a 長文 10.1週 tu
「ああっ。」
わたしは、目を疑いうたが ました。石井いしい君の指は、小さな赤べこをつまんでいました。赤べことは、福島県の郷土きょうど玩具がんぐで、「赤いべこ」つまり、赤い体をした、牛のことです。首が振り子ふ このようにゆらゆらゆれる、とてもユーモラスな格好かっこうの牛です。わたしの赤べこは、キーホルダーになっています。それをランドセルに下げていました。石井いしい君はふざけて触っさわ て遊んでいたのですが、何かの拍子ひょうしにはずれてしまったようです。いっしょにいたさやかちゃんが、あわててつけ直してくれようとしました。しかし、赤べこの背中せなかについていた輪っかわ  折れお ていて、もうチェーンとつなげることができなくなっていました。石井いしい君は、いつものいたずらぼうずの顔から、びっくりした顔になって、
「ごめん。取れちゃった。」
と言いました。
 この赤べこは、わたしが一年生のとき、福島のおばあちゃんが送ってくれたものです。わたしの赤いランドセルにぴったりだったので、一年生のときからずっと、お守り代わりにつけています。わたしの大事な大事な宝物たからものです。
 でも、わたしは、石井いしい君がわざと壊しこわ たわけではないと知っていました。わたしは、なるべく明るい言い方で、
「あ、いいよ。これ、たぶんもう古くなっていたんだ。」
と言いました。石井いしい君は、少しほっとした顔になりましたが、もう一度、
「でも、ぼくがひっぱったから……。」
と、小さく言いかけました。わたしは、
「いいの、いいの。気にしない。そういう運命だったんだから。」
と、元気に言って、赤べこを手に取りました。
 壊れこわ た赤べこに目をやると、赤べこは、のんびりした顔で、手のひらに横たわっています。じっと見ていると、不思議ふしぎなことに赤べこが少し笑っわら たような気がしました。
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「まあまあ、そんなにしんべ(心配 )しねえで。」
そんな牛の言葉まで聞こえた気がして、ふと顔を上げると、石井いしい君もじっと赤べこを見つめています。わたしたちは、顔を見合わせて、思わずくすっと笑いわら ました。
 その日、わたしは家に帰ってから、お母さんに、壊れこわ てしまった赤べこを見せました。お母さんは少し驚いおどろ た顔をしましたが、事情じじょうを聞くとすぐに納得なっとくしてくれました。そして、赤べこを見ながら、
石井いしい君、気にしていないといいね。」
と言いました。わたしは、牛の声を聞いたんだから大丈夫だいじょうぶ、と心の中で思いました。
 お父さんが帰ってきたら、たぶんうまく直してくれるでしょう。今度、福島のおばあちゃんの家に行くときに、元気になった赤べこを一緒いっしょ連れつ ていくつもりです。

(言葉の森長文ちょうぶん作成さくせい委員会 φ)
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a 長文 10.2週 tu
 宮崎みやざきけんにある幸島こうじまは小さな無人島むじんとうです。このしまには百ぴき余りあま さる生息せいそくしています。ある日のこと、イネという名の若いわか メスざるが川の水でイモを洗っあら 食べた ました。すると、ほかのさるたちも次々つぎつぎとイモを洗っあら 食べるた  ようになりました。これまでは、すななどのよごれのついたイモをそのまま食べた ていたさるたちは、「イネのまねをして食べるた  とおいしいね。」と思っおも たことでしょう。しばらくして、イネは、川の水ではなくうみの水でイモを洗うあら ことを思いつきおも   ます。うみの水で洗うあら と、塩味しおあじがついてもっとおいしくなるのです。それを見ていたほかのさるたちも、イモを海水かいすい洗うあら のはいいものだと、イネと同じおな ように海水かいすいでイモを洗うあら ようになりました。 
 幸島こうじまさるたちがみなイモを洗っあら 食べるた  ようになると、不思議ふしぎなことに、大分おおいたけん高崎山たかさきやまさるたちもイモを洗いあら 始めはじ ました。高崎山たかさきやまさるばかりではありません。遠くとお 離れはな 土地とちしまにすむさるたちもイモを洗っあら 食べるた  ようになったのです。もちろん、これらのさるたちは、幸島こうじまさるたちがイモを洗うあら ところを実際じっさいに見たわけではありません。しかし、いろいろな場所ばしょにすむさるたちが申し合わせもう あ  たかのようにイモを洗いあら 始めはじ たのです。これは、イモを洗うあら さる一定いっていかず達するたっ  と、その行動こうどう距離きょりをこえて、ほかの集団しゅうだんにも伝染でんせんしたためではないかと言わい れています。
 これと現象げんしょうは、人間にんげん社会しゃかいにもあります。なに新しいあたら  発明はつめいをした人がいると、ちょうど同じおな ころ世界せかいのほかの場所ばしょでも同じおな 発明はつめいをしている人がいたということがよくあります。

 言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい(Λ)
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a 長文 10.3週 tu
 みなさんは江戸えど時代の大名だいみょうが、「加賀かが百万ごく大名だいみょう」とか、「尾張おわり六十万ごく大名だいみょう」といったよびかたで、よばれているのをきいたことがあるでしょう。石高こくだかはその国のゆたかさ、大きさをあらわしたいいかたです。加賀かがの国は百万ごくものお米がとれる大国です。それほどのゆたかな国を領地りょうちに持つ大名だいみょう、という意味です。
 ちなみに一石いっこくとは、やく百八十リットルを意味します。それはひとりが一年間に食べる、お米のりょうにあたります。
 武士ぶしや足軽の給料きゅうりょうも、「五人扶持ぶち」「十人扶持ぶち」というように、お米で計算されました。五人扶持ぶちとは、五人のけらいがやしなえるだけのお米です。ひとり一日五合として計算されました。
 昭和になって戦争せんそう中、日本には食糧しょくりょうがなくなり、お米は配給はいきゅうせいになりました。生産せいさん者も消費しょうひ者も、かってに売ったり買ったりすることは禁じきん られ、生産せいさんされたお米はすべて政府せいふがいちど買いあげ、消費しょうひ者は決められたりょうだけを、そこから買うようになっていました。
 その、お米を買うための通帳は、長いあいだ、身分証明しょうめい書のかわりでもありました。
 お米とはそれほどに、国民こくみんの生きるための基本きほんだったのです。人々のくらしや社会のありかたが、お米を基本きほんとすることで成り立っな た てきた国。そんな時代が、ついさいきんまで、ずっとつづいてきた国。そのような国も世界には、ほかにありません。
 もうひとつ、たいせつなことがあります。お米はわたしたちの気づかぬところで、いつもわたしたちといっしょです。
 水道のじゃぐちをひねるとき、あなたはその水がどこからくるか考えてみたことがありますか。川から、ダムから、と答えた人は、ダムにたまるそのおおもとの川の水を、考えてみてください。
 日本は山がけわしく、急斜面きゅうしゃめんの国です。「日本の川は、たきのようだ。」と、いわれるくらいです。雨がふっても水はいちどきに海へすてられ、あとはたちまちかわいてしまう、あばれ川なのです。それなのに、一か月も二か月も晴れた日がつづいていても、水がな
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がれているのはなぜでしょう。
 雨をしっかりと受けとめて、大地につなぎとめている、森林や水田があるからです。
 ふった雨が森林や水田の土にしみこみ、ゆっくりゆっくり地下を移動いどうし、何年も何十年も、ときには何百年もかけて、やがて地表にわき出てきます。そのわき水のあつまりが、ふだんながれている川の水なのです。
「森林は緑のダムだ。」
と、よくいわれます。おなじように水田も、ダムなのです。
 田植えどき、水をはった段々畑だんだんばたけを見てください。
「なるほど小さなダムたちが、山の斜面しゃめんにはりついているなあ。」
と、あなたもきっと、感心するでしょう。
 水田にたたえられたその水は、地下にしみこみ地下水になり、やがて下流にながれ出て川に水を提供ていきょうしてくれます。

 (富山とみやま和子ちょ「お米は生きている」より)
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a 長文 10.4週 tu
 身近な自然しぜんはありふれているだけに、失っうしな てからでないとたいせつさに気づかないという矛盾むじゅんをかかえています。それだけでなく、高度成長せいちょうの時代には、住民じゅうみん自らが望んのぞ で遠ざけたのです。
 親しみやすい等身大の自然しぜんも、油断ゆだんすると大敵たいてき変身へんしんします。裸足はだしで小川に入ると、ガラスの破片はへんやとがった岩で足を切るし、まれにはおぼれて命をとられることもあります。淀川よどがわなどすこし大きくなると、不思議ふしぎにもあきらめが先に立ちます。しかし等身大の小川やため池になると、くやしさがまさり、だれかに怒りいか をぶつけたくなり、裁判さいばん訴えるうった  ケースが増えふ てきました。
 民主みんしゅ主義しゅぎがみんなのものになり、泣き寝入りな ねい しないで行政ぎょうせい責任せきにんを問う市民しみん増えふ たこと、裁判所さいばんしょ行政ぎょうせい責任せきにんをきびしく問い、住民じゅうみん勝訴しょうそするばあいがあったことは評価ひょうかできます。しかし地域ちいき住民じゅうみん参加さんかしないで、後の対策たいさく行政ぎょうせいだけに負わせる結果けっかになったことは、いまから考えると大きな矛盾むじゅんを生みだしていたのです。
 淀川よどがわなど大きな川にはない金網かなあみが、小さな川に張らは れてしまいました。落ちたりけがをすることは確かたし に少なくなりましたが、反面で身近な自然しぜんを生活の場から遠ざけることになってしまいました。子どもの遊び場でなくなると、とうぜん関心かんしんがうすれます。自転車や単車たんしゃ捨てす られていても長いあいだそのままになっていますし、雑草ざっそうも年一回刈り取らか と れるくらいなので景観けいかんもよくありません。家庭排水はいすい捨てす 場になり、汚れよご てくるとうめ立てて道路にしたほうがいいということになり、小さな川がまちのなかから消えていきました。
 思わぬところで矛盾むじゅんが頭をもたげます。十年ほど前、子供こども会で遠足に行ったとき、就学しゅうがく前の女の子がなにかにつまずいて倒れたお ました。手が出ず顔をまともに地面にぶつけたのです。本能ほんのうで手が出るのではなく、戸外で遊びながら身につける運動能力のうりょくの一つだった
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のです。最近さいきんは小学生にもいるとの報道ほうどうがありました。
 ある衛星えいせい都市の保育ほいく所では、すこし手足にけがをすると、もうれつに怒るおこ お母さんがいるそうです。理屈りくつ上はけがをさせたことになるので、責任せきにんを問われると対応たいおうせざるをえません。朝来園したとき、家でついたきずいなかのチェックをしなければならなくなったそうです。家庭での生活能力のうりょくがおとろえるにしたがって増えふ てきた遅刻ちこく指導しどうがエスカレートして、生徒せいと殺しころ てしまった状況じょうきょうています。「すみません」ですまない世界がどんどんひろがりつつあるようです。

(森住明弘あきひろ環境かんきょうとつきあう50話」)
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a 長文 11.1週 tu
「ごはんですよ。」
キッチンから、お母さんの声がしました。ソースを煮込むにこ ので、そのにおいでとっくにメニューはわかっています。だから本当は勉強していることになっているけれど、ぼくは気もそぞろで、今か今かと部屋のドアを開けて待っていたのです。
 和食、中華ちゅうか、洋食、エスニック、日本では外国に行かなくても、各国かっこく料理りょうりが楽しめます。お店で食べるだけでなく、いろいろな食材しょくざいが売られているので、家でも食べることができます。なんて幸せなのだろうと、ぼくはごはんのたびに思います。
 ぼくが特にとく 好きす なのは、イタリアンです。オリーブオイルとガーリックの香りかお や、トマトの酸味さんみ複雑ふくざつなハーブの味わいなどがぼくの五感を刺激しげきします。中でもパスタるい特別とくべつで、何もない時は、めんをゆで、オリーブオイルとパルメザンチーズだけで食べられるくらいです。
 今夜は、野菜やさいもたっぷり入れたスペシャルミートソースです。ぼくは、フォークにスパゲティを巻きま つけながら、うっとりと、
「どうしてこんなにおいしいのかなあ。本当に毎日でも食べたいよ。」
と言いました。
 すると、
啓介けいすけは、お母さんのおなかにいるときから、スパゲティが好きす だったからね。」
 実はこの話は、毎回繰り返さく かえ れるのですが、お母さんは話したことなど、すっかり忘れわす て、まるでそれが初めてはじ  のようにいつも不思議ふしぎそうに語ります。
「お母さんはずっと和食とうだったのに、どういうわけか、啓介けいすけがおなかにいるとき、調子が悪くてもミートスパゲティだけは食べられたの。毎日でもいいくらいに。」
 そこで決まって、妹ののり子が、
「その話、何回も聞いた。」
と言います。
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 半分くらい食べた時点で、お母さんが立って、おかわりの分のめんをゆで始めます。ぼくは、たくさん食べるので、二回に分けないとめんが伸びの てしまうからです。
「アル・デンテでお願いねが ね。」
ちょっと生意気に、そうオーダーします。
 ぼくは、ちょっと固めかた のゆであがりが好みこの です。最初さいしょは、柔らかいやわ   ものだと思っていたのですが、いとこのお姉ちゃんといっしょにビストロに行った時、「絶妙ぜつみょうな歯ごたえ」のアル・デンテという状態じょうたい最高さいこうなのだと教えてもらったのです。
 友だちに人気があるのは、焼肉やきにく、お寿司すし、カレーというラインナップで、イタリアンなどという子はあまりいません。でも、本当においしいので、いつかイタリアンシェフになって、子どもにも人気のあるお店を作りたいと思っています。そんなことを考えながら、ぼくはおかわりしたお皿を両手で受け取りました。

(言葉の森長文ちょうぶん作成さくせい委員会 φ)
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a 長文 11.2週 tu
 二種類しゅるい生き物い もの一緒いっしょ暮らすく  ことを共生きょうせいといいます。その一れいがイソギンチャクとクマノミです。普通ふつう、魚がイソギンチャクの触手しょくしゅ触れるふ  と、毒針どくばりによって麻痺まひさせられてしまいます。しかし、クマノミの体の表面ひょうめんには特殊とくしゅ粘液ねんえき分泌ぶんぴつされていて、イソギンチャクのどくには反応はんのうしません。クマノミが出す粘液ねんえき成分せいぶんはイソギンチャクの粘液ねんえき成分せいぶんているため、イソギンチャクはクマノミをえさと見なしません。このため、クマノミはイソギンチャクの周りまわ をすみかにして、恐ろしいおそ   てきから守るまも ことができるのです。
 クマノミの体は、どの種類しゅるいも赤、オレンジ、黄色、黒、白などが組み合わさった鮮やかあざ  な色をしています。歌舞伎かぶき役者やくしゃ隈取りくまど した化粧けしょうているのでクマノミという名前がついたそうです。
 では、イソギンチャクにとって、クマノミが周囲しゅういにいることにどんな利点りてんがあるのでしょうか。クマノミは、イソギンチャクの周りまわ 縄張りなわば 持っも ており、イソギンチャクの触手しょくしゅなどを食いちぎって食べる魚など、イソギンチャクのてき追い払いお はら ます。また、イソギンチャクの触手しょくしゅの間にえさを置いお ておくのですが、その一部いちぶはイソギンチャクのえさにもなるようです。つまり、クマノミとイソギンチャクは、お互いに たが  守っまも てもらったり、えさの一部いちぶを分けてもらったりして、ギブアンドテイクの関係かんけい保ったも ているのです。
 イソギンチャクカクレエビも、その名のとおり、イソギンチャクと一緒いっしょ暮らすく  仲間なかまです。また、ヤドカリやカニの中には、自分のはさみや貝殻かいがらにイソギンチャクをつけて、守るまも ものもいます。お互いに たが  えさのやりとりもしているようです。
 ハゼとエビも共生きょうせいしています。ハゼは、エビが苦労くろうして掘っほ あな同居どうきょします。視力しりょくのよくないエビにとって、自分の代わりか  見張りみは をしてくれるハゼは歓迎かんげいすべき同居どうきょ人です。また、エビが外出するときも、ハゼは忠実ちゅうじつなボディガードの役割やくわり果たしは  ます。
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あなの外にいるとき、エビは自分の触覚しょっかくをハゼの体に常につね ぴたりとくっつけています。てきが近づいてくると、ハゼは、尾びれお  をふるわせてエビに合図をします。エビは、危険きけん察知さっちしてすぐにあなに入ります。もちろん、ハゼも一緒いっしょあな戻りもど ます。ハゼとエビは、同じあなの中で、ハーハー、ゼーゼーといきを切らしながら、「危なかっあぶ   たね。」と話をしているのかもしれません。
 ホンソメワケベラとクエは掃除そうじ共生きょうせいする組み合わせとして知られています。クエは、本来、小魚をえさとしています。ホンソメワケベラは、クエに近寄っちかよ たら一口で食べられてしまいそうな小さな魚です。しかし、不思議ふしぎなことに、ホンソメワケベラが近くに来るどころか、クエの口の中に入っても、クエは決してけっ  ホンソメワケベラを食べようとはしません。これは、ホンソメワケベラがクエの寄生虫きせいちゅう掃除そうじしてあげているからです。クエは、口やえらなどにについた寄生虫きせいちゅうをきれいさっぱりホンソメワケベラに取っと てもらって上機嫌じょうきげんというわけです。クエがホンソメワケベラを食えないわけはここにあるのです。ホンソメワケベラにとって、寄生虫きせいちゅうはえさにもなるし、大きな魚と一緒いっしょにいることでてきから守るまも こともできて一石二鳥です。 
 共生きょうせい関係かんけいにある生き物い ものたちは、違うちが 種類しゅるいであるにも関わらかか  ず、調和ちょうわ保ったも て、平和へいわ関係かんけい維持いじしているのです。

 言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいん会(Λ)
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a 長文 11.3週 tu
 第四に、お米はせまい土地でも、たくさんつくることができました。そのうえ、毎年毎年おなじように、つくることができました。
 土は生きものです。つかえば、そのぶんやせていきます。
 たとえばヨーロッパでは、小麦をつくります。でも、毎年毎年おなじ畑につくることはできません。一年畑をつかったら、あとの二年は牧草ぼくそう地にしたり、肥料ひりょうになる作物を植えたりして、土地を休ませます。そんなふうにして土の力を回復かいふくさせてから、つぎの年、また小麦を植えるのです。
 ところが日本ではおなじ土地に、毎年毎年、お米がつくれます。もう二千年も、それ以上いじょうもの年月、そのようにして米づくりがつづけられてきたのです。日本へきたヨーロッパの専門せんもん家たちは、「信じしん られない。」と、びっくりするほどです。
 そのひみつは水田の「水」にあります。水田に引かれる水には、川が山から運んできた森林のゆたかな土の養分ようぶんがふくまれていて、たえず土をおぎなってくれたからでした。
 第五に、お米は、おいしかったのです。
 お米そのものがおいしいから、おかずをあまり気にせずにすみました。梅干しうめぼ や、ほんのわずかのつけものなどがあれば、ごはんを食べるだけで十分満足まんぞくできました。
 こんなにもたくさんの、長所をもっているお米。
 ですからお米は、いまも、「世界のあらゆる食糧しょくりょうの中で、もっとも理想てきなもの。」といわれています。
 そんなすばらしいいねが、やってきたのです。
 縄文じょうもん時代のおわりごろのことでした。
 いねは、海のむこうから、やってきたのでした。
 お米には大きくわけて、ジャポニカとインディカという二つの種類しゅるいがあります。まるくてねばりがあるのがジャポニカで、わたしたちの食べているお米です。これに対して、長くてばさばさしているのがインディカで、日本以外いがいの多くの人たちが、食べているお米です。
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 そのジャポニカのふるさとは、中国の長江ちょうこう揚子江ようすこう)の流域りゅういきだとみられています。
 中国の古都、紹興しょうこうの近くに、河姆渡かぼと遺跡いせきという遺跡いせきがあります。この遺跡いせきからは七千年もむかしのいねが発見されているのです。ですから、このあたりでつくられていたいねが東へ東へと伝えつた られ、人と技術ぎじゅつといっしょに海をわたって、日本へやってきたのかもしれません。

 (富山とみやま和子ちょ「お米は生きている」より)
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a 長文 11.4週 tu
 さああまがえるどもはよろこんだのなんのって、チェッコという算術さんじゅつのうまいかえるなどは、もうすぐ暗算をはじめました。いいつけられるわれわれの目方は拾もんめやく三十七グラム)、いいつける団長だんちょうのめかたは百もんめ、百もんめわる拾もんめ答十。仕事は九百貫目かんめ、九百貫目かんめかける十、答九千貫目かんめやく三万四千キロ)。
「九千かんだよ。おい。みんな。」
団長だんちょうさん。さあこれからばんまでに四千五百貫目かんめ、石をひっぱってください。」
「さあ王様の命令めいれいです。引っぱってください。」
 今度は、とのさまがえるは、だんだん色がさめて、あめ色にすきとおって、そしてブルブルふるえてまいりました。
 あまがえるはみんなでとのさまがえるをかこんで、石のあるところへつれて行きました。そして一貫いっかん目ばかりある石へ、つなをむすびつけて
「さあ、これをばんまでに四千五百運べばいいのです。」といいながらカイロ団長だんちょうかたつなのさきを引っかけてやりました。団長だんちょうもやっと覚悟かくごがきまったと見えて、持っていた鉄のぼうを投げすてて、目をちゃんときめて、石を運んで行く方角を見さだめましたがまだどうもほんとうに引っぱる気にはなりませんでした。そこであまがえるは声をそろえてはやしてやりました。
「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトシャ。」
 カイロ団長だんちょうは、はやしにつりこまれて、五へんばかり足をテクテクふんばってつなを引っぱりましたが、石はびくとも動きません。
 とのさまがえるはチクチクあせを流して、口をあらんかぎりあけて、フウフウといきをしました。まったくあたりがみんなくらくらして、茶色に見えてしまったのです。
「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトシャ。」
 とのさまがえるはまた四へんばかり足をふんばりましたが、おしまいのときは足がキクッと鳴ってくにゃりとまがってしまいました。あまがえるは思わずどっとわらいだしました。がどういうわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、このときのさびしいことといった
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わたしはとても口ではいえません。みなさんはおわかりですか。ドッといっしょに人をあざけりわらってそれからにわかにしいんとなったときのこのさびしいことです。
 ところがちょうどそのとき、またもや青ぞら高く、かたつむりのメガホーンの声がひびきわたりました。
「王様のあたらしいご命令めいれい。王様のあたらしいご命令めいれい。すべてあらゆるいきものはみんな気のいい、かあいそうなものである。けっしてにくんではならん。以上いじょう。」それから声がまたむこうのほうへ行って「王様のあたらしいご命令めいれい。」とひびきわたっております。
 そこであまがえるは、みんな走りよって、とのさまがえるに水をやったり、まがった足をなおしてやったり、とんとんせなかをたたいたりいたしました。
 とのさまがえるはホロホロ悔悟かいごのなみだをこぼして、
「ああ、みなさん、わたしがわるかったのです。わたしはもうあなたがたの団長だんちょうでもなんでもありません。わたしはやっぱりただのかえるです。あしたから仕立屋をやります。」
 あまがえるは、みんなよろこんで、手をパチパチたたきました。
 次の日から、あまがえるはもとのようにゆかいにやりはじめました。

宮沢みやざわ賢治けんじ「カイロ団長だんちょう」)
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a 長文 12.1週 tu
浅野あさのたちのチームは今、燃えも ている。」
 山口先生の声が教室に響きひび 渡っわた た。今日の朝の会で、わたしたちDチームはみんなの前でほめられた。わたしたちの学校では、四年生になると女子はミニバスケットのクラブ活動があり、毎日放課後ほうかご、体育館で練習をしているのだ。
 Dチームは、上から四番目のチームで、公式試合(じあい)には出られない。練習の時も、ゴール下はなかなか使えず、パス練習が多い。Cチームを負かして、自分たちがCチームになれば試合しあいに出られるのだがそのかべ厚かっあつ  た。
 チームの五人のうち、三人は
「どんなにがんばったって、試合しあいになんか出られないし。」
「先生もコーチも、A、Bチームばかり力を入れているみたいだし。しかたがないけど。」
という感じで、なんとなくやる気が出ない様子だった。
 キャプテンであるわたしと、ふくキャプテンのみちるちゃんは、何とかがんばってCチームに昇格しょうかくしたいと思っているけれど、チームワークが今ひとつなので、うまくいかないのだ。わたしたち二人しか来ない日もあって、Eチームに混じっま  て練習試合じあいをしたくらいだ。わたしも少しあきらめかけていた。
 ところが、先月のことだ。みちるちゃんが、
「ねえ、このままじゃ、いつかEチームにも抜かさぬ  れてしまうかも。がんばって、朝練しない?」
と言い出した。みんな一瞬いっしゅん、えーっという迷惑めいわくそうな顔をした。
 しかし、みちるちゃんはひるまず、強い意志いしのこもった目でみんなを見つめ、
わたしたちだって、試合しあいに出たいよね?」
と問いかけた。わたしが思わず、大きくうなずくと、他の三人もつられたように首をたてにふった。
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 次の日から、三十分の朝練が始まった。三十分早く来るのも実は大変たいへんだ。特にとく 朝が弱いわたしとふくちゃんは、朝ごはんもそこそこに、髪の毛かみ けがはねたまま走って登校するようなあわただしさだった。
「朝練前にランニングしちゃうようなものだね。」
 だれもいない早朝の体育館は、すべてがわたしたちのものだ。シュート練習が思う存分おも ぞんぶんできるし、ドリブル練習も何本もできる。声が響くひび のでいやでもテンションが上がっていく。一日目にして、わたしは、これはいけるかもしれないと思った。なんだか昨日きのうまでのDチームではないみたいだ。
 翌日よくじつからは、山口先生がのぞきに来た。あいさつだけすると、体育館の入口で黙っだま て見ている。ふくちゃんのロングパスを取りそこねたわたしに、先生は転がったボールを拾うと、強めのチェストパスで渡しわた てくれた。

(言葉の森長文ちょうぶん作成さくせい委員会 φ)
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a 長文 12.2週 tu
 日本と同じ車の左側ひだりがわ通行をしている国は、イギリスをはじめ、世界せかいやく三分の一あります。残りのこ の三分の二の国は、ヨーロッパやアメリカのように右側みぎがわ通行をしています。
 だい世界せかい大戦たいせん末期まっき沖縄おきなわ占領せんりょうしたアメリカは、沖縄おきなわでの車の通行を、それまでの左側ひだりがわ通行から右側みぎがわ通行に変えか ました。その後、沖縄おきなわは日本に返還へんかんされましたが、返還へんかんされたあとも、沖縄おきなわではアメリカしき右側みぎがわ通行が続いつづ ていました。
 しかし、返還へんかんから六年後の七月三〇日、右側みぎがわ通行を左側ひだりがわ通行に戻すもど ための大変革へんかくが行われました。
 切り替えき か は、前の日の夜から、すべての車をストップさせて行われました。すべての車がストップしていたのはわずか八時間の間でしたが、この間に、すべての道路どうろ標識ひょうしき表示ひょうじ切り替えき か られました。交通整理せいりなどのために、本土からも多くの警察官けいさつかん手伝いてつだ にかけつけました。
 しかしここで、一つの問題もんだいがありました。普通ふつうの車は、ハンドルが右でも左でも、道路どうろのどちらのがわでも走ることができますが、困るこま のは乗り合いの あ バスです。なぜかというと、バスは、歩道のがわ乗客じょうきゃく乗り降りの お するドアがついているので、新しい通行規則きそく従うしたが と、このドアを車両しゃりょう反対はんたいがわにつけなければならなくなるのです。
 そこで、沖縄おきなわ県内けんないにあったほぼ一〇〇〇台ものバスが、ほとんど新しくされることになりました。このために、日本国内のメーカーは総出そうでで、たくさんのバスを製造せいぞうしたのです。この時に製造せいぞうされたバスは、「730車」と呼ばよ れています。この「730車」は非常ひじょう頑丈がんじょうに作られていたため、数は少なくなりましたが、今でも走っているものがあるそうです。
 こうして多くの人々の努力どりょくのかいあって、沖縄おきなわではたった一晩ひとばん右側みぎがわ通行から左側ひだりがわ通行への変更へんこう無事ぶじに行われたのでした。
 言葉ことばの森長文作成さくせい委員いいん会 τ
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a 長文 12.3週 tu
 日本の大地に根をおろしたいねは、たくさんのみのりをあげてくれました。たくさんとれれば倉庫そうこにたくわえ、保存ほぞんすることができました。
 人口もふえていきました。すこしばかり異常いじょう気象きしょうがきても、もう以前いぜんのように、餓死がしするようなことは、すくなくなっていったからです。
 人口がふえれば、もっとおおぜいの力をあわせることができました。いままでよりも大きな川から、水を引くことができました。もっとたくさん、水田をひらくことができました。すると、もっとたくさんお米をつくることができました。
 倉庫そうこのたくわえも、どんどんふえていきました。
 こうして、十人の人をやしなうのに、八人の労働ろうどうでまにあうようになったとき、あとのふたりは王や貴族きぞくになることができました。宗教しゅうきょう家になり、芸術家げいじゅつかになり、学者や技術ぎじゅつ者や医者になり、商人になることができました。
 余分よぶんのお米があれば、よその村でつくったべつの品物と、こうかんすることもできました。米づくりのための道具、くわやすきや、道具をつくるための鉄などと、こうかんすることもできました。ぬのや着物とこうかんすることもできました。神に祈りいの をささげるためのまが玉や、首かざりや、その原料げんりょうの石ともこうかんすることができました。金、銀、どうなどのたからものや、動物の毛皮とも、こうかんすることができました。
 米を運ぶための船。その船ともこうかんすることができました。
 食糧しょくりょうがたくさんとれるということは、なんとすばらしいことでしょう。
 毎年毎年おなじように、つくれるということも、なんとありがたいことでしょう。
 そして、保存ほぞんできるということも、なんとたいせつなことでしょう。
 文明というものは、このようにしてしだいしだいに発達はったつしていったのです。村々も、しだいしだいに大きくなっていったのです。
 「農業は文明の母である。」といわれています。それは、このような意味からです。
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 さて、米づくりがさかんになるとたくわえのある村とそうでない村とのができるようになりました。たくわえのある大きな村がまずしい小さな村をのみこんで、より大きな村になっていきました。戦争せんそうです。
 米づくりのための水。そのいのちの水をもとめて、どれほどたくさんの水あらそいが、くりひろげられたことでしょう。ゆたかな水源すいげんを手にいれた村は、よりゆたかに、より大きくなることができました。
 佐賀さが県の吉野ヶ里よしのがり遺跡いせきからは、矢の刺さっさ  人骨じんこつや、頭のない人のほねなどが出土しています。水をもとめて、きっとはげしい戦争せんそうがくりかえされたにちがいありません。
 こうして、力の強い大きな村が力の弱い小さな村をのみこんで、より大きな村になっていきました。大きな村々がやがてひとつになって小さな王国になっていきました。
 六世紀せいきごろまでに日本のあちこちに、そんな小王国がいくつもできるようになり、それはやがてひとつに統一とういつされて、「日本」という国がつくられていくのです。

 (富山とみやま和子ちょ「お米は生きている」より)
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a 長文 12.4週 tu
 Kがのぼれるかぎりの高いところまでのぼりついて、ほっとひと息ついたとき、かん高い声で話しあう水夫すいふたちの声がしだいに近づいてきた。
 Kはえだのしげみに、身体をかくすようにして彼らかれ の声に注意を配っていた。
 水夫すいふたちが、家の前にあらわれた。
 水夫すいふたちは、声高にしゃべりあっていた。
 ひとりの黒人が、入り口の戸があいているのを発見して、指をさしながら大声で仲間なかま告げつ ていた。
 水夫すいふたちは雨戸をたたいたり、交互こうごに入り口から中をのぞいたりした。しかし、だれ一人として一歩も中に入ろうとする者はいなかった。
 Kはそれを見て、彼らかれ が悪者でないことを心に感じとった。
 家の中から、何の返事もないので、水夫すいふたちはすごすごと通路にひきかえし、また、つぎの家へおしかけていこうとした。
 水夫すいふ一群いちぐんの中で、いちばん最後さいごに、入口をのぞいた男が榕樹ようじゅの下を通りすぎようとして足をとめた。その男はズックせいのからバケツをさげていた。ほかの水夫すいふたちより少し年をとった白人であった。かれはズックのバケツを下におき、ポケットからしわくちゃのハンカチをひっぱりだして、顔や、首や、シャツからはだけたむねや、うであせをふいた。オールのように太いうでは日やけして、金色の毛がいっぱいに生えていた。この水夫すいふ榕樹ようじゅのかげで少し涼んすず でいくつもりらしかった。
 あんのじょう、かれ煙草たばこをとりだして火をつけた。
 Kは息をのんで、見つめていた。
 男は、煙草たばこをうまそうに、ひと口すいこむと、ふいに上を向いて、榕樹ようじゅ眺めなが まわした。
 Kがあわてたしゅんかん、持っていたえだがゆれて、葉が、かすかではあるが、音をたてた。
 Kと西洋人の水夫すいふは、視線しせんをあわせてしまっていた。
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 水夫すいふは、両手をさしのべて、Kをうけとめてやろうというようなしぐさをした。そして目にはやさしい笑いわら 浮かべう  ていた。
 Kは決心をして、そろそろおりはじめた。
 おりている途中とちゅう、西洋人が何か一言、二言いった。きっと、「気をつけなさい」といってくれているのにちがいなかった。
 Kは地面におりたって、きまり悪そうな顔をしていると、船員はほほえみながら、手をさしだした。うでには金色の毛が生えている。
 男は、ズックのバケツを指さして、何か話した。
 Kは、言葉にはわからなかったが、水をほしがっているのだということに気がついた。
 Kは、バケツを持って井戸いどばたへ案内あんないした。
 その男は、大声を出して仲間なかま呼びよ 集めた。水夫すいふたちは騒ぎさわ ながら、ひきかえしてきた。彼らかれ は、大げさすぎるほどの表情ひょうじょう喜びよろこ の気持ちをあらわしていた。
 Kがつるべで水をくもうとすると、水夫すいふたちは、いっしょに手伝ってつだ て、勢いいきお よくくみあげた。そしてズックのバケツにいれて、かわるがわる馬のように水を飲んだ。何べんもつるべでくみあげて、全員がたっぷりと水を飲んでから、バケツに水を満たしみ  てひきあげた。帰りぎわに、Kはもう一度、少し年をとった水夫すいふ握手あくしゅした。
 エビア号の船員たちは、三週間ほどたって、村から姿すがたを消した。
 Kは最初さいしょの夕方、エビア号を見て以来いらい、美しい帆船はんせん姿すがたを二度と忘れるわす  ことはできなかった。

庄野しょうの英二えいじ「白い帆船はんせん」)
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