a 長文 1.1週 wape
 初めて金槌かなづちくぎを打ったのは、小学校にあがったばかりのころだった。狙っねら たところになかなか打てなくて、くぎが曲がった。兄が、「貸してごらん」と言って金槌かなづちを取り、曲がったくぎ伸ばしの  てから数回くぎの頭を打つと、スコン、スコンという小気味よい音がしてくぎは見事に板に埋め込まう こ れた。くぎを打つという一見単純な動作に見えることにも、技の熟練度が深く関わっている。こんな体験から、私は次第に自分でくぎを打ったり、のこぎりで板を切ったりすることが好きになった。しかし、気分が乗らないときは、くぎの頭ではなく指を打つことがある。そのかわり、明るい気持ちで打つと、きれいにくぎの頭に命中する。このことは、物に限らず、人との関係にもまた当てはまるのではないか。私たちは、自分以外の世界と対話することによって自分自身を形成していくのだろう。
 では、その対話を充実じゅうじつさせるためには、何が必要なのだろうか。第一は、いつも自分の手足を使ってみるように心がけることだ。水泳の練習は、たたみの上ではできない。まず、水に入って手足を動かすことから始めなければならない。見るだけ聞くだけの学び方は、一見能率がよいように見える。しかし、自分の体験を通して学んでないことには、確実性が不足している。例えば、うちひしがれている誰かだれ に声をかけてあげられるのは、自分もやはり同じようにうちひしがれた経験を持つ人だけだろう。
 第二には、そのような対話を可能にする社会の仕組み作りだ。リアルな対話の反対側にあるのは、インターネットに代表されるバーチャルな対話である。バーチャルな対話を支えているものは、グローバルで不特定な世界だ。リアルな対話とは、ローカルで顔の見える個人によって担われる。例えば、地域のお祭りなどがそうだ。そのリアルなつながりを、お祭りのような限られた行事としてだけではなく、日常的な経済活動として行うことが地域での人と人とのつながりを回復する。その地域で生産されたものを、その土地の人が消費する。そういう世界を通して、人と人とのつながりも、人と物とのつながりも再構築されるはずだ。
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 確かに、対話には時間がかかることも多い。くぎの打ち方を人間が気長に学ぶよりも、機械に任せてしまった方が能率は、はるかによい。対話を通して政策を決めようとすれば、利害の対立から何も決断できなくなることもある。しかし、人間が生きているのは合理性のためではなく、人間らしい生き方をするためである。対話とは何かのための手段ではなく、それ自体が一つの目的であると考えるとき、真に物と人との対話のある社会が生まれるのではないだろうか。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)
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a 長文 1.2週 wape
 私が、文章を書くことでやっと生活出来るようになったころ言葉遣いことばづか について時折注意して下さる二、三の先輩せんぱいがあった。多忙たぼうな方達であるから、私の文章など目にとまる機会はなくても当然、もしも目にとまれば、それだけ僥倖ぎょうこうというものだと思っていた。
 一夕いっせき、外で集まりがあった。
 ウイスキーグラスを手にして近くに立っていられた、先輩せんぱいのある男性作家に名前を呼ばれた。この間、偶然ぐうぜん、新幹線の中であなたのもの読んだよ。おもしろかった。ただ、あれはちょっとおかしいんじゃないかなあ、と言って、ある用語のことを指摘してきされた。
 また、女性のある先輩せんぱい作家は、用件の電話を下さった折、話が終わってから、そうそう言わないでもいいことかもしれないけれど、あの文章のあそこのところで、ああ書いていられたのには、わたくし、ちょっとひっかかったんですよ。あの言葉は、私ならこういう時に使うんです。でもきっと、お考えがあってのことだと思いますからお気になさらないでね。
 若い間は自惚れうぬぼ が強い。 我も強い。
 それでも、いずれ劣らおと ぬ大先輩せんぱいの言葉なので衝撃しょうげきは強かった。風呂敷ふろしきくびから上をすっぽり包んでしまいたい気持ちになったのは、かなり時が経ってからだった。
 読んでいて下さったからこそのご注意である。知らん顔されていてもすむ。それにお二方とも注意だけでなくほめ言葉も下さった。大安売りのほめ言葉だったに違いちが ないが、あそこがいけないというだけの注意ではなかった。酔いよ のまぎれにというかたちの気遣いきづか もあとになって分かった。何事に対しても、己れの限界の自覚を失った時にはもう、書き手としての終わりのない堕落だらくが始まっているのだろうとつくづく思うようになった。けれども文章はまた、決して謙虚けんきょな気持ちだけで書けるものでもない。勢い、が必要である。四苦八苦で筆が渋滞じゅうたいしている時ではなく、憑かれつ  たような状態になってはじめて筆を運ばされる時のことを考えると、これは無意識の自惚れうぬぼ というほかはない。
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 反省と、訓練、謙虚けんきょさと、自惚れうぬぼ 、そのどれが欠けてもいけないと思うのはこの期に及んおよ での認識で、経験の浅いうちはどうしても自惚れうぬぼ が先行する。そういう者に対して、あえて苦言を呈してい 叱っしか て下さった方々をかえりみて有難く思う気持ちは強くなるばかりである。
 所詮しょせん孤独こどくな仕事、好きなようにやればいいさというのも一つの生き方であろう。しかし、気づいたことは、自分達の責任において叱っしか ておいてやらなければ、と思って下さったのかどうか、とにかく私は、この種のご注意に対して、今は感謝だけでなく、生き方に対しても敬意を抱くいだ ようになっている。
 私どもは、日頃ひごろいとも気易く日本語、日本語と言っているが、さてその成り立ちを辿ったど てみると、口ごもりたくなるようなことが少なくない。厄介やっかいな、複雑な成り立ちの歴史をもっているのが、毎日使っている、他のどこの国の言葉でもない日本の国の言葉である。
 その言葉を、出来るだけいい加減にではなく運用しようというのは、出来るだけいい加減にではなく物を見よう、物と自分とを関係づけようという生き方のあらわれにほかならず、そうであればこそ言葉遣いことばづか に対する注意は、先に生きた大人がまず子供に対して行うべき大切な義務の一つかと思う。
 教師が生徒に対する以前に、親が子に対して。ということは、日常の言葉遣いことばづか をまだよくは知らない者に対しては、知っている者が教えるのが至当しとうだと思うからで、知らない者はほうっておいて、自分で知るようになるまで待つというのは、事によっては通用するかもしれないけれど、怠惰たいだの正当化にもなりかねない。
 大学生くらいになると、事情は大分違っちが てくるが、「怒るおこ 」先生と、「叱るしか 」先生を、子供は存外鋭くするど 見抜くみぬ ものである。こと小学校、中学校、高等学校の国語教育に関しては、自覚と誇りほこ をもって「叱るしか 」先生は、多くてもいいと私は思う。
 生徒を怒るおこ のはいたって簡単だが、日常の言葉遣いことばづか について、は
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長文 1.2週 wapeのつづき
っきりした自覚と誇りほこ をもって生徒を叱るしか ために、教師自身の言語生活の訓練と充実じゅうじつが前提になる。教師の知識だけに頼ったよ ていても、教師の言語感覚、言葉遣いことばづか の好みだけに頼ったよ ていてもいけないのが国語教育のはずだから、叱るしか 以上は、教師にも覚悟かくごがいる。
 表現の自由が認められている国は有難い。けれども、本当の自由の行使が出来るのは、不自由を経験している者だろう。自由を知らない者には、自由を知っている者が教える義務はないのか。教えられて学ぶことの大事を、教師はこれまた、自覚と誇りほこ をもって教えていいのではないか。教師と生徒が、友達のような関係だけでは困る。
 まともに人格もそなわっていないうちから、ひとかどの人格扱いあつか をするのが果たしていいことなのかどうか、責任回避かいひの人格尊重や放任は考えものである。
 一人の人間を駄目だめにしてしまうのはわけのないことだ。好きなものを食べたいだけ食べさせ、眠りねむ たいだけ眠らねむ せる生活を続けさせていればよいと言った人がいる。
 国を亡ぼすのは武力だけではない。教育の大事ということを切実に思う機会が増えている。数日前の新聞の投書らんに、「手抜きてぬ のつけ」という見出しがあった。一見しただけで、忸怩じくじたるものをおぼえた。内容は読んでいないのに、思い当たることはあまりに多かった。今の若い者は、と言う前に、そんな若い者にだれがした、という声を聞かなければならないと思った。言い逃れい のが や他人の批判ですまされるうちはいい。大きな変化は、ある日突然とつぜんには起こらないようである。

(竹西寛子ひろこ『朝の公園』による)
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a 長文 1.3週 wape
 庭は原始社会では、集団全体の広場でした。屋内ではいこい、庭では活動的な共同生活がいとなまれたのです。多くは部落の中央にあり、宗教的儀式ぎしき、政治の集会がおこなわれ、また生活の場所でもありました。――狩猟しゅりょう時代には呪術じゅじゅつ踊りおど にわき、戦いにむかう精鋭せいえいが勢ぞろいし、農耕社会では、収穫しゅうかく処理の作業場所であり、また家畜かちくの遊び場でもありました。やがて物々交換ぶつぶつこうかんがさかんになると、そのための市場にもなった。それはあらゆる生活のはばをふくめた、集団社会の共通の広場でした。
 しかし、やがて歴史がすすみ、階級制度があらわれはじめると、権力者占有せんゆうの庭が出現します。ここでは、貴族たちがあつまって、政事、儀式ぎしきをとりおこない、遊戯ゆうぎし、スポーツをたのしみ、もよおしものなどを観賞しました。すでに一般いっぱん庶民しょみんには閉ざされたものです。ふつうわれわれが考える「庭園」は、この段階からはじまると言っていいでしょう。
 わが国では、平安朝の寝殿しんでん南面の庭園というのは、このような性格を持っていました。このころには寝殿しんでんからながめる美観として、池を掘りほ 、中の島をきずき、石を組み、たきをおとしたりして遠景をととのえました。
 やがて歴史がくだるにつれて、禅宗ぜんしゅう影響えいきょうなどもあり、庭園はしだいにしずかにながめるというだけのものにかわってゆきます。すでに政治や競技の広場ではなく、活動的な生活よりも、幽邃ゆうすい環境かんきょうにかこまれて沈思ちんし瞑想めいそうするという、ぞく離れはな た精神的な別世界をつくりあげたのです。こうなってくると、庭園はひどく観念的・趣味しゅみ的になります。そして、ようやく公共性をうしないはじめてくる。室町時代からの庭は、ほとんどそういう性格を持ってきます。
 形式はおどろくほど巧みたく に、複雑になって、一つの完成をしめしました。伝統的技術は確立され、今日「日本庭園」といえば、まずこの時代の形式、あるいはその亜流ありゅう以外は考えられないほど、以後の造園術、そして審美しんび感を決定しています。ながい人間の歴史から見れば、これはかなり特別な、時代的なゆがみのはずなのです
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が。
 徳川期に、めざましく勃興ぼっこうした富裕ふゆうな町人階級がこれを受けつぎました。町なかの、土蔵や屋敷やしきが立ちならぶなかに庭を取りいれたのです。この風習は、やがて、時代とともに、ついに棟割長屋むねわりながや庶民しょみん階級にまでしみとおってゆきました。
 めいめいが自分だけの庭をもつ。しかも、凝れこ 凝るこ ほど、建物やへいおくにかくして、外からはかいまみることもできないようにしてしまう。――アメリカあたりの典型的な市民住宅が道路に面した前面に庭をもち、そこはプライヴェートなものであると同時に街路の延長であり、公園的な役割をはたしているという近代性と、これはまことに対照的です。どんな小さいものでも、自分の領分だけを嫉妬しっとぶかくまもるという封建ほうけん性が、象徴しょうちょう的にここに確立されてきたのです。
 このように、まったく公共性のない趣味しゅみにとじこもることによって、かつて見られた庭園の美的な高さ、きびしさ、純粋じゅんすいさをうしない、卑小ひしょうな芸に堕しだ てゆきました。(中略)
 構想の雄大ゆうだいさとか生活のはばというものはなく、かといって、階級自体の表情とか意欲というものもそこには見られません。たんに生活の虚栄きょえい的なアクセサリーになりさがっている。これが庭として、けっして本来の意味ではないことはたしかです。
 日本の庭がこういう封建ほうけん的な伝統をつづけて固定したのにたいして、はやくから近代化した西洋では、一般いっぱん市民は高層の集団住宅に住み、貴族の豪壮ごうそうな庭園を開放して、公園として共同の庭を設備しました。たとえば、パリのルュクサンブールの庭は、かつては宮殿きゅうでんに付属していた典型的なフランス式庭園ですが、今日では広大な自然の中であらゆる層の人たちがそれぞれに楽しく利用しています。各種のスポーツはもちろん、学生はノートをひろげ、静かな木かげでは、若い男女がこいをささやいている。子供たちはなわとびや、ボール投げをして遊び、夫人たちはそのわきで編物に余念がない。老人は日向ぼっこをしながらベンチで新聞を読んでいます。午後のひとときには、音楽堂からのメロディーが庭いっぱいに流れる
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長文 1.3週 wapeのつづき
のです。
 われわれが考える公園はとかく道路の延長といった感じですが、これは親しいみんなの庭です。そこに集まってくる者だれでもの領分であり、生活の延長、ひろがりなのです。
 今日、もっとも進んだ建築家や都市計画者は「庭」を再発見し、現代生活にふさわしい機能的な共同の広場として新しく設計しようとしています。それこそ人間社会における庭本来の正しい意味をとりもどすことなのです。私はこれからの庭、市民生活における理想的な空間は、公共的であると同時にプライヴェートであり、運動的であるとともに休息的、しかもきわめて芸術的であるべきだと思います。
 庭園は、それ自体が造形される空間です。建造物であり、彫刻ちょうこくであり、また音響おんきょうの遊びもあります。眺めるなが  と同時に触れるふ  ものであり、静止していると同時にきわめて動的な相貌そうぼうをもおびる。自然であり、また反自然でもあるのです。さらにその中にあらゆる芸術を総合して取りいれることができます。絵を置き、彫刻ちょうこくをあしらう。歌い、舞うま 、可能的な芸術空間です。
 そういう本当の庭、そしてそのあり方について、ここでは展開するつもりはないのですが、しかしこの根本的なポイントだけは、しっかりとつかんでおきたい。そういう現代的な気がまえをとおして名園を観察し、批判しなければなりません。でないと古い伝統芸術がひとしく持っているせまい趣味しゅみ性、その魔術まじゅつについ引っかかり、庭園にメスを入れたつもりで、逆にその時代色の中にふみまよってしまうことになりかねないからです。

岡本おかもと太郎たろう『日本の伝統』による。)
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a 長文 1.4週 wape
 アイヌの世界観において驚くおどろ べきことは、動物も植物も天の世界ではすべて人間の形をして、家族生活を営んでいると考えられていることである。その天の世界では、われわれと同じ人間である動物や植物がこの世界に現れるときには、ハヨクベ即ちすなわ 仮装をつけて現れるというのである。何のために仮装をつけて現れるのか。それは人間の世界にミヤンゲ即ちすなわ 土産を持ったマラプト即ちすなわ 客人として訪れるためである。つまり、アイヌにとって、くまも木もすべて人間と同じものであるが、彼らかれ はその身をわれわれに提供するためにこの世に仮装をつけて出現するというわけである。
 アイヌの社会で最も重要な祭りであるイヨマンテ、即ちすなわ くま送りの儀式ぎしきは、このような客人の携えたずさ た土産をいただき、その代わりそのれいを無事天に送り届ける宗教的儀式ぎしきなのである。アイヌは子ぐま捕れると  と、それを大事に育て、その身が美味しくなる秋ごろに子ぐまを殺す。この殺し方もまたすべて決められた礼に従って行わねばならぬが、この儀式ぎしきの中心はやはり殺したくまれいを天に送ることにある。それがイヨマンテ、イ(それ)をオマンテ(送る)儀式ぎしきなのである。殺されたくまの頭を祭壇さいだん祀りまつ 、そこに日本のゴヘイにあたるイノウ即ちすなわ ケズリカケを立て、そこに、くまに人間からのミヤンゲとしてドングリや穀物や魚や酒を供え、それを持たして、おそらく鳥のイメージであるにちがいないイノウに乗せてくまれいを天に送るのである。こうして丁重にもてなされたくまが人間にもらった土産を天に持ち帰ると、その土産は数十倍になり、それをもって宴会えんかいを開くと天にいるくまたちは寄ってきて、天に帰ったくまから、人間に大切にもてなされ無事天に送り返された話を聞き、それでは自分も行ってみようと思うというのである。そして翌年は多くのくまが生まれて、豊りょうであるということになる。
 くまばかりか、すべての動物、草木すらここでは神であり、天の世界では人間の形をとって生活しているのである。それゆえすべての動植物、特に人間によって殺され食用にされるものは人間と同じく丁重に葬らほうむ れ、無事に天へ送り届けられなければならないのであ
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る。
 このような世界観をわれわれはどのように考えたらいいのであろうか。もとよりこれらの思想が全体としてそのまま真理であると私は主張しようとは思わない。もしもくまに「あなたは土産を持ってこの世界に訪れた客人なのですか」と尋ねたず たら、くまはきっと「ノー」と答えるにちがいない。それはあまりに人間の勝手な考え方だとくま抗議こうぎするにちがいないが、しかし私はキリスト教の考える、神は山や川やすべての動植物をこしらえた後に、最後に人間をつくり、人間に神と同じ理性を与えあた た、それゆえ、人間はすべての動植物を支配する権利を持つ、という思想よりはるかに勝手な考え方ではないと思う。なぜなら、人間がすべての動植物を支配し、殺害することのできる権利を神によって与えあた られているというのでは、人間は動植物を殺してもいささかも良心の呵責かしゃくを感じないであろう。この考え方はくまは本来、人間と同じものであり、したがってわれわれはこの客人の好意に従って客人を殺した場合、必ずそのれいを天に送らねばならないという考え方とはかなりな差がある。前者は本質的に人間と動物の差別の上に立つ世界観であるが、後者は人間と動物とを本来同一とみる世界観なのである。
 人類は長い狩猟しゅりょう採集生活の末に、動物の殺害を合理化する哲学てつがくを考えたにちがいないのである。おそらく動物の殺害は不快感を伴っともな たにちがいない。その不快感を除去し、動物の殺害と食肉を合理化する哲学てつがくとして、彼らかれ は、動物は土産を持って人間社会に現れた客人であるという神話を考え出したのであろう。このような神話は動物の殺害や植物の採伐さいばつを最小限度にとどめることになろう。彼らかれ は動植物に「私が生きていくためには、あなたの身が必要なのです。どうかあなたの命を下さい」と言わないと、動植物を殺すことができないのである。アイヌ語で「ありがとう」という言葉は、「ヤイライゲ」というが、「ヤイライゲ」というのは、私を殺してくれという意味である。この狩猟しゅりょう採集時代の厳しい自然環境かんきょうのなかでの最も強い感謝の表現は、私を殺して私の肉を食ってくれという言葉なのである。 (梅原たけし『伝統と創造』による)
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a 長文 2.1週 wape
二番目の長文が課題の長文です。
 手に触れるふ  ものをすべて金にしてほしい。そう願った王様は、食べるものも、着るものも、すべて金にしてしまい、やがて最愛のむすめまでも金にしてしまう。ギリシャ神話に出てくるミダス王の話である。豊かな社会を追い求めてきた人類の歴史も、このミダス王に何か似ていないだろうか。強い国を願って作られた核兵器かくへいきは、相手を滅ぼすほろ  ばかりか、地球をも滅ぼすほろ  ようになった。豊かな資金運用を願って作られた金融きんゆう工学は、その資金の何倍もの返せない借金を生み出した。そしてまた、豊かな社会を作るための経済活動の発展は、環境かんきょう破壊はかいという人類にとっての新たな貧困を生み出している。私たちは、量を追い求めるあまり、制御せいぎょすることの大切さを忘れているのではないか。
 その原因は、第一に、世界の戦後の歴史が、不足からの自由という観念につき動かされてきたからだ。昔話に出てくる意地悪なおばあさんは、必ず大きい箱をもらう。しかし、大きい箱に入っているのはガラクタであり、本当の宝物は小さい箱に入っている。これは、昔の人たちが、大事なのは大きさではないということを、よりよく生きるための知恵ちえとして身につけていた証拠しょうこではないだろうか。不足から過剰かじょうへと一直線に進んできた私たちの生活も、今一度先人たちの知恵ちえに立ちかえって見直す必要がある。
 第二の原因は、量の拡大を求める心理には、必ず競い合う他者がいるということである。国と国との関係で言えば、どの国のGDPが世界で第何位かということが、さも重要なことであるかのように論じられることが多い。大事なことは、GDPの額ではなく、その国に住む人が自分たちの生活をどのくらい幸福と感じているかどうかであるはずなのにである。飽食ほうしょくのニワトリの群れに飢えう たニワトリを入れると、その飢えう たニワトリにつられてすべてのニワトリが再びえさを食べ出すという。基準を自分の中に持たず、他者との比較ひかくの中に見る私たちも、このニワトリたちと変わらないのではないだろうか。
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 確かに、世界にはまだ貧困に苦しむ国も多い。量の問題は、人類全体として考えれば、まだ解決されていない課題だと考える人もいるだろう。しかし、その貧困でさえ、原因のほとんどは政治の貧困であって量の貧困ではないのである。科学者は、長い間量の問題に取り組んできた。しかし、これから求められるのは制御せいぎょの問題である。手に触れるふ  ものが金になるのは素晴らしいことだ。しかし、そのためには、あるものは金にして、あるものは金にしないという制御せいぎょを自分自身でできなければならない。制御せいぎょの問題が解決されたとき、初めて人類は、金と、おいしい食事と、最愛のむすめとが両立する、真に豊かな社会を作り出すことができるのである。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)
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長文 2.1週 wapeのつづき
 ある書物がよい書物であるか、そうでないかを判断するために、普通ふつう私たちがやっていることはだれでも類似している。自分が比較的ひかくてき得意な項目こうもく、自分が体験などを総合してよく考えたこと、あるいは切実に思い患っわずら ていること、などについて、その書物がどう書いているかを、拾って読んでみればよい。よい書物であれば、きっとそういうことについて、よい記述がしてあるから、大体その箇所かしょで、書物の全体を占っうらな てもそれほど見当が外れることはない。
 だが、自分の知識にも、体験にも、まったくかかわりのない書物に行きあたったときは、どう判断すればよいのだろうか。それは、たぶん、書物に含まふく れている世界によって決められる。優れた書物には、どんな分野のものであっても小さな世界がある。その世界は書き手の持っている世界の縮尺のようなものである。この縮尺には書き手が通りすぎてきた「山」や「谷」や、宿泊しゅくはくした「土地」や、出会った人や思い患っわずら 痕跡こんせきなどが、すべて豆粒まめつぶのように小さくなってめられている。どんな拡大鏡にかけてもこの「山」や「谷」や「土地」や「人」は目には見えないかもしれない。そう、事実それは見えない。見えない世界が含まふく れているかどうかを、どうやって知ることができるのだろうか。
 もしひとつの書物を読んで、読み手を引きずり、また休ませ、立ち止まって空想させ、また考え込まかんが こ せ、要するにここは文字のひと続きのように見えても、実は広場みたいなところだなと感じさせるものがあったら、それは小さな世界だと考えてよいのではないか。この小さな世界は、知識にも体験にも理念にもかかわりがない。書き手が幾度いくども反復して立ち止まり、また戻りもど 、また歩き出し、そして思い患っわずら た場所なのだ。かれは、そういう小さな世界をつくり出すために、長い年月を棒にふった。棒にふるだけの価値があるかどうかもわからずに、どうしようもなく棒にふってしまった。そこには書き手以外の人のかげも、隣人りんじんもいなかった。また、どういう道もついていなかった。行きつ戻りもど つしたために、そこだけが踏みふ 固められて広場のようになってしまった。実際は広場というようなものではなく、ただの踏みふ 溜りたま でしかないほど小さな場所で、そこから先に道がついているわけでもない。たぶん、書き手ひ
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とりがやっとこしを下ろせるくらいの小さな場所にしかすぎない。けれどもそれは世界なのだ。そういう場所に行きあたった読み手は、ひとつひとつの言葉、何行かの文章にわからないところがあっても、書き手をつかまえたことになるのだ。
 私は、なぜ文章を書くようになったかを考えてみる。心の中に奇怪きかいな観念が横行してどうしようもなく持て余していた少年の晩期のころ、しゃべることがどうしても他者に通じないという感じに悩まさなや  れた。この思いは、極端きょくたんになるばかりであった。この感じは外にもあらわれるようになった。父親は、お前このごろ覇気はきがなくなったと言うようになった。過剰かじょうな観念をどう扱っあつか てよいかわからず、しゃべることは、自分をあらわしえないということに思い患っわずら ていたので、覇気はきがなくなったのは当然であった。われながら青年になりかかるころの素直な言動がないことを認めざるをえなかった。今思えば、「若さ」というものは、まさしくそういうことなのだ。他者にすぐわかるように外に出せる覇気はきなど、どうせ、たいした覇気はきではない、と断言できるが、そのとき、そう言いきるだけの自信はなかった。そうして、しゃべることへの不信から、書くことを覚えるようになった。それは同時に読むようになったことを意味している。
 私の読書は、出発点で何に向かって読んだのだろうか。たぶん自分自身を探しに出かけるというモチーフで読みはじめたのである。自分の思い患っわずら ていることを代弁してくれていて、しかも、自分の同類のようなものを探しあてたいという願望でいっぱいであった。すると書物の中に、あるときは登場人物として、あるときは書き手として、同類がたくさんいたのである。
 自分の周囲を見わたしても、同類はまったくいないように思われたのに、書物の中では、たくさん同類がみつけられた。そこで、書物を読むことに病みつきになった。深入りするにつれて、読書の毒は全身を冒しおか はじめた、と今でも思っている。
 ところで、そういうある時期に、私はふと気がついた。自分の周囲には、あまり自分の同類はみつからないのに、書物の中にはたくさんの同類がみつけられるというのはなぜだろうか。ひとつの答えは書物の書き手になった人間は、自分と同じように周囲に同類はみつからず、また、しゃべることでは他者に通じないという思いに
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長文 2.1週 wapeのつづき
悩まさなや  れた人たちではないのだろうか、ということである。もうひとつの答えは、自分の周囲にいる人たちもみな、実はしゃべることでは他者と疎通そつうしないという思いに悩まさなや  れているのではないか。ただ、外からはそう見えないだけではないのか、ということである。後者の答えに思いいたったとき、私は、はっとした。私もまた、周囲の人たちから見ると思いの通じない人間に見えているにちがいない。うかつにも、私は、この時期に初めて、自分の姿を自分の外で見るとどう見えるか、を知った。私は私がわかったと思った。もっとおおげさに言うと、人間がわかったような気がした。もちろん、前者の答えも幾分いくぶんかの度合で真実であるにちがいない。しかし、後者の答えの方が私は好きであった。目からうろこが落ちるような体験であった。
 私は、文章を書くことを専門とするようになってからも、できるだけそういう人たちだけの世界に近づかないようにしてきた。つまり、後者の答えを胸のおく戒律かいりつとしてきた。もし、私が書き手として少しましなところがあるとすれば、私が本当に畏れおそ ている人たちが、他の書き手ではなく、後者の答えによって発見した、自分を自分の外で見るときの自分の凡庸ぼんようさに映った人たちであることだけに基づいている。

吉本よしもと隆明たかあき『詩的乾坤けんこん』による)
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a 長文 2.2週 wape
 私たちは旅、未知と偶然ぐうぜんの要素を多く含んふく だ旅に出るとき、どこかへ行きたいとか、なにかを調べたいとかなどといった、なんらかの意味で目的をもった自分の意思とは別に、一種のあやしい胸のときめきを感じる。それは一抹いちまつの不安をまじえた心の華やぎはな  であり、それによって旅への出立というものに、独特の感情の色づけがなされる。「いい日旅立ち」などという国鉄の広告もあったが――多分これは「思い立ったが吉日きちじつ」という昔からあることわざにヒントをえたものであろう――旅への出立がすぐれて演劇性あるいは祝祭性をもちうるのは、そのような感情の色づけのためであろう。旅立ちの場所である駅やプラット・フォームや空港が現代生活のなかでは珍しくめずら  濃密のうみつな意味場を形づくり、そこに毎日多くの小さな――ときには大きな――ドラマや祝祭が見られるのは、だれでもよく知っているところだ。
 旅立ちに際したときのこのような心の不思議な在り様を巧みたく 捉えとら て、私たちの先人の一人は、次のように書いた。「春立てるかすみの空に、白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず、云々うんぬん」(松尾まつお芭蕉ばしょう『おくのほそ道』)あまりにも有名な文章であるが、この「そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて」(そぞろ神が物=れいにとりいたためもの狂わしくくる   なり、道祖神にさそわれて)ということばには、旅が日常性をこえた異次元への飛翔ひしょうともいうべき側面をもっていることがよく示されている。(中略)
 日常の惰性だせい的な生活のなかで閉ざされた私たちの心を、旅は開かれた、予感にみちたものにする。と同時にそれだけ、旅において私たちは行くさきざきの不安にも敏感びんかんになる。その点についても芭蕉ばしょうは見落していない。前途ぜんと三千里のおもひ胸にふさがりて、まぼろしのちまたに離別りべつなみだをそそぐ。行春や鳥啼きな 魚の目はなみだ云々うんぬん。」ことで「まぼろしのちまた」とは「ぞくニ夢ノ世トいふク、人生ノハカナキヲたとフ」と注釈ちゅうしゃく本(『奥細道管菰抄おくのほそみちすがごもしょう』)にある。
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ふだんの安穏あんのん無事な生活のなかでよりも、ひとは旅に際してわが身を見つめるようになるのである。いまでは旅に際しての別離べつりも昔ほど深刻なものではなくなったけれど、それでもそこにはひそかに私たちを脅かすおびや  ものがある。
 旅は私たちの心を開かれた予感にみちたものにする、といった。しかしそれは、旅に出かけるとき、旅立ちに際してだけのことではなくて、およそ旅をしているかぎり、いつでもいえることである。これはだれでも経験していることだけれど、旅先で見たものや聞いたものは、しばしば私たちに新鮮しんせんなおどろきを与えあた 、旅先で出会った出来事はしばしば私たちにつよい感動を与えるあた  。旅に出るとひとはだれでも「芸術家」になり「詩人」になるといわれるのも、そのことを指している。
 この場合「芸術家」になり「詩人」になるというのは、なにか特別な力を新しく手に入れることではないだろう。それはむしろ、人間がもともと持っているいきいきとした感受性をとりもどすことである。ふだんの生活、日常生活の惰性だせいから自己を解き放つことなのである。「日々新たなり」という人間的生の在り様は、日常生活のなかでもむろん言えることであり、本来私たちはそういうものとして毎日を迎えむか なければならないのだが、実際にはそれはたいへん難しい。
 ところが旅では――未知と偶然ぐうぜんの要素を多く含んふく だ旅では――日々は私たちにとって新たならざるをえない。そして日々新たであるなかで、よりつよく私たちの好奇こうき心は突きつ 動かされ、働くようになる。ふつう「好奇こうき心」などというと、あまりいい意味にとられない場合が多い。なにか面白いことはないかと知らなくてもいいことまでむやみに穿鑿せんさくする心、あるいはもの好きといったような意味に解されている。けれども好奇こうき心とは、私たち人間の知的活動の根源をなす情熱、つまり知的情熱にほかならない。
 好奇こうき心というとあまりいい意味にとられない、といった。しかし実はそれ以前の、情熱(情念、パトス)そのものが、これまで一般いっぱんに永い間、はしたないものとされてきたという事情がある。情熱は
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長文 2.2週 wapeのつづき
人間の心の平静を乱し、人間を真理から遠ざけるものだとされてきた。しかしそのような見方はきわめて一面的なものでしかない。『百科全書』の編者として知られるディドロ(『哲学てつがく思索しさく』)が、その点でたいへん適切なことを言っていたのを思い出す。
 すなわち、ひとは情念(情熱)の悪い面ばかりを見て、むやみに情念を排斥はいせきする。しかし情念は、一方であらゆる苦悩くのうの源であるだけでなく、同時に他方では、あらゆるよろこびの源泉でもある。偉大いだいな情念によってはじめて、人間のたましい偉大いだいなものごとに到達とうたつしうるのだ。これに反して控え目ひか めな感情は凡庸ぼんような人間をつくり、弱々しい感情はもっともすぐれた人間をも台なしにしてしまう。
(中略)
 控え目ひか めな感情は凡庸ぼんような人間をつくり、ひとは小心翼々しょうしんよくよくとしていると創造的でありえなくなる。これは行きすぎた抑制よくせいや禁欲的態度がおちいりやすい陥穽かんせいを示している重要な指摘してきである。いうまでもなくそれは、詩・絵画・音楽といった狭いせま 意味での芸術にかかわるだけではなく、もっと広い人間の知的活動や精神的活動にもかかわっている。だから、たとえどんな小さなことにせよ、日に日に発見や創造のよろこびをもって生きていくためには、通常考えられているより以上に、知的情熱としての好奇こうき心をいきいきと保っておかなければならないのである。ところで、知的情熱としての好奇こうき心とは、とくに、私たちが世界や自然やものごとに向けるつよい関心のことである。そして、知識よりもなによりも関心(インタレスト)こそがあらゆる文化や学問の原動力であると言えそうだ。関心こそが知を拓くひら のである。

(中村雄二郎ゆうじろう他『知の旅への誘いさそ 』による)
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a 長文 2.3週 wape
 どこかへ旅行がしてみたくなる。しかし別にどこというきまったあてがない。そういう時に旅行案内記の類をあけて見ると、あるいは海浜かいひん、あるいは山間の湖水、あるいは温泉といったように、行くべき所がさまざま有りすぎるほどある。そこでまずかりに温泉なら温泉ときめて、温泉の部を少し詳しくくわ  見て行くと、各温泉の水質や効能、周囲の形勝名所旧跡めいしょきゅうせきなどのだいたいがざっとわかる。しかしもう少し詳しくくわ  具体的な事が知りたくなって、今度は温泉専門の案内書を捜し出しさが だ て読んでみる。そうするとまずぼんやりとおおよその見当がついて来るが、いくら詳細しょうさいな案内記を丁寧ていねいに読んでみたところで、結局ほんとうのところは自分で行って見なければわかるはずはない。もしもそれがわかるようならば、うちで書物だけ読んでいればわざわざ出かける必要はないと言ってもいい。次には念のためにいろいろの人の話を聞いてみても、人によってかなり言う事がちがっていて、だれのオーソリティを信じていいかわからなくなってしまう。それでさんざんに調べた最後にはつまりいいかげんに、さいでも投げると同じような偶然ぐうぜん機縁きえんによって目的の地をどうにかきめるほかはない。
 こういうやり方は言わばアカデミックなオーソドックスなやり方であると言われる。これは多くの人々にとって最も安全な方法であって、こうすればめったに大きな失望やとんでもない違算いさんを生ずる心配が少ない。そうして主要な名所旧跡めいしょきゅうせきをうっかり見落とす気づかいもない。
 しかしこれとちがったやり方もないではない。たとえば旅行がしたくなると同時に最初からさいをふって行く所をきめてしまう。あるいは偶然ぐうぜんに読んだ詩編か小説かの中である感興に打たれたような場所に決めてしまう。そうして案内記などにはてんでかまわないで飛び出して行く。そうして自分の足と目で自由に気に向くままに歩き回り見て回る。この方法はとかくいろいろな失策や困難をひき起こしやすい。またいわゆる名所旧跡めいしょきゅうせきなどのすぐ前を通りながら知らずに見のがしてしまったりするのは有りがちな事である。これは危険の多いへテロドックスのやり方である。これはうっかり一般いっぱんの人にすすめる事のできかねるやり方である。
 しかし前の安全な方法にも短所はある。読んだ案内書や聞いた人
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の話が、いつまでも頭の中に巣をくっていて、それが自分の目を隠しかく 耳をおおう。それがためにせっかくわざわざ出かけて来た自分自身は言わば行李こうりの中にでも押しこめお   られたような形になり、結局案内記や話した人が湯にはいったり見物したり享楽きょうらくしたりすると同じような事になる、こういうふうになりたがるおそれがある。もちろんこれは案内書や教えた人の罪ではない。
 しかしそれでも結構であるという人がずいぶんある。そういう人はもちろんそれでよい。
 しかしそれではわざわざ出て来たかいがないと考える人もある。曲がりなりにでも自分の目で見て自分の足で踏んふ で、その見る景色踏むふ 大地と自分とが直接にぴったり触れ合うふ あ 時にのみ感じ得られる鋭いするど 感覚を味わわなければなんにもならないという人がある。こういう人はとかくに案内書や人の話を無視し、あるいはわざと避けさ たがる。便利と安全を買うために自分を売る事を恐れるおそ  からである。こういう変わり者はどうかすると万人の見るものを見落としがちである代わりに、いかなる案内記にもかいてないいいものを掘り出すほ だ 機会がある。

(寺田寅彦とらひこ「案内者」より)
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a 長文 2.4週 wape
 なぜ人は理解を求めるのであろうか。これは、進化の歴史において人間がきまった生活様式をもたず、それ故に逆にさまざまな環境かんきょうに住みつき生活できたことと関連があると思われる。特定の生活様式をもっていれば、それで適応しやすい環境かんきょうを選んで住みつき、そこで所与しょよの情報を処理するだけでこと足りる。しかしそうした特定の生活様式をもたないときは、将来出会うさまざまな環境かんきょう条件、おこりうる種々の環境かんきょうの変化に対処しうるような、一般いっぱん的な準備をしておくことがどうしても必要になる。
 ある手続きによって今好む結果を手に入れることができたとしても、それだけでは、その手続きがどの範囲はんいで有効なのかわからない。環境かんきょう条件の些細ささいな変化によって好む結果が得られなくなってしまうというのでは、あまりにも不安定である。これに対して、その手続きが「いかにして」「なぜ」うまく働くのかがわかっていれば、条件が変わったときには、手続きを柔軟じゅうなんに修正することができるだろう。また将来、予見することのできない課題に出会ったときにも、そこに含まふく れる対象物をよく理解していれば、適切な手続き的知識を生み出すことも、それほど難しくないにちがいない。
 このように考えてくると、理解というのは、いわば、いろいろな環境かんきょう条件(の変化)の可能性に備えて、あらかじめ一般いっぱん的な準備をしておくことと見ることができるのではあるまいか。理解しておくことが人間にとって適応上必要な意味をここに求めることができよう。
 予想に反した事象に出会ったとき、あるいは、どれが真実なのかよくわからないとき、一応わかるがピタッとわかったという感じがもてないとき、知的好奇こうき心がひき起こされる。この知的好奇こうき心のひき起こされた状態とは、ことばを変えれば、理解がまだ十分に達成されていないことをわれわれが感じとった状態だといえよう。このときわれわれは、今のところうまくやっていけているが、将来にわたってこの状態を維持いじできるかどうかわからない、と告げられていることになる。そこでできるかぎり他の課題に優先させて、理解を達成しよう(知的好奇こうき心を充足じゅうそくさせよう)とするのである。
 当面の課題の達成をめざすことが現在志向(あるいは特定化された近い将来志向)だとすれば、理解をめざすことは、特定化されない遠い将来志向だといえよう。そして人間は、そのような将来志向
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の強い動物なのではないだろうか。
 もちろん、だからといって現在のさまざまな理解活動において、その都度「これは将来のためだ」と意識しているわけではない。むしろこの活動に際しては、わかることそのものが楽しいから、自分なりに納得できるのはうれしいことだから、それに従事している、というにすぎない。それが結果として将来の適応に役立つのだ、と考えるべきであろう。
 ここでひとつことわっておきたい。人間が知的好奇こうき心が強く、深く理解することを求めている、といっても、いつでも、どのようなときでも、そうなのではない。例えば、四さいから九さいの子どもたちに、種々の積木を与えあた 、「平均台(支点)」の上に置いてバランスをとるように求めた実験をみてみよう。年長の子どもやこの事態に慣れた子どもは、積み木の中央を平均台の上に乗せるとバランスがとれるという「理論」を持ち、これを試そうとしていた。
 ここで注目すべきなのは、これらの子どもが、とりあえずはこの課題ができるようになっていた、すなわち、試行錯誤しこうさくご的に何とかつりあいをとって積木を置くことができたことである。どうやったら課題を達成できるかまったくわからない、いいかえれば全精力を当面の課題の達成に使わざるを得ないあいだは、理論検証つまり理解への試みは見られなかったのだ。ひとまず課題を達成できたという心的余裕よゆうがあったからこそ、この解決法をより広い文脈において内省してみようとしたのだと考えられる。
 現在の課題の達成のために手もちの心的エネルギーないし情報処理能力を使いきっている状態では、とてもこうした理解の達成のほうにまでその力をふり向けられないであろう。いいかえれば、理解をともなう学習には時間がかかるのである。時間に追われ、多くのことを速やかに処理しなければならない場合には、とても深い理解など達成できない。ここであげた事例が、他からの強制がないだけでなく、自分の好むやり方で、好むだけの時間取り組める事態で生じたものであったことを、もう一度注意しておこう。知的好奇こうき心にもとづく学び手の能動性は、外側からせきたてられないかぎりにおいて発揮されうるのである。

稲垣佳世子波多野誼余夫『人はいかに学ぶか 日常的認知の世界』による。一部改変)
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a 長文 3.1週 wape
二番目の長文が課題の長文です。
 ひとりでいるときも、良心が働いている。だれも見ていなくても、道にごみを捨てようと思わない。そういう倫理りんり観を、私たちは持っている。それは、自分の中に内在的な価値観があるからだ。遠い昔、父や母によって教えられられてきたしつけが、自然に自分の中に移しかえられ育まれて、自分自身の倫理りんり観として育ってきたものだろう。「天知る。地知る。知る。われ知る」という言葉がある。ふたりだけの隠し事かく ごとと言っても、天も、地も、あなたも、私も知っている、という意味だ。この内在的な価値観が、社会の安定の基礎きそになっている。
 しかし、ここで問題になるのは、私たちが内在的な価値観に制約されることによって、真に自由な判断ができなくなってしまう場合もあるということだ。人がある宗教を信じる際の最も大きな要因は、その両親もその宗教を信じていたからだということが多い。自分で選んだと思っていたものが、実は無意識のうちに刷り込ます こ れた幼児期からの価値観だったとすれば、人間どうしの対話は根本的なところでやはり成り立たないだろう。
 では、どうしたらよいのだろうか。一つの対策は、自身の内在的な価値観に自覚的であることだ。私たちの多くは、自分の国や自分の民族に誇りほこ を持っている。しかし、それは、往々にして他の国や他の民族に対する蔑視べっしに結びつくことがある。それは、私たちの価値観が、実は他から刷り込ます こ れたものであることを示している。自分の価値観の原点を探れば、そこに両親だけでなく、マスメディアや政治や文化からの影響えいきょうを見ることができるだろう。大事なことは、価値観を持つことではなく、自覚した価値観を持つことなのだ。
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 もう一つの対策は、異なる価値観を持つ人どうしの間でオープンな対話を保証することだ。犬とサルが出会えば、喧嘩けんかをするしかない。互いたが 相違そういを対話によって埋めるう  だけの共通の土俵がないからだ。しかし、人間は、たとえ話す言語が異なっていても、異なる思想や価値観を共通の論理によって論じることができる。もしオープンな対話がなく、各人が自身の内在的な価値観だけによって生きていくだけなら、子供はのびのびと遊ぶべきたと考える人は、いつまでも子供を公共の場で騒ぎさわ 回らせるだろう。また、逆に公共の場では、子供もルールを守るべきだと考える人は、いつまでも騒ぐさわ 子供を許せないだろう。この異なる価値観を対話によって止揚しようさせるのが、犬やサルにはできない人間の知恵ちえである。
 確かに、今の世の中を広く見渡せみわた ば、価値観の対立の問題よりも、価値観の不在の問題の方が大きいように見える。しかし、ある人にとって価値観の不在と見えることが、実はその相手にとっては明確な価値観に根差していることもある。例えば、「そのようなことは重要だとは思わないので、どちらでもいい」というのも一つの価値観だ「天知る。地知る。知る。われ知る」という故事は、そういう内在的な価値観を持っていたことに意義があるのではなく、その内在的な価値観が相手に伝わり共有できたというところに本当の意味があったと見なければならない。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)
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長文 3.1週 wapeのつづき
 もう一度、教室の光景へと目を転じよう。子どもたちの身体の異変は近年、いっそう顕著けんちょである。その変化はいくつでも列挙できるが、たとえば、都市部の小学校の高学年では、かつての中学校のように、授業が成立しない。かつての中学校と違うちが のは、教師への反抗はんこうではなくて教師への無視であることと、その無視の主役が女の子たちであることである。中学校と高校になると、アパシー(無気力と無感動)が教室を支配している。無表情で沈黙ちんもくした生徒が教室に置物のように座っている。声をかけると一瞬いっしゅん、身構えて緊張きんちょうが走るが、呼びかけて待っても口を開くようすはない。もっとすごい話がある。小学校の一年生というと、まず「はい、はい」とツバメの巣のような教室から出発するのが常識だが、四月から一言も口を開かない一年生の教室が、いくつかの学校で見られるようになった。この沈黙ちんもくの背後には、もちろん陰湿いんしつないじめが潜んひそ でいる。幼稚園ようちえんですでに高学年までの洗礼を受けているのだろうか。
 これら特異な現象だけでなく、教室における身体の異変は、もっと日常的に深く浸透しんとうしている。
 まず他者への無関心がある。たとえば一人の子どもが「先生、消しゴムがない」と何度も言う。「先生、消しゴム」を連発するだけで、となりの子どもに「ねぇ、ちょっと消しゴム貸して」と言って借りる子はまれである。となりの子もとなりの子で「これ使っていいよ」と言う子もまれにしかいない。ほとんどの子が他人事として聞き流しているし、よくて「先生、この子消しゴムがないって言ってるよ」なのである。中学校や高等学校の教室だと「○○君はいる?」と休憩きゅうけい時間にたずねても、いっこうに釈然としゃくぜん しない。「おい、○○きょう来てたっけ」「さあ?」という調子である。はなはだしい場合にはもう半年も経っているのに「○○って、うちのクラスだったっけ?」という声を聞くこともある。
 他者への気配りがないわけではない。しかし、その気配りはすれ違っ  ちが ている。一つのエピソードを紹介しょうかいしよう。知人の教師が中学一年生の息子の授業参観に行ったときのことである。授業の最後に一人の女の子が挙手して「うるさくて先生の話が聞こえなくて、板書をノートにうつすことしかできなかった」と訴えうった て泣き出してしまった。すると、そのとなりの席にいた知人の教師の息子
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が「先生、きょう、掃除そうじはあるんですか」と大声で質問したと言う。知人の教師は、息子の行為こうい憤っいきどお て授業のあとに詰問きつもんしたところ、息子は、その女の子が窮地きゅうち陥るおちい のを救出するためにわざわざ関係のない質問をしたのだと言う。もちろん、かれ行為こういは女の子の窮地きゅうちを救うどころか、ますます女の子の心の傷を深いものにしたのだが、そのことは、知人の息子にはわかっていなかったと言う。このようなすれ違い  ちが は、教室のいたるところで頻発ひんぱつしている。
 他者への無関心は、大人に対しては根底的な不信の感情となって現れている。大人と目と目を合わせて話をする子どもが少なくなった。語りかけてきても、ちらっと目を合わせると、すぐにまなざしを背けて話している。教師のほうも同様の問題を抱えかか ている。子どもがまなざしを背けるものだから、教師のほうも微妙びみょうにまなざしを背けながら話しかけている。そういう繋がりつな  のなかでは「出会い」も「対話」も生まれようがない。
 モノとの出会いの経験も、著しく貧困である。商品としての「もの」が氾濫はんらんする一方で、自然と連なるモノの世界は、ますます子どもの生活から消滅しょうめつしつつある。その端的たんてきな現れが道具の使用の経験の未熟さに見られる。小学校高学年でも、木工をやらせると、のこぎりを立てるように持って木材を手前から向こうに向けて切ろうとする子どもたちが少なくない。金槌かなづちを持たせると金属のところを握っにぎ くぎを打とうとするし、はなはだしい場合には、作業台があるのに板を宙に掲げかか て打って、「くぎが打てない」と教師に援助えんじょを求める子どももいる。まっとうに道具が使える子どもは皆無かいむと言ってもよい。モノと出会いモノを道具によって操作する体験や文化が欠落しているのである。
 言葉という道具においても同様の事情がある。「文字離ればな 」「活字離ればな 」は、いまや決定的と言ってよいだろう。小学校の低学年では読書は習慣化しているが、高学年になると活字離ればな が進行し、中学生や高校生になると六割から七割の生徒が月に一冊も本を読んでいない。読むことと書くこと(リテラシー)は自己を構成し世界を
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長文 3.1週 wapeのつづき
構成する基本的な作業だが、その文化は急速に衰退すいたいしつつある。郵政省の調査では、国民の七割が年賀状などの挨拶あいさつ状を除いて一年間に一通も手紙を書かない状況じょうきょう迎えむか ているが、おそらく中学生と高校生に限定すると、その状況じょうきょうはもっと深刻だろう。一日平均三十分以上も電話をする彼らかれ は、文字文化(リテラシー)の世界から遊離ゆうりした世界を生きている。喪失そうしつしているのは、「私はこう思う(I think)」という一人称いちにんしょうの語りであり、「あいつがこう言っている(He said.She said.)」というゴシップが、彼らかれ の日常世界を構成しているのである。
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a 長文 3.2週 wape
 私はこの数年間テレビ、ラジオ、新聞などを通じて意見を述べる機会に恵まれめぐ  ましたが、私のような外国人が日本の内閣総理大臣をはじめ要人や政治的なものを含むふく 制度などを批判しても、当局からのおしかりもなければ愛国者といわれる方から危害を加えられたこともありません。少なくとも私が知っている限りでは、日本における言論の自由はアジアはもちろん、世界でも例を見ないほど保障されていると思います。そして、今でも様々な国で行われている報道弾圧だんあつを思い起こすたびに、この自由を享受きょうじゅできないでいる海外の友人に対しある種の後ろめたさすら感じることがあります。
 とはいっても、この言論の自由を謳歌おうかしている日本の言論機関に対し、疑問や注文がないわけではありません。確かに政府による厳しい検閲けんえつや特定の団体による弾圧だんあつは感じられませんが、言論機関による少数意見の抹殺まっさつや世論操作に近い誘導ゆうどうがあるように感じてなりません。これは自由であるからこそ生じているものであるといえるでしょう。ここではとりあえず新聞、テレビなどマスコミについて考えてみたいと思います。
 まず不思議に感じることは、これだけの数の新聞と雑誌があるというのにとりあげているテーマがほとんど同じであるということ、しかもそのテーマは何を基準にして決めているのか、私たち外国人にとってはわかりにくいことです。例えば国益を重視しての決め方であると思われる時がありますが、しかしこの国益という言葉はマスコミにおいてはタブー視すらされて、ほとんど死語に近いような概念がいねんであるようなので、どうもそうではないようです。それでは社会正義なのかと考えてもみましたが、日本には確固たる正義の基準となるモラルや確立した規範きはんがあるようにも思えないのです。
 私の考えでは、マスコミの役割はまず現在の世の中の出来事を事実として客観的に伝えること。そして社会に対し危機回避かいひの役割を果たすことであり、個人的社会的に向上するための知識や情報を提供することです。
 しかし日本の報道については、ニュースの判断基準のあいまいさが気になります。社説や論文はべつとして、その他の記事や報道では、何が客観的事実であり、またどんなメッセージを発しようとしているか分からないのです。
 そこで第一に考えられることは、残念ながら日本のマスコミを左
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右している商業主義、売れ筋なら何でもやるという競争原理です。
 次に読者、視聴しちょう者の中毒的欲望を満たすためにいたずらに刺激しげき的でドラマチックな演出を加えることです。
 さらに、マスコミ関係者は、特にテレビではある種の時代錯誤さくご陥っおちい ているようで、反国家的であることが正義であるときめつけ、庶民しょみんぶることで自分の意見もあたかも国民の意見のごとく仕立てています。国家が弾圧だんあつ的であるような時代であるなら別ですが、マスコミそのものが大きな権力になっているのに、庶民しょみんぶることや反体制的であろうとするのはむしろ権力の乱用であるように私には感じられます。数千万、あるいは億単位の契約けいやく金をもらっているキャスターが、自分は庶民しょみんであるとことさらアピールする姿は、庶民しょみんを食いものにしているようにすら思われます。
 私は日本のマスコミに対し、三つの注文をしたいと思います。第一に、自分の意見と客観的な事実を区別すること。第二に、マスコミ人としての自覚とモラルに基づき、だれが正しいかよりも、何が正しいかを明確にしていくこと。第三に、世の中に対し麻薬まやく患者かんじゃに注射を打つような行為こういを改め、明白な警鐘けいしょうと提言を行って欲しいこと、です。

(ベマ・ギャルポの文章による)
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a 長文 3.3週 wape
 先進国の後を追いかける途上とじょう国経済と、世界の先頭を走る先進国経済のもっとも重要な差は何かというと、「途上とじょう国経済では物まねができたけれども、先進国経済では自分で新しい知識を創造しないとそれ以上の発展ができない」ということである。途上とじょう国の有利な点は、第一に、先進国モデルが存在し、容易に産業化のための目標がみいだせること、第二に、先進国から技術を導入できること、そして第三に、賃金など全体的なコストが先進国に比べて有利であることなどである。
 このような有利性が存在しているかぎり、自らオリジナルな技術や知識を創造する必要性はそれほど高くない。先進国から使える技術を輸入し、それに安い賃金の勤勉な労働力を張り付けるだけで競争力を身につけることはできるだろう。もっとも、これとてどこの国にでもできるほど簡単なことではないが、日本や現在急成長中の東アジア諸国はいずれもこのシナリオで成功してきた。
 しかし、日本についていえば、これらの好条件はすべて消滅しょうめつしたといってよいだろう。十年ほど前に、日本経済は歴史的なコスト条件の逆転を経験した。またインプット拡大による成長にも人口の高齢こうれい化、労働力人口の減少、貯蓄ちょちく率の低下などの理由から多くを期待することはできない。その結果、日本は先進国の宿命すなわち自らの行く先を自らの創意工夫で切り開かなければならないという宿命を、好むと好まざるとにかかわらず背負うことになったのである。
 日本の社会経済体制は、欧米おうべいに追いつき、追い越すお こ という明治以来の国策にそって形成されてきた。たとえば、日本の教育制度は欧米おうべいの先進的知識を詰め込むつ こ ことを目指して発達してきた。これはすばらしい戦略であった。欧米おうべいと日本の間に、科学技術や近代思想などの点で大きな知識のギャップがあったのだから、まずはこのギャップを一刻も早く埋めるう  ことが必要であったし、そうすることがキャッチアップを効率的に進める唯一ゆいいつの方法であった。
 しかし、日本がキャッチアップを終えた今となっては話は変わってくる。外来の知識を学ぶだけでは必ずしも独創的な知識は生まれない。日本の学校教育(とくに義務教育)はすばらしいという説があるが、それは少なくとも今日的観点からはとんでもない誤解である。たしかに、先進国に追いつく目的のために、先生が生徒に
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知識の押し売りお う 詰め込みつ こ を強要することは理にかなっていたかもしれない。いや、欧米おうべいとの巨大きょだいな知識ギャップを一刻も早く埋めるう  ためには、大車輪で知識の吸収に努めなければならないことは当然であった。知識吸収を急ぐあまり、時に青年たちの独創性、オリジナルなものの考え方を育成するもうひとつの教育の重要な役割が多少なおざりにされたとしても、それはある意味ではやむをえなかったことといえるかもしれない。
 しかし、今日のように、自ら価値を創造することが要求される時代になっても、教育システムが本質的な意味で何も変わっていないとすればそれは大きな問題であろう。最近の教育改革論議は当然のことながらこのような観点からなされることが多い。しかし、教育の現場では、相変わらず先生が大教室で黒板に知識を羅列られつし、日本的な意味での「優秀ゆうしゅうな」生徒は、試験のときにそれを正確に再現することを要求されている。生徒の能力差や、興味の所在などは無視し、とにかく上から与えあた られた課題を、先生が決めたスピードでこなしていくことが「優秀ゆうしゅうな」生徒の絶対的条件である。極度に一律化された教育風景である。
 日本の教育現場で自分の頭で考えた独自の意見を前面に押し出すお だ ことが高得点につながるという話はおよそ聞いた試しがない。試験では先生が正解と認定する答を書くことが得策であって、先生の頭になかったようなユニークな答を尊重する風潮はない。生徒は一定のわくのなかで発想する習慣をたちまち身につけてしまう。このように「優秀ゆうしゅうな」生徒はいくつかの入試を経て、完璧かんぺきなまでに「知識吸収型」のわくにはまった答しかできない受動的人間になってしまう。
 もちろん、若いときに知識をできるだけ多く吸収すること自体は将来の創造性にとって必要不可欠である。創造性の源泉がどこにあるのかは古くて新しい問題だが、頭のなかにたたき込ま   こ れた大量の知識が創造性を刺激しげきすることは間違いまちが ない。問題は、教室における教師と生徒の関係である。たとえば、生徒がまだ教えてもいないことを教室で発言することを嫌うきら 教師は非常に多い。教師の能力や知識の範囲はんい超えるこ  生徒がいた場合、教師はそれを教師であることを
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長文 3.3週 wapeのつづき
たてに、権威けんいでもって抑え込もおさ こ うとする。
 受験じゅくでは公立学校とちがって競争が厳しい。学校の教科より進み具合が早いことはもちろん、教える内容もはるかに進んでいる。じゅくで習ったことを教室に持ち込まも こ れると、学校での教育進度や秩序ちつじょが乱されるという理由もわからないではないが、できる生徒の好奇こうき心を抑え込むおさ こ のではなく、一人一人の能力や進度に応じて先生が対応し、知的能力を最大限に刺激しげきすることができるような教育体制をとることが本筋である。平均的な生徒をひたすら大事にする、あるいは落ちこぼれを出さないといったことにかまけるあまり、潜在せんざい的能力の高い優秀ゆうしゅうな生徒の頭を押さえつけるお     といった「平等主義的な教育思想」にそれなりの価値があることは認められなければならないが、それが独創的な人材の芽を摘みつ とっている危険についても十分な配慮はいりょが必要であろう。
 
(中谷いわお著『日本経済の歴史的転換てんかん』)
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a 長文 3.4週 wape
 この連載れんさいの問題設定である「思考の補助線」というタイトルには、その構想時において、ある危機意識が込めこ られていた。
 現代の知が図らずも断片化してしまっており、そのばらばらの破片をかき集めてみても、世界の像が一つに結ばない。そのような現状に対する個人的なあせりと悲しみのようなものを引き受けたうえで、じっくりと考えてみたいと連載れんさいを始めたときに思っていた。
 一見、関係のないように見える分野の間に、補助線を引いてみたい。その補助線を引かなければ見えない新しい世界像、全体として浮かび上がっう  あ  てくるあるイメージを把握はあくしてみたい。そのような少なくとも私にとっては切実な思いが託さたく れていた。
 下手をすれば、ある分野の卓越たくえつした専門家であることを維持いじすることですら可処分時間と自己のエネルギーのすべてを費やしても難しい、という時代である。自分の専門である脳科学においては、すでにそのような傾向けいこうがあることを身近な問題としてよく知っている。同じ脳を研究しているはずなのに、視覚の専門家は前頭葉の統合過程を知らず、海馬における学習理論の研究者はシナプスの可塑かそ性の分子メカニズムを知らない。そのような事態はすでに進行してしまっている。
 想像するしかないが、歴史学でも、経済学でも、あるいは文学研究でも似たような事態が進んでいるのだろう。万葉の専門家は江戸えど時代の戯作げさく者のことなどつゆ知らず、というのは当たり前のことなのかもしれないが、それでは満足できないという寂しいさび  思いはだれの胸の中にもあるのではないか。
 知の全体を見渡すみわた ことはもはや不可能なのだろうか? 一人ひとりの人間は人類全体が運営している「エクスパート・システム」の部品として、あるいは「グーグル」で検索けんさくされるべき知のアーカイブの部分担当者として、その職分を全うすることしかできないのだろうか?
 検索けんさくエンジンの前には、文系の知も理系のそれもコンピュータのハードディスク上のデジタル・ビットにすぎない。それは、奇妙きみょうに私たちのたましいを自由にする光景ではあるが、一方ではとてつもない脱力だつりょくへと誘うさそ 事態でもある。そもそも、検索けんさくエンジンは世界全体
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どころか一つひとつの事物を引き受けることにすら、資することができないのだ。
 知のサブカル化(=部分問題の解法ないしはレトリックとしてのみ知に取り組み、所有し、発信するということ)がポスト・モダニズムなど取り立てて参照するまでもなく進行してしまった現代において、知の断片化の現状を突き抜けるつ ぬ  ためにはよほどの覚悟かくごと戦略が要る。そんな志向性はもはやポスト・デジタルの人類にとって余計なものでしかないのかもしれないが、それでも志向することだけは止めたくない。
 アインシュタインは、「感動することを止めてしまった人は、死んでしまったのと同じである」という意味の言葉を残している。断片化した知をそのまま受け入れて、疑問を持たずにただ右往左往する人類はもはや本当は生きていないのではないか。
 そもそも世界全体を引き受ける、ということは、一体どのようなことなのだろう?
 世界に関する人間の知を集合としてその要素を書きならべてみることもできる。そして、その全体を同時に把握はあくすることを目指す、という考え方もある。そうだとすれば、やるべきことは、知の巨人きょじん、博覧強記の人への道をたどることだろう。諸学の書物に通暁つうぎょうし、さまざまな分野の最新の知見を網羅もうら的に横断してみせる。そのような胆力たんりょくのある人間は一つの理想像であるかもしれないし、また実際に過去にはそのような取り組みもあった。ゲーテやダ・ヴィンチ、南方熊楠くまぐすのように、ある程度成功したと思われるような実例もある。
 現代の知的状況じょうきょうの本質的問題点は、そのような百家全書派的な野望の実現が原理的に不可能だということがだれの目にも明らかだという点にある。たった一つの分野を取り上げてみたとしても、出版される論文、本の数は膨大ぼうだいである。どれほど卓越たくえつした記憶きおく力と思考能力に恵まれめぐ  た人間でも、現代の知の諸分野を一人でカバーすることなどありえない。

茂木もぎ健一郎けんいちろう「思考の補助線」より)
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