KotobanomoriNo.755

 

言葉の森新聞

 

2002年4月2週号

文責 中根克明(森川林)

  カキ(小2)、ハギ(小6)の項目表にミスプリント

 カキ(小2相当)とハギ(小6相当)の項目表で、キーワードの抜けている項目がありました。

 カキの「声顔動作のようす」のキーワードは、「こえ かお 声 顔 ながら」です。使い方は、「お母さんは、「しまった。」と、笑いながら言いました」「お父さんは、「あったぞ。」と、はずんだ声で言いました」などです。

 ハギの「一般化の主題」のキーワードは、「人間」です。使い方は、例えば「私の家族」という題名で、「家族とは人間にとって……である」「人間は家族によって……」などです。

  住所ラベルが途中で切れている場合は交換します

 今学期にお送りした教材の中で、先生の住所ラベルが途中で切れているものがあったようです。

 そのようなラベルがあった場合は、新しいラベルを送りなおしますので、担当の先生又は本部までご連絡ください。電話0120−22−3987

  項目の説明「ダジャレ表現」

 小学4年生のころになると、子供の意識の中に、「どうせ書くなら面白いことを書こう」という気持ちが生まれてきます。子供に限らず人間にはだれにも、面白いもの、明るいもの、楽しいものを求める気持ちがありますが、小学4年生のころに特にそういう気持ちが顕著に現われてくるようです。このため、小学4年生のころの作文には、お母さんやお父さんや先生をちゃかす内容のものが増え、ときどき清書の内容でトラブルがあります。(笑)

 この、小学4年生のころから始まる「面白く書きたい」という気持ちを生かす表現課題として、ダジャレ表現があります。

 ダジャレは、たとえを書くときと同じように豊かな想像力を必要とします。たとえの得意な生徒は、ダジャレも得意です。そのため、時に、真面目な生徒の中に、作文はよく書けるがたとえだけが苦手という人がいます。たとえもダジャレも、いい意味でのいい加減さが必要です。しゃれ(洒落)とせずにダジャレ(駄洒落)としたのは、気軽に書いてもらうためです。

  項目の説明「ユーモア表現」

 面白さの範囲をダジャレよりも幅広く取ったものが、ユーモア表現です。ユーモア表現になると、書いている自分が楽しむと同時に、読む人にも喜んでもらいたいというサービス精神がより強く出てきます。

 文章には、価値ある内容が書かれているとともに、その内容が美しく表現されているという両方の面が必要です。その「美しさ」と同じ役割を果たすものが「笑い」です。

 ユーモア表現の書き方には、いくつかのヒントがあります。(1)オーバーに考える、(2)自分を笑う、(3)ダジャレを使う、などです。

 ユーモア表現のキーワードは「笑」「爆」です。書いた人がユーモアのつもりで書いていても、読んでいる先生にはどこがユーモアかわからないことがあります。(笑) 自分がユーモア表現のつもりで書いたところには、「(笑)」を入れておきましょう。ただし、これは大学入試の小論文では使えません。(爆)

  英語の長文の使い方

 中学生と高校生の長文に、英文の長文が8ページ入っています。この利用の仕方について説明します。

 作文力は、国語力を総合したものですが、更に、小論文となると、国語以外の幅広い分野の知識や教養を総合した力が必要になってきます。この幅広い知識や教養の中に理科・社会・英語の力も含まれます。

 ですから、感想文課題の一つとして、今後、英文を読んで書く練習もあるということです。

 今回は試験的な導入で日本語訳をつけずにそのまま載せましたが、今後は日本語訳をつけるようにしたいと思います。

 中学生の英語の長文は、国私立高校の受験問題のレベルで、高校生の長文は難関国立大学の受験問題のレベルです。いずれも3年生にならないと、単語力などの点で読み取るのに時間がかかると思います。

 中学1年生は、まだ読むこと自体が難しいでしょうから、「へーえ、将来、こういうのをやるんだ」と感心して眺めていればいいです。(笑)

 中学2・3年生は、お母さんかお父さんが一度読み方と文の意味を教えてあげて、あとは毎日音読していくといいと思います。1ページの読みと意味を説明するのに、10−15分かかります。

 やり方は、まずお母さんが一文を声に出して読み、次に子供が同じように読み、そのあとお母さんがその文の意味を簡単に教えるというかたちです。意味のよくわからない文は、そのまま理解を保留して読んでいけばいいです。担当の先生は必ずしも英語の専門家ではありませんから、文法的によくわからないところは、担当の先生にではなく本部に直接ご質問ください。

 高校生の場合は、自分で単語の意味を調べながら、毎日音読していくといいです。

 いずれも英文が長いので、日本語の長文のように毎日別のものを1ページずつというわけにはいかないかもしれません。そういう場合は、同じものを繰り返して読んでもいいですし、二分の一や四分の一ずつに区切って読んでいってもいいです。

 英語の力には、(1)単語力(2)文法力(3)速読力(4)作文力(5)聞き取り力(6)内容読解力の六つがあると思います。

 このうち、速読力は主に多読によって身につきます。長文の復読は、作文力と内容読解力に主に関連しています。

 ですから、英語の長文も、日本語の長文と同じように、毎日音読をして、将来の英作文力の基礎を作ると同時に、内容を読解して感想文の準備をしておくということで取り組んでいってください。

 一般に、日本の中学生の英語の教科書は、長文が少なすぎるようです。特に最近は、会話重視ということで、短い文が増えています。日本語でもそうですが、「これ、なに?」「あ、そう」などという会話がたくさんある文章は、たとえ内容が面白くても、読む力はつきません。読解力をつけるためには、一つひとつの文がある程度の長さと複雑さを持っていることが必要です。そのためには、英語の論説文を読む機会をもっと増やす必要があります。言葉の森の英語長文はこの機会として活用していくといいと思います。

  ゆとり教育についてのメール

 言葉の森オンラインマガジンの読者の方から、ゆとり教育についてメールをいただきました。許可を得て掲載させていただくことにしました。

 NHKのBS放送で「海外の子育て」のようなタイトルの番組が放送されていたので見ていました。その中でコメンテイターの一人(日本人)がこんなことを言っておられました。

 ”受験戦争”という言葉が生まれた当時、「高校入試や大学入試が子供たちにとって大きなストレスになっており、このストレスが子供たちの問題行動の原因になっている」という認識が芽生えた。その認識自体は正しい。しかし、その対策として「中高一貫教育の学校に入学させることで高校受験を受けさせないようにする」とか「大学受験の受験科目数を減らす」というような”受験ストレスを軽減させる”方向で対応しようとしたのが日本の親たちや教育界の誤りである。

 高度経済成長以降日本は豊かに便利になり、それに伴って生活の自由度が高まった。冷蔵庫、電子炊飯器、冷凍食品、電子レンジ、コンビニなどの発達によって、時間に束縛されずに家族の誰もが自分の好きな時間に自由に好きなものを食べることができるようになった。自由を手に入れたということは即ち”ストレスを感じる機会が減った”ということに他ならない。

 昔の子供は”お母さんに作ってもらう”以外に食事をする手段がなかった。だから食事は決まった時間に食べるしかなかったのである。つまりその当時の子供は今の子供よりも多くのストレスを感じていた(平たく言えば”我慢していた”)わけである。

 ”受験”が子供にとって”大きなストレス”となってきたのは、”受験のストレスそのもの”が大きくなったのではなく、子供が家庭内で経験するストレスの量が少なくなってきたことによって相対的に大きく感じられるようになってきたというのが本当のところなのである。小さなストレスを経験しないままに受験年齢に達して「いきなり大きなストレスを経験する」からストレスに耐えられないのであって、日頃から小さなストレス(我慢)を経験させてストレスに対する耐性をつけてあげれば受験のストレスも比較的スムーズに乗り越えられる。

 したがって子供たちの”受験のストレス”を軽減させるために親がやるべきことは

  「親子で約束事(ルール)を決めてそれを守らせる」

 ことである。例えば「ジュースは1日1杯しか飲んではいけない」というルールを決めて子供に守らせる。そういったことが大事なのである。

 ”受験のハードルを低くする”ことによって受験ストレスを軽減させることは単なる”問題の先送り”(不良債権処理を先延ばしにするのと同じ)であって、根本的な問題の解決にはならない。

 「ゆとり教育」によっては子供に心のゆとりは増やせない。

 私も当時から「受験する科目数が減っても受験のストレスは減らないと思うけどなぁ」と思っていましたが、じゃあどうすれば受験ストレスを減らせるのか答えが見つからないまま今日まで悶々としてきました。しかし、この解説を聞いてすっきりしました。

 「子供のストレス」については、もちろんこれだけではなく「子供のほめ方のうまい大人が減った」など他にも原因が考えられますが、この「自由がストレスを増大させる」という話には納得させられました。

 今ますます少子化が進み、お兄ちゃんにいじめられもせず、弟の面倒を見る必要もなく、買いたいゲームはおじいちゃんがほいほい買ってくれて、携帯電話を持たされれば自分の部屋から好きな時間に電話もできて....。どんどん自由を与えられて子供たちは「どんどんストレスに弱い」人間に育つように世の中(と言うか親たち)が変わってきてしまっていると言えます。

 不謹慎かもしれませんが、このデフレ不況がもう少し長引いて「買いたいものが買えない」つらい時代がもうしばらく続いた方が、子供たちの未来のためには良いのかもしれませんね。

(3月4週号に関連記事)

  光る表現(幼長−社) 2002年4月2週号

●航さん(いのも/小2)の作文より(メグ先生/4.1週)

 きんようび、おとうさんは、おこった。まるできつねのかおのようだった。(中略)おとうさんは、まだおこっている。おねえちゃんは、おふろにうずくまっている。たいへんだー。【評】ただならぬふんいきがつたわってきます。

●充さん(いさせ/小3)の作文より(スズラン先生/3.3週)

 ぼくは、うそをついていなくてもごかいされてうそつきにされるのはいやだなと思います。:評:誤解されてうそつきにされてしまったらくやしいよね。物語を読みながら自分の気持ちが書けましたね。

●充さん(いさせ/小3)の作文より(スズラン先生/4.1週)

 きょうは、れんこんのきんぴらを作りました。お母さんがれんこんを大きめにきったのを、ぼくが、ほうちょうで一口サイズに切ります。それからめんぼうでかるくたたきます。・・略・・れんこんをごまあぶらでいためて、しおは多めとみりん少なめであじをつけて、さいごにごまをふります。:評:おいしいれんこんのきんぴらのできあがり! 大成功でしたね。

●真章さん(ありる/小4)の作文より(スズラン先生/3.2週)

 「あの光っているもの、なにかな? 」サッカーの帰りに、白い、光っているような、光っていないようなものを見つけました。ちかくまで行ってみると、それは、モクレンの花でした。街灯の光に当たって、光っているように見えたのです。・・略・・春が来たと、今日、ちゃんと分かりました。:評:大きなモクレンの花が開くと、本当に、春が来たと思いますね。今年は特に、つぼみから一気に咲いたような気がしました。

●真章さん(ありる/小4)の作文より(スズラン先生/3.3週)

 ぼくも、けがをして、少し不安だったことがあります。左ひじを骨折して、ギブスをはめるときです。・・略・・グランシェール医師が、もっとも強い毒性のウイルスを接種するときは、この不安の何倍もの不安だったと思います。その不安をのりこえて、思い切って接種したグランシェール医師はすごい人だなと思います。:評:研究をしていたとはいえ、不安だっただろうなぁという気持ちを考えながら読んだことがわかりますね。それにしても、初めてのギブスは大変でしたね。

●春まきくんさん(いせね/小4)の作文より(メグ先生/4.1週)

 ピンポンダッシュを終えるとすぐにちゅう車場のしげみにかくれた。そしてこれは毎日つづいた。まるでれんぞくぎん行ごうとうのように。【評】ちょっとこわいけれど、上手なたとえですね。

●マーヤさん(いちこ/小4)の作文より(ゆり先生/4.1週)

 エプロンとバンダナすがたの二人きょうだいでやったそうじは、うまくいきました。【評:”おそうじファッション”もバッチリ決めて、二人でがんばったんだね。】

●スマイリーさん(いのめ/小4)の作文より(メグ先生/4.1週)

 私は、あまりいたずらをしません。どうしてかというと、いたずらをしても、いいことはないからです。いたずらは、友達が困っているのを見るだけなので嫌いです。でも、少し前は友達と一緒にふざけてやっていました。たぶん、いたずらの悪さや悲しさが分からなかったのだと思います。【評】スマイリーさんの優しさが伝わってくる文章です。

●裕介さん(いまお/小4)の作文より(かすみ先生/3.3週)

 「糸のようなもので卵と卵がくっついてるぞ」と、きづいた時に、(なんで、糸のような物でくっついているんだ?)と、思った。まるでいくらのようだった。▲たとえの表現を上手に使っていて、面白い(良い)文章になりましたね。

●ひつじさん(あらる/小5)の作文より(メグ先生/4.1週)

 春は、楽しいことや面白いことだけではなく、先生が行ってしまうことがさびしいということが分かった。今は、もう桜が葉桜になっている。【評】効果的な情景の結びです。

●きのこさん(いすこ/小5)の作文より(ゆうこ先生/3.3週)

 銀河アリーナは十一月から五月の始めまで、スケートをやっていて、五月から十月まではプールに変わります。美晴ちゃん達とスケートに行ったのは、二月に続いて二回目です。【講評】銀河アリーナの紹介がとても上手ですね!そして「二月に……」は美しい表現ですね☆

●きのこさん(いすこ/小5)の作文より(ゆうこ先生/4.1週)

 ほかに好きなのは三十円のみずあめ、コーラあじのかき氷、太いフランクフルトです。食べ物だけでは面白くありません。ぼんおどりの音楽がなければふつうのお祭り(どんど焼き・さくらまつりなど)とかわりません。だからぼんおどりは欠かせません。【講評】気分はもう夏!夏のお楽しみが満載(まんさい)のバラエティ豊かな作品になりましたo(^▽^)o

●ミニまろさん(いそれ/小5)の作文より(けいこ先生/4.1週)

 「ああーっ!」私は声を張り上げました。なんと机をこすっていたティッシュが、水を含みすぎて、ボロボロになってしまったのです。ゆかにボロボロ落ちながら(私達は水を含むと、ダメなのォー!)と泣きさけんでいる姿は、枯れ散っている白バラのようでした……。 評:たとえがばつぐんに楽しい。水を含んでいるティッシュは、確かに涙に濡れているみたいだね。「枯れ散っている……」もうまい!

●博美さん(あちは/小6)の作文より(メグ先生/4.1週)

 「天は自ら助くる者を助く」ということざもあるように、人間にとって目標とは、みずからきりひらいていくものです。【評】ことわざを引用しての結びの一文。見事に決まりました。

●あずささん(ありな/小6)の作文より(スズラン先生/3.2週)

 「人間は考える葦である」ということわざのように「創造」は人間だけができることである。・・略・・ノーベル賞のある受賞者が「常に何か新しいこと、ほかと違うことを見つけようとする姿勢が重要」と述べていた。私も好奇心を常に持っていたいと思う。:評:新聞記事の中から、長文に活用できる言葉を見つけていたのはとても良いことですね。この言葉は、私達が持ち続けたい大切な気持ちを表していますね。

 

●あずささん(ありな/小6)の作文より(スズラン先生/3.4週)

 母と弟が病院から帰ってきた。すると、やはり骨折だったらしく、左腕にギブスをはめていた。私は見てびっくりした。カチコチに固まっているのだから。・・略・・弟の腕は今、電信柱のように固い。:評:ギブスをつけることになってしまった弟さんの腕のようすがとてもよくわかる表現ですね。不自由そうですね。手助けしてあげてくださいね。

●まもるさん(いそき/小6)の作文より(ゆり先生/3.3週)

 博物館では、ぼくたちは今年六年になるから歴史の勉強をするためにきたんだと思いました。ぼくは、歴史のことは、なにもしりませんでした。でも今は、少しだけでも分かりました。【評:歴史博物館に行った目的がわかりやすく書けていますね。歴史のことを知るのはおもしろいよね!】

●桃花さん(いてら/小6)の作文より(ぴのこ先生/3.4週)

 小きざみにゆれて地面に落ちた花びらは、笑顔をみせている様だった。この桜の花びらのように、頑張って最高学年を務めようと思う。【評】六年生になっても頑張ってね!!

●アトムさん(いねら/小6)の作文より(けいこ先生/3.4週)

 (給食レ)カレーが出ると、みんなすごく早く食べ終わってしまいます。ルーだけおかわりをする人もたくさんいます。まるで早食い選手みたいです。 評:大人気のカレー……人よりもたくさん食べたい! それでみんな早く食べているのね。「早食い選手」というたとえが楽しい。

●拓馬さん(いはの/小6)の作文より(メグ先生/4.1週)

 「初心忘るべからず」ということわざのように、人間にとって、最初に思ったことを忘れないで、もっと考えてみることが大切だと思った。【評】初めに思ったことを忘れることなく、しかもその考えをさらに深めていくことができれば一番ですね。

●菫さん(いみさ/小6)の作文より(ふじのみや先生/3.4週)

 (バドミントンの)羽が、まるで月と太陽のように飛んでいきました。 【評】行ったり来たりする羽を、スケールの大きな「たとえ」にできたね。

●穂香さん(すよ/小6)の作文より(ゆうこ先生/3.3週)

 けれど、その科学が私たちの身近な観察で一歩一歩発展していっているなんて、なんだか偉い人になった気分だ。けれど、ジョージ・ダーウィンがあれほど詳しくした仮説も後に却下されてしまうのはとても厳しい。

●シュシュさん(あさつ/中1)の作文より(メグ先生/3.3週)

 最近の地球(日本)ではどんどん便利で楽な方へ楽な方へといっているが、少し立ち止まって今までを振り返り、本当にこれでいいのか、このままいったら未来はどうなるかを考えることを忘れてはいけないと思った。こうして近所のことや今の地球を見てみると、車が道路をきしませる音が地球の悲鳴に聞こえてきた。【評】「地球の悲鳴」という表現が読む人の心にずしりと重く響きます。

●けろっぴさん(あちえ/中1)の作文より(さかな先生/3.3週)

 土の道は、人間にやわらぎを与えてくれるのである。それがないから、この頃は、人間のトラブルがおきているのではないだろうか?★評:確かに、山道など土の道を歩くと、行き交う人が自然に挨拶したりするものね。

●田鳥倉部さん(あゆと/中1)の作文より(メグ先生/4.1週)

 あだ名を作ったり、あだ名で呼んだりすることによって、コミュニケーションがとれる気がする。(中略)あだ名というのは、自分と他人のコミュニケーションをとる呼び名という風に考えられる。【評】あだ名でよび合うことによって親しみがわくね。

●ニャースさん(いくき/中1)の作文より(みち先生/3.4週)

 お医者さんはニヤリとした顔をしていました。《評》顔のようすが詳しく書け、読む人にスムーズに入ってゆきます。よく観察をしたことがしっかり書けたね。

●ゴマキさん(いぬふ/中1)の作文より(スピカ先生/3.3週)

 夏には、その道にシートをしいて、花火大会を見ることもできる。その花火は、私にとって日本一だ! その道に、虫たちもよってきて、いっしょに花火を見れる気分になった。 評:お気に入りの「道」で花火を見た思い出。すばらしい花火だったことがわかります。虫たちといっしょに花火見物、というところにゴマキさんのやさしく豊かな感性が表れています。

●たごさくさん(あによ/中2)の作文より(ゆうこ先生/3.3週)

 確かに、「出る杭は打たれる」という日本独特の慣用句があるのだからしかたがないかもしれないが、「百里の道も一歩から」という気持ちでトライするのも大切なのだろう。【講評】二つの意見にぴったりの短文をうまく活用してくれました。

●ほり内さん(ぬり/中3)の作文より(メグ先生/4.1週)

 僕はごみをリサイクルするように、人間のいい面を見つけられるよう生きたいと思う。【評】ごみ問題をうまく生き方につなげることができたね。

●惣さん(やき/中3)の作文より(クマのプーさん先生/3.3週)

 僕は、物を買う時、(これは、本当に僕に必要かな。)と考えて買うようにしたいと思う。【評】物との付き合い方の原点ですね。こうして出会った物は、それぞれ意味をもってきますから、長く使う物と新しい物に切り替えていく物の区別もきちんとつきそうです。

●モチさん(えや/高3)の作文より(メグ先生/4.1週)

 人間に大切なのは「機械を使いこなせる能力ではなく、人間同士の会話を使いこなせる能力」である。【評】機械と向き合うことよりも他人と向き合うことの方がずっと大切ですね。

 

 

 

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