a 長文 7.1週 ti2
 1私(わたし)は、自分自身の体験(たいけん)を紹介(しょうかい)しながら丸暗記についてだいぶ否定(ひてい)的(てき)なことを述べ(の )てきました。しかし、それは丸暗記でやっていくことの限界(げんかい)について指摘(してき)するのが目的(もくてき)で、暗記による知識(ちしき)の獲得(かくとく)そのものが「意味がない」と考えているわけではありません。2それどころか、いろいろなことが「わかる」ようになるベースを頭の中につくるときには、むしろ暗記は必要(ひつよう)不可欠(ふかけつ)だと考えています。
 そもそも、何もない、まったくのゼロの状態(じょうたい)から何かを生み出すことはできません。3物事を理解(りかい)することも同じで、自分の中に理解(りかい)するための必要(ひつよう)な要素(ようそ)となるものを最低限(さいていげん)持っていなければ、これを使ってテンプレートをつくっていくこともできません。4つまり、わからないものをわかるようにするにも、最低限(さいていげん)必要(ひつよう)となる知識(ちしき)を準備(じゅんび)しておく必要(ひつよう)があるということです。
 そのためには基礎(きそ)的(てき)な知識(ちしき)は暗記によって頭の中に入れてしまうのです。5たとえば算数でいえば誰(だれ)もが通る「九九」などはその代表でしょう。漢字や英単語(えいたんご)だってマニアックなもの以外(いがい)はともかく覚え(おぼ )ておいたほうがいいに決まっています。
 6また、なかには子どものころ、「百人一首」や「いろはがるた」などを遊びを通じて覚え(おぼ )た人もいるでしょう。こうした昔の人が残し(のこ )た短い言葉の中には、生きていくうえでの知恵(ちえ)が凝縮(ぎょうしゅく)されて残さ(のこ )れています。7こういうものを持っているのが先人たちが積み重ね(つ かさ )てきた文化の強みで、これを有効(ゆうこう)利用(りよう)しない手はないのです。たとえ丸暗記をしたその時点ではきちんと意味が理解(りかい)できなかったとしても、さまざまな経験(けいけん)を積む(つ )中で、理解(りかい)は深まっていくでしょう。8そして、いずれはそこからさらに別(べつ)の知見を導き出す(みちび だ )というような、生きた知識(ちしき)として使えるという可能(かのう)性(せい)があるのです。
 9これはまさに人間の営み(いとな )そのものです。言語が誕生(たんじょう)したといわれる約(やく)七万五〇〇〇年前の人といまの人を比べる(くら  )と、人類(じんるい)の知的(ちてき)
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能力(のうりょく)という点では同じだという説(せつ)があります。0しかし、持っている知識(ちしき)の量(りょう)や深さに関して( かん  )は、二〇〇〇年前の人に比べ(くら )てもいまのほうが圧倒的(あっとうてき)に優れ(すぐ )ているといえます。これは得(え)られた知見を後世に伝える(つた  )ということを人間が昔から愚直(ぐちょく)に行ってきた成果(せいか)で、こうした財産(ざいさん)として私(わたし)たちが持っているものを理解(りかい)のための道具として使わない手はないのです。
 もちろん、こうした知識(ちしき)も誰か(だれ )に言われるままの受け身の状態(じょうたい)で覚え(おぼ )ているうちは、それが伝え(つた )ている知見を理解(りかい)することはできないでしょう。でもとりあえず、最初(さいしょ)はそれで構わ(かま )ないと思います。ここで重要(じゅうよう)なのは、「とりあえず自分の頭の中に備える(そな  )」ことなのです。これをきちんとやっておけば、さまざまな経験(けいけん)をする中でいずれそのことがわかるようになるし、必要(ひつよう)な状況(じょうきょう)が訪れ(おとず )たときにはその知見を使うことができるようになるというわけです。

(畑村洋太郎(ようたろう)「畑村式「わかる」技術(ぎじゅつ)」(講談社(こうだんしゃ)現代新書(げんだいしんしょ))より)
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a 長文 7.2週 ti2
 1日本の文化について、ある外国人が、次のように書いているのを読んだことがあります。
 日本は二階建て(だ )の家で、二階には西洋式の生活や風俗(ふうぞく)や文化が、なにからなにまでそろっている。2また一階にはむかしながらの生活や風俗(ふうぞく)、日本式の文化がそのまま残っ(のこ )ている。しかし、ふしぎなことは、その一階と二階とを結ぶ(むす )階段(かいだん)が見あたらないことである。──と、そういうたとえを引いて日本の文化の姿(すがた)を批評(ひひょう)しているのです。このたとえも、たしかにおもしろいと思います。3わたしたちの生活のまわりを見渡し(みわた )ても、たとえば洋服と和服(着物)、靴(くつ)とげた、いすの生活と畳(たたみ)の暮らし(く  )、洋食と日本料理(りょうり)、西洋画と日本画、西洋音楽と日本音楽、──といったように、一方では西洋のものがさかんにとりいれられていながら、一方では日本にむかしから伝わっ(つた  )ているものがよろこばれています。4町を歩いてみても、ヨーロッパやアメリカの町にくらべて少しもおとらない、りっぱなビルディングが立ちならび、電車や自動車が目まぐるしく走っている。5ところが、その町の中にも、のれんをかけ、店さきに畳(たたみ)をしいた、むかしふうのお店があるし、白壁(しらかべ)の土蔵(どぞう)も見られるし、また神社の鳥居(とりい)がたっていたり、お寺のあたりからお線香(せんこう)の煙り(けむ )がにおってきたりする。6きれいな訪問(ほうもん)着に着飾っ(きかざ )たむすめさんが、デラックスな自動車から降り(お )ても、わたしたちはあたりまえのこととしてふしぎに思いませんが、外国人の目から見ると、ずいぶんめずらしいことなのでしょう。7それと同じことで、よくおすし屋や、おそば屋などの店さきに、テレビが置い(お )てあって、そのそばに、酉の市(とり いち)で買ってきた大きなくまでが掛かっ(か  )ていたりする、そんな風景(ふうけい)も、外国人にはふしぎでたまらないようです。
 8一九五七年に日本を訪れ(おとず )たソビエトの作家エレンブルグは、次のように書いています。
 「日本は、外から来るものをおどろかせる。最初(さいしょ)に目にうつるすべてのものが、ひどく矛盾(むじゅん)しているように思われる。9電化された汽車、いすの背(せ)の角度を自由に調節(ちょうせつ)できる、乗り心地のよい車
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室、そこには食堂(しょくどう)もついている。給仕(きゅうじ)のむすめが香(かおり)の高いコーヒーを運んでくれる。着物姿(すがた)のふたりの日本のむすめが手文庫に似(に)た小さな箱をあけて、生魚やほした昆布(こんぶ)をつめ合わせたお米の弁当(べんとう)を食べている。0食事がおわると、本をとり出す。ひとりはサルトル(フランスの作家)の小説(しょうせつ)を手にしているし、もうひとりは家政(かせい)の教科書を読んでいる。こんな光景(こうけい)を見ていると、自分がいったい世界のどこにいるのか、アジアにいるのか、ヨーロッパにいるのか、アメリカにいるのか、わからなくなる。しかも古い時代、新しい時代、さまざまな世紀(せいき)がからみ合っているのだ。
 日本では、どの日本人も一日のうち何時間かはヨーロッパ的(てき)な、またはアメリカ的(てき)な生活を送り、また何時間かはむかしながらの日本の生活を送っている。日本人の中には、たがいに異なる(こと  )二つの世界がいっしょに存在(そんざい)している。」
 わたしたちは日ごろ見なれていて、なんとも思わないことが、外国人の目にはこのようにうつっているのです。

「日本人のこころ」(岡田(おかだ)章雄(あきお)著(ちょ) 筑摩書房(ちくましょぼう))より
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a 長文 7.3週 ti2
 1いまから二千二百年ほどむかしの話です。中国に、秦(しん)という国があって、始皇帝(しこうてい)という王様が、大きな勢力(せいりょく)をふるっていました。2その宮殿(きゅうでん)は、中国の歴史(れきし)の中でこれほど大きなものはなかったと言われているほど、りっぱなものでした。3なにひとつ不足(ふそく)のなかったこの皇帝(こうてい)でも年をとるということだけはどうすることもできません。4「なんとかして年をとらない方法(ほうほう)はないだろうか」と考えた皇帝(こうてい)はおしまいに家来に言いつけて、仙人(せんにん)のところへ行って、不老長生(ふろうちょうせい)の薬、つまり年をとらないで、永久(えいきゅう)に死なない薬を手に入れさせることにしました。5学者のことばによれば、東のほうの海に蓬莱山(ほうらいさん)という島がある。その山の中には仙人(せんにん)が住んでいて、そのふしぎな薬を作っているのだということでした。6そこでたくさんの船が用意されて、どこかわからない蓬莱(ほうらい)の島をさがしに東へ東へと向かったのですが、その島はとうとう見つからず、その仙人(せんにん)の薬も手にはいらなかったということです。その使いのひとりに徐(じょ)福という家来がいました。7その徐(じょ)福が日本に渡っ(わた )てきて死んだという伝説(でんせつ)が残っ(のこ )ています。和歌山県の新宮(しんぐう)市に、その徐(じょ)福の墓(はか)と伝え(つた )られているお墓(はか)がありますが、ほんとうにその人の墓(はか)かどうかわかりません。
 8これは中国の人々でさえ、まだ日本の島を知らなかった大むかしの話です。しかし中国では、太陽ののぼる東の海、その海の向こうに、ふしぎな力をもった仙人(せんにん)の住む島があると考えられていたようです。
 9ところが大むかしの日本人は、反対に西の海の向こうに理想の国があるように考えていたのです。それは「常夜(とこよ)の国」と呼ば(よ )れていました。太陽が沈ん(しず )でしまう西の海の向こうですから、そこはいつも暗い夜の国なのです。0それでも日本人にとっては、いつも西の海をこえて行った大陸(たいりく)が、あこがれの国だったようです。どうしてでしょうか。
 こんなふうに考えてみることはできないでしょうか。太陽は東の
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海からのぼるとはいっても、その海はひろい太平洋で、いつも荒波(あらなみ)がうち寄せ(よ )ています。小さな船では、遠く乗り出すことなどはとうていできません。しかも、遠くまで海がつづいているばかりで、島の影(かげ)も見えません。海の向こうから敵(てき)のおそってくる心配も、まったくありません。ですから、東の海はただ自然(しぜん)のおそろしさがあるばかりで、ほかのことなどは考えなかったのでしょう。
 それにくらべて、西の海は波もおだやかです。船でこぎ出して行けば、壱岐(いき)や対馬のような島々があり、その先には、もう朝鮮半島(ちょうせんはんとう)の山影(やまかげ)が浮かん(う  )でいるのが見えます。半島に渡れ(わた )ば、そこには日本人の知らない高い文化がさかえていたのです。また、半島のほうから渡っ(わた )て来る人々も多かったでしょう。その人々の生活や風俗(ふうぞく)は、日本人にくらべてずっと高いものだったにちがいありません。そして、大陸(たいりく)の影響(えいきょう)を受けて、日本の文化はいつも、西から東のほうへと進んでいきました。土器(どき)の作り方にしても、農業の始まりにしても、また鉄の道具を使うことにしても、いつも文化の流れは、西から東へと流れていました。日本にとっては、文化の光は、太陽の光と反対に、いつも西の海の向こうから、かがやいてきたのです。そこで、日本人の理想の国は西の海の向こうにある、と考えられたのだと思われます。

「日本人のこころ」(岡田(おかだ)章雄(あきお)著(ちょ) 筑摩書房(ちくましょぼう))より
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a 長文 7.4週 ti2
 1言葉は風景(ふうけい)のようなものだ。いや、山や野に咲く(さ )生きた花畠(はなばたけ)のような気もする。種子(しゅし)は同じでも、時と場所によって、咲かせる(さ   )花は違う(ちが )。
 たとえば今、東京・新宿には高層(こうそう)ビルが林立して、まるで二十一世紀(せいき)の未来(みらい)都市のように見える。2戦後(せんご)、新宿西口がまだ闇市(やみいち)の時代に、私(わたし)は、フランス文学科の学生だったが、駅前マーケットの間を詩を書こうとしてほっつき歩いていたから、今日の街(まち)の風景(ふうけい)を見ると、まったく隔世(かくせい)の感がある。
 3本当にバラック建築(けんちく)つづきのごった煮(   に)の街(まち)で、混乱(こんらん)をきわめていたが、しかし一種(いっしゅ)の活気があった。戦争(せんそう)の暗い時代から解放(かいほう)されたということで、文学や芸術(げいじゅつ)、自由が沸騰(ふっとう)していた。4しかも、アメリカ軍(ぐん)の占領(せんりょう)下にあって、言葉には米語スラングが氾濫(はんらん)していた。
 そうした混乱(こんらん)の一時期ののち、朝鮮(ちょうせん)戦争(せんそう)を境(さかい)に、また、だんだん世の中が静まり(しず  )、しだいに日本の社会も姿(すがた)を整えていった。
 5かくて今や、新宿の空を見上げれば、忽然と(こつぜん )して夢(ゆめ)のような東京都庁(とちょう)をはじめ超(ちょう)高層(こうそう)ビルが立ちならび、ビルの谷間を、朝晩(あさばん)通勤(つうきん)の人々の列が埋め(う )ている。6まことに、夢(ゆめ)か現(うつつ)かという想いがする。
 その間に私(わたし)たちの日本語も変わっ(か  )た。これは当然(とうぜん)のことだ。世の中が変わり(か  )都市ができれば、文明の、こうした風景(ふうけい)が出現(しゅつげん)する。人間の生活も変わる(か  )。7ビル街(がい)ができれば歩き方も違っ(ちが )てくるし、ファッションも変わる(か  )というものだろう。人間の生活が変われ(か  )ば言葉も変わる(か  )。当然(とうぜん)話し方も違っ(ちが )てくる。人それぞれの考え方も、環境(かんきょう)によって変わっ(か  )ていくことであろう。
 8このごろ、日本語が乱れ(みだ )ている、敬語(けいご)が目茶苦茶だ、外来語の
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カタカナが多すぎる、若者(わかもの)の変(へん)な造語(ぞうご)がさっぱりわからない、日本語はこの先どうなるんだと、よく話題になる。たしかにそういう気がしないわけでもない。だが、本当にそうだろうか。
 9ここで、正しい言葉とは一体何だろうと、もう一度考えてみる必要(ひつよう)がある。もし正しい言葉というものが、一つだけはっきり定まっているのであれば、たしかに、皆(みな)がそれだけを使えば用は足りることになる。
 0たとえば水を飲みたいということを言いたいとき、意味が伝わり(つた  )さえすればいいのであれば、「水が飲みたい」という言い方が一つあれば充分(じゅうぶん)だ。しかし、現実(げんじつ)はどうだろうか。そんな簡単(かんたん)なものではない。
 人間の生活や心は限り(かぎ )なく豊か(ゆた )だ。そこで言葉にもひねりをかけようとする。「ああ、水が飲みてぇな」とか「喉(のど)がからっからだ」とか、なぜか一本調子の言い方から外してみたくなる。
 特に(とく )、若者(わかもの)は言葉の冒険(ぼうけん)をすることで自己(じこ)主張(しゅちょう)をしたり、目立ちたがる。また、自分たちの遊び心や、グループの仲間(なかま)意識(いしき)などを満足(まんぞく)させようとする。
 若者(わかもの)ばかりでない。職人(しょくにん)さんなども、自分たちの職業(しょくぎょう)の特色(とくしょく)を表わすために、言葉にひねりをかけることがある。
 正しい言葉というものは、たしかにある。しかし、実際(じっさい)に生活のなかで言葉が活きているのは、ひねりをかけて、そこからちょっと外した姿(すがた)である。だから、逆(ぎゃく)に活きている言葉は、正しい言葉の外側(そとがわ)にあるともいえる。

(栗田(くりた) 勇(いさむ)『日本文化のキーワード――七つのやまと言葉でその宝庫(ほうこ)を開く』(祥伝社(しょうでんしゃ)))
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a 長文 8.1週 ti2
 1なぞの女王ヒミコが使いをおくったのは、黄河(こうが)の流域(りゅういき)にあった魏(ぎ)の国でした。そのころには、南の揚子江(ようすこう)の下流の地方に呉(ご)の国があり、またその上流の、山の多い地方には蜀()の国がありました。この三つの国を三国といいます。
 2南の呉(ご)の国は魏(ぎ)の国をこまらせようとして、南朝鮮(みなみちょうせん)の韓国(かんこく)と手を結ん(むす )でいました。そこで魏(ぎ)の国でもこれと対抗(たいこう)するため、その韓国(かんこく)の(海をこえて)向こうにあるヤマタイ国を味方につけておこうとしたのです。
 3漢民族(みんぞく)は、むかしから自分たちのいる地方を「中華(ちゅうか)」と呼び(よ )、自分たちがいちばんすぐれた民族(みんぞく)だとしていました。(中華(ちゅうか)料理(りょうり)とか中華(ちゅうか)そばとかいう時の、あの中華(ちゅうか)です。)4そして、まわりの地方にいるほかの民族(みんぞく)をみんな野蛮(やばん)人あつかいして、それぞれ東は東夷(とうい)、北は北荻(ほくてき)、南は南蛮(なんばん)、西は西戎(せいじゅう)、とよんでいました。5日本民族(みんぞく)は、漢民族(みんぞく)から見れば東夷(とうい)、つまり東のほうの野蛮(やばん)人にあたるわけです。日本民族(みんぞく)はべつとして、ほかの民族(みんぞく)は、みんなひろい大陸(たいりく)の、陸続き(りくつづ )の土地に住んでいます。6ですから漢民族(みんぞく)としては、中華(ちゅうか)を誇り(ほこ )にしてはいても、いつもまわりの地方にいる野蛮(やばん)人、つまり、ほかの民族(みんぞく)がこの中華(ちゅうか)の土地に攻め(せ )こんでくるのを防ぐ(ふせ )ために、心を悩まし(なや  )、力を尽くさ(つ  )なければならなかったのです。
 7三千年にわたる長い中国の歴史(れきし)は、また漢民族(みんぞく)と、まわりの違っ(ちが )た民族(みんぞく)との間のはげしい争い(あらそ )の歴史(れきし)でした。8世界に名高い万里(ばんり)の長城(ちょうじょう)は、あの不老(ふろう)長生の薬を求め(もと )たという秦(しん)の始皇帝(しこうてい)が、満州(まんしゅう)(中国の東北部)の地方にいた匈奴(きょうど)という野蛮(やばん)人の攻め寄せ(せ よ )てくるのを防ぐ(ふせ )ために、大がかりな土木工事を起こして築い(きず )た城壁(じょうへき)なのです。
 9中国の歴史(れきし)を調べてみると、多くの王朝がさかえたり滅び(ほろ )たり、また分裂(ぶんれつ)していくつかの王朝がたがいに争っ(あらそ )たりしています。
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0すぐれた王様によって国が統一(とういつ)され、漢民族(みんぞく)の勢い(いきお )がさかんになると、大がかりないくさを起こして、進んで北や西のほかの民族(みんぞく)をおさえつけました。しかし王朝の勢力(せいりょく)がおとろえると、ほかの民族(みんぞく)が攻め(せ )こんできて、漢民族(みんぞく)をおさえつけてしまいます。遠くヨーロッパまでその勢力(せいりょく)をのばした元の国や、江戸(えど)時代から明治(めいじ)のころにかけて中国にさかえていた清(しん)の国などは、モンゴールや満州(まんしゅう)の民族(みんぞく)が支配(しはい)していた国です。
 中国を中心にした東洋の歴史(れきし)を勉強するときに、いちばんわたしたちを悩ます(なや  )のは、こうした漢民族(みんぞく)とほかの民族(みんぞく)との争い(あらそ )の問題ですが、大陸(たいりく)でたえずこうした民族(みんぞく)の争い(あらそ )がくりかえされていたことが、じつは日本の平和のために、かえってつごうのよいことだったと言うことができます。こうした中国での争い(あらそ )の影響(えいきょう)を受けて、陸続き(りくつづ )の朝鮮半島(ちょうせんはんとう)はたびたび平和を乱さ(みだ )れ、時にはほかの民族(みんぞく)の支配(しはい)を受けたことさえありました。しかし、日本はそうした不幸(ふこう)な目に会うこともなく、今日まで独立(どくりつ)の歴史(れきし)を守りつづけることができました。これはいうまでもなく、わたしたちの祖先(そせん)の大きな努力(どりょく)によるものですが、同時に、地図の上で見られるように、日本の国の位置(いち)ということにも関係(かんけい)していることです。

「日本人のこころ」(岡田(おかだ)章雄(あきお)著(ちょ) 筑摩書房(ちくましょぼう))より
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a 長文 8.2週 ti2
 1中国の人々は、日本人のことを、人まねはじょうずだけれど自分では何もつくり出す力のない国民(こくみん)だ、と言っているそうです。江戸(えど)時代よりまえの文化は、みんな中国の文化を手本にして、まねたものにすぎない。2また、明治(めいじ)時代から今日までに築き(きず )あげた新しい文化は、これもヨーロッパやアメリカの高い文化をじょうずにまねたものだ、と言うのです。3なるほどそう言われてみると、そうかもしれないな、と思いますが、ほんとうに日本人は、そんなつまらない、力のない国民(こくみん)なのでしょうか。わたしはそうは思いません。
 4なるほど日本の文化のもととなるものは、ほとんど中国から、また西洋からとりいれたものです。しかし日本人はけっしてそれをそのままの形でまねしてきたわけではありません。5それを日本の土地に、日本人の生活に、そして日本人の気持にぴったり合うように、手を加え(くわ )、改良(かいりょう)して、りっぱなものに仕上げていったのです。そのいちばんよい例(れい)は、漢字です。6漢字がはじめて中国から伝わっ(つた  )たころには、漢文体で文章を書いたのですが、それでは日本のことばをそのまま表わすことができません。そこで、必要(ひつよう)なときには漢字をつかって、日本語の音を一字一字書くことも行なわれるようになりました。7奈良(なら)朝のころにできた『万葉集』をみると、日本の歌がすべて漢字で表わしてあります。
 たとえば、有名な山上憶良(やまのうえのおくら)の「貧窮(ひんきゅう)問答歌」のはじめの部分は、つぎのように書いてあります。
 8風雑 雨布流欲乃 雨雑雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆(かぜまじりあめふるよるのあめまじりゆきふるよるはすべもなくさむくしあれば)
 まるで、お坊さん(ぼう  )の持っているお経(きょう)の本みたいですが、これで、
 風まじり 雨ふる夜の 雨まじり雪ふる夜は すべもなく 寒くしあれば
と読むのです。9なるほど、こんなふうに漢字をつかえば、ちょうどローマ字をつかうようなものですから、どんなことばでも表わすことができます。
 於奈加我須以多(おなかがすいた)
 なんと読むかわかりますか。「おなかがすいた」です。0こんなぐあいにあなたの名まえを一字一字書いてごらんなさい。なかなか
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めんどくさいでしょう。まったく日本のことばを表わすのに、こんなふうに一字一字漢字をあてていくのでは、書くだけでもたいへんです。そこで平安朝のはじめごろになると、もっと楽に、かんたんに日本のことばを書き表わすことができるようにいろいろくふうが重ねられ、できあがったのが平仮名(ひらがな)と片仮名(かたかな)です。たとえば、「阿(あ)」という漢字のヘンだけとって、「ア」ができ、「安」という字、これも「あ」の音を表わすのにつかった字ですが、それを草書で書いたものから「あ」という平仮名(ひらがな)が生まれました。同じように「於()」から「オ」「お」、「加(か)」から「カ」「か」ができたのです。これなら書くのも楽で、覚える(おぼ  )にもかんたんです。どちらも漢字がもとになっていますが、日本人でなければ読めないし、またつかうことのできない新しい文字です。この新しい文字がさかんに使われるようになると、日本の文化は一段と(いちだん )さかえることとなりました。世界に誇る(ほこ )『源氏物語(げんじものがたり)』や『枕草子(まくらのそうし)』のようなりっぱな小説(しょうせつ)や随筆(ずいひつ)も、このような仮名(かな)をつかって自分の気持や考えを自由に、楽に表わすことができるようになった結果(けっか)生まれたのです。また、筆でりっぱな文字を書く書道にしても、漢字を書くのでは中国人にはとうていかないませんが、まるで絵のように美しく書いた仮名(かな)文字は日本の書道として、自慢(じまん)してもよいものでしょう。
 人まねがじょうずだということは、ただそれだけで終わってしまうのならばつまらないことです。しかし、はじめはまねをしても、自分でくふうを重ね、改良(かいりょう)を加え(くわ )て、もっとりっぱなものに仕上げていくことができるならば、けっして恥ずかしい(は    )ことではないのです。日本人には、むかしから、そうしたすぐれた才能(さいのう)がそなわっているのです。

「日本人のこころ」(岡田(おかだ)章雄(あきお)著(ちょ) 筑摩書房(ちくましょぼう))より
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a 長文 8.3週 ti2
 1日本の国の歴史(れきし)は、そのまま日本民族(みんぞく)の発展(はってん)の歴史(れきし)だと言うことができます。そのことは、わたしたち日本人にとって、大きな力となっているのですが、一方ではひろく世界の国々の人たちと交わっていくためには、かえってそれが損(そん)になっていると思われる点もあるようです。
 2いったい日本人は、大むかしから日本民族(みんぞく)だけでこの島国に暮らし(く  )てきたために、とかく日本のことだけを、おおげさに考えすぎるくせがあります。3「日本はりっぱな国だ」とか、「日本人はすぐれた民族(みんぞく)だ」とか、「日本の文化はすばらしい」とか、日本人どうしでおたがいに自分の国をほめ合い、それで満足(まんぞく)しています。もちろんお国自慢(じまん)ということは、どこの国の国民(こくみん)だってあります。4祖国(そこく)のわる口を言われるのは、だれだっていやなものです。しかし、外国のことやほかの民族(みんぞく)のことはあまり知らないで、自分の国だけが特別(とくべつ)すぐれていると思うのは、あまり感心できないことです。5「ぼくはそうは思わないな。日本のものなんか、みんなだめだ。外国のほうが、すべての面でずっとすぐれていると思う」あなたはそう言って反対するかもしれません。たしかにそう考えている日本人だって少なくありません。6しかし、そのような見方は、せま苦しいお国自慢(じまん)を、ちょうど裏返し(うらがえ )にしたものにすぎないのです。ただ+と−の両方の極端(きょくたん)の違い(ちが )で、どちらもかたよった見方です。もっと高い立場に立ってみれば、どの国だって同じことなのです。7そのなりたちも違え(ちが )ば、国のしくみも違う(ちが )し、その国民(こくみん)の考え方だって違っ(ちが )ているのですから、その国々でそれぞれすぐれた明るい面もあれば、同時に、その国として困っ(こま )ている面、暗い面だってあるのです。8日本人のものさしでそれをくらべてみようとするのが、だいいちむりなのです。見方がかたよってしまうからです。ですから、外国のことをよく勉強して深く知ることは必要(ひつよう)ですが、すぐれているとか劣っ(おと )ているとか、ひどく気にすることはまったくむだなことだと言えるでしょう。
 9ところで、同じ学校にかよっている友だちとはよく話が合うも
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のです。先生のかげ口、仲間(なかま)のうわさ、教室での出来事、休み時間の楽しい遊び、クラブ活動、修学旅行(しゅうがくりょこう)、運動会──共通(きょうつう)した話題はいくらでもあります。0ところが、あなたもきっと経験(けいけん)があると思いますが、たとえばほかの学校へ行っているいとこが遊びに来たとき、あなたの学校の中で起こった、とてもゆかいな出来事を話して聞かせようとすると、なかなかむずかしいことに気がつきます。毎日顔を合わせている級友ならば、簡単(かんたん)に「タヌキがね」といえばすむところを、「ぼくの学校にタヌキというあだ名の教師(きょうし)がいて、国語の担任(たんにん)なんだ。どうしてタヌキってあだ名がついたかっていうとね……」などと、いちいちくわしく説明(せつめい)しなくては、相手に話が通じない。その説明(せつめい)に骨(ほね)が折れ(お )て、かんじんのゆかいな話のほうは、すっかり気が抜け(ぬ )てしまう。そんな経験(けいけん)をしたことがあるでしょう。
 同じ民族(みんぞく)だけで作られているこの日本の国にも、それに似(に)たようなことがあるのです。

「日本人のこころ」(岡田(おかだ)章雄(あきお)著(ちょ) 筑摩書房(ちくましょぼう))より
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a 長文 8.4週 ti2
 1人間は、だいたい思春期から不機嫌(ふきげん)というものを覚え(おぼ )ていきます。いろいろ本を読んで考える、恋(こい)をして悩む(なや )、周囲(しゅうい)の大人を煙たく(けむ  )感じる、自分は何かもっと違っ(ちが )たものになりたいと思う、そんな青春時代から不機嫌(ふきげん)モードに入る。
2「うつむいて うつむくことで 君は生へと一歩踏み出す(ふ だ )」
 これは、谷川俊太郎(しゅんたろう)さんの『うつむく青年』という詩の一節(いっせつ)です。うつむいて内省(ないせい)し、世の中に迎合(げいごう)しないで自分自身の世界を作り上げようとするのは、青年の特徴(とくちょう)です。
 3また、尾崎(おざき)豊(ゆたか)に、『十五の夜』という歌があります。「盗ん(ぬす )だバイクで走り出す」という歌詞(かし)は、十五歳(さい)という自立前の年齢(ねんれい)のどうしようもない鬱屈(うっくつ)を描い(えが )ているから人の共感(きょうかん)を呼ぶ(よ )のです。4しかし、二十歳(はたち)をすぎてもこれをやっていたら、社会からは受け入れられません。「二十五の夜」に「盗ん(ぬす )だバイクで走り出」したら、それは単なる(たん  )社会からの逸脱(いつだつ)、犯罪(はんざい)にすぎません。
 5石川啄木(たくぼく)は、「不来方(こずかた)の お城(しろ)の草に寝ころび(ね   )て 空に吸()はれし 十五の心」と詠み(よ )ました。このような哀愁(あいしゅう)も、青年期には似合い(にあ )ます。
 今の時代、人に気遣い(きづか )のできる上機嫌(じょうきげん)な子どもを期待する向きは少ないと言えましょう。6成長(せいちょう)期の精神(せいしん)的(てき)安定は求め(もと )られていない。たとえば、中学生は親しい友だち同士(どうし)だと仲(なか)がよくてご機嫌( きげん)ですが、大人や、仲間(なかま)以外(いがい)の人に対しては不機嫌(ふきげん)で、それもまた仕方ないという空気があります。反抗(はんこう)期だからです。7これは人間の成長(せいちょう)に必要(ひつよう)欠く(か )べからざるもので、最近(さいきん)反抗(はんこう)期らしい反抗(はんこう)期がないのが心配されるという論(ろん)を唱える(とな  )方もいらっしゃいます。
 私(わたし)自身は、反抗(はんこう)期というものは必ずしも(かなら   )必要(ひつよう)ないと考えています。8基本(きほん)的(てき)に人に気を遣う(つか )という能力(のうりょく)は、「技(わざ)」であり、ここ
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ろの習慣(しゅうかん)の問題です。そのこころの習慣(しゅうかん)を、ある時期全くなくしていいというのは、社会としておかしいと思うのです。
 9十代の精神(せいしん)的(てき)に葛藤(かっとう)の多い時期だからといって、人に対する気遣い(きづか )をしなくていいということはありません。この習慣(しゅうかん)を忘れ(わす )てなくしてしまっていいと許容(きょよう)してしまいますと、身についた「当たり散らし(あ  ち  )癖(ぐせ)」や「むっとしたまま癖(ぐせ)」はその人の中で続い(つづ )てしまい、当たり前のものとなってしまうことが多いのです。0ここから脱却(だっきゃく)しようとすれば、もう一度「人に気を遣う(つか )」という技(わざ)を、自分の中で作り直さないとなりません。
 現在(げんざい)は、子どもが不機嫌(ふきげん)であっても無愛想(ぶあいそう)であっても、積極(せっきょく)的(てき)に直す努力(どりょく)をしない。たとえば、会話をしない状態(じょうたい)も放置(ほうち)している。親が話しかけても何も答えない。「別に(べつ )」「ふつう」がせいぜいです。「別に(べつ )」「ふつう」というのは、会話を拒否(きょひ)した状態(じょうたい)であり、拒否(きょひ)の意思表示(ひょうじ)です。それはいけないことだと、はっきりと指摘(してき)しなければならない。相手と関係(かんけい)を結び(むす )たくないという意思表示(ひょうじ)、会話に対してきちんと答えないという拒否(きょひ)状態(じょうたい)が、成長(せいちょう)にとって必要(ひつよう)なことであるとは私(わたし)は思わないのです。

(齋藤(さいとう)孝(たかし)『上機嫌(じょうきげん)の作法(さほう)』(角川書店))
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a 長文 9.1週 ti2
 1日本を訪れる(おとず  )外国人にとっては、日本の家が、襖(ふすま)や障子(しょうじ)で仕切られていて、ひろい部屋がいつでも多くのせまい部屋になってしまうことや、畳(たたみ)が部屋いっぱいに敷きつめ(し   )られていること、西洋の家のようにテーブルや椅子(いす)など、家具がたくさん置い(お )てないことなどがめずらしくてたまらないようです。
 2このような住居(じゅうきょ)のくふうは、寝殿造り(しんでんづく )の形をもとにして、鎌倉(かまくら)時代から室町時代にかけて、できあがったものです。夏の蒸し暑(む あつ)さをさけて、涼しい(すず  )風を取り入れるためには、それがいちばんつごうがよいのです。
 3いまでは、西洋ふうのアパートに住む人も多くなりましたが、せまい部屋で、まわりは壁(かべ)にかこまれ、窓(まど)があいているだけでは、夏は、扇風機(せんぷうき)や冷房(れいぼう)装置(そうち)がなければ、とても暑苦しくてたまらないでしょう。4日本ふうの家では、夏は襖(ふすま)や障子(しょうじ)をあけはなして、涼しい(すず  )風をいっぱい入れることができるのです。わたしたち日本人は、こうした家の中の生活になれていますが、日本人がとかくあけっぱなしの生活をあたりまえのことと考えているのは、ひとつにはそのためだと言うことができます。
 5わたしたちは、自分ひとりになるということがほとんどありません。部屋の中にいても、襖(ふすま)をあけてだれかがはいって来ます。話をしていても、障子(しょうじ)の向こうでだれかが聞いているかもしれません。6日本式の家では、西洋ふうの家と違っ(ちが )て部屋にかぎをかけて閉じこもる(と    )ということができないのです。それぞれの部屋が独立(どくりつ)していてかぎがなければあけられない。かぎさえかけてしまえば完全(かんぜん)に自分だけ、自分たちだけになれる。7また、外出するときも、かぎさえかけておけば、るすに、ほかの人にじゃまをされない。かぎの生活というものは、実に便利(べんり)なものです。便利(べんり)であるばかりでなく、自分をみつめる、自分を反省(はんせい)する、もっとひろく、そしてむずかしく言えば、個人(こじん)主義(しゅぎ)の考えを養う(やしな )上にたいそう役立つのです。8「日本では、自分ひとりになれる場所は、トイレの中だけだ」と言った人もいますが、たしかにそのとおりです。
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 個人(こじん)主義(しゅぎ)ということはけっして自分かってということではありません。9かえってその反対に、社会にたいする義務(ぎむ)や権利(けんり)をはっきりと自覚(じかく)して、自分の生活を責任(せきにん)をもって築(きず)き上げていくことです。そして、自分の生活とほかの人の生活との区別(くべつ)をはっきりとつけていくことです。0自分の権利(けんり)を主張(しゅちょう)するかわりに、ほかの人の権利(けんり)も認め(みと )て、ほかの人のめいわくにならないように心がけることです。
 ところがわたしたちは、とかくあけっぱなしの生活になれているので、おたがいにほかの人の目ざわりになったり、めいわくになったりすることをあまり気にかけません。他人の生活のじゃまをしてもへいきです。幕末(ばくまつ)や明治(めいじ)のころに日本に来た西洋の人々は、夏の日にほとんどはだかで家の外に出ていたり、軒(のき)さきで行水をつかったりしている人々を見て、びっくりしました。

「日本人のこころ」(岡田(おかだ)章雄(あきお)著(ちょ) 筑摩書房(ちくましょぼう))より
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a 長文 9.2週 ti2
 1お客さまが来たときには座布団(ざぶとん)を出します。ふたりで来たときには二枚(まい)ならべます。集まりなどがあっておおぜいのお客が来ると、その数だけ座布団(ざぶとん)がいります。座布団(ざぶとん)が足りなければ、あとから来たお客は畳(たたみ)の上にすわります。2「どうぞ、おつめください」と言って、ひざをおくっていけば、かなりたくさんの人数でも一部屋にはいってしまうことができます。「すこしせまいようですから、襖(ふすま)をはずしましょう。」つぎの部屋も使えば、ずっとひろくなるでしょう。
 3日本間は、まったく便利(べんり)にできています。西洋式の部屋では、こんなわけにはいきません。応接間(おうせつま)には椅子(いす)があり、ソファがあり、テーブルや、わきテーブルが置い(お )てあるので、そんなにおおぜいのお客ははいれません。4それに、きまった椅子(いす)の数しか腰かけ(こし  )られない。あとからおおぜい来ても、椅子(いす)がなければ立っていなければなりません。それにとなりに部屋があっても、壁(かべ)やドアで仕切られていますから、いっしょにして使うことはむずかしいでしょう。
 5日本人は大むかしから椅子(いす)を使いませんでした。床(ゆか)にあぐらをかくのがふつうだったのです。奈良(なら)朝のころになって唐(とう)ふうの風俗(ふうぞく)がさかんに朝廷(ちょうてい)やお寺に取り入れられたとき、椅子(いす)に腰かける(こし   )生活も一時は行なわれたようですが、そのまますたれてしまったということです。6その後、時代は下って、信長(のぶなが)や秀吉(ひでよし)のころに西洋の文化や風俗(ふうぞく)がさかんに取り入れられたときにも、椅子(いす)を使うならわしは伝わり(つた  )ませんでした。江戸(えど)時代に、長崎(ながさき)の出島ではオランダ人がテーブルと椅子(いす)の生活をしていましたが、日本人の生活の中には影響(えいきょう)をあたえなかったのです。7よく考えてみると、こうしたことも、ひとつには夏を涼しく(すず  )過ごす(す  )ために、家具を多く置か(お )ないという生活のくふうから、おこったもののようです。テーブルや椅子(いす)が置い(お )てあれば、それだけ外からはいってくる涼しい(すず  )風がさえぎら
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れてしまいます。8椅子(いす)に腰かけ(こし  )ているよりも、ひろい畳(たたみ)の上にすわっていたほうが、その畳(たたみ)の上を渡っ(わた )てくる風をうけてよっぽど涼しい(すず  )のです。
「日本では居間(いま)が応接間(おうせつま)にもなり、食堂(しょくどう)にもなり、また寝室(しんしつ)にもなる」と言って西洋の人々はびっくりします。9居間(いま)には居間(いま)の家具があり、応接間(おうせつま)には応接間(おうせつま)の、食堂(しょくどう)には食堂(しょくどう)のテーブルや椅子(いす)が置か(お )れ、また寝室(しんしつ)には家族の数だけベッドを用意しなければならない、西洋ふうの家からみれば、たしかにうそのような生活です。0家の中にひろく空間をとって、それを必要(ひつよう)によっていろいろに利用(りよう)する、こういった生活のくふうは、たしかにすばらしいものだといってよいでしょう。
 なお、これに似(に)たすばらしい生活のくふうはほかにもあります。たとえば、風呂敷(ふろしき)(カバンとくらべてごらんなさい。)、げた(くつとくらべて)、はし(ナイフやフォーク)など、──ほかにどんなものがあるか考えてごらんなさい。

「日本人のこころ」(岡田(おかだ)章雄(あきお)著(ちょ) 筑摩書房(ちくましょぼう))より
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a 長文 9.3週 ti2
 1家のつくり方や、着るものと同じように、食べ物についても、日本料理(りょうり)というものは、だいたい夏を涼しく(すず  )過ごす(す  )ために、さっぱりとして、見た目もすがすがしいようにくふうされたものです。2日本ふうのものとして、外国人にもよろこばれるおすしや天ぷら、おそばなども、けっして冬暖まる(あたた  )ものではありません。夏の料理(りょうり)はいくらでもありますが、冬の料理(りょうり)としては鍋もの(なべ  )とか、汁もの(しる  )とか、湯豆腐(ゆどうふ)などがあるくらいで、あまり種類(しゅるい)がないようです。3もっともこれらの料理(りょうり)も、江戸(えど)のころには、あまり上等な料理(りょうり)ではなかったようです。すき焼き(  や )は、牛肉を食べるならわしが始まった明治(めいじ)時代以後(いご)のものですが、その料理(りょうり)のしかたは、江戸(えど)のころに、シカやイノシシの肉を(特別(とくべつ)の料理(りょうり)店で)料理(りょうり)するときに行なわれていたものだということです。
 4明治(めいじ)時代よりまえには、牛や馬の肉は食べなかったのです。それは、農業のためにだいじな家畜(かちく)だったからですが、ひとつには、外国と違っ(ちが )て、日本では牧畜(ぼくちく)がほとんど行なわれなかったためです。5仏教(ぶっきょう)の教えでも、これらの動物の肉を食べることを禁じ(きん )ていたのでした。ですから、江戸(えど)のころには、寒い冬の夜には、あつく煮(に)たうどんを食べるとか、お酒をあたためてのむぐらいのことで、からだの中をあたためたのです。
 6今日では、西洋ふうの料理(りょうり)や中国ふうの料理(りょうり)がわたしたちの家庭の中にも多く取り入れられてきたので、むかしながらの日本料理(りょうり)を食べるということが少なくなってきました。7ミソとか、豆腐(とうふ)とか、納豆(なっとう)、ノリなど、日本ふうの食事にはつきものだった食品も、若い(わか )人たちにはあまりよろこばれなくなっています。しかし、わたしたちは洋食を食べても、ごはんを食べるならわしは捨て(す )ていません。8一日に少なくも一度はごはんを食べないと気がすまない。西洋の人のようにパン食にしてしまうことは、なかなかできそうもありません。
 わたしたち日本人は、二重の生活になれてしまいました。9ひと
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つは、日本の土地や気候(こう)に合うように、遠いむかしから、くふうにくふうを重ねてきた生活、家のつくり方や着物、そして食べ物(ことにごはん)、もうひとつは、明治(めいじ)にはいって西洋から取り入れられた合理的(てき)な、能率(のうりつ)的(てき)な生活。
 0生活の中の二重性(せい)(つまり、一方ではこの日本の土地に住みついているわたしたちにとっていちばんつごうのいいむかしながらの生活を楽しみながら、そして一方に近代社会にふさわしい合理的(てき)な、能率(のうりつ)的(てき)な西洋ふうの生活をおくる。)──この二重性(せい)は、生活の中ばかりでなく、日本の文化や芸術(げいじゅつ)、思想、学問、すべての中にみなぎっています。ちょうどはしご段(   だん)のない二階と下みたいに、まったく別々(べつべつ)のものが日本人の心の中に、二重に根をおろしています。

「日本人のこころ」(岡田(おかだ)章雄(あきお)著(ちょ) 筑摩書房(ちくましょぼう))より
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a 長文 9.4週 ti2
 1武士(ぶし)の教育において第一に重んじられたのは、品格(ひんかく)の形成(けいせい)であった。それに対して思慮(しりょ)、知識(ちしき)、雄弁(ゆうべん)などの知的(ちてき)才能(さいのう)はそれほど重要(じゅうよう)視(し)されなかった。
 2すでに武士(ぶし)の教育に美的(びてき)な価値(かち)が重要(じゅうよう)な役割(やくわり)を占め(し )ていたことは述べ(の )たが、知性(ちせい)が教養(きょうよう)人として欠か(か )せないものであるにせよ、武士(ぶし)の教育の本質(ほんしつ)からいえば付随(ふずい)的(てき)なものだった。3知能(ちのう)が優秀(ゆうしゅう)なことはむろん尊ば(たっと )れたが、知性(ちせい)を表すのに用いられる「知」という漢字は、主として「叡智(えいち)」を意味し、単なる(たん  )知識(ちしき)は従属(じゅうぞく)的(てき)な地位(ちい)しかあたえられなかったのである。
 4武士(ぶし)道の枠組み(わくぐ )を支える(ささ  )三つの柱は「智()」「仁()」「勇()」とされ、それはすなわち「知恵(ちえ)」「仁愛(じんあい)」「勇気(ゆうき)」を意味した。なぜならサムライは本質(ほんしつ)的(てき)には行動の人であるからだ。そのため学問はサムライの行動範囲(はんい)の外におかれた。5彼ら(かれ )は武士(ぶし)としての職分(しょくぶん)に関係(かんけい)することにのみ学問を利用(りよう)した。宗教(しゅうきょう)と神学は僧侶(そうりょ)や神宮にまかされ、サムライはそれらが勇気(ゆうき)を養う(やしな )のに役立つ場合に限っ(かぎ )て必要(ひつよう)としたのである。6あるイギリスの詩人がいったように、サムライは「人間を救う(すく )のは教義(きょうぎ)ではない、教義(きょうぎ)を正当化するものは人間である」と信じ(しん )ていた。また哲学(てつがく)(儒学(じゅがく))と文学は武士(ぶし)の知的(ちてき)訓練(くんれん)の主要(しゅよう)な部分を形成(けいせい)してはいたが、これらの学問でさえ、追求(ついきゅう)されたのは客観(きゃっかん)的(てき)事実ではなかった。7文学は暇(ひま)をまぎらす娯楽(ごらく)として求め(もと )られ、哲学(てつがく)は軍事(ぐんじ)問題や政治(せいじ)問題の解明(かいめい)のためでなければ、あとは品格(ひんかく)を形成(けいせい)する実践(じっせん)的(てき)な助けになるものとして学ばれた。
 8以上(いじょう)述べ(の )たことから、武士(ぶし)道の教育科目が、主として剣術(けんじゅつ)、弓術(きゅうじゅつ)、柔術(じゅうじゅつ)もしくは「やわら」、乗馬、槍術(そうじゅつ)、戦略(せんりゃく)戦術(せんじゅつ)、書道、道徳(どうとく)、文学、歴史(れきし)などだったとしても、驚く(おどろ )に値し(あたい )ないだろう。これらのうち柔術(じゅうじゅつ)と書道については多少の説明(せつめい)がいる。
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9書が優秀(ゆうしゅう)なことは大いに重んじられたが、それは日本の文字が絵画的(てき)性質(せいしつ)をもっており、それ自体が芸術(げいじゅつ)的(てき)な価値(かち)があったからであろう。また、書体はその人の人柄(ひとがら)を表すものと信じ(しん )られていたからである。0さらに柔術(じゅうじゅつ)を簡単(かんたん)に定義(ていぎ)すると、攻撃(こうげき)や防御(ぼうぎょ)のための解剖(かいぼう)学的(てき)知識(ちしき)を応用(おうよう)するということになる。柔術(じゅうじゅつ)は筋力(きんりょく)に頼ら(たよ )ない、という点で相撲(すもう)とは異なる(こと  )。また、いかなる武器(ぶき)も使わないという点で、ほかの攻撃(こうげき)方法(ほうほう)とも異なる(こと  )。その技(わざ)は、相手の身体の一部をつかんだり、叩い(たた )たりして、相手を気絶(きぜつ)もしくは抵抗(ていこう)できないようにするものである。その目的(もくてき)は敵(てき)を殺す(ころ )ことではなく、一時的(てき)に行動できなくさせることであった。
 軍事(ぐんじ)教育において当然(とうぜん)あるべきはずなのに、武士(ぶし)道の教育ではあえて外されていたものが数学であった。だが、これは封建(ほうけん)時代の戦闘(せんとう)が科学的(てき)な正確(せいかく)さをもって戦わ(たたか )れなかったという事実によって、一応(いちおう)の説明(せつめい)がつくであろう。そればかりか、サムライの教育全体から見ても、数学的(てき)概念(がいねん)を育てることは芳しく(かんば  )なかったのである。
 それは武士(ぶし)道が損得(そんとく)勘定(かんじょう)を考えず、むしろ貧困(ひんこん)を誇る(ほこ )からである。武士(ぶし)道にあっては、ヴェンティディウス()(シェークスピア劇(げき)の登場人物)がいうように、「武人(ぶじん)の徳(とく)である功名(こうみょう)心は、名を汚す(よご )利益(りえき)よりも、むしろ損失(そんしつ)を選ぶ(えら )」ものだった。かのドン・キホーテ(      )が黄金や領土(りょうど)よりも、彼(かれ)の錆びつい(さ   )た槍(やり)とやせこけたロバを誇り(ほこ )とした、ようにである。わがサムライは、この誇大妄想(こだいもうそう)に取りつかれたラ・マンチャの騎士(きし)に、心から同情(どうじょう)するのである。

(新渡戸(にとべ)稲造(いなぞう)著(ちょ)/岬(みさき)龍一(りゅういち)郎(ろう)訳(やく)『武士(ぶし)道――いま、拠っ(よ )て立つべき「日本の精神(せいしん)」』(PHP研究所)による)
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