a 長文 1.1週 yube
 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん上下の差別なく、万物のれいたる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を(り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いにたが  人の妨げさまた をなさずしておのおの安楽にこの世を渡らわた しめ給うの趣意しゅいなり。されども今、広くこの人間世界を見渡すみわた に、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人(きじんもあり、下人(げにんもありて、その有様雲と(どろとの相違そういあるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう』に、「人学ばざれば(なし、(なき者は愚人ぐじんなり」とあり。されば賢人けんじん愚人ぐじんとの別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役(りきえきはやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人ほうこうにん召しめ 使う大百姓ひゃくしょうなどは、身分重くして貴き者と言うべし。
 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々(しもじもの者より見れば及ぶおよ べからざるようなれども、その(もと(たずぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違そういもできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。(ことわざにいわく、「天は富貴を人に与えあた ずして、これをその人の働きに(あたうるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人(きじんとなり富人(ふじんとなり、無学なる者は貧人(ひんじんとなり下人(げにんとなるなり。
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 学問とは、ただむずかしき字を知り、(し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を(よろこばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者じゅしゃ・和学者などの申すよう、さまであがめ(とうとむべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者こうしゃなる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓ひゃくしょうは、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すも くず ならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟(ひっきょうその学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠しょうこなり。
 されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通ふつう日用に近き実学なり。

 「学問のすすめ」(福沢ふくさわ諭吉ゆきち)より
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a 長文 1.2週 yube
 慰霊祭いれいさいのたびに官僚かんりょうたちの挨拶あいさつがある。「……みなさまの尊い犠牲ぎせいの上に今の平和があることを決して忘れず……」という言い回しを何度か聞いた。そのたびにそれは違うちが と思った。犠牲ぎせいがなければ今の平和がなかったわけではないだろう。早い話が、一九四四年末の段階で大日本帝国だいにっぽんていこくファシスト(軍国主義者)政権が降伏こうふくしていれば、三月十日の東京大空襲くうしゅうの死者十万人も、沖縄おきなわ戦の死者二十三万人も、ヒロシマの死者十五万人もナガサキの死者七万人も出さずに済んだ。同じように、シンガポールで死んだ人たちも南京なんきんで死んだ人たちも、そもそも日本軍が来なければ自分たちは……と言うはずだ。
 だれだって同胞どうほうたちの死を無駄むだとは思いたくない。意義のある崇高すうこうな死と見なしたい。しかし、無駄むだと認めないのは、自分たち人間の愚かおろ さを糊塗こと(こと。とりつくろってごまかすこと)することに他ならない。数百万人の死という犠牲ぎせいの上にしか二十世紀後半の平和が成立しないのだとしたら、そんな平和はいらない。死者たちの上に築かれた平和を楽しむ資格などだれにもないではないか。覚悟かくご犠牲ぎせいではなく無念の死であったという前提から考えないかぎり、また同じことがくりかえされるだろう。
 ヒロシマへの原爆げんばく投下の正当性を言い張る人々がまだアメリカには多いようだ。つまり、あそこで原爆げんばくを使わなければ本土上陸作戦でたくさんのアメリカの若者が死んだし、日本側の犠牲ぎせいも多かったはずだという論法。あの時点でトルーマン大統領にいかなる選択肢せんたくしがあったかを考えて、アメリカ兵の死者の数について、数万人から百万人までさまざまな数字が提出されている。その前提として、沖縄おきなわ戦で日本軍はあれだけ頑強がんきょう抵抗ていこうしたではないかとも言われる。実際の話、沖縄おきなわでは日本軍は民間人をたてに取り、白旗を掲げかか てアメリカ兵を呼び寄せた上で反撃はんげきするようなアンフェア(公正でないこと)までした。
 これに対して、日本の側から何の反論も出てこないのはなぜだろう。ヒロシマとナガサキに原爆げんばくが落とされなかったと仮定して、
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いったい大日本帝国だいにっぽんていこくはどこまで抵抗ていこうしたか。軍の指揮系統はどの程度混乱していたのか、天皇はどこで収拾を図り得たか。だいたいあの時期にはだれにどれだけの権力・指揮力があったのか。五十年もたって、関係者の多くが死んでしまって、回想録のたぐい出尽くしでつ  たというのに、その程度のシミュレーション(模擬もぎ的に調査・実験をして研究すること)をだれもしていない。戦争で死んだ人々の大半は若かった。高い地位にいたくせに責任の所在をごまかす卑怯ひきょう者ばかりが生き残ったとしたら、いかに慰霊祭いれいさいを重ねても若い死者たちは浮かばう  れないだろう。戦後五十年、各論として名誉めいよの破片を拾う本はたくさん出たが、究極の責任を問う史書はまだ出ていない。だから、原爆げんばく投下に対しても決定的な反論ができない。
 「二十年前の八月十五日、私は哀れあわ 捕虜ほりょとして、フィリピンの収容所にいた。敗戦が近いのは覚悟かくごしていたが、祖国が敗れたのは初めての体験である。捕虜ほりょの仲間といっしょに、少し泣いた」と大岡おおおか昇平しょうへいは書いた。あの時期に、あの状況じょうきょうで、少ししか泣かなかったことがこの人の知の力だと思う。その力をもって大岡おおおかさんは事実による鎮魂ちんこん(死者のたましいをしずめること)を行った。薄っぺらうす   な政治の言葉ではなく、戦場で何が起こったかを確定してゆく堅固けんごな言葉によって、あの戦争を定義した。『レイテ戦記』(大岡おおおか昇平しょうへいの書いた戦争文学)を読み返すのも、ぼくにとっては今年の夏の黙祷もくとうの一つだった。

池澤いけざわ夏樹『黙祷もくとうの夏』による)
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a 長文 1.3週 yube
 一流ホテルの、いかにも「一流でござい」というロビーに、たいていこうした男女の一群がたむろしているのは、そうでないとどうしていいかわからない客がいると考え、ホテル側があらかじめそれ専門の「仕出し屋」に頼んたの で用意しておく場合が多いからである。当然、経費もかかるが、ロビーを利用する客にランクの最上位にある「待ちあわせ場所」としてふさわしい体験をしてもらうことはホテル側としても望ましいことであるし、これにはちょっとした教育効果もある。つまり、彼等かれらがあまり傍若無人ぼうじゃくぶじん振る舞いふ ま 及ぶおよ と、ボーイが近づいて行って「周囲のお客様が迷惑めいわくをいたしますから」と、それとなく注意をするのを見かけるであろう。あれは、そうすることによって「周囲の客」の方が、「ははあ、ホテルのロビーであんなことをしてはいけないんだな」と学ぶことを、期待しているのである。
 もちろん、くり返しそこで待ちあわせをし経験を積むと、もう、そうした騒がしいさわ   男女の一群がかたわらにいなくとも、何とかそれらしくそこに座っていられるようになる。しかし、ホテルのロビーは、おくが深い。ある日、かれもしくは彼女かのじょは、近くに座っていた若い女性がちらりと指をあげ寄ってきたボーイに「お手洗いはどちら」と聞き、「あのエレベーターのおくにございます」と言わせてから、「ありがとう」とハンドバッグを持って立ち上がるのを見る。「なるほど、そうなんだ」というわけだ。なぜなら、それまでかれもしくは彼女かのじょは、自ら立ってボーイに近づき、時には向こうに行くボーイに走って追いつき、「ねえ、トイレはどこ」と聞いていたからである。
 ホテルのロビーでは「ボーイにむこうからやって来させる」のでなければいけない。それが一流ホテルのロビーを利用する、一流の客のやり方なのだ。そこで、次の日から早速これを試みることになるのだが、簡単なようでこれがなかなかできない。指をちらりと持ち上げた程度では、ボーイなんか来てくれやしないのだ。しかし、飲み屋でおねえちゃんに焼き鳥を頼むたの のではないから、「おーい」と叫んさけ だり、パチパチと手をたたいたりするわけにはいかない。ロビーに入ってきた時に、あらかじめボーイに注目させておき、その一挙手一投足に意味を持たせておいて、タイミングよくちらりとやらないと、これは空を切る。
 ただし、難しいだけにこれが成功した時の感動は、えも言われな
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い。ホテルのロビーにいることの、奥儀おうぎに達したのだという気がするのである。そして、教えられた通りトイレに入って、洗った手をぬぐいながら出てくると、そこに、くだんのボーイが立っている。「お客さま」と、かれが言うのである。「お客さまこそ、ホテルのロビーを利用なさるにふさわしい方とお見受けいたしました。ついては明日より、失礼ながら日当をお払いはら 致しいた ますので、当ホテルのためにロビーに座っていただけませんでしょうか。他の、まだホテルのロビーになれないお客さまのための、模範もはんになっていただきたいと存じますので……」
 つまり、ホテルのロビーにいる「どうしようもない田舎者」と、「これこそが都会人」と思えるものは、双方そうほうともホテル側の「雇わやと れ」なのだ。その間をキョロキョロしながらうろつきそれぞれから何ごとかを学ぼうとしているのが、本来の客ということになる。もちろん、学び終わって「田舎者」度がすっかり払いはら 落とされると、ボーイがやってきて雇っやと てくれる。

(別役実『都市の鑑賞かんしょう法』による)
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a 長文 1.4週 yube
 旅に出て未知の風景に接し、感動する前に、「ああ、絵はがきとそっくり。」というセリフを口にする人をよく見かける。また、最近のように飛行機利用のたびが盛んになると、若い女性が下界を見ながら、「まあ、地図とそっくりね。」という歓声かんせいをあげる。しかし人間は、飛行機を発明してから百年とは経過していないのに、今や、驚異きょうい的な速さのジェット機を考え出し、それが人間を苦しめようと疲労ひろうさせようとおかまいなしに、ますますスピードを速めようとつとめている。一昔前は船でインド洋を横断して、はるばると欧州おうしゅうを目指したのに、それが、現在はどうだ。あっという間に目的地に着いてしまう。 
 思うに、人々は旅というものへの導入部を持つことが少ない。この導入部が実は旅だったのだが、今では目的の地へ着くことだけが旅のように思われてしまった。そして、それが旅だと思いこんでしまう現代人は気の毒だ。乗り物は極めて速くなり、時間の節約といちはやく目的地へ着くことは実現されたが、旅情はそれに比例するとはいえないからだ。 
 そのうち、人々はもうわかってしまっているから、旅に出る必要はないなどといいかねない。旅とは未知のものを知るだけの行為こういではないのである。旅をして、「絵はがきそっくりの風景」という感想を口にするような人にとっては、いっそ旅などしない方がいいのだ。 
 旅は心の中でもできる。病床びょうしょう臥しふ ている人でも、現実にそこを旅した人よりも旅情を味わっている場合がある。それは想像力が豊かだからだ。逆に、小説の中に描かえが れた風景や土地にあこがれてそこへ行き、現実には失望したといって帰ってくるような人もいる。それは、小説家がうそをついたのではない。現実が先行して実景を変えたのでもない。 
 旅情というものは、意外に、その人の心の中にあるものだということである。ある土地へ旅をして、何が心に残ったか、胸に手をあててそれを思い返してみるとわかる。旅先での、絵はがきや小説では体験できなかった未知の人との出会い、その人のおしゃべりやアクセント、そして、そのとき自分が味わった何ともいえない感情、そうしたものが旅の忘れ得ぬ一こまではなかったか。そういうイメージは常に自分の心の側にある。心が風景をみるのである。 

岡田おかだ喜秋きしゅう「旅に出る日」)
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a 長文 2.1週 yube
二番目の長文が課題の長文です。
 文化の発展には民族というものが基礎きそとならねばならぬ。民族的統一を形成するものは風俗ふうぞく慣習等種々なる生活様式を挙げることができるであろうが、言語というものがその最大な要素でなければならない。故に優秀ゆうしゅうな民族は優秀ゆうしゅうな言語をつ。ギリシャ語は哲学てつがくに適し、ラティン語は法律に適するといわれる。日本語は何に適するか。私はなおかかる問題について考えて見たことはないが、一例をいえば、俳句というごときものは、とても外国語には訳のできないものではないかと思う。それは日本語によってのみ表現し得る美であり、大きくいえば日本人の人生観、世界観の特色を示しているともいえる。日本人の物の見方考え方の特色は、現実の中に無限を掴むつか にあるのである。しかし我々は単に俳句のごときものの美をほこりとするに安んずることなく、我々の物の見方考え方を深めて、我々の心の底から雄大ゆうだいな文学や深遠な哲学てつがくを生み出すよう努力せなければならない。我々は腹の底から物事を深く考え大きく組織して行くと共に、我々の国語をして自ら世界歴史において他に類のない人生観、世界観を表現する特色ある言語たらしめねばならない。本当に物事を考えて真にある物を掴めつか ば、自ら他によって表現することのできない言表げんぴょうが出て来るものである。
 日本語ほど、他の国語を取り入れてそのまま日本化する言語は少いであろう。久しい間、我々は漢文をそのままに読み、多くの学者は漢文書き下しによって、否、漢文そのものによって自己の思想を発表して来た。それは一面に純なる生きた日本語の発展を妨げさまた たともいい得るであろう。しかし一面には我々の国語の自在性というものを考えることもできる。私は復古へきの人のように、いたずらに言語の純粋じゅんすい性を主張して、いて古き言語や語法によって今日の思想を言い表そうとするものに同意することはできない。無論、古語というものは我々の言語の源であり、我民族の成立と共に、我国語の言語的精神もそこに形成せられたものとして、何処までも深く研究すべきはいうまでもない。しかし言語というものは生きたものということを忘れてはならない。『源氏』などの中にも、
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如何にいか 多くの漢字がそのまま発音を丸めて用いられていることよ。また蕪村ぶそんが俳句の中に漢語を取り入れたごとく、外国語の語法でも日本化することができるかも知れない。ただ、その消化如何いかんにあるのである。

 「国語の自在性」(西田幾多郎きたろう)より
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長文 2.1週 yubeのつづき
 イスラエルを旅していたとき「ここでは全員一致いっちの裁決は採用しないんですよ」と聞かされた。
 ユダヤ教の習慣だ、というような話だったが本当だろうか。根拠こんきょは、もう一つ、はっきりとしないけれど、事実ならば、なかなか興味深い。
 みんなが賛成したときには、それをよしとしない、と言うのだから「そんなばかな」という声が、すぐさま聞こえてきそうな気もするが、この種の言い分は一つのパラドックスである。そのまま受け取ってはなるまい。どういう条件の中でそれを言っているのか、中身を吟味ぎんみする必要がある。
 まず第一に、みんなが一致いっちできるような案件は、いちいち採決にかけないという事情があるだろう。答えが初めからわかっていることを、わざわざ問いただして全員一致いっちを確認するケースは『ない』とは言わないが、あまり意味を持たない。だから、ことさらに裁決を求めるのは、べつな考えがありそうなときであり、そうであるにもかかわらず、裁決の結果、全員一致いっちというのは、ちょっと疑ってみたほうがよい、という教えだろう。
 たとえば、みんなが熟慮じゅくりょせず、いい加減に答えているケースがある。また反対意見をすなおに言い表せない状況じょうきょうが、そこに伏在ふくざいしているケースも少なからずありそうだ。さらにまた、あまりかんばしくない根まわしがおこなわれているケースもあるだろう。
 こういう事情を勘案かんあんすれば、一つのパラドックスとして「全員一致いっちは採用せず」という理屈りくつも理解できる。
 たとえば日本相撲協会にほんすもうきょうかい。ほとんどの重要議題が、全員一致いっちでシャンシャンと決定すると聞いたことがあるけれど、私なんか根が疑い深くできているから、
 ――本当かいな――
 と首をかしげてしまう。異論を唱えると、いろいろまずいことが生じそうだから、形だけ一致いっちさせている、と、そういうことではないのか。
 これが私のかんちがいならば、まことにご同慶どうけいにたえないが、相撲すもう協会はともかく、こうした気配を漂わただよ せている全員一致いっちも、世
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間にはけっしてまれではあるまい。わざわざ裁決を必要とするような案件ならば、一人や二人、異論を挟むはさ 者がいるほうが自然である。
 お話変わって、テレビの時局討論会などを聞いていると、司会者が、「イエスかノーかで答えてください」と言っているのに、長々と意見を述べる論者が多い。と言うより、この設問に対して「イエス」あるいは「ノー」のひとことで答えたケースを、私は見たことがない。
 この設問に対する答えは「イエス」か「ノー」か、あるいは「この問題にはイエスかノーかで答えられません」か、この三つしかないと思うのだが、現実には、どれでもないことが圧倒的あっとうてきに多いのである。
 論者の本心を推測すれば、イエスかノーか答えはできているし、答えようと思えば答えられるのである。ただ、イエスの中にもいろいろなイエスがある。ノーの中にも同様にいろいろなノーがある。自分の心中を尋ねたず てみて百対ゼロの確信でイエスが言える場合もあれば、五十五対四十五でからくもイエスに傾いかたむ ている場合もある。その内容はとても複雑だ。
 にもかかわらず、「イエス」と答えたとたん、すべて百対ゼロのイエスのような印象をふりまくことになってしまう。その誤解を避けるさ  あまり、簡単に答えることができない。
 五十五対四十五の迷ったあげくのイエスと、四十五対五十五の迷ったあげくのノーとの間には、十ポイントのちがいしかない。僅少きんしょう差と言ってよい。さらに言えば、五十五対四十五のイエスは、百対ゼロのイエスより、ずっと四十五対五十五のノーに近いのである。が、結果的には、それもイエスのグループにまとめられてしまう。
 この世にある、すべての困難な決断は、五十五対四十五と、四十五対五十五との間にある、と私は考えている。百対ゼロはおろか、七十対三十くらいの状況じょうきょうだって、判断は明々白々、悩むなや ほどのことではない。五十五から四十五に至る僅少きんしょうの差異を……わずかな迷いをどう考えるか、この世の悩みなや は、そこにある。こんなふうに考えてみると、全員一致いっち排除はいじょするパラドックスもおおいに意味を持つように思えてならない。 (阿刀田あとうだ高の文章による)
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a 長文 2.2週 yube
 文化もパーソナリティも、多くの場合すこしずつ変化し、そしてときには大きく急速に変化しうるものである。文化のコードは長年の間にひとりひとりの人間の安全と満足をもとめる欲望があつまって、暗黙あんもくの合意のうちにつくりあげられてきたと考えられがちである。しかし、次第に社会が強く組織化されるとともに、そこには、社会の強者、すなわち権力者の安全と満足をもとめる欲望が支配的なものとなっていったのは自然のなりゆきであった。たとえば、テューダー朝のイングランド王へンリー八世(在位一五〇九〜四七)は、自らの離婚りこんの合法性をめぐってアングリカン・チャーチ(イギリス国教会)を成立させ、ローマ教会からの分離ぶんり独立をなしとげてこれを広く認めさせたし、ヒットラーのネクロフィリア(破壊はかい性)はあの悪名高きナチズムにおける大規模な人間破壊はかい行為こういを当時の社会におしつけたのであった。しかし、今日、あらゆる点において高度に統合的な組織性を強めた社会では、個人としての権力者ではなく、その構造的力動によって自律的につくり出されるより大きな交換こうかん価値こそが、文化のコードとして支配者の地位につくことになっている。そこでは、そもそものはじめから個人の署名をもたないこの文化のコードとしての交換こうかん価値を満たそうとする社会の力動的な動きに、個人の欲望は動かされざるをえないような仕組みになっていると言うことができよう。私たちの支配者は、かつてのように、名前をもちはっきり目に見える権力者として君臨しているのではなく、社会的な交換こうかん価値という千変万化する記号のかたちをとって私たちひとりひとりを支配するようになっている。そして、文化のコードというこの無名の支配者は、朝から晩まで私たちひとりひとりの全存在を直接・間接に支配しつづけているようだ。
 ほかならぬこの私自身が欲していると思うことも、それは幻想げんそうであるにすぎない。より大きな交換こうかん価値をもつ記号としてみなが欲しているがゆえに、常識を身につけている私が無意識のうちに欲するようになってしまっているものであるにすぎない。「○○大学に入学しますように!」「スリムな美人になりますように!」等、つきることのないこの世俗せぞくの欲望は、常識となった文化のコードとしての「より大きな交換こうかん価値」を無意識のうちに私的コードにとりこみ、それに身をまかせることによって生じているという側面が強い
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ようだ。――ただし、機械ならぬ人間は、規則を変える創造性という能力を持っているために、全面的にそうであるというわけではない。そのために、そうした「交換こうかん価値」が変化すれば常識も変化し、それにしたがって個人の欲望の内容も当然変化することになるのだろう。人気のある学校や学部そして美人のタイプなどが時代とともに移りかわるのはその証である。そしてこの情報化社会にあって、このような交換こうかん価値としての文化のコードを敏速びんそくかつ広域に浸透しんとうさせるのを助けているのは、いうまでもなく新聞・テレビなどのマス・メディアである。
 これらの欲望を満たそうとすることは、私たちを日々仕事に学習にその他さまざまな活動にかりたてる原動力となっているが、他方その欲望を満足させることがあまりにもむずかしく思えるとき、私の存在の核心かくしんにしのびこんだこれらの欲望のいっさいから解放されればどんなに心が休まるだろうか、と思うことにもなる。そのようなとき、冒頭ぼうとうに述べたように、私たちは無意識のうちにできるだけ文化という「人の手」の加わらない自然の中に逃れのが 、あるいは「非社会」的行為こういの中にかりそめの脱出だっしゅつを試みて、文化のコードによるすさまじい搾取さくしゅからすこしでも身をまもろうとすることになるのかも知れない。
 しかし、文化のコードの手の届かないところに逃げに きったように思っていても、新記録をうちたてたいという思いをひめた探検家はもちろんのこと、南太平洋の豊かな自然というデラックスな休暇きゅうかの宣伝に誘わさそ れて自然に親しむ人々もまた、やはり文化のコードにしっかりとからめとられていることになる。それに、海や山の「自然」の中でも、やはり、流行の登山装備や水着、さまざまな人との出会いがあり、文化的なものを完全に拒んこば でしまうことは、とうてい不可能であると言ってよいだろう。

(有馬 道子)
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a 長文 2.3週 yube
 私が本当に「日本」を身をもって発見したと思ったのは、戦後であった。ある日、偶然ぐうぜん、上野の博物館で、はじめて縄文じょうもん土器の異様な美にふれ、全身がふくれあがった。底の底から戦慄せんりつした。日本の根源をつきとめたと思った。無限に渦巻きうずま 、くりかえし、もどってくる。そのすごみ。それはいわゆる「日本風」とはまったく正反対だ。あまりにも異質なので、それまではだれもがこの国の伝統とは考えなかった。たんに考古学的資料として扱わあつか れ、美術史からも除外されていた。しかし、私はそこに日本人としてビリビリと受けとめる、迫っせま てくるものを感じとった。そして私はその感動を文章にして発表した。それはひどく衝撃しょうげき的な発言と受け取られたようだ。
 縄文じょうもん土器論を私は美学的な問題やただの文化論として書いたのではない。つまりこれから日本人がどういう人間像をとりもどすべきかということのポジティブ(積極的)な提言であり、またあまりにも形式的で惰性だせい的な日本観に、激しく「ノー」を発言したのだ。いわゆる日本的と考えられている弥生やよい式以来の農耕文化の伝統、近世からのワビ、サビ、シブミの平板で陰湿いんしつなパターンに対して、太々と明朗で強烈きょうれつな、根源的感動をぶつける。自分の作品でたたかい、言葉、論理で「ノー」と言う。それはもちろんだが、それだけでなく、だれでもの心の奥底おくそこ、その暗闇くらやみに置去られている、よりナマな人間像をつきつけることによって、現代の惰性だせいをうち破るテコにするのだ。強力な証拠しょうこをぶつけたからには、それを起爆きばくざいとして、何か生まれるに違いちが ない。私は当然そう期待した。
 憎まにく れることを前提にして、極力ひらききったつもりである。過ぎ去ったことをいろいろ言う気もないが、私は日本に賭けか た。
 (中略)
 私は今この世界で、二本の糸の上を異様なバランスをとりながらわたって行くような思いがする。いわゆる「つなわたり」、曲技を言っているのではない。……見えるような、見えないような、迫りせま 、遠のき、からんでくる、透明とうめいな糸。あたりには何もない。見
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物人も青空も。ただ二本の糸だけが灰色の空間のなかに果てしなくのびている。私は自分の周辺と運命を不思議な思いで凝視ぎょうしする。瞬間しゅんかんにバランスが崩れくず て精神を動揺どうようさせる。一本の糸の上に二本の足で立てば、あるいは軽業師かるわざしのように安定するだろう。しかし二本の足で、二筋の違っちが たスジをわたるのは絶望的である。
 (中略)
 ふと私は思うことがある。欧米おうべいの方ばかりに目を向け、すべての価値判断をあずけて己を空しくしている現代日本。しかし、その欧米おうべいの文化自体がかべにぶつかって、存在感を絶望的に失いつつある。そのような風土よりも、この根源的な、ナマな生活感の中で、純粋じゅんすいたましいの共同体を作る方が正しいのではないか。なぜ世界の政治、経済の中心地がそのまま文化・芸術のセンターでなければならないのか。それは卑しいいや  。むしろ反対であるべきだ。
 西欧せいおう文化の系列と全く反対の出発点に立った、縄文じょうもん文化とか、マヤ、インカ、北米インディアン……一つながりの通じあい。このたましいの風土ともいうべきものを見きわめあい、再発見、再獲得かくとくし、ひらいて行くことが大事なのではないか。世界文化の運命のためにも。
 西欧せいおう世紀末以来のいわゆる芸術運動、エリートだけの、「芸術」の枠内わくないでの戦いは空しい。民衆全体、風土の生活全体に響きひび 、うねりを及ぼすおよ  ような運動であるべきだ。
 私の目の前に、二本の糸が浮かびう  あがってくる。たましい純粋じゅんすいにふれて新しく出発する筋。その上をひたすらに走っていくのか。また日本――言いようのない抵抗ていこうがある。現実的な場であるからこその、その絶望的な因果の筋を矛盾むじゅん耐えた ながら生きるべきか。心は動揺どうようするのだが。いずれにしても運命の二本の糸の上を異様なバランスをとりながら進んで行くつもりである。

岡本おかもと 太郎たろう
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a 長文 2.4週 yube
 人間は目ざめているかぎり、いつも頭のなかに何かを描いえが ています。もしここに一枚の白いカンヴァスがあって、それに人間があれこれ思い描くおも えが イメージが、そのまま映しだされるとしたら、いったい、その絵はどんな作品になることか。人間の頭のなかほど神秘的なものはない、と言ってもいいと思います。
 そこでいま、私は自分を実験台にして、自分の頭のなかを正直に描いえが てみようと思います。といっても、まさか白いカンヴァスに私の頭のなかにあるイメージを映しだすわけにはゆきません。やむを得ず、それを何とかことばで書き記してみようと思うのです。
 ところが、このような試みは、けっして容易ではありません。なぜなら人間が頭に思い描いおも えが ているものは、なかなかことばにならないからです。人間は何かを考える際に、ことばで考えています。ですから、考えていることを、そのままことばにすることは、かんたんのように思えますが、頭のなかで考えているそのことばは、けっして完全なことばなのではなく、いわば、ことばの断片のようなものです。とぎれとぎれのことばが、浮かんう  だり、消えたりしている、と言ってもいいでしょう。それを、そのまま原稿げんこう用紙に書き写してみても、当人以外には、いや当人にとってさえ、意味不明のことばの羅列られつになってしまい、とうてい、理解できる文章にはなりません。
 フランスの生理学者ポール・ショシャールは、頭のなかで考えているそのようなことばを「内言語」と呼んでいます。つまり、人間はことばで何かを考えているのですが、そのことばは、話したり書いたりすることばとはちがった「内言語」だ、というのです。したがって、人間は、つねにふたつのことばを持っているということになります。考えるときに使う「内言語」と、話したり書いたりするときに用いる通常のことば――ショシャールそれを「外言語」と名づけます――です。
 このふたつの言語は、一見、おなじように思われますが、じつはそうではなく、両者はまったく異質な脈絡みゃくらくのなかにあるのです。ですから、「思ったとおりに書け」と言われても、そうかんたんにゆきません。文章を書くということは、「内言語」を「外言語」に翻訳ほんやくすることであり、その翻訳ほんやくの作業が何よりも大変なのですから。
 しかし、人間の頭のなかには、ただ「内言語」だけが漂っただよ ている
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わけではありません。たしかに、抽象ちゅうしょう的な概念がいねんは「内言語」によって意識されていますが、そうした言語とともに、さまざまなイメージが明滅めいめつしているのです。いや、言語よりも、イメージのほうが主要部分を占めし ているように思われます。
 たとえば、あなたが、リンゴを食べたい、と思ったとします。あるいは友だちに会おうと考えたとする。その際、あなたの頭に、まずリンゴということばが浮かんう  だのか、それともリンゴのイメージが先に現れたのか。友だちの顔が先か、友だちという言葉が最初か。私はいまそれを自分に即しそく て考えてみたのですが、どうも、はっきりしません。イメージが先のようでもあるし、ことばがまず浮かんう  だような気もします。
 このように、イメージといっても、きわめて漠然とばくぜん しており、さらによく考えてみると、イメージは「内言語」と一体になっているようにも思えます。しかし、イメージの背後に「内言語」があったとしても、あるいは「内言語」の土台にイメージが形成されていたとしても、イメージと「内言語」とは、やはりどこかちがっている。イメージとは画像のようなものであり、「内言語」とはことばだからです。

(森本哲郎てつろう「ことばへの旅」)
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a 長文 3.1週 yube
二番目の長文が課題の長文です。
 欧米おうべい語に対する社会一般いっぱん軽薄けいはく好奇こうき心を統制して大和やまと言葉ないしは東洋語の尊重を自覚させるにはどうしたらいいか。その基礎きそがひろく日本精神の鼓吹こすいにあることはいうまでもない。基礎きそさえ出来れば外来語はおのずからかげをうすくするであろう。基礎きそが出来なくては何もならない。基礎きそを前提すると共に基礎きその建設に貢献こうけんすべき言語統制の方法としては、文筆に携わるたずさ  ものが必要のない外来語は断然用いない決意を強固にし、まず新しい外国語がはいってきかけた場合には自己の好奇こうき心を抑圧よくあつして直ちに適当な訳語をつくること、またいったん通用してしまった場合にはなるべく早く訳語をつくって原語を社会の識閾しきいきから駆逐くちくする事を計らなければならない。
 いったん、外来語が社会的識閾しきいきへ上って常識化されてしまうと便利であるからだれしも使うようになる。それ故に常識化されるまでに一般いっぱん的通用を阻止そしすることに全力をそそがなくてはならない。そして不幸にも既にすで 言語の通貨となりすましてしまったならば贋金にせがねを根絶することに必死の努力を払うはら べきである。失望するには当らない。「オールドゥーヴル」は「前菜」に殆どほとん 駆逐くちくされたかたちである。「ベースボール」は「野球」に完全に駆逐くちくされてしまった。これらの事実は我々に勇気と希望とを与えるあた  新しい言語内容に関して外国語をそのまま用いればなるほど一番世話はない。好奇こうき心を満足させることも事実である。しかしそれではあまりにも自国語に対する愛と民族的義務とに欠けている。
 西洋哲学てつがくの術語などは明治以来諸先輩せんぱいの努力によって殆どほとん すべて翻訳ほんやくされ尽しつく ている。範疇はんちゅう当為とうい止揚しよう妥当だとうなどというむつかしい言葉も今日ではもう日用語になりきってしまった。
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哲学てつがく上の言葉は概念的がいねんてき抽象ちゅうしょう的であるからある意味ではかえって翻訳ほんやくとその通用とが容易であるとも考えられる。すべて言語の内容が客観的知的である場合には翻訳ほんやくが成立しやすく、主観的情的である場合には翻訳ほんやくがうまくいかないことは事実である。
 生活と密接な具体的関係にある言葉は雰囲気ふんいきの情調を満喫まんきつしていて他国語への翻訳ほんやくが困難であるには相違そういないが、それも程度の問題であって、外来語の国訳へ向って出来得る限りの努力が払わはら れなくてはならない。知識階級が全面的に誠意ある努力をこの点に払うはら ならば必ず社会民衆が納得して使用するような新鮮味しんせんみある訳語が出来てくると信ずる。
 日本人は一日も早く西洋崇拝すうはい根柢こんていから断絶すべきである。ことに文筆の上で国民指導の位置にある学者と文士と新聞雑誌記者とが民族意識に深く目覚めて、国語の純化に努力し、外来語の排撃はいげき奮闘ふんとうし、社会の趣味しゅみを高きへ導くことを心掛けこころが なければならない。

 「外来語所感」(九鬼くき周造)より
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長文 3.1週 yubeのつづき
 学童のあそびには多くの想像力や抽象ちゅうしょう思考力がはいってくるからきわめて多彩たさいなものになる。すでに三さいごろからみとめられたことではあるが、低学年ではとくに「何なにごっこ」がさかんになる。たとえば小学校一年の男の子二人は学校から帰ると必ずどちらかの家に行って、庭に大きなみかん箱をひきずり出し、めいめい一つの箱にはいって、自分たちはこのふねの船長なんだぞ、と言い合い、荒れるあ  海を航海するつもりになってさかんに体をゆすり、箱をガタガ夕させるあそびを「発明」した。これがよほど気に入ったらしく、かなりの間、同じあそびを、いろいろと変化を加えながらくりかえしていた。七、八さいぐらいまでの子はあきずに同じ「ごっこ遊び」をくりかえす。しかもその度に本気でだれか他の人物になったつもりになり、たとえば右の場合ならそのたびに勇猛ゆうもう心や冒険ぼうけん心がこころに湧きわ あがるらしい。箱がひっくりかえって少々のけがをしたところで、それはあそびをいっそうおもしろくするばかりである。女の子も勇ましいあそびに加わることがあるが、女の子同士だと、もっと静かでしばしばロマンティックなあそび、たとえば「おひめさまごっこ」などをする場合も少なくない。いずれにせよ、同じこころの世界に遊んだ者同士として、こうした幼な友だちの味は一生忘れられないものとなる。おそらくそれはのちの交友、恋愛れんあい結婚けっこんなどという対人関係の基盤きばんをつくる力を持っているのであろう。
 ボールあそびなどというものは、もっと幼いときから「心身の機能をはたらかせるもの」として行われていたが、小学校の上級になるほどチームを組んで、ルールを守るという本格的なゲームのかたちをとるようになる。子どもたちがその発達に応じてどのようにルールを意識するか、をピアジェ(スイスの心理学者)はくわしく観察した。五さいごろまでは、ルールは少しも強制されたものとは子どもに感じられず、いわばただおもしろいモデルとしてうけとめられる。さい以後になるとルールは神聖でおかすべからざるものとして感じられる。ルールは大人がつくったもので、永久にそのままつづくものと子どもは思うので、ちょっとでもルールを変えようとすると重大な違反いはん、という印象を子どもに与えるあた  第三の最終段階になると、ルールというものはみなで協定を結んで作ったものだ、ということがわかってくるので、それをうけ入れるのは、いわ
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ば自分で自分に課したことで、外側から強制されたものとは感じられない。ルールに従うのは集団に忠実であるためで、もしルールが望ましくないとなれば、みなで相談して変えることもできるのだ、というように考える。このような考えかたは十一さいか十二さいごろにやっと到達とうたつするもので、もうこれは大人の考えかたといってよい。このような考えのもとで行われるゲームをピアジェは「自律的ゲーム」と呼び、それ以前の「他律的ゲーム」と対比させている。
 ゲームとは、あそびの一種にすぎないとはいえ、この種のあそび活動を通して社会的ルールを守ること、そのために他人と協力すること、つまり倫理りんりの基本的訓練が行われるのに注目しよう。修身の訓話よりもこうしたあそびの中で子どもの社会性が育って行くことを考えれば、それだけでもあそびの重要性がわかる。
 さらに、あそびの中で想像性がゆたかに発揮されると、創造的活動にまでつながって行く。「ごっこあそび」もその萌芽ほうがだが、構想力、表現力が発達した子どもは、たとえば「ものがたりあそび」を早くから始める。夜ねる前のひととき、弟妹たちにおとぎ話を「発明」して話してきかせる子がある。それはしばしば「つづきもの」で、一人の主人公が、毎晩新しい経験や活動を行なう。幼児期の子には「お話」をきくのが大きなよろこびなので、みな一心に耳をすませ、主人公のよろこびや悲しみに一喜一憂いっきいちゆうしているうちに、語り手もきき手もいつの間にか眠りこんねむ   でしまう。ウルフ(イギリスの女流作家)はきわめて幼いころから、こうした「語り手」だったというが、のちに作家になるほどの人間でなくとも、学童期は、こうした空想の世界が花ひらく時代である。それは審美しんび的感情の発達ときわめて密接にむすびついている。子どもの多くが詩人的素質を示すのも、彼らかれ 新鮮しんせんな感受性と、奔放ほんぽうな空想力が発達するからであろう。これはうまく発達させれば、大人の卑小ひしょうな「現実」を乗り越えの こ させ、新しい精神の世界を生み出す基礎きそ能力となるのだから、大人はなるべくこの芽をつんでしまわないように、むしろ子どもから学ぶように心したいものだ。こうした面を発達させるために、学校の国語教育や作文の授業はきわめて大切な役割を持っているにちがいない。
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a 長文 3.2週 yube
 二十年前、私は京都で下宿しておりました。ある夜、月のいい夜でしたが、私のところのおばあさんと一緒いっしょに、庭に出て月を見てました。そのおばあさんは私に、「アメリカにも月がありますか」と聞いたのです。
 たいへんかわいらしい話でしょうが、まだこのような初歩的な誤解が残っているはずです。しかしどちらかというと、少なくなったのです。二十年前か、五十年前なら、一般いっぱんの人は同じような誤解をしていたでしょうが、現在よっぽどのおばあさんでなければもう聞けない話になりました。
 ところが、もう一つの迷信が――迷信と言ってもいいと思いますが、日本に残っている。ある意味では、これが日米相互そうご理解の邪魔じゃまをしているのではないかと思います。それは、外国人が刺し身さ みを食べないという迷信です。私のことを知らない日本人と話し出すと、国を聞かれるし、職業を聞かれるし、そして、三番目あたりの質問は、刺し身さ みでも平気ですかと聞くのです。このような質問は実はどうでもいいと思います。仮に私が刺し身さ みを見てムカムカするとしても、日本を理解していないと早合点してもらいたくない。実は私は刺し身さ みが大好きです。「刺し身さ みを食べます」という札を胸に付けてもいいとさえ思っています。それとも「食べます」だけでも十分でしょう。どうせ質問はいつも刺し身さ みのことです。ほかのことは聞かれないんです。(笑)それが一つです。
 さらに、もう一つ、日本語は外国人に絶対話せない、そして外国人が仮に話せてもぜったい読めないという迷信です。この迷信は非常に根強いのです。三十年前から日本のことを勉強していても、まだ私が日本の漢字を読めないと思っている人たちが圧倒的あっとうてきに多い。私が外国で日本文学を教えていると知っていても、私が日本の文字を読めないと確信しているんです。そんなに難しいでしょうか。もし、そんなに難しいものでしたら、日本国民はみんな天才ばかりだと言うほかないのです。つまり小学校しか出ていない日本人でもかなり読めるのに三十年間勉強しても「佐藤さとう一郎いちろう」という名前を外国人が読めないと言うのはどういうことでしょうか。
 ともかく、そういうような迷信とか、外国人が理解できるということを否定するような態度は、相互そうご理解の邪魔じゃまになると私は思います。
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 アメリカ人も理解の邪魔じゃまをするような迷信を持っているのです。しかし、アメリカ人の迷信は、日本人の迷信とまさに逆です。日本人は、外国人はどうしても日本のことを理解できないと思い込んおも こ で一応嘆きなげ ますが、と同時に、外国人に分かってもらえないと思うと何となく優越ゆうえつ感を覚えるのです。「やっぱり日本人でなければこの食べ物のおいしさは分からない。日本人でなければこの花の美しさが分かるはずがない。日本人でなければ天気のいい日のよさが分かるはずがない……」。これは極端きょくたんですが。
 ところが、アメリカ人の場合はどうかと言うと、アメリカ人は、日本人はみんなアメリカのことを知っているはずだというふうに思っている。英語をゆっくりしゃべったらどんな日本人でも分かるはず、分からないようならばそれは分からないふりをしてるからだ、みんな分かってるはずだと思うのです。そして、アメリカの食べ物なら日本人は食べているに違いちが ないと思っているのです。
 たとえば、外国人が日本の着物を着るとか草履ぞうりをはくとか、そういうことがあったら、日本人は何となくおかしいと思う。何となく変です、やっぱり着物は日本人でなければ無理だと言うでしょう。しかし、アメリカ人はまさに逆です。日本人が着ているシャツの胸に、自分の大学のもん描いえが てあれば、とてもうれしくなる。やっぱり日本人もアメリカ人も全く同じものを喜ぶのだと思いたがるのです。そして、日本人がアメリカ人と違うちが と気が付いたら、時間の問題にすぎない、いずれそのうち全く同じになるに違いちが ない、と思います。
 それはとんでもない話ですが、もちろん悪意はないのです。日本人の立場にもアメリカ人の立場にも、全く悪意がない。しかし、悪意がなくても相互そうご理解のためによくないと私は思います。私はいちばん最後に、そういうような悲観的な話はしたくありません。私は相互そうご理解が年ごとに深まっているに違いちが ないと思っております。

(ドナルド・キーン『日本人の質問』)
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a 長文 3.3週 yube
 妖怪ようかいの中に「もののけ」という種類があって、これは「もの」につく。一般いっぱんには、「ものの毛」と書いて、これは「もの」に生える「毛」のことであろうと考えられているようであるが、そうではない。「ものの気」と書いて、これは「もの」が漂わただよ せているかに見える「気配」のことである。
 つまりこれは、「もの」についてそれが「もの」であることを、次第に歪曲わいきょくもしくは変質させてゆくわけであり、それが我々には、どことなく得体の知れない「気配」を漂わただよ せているように見えるのであるが、ここで言う「もったい」も、そうした「もののけ」の種にほかならない。そしてそれがつくと、我々はその「もの」を、むしょうに捨てたくなる。
 従って逆に、それのついていないものを見ると、むしょうに拾いたくなる。つまり、「もったいない」のである。我々は、定期的にごみ捨て場をうろつき、「もったいない」とつぶやきながらあれこれと拾い集める連中を見て、「あれはきっと、それらのものが拾ってくれ拾ってくれと、連中をそそのかすからに違いちが ない」と考えるが、実はそうではない。「もの」に「もったい」という「もののけ」がついている時、その「もの」が我々に「捨てろ捨てろ」とそそのかすのであり、「もったいない」と言って拾うのは、単にその反動にすぎないのである。(中略)
 ところで、人類史をひもとくまでもなく我々は、かつて「狩猟しゅりょう採集時代」というものを経験し、今また「消費遺棄いき時代」というものを迎えむか つつあることを、よく知っている。つまり、その生活の主たる様態を、「拾う」ことから「捨てる」ことへ、大きく転換てんかんさせつつあるのだ。妖怪ようかいもったいは太古より存在し、それが「もの」についたり離れはな たりすることにより、人々にそれを捨てさせたり拾わせたりする法則性は、何ら変化していないにもかかわらず、こうした転換てんかんが行なわれたということは、明らかに奇妙きみょうなことと言えよう。
 現在、もったい専門の妖怪ようかい学者が問題としているのは、この点にほかならない。言うまでもなく、考えられることはひとつである。つまり「狩猟しゅりょう採集時代」から「消費遺棄いき時代」に至る期間
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の、どこかの時点で文明が、もったいを人為じんい的に操作しはじめたのだ。文明がもったいという妖怪ようかいの存在に気づき、それをひそかに養い育て、「もの」に自由につけたり離しはな たりすることができれば、人々に「もの」を、これまた自由に捨てさせたり拾わせたりすることができるようになるのは、道理である。
 もちろん文明が、人々に「もの」を捨てさせなければならなくなった理由は、だれもが知っている。あらためてここで歴史の復習をする余裕よゆうはないが、この間に人類は「産業革命」を経て「大量生産時代」を迎えむか たのであり、当然ながらその大量に生産された「もの」は、大量に消費されなければならなくなったのである。しかし、生産力というものはやみくもに向上させることができるが、消費の方はそうはいかない。そこで、どうするべきか。
 当たり前の文明ならここで消費に見合うべく生産力の方を抑えるおさ  であろう。ところが、我々の文明はそうしなかった。生産力を抑えるおさ  どころか、それをさらに向上させ、我々の消費の手に余る分を、そのまま捨てさせることにしたのである。このあたりが、我々の文明の、天才的なところと言えよう。そしてそのためにも、妖怪ようかいもったいが駆り出さか だ れるハメになったのだ。
 前述したように、「もの」に「もったい」がつくと、我々はそれをまだ消費しつくしてないにもかかわらず、むしょうに捨てたくなる。文明は――というより、現在それをしているのは流通経済の中枢ちゅうすうを支える専門家たちであるが――ひそかにこの操作をしている。つまりこれを、専門用語で「もったいをつける」と言う。「もったい」がつくと、何となくその「もの」が、「重く」感じられたり、「わずらわしく」感じられたり、「うっとうしく」感じられたりするのである。
 もちろん、こうした専門家たちだって馬鹿ばかではないから、商店へ並べられた商品に「もったい」をつけるようなことはしない。そんなことをすれば我々は、消費はおろか、「購入こうにゅうする」ことをすらしなくなる。商品の流通が円滑えんかつに行なわれるためには、我々がそれを買って帰り、包装紙を開いたとたん、それがつくようにしなければならない。ということから考えれば、シャーロック・ホームズを
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長文 3.3週 yubeのつづき
一冊でも読んだことのあるものには、どこにカラクリがあるか、すでに推理できたことであろう。そうなのだ。包装紙である。化粧けしょう箱である。そして、それを結ぶリボンである。そこにもったいが仕掛けしか られ、それらを解き放ったとたん、それは中の商品につくことになっているのである。包装紙や、化粧けしょう箱やリボンを、もったいないと言ってしまっておきたくなるのは、そこにそれまでついていたもったいが、中の商品に移り住んでいるからにほかならない。
 かくて、流通経済は円滑えんかつに機能し、生活は潤いうるお 、我々は満足している。「もったい」である。妖怪ようかいもったいの養育と、専門家たちによるその見事な操作によって我々は「捨てるために手に入れる」という、生物学的には希有けうの性向を身につけ、「消費を上回る生産」という、あり得べからざる事態を楽々とこなしているのだ。

(別役実『当世もののけ生態学』より)
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a 長文 3.4週 yube
 子どもたち全員と学校の裏手の雑木山に出かけました。日かげのさわにはまだ汚れよご た雪が残っていましたが、陽だまりは枯れ葉か は柔らかいやわ   熱を含みふく 、そこを歩くときにほおに暖かみを送ってきます。子どもたちは歓声かんせいをあげ、木に登ったり、つるにぶらさがったり、カタクリを摘んつ だりしました。教室にいるときとは別人のようでした。
 枯れ草か くさこしをおろしていると、六年生らしい女の子が寄ってきました。ほおに赤いあざのあるひっそりとした感じの子でした。女の子はだまってわたしのそばにすわり、しばらく枯れ草か くさ引き抜いひ ぬ ては編んでいましたが、やがてぽつりと言いました。
「こんどの先生ァ、男先生もおなゴ先生もいい先生だね。」
「…………。」
 わたしはとっさにはこたえることができませんでした。今の今まで村や分校や子どもたちをよく思っていなかったような気がしました。わたしは小さな狼狽ろうばい押し隠しお かく ながら、女の子の名前や家の仕事のことや兄弟のことを聞きました。里枝というその女の子は、一言一言恥ずかしは   がるように言い淀みい よど ながら自分のことを語りました。なまりの強い方言は、わたしには耳ざわりなはずでしたが、おとなしい里枝の口からそれが洩れるも  と、素直にわたしのからだの中に溶けと こんでいくようでした。
 先生! とだしぬけに後ろから背中をたたかれ、わたしは思わず悲鳴をあげました。どんぐりまなこの一年生の明が、眼をいっそう大きく見開き、息をはずませていました。
「先生ァ、おらァ卒業するまでいてくれるね。」
「どうして?」
「ほだって……。」
 明は後ろをふりかえりました。明をからかったらしい背の大きい男の子が朴の木ほう きによりかかり、照れ笑いを浮かべう  てこっちを見ていました。
兼吉けんきちがな。ハイカラ先生などァ一年で分校なんかやめて、すぐ町サ帰るって……。」
「先生はハイカラじゃないよ。」
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「ハイカラださァ、金色の眼鏡かけてェ。」
 わたしは思わず笑いました。女学校の卒業記念に、役場の書記をしていた父が買ってくれた旧式の金縁きんぶちの眼鏡を、わたしは大事に使い続けていたのでした。

(三好京三「分校日記」)
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