1コミュニケーションとは、「言葉抜きの理解」ではない。あくまで「言葉を経た理解」である。改めてこういわれると、「当たり前のことじゃないか」という気になるかもしれない。2しかし実際には、このあたりを誤解し、「フィーリングで自分のことを一瞬にしてわかってもらうことこそがコミュニケーション」と思っている人が少なくない。また、たとえ言葉を介しての理解を試みたとしても、それが少しでもすれ違いを起こすと、「あ、嫌われた」とその時点でコミュニケーションをあきらめる人も多い。
3では、なぜ彼らは「コミュニケーションは言葉抜きの直観的な理解」と思ってしまうのだろう。その理由の一つに、最近の社会を覆う「感情優位」の思考パターンがある。これは世代にかぎらないものだが、物事を決めるとき、客観的・冷静な判断ができず、「かわいい」「かわいそう」「なんとなく好き」といった理由で決定する傾向があるのだ。4さらにこれは、日本だけの問題でもなく、国際的な世論調査でも、「分析や理屈」より「感情」が人びとの意識を決定していると指摘されている。このように、社会が「感情優位」で動くようになっている昨今だが、人びとがもっとも気にしているのは、じつは「私はこれが好きか、嫌いか」ではなく、「周りの人たちはこれが好きか、嫌いか」なのである。
5こう考えると、「感情優位の社会」とはいえ、そこで優先されている「感情」は、自分自身のものですらなく、周りの人や世間の人のそれであることがわかってくる。「みんなはどう感じているのか?」「世間の風向きは変わっていないか?」ということに戦々恐々としながら、私たちは日々の生活を送っているのである。
6この「腹の探り合い」が、従来、考えられていたコミュニケーションからほど遠いものであることは、いうまでもない。しかし、この「感情の探り合い」においては、はっきり口にされたり、文字に書き表されたりする言葉より、相手の表情、文書の文体、あるいは絵文字などの記号の多少などがより重要な手がかりとなる。
7相手が「私もそう思います」と口にしながらも、あまりうれしそうでない表情をしたら、「あ、この人は気に入らないな」と、表情のほうをメッセージとして重要視する。
8「それはいいですね」とメールに書かれていても、そのあとに
|