1初めて金槌で釘を打ったのは、小学校にあがったばかりのころだった。狙ったところになかなか打てなくて、釘が曲がった。兄が、「貸してごらん」と言って金槌を取り、曲がった釘を伸ばしてから数回釘の頭を打つと、スコン、スコンという小気味よい音がして釘は見事に板に埋め込まれた。2釘を打つという一見単純な動作に見えることにも、技の熟練度が深く関わっている。こんな体験から、私は次第に自分で釘を打ったり、のこぎりで板を切ったりすることが好きになった。しかし、気分が乗らないときは、釘の頭ではなく指を打つことがある。3そのかわり、明るい気持ちで打つと、きれいに釘の頭に命中する。このことは、物に限らず、人との関係にもまた当てはまるのではないか。私たちは、自分以外の世界と対話することによって自分自身を形成していくのだろう。
4では、その対話を充実させるためには、何が必要なのだろうか。第一は、いつも自分の手足を使ってみるように心がけることだ。水泳の練習は、畳の上ではできない。まず、水に入って手足を動かすことから始めなければならない。5見るだけ聞くだけの学び方は、一見能率がよいように見える。しかし、自分の体験を通して学んでないことには、確実性が不足している。例えば、うちひしがれている誰かに声をかけてあげられるのは、自分もやはり同じようにうちひしがれた経験を持つ人だけだろう。
6第二には、そのような対話を可能にする社会の仕組み作りだ。リアルな対話の反対側にあるのは、インターネットに代表されるバーチャルな対話である。バーチャルな対話を支えているものは、グローバルで不特定な世界だ。7リアルな対話とは、ローカルで顔の見える個人によって担われる。例えば、地域のお祭りなどがそうだ。そのリアルなつながりを、お祭りのような限られた行事としてだけではなく、日常的な経済活動として行うことが地域での人と人とのつながりを回復する。8その地域で生産されたものを、その土地の人が消費する。そういう世界を通して、人と人とのつながりも、人と物とのつながりも再構築されるはずだ。
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