1そうしてみると、価値の多様化と画一化とは決して矛盾したことではなくて、同じ現象の両面のように思えてくる。その根本にはやはり、普遍的価値の崩壊がある。普遍的価値が崩壊したのは崩壊しただけの歴史的理由がある。2ある一つの普遍的価値を信じた人たちが、それと矛盾し、対立する価値を信じている人たちを排撃し、差別して残虐な行為を繰り返してきたということがあって、ある日ふと気づいてみると、そんなことをしてまで守らなければならないほどの絶対性はどのような「普遍的」価値にもないことがわかってきたのである。
3そこで、普遍的価値というものは存在しないのだということになった。すべては相対的であって、どのような価値を信じていようが間違っているとは言えず、それぞれが勝手に信じていればいいのだということになった。
4そこから、価値の多様化ということが出てくるわけであるが、悲しいかな、人間は何らかの価値を信じ、それを自我の支えにしなくては生きてゆけず、しかも自分の信じる価値はできるかぎり多くの人びとに信じられているものであることを望むので、勝手にどのような価値を信じてもいいと言われても、それほど自由の幅はないのである。5そして、普遍的価値は崩壊しているわけだから、何らかの価値を信じていても、それが普遍的だと思って信じていたときのような自信はもてず、ひょっとしてとんでもないことを信じてしまっているのではないかとの疑いを拭い切れない。6そこで、他の人たちが信じているように見える価値を、自分は確信をもてないままに、一応今のところ信じておくといったことになる。他の人たちが信じているように見える価値を自分も信じるという人が多くなれば、必然的に、価値は画一化されるわけである。
7したがって、価値が多様化されたと言っても、個人が選択できる価値の幅が広く豊かになり、無限に多様な生き方の可能性が開かれているということではなくて、ある価値を信じることによって個人が得ることができるものはむしろ貧しくなっており、8また、価値が画一化されたと言っても、多くの人が一つの共通の価値を信じて連帯するということにはならなくて、つまり、同じ価値を信じていることが人と人とを結びつけるわけではなくて、ばらばらに同じ価値を信じているといった具合になっている。
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