばら武夫との対談で、柳田やなぎだは、日本人の美質として「義憤ぎふん」と「制裁があること」を挙げ、それは、「あなたと話をしていても、あのすみあたりでだれかが聴いき ていて、あれあんな心にもないことを言っている、と言われたんじゃたまらんという」心持ちによって支えられている、と論じている。「あのすみあたりで」あなたを見たり、聴いき たりしているのが、祖れいである。あるいは、「気がとがめる」という感覚も、祖れいのまなざしを前提にしている。それは、「自分の周囲の、自分のことを一番憂えうれ ている人(つまり祖れい)が一緒いっしょになって気にかけるだろう」という意味だからである。
 ここには、常民の現在を承認したり否認したりする、「超越ちょうえつ」的なまなざしを確保しようという問題意識がある。そのまなざしを、「家」というシステムを媒介ばいかいにして定礎ていそしようとするときには、そのまなざしの「超越ちょうえつ性」は極小化し、「内在性」の方に引き寄せられている。すなわち、まなざす祖れいは、常民の経験的な現在との間に、親密な相互そうご交流がありうるような、具体的な他者として表象され、イメージされているのだ。それは、経験的な他者の直接の延長上にある。
 柳田やなぎだは、敗戦がもたらした空白を埋めるう  ものを、日本社会の堅固けんごな――とかれが信ずる――伝統の中に見出そうとした。 

大澤真幸『不可能性の時代』による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 7.2週 ri2
 「近ごろの若いものは……」などという言いまわしがあります。これは、おそらく、はるかな大昔からつづけられてきた繰りく ごとでしょう。現在しぶい顔をして、そんな文句を言っている人でも、かつて若かったころには、自分の親父とか先輩せんぱいなどに、さんざんそう言って罵らののし れてきたにちがいないのですが、そのくせ、こんど自分の番になると、やはり同じような言葉づかいで、新しく出てくるものをさまたげようとしています。自分では正直に良心的に、むしろきわめて好意的に判断しているつもりでも、新しくおこってきたものが危険に見えてしかたがないものです。
 ところで、そこが問題です。新しいものには、新しい価値規準があるのです。それが、なんの衝撃しょうげきもなく、古い価値観念でそのまま認められるようなものなら、もちろん新しくはないし、時代的な意味も価値もない。だから、「いくらなんでも、あれは困る」と思うようなもの、自分で、とても判断も理解もできないようなものこそ、意外にも明朗な新しい価値をになっている場合があるということを十分に疑い、慎重しんちょうに判断すべきです。
 たとえ未熟でも若いということは生命的にのぞましいことです。いくら年のコウ、かめのコウを鼻にかけ、若いものを見さげても、やはり年寄りだと言われるといやな気がするし、若いと言われればおせじだとわかっていてもうれしくなる。若いということは、無条件にいいことだと考えてよいのです。そして、若さこそ二度と取りかえせないものです。若いものの言動が気になるのは、それに対する絶望的な一種のやきもちであり、ひがみ根性だと考えるべきです。「近ごろの若いものは……」などと、かりそめにも言いたくなりだしたら、それはただちに老衰ろうすいの初期兆候だと考えて、ゆめゆめ口には出さず、つつしんだほうがお身のためだと忠告しておきます。
 尊敬すべき老人にたいしては、やや苛酷かこくで乱暴なものの言い方をしたようですが、しかし私がここで年寄りというのは、けっして、たんに年齢ねんれい的な意味ではないのです。若さというのは、その人の青春に対する決意できまります。いつも自分自身を脱皮だっぴし、固定しない人こそ、つねに青春をたもっているのです。現在、権威けんいにされているものでも、かつて、古い権威けんいを否定したときの情熱をもちつづけ、さらに飛躍ひやくして自分自身と時代をのりこえて進んでいる
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

場合には、その人はうち倒さたお れる古い権威けんい側ではなく、若さと新鮮しんせんさの陣営じんえいにあるのです。また、いくら年齢ねんれい的に若くても、みょうに老成し、ひねこびて固まっている人もいます。大きく歴史的に見れば、若い新しい世代が古い世代をのり越えこ ていくことはたしかですが、個々の場合は、かならずしもそのとおりには当てはめられません。くれぐれもきも銘じめい てほしいのは、年功が無意味であると同じように、また、たんに年齢ねんれい的な若さもけっして特権ではないということです。

岡本おかもと太郎たろう『今日の芸術』による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 7.3週 ri2
 テレビの前では、私たちは自分の個人的体験をあまり考慮こうりょすることなく、映像に比較的ひかくてき忠実に物語を見ている。また、茶の間や自分の小さな部屋にいながら、世界全体と直接交流しているかのような錯覚さっかく陥るおちい ことは当然体験される。あたかも自分がその番組に参加しているような気安さもある。
 この点は映画を見る時とは違うちが ものであり、映画にあっては、やはり映画独特の世界の中に出向いているのだという「お客さん」意識があるものである。茶の間の雰囲気ふんいきとテレビの映像は矛盾むじゅんなくつながる。食事中に殺人事件や暴力事件が報道されても、私たちは平気でいたりする。このようなテレビ文化がいろんなところに大きな影響えいきょう力をおよぼすであろうことは、容易に想像できることである。
 たとえば選挙にあっても、あるいは商品のコマーシャルにあっても、テレビなしにはそれらの選挙活動も、商品の販売はんばい力の増大も難しいものである。現代においては、あらゆる生産品ないし商品は、もはやその性能においても同じレベルであることが多い。そうなると宣伝力、とくにテレビでの宣伝力が大きくその販売はんばい力を動かす。見ている人の消費熱をいかに引き出すかということがコマーシャルの最大の使命であるが、コマーシャルの送り手と視聴しちょう者は、いわば欲望を引き出そうとする者と引き出されてしまう者の関係にある。つまり茶の間でテレビを通じ、視聴しちょう者と生産者が欲望を介しかい て手をつないでいるのである。
 このようなテレビを中心とした映像文化に、生まれたときからなじんでいる人間と人生の途中とちゅうからそれを知った人間とは、どこか違うちが ように思われる。実際、若者にとって本を中心にした楽しみは急速に減少しているようだ。出版社の人たちに聞いてみても内容が難しく、かつぺージ数の多い本は売れにくくなりつつあるという。さらに山手線を一周する間に読み切れるくらいの本でなければ売れないともいう。そうなると、彼らかれ が手にとるのは本といっても名ばかりのものであって、映像に近い本が中心になるのは当然の経過であろう。また、なまじ小説ばかり読んでいる人のほうが精神的に不健康というデータすら見られる。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 


 活字の本とテレビを中心とした映像文化と、どこが違うちが のであろうか。まず、本は自分で買うという能動性が要求される。また、それを読むにはかなりの時間がかかるし、思考プロセスが相当、介入かいにゅうするものである。批判的なスタンスを取ることが可能であると同時に、それを要求されるものでもある。そしてまた、個人の想像力がテレビ以上に要求されるものであることは言うまでもない。ラジオもまた、映像がないだけにテレビ以上に想像力が要求される。逆にテレビの場合はチャンネルをつけるまでは能動性はあるにしても、映っている画像、流れてくる情報に対して、私たちは完全に受動的な立場となる。とくにいやおうなく私たちの欲望を引き出そうとするコマーシャルに対して批判的なスタンスを取ることはきわめて難しいことである。ただし、テレビの場合、映像を自分なりに解釈かいしゃくすることができるという側面も論理的には否定できない。なぜなら、テレビの情報提供者がいかにある種の情報のみを流そうとしても、映像を通じて、解説されている内容以外の客観的情報を受け手が得る可能性も充分じゅうぶんあるからである。しかし実際には、解説が入ると批判的に見ることはかなり困難であろう。
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 7.4週 ri2
 白い紙に記されたものは不可逆である。後戻りあともど が出来ない。今日、押印おういんしたりサインしたりという行為こういが、意思決定の証として社会の中を流通している背景には、白い紙の上には訂正ていせい不能な出来事が固定されるというイマジネーションがある。白い紙の上にしゅ印泥いんでいを用いて印を押すお という行為こういは、明らかに不可逆性の象徴しょうちょうである。
 思索しさくを言葉として定着させる行為こういもまた白い紙の上にペンや筆で書くという不可逆性、そして活字として書籍しょせきの上に定着させるというさらに大きな不可逆性を発生させる営みである。推敲すいこうという行為こういはそうした不可逆性が生み出した営みであり美意識であろう。このような、達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白という感受性が潜んひそ でいる。
 子供のころ、習字の練習は半紙という紙の上で行った。黒いすみで白い半紙の上に未成熟な文字を果てしなく発露はつろし続ける、その反復が文字を書くトレーニングであった。取り返しのつかないつたない結末を紙の上に顕しあらわ 続ける呵責かしゃくの念が上達のエネルギーとなる。練習用の半紙といえども、白い紙である。そこに自分のつたない行為こうい痕跡こんせきを残し続けていく。紙がもったいないというよりも、白い紙に消し去れない過失を累積るいせきしていく様を把握はあくし続けることが、おのずと推敲すいこうという美意識を加速させるのである。この、推敲すいこうという意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきたのではないかと思うのである。もしも、無限の過失をなんの代償だいしょうもなく受け入れ続けてくれるメディアがあったとしたならば、推すか敲くたた かを逡巡しゅんじゅんする心理は生まれてこないかもしれない。
 現代はインターネットという新たな思考経路が生まれた。ネットというメディアは一見、個人のつぶやきの集積のようにも見える。しかし、ネットの本質はむしろ、不完全を前提にした個の集積の向こう側に、みなが共有できる総合知のようなものに手を伸ばすの  ことのように思われる。つまりネットを介しかい てひとりひとりが考え
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

るという発想を超えこ て、世界の人々が同時に考えるというような状況じょうきょうが生まれつつある。かつては、百科事典のような厳密さの問われる情報の体系を編むにも、個々のパートは専門家としての個の書き手がこれを担ってきた。しかし現在では、あらゆる人々が加筆訂正ていせいできる百科事典のようなものがネットの中を動いている。間違いまちが やいたずら、思い違いおも ちが や表現の不的確さは、世界中の人々の眼に常にさらされている。印刷物を間違いまちが なく世に送り出す時の意識とは異なるプレッシャー、良識も悪意も、嘲笑ちょうしょうも尊敬も、揶揄やゆも批評も一緒いっしょにした興味と関心が生み出す知の圧力によって、情報はある意味で無限に更新こうしん繰り返しく かえ ているのだ。無数の人々の眼にさらされ続ける情報は、変化する現実に限りなく接近し、寄り添いよ そ 続けるだろう。断定しない言説に真偽しんぎがつけられないように、その情報はあらゆる評価を回避かいひしながら、文体を持たないニュートラルな言葉で知の平均値を示し続けるのである。明らかに、推敲すいこうがもたらす質とは異なる、新たな知の基準がここに生まれようとしている。

(原研『白』による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 8.1週 ri2
 骨董こっとうはいじるものである。美術は鑑賞かんしょうするものである。そんなことをいうと無意味な酒落のように聞こえるかも知れないが、そんなことはない。この間の微妙びみょうな消息に一番早く気づいたのは骨董こっとう屋さん達であって、だれが言いだしたともなく、鑑賞かんしょう陶器とうきという、昔は考えてもみなかった言葉が、通用するに至っている。言葉はみょうだが、骨董こっとう屋さんの気持ちから言えば、それはいじろうにも、残念ながらいじれない陶器とうきをいうのである。鑑賞かんしょう陶器とうきという新語の発明が、いつごろか無論はっきりしないが、おそらく昭和以後の事であろうと思えば、日本人が陶器とうきに対して、茶人的態度を引き続きとっていた期間の驚くおどろ ほどの長さを、今さらのように思うのである。
 ぼくは、茶道の歴史などにはまるで不案内であるが、茶器類の不自然な衰弱すいじゃくした姿が、意外に早くから現れているところから勝手に推断して、利休の健全な思想は、意外に短命なものだったのではあるまいか、と思っている。しかし、茶道の衰弱すいじゃく堕落だらくの期間がいかに長かったとはいえ、器物の美しさに対する茶人の根本的な態度、美しい器物を見ることと、それを使用することが一体となっていて、その間に区別がない、そういう態度は、極めて自然な健全な態度であるとは言えるのである。焼き物いじりがぼくにそのことを痛感させた。ぼくも現代知識人の常として、茶人趣味しゅみなどにはおよそ無関心なものだが、利休が徳利にも猪口ちょこにも生きていることは確かめ得た。美しい器物を創り出す行為こういを美しい器物を使用するうちに再発見しようとした、そういうところに利休の美学(みょうな言葉だが)があったと言えるなら、それが西洋十九世紀の美学とほとんど正面衝突しょうとつをする様を、ぼくの焼き物いじりの経験が教えてくれた。そしてこの奇怪きかい衝突しょうとつは、茶人がとなり隠居いんきょとなり終わった今日でも、しかと経験し得るものなのである。
 先日、何年ぶりかでトルストイの「クロイチェル・ソナタ」を読み返し、心を動かされたが、この作の主人公の一見奇矯ききょうと思われる近代音楽に対する毒舌は、非常に鋭くするど て正しい作者の感受性に裏
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

付けられているように思われた。行進曲で軍隊が行進するのはよい、舞踏ぶとう曲でダンスをするのはよい、ミサが歌われて、聖餐せいさんを受けるのはわかる、だが、クロイチェル・ソナタが演奏される時、人々は一体何をしたらいいのか。だれも知らぬ。わけの解らぬ行為こうい挑発ちょうはつするわけの解らぬ力を音楽から受けながら、音楽会の聴衆ちょうしゅうは、行為こういを禁止されて椅子いす釘付けくぎづ になっている。
 行為こういをもって表現されないエネルギーは、彼等かれらの頭脳を芸術鑑賞かんしょうという美名の下にあらゆる空虚くうきょ妄想もうそうで満たすというのだ。何と疑い様のない明瞭めいりょうな説であるか。心理学的あるいは哲学てつがく的美学の意匠いしょう凝らしこ  て、身動きも出来ない美の近代的鑑賞かんしょうに対しては、この説は、ほとんど裸体らたいで立っていると形容してよいくらいである。周知のように、トルストイは、ここから近代芸術一般いっぱんを否定する天才的独断へ向かって、真っすぐに歩いた。無論そんな天才の孤独こどくが、ぼく凡庸ぼんような経験に関係があるわけはない。ただ、かれ遂につい あの異様な「芸術とは何か」を書かざるを得なくなった所以は、かれが選んだそもそもの出発点、かれ審美しんび的経験の純粋じゅんすい素朴そぼくさにある。そのはだかのままの姿から、強引に合理的結論を得ようとしたところにある。これは注意すべきことなのである。
 もし美に対して素直な子供らしい態度をとるならば、行為こういを禁止された美の近代的鑑賞かんしょうの不思議な架空かくう性に関するトルストイの洞察どうさつは、僕達ぼくたちの経験にも親しいはずなのである。昔は建築を離れはな た絵画というような奇妙きみょうなものをだれも考えつかなかったが、近代絵画には額縁がくぶちという家しか、本当に頼りたよ になる住居がなくなって来ている。

(小林秀雄ひでおの文より)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 8.2週 ri2
 戦争がすんだら、世の中が万事バター臭くくさ なったようである。そんな空気の中で、俳句は第二芸術であるという論があらわれて、大きな話題になった。人々は、戦争に負けてすこし頭がどうかしていたのであろう。第二芸術でもまだもったいないくらいに考えて、この新説に拍手はくしゅを送ったものである。
 この頭のいい議論は、しかし、どこか、おかしい。どこがおかしいのかわからないが、どうも変である。そう思いつづけて二十年がたってしまった。
 このごろになってようやく、そのおかしさの依っよ てきたるところは、案外、俳句の読み方にあるのではないかと思うようになった。外国語の活字をにらんで読む――これはおそらく読みの極限状況じょうきょうであろう。わからなければ、辞書を引く、註釈ちゅうしゃくを参考にする、文法の助けもかりる。とにかく、活字を攻めせ ていって何とかわかる。何とかして頭で読むほかはない
 これはつまり散文の理解の仕方である。局外に立った人間の読み方である。俳句でこういう読み方をすれば疑問は雲のようにわいてくるだろう。そもそも何を言っているのかもはっきりしない。これで独立した表現と言えるだろうかという疑問も生まれるかもしれない。第二芸術どころではない。われわれにとって外国語の読み方がもっとも尖鋭せんえいな意識に支えられていて、その限りでは知的にもすぐれた読みの方法である。それを俳句に適用したところに悲劇があった。
 それというのも俳句の読み方がはっきりしていないからである。どうしていいかわからないから、つい、散文の読み、外国語の読みを流用してしまった。目と頭だけでわかろうとする。それが俳句にとって、どんなにひどい仕打ちになるか、ほとんど考えられなかったのではあるまいか。
 短詩型文学は、散文を読むように読まれてはいけないのである。そもそも「よむ」こと自体が詩となじまぬ。朗唱、朗詠ろうえいすべきであろう。声にして、音にして、その響きひび が意識のほの暗い所をゆさぶる。いわば心で読む。舌頭に千転させて、おのずから生じるものを心で受けとめる。そういうものでなくてはならない。
 俳句の表現そのものは、きわめて小さな音しかたてないが、享受きょうじゅ者の心を共鳴箱にして、ちょうど、バイオリンのかすかな
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

の音がすばらしい豊かな音になるように、増幅ぞうふくされる。たとえ、がよい音を出しても、共鳴箱がこわれていれば、よい音色は生まれない。
 散文においては、読者の共鳴箱にもたれかかった表現はむしろ邪道じゃどうであるが、詩歌では共鳴を無視するわけにはいかない。もっとも深いところに眠っねむ ているわれわれの共鳴箱をゆり動かしたとき、言葉は力なくして鬼神きしんを泣かしめることができる。目と頭で読んではそういう奇蹟きせきが生じにくい。
 活字印刷になれきってしまったわれわれは、詩歌に対してあまりにも読者的でありすぎるように思われる。もともと文字は言葉のかげのようなものである。かげだけをどれだけ忠実に追ってみても、本体をとらえることはできない。散文はかげと実体が一致いっちしているから、文字面からでも心を汲むく ことができるが、詩歌では心に響くひび ものがなければ、何もならない。
 ひょっとすると、俳句は読んではならないのかもしれない。

外山滋比古とやましげひこ
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 8.3週 ri2
 たとえていえば、それは写真を用いて美人コンテストを行うようなものである。一次選考に写真を利用することはあっても、最終選考に写真を用いる美人コンテストというものはない。写真は自由に美女を捏造ねつぞうすることが可能だからである。写真を用いて仮に選んだ美女たちを、最終的には同一の舞台ぶたいの上に立たせて肉眼で眺めるなが  。美を基準とする領域においては、そのような方法のみが、有効性を持つはずなのである。
 ところが残念ながら建築を移動させることはできない。さまざまな建築物を美女のようにして、同一の舞台ぶたいの上に並べて肉眼で眺めるなが  ことはできない。ゆえに、しかたなく、建築は写真に撮らと れ、写真の形式で評価され、比較ひかくされることになったのである。写真だけを用いて、「美女コンテスト」を行わざるをえなかったのである。そこに二十世紀の根本的な矛盾むじゅんが存在した。そしてコンピュータによる画像処理技術はこの矛盾むじゅんを加速し、露呈ろていさせる役割を担ったというわけなのである。
 では今後、この美女コンテストはどこに向かうのだろうか。まず予想されるのは、情報量を増やし、媒体ばいたいを複数化しようという動きである。写真だけならば、捏造ねつぞうが可能である。しかしムービーを併用へいようすれば、捏造ねつぞうはかなり困難になるであろうという推測である。CDーROMの普及ふきゅうはそのような要請ようせいの産物と考えることができる。
 しかし、この方向には、明らかに限界が存在する。いくら媒体ばいたいを複数化したとしても、美という基準とビジュアル(視覚的)メディアの間の断絶を完璧かんぺき埋めう つくすことは不可能なのである。この問題を解決する唯一ゆいいつの方策は、美という基準を見直すこと。美に替わるか  、新しい基準を発見することしかない。
 その徴候ちょうこうはすでに様々な形で出現しつつある。結果としての美ではなく、ものを作るプロセス自身を評価し、楽しむという傾向けいこうは、そのひとつである。建築雑誌や美術雑誌が、そのプロセスを読ませること、追体験させることにぺージをさきはじめたのである。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

建築家やアーティストもまた結果としての美を競うのではなく、そこにいたるプロセス自体を競いはじめた。そのプロセスは様々である。使い手の意見を聞きながら、使い手が施工しこうにも参加して建築を作る「参加型建築」のプロセスをウリにする建築家が登場した。あるいは、いままでだれも使ったことがない珍しいめずら  素材を、試行錯誤しこうさくごを重ねながら、なんとか使いこなしたというプロセスをウリにする建築家も登場した。どちらの場合もできあがりを写真でみただけでは、その良さ、その特徴とくちょうはわからない。プロセスのドキュメンテーション(文書)と一緒いっしょに読んではじめて、その価値がわかるという仕組みである。
 要は写真の時代が終わりつつあるのではなく、美女コンテストの時代が終わりつつあり、美の時代が終わりつつあるということなのである。視覚的美というものは、いかようにでも捏造ねつぞうできるのである。舞台ぶたいに並べて、だれだれより美しいと論じることは意味がない。大切なことは、舞台ぶたいからひきずりおろして実際につきあってみること。同じひとつの時間、ひとつのプロセスを共有することなのである。そういう体験の重みだけが、人間にとって意味を持つということを、他でもない、コンピュータが教えてくれたのである。

隈研吾くまけんごの文章による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 8.4週 ri2
 美しさは創造の領域に属するものと考えられがちだが、何かを生み出すのではなく、ものを掃きは 清め、拭きふ 清めて、清楚せいそ維持いじするという営みそのものの中に、むしろ見出されるものではないかと最近では思うようになった。特に、禅宗ぜんしゅうの寺や庭などに触れるふ  につけ、その思いは強くなる。ぜん寺の庭が美しいのは、作庭家の才につきるものではない。むしろ常に掃きは 清められ、手をかけられているがゆえの美しさとも見える。それも一年や二年の清掃せいそうではなく、長い年月を経て、清掃せいそう清掃せいそうを重ねてくることで、自然と人間の営みの、どちらともつかない領域におのずと生まれてくる造形の波打ち際のようなものが、庭というものの本質をなしているように感じられるのだ。
 自然とは変化流転するものであり、人為じんい超えこ 強靭きょうじんで、それは人間の思惑おもわくのうちにとどまらない。岩や地面にはこけが生じ、落ち葉は堆積たいせきして新たな土を作る。木肌きはだは退色して滋味じみを生じ、池の水はみどり澄むす 自然の贈与ぞうよを受け入れることは、待つということである。長い時間の果てに、人為じんいではとうてい届かない自然の恵みめぐ に浴すことが出来る。
 一方で、人は意志を持って、自然と拮抗きっこうするものである。ぜん寺の方丈ほうじょうの前に広がる白い四角い石庭は、人の意志の象徴しょうちょうにも見える。有機的な自然の中に決然と白く四角く存在を示している。この白い石の庭は自然のままでは維持いじすることができない。放っておくと、落ち葉や天然の塵芥じんかいがその上にゆっくりと降り注ぎ、アースカラーに覆わおお れていく。その白を白として保つには、小さな石のおびただしい集積の中に混入した自然の微細びさい塵芥じんかい取り払いと はら 、ぬぐい去るという、気の遠くなるほど手間のかかる作業が必要になる。もちろん、石庭に限らず、飛び石も、こけも、ゆかも、障壁しょうへきも、ほこり拭いぬぐ 、ちりを払いはら 、自然の風化に任せない人為じんいによる制御せいぎょを、倦まう たゆまず繰り返さく かえ ないと庭は維持いじできない。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

自然のままに放置すると、ぜん寺は数年のうちに草木に埋もれうず  朽ち果てるく は  だろう。そのような、自然と人為じんいのせめぎあい、あるいは混沌こんとん秩序ちつじょのせめぎあいが清掃せいそうである。その清掃せいそうの果てに現れてくる人と自然のあわいに日本の庭がある。
 また、清掃せいそうは創造を伴わともな ないという点では、変化ではなく維持いじに価値をおく態度でもある。今日においては諸芸術全般ぜんぱんに「新しさ」すなわち刷新性をことさら評価する風潮があるが、誤解を恐れおそ ずに言えば、日本の美意識とは新しさを生み出すことよりもむしろ維持いじするところに湧きわ 出した心性ではないかと思うのである。変化の激しいのは今日のみではない。自然は常に流動する。その流動を食い止め、静止を意図し、普遍ふへんと不変を標榜ひょうぼうしながらコンシステンシーを保っていくことには壮大そうだいなエネルギーが必要である。ぜん寺という場所はそういう意味での常態不変への意志で制御せいぎょされ、日々清掃せいそうを重ねている。その常態不変の象徴しょうちょうのように見える石庭が、白く表現されていることは重要である。

(原研『白』による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 9.1週 ri2
 ファッションと性意識の関係について考えるときにいつも思いだすのですが、大和和紀さんの『あい色神話』というコミックのなかに、若い女性のこんなつぶやきが出てくるシーンがあります。
  家まで歩いて十五分……走って十分……
  なんだかてれてれ歩くのかったるい……
  子どものころはよく走ってたっけ
  おつかいいくのや学校への道……
  いつからだろう
  あまり走ることをしなくなったのは……
  女の子特有の小走りしかしなくなったのは……
  ……走って……みようか……
  あのころのように軽く足はあがるだろうか
  耳のそばで鳴る風の音をきけるだろうか
  身体を空気のように感じることができるだろうか
 スカートは女性の「性の制服」だということ、そしてそれが身ごなしやふるまいの一つ一つをかたどり、やがて身体そのものにもなじんでしまって、だれが見てもじぶんが「女らしく」なってしまっているということ、そして逆にそのことによって失ってしまったものへの静かな悲しみやはげしい疼きうず ……。それらがたいへんにうまく表現されていると思います。
 こうした「性の制服」と女性のセクシュアリティの意識のずれはだんだん無視できないほど大きくなってきたようで、とくに友人の結婚けっこん披露宴ひろうえんなどでいわゆる「令嬢れいじょう」のような服装をしかたなくするときには、多くの女性たちがまるでじぶんが「女装」しているような気分になっているのではないでしょうか。その意味で、衣服の構造にはその時代、その社会の男性的/女性的なものについての観念が強くはたらいていると言えます。
 同じことは、性以外の場面でも言えます。子どもらしさだとか高校生らしさ、母親らしさとか教師らしさといった「らしさ」が話題にされるところではいつも、衣服やメイクやしぐさが、そういうイメージとの深い共犯関係のなかで強力にはたらいています。ある種の社会的な強制力をもって、です。このように身体の表面で、ある性的ならびに社会的な属性を目に見えるかたちで演出することで、服装は個人の人格を具体的にかたちづくっていくわけです。イメージの服を着込みきこ ながら、着えながら、です。こうしたことから、西洋には「Clothes make people」(衣が人を作る)ということわざもあるくらいです。
 
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

ひとの成長とは、このように、身ごなし(話し方、食べ方、歩き方、座り方、挨拶あいさつの仕方など)と身づくろいの共通のスタイルのなかにじぶんを挿入そうにゅうしていくことを意味します。そうしてひとは社会の一住民となっていくわけです。職業上の制服や伝統的な民族衣装などは、そういう衣服の社会的意味がとくにはっきり出ているものです。現代社会では、皇族も議員も会社員も芸術家も宗教家も教師も、ほとんどの男性は公的な場面では、背広にネクタイというのがまるで制服のようになっています。逆の私的なシーン、あるいは社会秩序ちつじょへの抵抗ていこうのシーンにもやはり制服は歴然とあって、茶髪ちゃぱつ、細まゆ、ミニスカート、ルーズソックスという出で立ちが、家と学校のあいだでの女子高生の「ちょう」画一的な制服になっていて、そこからはみ出ることがとても勇気のいることになっているのは、ご存じのとおりです。このように見てくると、制服でない衣服を探すほうがむずかしくなります。

「ひとはなぜ服を着るのか」(鷲田わしだ清一)より
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 9.2週 ri2
 比喩ひゆ的な表現であるが、人間は、外の自然と共通で、外の自然と交流しあう、情緒じょうちょ的で、感覚的な、あるいは食欲や性欲という生命力の表現をはじめとする身体的な、いわゆる「第一の自然」とよばれるものと、科学、技術、生産などにかかわる「第二の自然」とよばれる二つの自然を持っており、その交錯こうさく、調和、統一によって生きている。
 だから、人間が自分を全体として生きることは、第一の自然と、第二の自然を統一して、他者との共存の中で生きることを意味しており、それが豊かさ感、という充実じゅうじつした幸せ感をもたらすのだと考えられる。経済価値にのみつっ走ることは、人間の二つの自然の調和にそぐわないことではないだろうか。
 日本には、アメニティという言葉の正確な訳語がないといわれるが、アメニティとは、あるべきところに、あるべきものがある、ということだという。つまり、それは、第一の自然と第二の自然が、統一され、敵対的でなく、共存をひろげていくことを意味する言葉であろう。そして日本では、技術や生産力の価値があまりに支配的になってしまっているため、「あるべきもの」も「あるべきところ」も、わからなくなっているのであろう。
 二つの自然の統一、調和というとき、注意しておかなければならないことがある。科学とか、技術とか、生産などのいわゆる第二の自然にかかわる言語表現は、数字や法則を含めふく て、多様で正確な表現形式を持っていると思われる。金銭については最も簡明である。ところが、あの山はすばらしい、とか、この絵や音楽はいい、という感覚的な、第一の自然にかんしては、私たちは、ほとんど数字や法則のような客観的な表現を持っていない。「悲しい」という一言の背後には、おそらくいろいろなものがあるのだが、悲しみが深くなればなるほど、それは「悲しい」としか言いようがなく、人びとは、それを、体験的に悟るさと か、あるいは感覚的身体的なものによって、相互そうご了解りょうかいしあうことができるにすぎない。
 感覚や感情を正確に客観的に表現するのが難しいだけでなく、人間には無意識の領域さえあるのだという。
 私がここで問題にしたいのは、人間というものは(あるいは自然というものは)、まだ知られていない多くのものを持っている未知の存在で、ただモノとカネがあれば幸せだ、ときめつけられるほど単純なものではない、ということである。つまり、豊かな社会の実現は、モノの方から決められるのでなく、人間の方から決めら
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

れなければならないということである。
 客観的な表現はできないけれども、この第一の自然、感覚や感情や身体という、私たちの生を支えているものにも正当な座席を与えあた なければ、本当の豊かさ感は得られないのではないだろうか。
 ここで誤解をさけるために言えば、この感覚の世界は一人一人に完全に個別的なものではない。また、捉えとら にくいもの、証明できないものは、存在しない、ということでもない。むしろ、あまりにも自明なことのために、ことさらに説明する必要がないのだと思われる。
 だからこそ、カネや、政治家の演説ではごまかされないものとして、この人間の、共通の感受性の世界がある。この世界にも豊かさ感をかんじさせるような技術、生産、社会のありかたこそが、本当の豊かさではないだろうか。それは地球的な豊かさと共通する豊かさである。そしてその豊かさは、体験の中でしか感じ表現することができないからこそ、人間は、豊かな全人間的体験を体験できるような余暇よか──つまり自由時間を必要とする。

暉峻淑子てるおかいつこの文章による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 9.3週 ri2
 たとえば、路傍ろぼうのぬかるみの中へわざと踏みこんふ   でゆき、ぬるぬるのどろ感触かんしょくを楽しみ、泥水どろみずのはねをあげ、もっと深いところを探すことの喜びとは、いったい何だったのだろうと思うことがある。今ではたとえ長靴ながぐつをはいていたとしても、私はぬかるみを避けさ て、固い地面を探す。だが子どもは、ぬかるみを見れば当然のようにそのほうへ突進とっしんし、飽くあ ことがない。たまにそんな子どもの楽しみかたにひかれて、おそるおそるぬかるみに足を出すこともあるにはあるが、私たちおとなは長靴ながぐつの中に泥水どろみず浸入しんにゅうしてくることの心持ちわるさや、帰宅したあとの長靴ながぐつ洗いの面倒くさめんどう  さのほうにすぐに心が向いてしまって、子どものように全身全霊ぜんしんぜんれいをあげて楽しむことはまずないと言っていい。
 子どもがぬかるみの中を、嬉々ききとして跳ねは まわっているのは、おとなにとってあまり快い眺めなが ではない。私たちはどちらかと言うとそれを制止したがる。きたならしい、着ているものが汚れるよご  無駄むだなことだ――おとなたちはいつも制止するのに十分な理由をもっていて、それを疑うこともしないのだが、そういう心のおくに、ほんの少しではあっても喜びの感情もまた、ないではない。嬉しうれ がってる子どものいきいきした動作や表情のかわいらしさに、おとなはしょうがないなと思いながらも寛大かんだいになる。似たようないたずらがこよなく楽しかった自分の子ども時代のことも、思い出すともなく思い出している。そんなおとなの心の動きを子どもはいち早く見抜いみぬ ていて、本気になっておとなが怒りおこ 出すまで、はしゃいでいる。
 だが、だからと言って、おとなが子どもにとってのぬかるみ遊びの無意味の意味をほんとうに理解しているかどうかは疑わしいのではあるまいか。おとなはいわば子どもを、そして自分の子ども時代をもう外側から眺めるなが  しかない存在だ。子どもをみつめることでおとなが感ずる喜びと、子どもそのものであることの喜びはちがう。そのことに私は時折、越えこ がたい断絶感を味わう。もういちど子どもに戻りもど たいと思うのではない、こどもには存在していて、おとなにはすでに存在し得ぬ感情がたしかにあるという一種の絶望
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

感、人間という生物が成長してゆくみちすじで、そのような感情を失ってゆくことを、いったい何が正当化するのだろうかという疑問、私の心の中に浮かぶう  のはそんな思いだ。
 ぬかるみにうつつを抜かしぬ  ているとき、子どもは着ているものが汚れるよご  ことや、あとになって長靴ながぐつを洗わねばならぬことを気にしてはいない。子どもは文字通り一所懸命いっしょけんめいに、その瞬間しゅんかんその場を生きている。他のことに心を向けるゆとりが全くないほどに、その喜びは深く全身的なのである。結果を考えろ、親の苦労を、或いはある  他人の迷惑めいわくを考えろと言ったところで、通じようがない。子どもにはそのとき、いわば未来もなければ、社会もない。だから子どもは子どもさ、人間よりはけものに近いんだとおとなは言う。だが喜びという感情は、本来そういうなりふりかまわぬ、自分勝手な、むしろ野性的と言っていいような心の状態だったのではあるまいか。
 そのことにおぼろげながら感づいているからこそ、おとなは子どものいたずらを大目に見る。ぬかるみがあるのに、それに見むきもせぬ子どもがいたりするとかえって心配になったりする、ぬかるみに踏みこめふ   叱るしか くせに、そうしない子どものことは、子どもらしくないと断罪しかねない。そんな矛盾むじゅんした心の動きの中に、私たち人間の喜びというものの見かたがかくされていると私は思う。

(谷川俊太郎しゅんたろうの文より)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 長文 9.4週 ri2
 この本をひもとくたびに、いつも私の心にとどまるのは、冒頭ぼうとうの有名な一句である。どの段を読んでも、最後はきまってここへ戻っもど てくる。「つれづれなるままに、日くらしすずりにむかひて、こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物ぐるほしけれ」という一節は、そのたびごとに深さを増してくるようだ。
 冒頭ぼうとうの「つれづれなるままに」という言葉が最も大切である。退屈たいくつまぎれとか、為すな こともないままにとか解釈かいしゃくするのはむろん誤りであろう。そういう一種の倦怠けんたい感を宿してはいるが、根本には何かしらやるせない気持と異常の孤独こどくが察せられる。それを決してあらわには告げない。事もなげに、ゆったりと構えているようにみえ、筆致ひっちまた軽妙けいみょうむねとする。その点、「おのづからのまにまに」とった思いに似かようけれど、この語のもつ明るさ、のびやかさに比べると、知的にややほの暗い感じがつきまとう。切迫せっぱくした不安を伴いともな ながら、焦慮しょうりょするでもなく、行方を定めるでもない。わば明暗のあわいに、心はとりとめもなく回転して行く。明晰めいせきにして明晰めいせきを意識せず、何ものかに憑かれつ  ているようで、妙にみょう 自意識は冴えわたるさ    好奇こうき心と放心との同時的存在。恐らくおそ  兼好けんこうみずから、かような心境をもてあましていたのではなかろうか。「つれづれなるままに」苦しかったのだ。「あやしうこそ物ぐるほしけれ」という結句が、この間の微妙びみょうを告げているであろう。
 すべて真向の情熱から語った人の文章には、どこかどぎついものがある。殊にこと 人間の生死については、ことが異常であればあるほど臭みくさ を帯び易い。真向の情熱や真正面から取り組むことは、正しい態度にちがいないが、何がほんとうに真向真正面であるか、これはむずかしい問題だ。兼好けんこうの文章は、興味のままに筆を走らせているところ、一見、好事家と傍観ぼうかん者の相を呈するてい  この外相がかなり人々をあやまったように思われる。徒然草は随筆ずいひつなりという安易な定義と、併せてあわ  随筆ずいひつの「気軽さ」なる心理が瀰漫びまんした。この言葉のもつ一種の狂気きょうきは、見失われてしまったようである。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 


 兼好けんこうは人生万般ばんぱんを決して真正面からなど見ていない。つまりかれ凝視ぎょうしは直線的でない。例えば陶器とうき鑑賞かんしょうのように、あらゆる角度から異なった光線のもとに眺めなが 、裏をかえし底をみつめ、丁寧ていねい撫でな まわして一々の触感しょっかんを試み、ついに自己と対象との刹那せつな間に共通の体温を保とうとする。この共通の体温の上で、しかもかれは一切を語ろうとはしない。人生の表裏にてっすれば、一切を語ることの不可能はよくわかるはずだ。ただ微笑びしょう浮べるうか  。事物そのものでなく、それが地上に投ずるかげのみを語る場合もあろう。
 かれのものの見方は、見ずして見る、或いはある  見て見ぬ様子をする、しかもよく見ている風で、好奇こうき心と放心が同じ波紋はもん呈してい てひろがる。矛盾むじゅん撞着どうちゃくなど眼中にない。鋭くするど 辛辣しんらつだが、鋭くするど 辛辣しんらつに書こうなどとは思っていない。強烈きょうれつな自意識を内に湛えたた ながら、これにふわりとした節度を与えるあた  。筆をおろさんとする刹那せつなの気構えからいえば、「つれづれなるままに」とは、この微妙びみょうな調子を整える心きんばち合せとも解されよう。そこから類のない微笑びしょう湧くわ 。すべてをあらわに語りつくそうという人は、兼好けんこうにとって共に談ずるに足らなかったであろう。かれは好んで余情陰翳いんえいに住せんとした人のごとく思われる。(中略)
 兼好けんこうは晩年、京都雙ヶ岡ならびがおかに住んでいたと伝えられる。
 ちぎりおく花とならびのをかのへにあはれいくよの春をすぐさむ
 「ならびのをかに無常所まうけてかたはらにさくらをうゑさすとて」と題して、右の一首が家集にみえる。かれがここで歿ぼっしたかどうか明らかでない。遺言辞世なく、傍らかたわ した人の手記らしいものも残っていない。最後の有様は窺ううかが べくもないが、おそらく兼好けんこうは、息をひきとらんとするとき、「うむ、なるほど」と心にうなずいて瞑目めいもくしたのではなかろうか。

亀井勝一郎「古典的人物」による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534