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 オリンピックのメダルが一から順にじゅん 金、ぎんどうでできているように、金は大昔おおむかしから、とても人気のある金属きんぞくでした。なにしろ薬品やくひんにおかされず、やわらかくてコインやアクセサリーにも加工かこうしやすく、そして何より美しかっうつく   たからです。しかし、金は、一トンの金鉱きんこう石の中から、わずか三グラムから五グラムくらいしか取れと ないという貴重きちょうなものです。
 今から八百年くらいむかし、ヨーロッパの人々は、珍しいめずら  食べ物た もの宝物たからもの求めもと て、まだ知られていない海の向こうむ  の国々へと出かけていきました。その中の一人、マルコ・ポーロは、たび途中とちゅうで見聞きしたことを集めあつ 、のちに『東方見聞録とうほうけんぶんろく』という本を出しました。その中で、東洋とうようには「ジパング」という名前の「黄金おうごんの国」がある、と書きました。
 この「ジパング」というのは、実はじつ 日本のことで、日本の英語えいご名である「ジャパン」はこれに由来ゆらいしています。マルコ・ポーロ自身じしんは、実際じっさいに日本を訪れおとず たことはなく、中国で聞いた話として書いただけでした。しかし、この本に「ジパングにはものすごいりょう黄金おうごんがあり、国王の宮殿きゅうでんはすべて金でできている」と書かれていたため、コロンブスも、この黄金おうごんの国を求めもと て船出したのではないかと言われています。
 ヨーロッパの人が夢見ゆめみた「黄金おうごんの国」ほどではありませんが、日本にはかつて佐渡さど鴻之舞こうのまいなど、とてもりっぱな金鉱山こうざんがあり、貴重きちょうな金がたくさんとれていました。しかし、これらの鉱山こうざんもやがて掘りほ 尽くさつ  れ、今ではそれほどたくさんの金をとることはできません。
 そこで、最近さいきん注目ちゅうもくされているのが、「都市とし鉱山こうざん」と言われるものです。実はじつ 、パソコンや携帯けいたい電話、液晶えきしょうテレビなどの中には、「レアメタル」と呼ばよ れる貴重きちょう金属きんぞくが、少量しょうりょうずつですが使わつか れています。その中にはもちろん、金もあります。ですか
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ら、これらの機械きかいをうまくリサイクルして、その中の金属きんぞく取り出しと だ 使おつか う、という試みこころ 始まっはじ  ています。家電製品せいひんなどがたくさん使わつか れている日本には、世界せかい有数ゆうすう都市とし鉱山こうざんがあると言われています。
 今もむかしも、大人気の金。リサイクルを進めすす て、日本は再びふたた 、「黄金おうごんの国」になれるでしょうか。

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a 長文 1.2週 se2
(いないかなあ。いるにちがいない。)
 などと、心にいいきかせては、ふみちゃんのこいをむちゅうでおいつづけました。
 ふしぎなことに、いつのまにか、ぼくの頭の中をすばらしいにしきごいが、すいすいとおよぎはじめていました。こがねいろ一しょくの目のさめるようなこいなのです。
 用水のどては、夏草がおおくて、やぶかがたくさんいます。「ぶわんぶわん」といっせいにとびだして、ぼくのからだを、ところかまわずさしまくりました。
 けれども、それが、その日にかぎって、ふしぎと気にならないのでした。にしきごいにとりつかれてしまったぼくには、すこしぐらいのちを、やぶかにすわれても、それは、たいしたことではなかったのでしょう。

 ふとみると、用水のそばに池がありました。池はあさくて水はきれいにすんでいました。(はてな、見たことのある池だな。)
 「ちらりっ」とそんなおもいがしました。
 でも、そのしゅんかん、ぼくは池の中の大きなこいたちのむれに、気をとられていました。
 池には、赤・青・黒のたくさんのまごいたちが、ゆうゆうとおよいでいたからです。
 きれいにすんでいる水の中を五十センチほどもあるこいたちが、ひとつのかたまりになって、すいすいとおよいでいるようすは、ぼくをうっとりさせてしまいました。なんだか、ゆめの国にいるみたいでした。
 そして、このゆめの中のぼくは、ふみちゃんにおそわったあのにしきごいが、この池の中にきっといるとおもいはじめたのです。すると、どうでしょう。たくさんのまごいのあいだを、まるで女王さまのようにゆうゆうとおよいでいるあのにしきごいがいたのです。あかるい目のさめるような、こがねいろのこいでした。
 それは、さっきから、頭の中を、いったりきたり、ちらちらちらちら光って見せる、ふみちゃんにきいた、あのこいだったのです。
 ぼくは、かかえていたカバンをなげすてました。ズックぐつをぬぎ、「すたすたっ」と、おもわず池の中にはいっていきました。
 ところが、どうしてどうして、こいはすばしっこいさかなです。ばさばさ! と大きな水音をたてて、いっせいににげはじめたのです。
 たちまち池の水は、にごってしまい、もう、一ぴきのこいも見えなくなりました。それにぼくは水しぶきをあびて、ずぶぬれにされたのです。
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 ぼくは、きゅうにこうふんしてきました。からだの中で、むらむらっと、むちゃくちゃの虫がうごきはじめたのです。
(ええ! どうにでもなれ。ようし、一ぴきはかならずつかまえるからな。)
と、むちゅうになって、むちゃくちゃ虫のいうままにうごきはじめたのです。
 まず、池のかたほうのはじから、こしをかがめ、りょう手を水の中にいれて、すばやくひらいたりちぢめたりしながら、こいの大軍たいぐんをもういっぽうのはじに、「じわじわっ」と、おいつめていきました。
 おいつめられたこいたちは、びっしりとせをかさねあいながら、「ばしゃばしゃ、ばしゃばしゃっ」と、大きな音をたてています。
 ぼくは、
(えい!)
と、気あいをかけて、むちゃくちゃにこいの中へつっこんでいきました。
 ところが、それがいけなかったのです。おいつめられた数百ぴきのこいたちが、なんといっせいに、ぼくにむかってたいあたりをしてきたからたまりません。水の中へ「ずでん」とあおむけにひっくりかえされ、そのうえ、あっぷあっぷと、どろ水をたんまりとのまされてしまいました。
 さあ、ぼくのはらの虫がおさまりません。
「ちくしょう、やったな。」
と、おもわずさけんでいたのです。
 もう、にしきごいなどどうでもよくなりました。いまは、ただ、このぶざまなまけいくさのめいよばんかいのために、こいたちを、めっちゃくちゃに、やっつけたくなりました。

『いたずらわんぱくものがたり』「まぼろしのにしきごい」(代田しろたのぼる)より
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a 長文 1.3週 se2
 はたけは、麦をかりとったあとで、すっぺりとしていました。わたしは、いっしょうけんめいはしりました。みなもおってきます。
 ところが、そのうち、わたしは、足のうらがあつくてたまらなくなりました。そのころのわたしたちは、みんなはだしでしたから、夏の日ざしにやけた土は、ちょうどすなはまとおなじように、あつかったのです。
 それで、わたしは、はしりながら、草がすこしかたまってはえているようなところをえらんで、ふむようにしました。
(しめた、これならあつくないぞ。)
 そうおもいながら、五、六ぽもいったでしょうか。お神明しんめいさんは、すぐそこです。
 そのとき、
「あいたあっ!」
 右足のうらに、ひどいいたみをかんじて、わたしはとびあがりました。きりでもズブリとさしとおしたようなかんじです。
 一ぽ、二ほ、たたらをふむと、土の上にころがりました。かずまくんやいくおくんたちは、すぐにとんできました。
「どうした。」
「へびか。」
 わたしは、しりもちをついたまま、右足を見ました。なにか、つきささっています。くぎです。赤くさびた、五寸くぎごすん  です。ブッスリとはいりこんでいます。いたみが頭のしんまでつきとおります。
「すぐにぬいてしまわなきゃなんねえど。」
 かずまくんは、そういうと、いきなりわたしの足をかかえ、つきささっているふるくぎをつかむと、おもいきりつよく、グイとひきぬきました。
「ああっ!」
 おもわずひめいをあげましたが、もうそのときには、くぎはとれていました。
「三センチぐれえも、へえってたな。」
 いくおくんが、まゆをひそめてわたしを見ています。わたしは、りょう手でその足くびをにぎりしめました。ちがすこしでてきましたが、ぬいたあとはすぐふさがりそうにも見えます。
「あるけるか。たってみろよ。」
 左足に力いれて、そっとたってみました。いたみはたしかにかんじますが、つまさきをちょっとつけるようにすれば、あるけないこともなさそうです。
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「かたなをつえにすればいい。」
 いわれたとおりやってみると、いかにもちゃんばらでやられたゆうしのような気になりました。
 ちゃんばらごっこは、それでちゅうし。みんなでお神明しんめいさんのまえで、しばいごっこなどをして夕方まであそび、家へもどるときには、もうそのけがのことは、ほとんどわすれていました。
 さて、これですんでいればなんということもなかったのですが、つぎの日になって、この足が、いたみだしたのです。赤くはれだした足のうらは、すこしずつ、いたみをましてきました。
 しかられるかもわからないとおもったわたしは、いつかいたみがひくことをねがって、こらえていましたが、どうにもこうにも、がまんしきれなくなりました。ズキンズキンと、ほねでもきられるようないたさです。
 たぶん、その夕方だったでしょう。足をおさえてころげているのを、兄かあねが見つけ、母にしらせました。母は、いそいでやってくると、赤くはれた足のうらを見るなり、さけびました。
「なにをしたんだえ、この足は。」
 わたしは、いたみになみだをながしながら、けがをしたときのことをはなしました。とたんに、母は、いきなりわたしのほおを、パシッとたたきました。
「なんで、すぐさまいわなんだがや!」

『いたずらわんぱくものがたり』「ちゃんばらごっこのけが」(かつおきんや)より
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 そろばんのもとになるものは、エジプトのピラミッドができるころから発明はつめいされたと言われています。日本にそろばんが入ってきたのは、中国からでした。中国のそろばんは、中国しき計算にあうように、上のたまが二つ、下のたまが五つあり、そのたまは、丸い球形きゅうけいをしていました。しかし、丸いたまはつるつるして、ずれることがあります。日本人は、ぱちぱちと動かしうご  やすく、また動かしうご  位置いちでずれにくくするために、上から見ると円でよこから見るとひし形という今の形にしました。また、十以上いじょうになると、となりのたまに移るうつ ように、上のたまを一つにし下のたまを四つにしました。こうして、中国のそろばんよりもすばやく計算ができる日本のそろばんができました。今世界中せかいじゅうに広がっているそろばんは、日本の形のものになっています。
 そろばんと電卓でんたくとをくらべてみると、電卓でんたくのいいところは、使い方つか かたがかんたんで、まちがえることがないことです。そろばんは、すばやく計算できるようになるためには、毎日の練習れんしゅう必要ひつようです。それに、動かしうご  方をまちがうと、計算まちがいをすることもあります。
 けれど、毎日練習れんしゅうすることで、計算する力がにつきます。指先ゆびさき動かすうご  ことで、ゆび器用きようになり、のう働きはたら もよくなります。また、計算している数字を、たまのかたまりの動きうご として目でつかめるようになります。何よりも、美しいうつく  木でできているたまをはじき、自分がどんどん上手になっていくことで、達成たっせいかん気持ちきも さが味わえあじ  ます。世の中よ なかには、簡単かんたんであるからいいというものもありますが、そろばんのようににつけるまで時間がかかるからいいというものもあるのです。
 そろばんは、鳴らすといい音がするので、楽器がっきのかわりにして遊ぶあそ 人もよくいます。でも、ゆかをすべらせて遊ぶあそ ことは絶対ぜったいにおすすめできません。すぐにこわれてしまうからです。実はじつ こんなことを書くのも、そうやって遊んあそ でしまういたずらっ子がけっこういる
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からなのです。

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a 長文 2.1週 se2
 ところが、千曲川ちくまがわのいきは、はやくはやく川へいきたいばっかりでしたが、かえりに、この目のさめるような赤ナスばたけのそばをとおるときは、子どもたちの心は、大きくゆらぎました。だいいち、さんざ水をあびてつかれていました。いきはよいよいかえりはこわいのうたのように、子どもたちは、も心もだれきっていました。一休みして水がほしかった。そこへもってきてさかをのぼりつめたとたん、この赤ナスばたけのふうけいは、たまらなかったのです。
 その日はどういう日だったか、がまんしきれないで、はるきち、よしお、ちよの三人で、ちよはわたしでした。とうとう、一つとってたべてみようということになって、はるきちがはたけへはいり、よしおとちよが、見はりばんでした。
「すみのほうのをもいで、すぐにげだせばいいぞ。」
 はるきちは、こしをこごめて、わたしたちからはなれていきました。よしおは、家へはいる道のトマトの木にかくれ、ちよは、すこしはなれたところにたって、家のほうを見つめて、見はりをしていました。
 ここで三人は、ちょっとけいさんちがいをしていたのです。家の中から人がでてくるということばかりかんがえて、見はりばんをしていて、うしろからだれかくるかもしれないということは、かんがえてもみなかったことです。それだけ、人どおりのないところだったせいもあったかもしれません。
赤ナスの木の葉こ はのかげに、はるきちの頭が見えていましたが、すぐ見えなくなりました。
「とったなーっ。」
 ちよは、むねがどきんとしたけれど、こんなにあるんだから、一つや二つわかるものかと、気を大きくしていたときです。まったくおもいがけないことになりました。わたしのたっているうしろから、
「これこれ、赤ナスがほしいのかね。」
 わらい顔でひんのいいおばあさんがふろしきづつみをかかえて、こうもりがさをさしかけたまま、よびかけたのです。
 わたしは、はっとしたまま、にげだせません。はるきちとよしおは、それっ! とばかり、ふたたび千曲川ちくまがわのほうへ、ころげるようににげだしました。わたしは、こまってしまいました。
「女の子がこんなことをすると、家の人がかなしがりますよ。」
 やさしいことばでした。
「どこのむすめさんだね。」
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 わたしの顔を、しげしげとながめています。
(おまえは、男の子ばかりとあそんでいて、らんぼうでこまったものだ。)
 おかあさんの顔といっしょに、毎日のようにいわれていることばが、すーっと頭の中をとおりすぎました。

 それからあとは、そのおばあさんが、
「赤ナスの、とったのがうちにあるからあげるで、ふたりをよんでおいで。」
といって、家の中へはいりました。おばあさんが、家へはいるのを見とどけると、わたしは、ふたりのあとをおって、いっきにさか道をおりていくと、谷のほうへ、えだぶりがよくでている大きなまつの木のねもとに、ふたりともしょんぼりこしをおろしていました。
わたしを見ると、
「じゅんさがきたかよ。」
 はるきちの大きな声でした。よしおのほうは、とおまわりだが、三の門のほうから家へかえろうと、あるきだしました。三人はさっきの元気はどこへやらで、日はくれかかるし、心ぼそかったし、それよりも、はるきちが赤ナスをとったのか、とらなかったのか、そんなはなしもひとこともでないで、とおまわりの道のほうへ、おもくなった足をはこびました。

『いたずらわんぱくものがたり』「赤ナスとおまわりさん」(宮口みやぐちしづえ)より
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a 長文 2.2週 se2
 母まで、まるでわたしのことなどわすれたように、白いまえかけのひもをきゅっとむすぶと、もうながしばのほうにいってしまいました。
 わたしはしかたなく、かつよねえちゃんを、よこ目でひとにらみしてから、うらにわのむこうのはなれにいきました。
 はなれでは、太郎たろうくん、みっちゃん、としぼうたち、ちびすけばかり五、六人が、ひとかたまりであそんでいました。
「あ、ゆう子ちゃんだ。」
と、みっちゃんがとびついてきました。みっちゃんは、わたしより一さい年下のなかよしです。でもわたしは、ぶすっとつったっていました。このままはなれでちびすけたちのあいてをするなんて、じつにつまらないことにおもえてきたからです。
「ねえ、あそぼうよ。」
 みっちゃんがわたしの手を、しきりにひっぱります。そのとき、いいことをおもいつきました。家の中のたんけんをしてやろう、とおもったのです。
「みっちゃん、おいで。」
 わたしはみっちゃんをつれて、いそいではなれをとびだし、うらにわのしげみにかくれて、ざしきのようすをうかがいました。
「なにするの。」
「しっ、だまって、たんけんよ。」
「たんけん?」
「うん、そうっと家の中にはいってなにかいいものさがしだそう。かあちゃんたちに見つからないようにね。」
「見つかったらいけないの?」
「そうよ、見つかったら、たんけんにならないよ。」
「うん、おもしろそうだね、たんけんって。」
 みっちゃんはすぐにうなずきました。みっちゃんは、いつもわたしのいうなりになるのです。
 ふたりはざしきのよこにまわり、ろうかのすみっこから家の中にしのびこみました。そしてまず、ふろばにとびこみました。
 ざしきのほうからきこえてくる、おじいさんたちのはなし声やわらい声。だいどころの水の音、おさらのふれあう音や足音。いろんな音に耳をすましながら、ふたりは、かがみのまえでくびをすくめてくすりとわらいました。
「あ、かあちゃんの声だ。」
みっちゃんが、とびだそうとしました。
「だめ、みっちゃん。見つかったら、また、はなれにつれもどされるよ。」
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 それからふたりは、かべにそって、そうっと、そうっと、せ中をまるめてあるきました。
 だいどころのそばの、小べやのまえまできたときです。
「あれ、なに?」
と、みっちゃんがゆびさしました。
 せまいへやじゅうには、おさらをだしたあとの木ばこなどが、ほうりだしてありました。そのまん中にテーブルが一つ、そしてテーブルの上に、なんだか大そうおいしそうなものが、どんぶりに山もりにおいてあるのです。
 だれもいません。ふたりはテーブルにかけよりました。
 どんぶり山もりのおいしそうなもの、それは金いろにつやつやともりあげた、きんとんでした。見ているだけで、ツバがでてきそうです。
 みっちゃんがぶすりとゆびをつっこんで、ひとなめしました。
「わっ、おいしーい。」
 わたしも、やわらかい金いろの中に、おもいっきり人さしゆびをつっこんで、きんとんをすくいました。
 あまくてあまくて、とろりと口いっぱいにとけそうです。すくってはなめているうちに、気がとおくなりそうな、おいしいきんとんです。

『いたずらわんぱくものがたり』「きんとんきんとんくりきんとん」(山口勇子ゆうこ)より
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a 長文 2.3週 se2
「ゆるりばたではしるでねえ!。」
 ねどこの中で、おこっている母の声です。そのひょうしに、兄がちょっとひるみました。そこでわたしは、いっきにおいつめようとしたとき、おもわず、お茶ぼんを、けっとばしたのです。
「あっ!」
 わたしは、からだじゅうから、ちのけがひいていくほど、びっくりしました。やっと、つやのでてきた、ばんこやきのきゅうすを、父が、どんなにだいじにしているか、よくしっていたからです。
 はいの中にころげおちたきゅうすを、そっとひろいあげました。こわごわと、さし口や、ふたにさわってみました。兄も、しんぱいそうにのぞきこみました。
 こわれては、いませんでした。ひびもはいっていないようです。あわてて、ながしへもっていって、はいをあらいおとし、もとのところへおいて、ふきんをかぶせました。
 兄も、だまって、もちをやきはじめました。
 そこへ、父のほうが、さきにおきてきたのです。だまって、たばこを一ぷくすうと、いつものように、いればをもって、顔をあらいにいこうとしました。
 お茶ぼんのふきんを、めくりました。はがありません。
 わたしは、どきっとしました。きゅうすのことばかりがしんぱいで、それまで、いればのことは、わすれていたのです。それでも、だまって下をむいていました。
「おーい。ゆうべは、はをどっかへしまったか?」
 父は、まだおきてこない、母のほうへいいました。はのない父のことばは、声がもぐって、よくききとれません。
「ちっとゆっくりしてえのに、みんなでうるせえだから。」
 母はぶつぶついいながら、おきてきました。
「おぼんの上には、ねえだかい。」
 そういいながらも、母は、戸だなの戸を、しめたり、あけたりして、さがしはじめました。
(あってくれますように――。)わたしは、からだをかたくして、いのるおもいでした。兄もだまっています。
「おまえたちは、さっき、おぼんをけとばしたんじゃあ、あるまいなあ。」
 くるりとこちらをむいた、母は、おそろしいまでに、こわい顔になっていました。
 いろりばたにひざをつくと、長い火ばしで、はいの中を、かきまわしはじめたのです。父もさがしましたが、ありません。
 しまいに、もえているマキをくずし、火の中までもさがしまし
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た。すると、小さくしぼんで、もとのかたちなどなくなっている、いればらしいものが二つ、まっかなおきの中からでてきたのです。
 わたしも兄も、もういろりばたからは、とおくさがった、いたのまに、ひざをそろえて、すわっていました。
「ゆるりばたでさわいじゃあ、なんねえって、あれほどゆってることが、わからねえだか。いればをつくるには、たんと、金がかかるだよ、金をだしたって、いまいって、すぐ買えるものじゃあなかんべあ。はがなかったら、けさっから、なにもかめねえだよ。おまえたちも、なにもくわずにいるといい。」
 母は、こまったのはとおりこして、もうやけっぱちのように、おこりちらしました。
 そのころ、わたしの村には、まだ、はいしゃさんはありませんでした。町までは、とまりがけでなければ、いかれなかったじだいです。
 はのない父は、おこりたいことばさえ、うまくはしゃべれなかったのでしょう。こわい顔で、たばこだけをすっていました。

 じぶんでも、もういればのせわになる年になりました。あの朝の父のかなしさや、母のはらだたしさがとてもよくわかって、すまなく、それでも、なつかしくおもうのです。

『いたずらわんぱくものがたり』「父のいれば」(宮川みやがわひろ)より

おき(すみがほのおを上げないでもえているじょうたい)
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a 長文 2.4週 se2
 ダイヤモンドの美しうつく さは、さまざまな色の輝きかがや 複雑ふくざつ放っはな ているところにあります。
 光は透明とうめいなようですが、実はじつ いろいろな波長はちょうの光が集まっあつ  ています。だから、プリズムに通すと曲がりま  方の違いちが からさまざまな色が見えます。空気中の水分に日の光が当たって、にじが見えるのもこの原理です。
 ダイヤモンドは光の屈折くっせつりつが高く、光を大きく曲げるま  性質せいしつをもっています。そうすると、短いみじか 波長はちょうむらさきは強く曲がりま  、長い波長はちょうの赤色は弱く曲がりま  ます。その間の色もそれぞれの曲がりま  方をするので、ダイヤから出てきた光はさまざまな色に分かれて見えるのです。
 ダイヤモンドは、最ももっと 硬いかた 石と言われています。かたさの調べしら 方は、ある鉱物こうぶつ鉱物こうぶつをこすり合わせ、きずのついた方がやわらかい、という方法ほうほうで行います。ダイヤモンドは、どの鉱物こうぶつよりも傷つききず  にくいのです。
 では、ダイヤモンドは割れわ ないのかというと、金づちでたたいただけで砕けくだ てしまうこともあります。それは「へき開  かい」と言って、割れわ やすい特定とくてい方向ほうこうがあるからです。鉱物こうぶつはその内部ないぶの原子の配列はいれつによって、結合けつごうのとても弱い方向ほうこうができる場合があります。植物しょくぶつを切る時、その繊維せんい向きむ により、たてにさくのは簡単かんたんでもよこにちぎるのは難しいむずか  、ということがありますが、その場合とています。
 てつはすぐにさびますが、ダイヤモンドはさびることはありません。日光にさらされても変色へんしょくせず、さん溶けると  こともないので、とても安定あんていした物質ぶっしつです。ただねつには弱く、高温こうおん熱しねっ た場合、気化きかして二酸化炭素にさんかたんそになってしまいます。つまり、火事かじにまきこまれると、あとかたもなく消えき てしまうことがあるのです。
 ダイヤモンドの価値かちは、おもさ、品質ひんしつ、色、カットの仕方しかたによって大きく変わりか  ます。珍しいめずら  青やピンクのダイヤなどはとても価値かち
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高いものです。しかし、実際じっさい宝石ほうせきとしては適さてき ないものの方が多くあり、それらは価格かかく安くやす 、そのかたさゆえに工業こうぎょう用として広く利用りようされています。たとえば回転かいてんする工具こうぐ刃先はさきにダイヤモンドがまぜられていると、金属きんぞくでもコンクリートでも削りけず とることができます。これは、道路どうろ工事こうじでアスファルトを切るのに使わつか れたり、歯医者はいしゃさんの削るけず ドリルに使わつか れたりしています。家庭かてい電化でんか製品せいひんや車も、ダイヤモンドの助けたす 借りか て作られたものが実はじつ たくさんあります。
 ダイヤは宝石ほうせきとしてもてはやされているだけなく、身近みぢかな生活の中でも活躍かつやくしているのです。

 言葉ことばの森ちょう作成さくせい委員いいん会 α
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a 長文 3.1週 se2
 小屋こやの中には、なん十頭ものブタがいます。もし、それらのブタがバクチクにおどろいて、小屋こやをとびだしたらどうなるでしょう。町じゅうは、ブタだらけになってしまいます。どうろというどうろにブタがあふれ、家の中にまで、ブタがとびこんでくるでしょう。ブタは、おひつをひっくりかえしてごはんをくうかもしれません。ちゃだんすから、おかずをくわえだすかもしれません。もしかしたら、ねている赤んぼうにかみつくかも……。
 ぼくのひざこぞうは、がくがくしてきました。
(にげちゃおう!)と、おもったときです。
コウちゃんが、
「火をつけろ!」
と、めいれいしました。小さいけれど、力のこもった声です。
 ふたり一組になって、ひとりがバクチクをもち、もうひとりがマッチをするのです。ぼくは、サブちゃんと組でした。ぼくがマッチをするやくですが、なかなか火がつきません。マッチぼうを三本もおってしまいました。やっと火がついたら、こんどはサブちゃんの手がふるえるので、うまくバクチクに火がつきません。いや、ほくの手だって、ふるえていたのです。
 そのうらに、シュルシュルシュルという音がきこえました。コウちゃん、ヘイちゃん組のバクチクのどうかせんに、火がついたのです。つづいて、チヨちゃん、クンちゃん組のバクチクにも火がつきました。
「それっ。」
 コウちゃんが、バクチクをさくの中になげこみました。クンちゃんもほうりました。すると、サブちゃんはあわてて、まだ火がついてもいないのに、ほっぽりだしました。
 ぼくらは、もうあとも見ないでかけだしました。ブタ小屋こやのつうろはじめじめしていて、よくすべるので、あまりはやくかけれません。サブちゃんが、すてんところびました。
「ゲンちゃん、まってえ。」
 サブちゃんのなき声がうしろできこえましたが、たすけてやるどころではありませんでした。
 ぼくらは、ブタ小屋こやをとびだそうとしたとき、ばったり社長とはちあわせしてしまいました。おもいがけないことだったので、たまげてしまいました。
 社長のほうも、とつぜん子どもたちがとびだしてきたので、目をまるくしていました。そのすきに、ぼくらはにげだしてしまいました。
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「こらっ、まてえ!」
 社長のどなる声がおいかけてきましたが、みんないちもくさんにかけました。
 やっとじぶんの家のちかくまでにげてきて、ほっとしたとたんにぼくらはサブちゃんがいないことに気がつきました。
 ぼくは、どきんとしました。ころんだサブちゃんをおいてきぼりにしてきたことが、きゅうにすまなくなりました。
「社長に、くびのほねをへしおられたかしら。」
と、チヨちゃんがいったので、みんなしんぱいになりました。
「まさか。」
と、クンちゃんがうちけしました。
「そんなばかなことするもんか。」
 ぼくもじぶんにいいきかせました。
「コウちゃん、バクチクの音きいたかい?」
と、ヘイちゃんがいいました。
「いや、おれもへんだとおもってるんだ。」
 バクチクがはれつしたのを、きいたものはありませんでした。あとでわかったのですが、ブタ小屋こやのゆかがぬれていたので、火がきえてしまったのです。
 しばらくすると、サブちゃんが、にやにやしながら、もどってきました。
 社長は、サブちゃんから、ぼくらがあそびばをとられた、しかえしをしたことをきくと、
「わっははは……、がきどもやりおるな。」
と、わらったそうです。そして、どろだらけのサブちゃんを、水道までつれていって、あらってくれたそうです。そして、
「もっと、元気になれよ。」
といって、かたをたたいてくれたそうです。
「とってもやさしかったよ。」
と、サブちゃんはいいました。
 きっと、社長も子どものころわんぱくぼうずだったのでしょう。

『いたずらわんぱくものがたり』「バクチクをなげろ」(長崎ながさき源之助げんのすけ)より
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a 長文 3.2週 se2
 しんがっきが、はじまりました。
 ぼくたちの四年男子組のうけもちは、となり町からうつってきた森先生にかわりました。
 森先生は、はじめてのじゅぎょうのとき、
「きょう女子組の先生から、男子組のせいとが、ヘビのようなものをつかって、女子をおどしたり、なかせたりするものがいるから、げんじゅうにちゅういしてくれといわれた。よわいものいじめはよせ! 男子らしくないぞ。」
といって、口をきつくむすんで、こわい顔をして見せました。ぼくたちの組の男子は、そのはん人が、だれであるか、ひとりのこらずしっていましたが、みんなしらん顔をしてだまっていました。
 そのとき、ガキだいしょうの勝五郎かつごろうが、「ふん」と、はなをならしました。勝五郎かつごろうは、よくないことをけいかくするまえに「ふん」とはなをならすくせがありました。(で、あいつ、なにかやるつもりだな。)と、ぼくはすぐかんじたのです。
 この小学校でも、あたらしい先生がきたときは、なにか、いたずらをして、先生をびっくりさせたり、おこらせたり、おおわらいをして、からかったりするのが、しきたりのようになっていました。いたずらのさしずをするのは、ずうっとまえから、まえのガキだいしょうが、つぎのガキだいしょうにひきつぐとりきめになっていたのです。
「おい、みんな、ひる休みに校ていのサクラの木の下にあつまれ、しょうちゃんは、ぞうりぶくろをもってくるのだぞ。」
 勝五郎かつごろうのめいれいが、耳から耳へまたたくまにつたわりました。
 ぼくが、ぞうりぶくろをもってサクラの木のところへいくと、もう、勝五郎かつごろうの子分いちどうが、顔をそろえてまっていました。
 勝五郎かつごろうは、ぼくから、ぞうりぶくろをうけとると、じぶんのふところから、ぼくのヘビをひっぱりだしてふくろの中にいれました。
「いいか、みんな、このふくろを、教卓きょうたくの上にのせておくんだ。先生が、だれだ、このようなけがらわしいものをここにおいたのは、とかなんとかいいながら、ふくろの中に手をいれる……、それからは、見てのおたのしみだぞ。」
 勝五郎かつごろうは、そこでまた、「ふふ」と、とくいのはなをならしました。
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 いたずらがうまくなければ、ガキだいしょうにはなれないというけれど、まったく、そのとおりでした。
 いよいよ、午後のじゅぎょうはじめのかねの音が、きこえてきました。
 四年男子組のきょうしつの中は、しいーんと、しずまりかえっています。これから、なにがおきるか、みんな、おもいおもいのばめんを頭にうかべて、いきをのみこんでまっていたのです。
 やがて、ろうかのむこうから、先生の足音がきこえてきました。ガラッと、音をたてて、ドアがひらき、一ぽ一ぽ、先生が教卓きょうたくにちかづいてきます。それから(なんだこれは?)とふくろに手をかけるまでの、はらはらどきどきのスリル……、このすばらしい気もちを、なににたとえていったらよいのでしょう。
 先生は、勝五郎かつごろうがかいた、げきの台本(すじがきの本)をそっくりそのまま、じつえんするように、ふくろをもちあげ、口をひらいて中に手をいれました。
「なにがはいっているんだ。けったいなものだぞ、これは……。」
 そこまでのことばは、ふつうのおちついたちょうしでした。が、つぎのしゅんかん!
「うわっ?」
 先生は、せいとが目のまえにいるのもわすれ、はじもがいぶんもふっとばしたような、さけびをあげながら、手にもったヘビを、まどをめがけてなげつけました。
 ほんもののヘビだとおもって、びっくりぎょうてんしている先生を見て、ぼくたちは、わあ!と、かんせいをあげました。なんだか、むねの中にたまっていたものが、ふっとんでいくようなふしぎな気もちがしました。
 が、先生は、まどガラスにぶつかって、ゆかいたの上におちてきたヘビを見て、はじめて、これがもんだいのヘビのおもちゃとわかりました。すると、おそろしさが、はずかしさにかわったのでしょう。青くなった顔が、まっかないろにかわりました。そして、ぞうりぶくろにかいてある名まえをよむと、すぐ、ぼくのまえにきて、
「人間は感情かんじょうのどうぶつだぞ! おれだって、人間だぞ! ばかにするな!」
と、大声でどなりながら、ぞうりぶくろで、ぼくのほおを力まかせになぐりつけました。
 ぼくが、うるんだ目で、勝五郎かつごろうのほうを見ると、かれは、しらん顔で、「ふん」とよこをむきながら、また、はなをならしているのが、なみだににじんで見えていました。
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長文 3.2週 se2のつづき
 ぼくは、そのとき、はじめて「人間は感情かんじょうのどうぶつだぞ!」ということばをおぼえたのでした。そうして、六十年もたったいまでも、そのことばが、なぐられたいたさとともに、ぼくの心の中にいきつづけてきたことを、わすれることができません。

『いたずらわんぱくものがたり』「先生だって人間だぞ!」(猪野いいの省三しょうぞう)より
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a 長文 3.3週 se2
「なにか、ないかなァ。」
と、家じゅうの戸だなをあけてみましたが、きょうにかぎって、いつもよういしておいてくれる四人分のおやつがありません。
 そのとき、おもいだしたことがありました。せんだっての夕方、うちへ、大きなブリキかんをとどけにきた人がいて、かあさんが、
「なにしろ、たべざかりが、こんなにおおくちゃ、このせつ、おやつだいだって、ばかになりませんからね。」
といいながら、お金をはらっていたのです。
「そうだ、あれはきっと、おかしの買いだめにちがいない。あれだ!」
と、気づいたまではいいけれど、さて、どこにしまったのかな? みんながるすなのをさいわい、あっちこっち、おしいれや戸だなをさがしているうちに、ありました! しんさつしつの入り口のかげがかいだんになっている、そのふくろ戸だなの、ふるしんぶんがつんであるかげに、そのかんが見つかったのです。
「なんだ、こんなところに。」
ふたをあけてみると、やっぱり! あの、さかなのかたちをした、小さい、あめいろのおせんべいが、ぎっしりつまっています。
 わたしは、はっと、いきをのみました。いつもなら、十つぶぐらいずつ、かぞえてわけてもらうおいしいおかしが、こんなにたくさん、目のまえで「たべてください」といっています。それにぷーんと、いいにおい。
 わたしは、金貨きんかの山をまえにしたよくばりじいさんみたいに、手ですくってはあけ、またすくって、たのしんでいましたが、おもいきって、りょう手をおさらにして、山もりすくうと、たちあがりました。さて、かんのふたが、しめられません。そこで、いったんぜんぶ、かんの中にあけて、こんどは、おでこで、ふたをおさえ、すくってからそーっとおでこをはずしてみます。うまくいきました。こんどは、戸だなの戸をしめるばん。りょう手がつかえないから、足でしめるしかありません。おもいガラス戸なので、ガラガラッと大きい音がします。大いそぎでこれだけやると、べんきょうべやにもどって、一つずつ口にほおばります。そのおいしいこと。たべおわるころは、おなかがいっぱい。
 それからかんがえました。おかしが、きゅうにへったと、かあさん、気がついて、おこるかな? いや、あんなにあるんだから、わかりっこない。いもうとたちに、おしえてあげようか。いや、三人のうち、だれかがつげ口するかもしれない。それに、みんながまねをしたら、たちまちかんがからっぽになって、すぐバレてしま
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う。だまっていよう。
 この日からわたしは、おやつどろぼうのあじをおぼえました。しけんべんきょうのときなんか、ま夜中にもやりました。
 わたしは、このときのことを、ずっと大きくなっても、だれにもいいませんでした。だって、ふだんねえさんぶっていながら、こんな、しょうのないくいしんぼだと、しられたくなかったからです。ところが、あとで、とんでもないことをしりました。いいえ、あたりまえといったほうがいいのかもしれません。
 とうさんが七十八さいでなくなり、初七日しょなのかもすんで、みんながあつまったときのことです。しごとも、とうにやめて、さびしくなったかあさんをかこんで、いまはおとなになったきょうだい四人がこたつにはいり、とうさんのむかしばなしや、じぶんたちの子どものころのおもいでを、はなしあっていました。そのとき、わたしが、「じつは、とってもはずかしいはなしだけれど」と、おやつどろぼうのことをはくじょうしました。
 そしたら、
「あらっ、ねえさんも?」
「わたしもよ。」
「わたしだけかとおもった。」
と、いもうと三人が、いっしょにわらいだしました。そして、めいめい、「わたしはこうして」「わたしは、こんなふうに」と、そのときのまねをして見せました。
 かあさんの顔を見ると、しわだらけの顔がわらっています。
「そうそ、そんなことがあったね。おさげやら、おかっぱやらの、頭の黒いネズミどもが、四ひきも、かわるがわるしゅうげきするんだものね。なんでもまとめて買えば、やすくつくとおもったけど、おかしだけは、あてがはずれたよ。とんだかんがえちがいさ。」
「なあんだ、かあさん、しってたの。」
「しらないもんかね。」
「どうして、おこらなかったの。」
「どんなにびんぼうしていたときでも、たべもののことで、かあさんおこったことが、あったかね。」
 ほんとに、そうでした。さすがに、かあさん、むすめたちより、なんまいも上でした。

『いたずらわんぱくものがたり』「おやつどろぼう」(増村ますむら王子)より
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a 長文 3.4週 se2
 わたしたち日本人にとって、海苔のりはとてもなじみ深いふか ものですが、外国の人たちにはそうでもないようです。
 明治めいじ時代じだいに日本にやってきた西洋せいよう人は、「日本人は黒い紙を食べる」と言って不思議ふしぎがったようですが、今でも海苔のり苦手にがてな外国人は多いようです。外国人のパーティーに、巻きずしま   を作って持っも ていったら、その美しうつく さには感心かんしんされたが、海苔のりをはがして食べるので、せっかくの巻きずしま   がぐちゃぐちゃになってしまったという話も聞きます。どうして海苔のりをはがしたのかというと、「かわだと思った」のだそうです。
 あまり知られていませんが、二月六日は「海苔のりの日」です。なぜこの日が「海苔のりの日」になったのかというと、今から千三百年くらい前の日本最古さいこ法律ほうりつである「大宝たいほう律令りつりょう」が広められた日だからです。奈良なら時代じだいのすぐ前、飛鳥あすか時代じだい終わりお  ごろのことです。その「大宝たいほう律令りつりょう」の中には、朝廷ちょうてい納めるおさ  税金ぜいきんとして、二十九種類しゅるい海産物かいさんぶつがのっていました。そのうち八種類しゅるい海藻かいそうで、その中の一つが海苔のりでしたが、その海藻かいそうの中でも、海苔のりは一番の高級こうきゅうひんでした。
 その後の時代じだい海苔のり貴重きちょうひんとして扱わあつか れてきましたが、ただ、このころ食べられていたのは生海苔のりで、今わたしたちが食べているような乾物かんぶつ海苔のりではありませんでした。のちに、江戸えど時代じだいになってから、浅草あさくさで紙の漉きす 方にヒントをた「漉きす 海苔のり」が登場とうじょうし、「浅草海苔あさくさのり」として全国ぜんこくに広まりました。このころ海苔のり巻きま も大流行りゅうこうし、人気の食べ物た ものとなったようです。
 海苔のり養殖ようしょく江戸えど時代じだいから始まっはじ  ていましたが、まだ失敗しっぱいも多く、海苔のり生産せいさん不安定ふあんていで、値段ねだん一定いっていしませんでした。しかし、昭和しょうわ二十四年、イギリスのドゥルー女史じょしが、海苔のりの一生を細かく調べるしら  ことに成功せいこうしました。この知識ちしきもとに、ようやく海苔のりは人工てき養殖ようしょくできるようになったのです。
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 海苔のりのサイズは、切る前の基本きほんとなる「全形ぜんけい」がよこ十九センチメートル、たて二十一センチメートルという、とても中途半端ちゅうとはんぱなサイズに統一とういつされています。これを、かくメーカーが色々な枚数まいすうにカットして、食べやすい大きさにして売っています。このサイズは、海苔のり漉くす ときに使わつか れていた木わくのサイズの名残なごりなのです。
 海苔のりを作るときには、紙を漉くす ときのようにこのの上にどろどろになった生海苔のりをすくいとり、乾かしかわ  て作ります。乾いかわ たらやはり紙のように、このをぺりっとはがしてできあがりです。だから、のりは乾かしかわ  たときの表面ひょうめんにあたるひょうがつるっとしていて、からはがした裏面りめんがでこぼこになっているのです。

 言葉ことばの森ちょう作成さくせい委員いいん会 τ
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