言葉の森
国語の勉強に役立つ小冊子








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■■読解力と選択式問題




■読解力をつけるには  514


 読解力とは何でしょうか。よく使われる言葉ですが、意味が漠然としています。

 文章を読んで理解することは誰でもできます。しかし、なぜその理解力に差があるのでしょうか。その差は、一つには理解の速さです。もう一つは、理解の深さです。

 これらの差が、鋭く表面に出てくるのは主に国語のテストにおいてです。読解力が焦点になるのは、日常生活ではなく、国語のテストの中でなのです。

 日常生活の中では、読む力があるかないかということは、あまり表面に出てきません。生活の中では、間違って読み取ったことでも、あとで修正できます。また、問題自体易しいものが多いのが通常の生活です。難しい問題に直面したときでも、わからないときはよくわかる人に聞くことができます。また、多くの場合、自分の専門にだけ詳しければ、大体のことは間に合います。つまり、読解力はなくても、知識でカバーしたり経験でカバーしたりできるというのが日常の生活です。

 ですから、生活の中での学力とは、読解力がそのまま出てくるのではなく、柔軟性とか、他人との協調性とか、持続力などが、その人の総合的な学力として表れてきます。しかし、国語のテストでは、柔軟性や他人との協調性や持続力などは評価に含まれません。そこで、読解力のエッセンスが国語のテストにおいて焦点になってくるのです。


 国語のテストということを、入試問題で考えてみます。というのは国語のテストの中には易しい問題もあり、そういうテストでは日本語が普通に理解できればできてしまうものも多いからです。

 入試問題は、差をつけるためのテストですから、敢えて何割かができないような問題として作られています。

 難関中学の受験で多いのが、長い文を読ませる形の問題です。これは、読解力を主に速さの面から評価するテストです。一回読んだだけですぐに頭に入るというような読み方のできる子が、読解力の速度のある子です。そして、この速さは、主にそれまでの読書量に比例しています。

 難関大学の入試で多いのが、難しい文章を読ませる形の問題です。高校の入試は、中学と大学のちょうど中間にあり、長い文を読ませる面と難しい文章読ませる面の両方が重なっています。

 難しい文章読ませるということについては、二つの難しい文章が考えられます。一つは、見た目の難しい文章、つまり読みにくい文章、いわゆる悪文といわれるものです。もう一つは、本当の難しい文章です。入試問題では多くの場合、見た目の難しい文章と本当に難しい文章が混ざり合った形で問題が出されます。

 では、本当に難しい文章とはどういう文章なのでしょうか。それは、一言で言えば、発見や創造のある文章です。つまり、これまでの読書生活あるいは実生活の中で、接したことのないような新しいものの見方や考え方をその場で理解する力が難しい文章を読み取る力なのです。


 ここで、私の個人的な例を挙げます。学生のころ、サルトルの「存在と無」を読みました。哲学のジャンルの本を読んだのはそのサルトルが初めてだったので、中に書かれている用語がなかなか理解できませんでした。「即自存在」「対自存在」「即自かつ対自存在」という概念を理解するのに、図をかいたり別の言葉で言い換えたりしてやっと何とか頭に入りました。その後、この概念がヘーゲルから出ていることを知り、ヘーゲルの「精神現象学」や「大論理学」を読みましたが、このときも新しい概念が次々と出てきてかなり苦労しました。

 同じように、さまざまなジャンルの古典と呼ばれる本を読んでいくと、古典というものに共通する本質がだんだんわかってきました。古典とは、その時代にそれまでになかった新しい発見や創造を提案した本だったのです。

 これらの本を読んでいくうちに、新しい概念が出てくる難しい文章もだんだん早く読み取れるようになってきました。そして、読解力というものは、決して学校時代の国語のテストで評価されるだけでなく、生涯進歩していくものだということが実感できたのです。


 本の中には、単に知識が増えるだけの本と、発見のある本とがあります。また発見のある本の中にも、小さな発見のある本と、大きな発見のある本とがあります。

 入試問題で出されるのは、大なり小なり発見のある文章なので、ここで難しい文章、つまり新しい概念を読み取る力があるかないかが問われてきます。


 では、難しい文章を読み取るための勉強はどのようにしたらいいのでしょうか。実は入試問題は、そういう文章の宝庫なのです。

 問題集に載っている問題文を読むと、それぞれの問題文が小さな発見のある文章であることが多いので、読む力のある子は読んでいて面白さを感じるようです。

 高校生が、言葉の森で勉強していて、高校3年生になると急に文章力がついてくるというケースがよくあります。これはなぜかというと、受験勉強で現代文の難しい文章を読むようになるので、難しい文章を読む力がついてきて語彙力と思考力が深まるからです。

 難読力をつけるには、入試問題の問題文を読んで理解するということが最も手軽で最も本質的な勉強法です。そして、文章の中で理解できないところがあれば、先生に聞きます。これは必ずしも国語の先生でなくてもいいのです。読解力のある大人であれば、難しい文章をやさしく解説することができます。

 この勉強法は、数学や英語の勉強法と同じです。数学や英語でも、わからない問題やわからない文を、問題の解法や文の構造から理解し直すことが学力になります。


 国語の入試問題は、読解力を評価することが大きな目的になっていますが、その読解力の評価にも、二つの形があります。

 一つは、記述型の問題で評価される読解力です。もう一つは選択式の問題で評価される読解力です。

 実はその文章を本当に読む力があるかどうかは、記述型の問題でなければ把握できません。選択式の問題は、選択のテクニックも必要になります。逆にいうと、読む力が低くても、読むテクニックあればある程度正解が得られるというのが選択式の問題の特徴です。ところが採点が大変なので、記述型の問題よりも選択式の問題が多いのです。


 国語の家庭学習というと、すぐに漢字の書き取りのようなことを連想する人がいますが、漢字力は、国語力のごく一部です。国語力の本質は読解力で、その読解力は、もって生まれたものではなく、学習によって身につくものです。

 しかし、読解力の本質を知らないと、問題集を解くような勉強で読解力がつくと思ってしまいます。ただ問題を解いて解説を聞くような勉強では、読解力はつきません。塾に行っても国語の成績が上がらないとよく言われるのは、塾では問題を解かせる形の勉強になりがちだからです。


 では、音読や暗唱がいいかというと、音読や暗唱そのものの意義もありますが、それ以上に大事なのが、何を音読し暗唱するかということです。

 昔からある有名な文章、例えば「平家物語」や「日本国憲法」を読めばいいというのではなく、発見や創造のある文章を読むところに読解力と思考力を深めるポイントがあります。昔からある有名な文章を読む意義は、文化に接するという文化的意義であって、読解力を高めるという教育的意義とは別のものだと分けて考える必要があります。


 音読と黙読の違いは、音読の方が反復しやすく定着度を高めやすいが、黙読の方が早く楽にできるという点にあります。

 問題集の問題文を毎日読む勉強をする場合、音読ではくたびれるので黙読でいいのですが、勉強の自覚がまだ不十分な年齢の間は、黙読では読み方が形骸化します。多少苦しくても、音読で読み続けた方が中身のある勉強になります。

 要約という勉強法も国語の力をつけるためには有効ですが、要約をチェックする人がいないと勉強が進まないという欠点があります。

 いい勉強法とは、教材や先生の制約がなく、本人の力で進めていけるものです。要約よりも、文章を音読し暗唱し、その暗唱した文章を筆写するという勉強を基本にした方が勉強の能率が上がります。


 また、要約も何を要約するかという要約の対象選びが最も重要です。よく「天声人語」の要約ということが言われますが、「天声人語」では文章が内容的に易しすぎます。難読という点でものたりなさがあるのです。やはりいちばんいいのは、発見と創造のある入試問題の問題文です。

 ただし、入試問題を作成する人自身も、読解力の本質を知らないことが多いので、ただ読みにくいだけの悪文を問題文としていることもあります。入試問題の文章ならどれでもいいのではなく、ある程度大人が文章を選択してあげる必要があります。


 以上まとめて言うと、読解力には二種類あり、一つは速さの読解力、もう一つは深さの読解力です。

 速さの読解力は多読によって身につくので、読書量を増やしていく必要があります。

 深さの読解力は難読によって身につくので、入試問題集や難しい本を理解できるまで読むというような勉強が必要になります。


 これらの本質を押さえた上で、読解力をつける勉強をしていってください。




■国語の勉強法  769

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■国語の勉強法(その1)


 「国語の力をつけるためにはどうすればいいのですか」という質問をよく受けます。

 私は、これまでずっと、そういうことは国語の専門の塾で対応しているのだと思っていました。しかし、いろいろな人の話を聞くと、国語専門の学習塾というのはほとんどないようです。

 また、これは、学習塾関係者の話ですが、英語や数学は成績を上げることができるが、国語は成績を上げることができない。せいぜい漢字の力をつけるぐらいだが、塾という看板の手前、国語も一応教えることにしているということでした。

 国語の力をつけることは、実は難しくありません。しかし、学習塾などで授業として行うような形の勉強には向いていません。国語は主として家庭学習の中で力をつけていくものです。言葉の森でも、国語の勉強を直接教えるわけではありません。しかし、勉強の方向は自習という形でアドバイスをしています。このアドバイスを実行した子は確実に力がついてきます。

 これまで聞いた話では、小6のときに教科の中でいちばん苦手だった国語が、中学3年生になるころにはいちばんの得意科目になっていたという生徒がいます。また、どうしても国語の成績が伸びなかった小6の生徒が、アドバイスのとおりに勉強をすると、受験の後半で国語の成績だけが伸びたという話がありました。また、高校生で国語の成績がいちばん悪かった生徒がアドバイスのとおりに勉強をしたら、一挙にトップクラスの成績になったという話がありました。もともと国語の好きだった高校3年生の生徒の場合は、大学入試でも国語だけは常にほぼ満点近い成績を取れるので、勉強全体に余裕がありました。


 では、それはどういうアドバイスだったかというと、まず第一は、難しい文章を繰り返し読むことでした。

 この反対の勉強法が、易しい文章を読むこと、問題を解くこと、です。

 ついでに言うと、最も悪い勉強法が、易しい文章を繰り返し読むことです。その典型的な例が漫画やテレビを繰り返し読んだり見たりすることです。(笑)漫画やテレビそのものが悪いのではありません。よくないのは、それを繰り返し読んだり見たりすることで、その一方で漫画やテレビ以外にまともに読んでいるものがないことです。

 難しい文章を繰り返し読む際の教材でいちばんよいものが、過去の入試問題です。学習塾によっては、過去問を受験直前にやって実力の判定に使うというところがあります。受験生や親自身も、過去問はそういう使い方をするものだと勘違いしている人がかなりいます。しかし、それは過去問のいちばんもったいない使い方です。過去問は受験勉強のスタートのときから、勉強の中心の教材として使うものです。特に、国語という教科は学年の差がないので、いつからでも使うことができます。

 市販の問題集よりも過去問の方がいいのは、作られている問題の質が違うからです。国語の問題は、解釈によって正解と不正解の幅があります。だから、入試問題の場合は正解が一つに限定されるように、細部まで緻密に作られます。その結果、理詰めで考えることのできる良問が多くなるのです。

 問題という形式を見ると、すぐに問題を解こうとする人がいます。しかし、国語の問題はいくら解いても力はつきません。解けた問題は、やらなくても解けていたはずの問題ですし、解けなかった問題は、たとえ答えを見ても、次回からそれで解けるようにはならないからです。国語の問題は、解けても解けなくても、どちらも実力にはなりません。しかも、問題を解くというのは、もっと大きなマイナスがあります。それは、一つは時間がかかることです。もう一つは、結局1冊の問題集を1回しかやらない結果になることです。更に、問題を解く形の勉強は、構える勉強になるので、気軽に続けられないというマイナスもあります。

 問題を1ページ解いている時間があったら、同じ問題集の問題文だけを5ページから10ページは読めるはずです。したがって、1冊の問題集を全部解いている時間があったら、同じ問題集の問題文だけを5回から10回は繰り返し読めるはずです。それも、電車の中でもベッドの中でも、どこでもできる気軽な勉強として続けられるのです。

 子供が小学生のころは、読むだけの勉強というスタイルは、親が見ていて不安になるようで、つい問題を出したり、わからない言葉を調べさせたりする勉強を追加したくなるようです。しかし、こういう一見勉強的なやり方は、多くの場合、マイナスにしかなりません。その理由は、面倒で複雑なことをすると気軽に長続きする勉強にはならなくなるからです。同じ文章を何度も読んでいると、子供自身から、わからない言葉や意味について自然に質問をしてきます。そのときに、親が辞書がわりに簡単に答えてあげればいいのです。辞書で調べる勉強は、調べる勉強として独自にやるものです。読む勉強と調べる勉強を一緒に行おうとすれば、どちらも中途半端になるだけです。


■国語の勉強法(その2)


 第二のアドバイスは、点数に一喜一憂するのではなく、実際に親が子供と一緒に、できなかった問題を解いてみるということです。これは、小学生のうちだけでなく、中学生や高校生になっても有効です。

 しかし、その場合、問題は、模擬試験や過去の入学試験のようにじっくり練られたものであることが必要です。模試や入試の問題は、受験生の実力を見るために時間をかけて作成されています。そのため、理詰めで考えて解いていくことができるのです。

 子供と一緒に問題を解いてみると、意外なことがわかると思います。よくあるいくつかの例を挙げてみましょう。

 小学生で多いケースは、問題文を読むスピードが遅いので、あてずっぽうで答えて×になるという例です。時間をかけて考えればできるのに、試験ではできないというのは、大抵このケースです。これは、実は思ったよりも重大な国語力不足で、短期間で成績を上げることはできません。読むための基礎的なが不足しているからです。速読力は、読書量に比例しています。小学校中学年のころまでに、好きな本をたっぷり読んだ子は、自然に速読力がついています。しかし、この場合の読書は、学習漫画や図鑑のように文の長さが短いものではありません。学習漫画は決して悪いものではなく、歴史の漫画などは、全体像を把握し、歴史に親しみを持つことには大いに役立ちます。しかし、漫画の吹き出しのような文章ばかりを読んでいると、長い文章を読む力が低下してしまうのです。小学校中学年までは、勉強する時間よりも読書をする時間を優先するぐらいの方が、高学年になってから本当の実力がついてきます。

 しかし、読む力が遅いということが問題になるのは、小学校の高学年のころまでです。その後、中学、高校と年齢が上がるにつれて、読むスピードは自然に上がってきます。それは、単純に、年齢に応じて読む量が増えていくからです。どんなに本を読まない子でも、学校の授業で教科書を読む時間は必ずあります。それが歴史の教科書や生物の教科書であっても、学校生活で活字を読まないということはまずありません。読む量が増えれば、読むスピードは自然に速くなっていきます。

 したがって、速読力のない子の場合は、受験が間近であっても、読む練習をすることから国語の勉強を始める必要があります。読む勉強をするときの最も手っ取り早い教材は国語の問題集です。しかし、問題集には読書に没頭するような面白さがありません。受験が終わってから、じっくりと読書をする習慣をつけていきましょう。この読む力がないままに、いくら国語の問題を解いたり解説を聞いたりしても力はつきません。

 第二のケースは、逆に、読む力のある子に見られる例です。問題に対する答えを、文章全体から考えて自分の体験に照らし合わせながら答えてしまうのです。例えば、「このとき、浦島太郎がカメを助けた気持ちはどんなだったでしょう」などという問題で、その問題文の前後の文章から答えを探すのではなく、自分の体験から類推して答えてしまうのです。「そういえば、この前、ミドリガメを買ったときは、こんな気持ちだったなあ」という答え方です。

 国語の問題の答えは、設問で指示されている部分の前後5行ぐらいの中にあるのがほとんどです。普通の易しい問題では前の5行の中に、やや難しい問題では後の5行の中に答えが隠されています。もし、それ以外のところに答えが隠されているようならば、それは悪問です。できなくても仕方がないと考えておくとよいでしょう。

 読む力があるのに×が多いという子には、「答えは文中にある」ということを教えてあげると、それだけで成績が大きく変わることがあります。

 第三のケースは、中学生などによく見られます。自分の知らない難しい言葉があると、それを正解に選んでしまうというケースです。このこと自体はそれほど大きく点数に響くものではありませんが、こういう答え方をするその発想に実は大きな問題があります。

 テストというものは、よい点数を取るためにあるのではありません。もちろん、入試のようによい点数を取って合格することが目的になるテストもあります。しかし、ほとんどのテストは、自分の実力を評価し、その後の勉強に生かすためにあるのです。それが学校の定期試験でも塾の席順を決める試験でも同じです。ですから、わからない問題があったときに、勘で答えて○になってしまうと、その問題ができなかったことがわからなくなってしまいます。つまり、点数はよくなっても実力はかえってつかなくなるのです。

 子供はどうしても目先の点数だけに目が行きます。人生経験の長い大人は、長期的な視野を持って、わからない問題は、適当に答えを入れるのではなく、わからないままに残しておくことが大切なのだと教えてあげてください。

 さて、最も重要な間違いのケースは、合っていそうな答えを選んで×になる例です。国語の問題の答え方は、合っていそうなものを選ぶのではなく、必ずしも合っていそうでないものを選ばないというやり方です。これを消去法と言います。

 もし、国語の答えが、合っていそうなものを選ぶだけで作られるとしたら、学年が上がるにつれて問題作成はどんどん困難になります。高校3年生の生徒に、普通の日本語の文章を読ませて、そこから正解を問うような選択式の読解問題を作るのは至難の技です。そのために、国語の問題は、問題文自体を難解な悪文にしたり、読む量を増やしたり、これから説明する消去法で解くような歪んだ方向に向かってしまうのです。この歪んだ国語問題をなくすには、選択問題を減らし、記述問題、特に小論文を増やすことが必要です。


■国語の勉強法(その3)


 それでは、実際の国語の問題を見てみましょう。

 2004年のセンター試験国語1の評論文の最初の問題です。

 --略--

 学問とは人が何かについて問い、(他の人から学ぶことを含みつつ)答えを得ようとする活動である。その答えは当然ながら当の何かについての知識の資格で求められ、知識からは、問うた人、それから答えるために考えたり観察したり実験をしてみたりした人の活動は消えさせられている。或る事柄についての知識とは、その事柄の在るがまま、すなわち人がそれを知ろうと知るまいと無関係にそれ自身として在るがままの発見の内容であり、従って、知識をもたらした人は、それを発見した、知ったという関わりの後では、知られた事柄だけを自分とは独立のものとして残して知識の中身からは消え去る、こういう建前がある。そうして、様々な学問の対象とは、それについて知識の獲得が目指される相手であり、知ろうとする人の向こう側に位置する何かである。ところが(A)哲学では事情が違う。

 何かについて問い、答えを得ようとする活動である点で、それは諸学問に通ずる。けれども、哲学では、問う人、答えを得る人が消去されることは決してない。なぜなら、哲学のイトナみにおいて人は必ずや己との関わりにおいて何かを問うからである。そして、それゆえにまた、哲学では、己とはその何かとだけでなく諸々の一切のものと関わって生きている存在である限りで、何かを中心に問いつつ一切を問題にするよう誘われる。対象が限定されないのである。

  --略--


問2、傍線部(A)「哲学では事情が違う」とあるが、どのように違っているのか。その説明として最も適当なものを、次の1?6のうちから一つ選べ。

1、一般に学問では対象についての知識を得ることが重要であるが、哲学の場合は、それだけでなく対象へのアプローチの仕方をも人々に説得できることが重要である。

2、一般に学問では知る側の活動を消去して対象についての知識を得ようとするが、哲学の場合は、自分とのかかわりにおいて問いを立てつつ、一切の対象を問題にする。

3、一般に学問では対象と自分とのかかわり方をより望ましい方向へ持っていくために知識が求められるが、哲学の場合は、自分とは独立したあるがままの知識が求められる。

4、一般に学問では特定の対象と自分とのかかわりを知るために考えたり観察したりするが、哲学の場合は、対象を限定せず自分とかかわる一切のものを知るために考えたり観察したりする。

5、一般に学問では知ろうとする人の向こう側に知られるべきものがあると考えるが、哲学の場合は、知ろうとする人が自分自身を知ることを目的として問いを立てる。

 問題文自体が悪文です。もっと易しく分かりやすく書ける内容を、このように分かりにくい言い回しで書いているので、国語の問題として取り上げられたということです。

 このような文章を問題として出さないと点数の差がつけられないというところに、現在の国語試験の末期的症状があります。

 さて、傍線(A)の「哲学では事情が違う」の内容は、このすぐあとの段落に書かれています。

 五つの選択肢のうち、どれを取っても、それ自体の内容としては間違っているとはっきり言えるものはありません。すべて、問題文との関連で正しいかどうかが決まるということです。

 実際の問題文は、ここに載せた文章の6、7倍あります。普通の高校生でこういう文章を読むと、大体最後の方には意識が朦朧(もうろう)としてきます。設問を見て、問題文を読み直す気力が失せた状態で選択問題を解くので、合っていそうなものに○をつけてしまうのです。

 設問を一つずつ見ていきましょう。

 1は、「哲学の場合、対象へのアプローチの仕方を説得できることが重要」などとどこにも書いていないので×です。

 2は、特に間違っているところはないので保留です。

 3は、「学問は自分とのかかわり方をより望ましい方向へ持っていくために知識を得る」などとどこにも書いていないので×です。むしろ、その反対のことが書かれています。

 4は、「学問は、自分とのかわわりを知るために考える」などとどこにも書いていないので×です。これも、その反対のことが書かれています。

 5は、「哲学は、自分自身を知ることを目的として問いを立てる」などとどこにも書いていないので×です。これは、この設問自体について言えば、合っているとも合っていないとも言えませんが、問題文との関連で当てはまらないということです。

 したがって、正解は、特に間違ったことを言っていない2ということになります。

 国語の選択問題はすべてこのような発想で解いていきます。ですから、難しいことは何もありません。ただし、大量の文章をこのように読みこなしていくためには、まず問題文自体をすらすらと読める力が必要です。そのためにも、問題文を繰り返し読む勉強法が有効なのです。



■中学生の問題集読書の進め方――読解問題の選択肢の分析  2472


 小学生の問題集読書は、難しい語彙のある物語文や説明文を読み慣れることに力点がありますが、中学生の場合はもう少し進んだ勉強ができます。
 その方法は、読解問題の選択肢を分析することです。

 まず、問題集読書の最初の勉強方法は、あらかじめ問題集に解答を見て答えを書き込むことから始まります。これは、英語でも理科でも社会でも、基本的には同じです。
 答えの既にある問題を、最初からわざわざやるのは時間の無駄です。答えを見て、すぐにわかる問題はやらなくてもいい問題で、答えを見てわからない問題だけを自分なりに理解していけばいいからです。

 問題集に答えを書き込んだあと、見開き2ページを音読していきます。音読は、問題文だけでなく、設問も答えも一緒に読みます。見開き2ページなら、大体3分で読み終えます。
 寺子屋オンエアで勉強している人の場合は、この音読をskypeのビデオメッセージで先生に送っておきます。国語の勉強は短い時間であっても毎日やるのが基本ですから、土曜でも日曜でも毎日音読してそれを送るといいのです。

 なぜ音読をするかというと、音読によって文のリズム感が身につき、繰り返し音読をすることによって文の理解が深まるからです。
 中学生は黙読で済ませたがりますが、黙読の読みでは、繰り返し読むことが難しくなります。
 音読の必要性は、英語でも同じです。英語の教科書の1ページ分を毎日20回以上音読して暗唱するのが英語の勉強の基本です。

 さて、国語の問題集読書で音読が終わったら、50字で感想を書きます。その際、50字ぴったりにまとめるようにすると、言葉を選択して書く力がつきます。
 これからの国語の試験は、記述力が問われるようになりますから、感想はできるだけ早く書き上げるようにします。これは、作文を書くときにも生きてきます。
 早く書き上げるためには、消しゴムは決して使わずに、最初から最後まで一息で書くように心がけることです。消しゴムは、うっかり書き間違えたときの1文字分を消すのには使ってもよいのですが、それ以上の語句や文を消すのには使わないようにします。

 この、答え書き込み、音読、感想書きがひとまとまりの勉強で、大体15分もあればできると思います。

 これを毎日続けて1冊を最後までやり終えたら、同じ問題集の2回目に挑戦します。
 2回めは、もう既に答えの書き込みが終わっているので、音読と感想書きだけです。
 感想を書く力をつけるために、「○○はAでなくBである」というような対比をはっきりさせた文を書くようにします。
 また、読解問題の選択肢のうち、正しい選択肢でないものが、どういう理由で正しくないのかを言葉ではっきり言えるようにします。

 国語力の基本は、難しい文章を読み慣れることですが、国語の成績を上げるためには、読み慣れるだけでは不十分です。
 成績を上げるコツは、この選択肢の分析のように、正しくない答えがなぜ正しくないかを自分なりに理解することです。
 しかし、その分析の土台になっているのは、読み取る力ですから、問題集の音読だけでなく、普段の生活の中で読書をする時間も毎日確保しておく必要があります。



■国語力をつけるには――国語力を難しい文章を読み取る思考力  2666


 国語力をつけるということについて、途方に暮れてしまうお父さんお母さんが多いと思います。
 国語と言っても、普段使っている日本語です。わざわざ勉強しなければできないなんておかしい思うのが普通です。

 漢字が読めないとか書けないとかいうのであれば、知識の問題ですから原因がわかります。しかし、読解の問題ができないとか、記述が書けないとかいうことになると、普段読み書きしている日本語なのになぜできないのか、ということになるのです。

 実は、子供は、読めないのでも書けないのでもありません。
 正解になるような読み方、書き方ができないのです。

 それは、国語の問題の正解というものが、その文章を深く読み、深く書くことを要求しているからです。
 ということは、国語は、浅く読むことも深く読むこともできるということです。

 日常生活では、日本語は浅く読み取っても十分に間に合うことがほとんどです。
 浅い読み方と深い読み方にそれほど大きな差はないからです。

 しかし、国語の問題にされるような国語の文章は、浅く読んだら×になり、深く読むときに初めて○になるようにできています。
 もちろん、普通の学校の国語のテストでは、そのようにややこしい問題は出ません。
 入試問題レベルになると、そういう問題が出てくるので、塾で勉強していると、国語ができないということが出てくるのです。

 では、どうしたらよいかというと、いちばんの対策は深く読める難しい文章を読むことに慣れることです。
 普段、子供が読む文章、本とか教科書とか雑誌とかいうものは浅く読めるようにできています。こういう文章をいくら読んでも、深い読み方はできません。
 そうではなく、直接、入試問題に出てくるような文章を読むようにするのです。

 難しい文章でも、全く読み取れないわけではありません。国語の読み取りは、何パーセント読めるかという濃度の問題ですから、グレーの範囲が人によって違います。
 これが、算数数学などほかの教科の勉強と違うところです。
 算数数学であれば、できるとできないはある程度はっきりしています。途中の計算式によって点数が加算されることはありますが、本質的にできたかできないかの問題になっています。

 国語はそうではありません。読み取れる割合によって、易しいからわかる、難しいけどわかる、難しいからわからないという差が出てきます。この「難しいけどわかる」から「難しいからわからない」の間にもさまざまな中間域があります。

 このわかる度合いは、難しい文章を繰り返し読むことによって次第に増えてくるのです。
 場合によっては、個々の文を取り上げて、その意味を先生に聞くということもあります。しかし、基本はあくまでも自分で読み慣れるということです。

 そのための練習法が、問題集読書です。
 小学3年生までは、そういう無理をする必要はまだないので、ただ読書をしっかりしていればよいのですが、小学5年生ぐらいになると、入試問題集のような難しい文章を読む勉強が必要になってきます。
 ここで、国語の勉強の有利さが出てきます。日本語の文章は、繰り返し読んでいれば、自然に少しずつわかるようになってくるのです。

 では、国語が得意になっている人は、もう国語の勉強をしなくてよいのでしょうか。
 入試に関して言えば、そうです。国語は、いったん読む力がつき問題を解くコツがわかれば、もう勉強をしなくても必ず一定の点数は取れるようになります。
 だから、受験勉強は、入試で差がつくような、そしてあとからの追い込みで間に合うような教科を中心に対策をしていけばいいのです。

 しかし、入試という目標を離れて考えると、国語の難しい文章は、入試問題よりももっと先のものがあります。
 それは、大学生になってから読むような、日本や世界の古典です。

 話は、個人的なことになりますが、私が大学生のときに読んで、難しいので読むのをあきらめた本は、ハイデッガーの「存在と時間」でした。それは、特に、それを読み切ろうという決心がなかったからですが、もしそういう決心があったとしても読んで理解するまでにはかなり時間がかかったと思います。

 もうひとつ苦労して読んで、うっすらとしかわからなかったのが、ヘーゲルの「精神現象学」でした。全部読んだので、全体像は頭に入ったのですが、意味が取れないところがあまりにも多かったのです。
 しかし、その後、フランスの哲学者イポリットの「ヘーゲル精神現象学の生成と構造」という本を読んで、初めて大体がわかるようになりました。大体と言っても、半分ぐらいだと思いますが。

 このときに思ったのが、入門書が概論書というものは、原典とは全く違うものだということです。
 「ヘーゲル入門」などという本はありますが、こういう本を読んでも教科書的な外側の知識がわかるだけで、ヘーゲルが考えた過程がわかるようなことはまずありません。だから、大学生の読書は、まず原典を(翻訳で)読んでみることです。

 そして、私は、数年間このように難しい文章を続けて読んでいるうちに、普通の難しい文章が楽に読めるようになったのです。
 つまり、難しい文章を読むことによって、普通の難しい文章が簡単に読めるようになったということです。

 こういう経験があるから、国語力の本質は思考力にあるということがわかってきたのです。
 日本では、国語の勉強は、文化的な情緒の面があまりにも強調されすぎています。
 それは、もちろん国語のひとつの面ですが、国語の本質とは少し違います。
 世界のそれぞれの国に共通するその国の国語の本質は、その国語で考える思考力なのです。


 だから、国語の勉強は、国語的なものにとらわらず、幅広く難しい文章を読み取る力ということで考えていくとよいと思います。
 そのためのいちばん手に入れやすい教材が、実際の入試問題です。
 その入試問題を読む勉強法でいちばんやりやすいものが問題集読書です。
 そして、その問題集読書を楽に続けられるのが、寺子屋オンエアでの毎日の音読になると思います。

 ただし、家庭で確実に音読の習慣ができれば、それでも十分です。
 言葉の森の作文課題集には、毎週の長文が載っています。それを、感想文課題でない週も含めて、毎日1編音読していくのです。
 1200字から1600字の文章ですから、3分ぐらいで読み終える分量です。
 これを毎日読んでいると、1週間同じ文章を読むことになりますから、途中で文章の一部は暗記するぐらいになります。それぐらい繰り返し読んでいると、そこに書かれている難しい語彙が自然に自分のものとなり、読み取る力がついてきます。

 この長文音読が最も重要になるのが小学5年生以降です。それは、考える力がついてくるのが小学5年生からであり、課題の文章がこの時期から難しくからです。
 小学4年生までは、そのウォーミングアップとして、毎日音読する習慣をつける時期と考えておくとよいと思います。

 しかし、学校の勉強が忙しくなるのも、この小学5年生あたりからです。
 そのため、夜に音読の時間をすることにしていると、いろいろな用事が重なって毎日読むことが難しくなります。
 だから、小学校低学年のうちから、朝ご飯前に音読をするという習慣をつけておき、小学5年生以降の多忙な時期も音読の習慣だけは崩さないようにしていくといいのです。


■■国語力アップ




■国語力アップの秘訣(1)――読む力をつける  3045

 国語力というものは、一般につけにくいものだと思われています。

 国語の問題集をいくら解いても、国語力がつくようになるとは思えません。 学校や塾で国語の授業をいくら熱心に聞いても、国語ができるようになるとは思えません。

 国語というのは、目標も手段もあてのない教科だと思われているのです。

 確かに、国語の点数を上げるコツというものはあります。
 それは読解のコツ、記述のコツを身につけることです。
 作文のコツというものもあります。

 しかし、そのコツ、つまりテクニックでできる部分は、氷山で言えば水面の上に出ているところに限られています。
 水面に沈んでいるところの国語力は、どうやって伸ばしたらよいか分からないというのが、多くの人の正直な感想だと思います。

 この水面下に沈んでいる国語力というものは、一言で言うとその学年相当よりも少し難しい文章を読み取る力です。

 国語の勉強を何もしていないのに、最初から国語の成績のよい子がいます。
 そういう子に共通しているのは、小さいころから本をよく読んでいることです。
 しかも、その本は、その学年の子にとってはやや難しい文章のものも含まれていて、それを自分から進んで読んでいるのです。

 したがって、国語力をつけるためには、少し難しい文章を読む時間を増やすことです。

 その一つのポイントは、作文感想文の勉強をする中で、感想文のもとになる長文を読み取る練習をすることです。

 感想文を書くために元の長文を何度も読み、両親に関連する話などを取材していくと、その文章を読み取る力がついてきます。
 それを繰り返すことで、難しい文章も読み取れる国語力がついてきます。

 言葉の森の作文で、課題の長文の音読と、似た話の身近な人への取材をすすめているのは、作文を書く準備とともに、国語力をつけるためでもあるのです。

 もう一つは、その学年にとって少し難しい文章、つまり国語の問題集に出てくるような文章を毎日読むようにすることです。
 これを、言葉の森では、問題集読書という名前で呼んでいます。
 しかし、この問題集読書を続けるには、少し工夫が必要なのです。



■国語力アップの秘訣(2)――問題集読書のすすめ  3046


 問題集読書は、飽きて続けにくくなることが多いので、家庭でどう続けるかということが大事になります。
 その問題集読書を続ける方法はあとで書くことにして、まず問題集読書の意義にについて説明していきます。

 国語の問題集は問題を解くものではなく、問題文を読むために使うものと考えることです。
 それはなぜかというと、問題を解くと、答えが合っていたかどうかということに終始してしまうからです。
 こういう勉強の仕方では、国語の問題をいくら解いても、国語の力はつきません。

 国語の読解問題で大切なことは、正しい答えがわかることではありません。
 正しくない答えがなぜ正しくないかわかることです。
 易しい国語の問題であれば、正しい答えがわかる程度でも正解になります。
 しかし、入試問題レベルのテストになると、正しくない答えがなぜ正しくないかがわからなければ、正解にはなりません。

 国語の点数にムラがある子の多くは、正しい答えがわかるという勉強の仕方をしています。

 正しくない答えがわかるためには、問題文をじっくり読む必要があります。
 問題文をじっくり読むためには、問題文の文章に書かれている内容や語句に慣れている必要があります。
 特に、難関校の国語の問題の文章は長いものが多いので、難しい文章を読み慣れていることが国語力をつける大前提になるのです。

 問題集読書では、問題を解くのではなく、問題集にあらかじめ答えを書き込んでおき、その問題でなぜそういう答えになるのかを読むようにしていきます。
 最初は、ただ問題文と設問と答えを読むだけでかまいません。
 慣れてきたら、正しくない答えがなぜ正しくないかも考えながら読んでいきます。

 それを1冊の問題集について、5回繰り返します。
 同じものを繰り返すということが大事で、これは国語の勉強に限らずすべての教科について言えることです。

 この繰り返しの勉強を形骸化させないために、問題集読書は音読が基本です。
 子供は音読を嫌がり、黙読で済ませようとしますが、黙読では繰り返しているうちに斜め読みになり、やがて表面だけの読み方になります。

 子供が音読を嫌がらないようにするためには、親がその音読の仕方を絶対に注意しないことです。
 子供の音読というものは、近くで聞いていると、必ず何かひとこと言いたくなるものです。
 それをじっと我慢して、音読したことを褒めてあげるだけにするのです。

 問題を解くとか、書いて覚えるとかいうやり方よりも、ただ読むだけでというやり方がなぜよいかというと、読む勉強は、解く勉強や書く勉強に比べて何倍も能率がよいからです。
 国語の問題を1問解く時間があれば、その同じ時間でその問題と答えを5回以上読むことができます。
 これが読む勉強を優先させる理由です。

 ところが、この長文の音読をしたり問題集の読書をしたりというのは、実は子供にとってはかなり張り合いのない勉強なのです。
 また、そばで見ている親にとっても、ただ読むだけ勉強は、それがどういう力になるのかあてのない気がするものです。
 鉛筆を動かしているような勉強の方が、子供も親も、勉強しているという実感がわくからです。

 このため、長文音読や問題集読書を始めてはみたものの、じきに飽きてやめてしまうという人が圧倒的に多いのです。

 そこで、言葉の森が行っているのが、自主学習クラスで問題集読書に取り組むという勉強方法です。
 これは、国語の問題集読書を中心として、その他の教科の勉強や読書もオプションで付け加えられるようにして、その日の国語問題集読書を先生がオンラインでチェックするというものです。

 この自主学習クラスを受講をして、毎日の問題集読書をしている子は、確実に国語の成績が上がっていきます。
 家庭だけでは続けにくい問題集読書を、家庭と先生との連携で、オンラインで子供の勉強をチェックしながら続けていくというのが、これからの国語の勉強の新しいやり方になると思います。



■国語力アップの秘訣(4)――要約の練習  3049


 国語力には、読む力のほかに書く力もあります。
 例えば、要約の問題、記述の問題、作文や小論文の問題などです。

 読む力の基本が、難しい文章を読みなれることだったのと同じように、書く力の基本は、書き慣れることです。

 その書き慣れるという基礎力の上に、書き方のテクニックがあります。

 大事なことは、テクニックよりも時間のかかる基礎力を早めにつけておくことです。

 書く基礎力をつけるためには、週に1回や2回、国語の教室に通って勉強をするのでは間に合いません。

 短時間でよいので、家庭で毎日書く練習をすることが大切です。

 では、書く練習はどのようにするのでしょうか。

 まず、要約の練習です。
 要約の練習で大事なことは、素早くまとめる力をつけることです。

 時間のかかる練習方法では、子供が飽きてしまいます。
 簡単にできるやり方で、毎日続けていくのです。

 まず、要約のもとになる文章を読みながら、自分なりによくわかったところ、大事そうだと思うところに、線を引いていきます。

 この場合、中心になるのは、よくわかったというところです。

 よくわかったところが、大事なところだと思えなくてもかまいません。
 自分なりに、なるほどと思ったところに線を引いていくのです。

 一通り読み終えたら、自分が線を引いたところだけを選んで飛ばし読みをします。

 その飛ばし読みを何度か続けると、文章の全体の流れが頭に入ります。
 そこで改めて大事なところを選ぶようにします。

 1文の平均の長さを50字と考えると、150字の要約であれば3文です。
 最初は3文にまとめるぐらいを目標に、大事だと思うところを3か所選びます。
 そして、その3か所の文をつなげれば要約の出来上がりです。

 これを言葉の森では、三文抜き書きという呼び方で練習しています。

 最初は、文章の中心とずれたところで三文抜き書きになってもかまいません。

 要約らしい形ができていれば、練習を続けるうちに、あとから内容が伴ってくるようになります。

 この、形を先にする練習であれば、どの子も要約の練習ができるようになります。
 この練習を毎日するのです。

 元にする文章は、国語問題集の問題文から選びます。

 ところで、要約のあと、その文章を見てあげる人がいなければ、子供にとってはやはり張り合いがありません。

 そこで、お父さんやお母さんが、その要約の文章をチェックします。

 このときに大事なことは、その要約が元の文章の内容と合っているかどうかということではありません。

 そこまで考えると、要約のチェック自体が負担になるので、親の都合で要約の練習が毎日はできないということになりかねません。

 要約の練習は、要約に慣れることが目的ですから、チェックはもっと簡単でいいのです。

 要約した文章が分かりやすく書かれているかどうかがチェックの基準です。

 この練習を繰り返していると、誰でも楽に要約ができるようになります。

 そして、要約の仕方に慣れてきたら、次は、字数を指定して150字なら150字ぴったりに1文字の過不足もなくまとめる練習をします。

 それができたら、時間制限をして、その時間内にまとめる練習をします。

 こういう目標があると、要約の練習は楽しくなってくるからです。



■国語力アップの秘訣(5)――記述の練習  3050


 次は、記述力の練習方法です。

 問題集などから、一つの問題文を選び、その感想を書く練習をします。
 1文の平均は約50字と考え、指定した字数でまとめるようにします。

 この感想の書き方で大事なところは、ある考えともう一つの考えを対比して書くことです。
 しかし、それが難しいようであれば、ただ字数を指定して書くだけでもかまいません。

 字数は、50字にまとめるとか100字にまとめるとかを自分で決めて、その字数の感覚をつかめるように練習します。

 この場合、決めた子数ぴったりにまとめるということを心がけると、細部の表現を工夫する力がついていきます。

 記述のコツは、対比して書くことです。

 対比して書くとは、「Aだと思う」とだけ書くのではなく、「BではなくAだと思う」とか、「確かにBという考えもあるが、Aだと思う」というように、自分が書こうと思うことと対比する考えや事実がわかるようにするということです。

 記述の問題の多くは、この対比が重要なポイントとなるところで出されています。

 対比の仕方には、ほかに、「Bではなく、Aになった」とか、「Bでありつつ、Aであった」とかいうものもあります。

 この対比を自覚して書いていくと、輪郭のはっきりした記述になってきます。

 この記述の練習も、毎日やるためには、親が簡単に評価する仕組みを作っておく必要があります。

 そのためには、元の問題文と照合して内容が合っているかどうかまで見る必要はなく、ただ書かれた記述の文章を見て、それが意味の通ったものであるかどうかだけを見ておけばよいのです。

 というのは、もし内容とずれている記述であっても、それは注意して直るものではないからです。

 読む力と書く力がつけば、自然に内容に合った記述になってきます。
 国語の勉強は、繰り返しているうちに、次第に中身が伴ってくるという特徴があります。

 だから、何度も練習するという基礎力をつけておくことが大事なのです。



■国語力アップの秘訣(6)――作文、感想文、小論文  3052


 要約や記述以外のもっと長い作文、感想文、小論文などの練習については、家庭で勉強をするのは難しいと思います。

 逆に、要約や記述の練習は、家庭でやっていく方がずっと能率よく数多く楽に勉強できます。

 以下、作文、感想文、小論文などをまとめて、広義の「作文」という言葉で説明していきます。

 ときどき、「作文と小論文は違う」などと言う人もいますが、全然違わないというのが言葉の森の立場です。

 例えば、「私の友達」のような身近な説明文的な課題でも、出来事を中心に生活作文的に書くこともできますし、友情論のような形の論文として書くこともできます。

 題材が中心になれば作文的になり、主題が中心になれば論文的になり、その中間の文章は随筆的なものになります。

 そして、どのような文章であっても、構成、題材、表現、主題が優れているものが上手な文章です。

 だから、作文と小論文の区別を考えるよりも、まずよい文章を書くことを心がけていけばいいのです。

 さて、この作文の練習については、言葉の森の作文教室で勉強をしていくのが最もよいやり方になると思います。

 言葉の森には、通信コースも通学コースもありますが、通信コースは電話指導なので、通学と同じような形で勉強できます。

 今は、希望者には、オンラインで先生の顔を見て電話指導を受けることもできます。

 オンラインの場合は、そのままほかの生徒の勉強している様子を見ながら勉強できます。

 他の教室を否定するわけではありませんが(笑)、作文教室と銘打っている教室の多くは、あまり系統的な指導をしていません。

 講義の多くは原稿用紙の使い方や表記の仕方の注意のようなもので占められ、あとは生徒の書いた作文を赤ペンでたっぷり添削するという方法です。

 子供の作文は、いくら赤ペンで添削しても上手にはなりません。

 作文を書き出す前の準備の段階で、どう書いたらいいかを指導し、その指導に沿って評価していく中で書く力が少しずつ上達していくのです。

 そして、書く勉強だけでは作文力の上達には限界があるので、書くことと並行して長文音読のような読む勉強に力を入れていく必要があります。

 作文の練習は、言葉の森で勉強をするのがいちばんいいとは書きましたが、勉強の内容をより充実させるためには、先生の指導に任せきりにしないことも大事です。

 家庭では、次の二つの取り組みをしておくといいのです。

 一つは、書く前の準備として、作文の課題に関して、親が似た話をしてあげることです。

 この家庭での似た話の準備をしてくる生徒は、毎回の作文がとても充実したものになります。

 また、親と話をすることで、語彙力や思考力が育ってきます。

 準備というと親の負担が大きいと思う人もいるかもしれませんが、作文の課題について親子であれこれ話をするというのは、実は楽しいことなのです。

 話のコツは、勉強的にやらずに、脱線してもいいので楽しい雑談のような雰囲気で話していくことです。

 家庭での取り組みのもう一つは、返却された作文の誤字や表記ミスを家庭で書き直す練習をしておくことです。

 それは、誤字や誤表記は、一度指摘されたぐらいではなかなか直らないからです。

 受験作文の場合は、特にこの書き直しが重要になります。

 先生から返却された作文を、親子で協力してよりよい表現や実例に書き直し、一つの模範解答の作文となるように仕上げておきます。

 それを受験の前までに、何度も音読し、同じテーマで同じ文章が短時間で書き上げられるようにしておくといいのです。

 以上のように、作文の練習の場合も、家庭での親の関わりが必要になります。

 大事なことは、その関わりをできるだけ親の負担がなく続けられるように工夫していくことです。






この小冊子は、言葉の森の体験学習をされた皆様にお送りしています。