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題名:★ただ、ひとつ留意しなくては(感)

 【1】ただ、ひとつ留意しなくてはならない点がある。母親語ときわめて似ていながら非なるものとして、「赤ちゃんことば」という現象が広く流布るふしているからなのだ。
 【2】赤ちゃんことばというのもまた、英語からの翻訳で、原語はベビートークという。最近ではの地で映画のタイトルにもなり日本に紹介されたので、母親語よりもはるかに知名度が高いことだろう。【3】例えば日本語文化圏では、赤ちゃんは食べ物のことを指して「マンマ」と言うことが多い。そして、自動車は「ブーブー」、犬は「ワンワン」となる。【4】もっとも赤ちゃんは外的事物の区別にまだそれほどけていないので、ブーブーは動く人工物全体を、またヒト以外の動物すべてを指してワンワンで総称することもしばしばである。
 【5】ところが、これら一群の単語は、おとなが赤ちゃんに向かって語りかける時にもまったく同じ要領で使用される。おかあさんは子どもに向かって、「ごはん食べる?」と聞くかわりに「マンマ食べる?」と尋ねる。【6】あるいは道を走っている車を指さして、「ほら、ブーブーよ!」と教えている。同一の女性がほかの成人に対して「マンマ食べる?」とか「ブーブーよ!」と発言することはまず考えられないし、もし実際に起こったとしたら、相手はとても奇異に受け取ることは疑い得ない。【7】それゆえ、おとなの使う赤ちゃんことばは明らかに赤ちゃんとの語りかけに際して特異的に用いられ、赤ちゃんの言語使用の次元におとなが同調することで、双方の間の交流を促そうとする努力の現われであるとみなすことができるだろう。
 【8】文化人類学者の川田順造氏によるとフランス語文化では、赤ちゃんことばはほとんど聞かれないのだという。【9】わずかに「ねんね」が「ドド」、「おっぱい」が「ロロ」、「おしっこ」が「ピピ」、「うんち」が「カカ」の四語とあといくつかが散見されるだけで、それ以外には赤ちゃんに対しても、おとなに対するのと大差ない言葉の用法を使用する。【0】ただそのフランスにおいてすら、母親語は歴然として存在する。確かにフランス人のおとなは、子どもに赤ちゃんことばを使うことはほとんどないかもしれないけれど、「小さな大人」に向けて、成人に対するのと変わらぬ語りかけを行∵う場合ですら、やはり口調の音は高くなり、また抑揚は通常以上に誇張されていくことが、明らかにされている。
 そもそもフランスでは子ども中心の家庭生活を営みがちな日本語文化圏とは、かなり著しい対照をなすことが多いようだ。たとえば日本では、夫婦でも、子どもができるとお互いに「おとうさん」「おかあさん」と呼び、孫が生まれると「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び方を変えてしまう。自分の妻がなぜ「おばあちゃん」なのか、考えてみれば奇妙な話であるはずなのに、親族内の一番下の世代からみた人間関係の呼称形式にみんなが従順につきあう。日本に生活している限り、われわれはこれをごく当たり前のことと受け止めているけれども、実際は決して普遍的にヒトの社会に見られるということではない。社会の中で子どもをどう位置づけるかという価値判断によって、赤ちゃんことばの発達の度合いは著しい多様性を示すことを、文化人類学の調査は教えてくれている。
 単純に結論づけると、赤ちゃんことばの現象は文化によって左右され、母親語は文化の違いを問わず普遍的である。両者は次元を別にしている。もちろん日本とフランスとの間で子どものしつけ方は大幅に異なり、それぞれの文化圏で育った子どものパーソナリティに如実に反映されていくのだろう。赤ちゃんことばを採用した日本式のしつけ方は、当然、日本文化で育つ子どもの性格形成に大きな役割を果たしているに違いない。
 
(正高信男「〇歳児がことばを獲得するとき」による)