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題名:★子供のころに道に(感)

 【1】子供のころに、道に迷わなかったのは、どうしてでしょうか。逆説のようになりますが、むしろそれは地図を使わなかったからではないでしょうか。【2】子供にとって道というのは、親や友だちに連れられて覚えるもので、何回か歩いているうちに自然と身につくものです。そうして覚えた道では、迷うなどということがなく、自分の体の一部になっていたような気さえします。
 【3】最近の散歩コースで、その裏返しのような体験をしました。それは、ほとんど毎日のように散歩するコースの一つで、決して迷うような道ではありません。ところが、ある日、ほんの短い時間でしたが、ふと、自分が今どこにいるのかわからなくなったことがあったのです。【4】間もなく、「ああ、ここか。」と、理解できましたが、この本を既に書き始めていた時だったものですから、いい材料だと思い、本気になって原因を探してみました。
 考えごとをしていて、上の空だったこともあるのでしょう。【5】道を曲がった正面に、そういえば工事中の家があったことを思い出しました。しばらく、その辺りには来なかったため、その家が完成して見違えるようになっていたことに気づかなかったのです。【6】私は、散歩をしながら、そのコースの風景や道筋といった情報を、無意識のうちに頭の中にしまいこんでいたのでしょう。風景がちょっと変わってしまったことで、持っていた情報に混乱が生じ、定位できなくなってしまったのだと思います。
 【7】そのとき私は、「ああ、動物の風景による定位はこれだな。」と思ったのです。動物は地図を持たない代わりに、習慣によって獲得した目的地までの道筋や情報を、無意識のうちに蓄積しており、その情報に忠実に行動する限り、動物は迷いにくいということです。
 【8】目的地へ向かう際の先の見通しは、日常的な無意識の習慣の奥に埋もれ、取り立てて問題にすることがなければ、意識に上ってきません。このようなレベルの行動や意識は、動物も人間もそうは変わりがないのではないでしょうか。【9】そして、それが動物を迷いにくくしているシステムなら、どうも私には、人間は、地図という文化をもったことによって、かえって迷う可能性が高くなったと思えてくるのです。
 【0】外から入ってくる情報は、どんなものでも言えることだと思いますが、正しく使いこなしてこそ、その真価を発揮します。逆に、自らの経験によって手に入れた情報は、文字通り身についたもので、無意識のうちにも行動につながっていくものです。∵
 人間は動物と違い、他人の行動の結果である地理的な情報を地図として受け取り、いくらでも利用できます。動物なら、無意識のうちにせよ、時間をかけて身につけていく地理的な情報を、数百円と引き換えに手に入れることができるのです。それだけで、どこへでも移動が可能になるわけですが、しかしまた、行動の可能性が増えるということは、それだけ道に迷う可能性にもつながってくるとも言えるでしょう。
 それは、地図だけの話には限りません。目的地に至る標識があれば、初めての道でも迷わないで着くことができます。目的地まで次々と現れるバス停や住居表示などの手掛かりもまた、動物には利用できない、人間の地図文化だといえるでしょう。そしてそれは、道順マップ的に存在している、現実空間そのものに描き記された一分の一の地図だとも言えます。
 こうした、人間の作り出した情報は、行動の助けになるものであると同時に、反面、使い方がきちんと身についていない限り、逆の結果につながる危険すらあるのです。

(山口裕一「人はなぜ道に迷うか」による)