
|
国語読解クラス
|
体験学習用課題フォルダ ギンナン
|
国語読解クラスで勉強することは、
1.読書紹介
2.問題集読書
3.読解検定の解説(小5以上)
です。
詳しい勉強の仕方は、中をごらんください。
※受講される場合は、問題集読書の教材をご注文ください。
|
読書紹介
毎日、本を10ページ以上読みましょう。読む本は、字のスペースが絵のスペースよりも大きいものであれば何でもかまいません。
その週に読んだ本を1冊選び、みんなに紹介します。紹介の時間は2分以内ですから、「いちばん面白かったところ」などを中心に紹介してください。
低学年の生徒で、口頭の紹介が難しい場合は、その本の表紙や挿絵を見せるだけで結構です。
問題集読書
問題集の問題文を毎日5ページ以上音読しましょう。問題はやる必要はありません。問題文だけの音読なので、正味2ページ分程度です。
読みながら、自分なりによくわかったところや印象に残ったところに傍線を引いておきましょう。
授業のある日には、学習の記録に、その日に読み始めるページを記録しておきましょう。その記録をもとに、先生が問題文の内容について質問をします。
問題集読書は、1冊を最後まで読み終えたらまた最初に戻って読み、1冊を5回以上繰り返して読むようにしましょう。
保護者の方は、お子様が音読をしているときは、読み方の注意はせずに、いつも褒めるだけにしてください。
▼問題集読書1ページ
(受講を継続される場合は、問題集を購入してください。)
▼問題集読書2ページ
▼問題集読書3ページ
▼問題集読書4ページ
▼問題集読書5ページ
▼問題集読書6ページ
▼問題集読書7ページ
▼問題集読書8ページ
▼問題集読書9ページ
▼問題集読書10ページ
(受講を継続される場合は、問題集を購入してください。)
読解検定(読解マラソン集)の解説
読解検定の問題文を読み、全部で8問あるうちの1問を選び、その問題の正解の解説を書き発表します。
これは、小学5年生以上の課題です。小学4年生以下の生徒は、できる人だけやってください。
生徒本人だけで解説が書けない場合は、保護者の方が協力してください。
解説は、そのクラスの発表室にアップロードします。解説は、ノートに書いたものの画像でも、テキストで入力したものでもどちらでも結構です。
●解説の書き方の例(この例は小5の課題をもとにしたものです。)
9.1週の問題文では、「世界人口の半数がエネルギーをまきや炭に頼っています」と書いてあるが、選択肢Aでは、「世界人口の大部分が、エネルギーを石油に頼っている」と書いてあるので×。
同じく、問題文では、「森林の破壊でキャッチャーがいなくなると、雨が大幅に減って気候がいっぺんに乾燥してしまいます」と書いてあるが、Bでは、「森林と大気の間で水のキャッチボールができなくなると、大雨が降りやすくなる」と書いてあるので×。
(解説は口頭で発表するので、解説の文章は、もっと簡単に書いてもいいです。)
a |
読解マラソン集 9番 しかしマキャベリの nngi3
しかしマキャベリの二重倫理のあまりにも直截な提示は、当時のヨーロッパ人にとっても衝撃であり、そのまま受けとめるには過酷すぎるものであった。そこでマキャベリ以降の政治思想のかなりの部分が、その政治倫理の二重性をいかに緩和するかという点に関心を寄せたのである。そこでよく用いられたのはローマ帝国に源流をもつさまざまな概念装置を忍び込ませることであった。
このことの説明を進める前に、ギリシャとローマとは、古代都市国家としての共通性をもちつつも、両者の間に大きな違いも存していたことを説明しておく必要があろう。ギリシャのポリスは、何よりもそのきわめて強い精神的統一に特徴があった。アリストテレスの有名な「人間はポリス的動物である」という言葉は、まさにその表現であった。この言葉は、ポリスの運営に進んで参加して初めて人間は人間たりうるということを意味していた。それ以外の人間は野蛮人であり、本質的には動物と異ならない存在とすら見なされたのである。その意味でポリスの理想は、政治への参与、特に言論によって参与し、共同体のために戦う義務を引き受けることこそ人間の真の自己実現の場であると捉えられていたのである。
これに対して、ローマの都市国家(civitas)は、人間の自己実現としての政治への参与という観念をギリシャほど絶対視していなかった。ローマでは、すぐれた統治を行うこと、つまり技術としての政治への関心が早くからもたれていたようである。その中核は「インペリウム(imperium)」という概念であった。それは最初、軍隊に対する命令権を意味していたが、やがて統治権であるとか、統治の及ぶ領域であるとかを指すようになり、ついには支配圏の及ぶ範囲としての「帝国」を意味するようになった。ローマの共和政は、その構成員が兵役の義務をもつという点ではギリシャのポリスと同じく「戦士共同体」ではあったが、しかしインペリウムを誰かに委ねること、またそれを委ねるにあたって複数の権力を相互に張り合わせる「混合政体」の仕組みをもったこと
|
| 33 | 32 | 31 | 30 | 29 | 28 | 27 | 26 | 25 | 24 | 23 | 22 | 21 | 20 | 19 | 18 | 17 | 16 | 15 | 14 | 13 | 12 | 11 | 10 | 09 | 08 | 07 | 06 | 05 | 04 | 03 | 02 | 01 | |
によって、ギリシャのポリスとは異なる特質を獲得した。インペリウムの概念はギリシャ世界では受け入れられなかった概念であり、その実践的な柔軟性にこそ意味があった。それこそが、ギリシャ都市国家が比較的短期間に衰えたのに対し、ローマを地中海の覇者に押し上げ、その支配を長期にわたらせた、いわば「支配の天才」としてのローマの本質であった。この概念によって、ローマは都市国家としての性質を残しながら、かなりの開放性、柔軟性をもつことができ、やがて都市国家から帝政へと変質していくことすら可能になったのだった。
ギリシャのポリスでは公的空間への参加を意味する徳(virtue)の重要性が圧倒的に高かったのに対し、ローマでは市民の私的世界での自由(libertas)にもある程度の価値を認めていた。ギリシャにおいては人間は公的世界においてのみ真の人間でありえたが、ローマにあっては、公的なものが優先されはしたが、私的世界も一定の意義を与えられた。ギリシャでは公的空間としてのポリスしかなかったのに対して、ローマでは、社会と国家の区別が認められていたのである。
近代ヨーロッパの政治理論家たちは、ギリシャの政治哲学に刺戟を受けながらも、その概念、思考法は常にローマ的なるものに引き寄せられていった。そしてローマ的思考法こそが、中世の普遍的権威を否定した上で成立する自己完結的な政治体同士の間に、最低限の秩序をもたらすことを許したのである。それはローマが得意とした「法」や、ギリシャからローマ世界が引き継いだストア哲学の基本概念である「理性」とか「自然」といった概念によって表現された。そこに、「国際政治」なき時代の「国際政治」、言い換えれば、「国際政治」の「原型」とも言うべき独特の秩序空間が成立したのである。
(中西寛『国際政治とは何か』)
|
| 66 | 65 | 64 | 63 | 62 | 61 | 60 | 59 | 58 | 57 | 56 | 55 | 54 | 53 | 52 | 51 | 50 | 49 | 48 | 47 | 46 | 45 | 44 | 43 | 42 | 41 | 40 | 39 | 38 | 37 | 36 | 35 | 34 | |
|
a |
読解マラソン集 10番 歴史のプロセスとは nngi3
歴史のプロセスとは決して直線を延ばすように進歩するものではない。ジグザグな進展でもない。それはいくつかの大きな経験や変動を経ながら先に進むものでもなく、すでに堆積されている経験の上に新たなものが積み重なっていくプロセスである。(中略)
そして、ひとたび歴史の重層性ということを認めたならば、次のことに思い至らざるをえない。それは、われわれは、結局、常にある特定の社会の中にあって、ある特定の文化の様式のもとでしか歴史を引き継ぐことができないということだ。普遍主義の旗印のもとに押し寄せてくる西欧近代なるものと、われわれは調子を合わせることはできるし、実際そうしてきたつもりでもあるが、西欧的な意味で西欧近代を我がものとすることは、われわれには決してできない。
むろん、このような見方を批判する人は少なくない。「西欧的」近代などというものはない。「近代」は「近代」であって、普遍的なものである。「西欧」にこだわる理由はどこにもない、そもそも西欧と日本を対立させるのが間違いなのだ、と。
だが私には、この普遍主義は決定的に誤っているように思われる。歴史が重層的だとするなら、われわれは決して近代という用語によって一括りにできるような普遍的世界へと収斂することなどありえないはずである。われわれは、どこまで行っても近代と前近代の混融を生きるほかない。そしてこの混融のあり方は、「ナショナルなもの」という文脈に依存するほかない。
近代的普遍主義者は、そもそも「ナショナルなもの」を持ち出すことは、排他的な国家主義へと対抗する第一歩であり、危険思想への導入口だと見なす。近代という普遍的文明によって初めて、平和的に人々は共存できると見なす。しかし、これも間違っている。普遍主義が排他的で暴力的であることはいくらでもありうる。普遍主義は、普遍であると自認する者の権利以外の一切を認めず、普遍性からの変異を排除しようとするものだからである。特殊なもの、
|
| 33 | 32 | 31 | 30 | 29 | 28 | 27 | 26 | 25 | 24 | 23 | 22 | 21 | 20 | 19 | 18 | 17 | 16 | 15 | 14 | 13 | 12 | 11 | 10 | 09 | 08 | 07 | 06 | 05 | 04 | 03 | 02 | 01 | |
個別的なものを排除した上での普遍主義は、普遍という名の暴力の勝利に過ぎない。
これに対して、「ナショナルなもの」に立脚する立場、すなわちここで言う「シヴィック・ナショナリズム」は、「ナショナルなもの」であるがゆえにこそ、他の特性を尊重する。むろん「ナショナリズム」が「ウルトラ・ナショナリズム」と化し暴走する危険に対して私も無自覚なわけではない。しかし、他者がなければ自己意識、つまりナショナリズムなど存在しないのである。他者を抹殺すればナショナリズムも無意味となるのだ。したがって、真に危険なのはむしろ普遍主義のほうであるように思う。それはすべてを同質化し、他者を排除しようとする。少なくとも「ナショナリズム」の危険性は常に唱えられ、いわばチェックされているのに対して、「普遍主義」の危険性はほとんど認知されていないであろう。だから、他者を契機とした自己意識、自己認識としての「シヴィック・ナショナリズム」こそが、グローバルな時代に要請されるのである。
今日、超近代文明(hypermodern civilization)としてのグローバルな普遍化が性急に世界を覆いつつある。同時に、それに対する展望のない反抗としての過激派によるテロが暴発している。そして、その両者にはさまれて、世界中の各地で「われわれ」の再定義が模索されている。その中心に「ナショナルなもの」の再構成という集団的なアイデンティティの模索がある。私には、イスラム過激派武装勢力によるテロリズムに与することができないのと同時に、西欧近代の性急な普遍化にも安易に与するべきではないと思われる。そして、今日、この普遍化を推し進めるのがアメリカだとすれば、アメリカニズムに対してどのように距離を置くか、ということこそが、われわれにとっての最大の課題と言わざるをえないであろう。
(佐伯啓思『倫理としてのナショナリズム』NTT出版)
|
| 66 | 65 | 64 | 63 | 62 | 61 | 60 | 59 | 58 | 57 | 56 | 55 | 54 | 53 | 52 | 51 | 50 | 49 | 48 | 47 | 46 | 45 | 44 | 43 | 42 | 41 | 40 | 39 | 38 | 37 | 36 | 35 | 34 | |
|
a |
読解マラソン集 11番 概念化された風景のなかで nngi3
概念化された風景のなかで若者たちはみずからの身体を概念化する。規格化されたスピードで移動することに慣れた若者たちは、老人のスピードで移動する人びとが規格外の存在であることに堪えられなくなるであろう。なぜ世の中はかれらに正常な機能をもたせるような装置を提供しているのに、それを使わないのか、と。
概念化した風景のなかで生きる人びとは、概念化された環境に適応していくから、そのような概念化した環境に適応する身体をもつようになる。ある理念のもとでつくられた風景に対して理念としての身体が設定され、それに適応することが徹底的に求められるからである。
空間風景のなかの身体は、こうして設定された空間の意味に対応するように訓練されていく。それは空間の意味を設定した設計者に要求されるかたちでの自己調整であり、自己訓練である。そこでは、身体は空間の価値に対応するように形成され、あるいは整形されていく。
風景の概念化と風景のなかで生きる身体の概念化とは相伴って進むであろう。概念風景のなかでひとは身体を概念化することで自由になる。たとえば、人びとは高齢者のようにゆっくりと歩くことから「解放される」。高齢者の身体は、健康な大人の身体の振る舞いの風景のなかに吸収されていくのである。
解放としての自由は都市設計の重要な課題であり、そこには、コンセプトのモチーフ、テーマ、ストーリー性といったものが重視される。これらは高次のコンセプトとして機能し、都市全体の特質を決定していく。高次のコンセプトが共有されると、世界の都市の類似化が生じるであろう。風景のグローバル化がこれによって推し進められる。
概念風景のなかの概念身体は、環境に適応することによって、もともと自然と人間の間にあった境界を除去する機能をもつであろう。この除去は、風景と身体の間に存在する境界的不透明性の除去といってもよい。一定の意味空間はそのような空間の用途に沿った使用を要求し、そしてそれに見合う身体的振る舞いだけを許容す
|
| 33 | 32 | 31 | 30 | 29 | 28 | 27 | 26 | 25 | 24 | 23 | 22 | 21 | 20 | 19 | 18 | 17 | 16 | 15 | 14 | 13 | 12 | 11 | 10 | 09 | 08 | 07 | 06 | 05 | 04 | 03 | 02 | 01 | |
る。こうして空間と身体の境界にある不透明性は除去される。不透明な身体的振る舞いは、空間の価値にとって望ましくないものとされるのであり、そこに環境と身体との緊張関係が生じる。自己はそのような空間の意味に汲みつくされることによって、空間の提供する快楽を享受することができるが、それと同時に、そのような要求への拒絶の自由を剥奪されるであろう。自由とは本来価値の強制のとどかない不透明な領域に成立するが、この空間の価値は身体の不透明性に対する不寛容をその大きな特色とする。
不寛容性によって、整形の緊張がひとに多くのストレスを加えるであろう。このストレスを解消するための空間と時間が必要なのだが、実は、このストレスの存在は、もともと風景の概念化によって引き起こされたものである。つまり、一定の価値概念による空間の意味づけによって身体が概念化されたための緊張である。空間の概念化は、一定概念によるゾーニングであり、このゾーニングは、無意味空間を排除する。いままで意味づけのなかった空間に意味とゾーニングを与えるので、身体は、この意味のなかで行動しなければならない。だから緊張が生じるのである。与えられた意味空間で要求される行為を遂行することで、ひとは緊張のなかを生きる。
(桑子敏雄『風景のなかの環境哲学』より)
|
| 66 | 65 | 64 | 63 | 62 | 61 | 60 | 59 | 58 | 57 | 56 | 55 | 54 | 53 | 52 | 51 | 50 | 49 | 48 | 47 | 46 | 45 | 44 | 43 | 42 | 41 | 40 | 39 | 38 | 37 | 36 | 35 | 34 | |
|
a |
読解マラソン集 12番 最近のローティーン以下の nngi3
最近のローティーン以下の子供たちは、あれほど教師が「個性」「自立」「自立性」を金科玉条のように主張しているにもかかわらず、目立つことを嫌う傾向が強いそうである。彼らの間では、「他人に配慮ができる」気配り型が人気で、「場の空気が読めない」外し型が不人気だそうである。事実、うちの小学生の娘を見ていても、目立たないことの重要性を学習していると感じている。
「けっこうです」という言葉は頭が痛い。高文脈言語である日本語を象徴する言葉である。文脈を理解していないと、「イエス」か「ノー」かわからないのである。日本人でも文脈が微妙で、どちらかわからないことさえある。最近の若者の間で、この「けっこうです」に代わる言葉のひとつに、「ビミョー」があろう。明確な判断を避けているとの批判もあるが、若者たちの間では、共有している文脈のなかで、最近はとくに否定的な意見や感想をできるだけ述べたくないので、推し量れという高文脈言葉として使われている。まさに微妙なのである。
(中略)
これを巨視的にはどう捉えるべきか。戦後の一億総中流という平等幻想の上に築かれた企業という名の大きな帰属集団が、いままさに崩壊せんとしており、日本的小規模帰属集団への先祖返りが若者によってなされようとしている、と受けとれないこともない。この意味においても、日本企業は若年層の企業への忠誠心(この場合は英語のコミットメントという語がふさわしい)を、どのように確保するのかという大きな問題を抱えているといえる。このまま企業が、若者たちの企業へのコミットメントを喪失すれば、日本企業の企業力、ひいては日本の国力は衰退していくことだろう。
したがって、若者の行動の変化が個人主義への移行につながるという議論は、明らかに論理が飛躍している。利己主義化(わがまま化)していることを個人主義化の根拠としているのかもしれないが、集団主義を否定すれば個人主義になるというような単純な二項対立的な問題ではない。日本と西欧の自我/自己構造の違いを考え
|
| 33 | 32 | 31 | 30 | 29 | 28 | 27 | 26 | 25 | 24 | 23 | 22 | 21 | 20 | 19 | 18 | 17 | 16 | 15 | 14 | 13 | 12 | 11 | 10 | 09 | 08 | 07 | 06 | 05 | 04 | 03 | 02 | 01 | |
れば、これが乱暴な論であることは明らかである。
にもかかわらず、日本的原理の崩壊=個人主義への移行という極端な論を展開している人が多いのは、そうした論者自身が日本人的自己の前提構造の不安定さに苛立っているからと解釈したほうがよいのではないか。自己の前提となる役割構造が崩壊してしまうときによく見られる日本的な態度、まるで振り子のように「ゼロか百か」に極端に振れる姿勢が、ここにもあらわれているのである。そもそも、利己主義と個人主義を混同すること自体、日本人が西欧的な意味での個人主義原理に向かっていない証拠である。
繰り返しになるが、若年層の行動を子細に見ていくと、自己の相対的位置づけに基づく内向きの思考メカニズムに、構造的な変化は認められない。一見、個人主義原理へ移行しつつあるように映る若年層の行動は、自己構造にいたる手前のプロセスにおける、二つの領域での変化と解釈すべきなのではないか。
ひとつは、従来に比べて若年層の共通文脈の設定領域が狭くなったことと、コミュニケーション・スキルとその方法が変化したことである。もうひとつは、若年層の社会行動規範の通念が、これまでに比べてかなり変化してきたことである。戦後の官僚が築き上げた「一億総中流の平等幻想」がバブル崩壊によって破綻し、「一億総よい子化」に息苦しさを感じる若者たちが出てきたことによって、社会通念が変化し、よい意味での階層化が進んでいる。息苦しくなくいられる、自分のアイデンティティとなるワーキング・クラスの形成である。けっして裕福でもない家庭の子供がニートの多くを占められるほど豊かな社会では当然かもしれない。最近は「下流社会」とか「格差社会」という言葉がはやっているが、階層化をすべて悪と捉えるのは、社会主義的官僚か、おせっかいな進歩的文化人であろう。
(小笠原泰『なんとなく、日本人』による)
|
| 66 | 65 | 64 | 63 | 62 | 61 | 60 | 59 | 58 | 57 | 56 | 55 | 54 | 53 | 52 | 51 | 50 | 49 | 48 | 47 | 46 | 45 | 44 | 43 | 42 | 41 | 40 | 39 | 38 | 37 | 36 | 35 | 34 | |
|
読解問題
nngi-09-4 問題1
問1 読解マラソン集9番「しかしマキャベリの」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 古代都市ギリシャでは、ポリスの運営に参加する能力を持たない人間は野蛮人と見なされた。
B 古代都市ローマのインペリウムの概念は、人間の自己実現としての政治参与である。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答1
nngi-09-4 問題2
問2 読解マラソン集9番「しかしマキャベリの」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A ギリシャでは、私的世界の自由というものに価値を認めなかった。
B 中世の普遍的権威が否定されたあと、近代ヨーロッパの政治理論家たちが用いたのはギリシャ哲学の概念と思考法だった。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答2
nngi-09-4 問題3
問3 読解マラソン集10番「歴史のプロセスとは」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 特定の文化の様式のもとでしか歴史を引き継ぐことができない以上、西欧的な意味で西欧近代をわがものとすることは不可能である。
B 近代の普遍主義の文明が平和的で、人々が共存できるというのは誤りである。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答3
nngi-09-4 問題4
問4 読解マラソン集10番「歴史のプロセスとは」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A ナショナリズムは、普遍主義に比べると、排他的で暴力的である。
B これからの時代の「ナショナルなもの」は、他者の存在があってこその自己意識、自己認識であるべきだ。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答4
nngi-09-4 問題5
問5 読解マラソン集11番「概念化された風景のなかで」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A まず、風景が概念化されると、それに伴って、身体が概念化される。
B 概念化された風景の中で、概念にとらわれない振る舞いをすることによってひとは自由になる。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答5
nngi-09-4 問題6
問6 読解マラソン集11番「概念化された風景のなかで」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 環境と身体との間の緊張関係は、自己が空間の意味に汲みつくされてしまうことによって生じる。
B これまで意味づけのなかった空間が概念化されることによって、身体の緊張がなくなる。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答6
nngi-09-4 問題7
問7 読解マラソン集12番「最近のローティーン以下の」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 日本の若者の利己主義化は、西欧的な個人主義化だといえる。
B 若者の間で使われる「ビミョー」という言葉は、一種の高文脈言葉である。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答7
nngi-09-4 問題8
問8 読解マラソン集12番「最近のローティーン以下の」を読んで次の問題に答えましょう。
○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 裕福な家庭でなければニートを養うことはできない。
B バブル崩壊後に階層化が進んだのは、若者の行動が個人主義へ移行したからだ。
1 A○ B○ 2 A○ B× 3 A× B○ 4 A× B×
解答8
正解は
、問1=4
、問2=2
、問3=1
、問4=3
、問5=2
、問6=4
、問7=3
、問8=4