題名:★こればかりは自分で(感)
【1】こればかりは自分で体験するしかないが、方法はないわけではない。
第一には旅をすることだ。地球上にはまだ浪費文明に侵されず昔ながらの素朴な生活を営んでいるところがいくつもある。【2】アジア、アフリカのいわゆる第三世界に行けばいまだそれがふつうの暮らし方だし、またアイルランドやメキシコやニュージーランドにたっぷりとそういう暮らしぶりが残っている。わたしはそういう土地に行き、その生き方になじむことで、自分の生きている日本の大都会の生がいかに反自然な人工的なものかを知った。【3】と同時に彼らのその生のほうがいかに人間らしく、自然と調和しているかを味わった。そのほうが効率的生産を求めてあわただしい日本の今の生活よりずっと上等な生だと痛感したのだった。
そこで何より思い知らされたのは、人間は生きていく上でなんとわずかの物で足りるかということだった。【4】われわれが生活の必需品のごとく思いなしているさまざまな文明の利器などなくても人間は生きていけるのである。むしろそんなものなしに身を自然の中に置いたほうが、どれほど今自分が生きてあることをしみじみと感じるかもしれないのであった。
【5】オーストラリアの原住民、アボリジニの一人が東京に来たときビルの入り口の自動ドアに驚き、「なんでこんなものが必要なのか。ドアなど手であければいいではないか」と言ったという。われわれはそういう思いがけぬ指摘でふだんの生活がいかにムダなもので占められているかを思い知らされるのである。
【6】第二に、それよりもっと簡単な方法は、日本文化の伝統の中からそういうシンプル・ライフを実践した人を探し、その生とわが身の現在とを比較してみることだ。
西行、鴨長明、兼好法師、池大雅、芭蕉、
良寛、等々、探すにも及ばぬくらいそういう生き方をした人物がわが国にはあって、むしろ彼らこそがこの国の文化をつくり出したと思われるほどだ。
【7】その中の一人、前述した
良寛をとってみれば、彼はおそろしいほど無一物の生を送った。草庵に住み、食は、乞食により、衣は着ている黒衣一つという極限の単純さに生きた。【8】が、彼の詩や歌、書を見れば、この最も貧しい生を選んだこの人物の心のうちが∵いかにゆったりと満ち足り、生きている一日また一日を感謝の思いで生きていたかがわかる。それを見ると、彼は何ももたなかったにもかかわらずなぜこんなにゆたかな気持ちで生きられたのだろうと、ふしぎな気がするくらいである。
【9】草の庵に足さしのべて小山田の
山田のかはづ聞くがたのしさ
むらぎもの心楽しも春の日に
鳥のむらがり遊ぶを見れば
ともに、ただ鳥が遊び蛙が無心に鳴くのを聞くというだけの歌だが、単純に充実し、
良寛の心が自然に向かってひらけ、鳥や蛙の声がその心の世界にこの上ない幸福感を与えていることがわかる。【0】
良寛は恐るべき単純な生活をしながら、心はこれだけ充実していたのだ。これを見ると、これほど徹底してすべてを捨てたシンプル・ライフだったからこそ、これだけ自由でゆたかな心になれたのかと思われるほどである。
――人は生きるためにいったい何を必要とし、何を必要としないか。(中略)
そういう根源的な疑問の前に自分を立たせてみるとき、自分たちがいかに文明の提供する便利や快適の誘惑によって余計なものを多くもたされているか、それら物の過剰によって生そのものを見えなくしているかを知らされるのである。少なくともわたしは
良寛やそういう生き方をした昔の日本人の生と自分の現在とをくらべることによって、初めて自分の置かれている立場を知ることができたのであった。
その結果わたしはクルマの所有と維持を止め、テレビを見ず、クーラーのない、むろん携帯電話だのワープロだのと無縁な、物質文明社会の中であたうかぎりその恩恵を拒否するひねくれ者の暮らしを営むに至ったが、それで満足しているのである。