a 長文 7.1週 si2
 江戸えど時代じだいは、戦争せんそうの多かった当時のヨーロッパとはちがい、犯罪はんざいも少ない平和へいわ時代じだいでした。大都会とかい江戸えどで二百年以上いじょうもお風呂ふろさんの料金りょうきん変わらか  ないという、とても安定あんていした時代じだいだったのです。
 多くの人が、長屋ながやというせまい家にをよせあって暮らしく  ていましたが、ぜいたくを言わなければ食べ物た もの充分じゅうぶんにあり、貧しくまず  とも心豊かゆた に生きることができる時代じだいでした。そこでいろいろな庶民しょみん文化ぶんかが生まれ育っそだ ていきました。なかでも園芸えんげいはとてもさかんでした。
 広いにわはなくても、鉢植えはちう 植物しょくぶつならだれでも楽しむことができます。たくさんの人々が鉢物はちもののおもしろさに熱中ねっちゅうし、やがてそれぞれの時代じだい流行りゅうこうも生まれました。カラタチの小さな鉢植えはちう 一つに、今で言えば数おく円の値段ねだんがついたこともあったということですから、その熱中ねっちゅう度合どあいがよくわかります。
 ところで、江戸えど時代じだいにはまだ電灯でんとうがなく夜は早くたので、多くの人が早起きはやお でした。そこで早起きはやお 美しくうつく  見られる花、アサガオが親しまれ、大流行りゅうこうしました。江戸えど時代じだい以前いぜんには、アサガオは淡いあわ 青色のものだけで、道のすみなどに咲いさ ている地味じみな花でした。それが江戸えど時代じだい後期こうきになると、花も実にじつ さまざまな変わっか  種類しゅるいのものが栽培さいばいされるようになりました。カラーで印刷いんさつされたアサガオの専門せんもん書まで何さつも出されました。町中では、天秤棒てんびんぼうをかついだ植木うえき売りが歩いている姿すがたがよく見られました。アサガオの優劣ゆうれつ競うきそ 花合わせ、コンクールもさかんに行われ、お寺や神社じんじゃ境内けいだいなどには、自慢じまん珍しいめずら  鉢植えはちう がたくさん持ち寄らも よ れました。
 アサガオは色や形が変化へんかしやすい植物しょくぶつなので、いろいろなもの
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が作られました。当時のカラーの本の中に、濃いこ 黄色のアサガオがあります。濃いこ 黄色のアサガオを咲かせるさ   ことは、現代げんだい技術ぎじゅつでもまだできていません。
 花の色や形だけでなく、も花に合った形のものが珍重ちんちょうされました。中でも好まこの れたのが牡丹ぼたんきと言われるもので、これは雄しべお  雌しべめ  までが花びらと同じような色や形になったものです。しかし、苦労くろう重ねかさ すえ、やっと満足まんぞくのいく色や形のものができても、変化へんか進んすす だ花ほどたねができないのが普通ふつうです。牡丹ぼたんきのものは、たねをつくるのに必要ひつよう雄しべお  雌しべめ  までが変化へんかしたものになっているのでなおさらです。そこで、牡丹ぼたんきの花と同じ親を持つも 兄弟で普通ふつう咲いさ た花からたねをとり、そのたねからを出したものからまた牡丹ぼたんきのものを選ぶえら という、気の遠くなるような手間をかけて、新しい品種ひんしゅを作っていったのです。
 こんなに手間のかかることでは、「アサガオ」そい人には、とてもできなかったでしょう。

 言葉ことばの森ちょう作成さくせい委員いいん会 α
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a 長文 7.2週 si2
 六人きょうだいの、下から二ばんめ。
 わたしは、あまたれでなき虫のすえっ子でした。
 それに、うまれたときから、めんどうをみてくれた、お手つだいのばあやが、わたしを、たっぷりあまやかしてしまったのです。
 ころんでないたら、にいさんたちが、ころばしたのだろうと、ばあやは、にいさんをしかりました。
 ひとりでおきたら、「おお、つよいこと、つよいこと。」と、ほめました。
 にいさんたちにしてみると、おもしろくないことばかりでした。にいさんたちがころんでも、「気をつけるんだよ。」とか、「おとこの子のくせに、なくなんて。」と、せりふが、まるでちがいましたから。
 そこで、いまいましいにいさんたちは、だれもいないるすになると、わたしをいじめました。

  雨だれポッツリさん
  ポッツリ ポッツリ ポッツリさん

と、いううたを、かえうたで、

  あまたれ ポッツリさん

と、うたいはやしては、からかいました。そうして、わたしのほっぺたに、ポッツリと、雨がふりはじめると、それっと、うたは、ますます元気づいてきます。
 なさけなくてかなしくて、わたしの目からポツリポツリおちるしずくは、やがて、とめどもない大雨になってしまうのでした。
 ある雪の日など、にわにつくった雪の馬にのせてくれたままどっかへいってしまったことがあります。高い馬のせなかから、小さなわたしは、おりられません。
「にいさん、にいさぁん。」
 よんでも、きてくれないので、ながいこと、馬の上にのっかっていたことがあります。白い白い雪の馬が、夕やけでももいろになるまで──
 そんなことがあったのに、ある日、またまた、わたしはにいさんにだまされたのです。にわには、雪がいっぱいでした。長ぐつをはいて、外へでたわたしに、大きいにいさんがいいました。
「あっ、ゆびわ!」
 なんのことかしら。見ると、にいさんは雪の上をゆびさしています。
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「ほら、きれいなゆびわが、おちてる!」
「えっ、どこ?」
 びっくりすると、にいさんはゆびさして、
「ほら、そこ、そこにあるじゃないか。」
 そこといったって、見えやしません。わたしは、むちゅうで、ゆびさされたところへかけよりました。そのとたん、足もとの雪がバシャン! とおっこち、わたしはふかいふかいあなの中にころげおちてしまいました。おとしあなでした。シャベルであなをほって、あなの上に、小えだや、まつのをかぶせて、雪をかけておいたのです。そこへ、おいでおいでと、ひとをおびきよせて、うまくおっことしたのです。
 雪まみれになって、わたしはようやくおきあがりました。まあ、なんてふかいあなでしょう。せいもとどかないあなです。頭の上に青い空があるばかり……、
 ひどいよう、にいさんのいじわる!
 もう、はんなきでした。
「うえーん、だしてよう。」
 よんだのに、見えないところで、にいさんがわらっています。
 うれしそうな声で、わらっています。
 大きいにいさんのほかに、小さいにいさんの声もします。にいさんたちは、こんな大きなあなをふたりでほってひとりはかくれて、わたしのおちるのを見てたのです。
 頭の上に、にいさんのにくらしいとくい顔が、ちらとのぞいて、きえました。

「ほらふきうそつきものがたり」(椋鳩十むくはとじゅうへん フォア文庫ぶんこより)
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a 長文 7.3週 si2
 ぼくが小学校二年生のころ、もう三十年いじょうもまえのはなしです。
 てい学年のじゅぎょうは午前中です。べんとうをたべおわると、ひるのそうじに上級生じょうきゅうせいが、ぼくらの組にやってきます。
 ぼくの組のうけもちは、わかい女の先生です。
 ぼくらは、「さようならっ。」と、大声をはりあげて、先生にあいさつすると、教室をすっとぶようにでていくのです。
 冬のある日のことでした。
 かえりじたくをして、さあ下校だというときになって、ぼくは、先生によびとめられました。
「しみずさん、あなたはちょっとのこっていなさい。」
 むこうがわのまどぎわの三、四人が、ほくそえみ、いみありげな顔をして、ぼくのほうを見ながらかえっていきました。
 ぼくには、なんのことかわかりません。
(やだなあ。またなんか、手つだいなさいなんていうのかなあ。きょうは、とおるくんと、うら山のどんぐりひろいにいくやくそくしてあるというのに。……)
 先生は、いままでも、ときどき、ほうかご、教室のけいじばんに絵をはりだしたり、うしろの黒ばんに絵をかいたりするのを手つだわせるのでした。ぼくがすこしばかりずががうまいからといって、ぼくのつごうもきかないで、先生はいつでも、
「ちょっと手つだってね。」なんていうのです。
 だけど、その日、ぼくをよびとめた先生の声には、いつにないきびしさがこもっていました。
 みんなかえっていきます。とおるくんも、
「ぼく、さきにいってるよ。あとでこいよ。」といって、かえっていきました。
 だれもいなくなった教室。ぼくと先生ふたりだけになりました。すると、先生は、がたがたと、じぶんのつくえの上をかたづけながら、
「しみずくん、きみはろうかにたっていなさい。なにをしたかわかるでしょう。じぶんのやったことがどんなことだか、よくかんがえてみなさい。」
 そういって、すたすた教員きょういん室へいってしまいました。
 ぼくには、まったくなんのことかわかりません。わからないからといって、このままかえってしまったら、あしたまた、ひどくしかられるにきまっています。
「なにかしらないけど、ろうかにたっていろというんなら、たっていればいいだろう。」
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 ぼくは、きょうのごごのあそびのよていがまるつぶれになるのにはらをたてながら、ろうかにたちました。
 六年生のそうじとうばんの人たちがやってきました。
中略ちゅうりゃく
 ろうかをふきそうじしているかれらから、ぼくは、さんざんにいじめられ、からかわれました。
 六年生は、そうじがおわって、ぼくの教室からひきあげていきました。
 ひる休みがすぎて、ごごのじゅうぎょうがはじまったようです。
 あれきり、先生は、教室にやってきません。二時間、三時間とすぎていきました。
(いったい、いつまでたってればいいんだ。なぜ、先生はこないんだ。)
 冬の日ざしがずーっと長くなって、校しゃはすっかりさびしくなりました。夕ぐれです。あたりが、うすぐらくなってきました。
 二年生の教室は、学校の西北のはずれのほうにあって、教員きょういん室ともとおいのです。
(さむいなあ。ぼくをほっといて先生はなにをしてるんだろう。)
 とうとう、夜になってしまいました。
 足がしびれてきます。たったりすわったりして、ろうかで、先生のくるのをまっていました。
 まどがまっくらになり、まどガラスに、ほしがはりつくようにまたたきはじめました。
(もう家では、夕ごはんすんだころなのになあ。)
 そんなことをおもって、なきべそかきそうになっているときでした。こつこつと足音がきこえてきました。かいちゅうでんとうの光が、ろうかをはうようにちかづいてきて、パッとぼくをてらしました。
「いったい、なにをしているのだ。そんなところで。」
 しゅくちょくの男の先生でした。
「先生がたっていなさいというので、たっていました。」
「なんだ。西沢にしざわ先生は、きょうはきゅうようで、ごぜんちゅうでかえったよ。きみをたたせて、わすれちゃったのかな。いそいでかえりなさい。」
 先生のほうがあわてているみたいでした。ぼくは、くさりをとかれた犬のように、家にむかって、まるくなって、夜道をかけていきました。
「ほらふきうそつきものがたり」(椋鳩十むくはとじゅうへん フォア文庫ぶんこより)
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a 長文 7.4週 si2
 西洋せいようには「トマトが赤くなると医者いしゃが青くなる」ということわざがあります。真っ赤ま か実っみの たトマトを食べると、お医者いしゃさんが困るこま ほど、だれも病気びょうきにならない、という意味いみです。これは少々大げさな言い方だとしても、トマトの赤さのもと、リコピンには病気びょうき予防よぼうする働きはたら があります。また、トマトには、ビタミンCも多くふくまれています。
 このことわざとそっくりなもので、日本には「かきが赤く色づくと医者いしゃの顔が青くなる」という言葉ことばがあります。かきにはビタミンやミネラルが豊富ほうふ含まふく れています。また、かき葉っぱは  しぶにも多くの栄養素えいようそ備わっそな  ています。おもしろいのはカキのヘタの部分ぶぶんで、しゃっくりを止める働きはたら があるということです。
 イギリスには、「一日にひとつのリンゴは医者いしゃを遠ざける」ということわざがあります。リンゴには病気びょうき予防よぼうしたり、回復かいふく役立っやくだ たりする作用があるからです。「サンマが出ると医者いしゃ引っ込むひ こ 」などというのもあります。このように身近みぢか食べ物た ものがことわざになっているものは少なくありません。
「秋ナスはよめに食わすな」ということわざがあります。これはおいしい秋ナスを、おしゅうとめさんがお嫁さんよめ  にわざと食べさせない、と考える人もいます。しかし実はじつ 、秋にとれるナスは体を冷やすひ  ので、これから子どもを生み育てるそだ  嫁さんよめ  には食べさせすぎないように、という心遣いこころづか がこめられているとも言われています。さて本当はどちらでしょうか。
 このほかにも、ヨーロッパでは、「レタスはこいほのおをしずめる」という言い方があります。レタスの切り口から出てくる白いしるには、精神せいしん安定あんていさせたり、眠気ねむけをさそったりする働きはたら があるのを、しゃれた言い回しで表しあらわ ているのです。
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 変わっか  たところでは、「ミョウガを食べると物忘れものわす をする」というのもあります。これはつぎのような話から伝わっつた  たとされています。むかしお釈迦様 しゃかさまの弟子で物忘れものわす 激しいはげ  人がいました。その人は自分の名前も覚えおぼ られなかったので、お釈迦様 しゃかさま名札なふだを首にかけてあげました。やがて、その人が亡くなっな   たあと、おはかのまわりに見知らぬ植物しょくぶつが生えました。それが「茗荷みょうが」と名づけられた、というお話です。しかし、ミョウガを食べると物忘れものわす をするということはありません。逆にぎゃく ミョウガの香りかお には集中しゅうちゅう力を高める効果こうかがあるそうです。
 「大豆だいずはたけの肉」「アボカドは森のバター」「カキは海のミルク」などなど、簡潔かんけつなたとえにされているものも数多くあります。どれも実にじつ うまく食べ物た もの効用こうよう表しあらわ ています。

 言葉ことばの森ちょう作成さくせい委員いいん会 α
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a 長文 8.1週 si2
「ほう、なにがあるか、いってみな。」
 ねずみ小ぞうが、いかにもばかにしたようにいいました。
「金の茶がまだ。」
 わたしは、おもってもいなかったことを、ついいってしまったのでした。
「そんなの、うそにきまってらあ。」
 たっぺがいいました。
 ここで、わたしが、うそだというか、だまってさえおればよかったのです。
 ところが、ねずみ小ぞうめが、
「とうちゃんの頭、ぴかぴかの金光りだもんな。」
と、いったから、もういじでもうそだというわけにはいかなくなってしまったのです。
「見たけりゃ、見せてやるぞ。」
 わたしは、ねずみ小ぞうをにらみながらいいました。
「じゃあ、見せてくれ。いつ見せてくれるんだ。」
 ねずみ小ぞうは、もうけんかちょうしです。
「みんなのたからものを見たあとだ。」
 わたしは、できるだけときをかせごうとしました。
 その日はそれですみましたが、さて、これからどうしたものか。
 金の茶がまなんて、おもってもいないことを口にしてしまったのは、くらの中のたなにあるあかがね(どう)の茶がまからおもいついたものだったのです。
 うすぐらいくらの中で、いくらか光るものといえば、これだけでありました。
 父と母と、すえっ子だったわたしの三人は、このくらの中でねていました。父と母が朝はやくでかけていってしまうから、わたしはひとりぼっちで、このくらのものを見まわしているのでした。そして一つ一つのどうぐに、わたしのものがたりをつくっていました。
 この茶がまは、ものがたりの中では、金になったり、ぶんぶく茶がまのおはなしになっていました。
 わたしは、そっとたなから、茶がまをおろしてみました。おばあさんが、ときどきこまかなはいでみがいていましたから、ほこりをはらうと、よく光りました。
「よし、うんとみがいてやろう。そしたら、金みたいに光るかもしれないな。」
 わたしは、おばあさんのいないときを見はからって、茶がまを外のいどばたにもちだしました。
 そのころは、いろりでまきをもやし、ごはんをたいたりおしるを
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にたりするので、かまもなべも、すすけてしまいますから、はいやこまかなすなで、ごしごしみがきました。
 わたしは、おばあさんのまねをし、はいとすなをたわしにいっぱいつけて、ごしごし、ごしごしと力まかせにみがきました。
 水をさあっとかけ、はいとすなをおとすと、茶がまは、見ちがえるほど光ってきました。
中略ちゅうりゃく
  わたしは、すっかりうれしくなり、はやくみんなをおどろかせてやろうとおもいました。
 ねずみ小ぞうは、あれでなかなか目がきくからあとまわし、たっぺはきょろきょろだから、まずあいつからと、あくる日、おばあさんが、外にでかけたあと、大いそぎでたっぺをよんできました。
「いいか、ここで見るんだぞ。」
 たっぺをくらの中にいれずに、あかりをいれる小まどをあけました。
 うまいぐあいに、ちょうどいり日がさっとながれこんで、茶がまが、きらり、きらりと光りました。
中略ちゅうりゃく
 たっぺは、あした学校にいって、みんなにいうにきまってるとおもうと、その夜は、なかなかねつかれませんでした。
 あくる日、やっぱりたっぺがいいふらしたので、みんなが「おれにも見せてな」と、よってくるのでした。
 だが、このうその金の茶がまは、おもいがけないところからばれてしまったのです。
 学校からかえってきたら、おばあさんが、茶がまをとりだし、目をつりあげておこるのでした。
「なんだって茶がまを、こんなひどいめにあわせるんだ。
 この茶がまはな、おばあさんの母のかたみだから、だいじにだいじにしてきたものを。ほら、よく見ろ。」
 おばあさんにいわれてよく見ると、茶がまには、こまかいきずあとが、いっぱいついているのでした。
 あかがねというものはとてもやわらかですから、おばあさんは、きずがつかないように、はいをこまかなあみめのふるいになんどもかけて、こなのようにし、やわらかなきぬにすこしずつつけてみがくのでした。
 それをわたしは、なべやかまとおなじように、ごしごしみがいてしまったのです。
「ほらふきうそつきものがたり」(椋鳩十むくはとじゅうへん フォア文庫ぶんこより)
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a 長文 8.2週 si2
「ほんとに、たからものがあるのか!」
 竹ちゃんが、ぼくにむかってねんをおすようにいいました。
 そういわれると、ぼくもあとにはひけません。
「うそじゃない。おじいちゃんが、いったんだ、ほらあなの中に、千りょうばこにはいった大ばん小ばんが、ごっそりうずめてあるって。」
 ぼくのうそはますます大きくなり、とりかえしのつかない大ぼらになっていきました。
「よし、いってみよう。だけど、おまえがいちばんさきにはいるんだぞ。いいな。」
 竹ちゃんが、だめおしをするように、ぼくの顔を見つめていいました。
「ああ、いいとも。」ぼくは、むねをはってこたえました。
 でも、ほんとうのところ、ぼくの心は、(こまったぞ。どうしよう……。)と、おろおろしていました。
 やがて、ローソクやマッチなどをもったぼくたち五人は、ドンドンあなへむかいました。
 あなの入り口は、やっと人がとおれるだけのせまさです。
「さあ、おまえからはいるんだ!」
 竹ちゃんがぼくの心を見すかすようにせきたてました。ぼくは、とたんに、ぶるるる……と、からだがふるえました。
「おい、さっきいったの、あれみんなうそっぱちなんだ!」
 ぼくは、のどのあたりまでそんなことばがでかかったのですが、またゴクン、とのみこんでしまいました。
 みんなから「大うそつき、大ぼらふき」と、いわれるのがしゃくだったからです。
 ぼくは、ローソクに火をつけてまっさきにあなにはいりました。
 正ちゃん竹ちゃん、六ちゃんとあとにつづき、いちばんしんがりは竹ちゃんの弟で、二年生のきよしちゃんでした。
 はいったとたんに、しめっぽくかびくさいいやなにおいが、ぷーんとはなをつき、ローソクの光におどろいたコウモリが、パタパタ……と、とびたちました。
(ばか、ばか、ばか! おまえって、なんてばかなんだ。なぜ、つまらないうそなんかついたんだ!)
 ぼくの心が、しきりにぼくをせめたてました。
「おい、たからのありかはどのへんだ!」
 うしろから、竹ちゃんがたずねました。
「もっとさきだ。」
 ぼくは、かぼそい声でこたえました。
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 しばらくすすむうちに、てんじょうから、大きな石がぐーっとおちかかったりして、ゆくてをふさぎました。
 やっと、はらばいでいけるようなところもあります。
 声をだすと、ウォーン、ウォーンと、ぶきみにあなの中でひびきます。
 はじめは、たがいにわらったり、はなしたりしていたなかまは、しぜんにだまりこんでしまいました。
「おい、どこだ、千りょうばこのあるところは!」
 うしろから、みんながおこったような声で、さけびました。
 どこまでつづいているかわからないほらあな。石が上からおちかかっていきうめになったら……と、おもったしゅんかん、ぼくはもう、一ぽもすすめなくなりました。
 父や母のしんぱいそうな顔が、目のまえにちらちらして、なきだしたくさえなったのです。
(はやくあやまれ、みんなにあやまって、あなの中からでろ!)
 ぼくの心がさけびました。
 そのときです、いちばんしんがりにいたきよしちゃんが、とつぜん大声でなきだしました。
 こわいから、かえるというのです。とたんに、ぼくはすくわれたような気もちになって、
「だめだなあ、こんなときに小さい子をつれてくるからだ……。」
と、うしろの竹ちゃんをなじるようにいいました。
「おい、みんなかえろうぜ。どうせ、たからものなんか、ありっこないんだ。」
 竹ちゃんは、ぼくの心の中をみすかしたように、いいかえしました。
「そ、そ、そんな、おじいちゃんが、ちゃんといったんだぞ。」
 ぼくはあわてぎみに、いっしょうけんめいべんかいをしました。
 やがて、ぼくたち五人は、ぶじにほらあなの外へ、はいだしました。
 あなの中からでたとたんに、ぼくはすくわれたように、ほっと大きないきをつきました。
 それでも、なかまたちの顔を、まっすぐ見ることができず、まだなきじゃくっているきよしちゃんのそばへいって、
「ごめんよ。」
と、小さな声でいいました。

「ほらふきうそつきものがたり」(椋鳩十むくはとじゅうへん フォア文庫ぶんこより)
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a 長文 8.3週 si2
 わたしたちは友だちを三つにわけていました。大すき、中すき、小すきです。
 (中略ちゅうりゃく
 わたしはすみちゃんのこと、中すきでしたが、おはじきのルビーいろに光るのを、六こもきまえよくくれたので、大すきになりました。
 すみちゃんのうちは、電車どおりから川べりのほうに、ほそ道をおりたところです。すみちゃんのうちの木のくぐり戸のところまでくると、すみちゃんの弟のだいちゃんが、門ばんみたいにつったっていました。
「だめだ。はいっちゃだめ。」
「どうして?」
「かあちゃんがおつかいからかえるまで、だれもうちにいれちゃだめっていわれてる。ねえちゃんには、だれもあえない。」
「でもわたし、すみちゃん大すきだもん。すみちゃんもわたしのこと大すきだもん、いいの、いいの。」
 わたしは、だいちゃんをおしのけて、さっさとあがりました。
「すみちゃん。」
 ふすまをあけると、すみちゃんはへやのまんなかで、ふとんをいっぱいかけてねていました。
「ウ……ウウ……ウ……。」
 へんな声でなにかいったとおもうと、きゅうに、頭までふとんをかぶってしまいました。ふとんの中でもまだ、「ウ……ウ……。」といっています。まるで山ばとが、森のおくでないているような声です。
「どうしたの、なにいってるの。」
 わたしはかまわずふとんをはぐって、すみちゃんの顔をのぞきました。
「なあに、その顔。」
 びっくりしてしまいました。いつものすみちゃんとは大ちがいのへんな顔です。ほっぺたのかたっぽが、むやみやたらにふくれあがり、あごからのどまでぶうーっとおまんじゅうみたいです。それがまた、ぶくぶくとゆがんでいます。目といえば、とろーんとして、おまけに赤目です。
 すみちゃんはへんな顔で、わたしをうらめしそうに見あげ、
「ウ……ウウ……ウ……。」
と、なきだしました。すると、ふくれたところがもっとふくれて、ぶるん、ぶるん、うごきます。見ていると、おかしくて、おかしくて、わらわずにはいられなくなりました。
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「あっはっはっは。」
と、わらっていると、だいちゃんがかけこんできて、いきなりわたしのカバンをなげとばしました。ふでばこもとびだして、げんかんのたたきの上で、ガシャッと大きな音をたてました。
「なにするのっ。」
 わたしは、げんかんにすっとびました。
「あーっ、赤えんぴつがおれたーっ。」
 せっかくとんがらした、大せつな赤えんぴつもおれてしまったではありませんか。
「もう、大すきなんかやめた。すみちゃんも、だいちゃんも、小すき小すきの大っきらい。」
 わたしは大いそぎでえんぴつをかきあつめ、カバンをつかんで、すみちゃんのうちをとびだしてしまいました。
 つぎの日、わたしは学校でみんなにいいました。
「すみちゃんね、ぶっくぶくにふくれた顔になってね、わたしのこと、ウウ……ウ……ってにらんだの。」
「えっ? おばけみたいに?」
「そう、そう、おばけよ。ふくれおばけよ。」(中略ちゅうりゃく
 みんな「ふうん」と、きいてくれたのに、まっちゃんがいじわるな声でいうのです。
「へーんな人、あんなにすみちゃんのこと、大すきっていってたくせに。」
「ちがうよ。もう、大すきじゃないよ。小すき、小すきの大きらいよ。」
「そう、それじゃすみちゃんからもらったルビーのおはじき、みーんなすてる?」
「うん、すてる。」
 いってしまってからおしいな、とちらりとおもいました。でもこうなったらすてるんだ。へいき、へいき、とおもいなおしました。
「あきかんにいれて、おすなばにうずめるよ。」
 それからなん日かして、わたしはのどがいたくなりました。高いねつがでて、からだじゅうこわれそうです。いきをするたびに、うなり声がでます。
 おいしゃさんが、くすりのにおいをぷんぷんさせてやってきました。耳の下のところを、ふといつめたいゆびでおさえ、
「おたふくかぜに、やられましたな。」
と、いいました。
「ほらふきうそつきものがたり」(椋鳩十むくはとじゅうへん フォア文庫ぶんこより)
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a 長文 8.4週 si2
 ふだん、歩行しゃは、道路どうろ右側みぎがわを歩くことになっています。そして、自動車じどうしゃやバイクは左側ひだりがわ通行です。ですから、日本で作られる自動車じどうしゃの大部分ぶぶんは、ハンドルが右についている右ハンドル車です。しかし、外国から輸入ゆにゅうされた車は、ハンドルが左側ひだりがわについている左ハンドル車が多いのです。これは、外国では、車が日本とはぎゃく右側みぎがわ通行であることが多いからです。
 日本と同じ左側ひだりがわ通行をしている国は、イギリス、アイルランド、オーストラリア、インド、南アフリカなど、かつてイギリスの植民しょくみん地であった国か、イギリスと深いふか 関係かんけいにあった国々です。アジアでは日本のほか、タイやシンガポール、インドネシアなども左側ひだりがわ通行ですが、全体ぜんたいとして右側みぎがわ通行の国の方が多く、左側ひだりがわ通行の国は世界せかいの三分の一くらいです。
 イギリスや日本がなぜ左側ひだりがわ通行なのかというと、これはむかし、イギリスの騎士きしや日本の武士ぶしが、こし左側ひだりがわけんや刀を差しさ ていたため、すれ違う  ちが ときにそのけんや刀がぶつからないようにしたからではないかと言われています。
 日本はむかし、道があまり整備せいびされておらず、通行のルールもはっきりとは定まっさだ  ていませんでした。しかし、明治めいじ政府せいふがイギリスをお手本として社会の仕組みしく 整えととの ていったため、ある時期じきから人も車も左側ひだりがわ通行と定めさだ られました。その後、人だけは、車と対面たいめん通行となる右側みぎがわ通行とするように変更へんこうされました。
 不思議ふしぎなことに、都会とかいの人の流れなが を見ていると、だれ決めき たわけでもないのに、自然しぜん左側ひだりがわ通行になっていることが多いようです。これは、人間は右利きき の人が多いため、右手で他人たにん対したい たいからではないかと言われています。
 ヨーロッパでも、むかし左側ひだりがわ通行がよく見られたようです。しかし、ヨーロッパ全土ぜんど支配しはいしたナポレオンが、軍隊ぐんたい右側みぎがわ通行と
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し、それを広めたため、ほとんどの国で右側みぎがわ通行が行われるようになりました。ナポレオンがどうして右側みぎがわ通行を好んこの だかというと、かれ実はじつ 左利きひだりき だったから、というせつがあります。
 ナポレオンの左利きひだりき せつが正しいとすると、もしもナポレオンが大多数の人と同じ右利きき だったら、世界せかいにはイギリスや日本と同じ左側ひだりがわ通行の国が多数を占めし ていたかもしれません。そうすれば、日本人であるわたしたちが、海外旅行りょこうで車の流れなが にとまどうことはなかったでしょう。
 ところで、船と飛行機ひこうきは、安全あんぜんせいのために世界中せかいじゅう右側みぎがわ通行に統一とういつされています。国によって通行の方法ほうほう違うちが と、国際こくさい航路こうろで大混乱こんらん起きお てしまうからです。

 言葉ことばの森ちょう作成さくせい委員いいん会 τ
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 うちにはいると、おかあさんは、ヤッちゃんをおふろにいれてくれました。
 あついくずゆをたべて、ヤッちゃんは、ふとんにはいりました。
 すると、もうねてしまったとおもっていたチイちゃんが、むくむくおきあがりました。
「おにいちゃん、さむかった?」
 そういいました。チイちゃんは、もうおこった顔をしていませんでした。
「さむかったさあ。こごえて死んし でしまいそうだった。」
「ごめんね。」
 チイちゃんにあやまられて、しかたなくヤッちゃんは、にこっとわらいました。
「へいきさ、おふろにはいったから。あのね、チイちゃん、あの手ぶくろ、さがしたんだけど、見つからなかったんだ。」
「ふーん、そうなの。でも、いいや、ぼくがまんする。」
 ヤッちゃんは、なんだかチイちゃんがかわいそうになりました。それで、つくりばなしをすることにしました。
「うーんと、あのね、あの手ぶくろ、じつは、なくしたんじゃなくて、かしてやったんだよ。」
「かしてあげたって、だれに?」
「あのね、小人にさ。」
「小人? ほんとう?」
「うん、ほんとうだよ。夕がた雪がふってきたろ。おにいちゃんがうちへかえろうとおもって、あるいてくると、もしもしってよぶんだ。だれかなって見ると、小人じゃないか。小さい、小さい、とっても小さい、雪の小人。まっ白いふくをきてね、白い三かくぼうしをかぶった、小人が天からふってきた。」
「ほんとう? それ、ほんとうのはなしなの?」
「ほんとうとも。小人が五人、おにいちゃんのかたに、ぽんと立って、おねがいです、おねがいですっていうじゃないか。なんだいっていうとね、すみませんが、その手ぶくろをかしてくれませんか、そういった。」
「へへえー、小人が、そんなこといったの!」
「うん。それで、どうしてってきくと、じつは……、ぼくたち天からふってきたので、とまる家がないんです。どうか、しばらく、その手ぶくろ、かたっぽうおかりできませんでしょうか。」
「へえー、そんなこといったの。手ぶくろかたっぽうだけ……。ははあ、わかった。その小人、手ぶくろにはいってねるんだ。ゆびのところに、ひとりずつ。そうだ、きっと。それで、どうしたの、おにいちゃん。」
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「それでね、チイちゃんの手ぶくろだけど、ぼくかしてあげちゃったのさ。」
「ふーん、そうだったの。その小人よろこんだ?」
「よろこんだとも……。大よろこびさ。」
「じゃあ、かしてあげて、よかったね。でも、その小人、どこにすんでいるんだろう?」
「さあね……、雪の中にあなをほって、すんでいるんじゃないか……。」
「春になって、あったかくなったら、手ぶくろかえしてくれるかなあ。」
「もちろんさ……。」
 そういうと、ヤッちゃんは、ことんと、ねむってしまいました。
      ☆
 それから一か月半ばかりたって、あたたかい日が五、六日つづいて、雪がとけはじめました。雪がとけてどろんこ道になりました。
 ある日、ヤッちゃんのうちの、おとなりの犬が、赤いきれをくわえて、ふりまわしてあそんでいました。
 それを見て、チイちゃんが、大声をあげました。
「ぼくのだっ、ぼくの手ぶくろだ。ゾウの手ぶくろがかえってきたあ。」
 それは、チイちゃんの手ぶくろでした。
「わあーい。小人にかした手ぶくろだあーい。小人が、かえしてくれたんだあ。」
 チイちゃんは、大よろこびしました。
 手ぶくろは、長いあいだ雪の下にあったので、ちぢんで、小さくなっていました。それに、おとなりの犬がふりまわしたからでしょう、ところどころあながあいて、もうつかえなくなっていました。
 それでも、チイちゃんは、その手ぶくろを、小人にかした手ぶくろだといって、いつまでも、だいじにしていました。

「ほらふきうそつきものがたり」(椋鳩十むくはとじゅうへん フォア文庫ぶんこより)
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 わたしは、そのとき一つのわるだくみをかんがえついたのです。
「ところで、ヘイキチ、まんじゅうをくいたくねえか。」
 わたしがいうと、ヘイキチは、あんのじょう目をかがやかしました。
「そりゃあ、くいてえさ。」
「だったら、バスのしりにのれよ。そして、県道けんどうにでるちょっとてまえの、ダルマのところでおりるんだ。ダルマへいくと、おじさんが、よくバスにのった、かんしんだ。おまえはゆうきがあるぞって、ダルマまんじゅうを一つくれるぞ。」
「えっ、ほんとうかあ。」
 ヘイキチは、からだをのりだしました。
「ああ、ほんとうとも。あそこのおじさんは、元気な子どもが大すきなんだ。」
 わたしは、わらいたくなるのをがまんして、まじめな顔でいいました。ヘイキチをだますことなんか、わけはありません。たべもののことをもちだせば、すぐくいついてきます。というわけで、ヘイキチはうそともしらず、バスのうしろにのったのですが、そのかっこうったらありませんでした。まるでヤモリがしがみついてるようでした。
 ところが、どうしたわけか、ヘイキチはいつまでたってももどってきませんでした。あほうのヘイキチのことですから、もしかしたら、県道けんどうにでるまえにバスからおりそこなったのではないかしら。のりおりの人がなくて、バスは、ていりゅうじょをいくつもとまらずに、とおくのほうまでいってしまったのかもしれない。そうおもうと、わたしはきゅうにふあんになってきました。そこで、わたしはダルマかし店へいってみました。もし、主人しゅじんに見つかって、「おまえだな、ヘイキチにでたらめをいってそそのかしたのは。」と、とっちめられてはいけないので、そっと店の中をのぞいてみました。さいわいなことに主人しゅじんもいませんでしたが、ヘイキチのすがたも見あたりませんでした。
 さては、やっぱり……そうおもうと、むねがどきどきしてきました。しんぱいになったわたしは、ヘイキチをさがしに県道けんどうをあるいていったのです。しょうてんがいをはずれると、道は田んぼのあいだをどこまでもつづいていました。だが、そのどこにも、ヘイキチのすがたは見えなかったのです。
(ヘイキチののろまめ!)
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 わたしは、じぶんがうそをいって、ヘイキチをとんだめにあわせたこともわすれて、へイキチのへまをうらみました。
 秋の日が、まっかなホオズキのように、ゆく手の山の上にしずもうとしていました。風がつめたくなってきました。ススキのほが、ぎんいろにかがやきながらゆれていました。(中略ちゅうりゃく
 日はすっかりくれて、くらくなってしまいました。わたしはこわくなりました。なきたいのをいっしょうけんめいこらえていそぎました。ぱたぱた、だれかがうしろからついてくるような気がしましたが、ふりかえると、だれもいませんでした。まっくらな道があるだけでした。わたしは、ぞっとしました。
 だから、町のあかりが、とおくのほうにちらちら見えたときは、ほんとうにほっとして、おもわずかけだしてしまいました。
 うちでは大さわぎして、わたしをさがしにいこうとしているところでした。そこへ、わたしがもどっていったので、おかあさんは、ほっとするとどうじに、かんかんになっておこりました。
「みんなにしんぱいをかけて、このばかが……。」
と、おかあさんは、わたしの頭をいやっていうほどたたきました。そのいたいのなんのって、おもわずなみだがあふれたほどです。いや、もしかしたら、それは、やっと家にもどれたという、よろこびのなみだだったかもしれません。
 そのとき、わたしはなみだごしに、ヘイキチを見つけたのです。ヘイキチは、わたしを見ながら、にたにたわらっているではありませんか。
(おれがあんなにしんぱいしてたのに、おれが、あんなにわるいことをしたとこうかいしてたのに、ああ、なんてことだ。とうのヘイキチが、のんきな顔をしてうちにいたなんて。こんちきしょう!)
 わたしは、わっとなきだしながら、ヘイキチめがけてむしゃぶりついていきました。ところが、わけをしらないおかあさんは、わたしがただヘイキチにわらわれたので、おこったのだとおもったのでしょう。ますますわたしをしかりつけました。
 あとできいたのですが、ヘイキチはこわくなって、百メートルもいかないうちにバスをおりてしまったのだそうです。そうしたら、ちょうどろじで、紙しばいがやっていたので、見てしまったというのです。
 なんのことはありません。わたしはじぶんがついたうそに、だまされたようなものです。まったくばかなはなしです。

「ほらふきうそつきものがたり」(椋鳩十むくはとじゅうへん フォア文庫ぶんこより)
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 それは、「わたくしのおにんぎょう」というだいで、いまもおぼえていますが、こんないみのことを書いたのです。
 「わたくしのおにんぎょうは、いつか、るすをしたごほうびに、おかあさんから、かっていただいたのです。きれいなフランスにんぎょうで、赤いぴかぴかしたようふくをきています。きせかえあそびもできるのです。あんまりかわいいので、ときどき、だいてねることもあります。
 わたくしは、このおにんぎょうがだいすきです。これからも、いつまでもだいじに、かわいがってやろうとおもっています。」
 じぶんでも、はじめにしては、わりとじょうずにかけたとおもいました。じっさい、あとでかえしてもらったのを見ると、大きな三じゅうまるがついていたのです。そのときからずっと、つづりかたは、わたしのいちばんとくいな科目になったのでした。
 さて、はじめてつづりかたを書いた日から、なん年かたったある日のこと。うちへ友だちがあそびにきたので、トランプかなにかをさがして、つくえのおくをかきまわしていたら、だいじにしまっておいた、このふるいつづりかたが、でてきたのです。友だちは、おもしろがって、それをよみました。
「へーえ、いいにんぎょうがあったんだね。このにんぎょう、いまもあるの?」
「うーん、あるような、ないような……。」
「なによ、あるような、ないようなって……。あるの、ないの、どっち?」
 やれやれ、どうも、このへんで、はくじょうしなくてはならないようです。
「えヘヘ。じつは、それ、うそなの。」
「うそ? あらやだ。あんたったら、はじめてのつづりかただっていうのに、うそを書いたの?」
「うーん、まるっきり、うそでもないよ。あのねえ……。」
 わたしは、おもちゃばこのすみっこにおしこんであった、おんぼろの、小さなにんぎょうをとりだしました。
「ほら、これ。」
「これ? こんなちっぽけなの? これがフランスにんぎょう?」
「しらない。だけど、まあ、スカートがぱっとひろがってるから、フランスにんぎょうにしとくの。」
「ふうん。ええと、赤いようふく……は、たしかに、きてるわね。だいぶ、いろがさめてるけど。」
「ほらね、まるっきり、うそでもないでしょ。」
「まあね。だけど、きせかえもできるって書いてあるわ。きせかえなんて、できそうもないじゃない。」
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 わたしは、だまって、にんぎょうのかぶっている大きなぼうしをスポッとぬがせました。ぼうしといっしょに、金いろの、カールしたかみの毛も、みんなスポッととれて、つるつるのぼうず頭があらわれました。
「あーら、やだあ。これで、きせかえのつもり?」
「そう。ほかのぼうしをかぶせれば、きせかえって、いえないこともないでしょ。」
「あきれた、あきれた。こんなの、だいてねてたの?」
「まさか。こんなの、ごつごつしてつめたいばっかしじゃないの。だいてねたのは、こっち。」
 わたしは、おもちゃばこから、もう一つ、手のもげた、ぬいぐるみのだきにんぎょうをだして見せました。
「なあんだ。二つのにんぎょうを一つのことにしちゃったんだね。じゃあ、るすばんのごほうびにもらったのは、どっちなの?」
「あれ、うそ。だいいち、そんな小さいときに、ごほうびをもらうほど、長いるすばんなんて、したことないもん。」
 わたしがけろっとしていったので、友だちは、あきれかえった顔になり、それから、ふたりいっしょに、わっとわらいだしてしまいました。
 と、いうわけで、わたしのはじめてのつづりかたは、ほんとは、大うそだったんです。どうして、あんなうそを書いたのか、じぶんでもわかりません。
 でも、ふしぎでした。うそをつくのはわるいことだとしっていたのに、つづりかたにうそを書いたことは、ちっともわるいとおもわなかったのです。もしかしたら、わたしは、つづりかたと、おはなしをつくることとを、ごっちゃにしていたのかもしれません。それからあとも、はなしをおもしろくするためなら、人にめいわくをかけないていどで、ちょいちょい、つづりかたにうそをまぜていたのですから。
 そんなら、このはなしも、うそじゃないのかって?
 いえいえ、そんなことありません。これは、ほんとにほんとのはなし。わすれられない、はじめてのつづりかたのおもいでです。

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 アメリカのモンタナしゅうは、ジュラ紀   きや白亜紀あき恐竜きょうりゅう化石かせきがたくさん発見はっけんされる場所ばしょです。このあたりで、タマゴのから破片はへんのようなものがたくさん見つかり、これが大発見だいはっけんにつながりました。タマゴのから周辺しゅうへんをさらに調査ちょうさすると、直径ちょっけい三メートルほどもある、クレーターのような形のが見つかったのです。このの中から、赤ちゃん恐竜きょうりゅう化石かせきがたくさん出てきました。これは、この場所ばしょでカモノハシりゅうのタマゴが孵化ふかしたことを示ししめ ています。また周辺しゅうへんからは、大人のカモノハシりゅう化石かせきが見つかりました。
 タマゴのからが細かく割れわ ている理由りゆうは、赤ちゃん恐竜きょうりゅうが足で踏みつけふ   たからでしょう。つまり、タマゴからかえった赤ちゃんは、しばらくの中で生活していたということになります。の中から見つかった赤ちゃんのほねは、大きさがさまざまで、いちばん小さいものは全長ぜんちょう二十五センチメートル、大きなものは一メートルほどありました。恐竜きょうりゅうの親は、赤ちゃんが生まれてから一メートルの大きさに成長せいちょうするまで、エサをあげて子育てこそだ をしていたのでしょう。これは、親鳥がの中のヒナにエサを運ぶはこ のとよくています。このカモノハシりゅう仲間なかまには、「よいお母さん恐竜きょうりゅう」という意味いみのマイアサウラという学名がつけられました。
 更にさら の中をよく調べしら てみると、植物しょくぶつ破片はへん化石かせきが数多く見つかりました。これは、親が子に運んはこ だエサの植物しょくぶつとは違うちが ものです。なぜエサでもない植物しょくぶつが、たくさん発見はっけんされたのでしょう。
 鳥はタマゴを生むと、タマゴの上に乗っの 温めあたた つづけます。タマゴがかえるには、一定いってい期間きかん決まっき  温度おんど保つたも 必要ひつようがあるからです。恐竜きょうりゅうの場合はどうでしょう。マイアサウラの親の大きさは八メートル近くあり、体重たいじゅうは何トンもあったと考えられます。こ
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れでは、タマゴの上に乗っの 温めるあたた  わけにはいきません。そこで、自分が温めるあたた  代わりか  に、タマゴの上を植物しょくぶつでおおって温度おんど保ったも たのです。こうしておけば、直射ちょくしゃ日光で暑くあつ なりすぎたり、夜間に冷えひ すぎることもありません。また、植物しょくぶつ発酵はっこうによってねつを出すので、それによってタマゴを少しずつ温めるあたた  ことができます。
 このようなは、同じ場所ばしょから複数ふくすう見つかっています。マイアサウラは集団しゅうだん子育てこそだ をしていたのでしょう。生まれたばかりの赤ちゃん恐竜きょうりゅうは弱く、てきにねらわれやすいのですが、集団しゅうだんを作って生活をしていれば、いつも大人のマイアサウラが赤ちゃんを守るまも ことができます。
 発見はっけんされた化石かせきは、これまでわからなかった恐竜きょうりゅう行動こうどうを、わたしたちに教えてくれるものでした。化石かせきをくわしく調べるしら  ことで、わたしたちは大昔おおむかし恐竜きょうりゅうの生活の仕方しかたまで知ることができたのです。

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