a 長文 4.1週 ya2
 そうしてみると、価値の多様化と画一化とは決して矛盾むじゅんしたことではなくて、同じ現象の両面のように思えてくる。その根本にはやはり、普遍ふへん的価値の崩壊ほうかいがある。普遍ふへん的価値が崩壊ほうかいしたのは崩壊ほうかいしただけの歴史的理由がある。ある一つの普遍ふへん的価値を信じた人たちが、それと矛盾むじゅんし、対立する価値を信じている人たちを排撃はいげきし、差別して残虐ざんぎゃく行為こうい繰り返しく かえ てきたということがあって、ある日ふと気づいてみると、そんなことをしてまで守らなければならないほどの絶対性はどのような「普遍ふへん的」価値にもないことがわかってきたのである。
 そこで、普遍ふへん的価値というものは存在しないのだということになった。すべては相対的であって、どのような価値を信じていようが間違っまちが ているとは言えず、それぞれが勝手に信じていればいいのだということになった。
 そこから、価値の多様化ということが出てくるわけであるが、悲しいかな、人間は何らかの価値を信じ、それを自我の支えにしなくては生きてゆけず、しかも自分の信じる価値はできるかぎり多くの人びとに信じられているものであることを望むので、勝手にどのような価値を信じてもいいと言われても、それほど自由のはばはないのである。そして、普遍ふへん的価値は崩壊ほうかいしているわけだから、何らかの価値を信じていても、それが普遍ふへん的だと思って信じていたときのような自信はもてず、ひょっとしてとんでもないことを信じてしまっているのではないかとの疑いを拭いぬぐ 切れない。そこで、他の人たちが信じているように見える価値を、自分は確信をもてないままに、一応今のところ信じておくといったことになる。他の人たちが信じているように見える価値を自分も信じるという人が多くなれば、必然的に、価値は画一化されるわけである。
 したがって、価値が多様化されたと言っても、個人が選択せんたくできる価値のはばが広く豊かになり、無限に多様な生き方の可能性が開かれているということではなくて、ある価値を信じることによって個人が得ることができるものはむしろ貧しくなっており、また、価値が画一化されたと言っても、多くの人が一つの共通の価値を信じて連帯するということにはならなくて、つまり、同じ価値を信じていることが人と人とを結びつけるわけではなくて、ばらばらに同じ価値を信じているといった具合になっている。
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 わたしは現代を「嫉妬しっととはしゃぎの時代」だと言っているが、普遍ふへん的価値が崩壊ほうかいすると、そこに自我の安定した基盤きばんを見出せないので、人びとははしゃいで目立つ以外に自分の存在を確認する方法がなくなり、また、同じ理由で他の人のことが絶えず気になり、嫉妬しっと狂わくる ざるを得ない。
 この嫉妬しっととはしゃぎということと、価値の多様化または画一化とはつながっている。目立つためには、他と異なっていなければならず、人びとは多様な価値をそれぞれに表現し、「個性」を打ち出して目立とうとする。しかし、他方では価値は画一化されているので、優劣ゆうれつ、成否を計る一本の尺度しかなく、すべての人が同じ尺度のもとで序列をつけられ、劣位れついにおかれた者は同じ尺度の上で上昇じょうしょうしないかぎり、いつまでもれつ者である。これでは、同じ尺度の上で優位にある者に嫉妬しっとし、かれを引きずりおろしたくなるのは避けさ がたい。
 これらのことは現代の時代精神とでも言うべきことであろう。こういう傾向けいこうはあらゆる面に現れている。たとえば、若者が親の反対を押し切りお き 、苦難を乗り越えの こ てついに結ばれるといったいわゆる大恋愛れんあいをしなくなった。これは、恋愛れんあいの永遠性、唯一ゆいいつ性、絶対性といったことが信じられなくなった以上、ある者が、おれは大恋愛れんあいをしてやろうとがんばったところで、どうにもなるものではない。職業選択せんたくにおいても、一つのことに一生を賭けるか  ということをしなくなった。

(岸田しゅうの文章による)
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a 長文 4.2週 ya2
 ある作家の話によると、いまの読者は、すでに長編小説を読むだけの時間の集中力を失っているそうだ。いまの読者が、いちばん気軽に読むのは短編、それも原稿げんこう用紙で一五枚ないしニ〇枚の短編小説なのであるらしい。ながい時間の持続に、われわれはえきれないのである。
 その原因は、ひょっとするとテレビの影響えいきょうなのではあるまいか、とその作家はいった。われわれがよく知っているように、ラジオ、テレビなど、こんにちの放送文化というのは、一五分を単位にしてうごいている。テレビを見ているわれわれのからだのなかには、一五分を単位にした一種の体内時計のごときものがいつのまにか内蔵されてしまっていて、一五分たつと、なにかほかのことをしないではいられなくなっているのだそうである。一五枚ないし二〇枚の短編小説を読むのに必要な時間もちょうど一五分ぐらいだ。短編小説がよく読まれるのは、テレビで一五分きざみの体内時計が仕込ましこ れているからだ、とかれはいうのである。
 それが真実であるのかどうかは、わからない。しかし、おしなべて、現代のわれわれが落ちつきを失っている、というのは、体験的にいって、事実であるように思われる。ひとつのことに専念して、何時間も、何日も、精神を持続させることが、われわれにはできなくなった。分断されていることこそが、われわれにとってあたりまえのことなので、分断されていない時間は、かえって不安ですらあるのだ。われわれは、一五分きざみで、人と会ったり、テレビを見たり、新聞を読んだり、という生活のリズムにすっかりはまりこんでしまっているのである。意味のある情報にとりかこまれた現代に生きるための、それはひとつの知恵ちえなのかもしれない。
 そのうえ、われわれは、あたらしい情報、すなわちニュースというものへの異常なほどの関心を、ほとんど第二の天性にしてしまっている。あたらしいことが発生しないと、さっぱりおもしろくないのである。むかしから、「便りのないのはよい便り」などという。べつだん「かわりがないのが、うれしいことなので、「かわったこと」があるのは、不安のタネでありこそすれ、けっして喜びではなかった。しかし、われわれは、その逆である。われわれは、毎日が「かわったこと」の連続だと信じこんでいて、「かわったこと」がなければ、平凡へいぼんで、日常的で、さっぱりおもしろくない、とかんがえる。鉄道が、時間どおりに安全に運行されているのは結構なことなのだが、それでは、われわれを満足させることはできない。われわれは、大きな鉄道事故が起きて、たくさんの死傷者が
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出たりしたときに、はじめて満足するのである。
 一七世紀のおわりに、はじめてアメリカで発行された新聞は月刊であり、特別なニュースがあるときには号外を出す、というのんびりした形式のものであった。ひと月の時間をとっておけば、かわったできごともいくつか起きるだろうというのがその基本的なかんがえかたであって、それは、常識的にみて、たいへんに、健全な態度というべきであった。号外が出ない、というのは大きな異変がない、ということなので、号外などはないにこしたことはない――一七世紀の新聞の読者はそうかんがえた。まさしく「便りのないのはよい便り」だったのである。
 しかし、新聞が日刊になったときから、事態はかわった。ニュースは、毎日、発生しなければならないのである。われわれは、新聞をひらいて、第一面に初号活字をつかった大きな見出しのついている日にはいささか興奮するが、大見出しのない日には、なんとなく失望する。だから、新聞のつくり手たちは、発生したできごとのなかに大ニュースがないときには、ニュースをつくる習慣をいつのまにか発明した。ベテラン記者はいう――「成功した記者とは、たとえ地震じしんや暗殺や内乱がなくてもニュースを見つけ出すことができる人間のことである。もしもニュースを見つけ出すことができなければ、著名人をインタビューするとか、月並みな事件から驚くおどろ べき人間的興味を引き出すとか、「ニュースの背後にあるニュース」を書くとかの方法によって、ニュースを作り出さなければならない。」
 その努力によって、新聞はニュースにみちている。だが、新聞がニュースにみちているということは、かならずしも、世界ができことにみちているということではない。現代のマス・メディアの技術が、世界をニュースにみちたものとしてわれわれのまえに提供してくれるのである。

加藤かとう秀俊ひでとし『情報行動』による。本文を改めたところがある)
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a 長文 4.3週 ya2
 「ことば」ということに関連して、しゃべるということを考えてみたいと思います。ぼくは、自分のしゃべりかたにはひとつの特徴とくちょうがある、と自分で思います。ぼくの両親は九州の出身で、その両親に育てられた人間として、当然のことながら九州の方言のイントネーションが体にしみついてしまっているわけです。
 最初、九州から東京に出てきて、東京の人たちのかろやかなおしゃべりをきいた耳には、自分のしゃべりかたがじつに不細工で野暮ったく、不思議で野蛮やばんなものに感じられて、一生懸命いっしょうけんめい、勉強して自分のアクセントをなおしたり、あるいは東京ふうのイントネーションをまねして、少しでも洗練させよう、などと考えた時代もありました。
 しかし、あるときから、面倒くさいめんどう   ことばでいいますと、アイデンティティといいますか、自分がどこに属しているか、自分の足がどこの大地を踏まえふ  て立っているか、自分がどこの人間であるか、などということを自分でしっかりと確認するのは非常に大事なことで、そのためには自分のしゃべりかたとか、ことばとか、そういうものが不可欠の要素である、と考えるようになってきたのです。
 生前の寺山修二も、ああかれ津軽つがるの人なんだ、としみじみと思わせるようなしゃべりかたをする人でしたが、ぼくも九州にルーツを持つ人間であるということが、じつは自分にとってとても大事なことなのではないか、と考えるようになりました。
 「方言は国の手形」なんていう表現がむかしはあったそうです。むしろ、私たちが付け焼き刃つ や ばの共通語で、都会ふうのことばで気のきいたことをぺらぺらとしゃべるよりも、 何千年にもわたってそこで営まれてきた人間の生活をずっとしょいこんできている自分の「ことば」を大切にしなければいけないのではないか。自分の訛りなま のつよいしゃべりかたは、恥ずかしいは    ことは恥ずかしいは    のですが、でもやっぱり、その人間の個性として、めたり曲げたりせずむしろ大事に残しておいたほうがいいのではないか、と考えるようになりました。
 ぼくの両親は、父も母も両方とも師範しはん学校を出て、学校の教師をしていた人間なのですが、敗戦後、外地から引き(げてきたこともあって、遺産らしきものはなにも残してもらえませんでした。べつに財産を残してもらいたいなどという気持ちはさらさらないので
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すが、でも、父母の思い出になる形見の品のひとつぐらいは、と、ときおり思うこともあります。(中略)
 ただ唯一ゆいいつ、自分がしゃべっているときに、ふっと、あ、そういえば、たしかに母はこんなふうな物の言いかたをしていたな、父親はこんなふうにしゃべっていたな、と感じることがあります。
 たとえば、いまの日本語ではあまり区別をしませんが、九州や西日本には「お」という発音と「を」という発音をわりとはっきり区別する習慣がありました。あるいは「かい」と「くゎい」を区別して言ったりする。国会(こっくわい)を開会(かいくわい)する、なんて言います。学校を休む、の「を」と、お父さん、の「お」とをはっきり区別する。ぼくのなかにはいまでもそういうことばづかいが残っていて、ときどき九州とか山口県などへ行ってそういうしゃべりかたをするご老人にあったりすると、なんとはなしにほっとなつかしい感じがしたりします。
 物事をできるだけシンプルにしていくことは、近代化を進めていく上で大事なことです。しかし、日本語の音というものは、かつてはもっと複雑で多様であった。そのことを考えると、あまり合理主義ということだけを考えて日本語をやせさせていくのはどうかな、と思ったりすることもあります。
 いずれにしても、ぼくにとっては「ことば」というものが父や母や、あるいはもっともっと前の自分の血のつながった人たちから、ぼくに託さたく れた大切な宝物という気がしてなりません。還暦かんれきをすぎると人間は子供に還るかえ といいますが、むかしふうのしゃべりかたが少しずつ自分のなかで色濃くいろこ つよくよみがえってくるのを最近は感じます。物の好みもそうですし、食べ物もそうです。
 そういうことをひっくるめて、自分が個人として、ひとりで生きているということだけではなくて、自分のなかにたくさんの人びとの「命」が重なって存在している。百年とか千年とか、あるいは三千年とか、そういう時代から、この日本列島の一画に住み着いて、
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長文 4.3週 ya2のつづき
そこで生活してきた人びとの、目に見えない記憶きおく、あるいは息づかい、そういうものが、ぼく自身の体のなかに伝わっている。こういうことを感じられるのは自分流の、地方性のあることばを自分がまだ所有しているからなのかもしれない、と思います。

(五木寛之ひろゆき『大河の一滴いってき』による。 表記等を改めたところがある)
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a 長文 4.4週 ya2
 話を元に戻そもど う。以上述べてきたように、海牛類とクジラ類では鼻の位置がかくの如くごと 違うちが のだが、クジラのように鼻が頭のてっぺんにある哺乳類ほにゅうるいはほかにはいない(おそらくほかの動物群「こう」でもそうなのかもしれない)。とすれば、(現生の)クジラの定義として、
(一) 哺乳類ほにゅうるいである。
(二) 一生を水の中で過ごす。
の二条件に加えて、
(三) 鼻のあなが頭頂「頭のてっぺん」に位置する。とすれば、クジラ以外にこれに該当がいとうする生き物はいないことになる。さらにいえば、(三)は非常に有力なキーであるから、(二)の「一生を水の中で過ごす」という定義がなくても、無事にクジラ類にまで検索けんさくが行き着くのである。(中略)
 クジラの体型をクラシックにまとめると、「紡錘形ぼうすいけいにしてひれ状の前肢ぜんしを持ち、後肢こうしを欠くが部末線に半月状の尾びれお  が付属する。また、背部後半に背びれを有するものもいる」とでもなる。クジラ類の体型は多かれ少なかれこの字句で包括ほうかつできてしまうのだが、一方、「ちょっと待てよ、こりゃ、何もクジラだけの特徴とくちょうでもねーんじゃねえーか?」という疑問がわきおこる。いや、じつにそうなのである。ここでまとめたクジラの体の基本的な特徴とくちょうは、まさに海の先輩せんぱいである魚類にもあてはまることなのである。
 著名な進化学者であるハウエルによれば、ホオジロザメ(魚類代表)、イクチオザウルス(通称つうしょうりゅう爬虫類はちゅうるい代表)そしてバンドウイルカ・ナガスクジラ(クジラ類・哺乳類ほにゅうるい代表)はいずれも、基本体型が大変似通っている。これらは、進化系統的にはまったく赤の他人のようなものだが、共通しているのは、いずれも生活けんがまったく水の中にあること、とりわけ一生を水の中で過ごすことである。つまり、このような生活環境かんきょうの故にこの体つきになったということである。この四者の比較ひかくは、学術的には系統的に異なる生物が同一の環境かんきょう下で過ごすことによって体型が似てくる(生物
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学的)収斂しゅうれん現象の例としてしばしば取り上げられる。
 この収斂しゅうれん現象は、自然科学的にも人文科学的にも広範こうはんに真理をついているように思える。環境かんきょうを条件に見立てれば、空を飛ぶためには鳥とコウモリさらに飛行機の収斂しゅうれんになり、さらに形を文化にたとえれば、上りたいという条件は、互いにたが  交流がなくても東西の階段の形や使い方が似てくるという例に置き換えお か られる。
 言い換えれい か  ば、収斂しゅうれんとは「互いにたが  独立して努力しても、合理性を追求してゆくと、結果が類似してくる」ということなのである。
 クジラ類が、一体いつごろ水界に入ったかは依然としていぜん   なぞが多い。従来、最古のクジラであるムカシクジラ類パキセタスの化石が現れるのがおよそ五〇〇〇万年前といわれていたが、近年発見されたアンプロケタスの化石は、これを上回る五二〇〇万年前の地層から見いだされている。いずれにしても、ため息の出るような悠久ゆうきゅうの時を経ていることには変わりがない。この間には、幾多いくたのクジラの種類が現れては消えていったはずであるが、クジラ類というグループとしてはひたすらたゆまぬ努力を重ねて地球上のあらゆる水界に進出する一方、地球が生んだ最も高等な哺乳類ほにゅうるいという生物の一族でありながら、自らの記憶きおくすらない遠い遠い祖先「海の大先輩せんぱい」である魚類を凌ぐしの ほどに体を変えて水になじんだのである。私が前段でこだわった「鼻の位置」も、もちろんこの一環いっかんにすぎない。
 クジラ類とは、哺乳類ほにゅうるいでありながら、本来の生活の場から水界に生息場所を移し、そこでの生残りを果たしただけでなく、なおかつ合理性を追求している生き物であり、このような「クジラ的な生き物」はやはりクジラしかいない。

加藤かとう秀弘ひでひろ編著『ニタリクジラの自然誌』による)
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a 長文 5.1週 ya2
 ピアシングという行為こういが、この十年ほどのあいだにこの国でも、ファッションとしてすっかり定着しました。
 耳に穴を開ける、そのシーンを想像しただけで、はじめは、ちょっと不気味な感じさえしたものです。親から授かった身体を傷つけるなんて、とたしなめるひとはもう、さすがに少なかったようですが、パンク系の若者のちょっと危ないファッションというのが、おおかたの受けとめかただったのではないかと思います。はじめは、なにか、見てはいけないものを見るようなところがたしかにありました。
 それはいつごろからか、十代の女性たちにぱっと広がり、そして当然のように青年たちに飛び火し、やがてむすめたちから母親へ静かに伝染していき、そして「とんがった不良中年」ならやってて当然というところまできました。最近はデパートのアクセサリー・コーナーへ行っても、ピアスでないふつうのイヤリングを見つけることのほうがむずかしくなっています。感受性というのはこうも急速に変化するものかと、あらためて感じ入っておられるかたも少なくはないと思います。
 そういえば、あの茶髪ちゃぱつ金髪きんぱつにしても、はじめはつっぱりの若者たちの悪趣味しゅみなファッションくらいに思い、アジア人には絶対に似あわないと確信していたひとがほとんどだったのに、みな不思議にあの色になれてきて、最近は、ふさいだ気分を切り換えるき か  ためのもっとも手軽な手段として、多くのひとたちが愛好するようになっています。黒はやはり重くるしい、もう少しライトにしないと洋服には似あわないというふうに、センスがあれば染めるのが当然、というのが「常識」になってきています。むかしから気分転換てんかんかみを切ったり染めたりというのはありましたが、そういう自己セラピーのような効果が、ピアスや茶髪ちゃぱつにはあるようです。身体の表面を変えることでじぶん自身を変えたいというファッションの願望は、いまはもう、表面の演出ということだけではすまなくなっているのかもしれません。「一つ穴を開けるたびごとに自我がころがり落ちてどんどん軽くなる。」
 これはある社会学者が町で採集した証言ですが、ピアシングの快感の表現としてはなかなかのものではないかと思います。
 どうしてもこうでしかありえないじぶんというもの、あるいは、じぶんがこれまでしがみついてきたアイデンティティのおり、それらからじぶんを解き放つという軽やかさが、ここにはあります。
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に穴を開けることで、身体がいろいろに可能なものであることが実感できるということ、つまりこれは、この身体という、じぶんが背負っている存在の条件そのものを変更へんこうできるという、ささやかなときめきにつうじるのではないでしょうか。服を脱ぐぬ ように、じぶんの存在条件を脱げぬ たらというのは、人間のほとんど普遍ふへん的な欲望なのではないか、とすら思われます。そのきっかけとして、ひとはしばしばみずからの身体を傷つけることがあるようです。
 あるいはひょっとして、身体という自然、親から与えあた られた身体を毀損きそんすることで、親との自然的なつながりからみずからを解除するという、一種の巣立ちのパフォーマンスをここに読み取ることも可能かもしれません。これはわたしの身体なのだから、どうするかはわたしが自由に決めるという宣言。その意味では、ピアシングはひとりぼっちのひそかな成人式の儀礼ぎれいなのかもしれません。
 身体は、親から授かったものであり、親との自然のきずなであるという、そういう結びつきからじぶんの身体を解除して、身体をじぶんのものとして生きなおす一つのきっかけとして身体加工があるとするならば、最近流行っている小さなマークのような刺青いれずみや、タトゥー・シールもおそらくその一つなのでしょう。(中略)
 ともあれ、ピアシングやタトゥーの流行が暗号のようにして教えてくれているのは、わたしたちがわたしたちの存在そのものである身体を傷つけることなしには、じぶんの存在をきちんと確認できなくなっているというような、ある〈存在の危機〉です。危機という言い方に抵抗ていこうがあるむきには、本人もそうとは気づいていない呪術じゅじゅつや願かけのようなもの、と言いかえてもいいでしょう。ともあれ、じぶんの存在にどこか充足じゅうそくしえていないところがあるのはたしかだと思います。その意味で、ピアシングも時代の構造変化の一つのシグナルなのかもしれません。
 このようにファッションには、ことばではなく身体そのものを使って、みずからの存在を問うという面があります。
鷲田わしだ清一『ひとはなぜ服を着るのか』による。表記等を改めたところがある)
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a 長文 5.2週 ya2
 旅が面白いのは、行った先で思いがけない物事に出会って、出かけるまえの当初の目論見もくろみとはまるでちがった関心をもつようになったり、かなりちがったところに足をのばして深入りするようになったりすることがあるからである。だから、あらかじめあまり細かく計画を立てて予定以外に身動きできないようにしたり、よそ見をしないでただ予定どおりに歩いたりしたのでは、旅としての魅力みりょくは半減する。なにも、いたずらにきょろきょろよそ見をするのがいいというのではない。そうではなくて、歩いていておのずと見えてくるものに対して目をふさがず、見えてきたものにつよく心をひかれれば、それに深入りすることもおそれるべきではない、というのである。
 おのずと見えてくるものなどというと、積極的、意識的に見ることにくらべて、受動的、消極的な態度だと思う人もいるだろう。しかし、実際には、意識的にものを見ようとすると、かえって、見ようと思ったその角度だけから一義的にしかものを見ることができない。もっといえば、そのとき、見られるものは冷ややかに対象化されて、一義的でしかないものになる。それに対して、おのずと見えてくるとは、私たちが心を開いて自然や外界(人間やできごとをも含めふく て)に接するとき、つまり視覚の独走にまかせずに五感のすべてを生かして共通感覚的に接するときに、ものが豊かな多義性をもってあらわれることなのである。
 そしてこの場合、実は、私たちの身体=精神は一方的に受動的なのでは決してなく、想像力――これは昔から共通感覚に相応するものと見なされている――の働きによる自然や外界への問いかけが、すでに行われている。そのような私たちの身体=精神と自然や外界との交感・対話のうちに、ものが豊かな多義性をもって、おのずと見えてくるのである。このように意識的に無理にものを見ようとせず、おのずと見えてくるようなかたちで接することなくしてはものが豊かな多義性をもって姿をあらわさないということは、なにも現実の旅についてだけいえるのではない。それは「知の旅」あるいは「知の探索たんさく」においても、まったく同様にいえるのである。
 「知の探索たんさく」においてせっかく多くのものを見、たくさんの書物を読みながら、硬直こうちょくした見方や概念的がいねんてきな見方にとらわれているために、対象のもつ豊かな問題性を貧しく平板なものにしてしまう人たちが少なくない。硬直こうちょくした見方、概念的がいねんてきな見方によって対象に接するとき、対象は豊かな多義性をもあらわさなければ、問題と
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して動き出したり躍動やくどうしたりすることもない。そこでは対象=問題は、ただ単にいわばはく製として標本化され分類されているにすぎないのだ。学問の名において、また科学の名においてそうした在り様がしばしば一般いっぱん化した。そのために、「知の探索たんさく」が人々に、どんなに無味乾燥かんそうなものと思われるようになったことか。
 そのことは、知の探索たんさくにおいて、ただ多くのものを見、多くの書物を読めばいいのではなく、どのようにものを見、どのように書物を読むかという、対象についての読解(知覚を含めふく た)の在り様にもかかわり、したがって次にここに、その在り様そのものが大きく問われることになる。硬直こうちょくした見方、一定の価値判断にとらわれた見方を排しはい て事象そのものへと迫ろせま うとする「現象学」をはじめ、あらゆるものやことを記号としてそれが表す意味作用を読みとろうとする「記号学」、また、すべての言説をその概念的がいねんてき意味だけてはなく能記(記号表現)を重視して、多義的なものとしてとらえようとする「テキスト読解の理論」などが、近年いよいよ重視されるようになったのは、そのためである。
 ところが、それらの方法や理論にしても、十分に使いこなされて対象=問題のもつ豊かな多義性への解明に役立てられず、方法のための方法、理論のための理論にとどまることがあまりにも多い。なぜだろうか。思うにそれは、誤った視覚の立場、概念がいねんの立場から自由になっていないため、脱皮だっぴしていないためであろう。おのずとものが見えてくるような対象への接し方が身につけられていないためであろう。おのずとものが見えてくるという在り方は、日頃ひごろの訓練によって身につけられるけれど、それがなにかの偶然ぐうぜんあるいはチャンスの折に力を発揮するのである。

 (中村雄二郎ゆうじろう『知の旅へのいざない』による。表記等を改めたところがある)
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a 長文 5.3週 ya2
 人間はすばらしい。人間は興味深い。もし、今、私のまわりからだれもいなくなってしまったら、緑の森があり、鳥のさえずりが聞こえようと、どんなに青い空が広がっていようと、生きて行く勇気はもてそうもない。人間の中で自分を一つの自己として確立し、ほかの人たちをそれぞれの自己として尊重して生きてゆきたい。このような人間への関心を出発点として生まれた生物科学が生命科学である。(中略)
 人間は、カエルの子はカエルであることを説明する遺伝の機構を理解する一方、「薔薇ばらの木に薔薇ばらの花咲くさ 、なにごとのふしぎなけれど」と歌う。人間がこの二種の態様で自然を理解するのと同様、人間自身の理解のしかたにもこの二つがあるだろう。私はここで、生命科学の中に情感や神をもちこもうといっているのではない。生命科学は、あくまでの自然の法則にのっとった分子と分子の関係で説明される反応の上に成立する科学である。しかし、科学上の発見も人間の精神活動の結果なされたものであり、科学は人間の産物である。したがって科学者が、科学的認識を他の記載きさい方法とはまったく無関係のものとしてとらえ、時には科学だけが唯一ゆいいつの知的認識の方法であると思い込んおも こ でしまうのは誤りだと思うのである。そのような考え方で人間の研究を続けたら、生命科学は非常に危険なものになるだろう。生命科学が人間理解のための体系をつくり出す母体になろうという尊大な考えではなく、科学以外の知の存在を認め、お互い たが の調和点を見いだすことである。そこには、おのずから人間を中心とした接点がうまれるであろう。一つのものへの総合ではなく、お互いに たが  相手の存在を認め、相手のきらいなことはなるべくしないように心がけながら進んでいく思いやりが、両者がバランスよく進歩する道だと思う。
 科学の結果は客観的なものでなければならないが、研究法には研究者の自然観や人間観が反映してよいのではないだろうか。といっても、分子生物学のように共通性を求める研究の場合には、どうしても研究法に一定の流れができ、振幅しんぷくは小さいだろう。一方、マクロな分野は国民性や研究者の個性が出やすい。
 そこで思い出すのは、京都大学霊長類研究所きょうとだいがくれいちょうるいけんきゅうしょを中心とする研究グループが、ニホンザルなどの霊長れいちょう類研究に日本独自の研究法をいくつか編み出して、成果を上げていることである。この研究については、研究者自身による興味深い本が数種出版されているので一
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読をおすすめする。サルの社会の研究は、一九五二年、宮崎みやざき県幸島で野生ザルのづけに成功してから、フィールドの中に実験をもちこんで、次々と成果を上げた。その研究報告を見ると、動物の個体を識別し、それぞれの行動の特徴とくちょうや社会の中での地位を克明こくめいに追っている。動物の集団を個性のない個体の集合としてではなく、個性の集まり、すなわち組織としてとらえている。さらに進んで、研究者たちが共感法と呼んでいる方法はもっとも日本的といえよう。研究者が、客観的観察者としてではなくサルの生活に溶け込んと こ でいるのである。ちょうど人間社会の中で、友人や先生を覚えるのに全体像を直観的にとらえているのと同じ感覚で、サルの個体を覚えている。
 日本のサルの研究者はどことなくサルに似た雰囲気ふんいきをもっているなどというと失礼に聞こえるかもしれないが、そうではなく、その雰囲気ふんいきがあるからこそ興味深い観察がなされるのだろうという尊敬の気持ちを表しているのである。これは、日本人がもっている自然観からみれば当然な研究法である。同じサルの研究でも、欧米おうべいの研究者は伝統ある博物学、エソロジーに基盤きばんをおいて動物の行動解析かいせきに主眼をおいている。日本の研究者は、動物の社会や環境かんきょうと個体との関係を追っている。別の表現をすれば、欧米おうべいの研究法は分析ぶんせき的であり、日本の場合は全体の把握はあくをねらっている。自然の中に溶け込みと こ 、動物とも一体感をもつ日本人の自然観からの発想としか思えない。そして、この方法が生態学から出発して人類学へとつながる道をつけることも期待でき、個性をもった研究法の意味を考えさせられる。
 霊長れいちょう類研究はその後ますます盛んになっている。日本の研究もフィールドを国内のづけした場から、アフリカや東南アジアの森林へと広げ、一方、欧米おうべいの研究者の中にも個体を見ていく方法が取り入れられ、両者は接近しつつ研究のはばを広げているように見える。

(中村桂子けいこ『生命科学』による。表記等を改めたところがある)
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a 長文 5.4週 ya2
 じっさい、ほかの国の言葉で日本語ほど多様な水の表現をもっている例はないといってもいいのではあるまいか。だから、さきの蕪村ぶそんの句を外国語に翻訳ほんやくするのは至難なのである。たとえば英語やドイツ語やフランス語で「のたりのたり」をどのように表現したらいいのだろう。私はさんざん苦労したあげく、ついにこの句を外国の知人に説明し得なかった。
 「のたりのたり」だけではない。水についてのオノマトペは、そのほとんどが翻訳ほんやく不可能である。たとえば、文部省唱歌の「春の小川はさらさら流る」の「さらさら」は、どう訳したらいいのか。お伽 とぎ話『桃太郎ももたろう』で語られているあの「ドンブラコッコ、スッコッコ」を何と表現したらいいのか。野口雨情の童謡どうよう「ドンと波 ドンと来て ドンと帰る」をどんなふうにいいかえたらいいのか。
 水で布などを洗う音は「ざぶざぶ」であり、なみだが流れる様子は「さめざめ」であり、水気をふくんださまは「しっとり」であり、それが外ににじむほどであれば「じっとり」であり、湿気しっけが過度であれば「じめじめ」であり、水が絶えず流れ出る状態は「じゃーじゃー」であり、水が揺れ動くゆ うご 様相は「じゃぶじゃぶ」であり、水滴すいてきが垂れる音は「ぽたぽた」であり、水が跳ねるは  有様は「ぴちゃぴちゃ」であり、水にひどく濡れるぬ  形容は「びしょびしょ」であり、水に何かが軽そうに浮かんう  でいるのは「ぷかぷか」、水に沈むしず さまは、「ぶくぶく」、雨が降り出すのは「ぽつぽつ」、水中からあわ浮かびう  あがるのは「ぼこぼこ」、水を一気に飲み干すさまは「がぶがぶ」、水が何かに吸い込ます こ れる音は「ごぼごぼ」、そして、大波は「とどろ」に打ち寄せ、たきは「ごうごう」と落ち、石は水中に「どぶん」と沈みしず 、水は「ばちゃっ」と跳ねかえりは    、夕立は「ざーっ」と襲いおそ 、梅雨は「しとしと」と降りつづく。
 ああ、なんと多彩たさいな水の表現であろうか!
 だが、こうした多彩たさいなオノマトペは、同質社会でこそ微妙びみょうな伝達の機能を発揮できるが、異質な風土、異質な文化のなかに住む人にはさっぱり通じない。なぜなら、擬声語ぎせいご擬態語ぎたいごというのは、あくまで感覚的な言語であって、言語の重要な性格である抽象ちゅうしょう性を
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もたないからだ。
 したがって、感覚的にわかるこれらの言葉の意味を説明するとなると――とたんに行きづまってしまう。オノマトペは、いわば音楽なのであり、その意味をつたえることのむずかしさは音楽の与えるあた  イメージを言語で解説する困難さとおなじだといってよい。この意味で擬声語ぎせいご擬態語ぎたいごは言葉の本質ともいうべき抽象ちゅうしょう力を欠く低次の言葉だといえなくもない。しかし、言語がその抽象ちゅうしょう力をもって伝達し得る領域には限界がある。人間の言語は、しょせん万能ではないのだ。
 もし言語がこの世界のすべてを表現しつくせるものなら、言葉さえあれば何もかも理解できてしまうだろう。しかし、そうはいかない。そうはいかないからこそ、言葉ではいいあらわせない別の表現を人間は考え出してきたのだ。たとえば絵画であり音楽である。セザンヌの絵を、あるいはモーツアルトの音楽を言葉にそっくり置きかえるなどということができるであろうか。私はオノマトペを言語と音楽との接点として考える。それは人間の感性を音声そのものによって表現しようとする伝達の手段だからだ。したがって、擬声語ぎせいご擬態語ぎたいごはきわめて微妙びみょうな感性を表現し得るかわりに抽象ちゅうしょう性を欠き、普遍ふへん性を犠牲ぎせいにせざるを得ない。オノマトペはあくまで限られた言語、内輪の言葉という宿命をもつのである。

(森本哲郎てつろう『日本語 表と裏』の文章による)
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a 長文 6.1週 ya2
 科学文明は第二の自然である。それが生のままの自然と人間の間に介入かいにゅうしているのが文明社会である。それは多くの場合、人間の生活をより安全にし、より快適にしてくれた。しかしまた新しい危険の源ともなった。みにくさ、騒がしさわ  さによって、生活をかえって不快にする場合もあった。第二の自然は当然の結果として、人間と人間の間にも介入かいにゅうしてきた。それは、一方では確かに人間と人間の接触せっしょくをより容易にした。直接会って話をする余裕よゆうのない場合には、電話が役に立った。飛行機の発達に伴っともな て、遠くはなれた国々の人たちと直接会って話しあうことがずっと容易になった。科学文明の発達によって、地球上の人々を互いにたが  結びつける糸の数は、急速にふえていった。身近の人たちだけでなく、遠い所に住む人たちとも、「目に見えない糸」で結びつけられるようになってきた。人類の一員としての運命の連帯感が、往々に人々の心の中に定着しはじめたのである。世界の平和の永続と人類の繁栄はんえいのための強固な地盤じばんが、形成されつつあるのである。
 残念なことにはしかし、ここにも全く逆の場合が見出されるのである。人間と人間の間に第二の自然が介入かいにゅうしてきた。人間の集団と集団の間にも介入かいにゅうしてきた。それは多くの場合、相手をよりよく理解させるのに役立ってきた。互いにたが  相手に対して、より大きな信頼しんらい感を持たせる結果となる場合が多かった。ところが相手に対する不信感がそれでも消せなかった場合には、正反対の結果を生じた。それぞれの側が自分をまもり、相手を倒すたお ための最も有効な手段として、科学文明が利用されることになった。ここでは第二の自然は恐るべきおそ   破壊はかい力となるのである。天使の姿から悪魔あくまの姿へと豹変ひょうへんするのである。
 もう一つ恐ろしいおそ   ことがある。人間と人間の間に、人間の集団と集団の間に、第二の自然が介入かいにゅうする。両者は互いにたが  遠くはなれていても、第二の自然の力を利用して、争うことができる。目の前にいる相手をなぐったリ、傷つけたりすることは、決してしないという思慮しりょ分別が、そのまま遠くはなれたところにいる多くの人々を殺傷する結果となるような行動を自制するのに、十分な力となると
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は限らないのである。直接的な暴力を抑制よくせいさせる人間の良心が、間接的な暴力の場合には働かないというおそれがあるのである。(中略)
 しかし、少なくとも根本のところは案外、簡単明瞭めいりょうなのではないかと、私は思っている。私は科学者として、一つの信念を持ちつづけてきた。それは「自然はその本質において単純だ。」ということである。自然現象が見かけの上では、どんなに複雑、多様であっても、その奥底おくそこに立ち入って見れば、必ずそこに簡単な法則が見出される。科学者はそれを信じて研究をつづけ、実際、科学の進歩のいくつかの段階で、そういう法則を見つけだしてきたのである。今日私たちは多種多様な素粒子そりゅうしの存在を認めるところまできている。素粒子そりゅうしの世界はまだ深いきりにつつまれている。しかし私たちはそこに自然界の最も根本的な、そしてわかってみれは非常に簡単な法則がひそんでいると信じて研究をつづけているのである。
 人間世界についてはどうであろうか。そこでも同じ自然法則は成立しているに違いちが ない。しかし人間世界には、それとは別の法がある。人間のつくり出した法律である。民主的な国というのは、そこに住む人たちが、自らつくり出した法を実行し、守っている国である。自分たちの選び出した人たちが議会を構成し、そこで法律が成立する。それが実施じっしされるための政府があり、それが守られるための裁判所があり警察がある。私たちはそれを国家の正しいあり方と思っているのである。
 世界全体についてはどうであろうか。それはまだ法の支配する世
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長文 6.1週 ya2のつづき
界の姿からほど遠い。むしろ無法の世界に近いのである。国際連合は世界平和のため大きな貢献こうけんをしてきた。しかし強大国の勝手な行動を抑制よくせいする力を持っていないのである。国際連合が次の段階へと飛躍ひやくしなければ、人間世界全体が法の支配する世界とはならないのである。次の段階にはすでに「世界連邦れんぽう」という名前があたえられている。多くの人の頭の中に、それはすでに明瞭めいりょうなイメージとして浮かんう  でいるのである。
 現代から未来に向かって生きる人間の善意と知恵ちえとがその実現のために結集されたならば、現在の段階での科学文明の持つ悪魔あくま的面相も消えてゆくのではなかろうか。

 (湯川秀樹ひでき『自己表明』による。一部表記を改めてある)
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a 長文 6.2週 ya2
 便利になればなるほど、人はもっと便利がほしくなる。しかし、ここは正確に考えてみたい。たとえば、新幹線というものが現れたとき、人々は感激した、「なんと便利なものが現れたことか。」当初、東京―大阪おおさか間は三時間十分だったと思う。しかし近年「のぞみ号」は、二時間半で走り、やがては一時間でつながるのかもしれない。
 ところで、しかし、新幹線は東京―大阪おおさか間を一時間で走るべきだと、いつだれが望んだことがあっただろうか。新幹線が東京―大阪おおさか間を一時間で走ることは、いったいだれにとって必要なことなのだろうか。
 三時間十分で走っていたとき、ユーザーは、その所要時間をそのようなものとして、それに満足していたはずなのだ。もっと速く走るべきだとは、決して思わなかったはずなのだ。しかし、技術の側の勝手な進歩で、列車は勝手に速く走り出し、ユーザーは、「さらに便利になった。」と単純に喜ぶ。しかし、三時間なら三時間で、それに合わせてやってゆけていた生活が、だれ頼みたの もしないのに一時間になり、それに合わせたより忙しいいそが  生活になること、これは、「便利になった。」というべきことなのだろうか。
 つまり、便利さとは実は、決して必要からの要請ようせいではなく、所与しょよのもののあとからの承認であるということだ。与えあた られて初めて人は気づくのだ、「これは便利だ。」便利さは、必要に、常に一歩先んじている。人は、ほんとうは、必要から便利さを求めたことなどなかったのだ。これをつづめて、はっきり言うと、「便利なものは必要がない」。
 なければないで全然かまわないもの、それが便利さの定義だ。それが出現するまでは、人はそれなしで十分やってこれていたのである。パソコン然り、携帯けいたい電話然り、全自動洗濯せんたく機もまた然り。(中略)
 ソクラテスという人は、こんなふうに言った。「みなは食べるために生きているが、ぼくは生きるために食べている。」
 食べるために生きるとは、生存することそれ自体が目的である。しかし、かれはそうではなかった。たんなる生存には価値はない、「よく生きる」ことにだけ、価値がある。よく生きるためにぼく
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生きている、そのためにぼくは食べている。
 科学という知の一形態は、それ自体としては、知ることへの純粋じゅんすいな欲求である。しかし、それが、右のような哲学てつがく的反省を経ることなく、そのまま技術として現実へ適用されるとき、人は過つ。
 たとえば、臓器移植という技術、あれを最初にだれが望んだだろうか。だれがあれを必要としただろうか。決して患者かんじゃではない。ここで間違えまちが てはならない。患者かんじゃは、あのような技術がなかったころ、自身の病と生死とを、そのようなものとして受け容れていたはずなのだ。天命を知り、自然に従ったはずなのだ。しかし、所与しょよのものとしての技術の存在を知り、患者かんじゃはかえって迷うことになる。これは幸福なことなのだろうか。少なくとも私は、そうは思わない。私にとって、生存することそれ自体は、求められるべき価値ではないからだ。「簡単便利な臓器移植」、こんなに人間を馬鹿ばかにした話はない。しかし、事態は確実にその方向へ動いている。
 科学技術は、生存することそれ自体が価値であり少しでも長く生存することがよいことなのだという大前提を少しも疑わないことでこそ、めざましい進歩を遂げると  ことができたのだ。そして、少しでも長く生存する限り、その生存はより快適なほうがいい、これが例の「クオリティ・オブ・ライフ」というみょうな文句の真意である。この延長線上に、やがて「コンビニエンス」という発想が出てくる。便利さが価値になるほど、人間の価値は薄まるうす  
 便利さを享受きょうじゅする愚昧ぐまいな人々、ただ生存しているだけの空疎くうそな人々、夢の近未来社会とは、要するにこれである。わざと悲観的に言っているのではない。何のために何をしているのかを内省することなく、ひたすら外界を追求してきたことの当然の帰結である。
 さて「便利」ということについて考えてきたが、対する「不便」というのは、便利さを知らなければ出てこない言葉である。したがって、不便という言葉を知った人はすでに不幸だろう。古来より人は、この状態を警戒けいかいして、「足るを知る」、すなわち、あるがままを認めることの幸福を説いたのではなかったか。

 (池田晶子あきこ「『コンビニエントな人生』を哲学てつがくする」による)
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a 長文 6.3週 ya2
 相手がにっこりすると、思わず私もにっこりします。これは相手がほほ笑んでいるから、こちらもほほ笑み返さなければ礼儀れいぎ上悪いと思ってにっこりするわけではありません。相手のほほ笑みを見ると、こっちも思わずほほ笑んでしまう。逆に相手の顔がこわばっていると、自然に私の顔もこわばってしまう。つまり他者の身体というのは、決して科学が扱うあつか ような客体的身体ではなく、表情をもった身体であり、私の身体もまた気づかぬうちに表情や身ぶりで、それに応えています。つまり身体的レヴェルでの他者の主観性の把握はあくと、私の応答があるわけです。これがいわゆるノン・ヴァーバル・コミュニケーションですが、もしこうした身体的な場の共有がなけれは、言葉のうえでは話が通じても、心が通わないでしょう。逆に場が共有されていれば、言葉が足りなかったり、多少行き違っゆ ちが てもわかり合うことができます。(中略)
 電話だと誤解が起こりやすいのは、身体的レヴェルでのコミュニケーションが制限されているからです。大事な話があるときは、電話では話せないから会えないか、と言います。会ったところでどうせ言葉で話をするのですから、電話で話せない話などないのです。だからといって盗聴とうちょうを心配しているとも思えません。電話では身体的レヴェルのコミュニケーションが制限されているために、話のニュアンスが失われ、真意が伝わらないのを恐れるおそ  のでしょう。
 人と面と向かって話しているときと電話で話しているときを比べてみると、電話の時の方がはるかに注意深く、論理的に話していることに気づきます。しかし電話の場合でも、声の抑揚よくようとか、感情の込めこ 方とか、いろいろのレヴェルの表現があります。横で聞いていると、声の調子で相手がだいたいわかります。相手が恋人こいびとである場合はすぐわかりますね。音程が少し下がるのです。そういうノン・ヴァーバルなコミュニケーションの要素が電話にはあります。
 留守番電話というのがありますが、あれは、話しにくいものですね。相手がいないと声の表情を出しにくい。だから、留守番電話に話すときには大変意識して論理的に話しています。逆に言えば、面と向かっては言えないことも、電話だと言えるということがあります。面と向かうとボディ・ランゲージの巧みたく な相手に、かた抱かいだ れたり、ニコニコされたりして、貸金の返済を迫るせま つもりが、
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また貸すはめになったりする。人をけむにまく、というのもそれですね。一服つけてタイミングを外すことによって、会話を自分のペースにのせてしまう。ところが、電話だとボデイ・ランゲージがほとんどききませんから、面と向かっては言えないようなきついことも言えるし、おとなしい人が大変な剣幕けんまくでどなり散らしたりします。
 ほとんどノン・ヴァーバルなコミュニケーションから成り立っているのが、恋人こいびと同士の会話です。「七時間も恋人こいびとと話していた。」と言うので、「何を話したんだ。」と言うと、本人もよくわからない。結局大したことは何も話していない。一緒いっしょに座っていて、「風が気持ちいいね。」とか「星が出たね。」とか言っていますが、そんなことは相手もわかっているのだから言わなくてもいいのです。情報理論的に言えば、情報価値ゼロの会話をしている。しかし恋人こいびと同士にとっては、そうではない。この場合は言葉がむしろ刺身さしみのつまであって、ノン・ヴァーバルなコミュニケーションが、心の通いを実現しているのです。
 これは生き身が、単なる対象としての身体ではなく、互いにたが  感応し、問いかけ、応答する、表情的身体だからこそ可能なのです。人々の間で無意識のうちに交わされる身体的対話は、社会のうちに共通の表情を作り上げて行きます。外国人を見ると同じ顔に見えるように、われわれもひとりひとり違っちが た顔をしているように見えながら、外から見れば、共通の表情をしているのでしょう。
 このように表情的であるのが他者の身体ですが、さらに物も実は表情的です。脅迫きょうはく的な雲行きとか、なごやかな田園風景とかがあります。それに感応してわれわれの身の表情も変ります。茫洋ぼうようたる海を前にしたときと、峨々ががたる山を前にしたときでは、身のあり方自体が異なるでしょう。つまり風景とか風土も表情をもっていて、それがわれわれの身の感応の仕方を制約しています。ですから、個人の自己形成や、さらには民族の性格形成にとって、風景や風土を無視することはできません。風景や風土は物理的環境かんきょうではなく、それ自体表情的環境かんきょうとしてわれわれの身のあり方と深く入り交っているのです。
 (市川ひろし『「身」の構造―身体論を超えこ て』による)
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a 長文 6.4週 ya2
 民主主義を一度も体験したことのない社会や世代は、民主主義をとにもかくにも「素晴らしいもの」と考え、そうした立場に立ってそれを描きえが 讃えよたた  うとします。しかし、長い間にわたって民主主義を実践じっせんし、体験し、その実情を目にすることが増えてくると、こうした議論はなかなか人々の賛成を得られなくなります。いろいろと「訳の分からない」ことや、いい加減なことが数多くあることを否定できなくなるからです。多くの人々は、先程例にあげたような民主主義批判が、あながち見当外れとばかり言えないことをはだで感じています。問題はその先です。「それでは他にどんな方法があるのか」ということへの回答がなければ、議論は先に進まないからです。
 二十世紀は「民主主義の世紀」と呼ばれたように、人類は実にたくさんの政治上の実験を行ってきました。整然とした政治の実現のための仕組みや、本当の意味での「人民のための政治」を実現するための試みも行われました。ファシズムや共産主義はその代表例だったと言えます。しかし、民主主義に対するさまざまな批判は、確かに鋭くするど 説得的に見えたにもかかわらず、それに代えて実行に移した代案をみると、その結果は決して芳しいかんば  ものではなく、民主主義以上に惨憺さんたんたるものでした。そこで再び民主主義へと舞い戻るま もど ことになったのです。二十世紀後半以降の歴史は精神的にはこの舞い戻りま もど の歴史であり、民主主義は初恋はつこいの相手のように胸躍るおど ものではなかったにせよ、どこかにどうしても捨てがたいものがあったということでしょう。
 日本も相当長い間にわたって民主主義を実践じっせんしてきました。こうした体験を重ねてくれば、民主主義の「素晴らしさ」を説く議論があるかと思えば、他方ではそれを先のように「けなす」議論をしていい気分になっているという向きもあります。しかし、それもそろそろ卒業すべきでしょう。日本の民主主義はまさに、こうした段階の真っただ中にいるのです。つまり、そろそろその欠陥けっかんや「訳の分からなさ」を見据えみす ながら、それを具体的に改善する方法を探らなければなりません。民主主義の「素晴らしさ」を讃えるたた  議論とそれを「冷やかす」「けなす」議論とのやりとりは、いわば空中戦というべきものです。しかし、本当に必要なのは、地道に一歩一歩何をどう変えていくかという地上戦なのです。
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 ここでは「あれか、これか」式の空中戦ではなく、「より良く」が合言葉になります。人生の多くの局面において大事なことは、「より良く」を心がけ、実行することです。「あれか、これか」に比べると、「より良く」を探求することは派手ではなく、あまり魅力みりょくのないもののように見えるかもしれません。しかし、人間の社会や個人の人生において大事なことは、ちょっとの違いちが が大きな違いちが につながるということです。継続けいぞく的な努力が必要なのはそのためです。五十歩百歩だからといって馬鹿ばかにしてはなりません。何も、欠陥けっかんがあるのは民主主義だけではないのです。われわれ個々人も社会などの組織も、欠陥けっかんのないものはありません。それを継続けいぞく的な努力によって「より良く」していくことが大切なのであり、民主主義も例外ではないはずです。もちろん、人生や組織を「壊すこわ こと」が目的でないならばですが……。

佐々木ささきたけし『民主主義という不思議な仕組み』より)
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