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最高点の作文(森リンの解説)
 豊富な語彙力
 重量語彙は適度に重く
 強力語彙は適度に強く
 素材語彙が多い生徒は読書好き
1月の学級新聞から きら先生
1月の学級新聞から ばば先生
1月の学級新聞から しろ先生
言葉の森新聞 2004年2月3週号 通算第827号
文責 中根克明(森川林)

http://www.mori7.com/mori/
最高点の作文(森リンの解説)
 森リンで最高点101点を出した作文「ニュートンが集大成したような」(高3の6.2週課題)を下記に紹介します。
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 双頭の蛇を写真で見たことがある人は多かろう。そこで聞きたいのだが、彼(彼ら)は一匹だろうか、それとも二匹だろうか。チョウチンアンコウの雄は、巨大な雌の後部に寄生して生きている。驚いたことに、彼の体皮は雌の体皮に取り込まれている。彼女(彼女ら)は一匹だろうか、それとも二匹であろうか。(「ゴジラ」にでてくるキングギドラハは首が三本で胴が一つで、尻尾は二本だ。)あなたは頭の数が、個体の数だと主張するかもしれぬ。しかし果たしてそれは正しいのであろうか。彼らは間違いなく一個体の体しか持っていないのだ。
 ここに現在の分析主義の問題点を見ることが出来る。「個体」という概念は自然科学が、分析の最小単位を認識するために名づけたものだ。しかし、自然は分析しきれるものであったのであろうか。個体は、ある時連続でもあることを我々は前の例から知ることが出来る。現在の欧米の資本主義は、分析主義を基盤としているのであるが、これは同時に双頭ノ蛇とまったく同様の問題点を内包していることを意味している。欧米の資本主義は、「会社」という全体と「労働者」である個人を分離し、その個人個人の契約によって纏め上げようとしてのである。それゆえ、個人は、別の個人によって代用し得るという社会が出来上がった。しかしこれは、労働者と会社は不可分の関係があり、部分が変われば全体も変わるという、会社と個人の連続性という視点を欠いた社会であったことも否定できまい。
 そういう意味で、戦後の日本の資本主義は、「連続性」がよく生きていたと言えるであろう。日本が高度経済成長を乗り切った背景に、労働者の会社の帰属意識を挙げるものは多い。「連続性」と言う意味において、終身雇用制とエレベータ式の昇格制度は表裏一体のことであったと言えるであろう。しかし、現在、「競争社会」「能力主義」の名の下に、社会はこの連続性が失われる方向に進んでいることは間違いない。しかし、それによって失われるものは非常に大きいと言わねばならないだろう。
 日本で、競争社会や能力主義が急速に取り入れられている背景は何なのであろうか。一つには、国際化に伴って国内に他国からの企業が参入してきたと言うことがある。「終身雇用制」のようなシステムは、確かに古い制度を引き摺り安と言う意味で弱いシステムであった。その結果、日本のこれまでのシステムは全て駄目だ、だから欧米通りのやり方を真似なければ、と焦っているのが現在の状況である。
 しかし、私が言いたいのは、国際化に伴って会社の連続性を捨てることははたして得策かと言うことなのである。
 宮崎駿は優れた漫画家であるが、それ以上に優れた指導者であると言うことは注目に値する。大ヒットアニメ「もののけ姫」に関する対談の中で、宮崎氏は「当初、エボシ御前(製鉄村の主)は男にするつもりだったんですよ。で、スタッフに相談したら、やっぱり美しい女性の方がいいということになって(笑)。」と言っていたが、アニメ制作が共同作業であり、労働者と製作者は切っても切れない関係にあることをよく示しているであろう。作品の構想は全て自ら考え、事細かにアニメーターに注文を付けた、手塚治虫率いる虫プロが倒産したことは象徴的である。大まかなプロットのみを下地に、個々のアニメーターが映画を製作するスタジオジブリのように、連続性を保ちながらも、会社を活性化させることがこれからの日本の展望となるべきであろう。
 人の体は多くの細胞で出来ているが、細胞は元々数種の微生物が共存するところから始まったと言われる。そう思うと「個体とはなんぞや」という疑問がまた思い出される。しかし、それらの細胞が関連し合い、共存して始めて我々は生き生きと暮らすことが出来るのである。
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豊富な語彙力
 作者の武照君は、当時高校3年生で現在は大学生になっています。東大理系なので小論文は使いませんでしたが、記述の多い東大の問題で文章力が役に立っただろうことは想像に難くありません。
 自慢ではありませんが(という言葉で始まる文章はいつも自慢である(笑))、私も学生時代、全然予備知識のないテーマに関する記述問題をその場で考えた文章力だけで正解にさせてもらったことが何度かあります。もちろん、しっかり勉強をして予備知識をつけた方がいいことは言うまでもありません。と言える立場ではありませんが。
 さて、この作品は、字数1544字、強力語彙28個85点、重量語彙51%83点、素材語彙166種96点となっています。語彙の意味を説明すると、強力語彙は文章の素材を結びつける力の強い語彙、重量語彙は漢語などで構成されている密度の濃い素材語彙、素材語彙は文章の内容を構成する語彙です。
 全体の得点にバランスが取れた作文ですが、際立っているのは素材語彙の多様性です。それは、書かれている内容の幅が広いからです。後半1200字は、日本の終身雇用制から始まって、宮崎駿の「もののけ姫」を引用し、生物の細胞に言及して締めくくっています。また、書き出しは「双頭ノ蛇」の描写から始まり、それを後半で再度引用しています。
 これだけいろいろな話題を集めていながら文章が分かりにくくなっていないのは、強力語彙を中心に多用な語彙をしっかりと結合する思考力があるからです。
 改善する点を挙げるとすれば、「である」「であろう」などの同じような文末がやや多いところです。しかし、これは教室での限られた時間で書いたものですから、推敲する時間があれば、また違ったものになったでしょう。
 森リンの表示で、虹色の山型の部分をクリックすると、その生徒のほかの作品の一覧が表示されます。武照君のほかの作品を見てみると、平均93点です。毎回の作文で平均90点を取れれば、高校生以上の生徒が書く文章としては、ほぼ最高水準にあると言っていいでしょう。
重量語彙は適度に重く
 「ニュートンが集大成」という作品の重量語彙は51%83点です。重量語彙の割合は、学年に応じて高くなる傾向がありますが、高校生の場合50%前後というのが読みやすい割合になっているようです。上位10人の平均は49%です。これ以上重量語彙が多くなると、漢語が多いために堅い感じ字の文章になります。例えば、重量語彙62%の高3の生徒の文章の一部は、次のようなものです。内容はいいのですが、文章がやや堅い感じがします。しかし、これは取り上げている内容自体が堅いのでやむを得ないとも言えます。
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 補助金制度は、地域の実情とかけ離れた基準と抱き合わせであり、無駄が多い。国の政策を自治体に義務付けたり、奨励したりする狙いがあり、自治体の事業の費用を補う資金だが、担当官庁が配分の裁量に幅を利かせるので地域によっては使いにくい。自由に使える税財源を国から移譲し、各自治体が知恵を出せば、効率的に行政を進められる。
 国という大きな組織では、地方の隅々まで平等に扱うには無理がある。国が地方の財源不足を補ったり、財政力の格差を調整したりする交付税交付金制度は、自治体のコスト感覚を弱め、放漫財政を助長した。自治体も、国に頼り続けることが住民の「負担」を増加させる要因に成ることを自覚すべきである。
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強力語彙は適度に強く
 武照君の「ニュートンが集大成……」という作品の強力語彙は、28個85点です。上位10人の平均は28個ですから、やはりこれぐらいが読みやすい文章と言えるようです。これ以上多くなると、実例の肉付けがあまりなく理論の骨組みだけで展開していくような書き方の文章になります。例えば、強力語彙44個の高2の生徒の文章の一部です。よく考えている文章であることはわかりますが、具体的な例がないので意見がイメージとしてわきにくい面があります。
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 確かに、言葉の語源を知る事も、現代の意味から言葉を改めて考えるのも、知識を蓄える上では大切であると思う。しかし、「言葉」というものは人と人とのコミュニケーションのためにある、いわゆる道具なのである。するとその言葉が今自分の生きている世間の中でどういう意味で使われているかを理解する事が第一に重要ではないだろうか。それを知らない事には語源も何も無いのである。語源の意味だけ知っていて何になるだろうか。「議会の目的は、議論を殴り合いの代用品にすることである。」という名言がある。言葉が頻繁に飛び交う中で必要なのは、その場所、時においての言葉の意味をキッチリ把握していることであると思う。
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 大学入試の小論文で、赤本などに模範解答として載っているものは、実例の部分がほとんどありません。それは、模範解答を書く人の立場になってみればわかりますが、一つひとつの小論文課題についてそのつど異なる実例を入れるというのは、実は不可能に近いほど難しいことなのです。ですから、模範解答として載っている文章は、合格ぎりぎりの模範解答です。確実に合格するような文章は、意見も実例も豊富です。
素材語彙が多い生徒は読書好き
 「ニュートンが集大成……」の素材語彙は、166種96点です。上位10人の平均は166種です。素材語彙に関しては、一般に多ければ多いほどよいと言ってもいいと思います。ただし、小学校低学年で素材語彙が多い場合は、中心がしぼりきれていない文章になっている可能性もあります。高校生の場合、素材語彙が多い生徒は、よく本を読んでいると言えます。下記は、素材語彙189種の高1の生徒の文章の一部です。語彙力が豊富で絢爛豪華な文章になっています。やや活字中毒気味のところも感じられます(笑)。一文が長めで読みにくい面がありますが、こういう語彙力を背景にわかりやすく書けば、かなりいい文章が書けると思います。
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 人間は二足歩行によって脳を支え手を解放し、言葉と道具を得るという異質な進化の道を辿った。しかしその結果人間は、動物の野生的な真実への知覚である「本能」を極度に衰退させ、ただ巧緻に作りあげた文化という投影機によっておぼろげな世界の幻灯を、いくつもの影が結んだその幻像を見ることしか叶わない生物となった。投影機は多種多様で、結ばれる像も様々であり、映す対象である真実は共有されているがゆえにある程度の共通性は見えるものの、細部は様々な個所でやはり食い違いが生じる。私たちは本能を衰退させたために映される以前の真実に触れることは叶わず、投影機によって映し出される像の外は闇、人間が心の奥底に封じた本能の、じわりとぼやけながら滲みでる部分、「恐怖」という本能の対象である闇だ。
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1月の学級新聞から きら先生
 12月は、元気のいい作文がたくさん届きました。寒いのが大の苦手の私ですが、あったかーく過ごすことができました。作文を読むたびに、笑顔と勇気がわいてきたのです。                        
 また、受験生の合格もあったかいニュースです。介護福祉のスペシャリストを目指していくSさんから「今までやってきたおかげで自分の意見を述べることが出来ました。」とうれしい便りが届きました。おめでとうございます!
                       
 12月1週は「進級テスト」でした。みんなはりきって挑戦してくれたので、なかなかの力作がそろいました。でも、「元気のいい作文」と私が感じたのには別の理由もあります。
 それは、作文の中に「おうちでの会話」がいっぱい入ったということです。
カレーのひみつのレシピをおしえてくれたお母さん/小学校の給食はむかしもおんなじおいしかったよ、と話してくれたお父さん/鬼のように怒ったことを書かれた作文を、すてきな笑顔で読んでくださったお母さん/大好きな体育の時間のことを、いっしょに思い出してくれたお母さん/おいしいものをいっぱい食べてたのしかった旅行を思い出してくれたお母さん/クリスマスにサンタさんが来てくれるのは、生きている楽しさと将来の希望を与えるためだと教えてくれたお母さん
 みんなの作文が生き生きとしてきたのは、どれも、書く前のおうちでの会話の力だったのだなあと、感動したのです。
1月の学級新聞から ばば先生
<なぜ要約しなくちゃいけないの?>
 表題を見て、「そうそう! なんであんなめんどうなことをしなくちゃいけないの?」と思った人はたくさんいるでしょう(いや、全員かも)。たしかに私自身(ばば)もその効果を実感するまでは、ずっとそう思っていました。今月も、みなさんに要約の効果を納得してもらうために、恥をさらして体験談を書きます。
○ 国語が大の苦手だった私
 私は国語がまるっきしだめでした。読書は子どものころから、「早く寝なさい」「手伝いをしなさい」という母親の目をぬすんで、かくれて本をよみふけったほどです。それでも中学校から大学入学まで国語という教科はどんなに努力しても「並の上」が私の天井でした。天声人語の書き写し、社説の要約、模擬試験のたびに解説を何度も読み、予習復習は欠かさなかったのですが、えんぴつを転がしても点数は同じじゃないかと思います。
○ そうか!
 中学校一年生から大学入学までの六年間、ひたすらまじめに要約を続けましたが、はっきりした効果は得られませんでした。それも当然です。具体的なやり方も、分かりやすい模範例も、明白な効果も与えてもらえなかったのですから。やみくもに泳いでも、犬かきはできるかもしれませんが、クロールで泳ぐことはできません。
 そんななかで劇的に私を変えたのが大学のゼミでした。ゼミでは膨大な読書が要求されます。五人から十五人ほどのゼミで、持ち回りで著作物をレジュメにして発表しなくてはならないのです。
 レジュメというのは、箇条書きや図式などで内容を分かりやすくまとめたものです。要約と同じ作業ですが、ごまかしがききません。文章でまとめるのでなく、箇条書きや図式で表現するので、中身が理解できないままレジメを作成すると論理的整合性に欠けていることが他の人にすぐ分かってしまいます。おまけにレジメをもとにゼミ生たちに説明する自分も、説明しながらわけが分からなくなってしまうのです。
 大学一年生のゼミ生はみんな初心者です。教授に怒鳴られ、問いつめられながら、必死で二年も続けると、だんだんとわかるようになってきました。
 それから私は大学院に進学したので、難解な著作物の読書とそのレジメ作りという作業は六年間におよびました。そうしてやっと自信がもてるようになるまでにいたったのです。
○ みなさんへ
 読解力をつけるためにはたしかに読書は必要です。けれども読書のしかたによっては、目標に達することはできないものです。もともと論理的な思考能力をもっている人はいますが(いわゆる理屈っぽい人ですね)、能力などなくても訓練でいかようにもなります。その方法の一つが音読であり、また要約であるのです。
 私は機会にめぐまれず短期決戦型でたいへんな思いをしましたが、ゆっくりと時間をかけて続けていけば、読解力や論理的思考法だけでなく、より深い思考力や分析力、客観性などもしっかりと自分のものにできます。私は今でも少し難しい著作物はレジュメにしながら理解し、行間をよむようにします。楽器演奏やスポーツと同じで、やらないとできなくなってしまうのです。
 めんどうくさいものでも習慣にしてしまえばこっちのもの。要約や三文抜き書きにがんばりすぎない程度にチャレンジしてください。言葉の森という「山」をあせらずに、一歩ずつしっかりと登っていけば、必ず足腰が強くなります。大切なのは、自分を信じて(自信)続けるということです。
1月の学級新聞から しろ先生
 みなさんは、学校の勉強は好きですか? 宿題は毎回きちんとやっていますか? どんなに勉強の好きな人でも一度や二度は「いやだなあ。やりたくなくないな。」と思ったことがあると思います。先生も特に小学生の頃は、「今日は宿題やりたくない。」などと言って母を困らせていました。すると、そんなとき母が必ずこう言うのでした。「難しい計算なんかできなくても、歴史の年号を知らなくても、大人になってからは困らないかもしれない。でも、やりたくないと思うことを今ここでやることが大切なのよ。」
 
 そのときは、母のその言葉の意味を理解することはできませんでしたが、自分が大人になった今、やっと分かったような気がします。現在のこの複雑な世の中で生きていくには、確かに様々な分野の知識を必要とします。けれども、社会の中で、他人と共存して生活する上で一番大切なのは「何かを少なからず我慢する」ことではないでしょうか。我慢のできない人間だけが集まれば、無法地帯と化してしまいます。生まれたての赤ちゃんは、お腹を空かせては泣き、オムツが汚れては泣き、眠くなると泣き出します。お母さんに抱っこして欲しいときも泣きます。それがだんだん大きくなるにつれ、お腹が空いても泣かなくなります。それは「我慢する」ことを覚えるからです。そしてこの「我慢する」ということこそが、大人になっていく上で一番大切なことではないか、と私は思います。
 
 先生の小学生だった頃の話に戻りますが、「でも、やりたくないと思うことを今ことでやることが大切なのよ。」と言った母の言葉は、つまり「我慢して何かをやり遂げることが大切だ」という意味だったのではないか、と思います。
 
 みなさんも学校の勉強あるいは他の何かについて、「どうしてこんなことしなければいけないんだろう」と思うことがあるかもしれません。その中には、確かにこの世の中で生きていく上で最低限学ばなければいけないこともたくさんあります。けれども、そうではないことであっても、「とにかくやってみること」が大切だと先生は思います。そうやって何かを我慢してやり続けることで、我慢のできる、すばらしい大人になっていけると思うからです。そして、このことに気づくのが大人になってからではなく、その前に気づいて欲しいという願いから、今回の学級新聞で書くことにしました。
 
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