1柳田國男の日記によれば、柳田は、一九四五年八月一一日――「土よう 晴あつし」とある――に、元警視総監長岡隆一郎より、「時局の迫れる話を」、つまり終戦が近いことを知らされる。2日記は、この事実を記したあと、「いよいよ働かねばならぬ世になりぬ」と、自身の決意を記した文が続く。
この決意の結果、柳田が戦後まもなく上梓したのが『先祖の話』である。3この著作での柳田の学問的な問題意識は、家の存続ということの信仰上の基盤を明らかにすることにあった。それはさらに、戦争における死者を救済し、慰霊しなくてはならないという、実践的な問題意識によって駆り立てられていた。4「人を甘んじて邦家の為に死なしめる道徳に、信仰の基底が無かつたといふことは考へられない。さうして以前にはそれが有つたといふことが、我々にはほゞ確かめ得られるのである」。戦争による死を犬死にしてはならない、というわけである。
5だが、家の存続を支える祖霊崇拝の伝統の存在を実証することが、どうして、死者の救済になるのだろうか? 戦場に散った若者たちの死は、国のための、国体のための、もっと端的に言えば天皇や皇室のための死であった。6敗戦ということは、死者たちがそれのために死んでいったものが、つまり天皇や皇国といった観念が、無意味なものへと転ずることである。つまり、天皇をその内部に位置づける万世一系の血統から、その超越性が完全に奪われることを意味する。7このとき、死者たちの死を無価値から救済するためには、皇室や天皇家の伝統などはその一部でしかないような、もっと包括的で深い伝統が、日本人という「民族の自然」にはあることを実証し、その死を意味づけ直すほかない。8そうして、死をあらためて意味づけるような参照枠として柳田が提起したのが、家の存続を支える先祖信仰である。皇室や国体のため(のみ)の犠牲と見れば、若者たちの死や彼らを戦場へと送り出した戦前・戦中の日本人の行動は、無価値だったとしか解釈できない。9しかし、彼らが守ろうとしたのは、敗戦によって失われることのない家であり、それゆえ彼らは祖霊の集合の中に迎え入れられるのだとすれば、その死
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