KotobanomoriNo.759

 

言葉の森新聞

 

2002年5月2週号

http://www.mori7.com/ 文責 中根克明(森川林) nane@mori7.com

  子供の質問にどう答えるか

 「父母の広場」での質問から

 ホームページの「父母の広場」に質問がありましたので、ご紹介します。

 言葉の森に出会って2ヵ月がたとうとしています。赤ちゃんの時から絵本が好きで、これまでにもたくさんの絵本を与えてきてはいたのですが、言葉の森を始めてから、おかげさまで挿絵の少ない本や漢字が時々でてくる本でも気にせずに読むようになり、まだ難しいから・・・と与えていなかった本でも何度も読み返して楽しんだり、自分の世界がどんどん広がっているようでその変化には驚かされるばかりです。

 ところで、これまで読んでいた本では、わからない言葉などあまりなかったのが、少し難しい本も読むようになったので最近「これどういう意味?」とよく質問するようになりました。ところが、たとえば『気味が悪い』という言葉ひとつにしても幼稚園児に説明するのはとても大変で、これは子供向けそれも低学年向けの国語辞典でも使ったほうがいいのかと本屋さんの店頭のものをいくつかみては見ましたが、なかなかこれといったものが見つかりませんでした。このようなとき、どのように対応したらいいのでしょうか?また子ども向きの国語辞典などでいいものがありましたら教えてください。

 子供から言葉の意味について質問があったときは、その質問を生かして、お母さんやお父さんがオリジナルな説明をできるだけ長い文でしてあげるチャンスです。

 長い文というのは、「それは、こういうことよ」という簡単な説明ではなく、「それは、○○のときに、○○が○○になると、○○だから、○○というのよ」というような説明です。長い文を聞きなれていると、理解力が深まります。

 学校の授業で先生が少し複雑な説明をすると、すぐに「先生、もう一回言って」と聞く子がいます。日常会話で複雑な話のやりとりをしていると、そういうことがなくなります。

 子供からの質問に答える場合に大事なことは、質問に答えることを、お母さんやお父さんが楽しむということです。子供にとっては、わからないことがわかり、お母さんと楽しい交流ができ、お母さんにとっては、子供の質問に合わせて当意即妙の答えをする練習ができ、また子供と話題を共有でき、一度の質問で一石四鳥ぐらいの効果があります。

 ですから、子供に辞書を引かせて調べさせるというのは、高学年になるまではしなくてもいいと思います。

 また、辞書を使うときでも、お母さんが一緒に辞書を引いて、「なるほど、こういう意味なんだ。そう言えば……」と話を発展させていくと更にいい勉強になると思います。

  養生訓・和俗童子訓の世界

 貝原益軒の「養生訓」「和俗童子訓」は、多くの人が名前だけ知っています(笑)。その多くの人のイメージは、江戸時代のおじいさんが当時の限られた知識の中で書いた非科学的な健康法・教育法の書物ということだと思います。

 こういうイメージが定着したひとつの要因は、福沢諭吉の批判にあります。福沢諭吉(1836−1901)が少年時代に受けた教育は、貝原益軒(1630−1714)の提唱した教育論に基づいたものでした。しかし、諭吉の原点は、「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」というように、それまでの不自由な身分制社会に対する批判を軸として形成されたものでした。貝原益軒の教育論についても、その批判の矛先は向けられ、「和俗童子訓」の中でも特に江戸時代の制約をもって書かれていた女子教育論に対する批判を情熱を込めて展開しました。そのため、当時の時代風潮もあって、貝原益軒は、時代後れの思想家と見なされるようになりました。この風潮が現代まで続いているのです。

 ところが、貝原益軒らの江戸時代の教育法が福沢諭吉など明治時代を形づくる人材を生み出したのに対して、明治時代の教育法が生み出したものは何だったでしょうか。おおまかに言えば、大正から昭和に続くスケールの小さい人材しか生み出さなかったのです。

 今、あちこちに制度疲労の見える現代の教育を立て直すときに必要な視点は、現代を生み出した、明治・大正・昭和時代の教育論を批判的に再検討することです。それは、明治時代が否定した江戸時代の教育論を批判的に再評価することだと言ってもいいでしょう。

 江戸時代の後期、日本は世界で最も識字率の高い穏和で清潔な社会を形成していました。当時のヨーロッパが進んでいたように思えるのは、単に早めに産業革命と資本主義が成功していたからであって、文化的な総合力では日本は欧米と同じかそれ以上のレベルにありました。それが明治時代の短期間の欧米キャッチアップを可能にしたのです。

 後れた中世の封建社会と切り捨てられていた江戸時代の進歩的な側面を再評価することが、これから、未来の教育を考える際に必要なことだと思います。

  「本当の学力をつける本」発行

 以前から、何度か言葉の森新聞でも取り上げていた、兵庫県朝来町立山口小学校の実践が本になりました。

「本当の学力をつける本」(陰山英男著・文芸春秋)。そのままの題名です(笑)。

 私が最初にこの小学校の実践を知ったのは、インターネットの検索からでした。「見える学力見えない学力」に関する資料を探していて偶然、山口小学校のホームページに行き当たりました。その後、購読しているメールマガジン「Japan On the Globe」でも、この小学校と陰山氏の活動が紹介されていたので、多くの人が日本の子供たちの学力に関心を持っているのだと思いました。

 文部科学省の低学力化政策にも関わらず、真の学力向上を求める運動は急速に広がる動きを見せています。その支えとなっているものがインターネットの普及であることは言うまでもありません。テレビの普及が西側の情報の自由な流入を促したために、ソ連の官僚独裁体制の崩壊は早まりました。インターネットは、テレビよりもはるかに膨大なチャンネル数で情報の自由な流通を可能にしています。今後、民意に反した政策は次々と修正されていくでしょう。

 今、私の周囲で、ゆとり教育に賛成している人はほとんどいません。周囲の幅が狭いのかもしれませんが。(^^ゞゆとり教育の趣旨に賛同している善意の人の多くは、マスコミによって流される受験の低年齢化の弊害だけが目についているようです。子供たちの実態は、二重です。一方で受験の低年齢化が進行し、他方で小学生から大学生までの広範な学力低下が進行しています。小学生の学力低下の主因は少なすぎる基礎学習と多すぎる行事です。中学生の学力低下の主因は部活動のし過ぎです。高校生・大学生の学力低下の主因は、受験科目数の削減です。

 多くの人がこの本を読んで、身近な家庭や学校から、まず周囲の子供たちの学力低下に歯止めをかけていってほしいと思います。

  あらかじめの教育(その1)

 貝原益軒は「和俗童子訓」の中で「予(あらかじ)めす」をいうことを教育の要諦としています。私は、それを、「ものごとが始まる前に方向性を作っておくこと」というふうに解釈しています。

 例えば、小学生や中学生のころの勉強は概して退屈で苦痛の多いものです。しかし、高校生になると次第に勉強が面白くなってきます。それは、勉強そのものが人間の持って生まれた知識欲や向上心を活性化する力を持っているからです。この、自分自身を向上させたいという意欲は人間の持つ欲望の中できわめて大きなものですが、現代ではこのことが正しく評価されているとは言えません。逆に、人間はもともと怠け者で、できるだけ勉強や仕事をさぼりたがっているという一面的な人間観が支配的です。子供が小学生で、まだ親の言うことを素直に聞くうちにどういう勉強観を伝えておくかということが、高校生以降の勉強に対する姿勢を形づくります。

 小学生のうちに、「今は勉強は退屈かもしれないけど、ここで基礎をしっかり作っておくと高校生になってから勉強が楽しくなるよ」と教えるのと、「今は勉強は退屈かもしれないけど、ここで我慢して合格すればエスカレーターで大学まで行けるのだから」と教えるのとでは、高校生以降の勉強姿勢がかなり違ってきます。更に、「勉強をするのは、学力をつけて社会に貢献するため」と教えるのと「勉強するのは、学歴をつけて楽な生活をするため」と教えるのとでは、社会に出てからの仕事の仕方も大きく違ってくるはずです。

 学ぶということは、本来自分自身がするものですが、この「予めす」だけは自分自身ではできません。ここに、先に生まれた者の果たす役割があります。先生とは、子供よりも多くの知識を持っているから先生なのではなく、先に生まれた者としての予測ができるからこそ先生なのです。

 例えば、文字を書き始めてからきれいな文字の書き方を教えてもなかなかじょうずに書けるようにはなりません。タバコを吸い始めてから禁煙の必要性を説いてもあまり効果はありません。いじめが発生してからいじめのよくないことを教えてもいじめの根絶には多くの時間がかかります。すべて、そうなる前に教えておけば、教えられるという意識もなく定着したことが、そうなってから教えようとすると、教える方も教わる方も大きな苦労を背負い込むことになるのです。その点で、「本当の学力をつける本」に書かれている勉強の仕方などは、できるだけ低学年のころから実行していく必要があります。

 受験生の場合を考えてみると、受験生本人は志望校に合格することを当面の目標としていますが、周囲の大人は、そのあとのことまでを視野に入れておく必要があります。これまでの社会では、いい学校に入ればそれで一段落という感じを親も子も持っているところがありましたが、これからの社会では、そういうことは言えません。人生の大きな目標は、どのような仕事をするかということにあります。学生時代はそのためのひとつのステップでしかありません。

 そして、将来の仕事というものを考えた場合、これからの社会で大事なことは、「チャンスがあればベンチャーを目指す」ということです。

 子供の目は、受験する中学や高校や大学に向けられています。しかし、大人は、学校そのものを目標にするのではなく、人生の目標は仕事にありその仕事をする準備として学校があるのだということをあらかじめ何度も子供たちに伝えておく必要があります。

 しかも、その仕事の内容が「チャンスがあればベンチャーを目指す」ですから、勉強の内容もそこから自ずから定まってきます。ときどき「受験に関係ある科目だけ勉強をする」という子供がいますが、将来の仕事を考えれば、多くの勉強は受験に関係がなくてもしていく価値があるものです。(つづく)

 

  光る表現(幼長−小4) 2002年5月2週号

●まりりんさん(いほけ/幼長)の作文より(かすみ先生/4.3週)

 もしわたしがちいさいおうちだったらにんげんをみんなまちからおいだします。▲(評)せんせいもマリリンさんにさんせい! ひょっとして、せんせいのおうちもひめいをあげているかな? 「おねがいだから、おおきなからだではしりまわらないで。いたいじゃないの!」ってね。だいじにしなければね。

●ひよこさん(いにへ/小1)の作文より(けいこ先生/4.2週)

 (入学)式が終わり外に出てみると、朝、くらかった空がうそのように晴れ、うららかな春のようきがもどっていました。青いすんだ空をながめていると、まるで、今の私の心をあらわしているようで、「よぉし、これからはりきって、この湯田小でがんばるぞ。」という気持ちがみなぎってきました。気がつくと、朝の不安な気持ちはすっかりとおちつき、私の顔にも笑顔がひろがっていました。 評:空のようすと、自分の気持ちをうまくかさねてせつめいできた。これから楽しく学校に通えそうだね!

●耀子さん(いむか/小1)の作文より(メグ先生/4.3週)

 ぶらんこがおそらにあがていくようにかんじました。ぶらんこがうえまであがったらこわいです。【評】そのままふわりと空をとべたらすてきですね。でも、ちょっとこわいかな?

●ルギアさん(いそは/小2)の作文より(メグ先生/4.3週)

 おばさんたちが、「わたしのかたにとびのったのよ。」と、ざわざわいっていたから、なにかなとおもって、またもどっていってみると、チンパンジーぐらいの大きな体のさるが出ました。だからぼくは、口を大きくあけて、ぼうっと見ていました。【評】学校からの帰り道に、さるにあえるなんてめったにないことですね。(笑)ルギアくんのおどろいた表情が目にうかびます。

●みのちゃんさん(いぬほ/小2)の作文より(きりこ先生/4.3週)

 ポップコーンは、けしごむのはんぶんくらいの大きさでした。<けしごむのはんぶんくらいという表現がとてもいいね。>

●カムイさん(いぬや/小2)の作文より(ポプリ先生/4.3週)

 なんとしても、パキケファロサウルスが大すきです。どうしてすきかというと、あたまがかたいからです。いっしょにけんかしてみたいです。ぼくは、かがくはくぶつかんの恐竜たちと一どでいいからあそんでみたいなあとおもっています。評:ほんとうに恐竜とけんかしたりあそんだりできたらいいなあ。

●綾子さん(いみけ/小2)の作文より(メグ先生/4.3週)

 とてもいたくて一つぶなみだをながしました。かわいたすなになみだがすいこまれました。【評】2年生とは思えないすばらしい表現です。

●航さん(いかほ/小3)の作文より(ポプリ先生/4.3週)

 プラスチックのカップにホウ砂を水でとかして、下にホウ砂がとけのこるくらいにしました。これを「飽和水溶液」と言います。その中に、ラメをいれました。色は青とぎん色をいれました。まるで、オーロラのようにかがやきだしました。評:先生も見てみたいです。たとえがじょうずですね。

●慧人さん(いそゆ/小3)の作文より(ゆうこ先生/4.2週)

 黒船ばしにむかったら左にともだちの家があります。そこは、いっけんやだけど五かいだてなのでまるでマンションのように思いました。黒船ばしをわたると、ぼくの学校が見えます。【講評】学校までの道を実況中継(じっきょうちゅうけい)!!ことばのえらび方もとてもていねいですね♪

●すいみいさん(いつり/小3)の作文より(けいこ先生/4.1週)

 でももうサンちゃんは、いつものケージの中にいない。 評:病気で死んでしまった、ハムスターのサンちゃん。空っぽのケージが、さびしさをつのらせてしまうね。

●ひまわりさん(いにこ/小3)の作文より(けいこ先生/4.3週)

 もしわたしがたねだったら、おじいちゃまとおばあちゃまの家のおにわでゆっくりたくさんの花をさかせたいです。もしつよい風がふいたら、たんぽぽのたねになったわたしは、気をうしなって、ぜんぜん知らない場所で目をさますかもしれません。……お母さんは、たんぽぽのたねのように、風にのって南の島でかわいい花をさかせたいと言っていました。 たんぽぽはどんな気分でたびをしているのかな? もし自分だったら……と楽しくそうぞうできたね。

●ミニリュウさん(いにと/小3)の作文より(ぴのこ先生/4.3週)

 たんぽぽは、まっすぐまっすぐ少しずつとんでいったようでした。【評】ビューンと勢いよくはとんでいかないけれど、まっすぐまっすぐ空をめざしてとんでいくようすがうまくかけているね!

●ビョークさん(いぬも/小3)の作文より(ポプリ先生/4.2週)

 わたしはどうぶつ園に行きたくて、行きたくて、どうしてもがまんできませんでした。上野につくと、わたしは、もうどうぶつ園に行きたくてたまらないので、走っていきました。そして、門の前でピョンピョンうさぎみたいにはねました。評:とてもいいたとえです。まるで、ということばを入れるとますますいいですよ。やってみようね。

 

●ひよこさん(いひな/小3)の作文より(はるな先生/4.3週)

 私はふと、先先週の木曜日に、友達の南美ちゃんとももこちゃんといっしょに、アリのために巣を掘ったことを思い出しました。公園の木がいっぱい生えている所です。そのとき、ハトのえさがお菓子だったので、お菓子を6個ぐらい持って、アリの巣のほうへ行き、まず私たちが作った巣の中にアリたちがいることを確認し、巣の周りにお菓子を少しバラバラにしておきました。アリがちゃんと食べてくれるかどうか、、実験してみようと思ったのです。それから、もとの遊具の所に戻り、砂場でしばらく遊びました。そして、さっきのアリの巣のお菓子を見てみると——「わぁっ!」と言ってしまいました。なぜかというと、私が置いたお菓子のうえに、小さいアリばかりですが、そのアリがわんさか集まって、なにかしていたのです。「太郎っ!ほら、すごいでしょう!ありさんたちがたくさんいるね!」私がいうと、太郎は「うん!アリさん、いっぱい!!」と可愛らしい声でかけより、言いました。太郎が「パパ!」といって、お父さんを呼びました。太郎は、目をキラキラさせて、アリをじっと見ていました。私も、「仲良く食べてるなー。」と思いながら見ていました。ですから、帰る時、お父さんが、「葵、太郎、もう寒くなってきたから帰ろう。」と言ったけれど、私は「やだ。」と言い、「太郎、帰ろう。」とおとうさんがいっても、太郎は「やだ。」と私のように言っていました。けれども、うすぐらくなってきたので、しぶしぶ帰ることにしました。「アリさん、また来るからね」と心の中で呼びかけながら・・・・・・・・・。(講評);お菓子で上手にたくさんのアリを、おびきよせられて、感動しながらながめている二人の姿が、短い会話のやりとりから、強く伝わってきました。帰る時間がきても、まだ、その場を立ち去りがたくて、名残惜しそうにアリさんとお話ししているあなたのようすが、情感たっぷりに、書きあらわせています。このような作文のむすびのくふうが、とてもすてきで、印象的でした。"☆" "☆" "☆"

●はっしーさん(いむあ/小3)の作文より(メグ先生/4.3週)

 もしぼくがたんぽぽのわた毛だったら、風にのって世界一周したいです。そしてピサのしゃとうを見てみたいです。【評】想像したことをくわしく書くことができたね。

●ミニパンダさん(あもろ/小4)の作文より(ポプリ先生/4.2週)

 最初見学に行った時に、しんぞうが、「ドキドキ!」となりました。「どうしたんだろう?」心の中で。言いました。とってもドキドキしているしんぞうをおさえて、「おかあさん、今日は、ただ見るだけだよね。」とおかあさんにいうと、「そうだよ。」というのでほっとしました。評:しんぞうがはちきれそうなようすがよくわかります。うまく書いたね。

●真章さん(ありる/小4)の作文より(スズラン先生/4.2週)

 (ごま団子を食べて)ついに、団子が(灰のようなものの中から)出てきました。・・略・・そして、灰のようなものがなんだか分かりました。ゴマをすりつぶしたものに、さとうをまぜているものです。ものすごくおいしくてびっくりしました。おいしくて、しゃべることができませんでした。・・略・・団子のくしが五本、おいてありました。五万こ(ごまんこ)食べたような気持ちでした。:評:よくすりつぶした甘いごまのお団子は本当においしそう! 五万個のごまのつぶつぶがあったのかも、、、、、と思ってしまいそうなシャレが楽しいですね。

●ナオさん(あわも/小4)の作文より(スズラン先生/4.3週)

 お母さんも、ぼくと弟が昼寝をしていたので、おこしに行ったとき、お母さんもいっしょに寝てしまったことがあるそうです。:評:気持ち良さそうな寝顔を見ているうちに、ミイラ取りが、、、、という場面ですね。ほほえましいですね。

●ユータンさん(いくい/小4)の作文より(ポプリ先生/4.2週)

 「おいしい!」私は、口の中にカレーを入れながら、さけんでしまいました。その黒カレーは、しおの味がきいていて、少ししょっぱく、色にくらべて、味はとてもよかったです。とてもびっくりしました。作っている時、つまりついさっきまでは「きもちわるーい。」と思っていたのですから。私は一番おいしいっと思ったのは、何と言ってもやっぱり黒カレーでした。でも一番人気のないのも黒カレーでした。評:一番の使い方、じょうずですよ。味が想像できます。ありがとう。

●瑞さん(いみち/小4)の作文より(ゆえ先生/4.3週)

 たくさん作ったので、おなかがいっぱいになってしまいました。◆評◆自分たちで作ったお料理は、おいしくて、つい、たくさん作ってしまいますよね。お父さんやお母さんも、おいしいって言ってましたか?先生も食べたいなあ・・・。

  光る表現(小5−社) 2002年5月2週号

●みゆさん(あはみ/小5)の作文より(めもま先生/4.3週)

 (しょうぎで)負けてくやしかった。そして、5年生になって決勝せんで勝ちたいと思って、5年生もそうしました。ところが、一番つよい人が、ちがうクラブに入っていたので残念でした。【評】本当に正々堂々と勝負したかったという原君の気持ちがうまく表現できていてステキです。

●秀雄さん(あろう/小5)の作文より(ゆうこ先生/4.2週)

 やっぱり犬でも赤ちゃんは赤ちゃんなんだ。しかも、寝るとき、レモンちゃんやはるちゃんとのりあいながら寝ていたのがおもしろかった。見えているのかなあ?それとも見えていないのかなあ?【講評】人間の赤ちゃんもきちんと目が見えているようです。きっと犬の赤ちゃんも秀雄くんのことを見ていたんだろうね!

●みかんさん(いこい/小5)の作文より(ももんが先生/4.3週)

 大きくも小さくもないくずかごの中には、ティッシュがふわふわと、まるで山のように入っていた。なぜそんなに入っているかというと、私はアレルギー性鼻炎で、鼻水がよく出るのでティッシュでよく鼻をかむからだ。次に和室のくずかごを見た。このくずかごにも、ティッシュがたくさん入っていた。その次に洗面所のくずかごを見た。このくずかごにも、たくさんのティッシュが入っていた。このことから、私の鼻炎のひどさがわかった。【評】くずかごのようすを豊かに表現しています。また、次々と中身を分析し、新しい気付きもありました。「○○のことから、××がわかった」と、このようにしっかり書くのは、とてもいいですね。((^o^)鼻炎が早く治りますように〜!)

●アミーゴさん(いそと/小5)の作文より(ゆうこ先生/4.2週)

 れいせいにすることと、考えることを忘れないようにしたい。なぜなら、またピンチの時にれいせいに考えて、神様のことを思いたいからだ。【講評】アミーゴさんらしい、とても美しい表現ですね。

●萌さん(いたわ/小5)の作文より(ふじのみや先生/4.3週)

 もし町にごみばこがなかったら、どうなるだろう。町がごちゃごちゃできたないと思う。まるでごみばこがあるんじゃなくて、町がごみばこになってしまいそうだ。 【評】思ったことを「町がごみばこ」と、強く表現できていますね。

●まりさん(いにほ/小5)の作文より(クマのプーさん先生/4.2週)

 むりに自分が小さかったころにもどろうとするのではなくて、今わたしができる事をすればいいじゃないかとわたしは思う。【評】今、自分にできることをする、って地面にしっかり足がついていて前向きな姿勢を感じます。

●翔太さん(いはせ/小5)の作文より(きりこ先生/4.1週)

 はとはポテトのまん中をつついて、その次のはとがはしを食べてと次々につつき、最後にはなくなっていた。その姿はまるで「はとぽっぽ」の歌のようでけっこうおもしろかった。<はとが一生けんめい食べているようすが上手に表現できたね。歌をたとえに使ったのもとてもいいね。>

●あいあいさん(いまさ/小5)の作文より(メグ先生/4.3週)

 私は、この長文を読んでくずかごなどは普段目につかないけれど、じつはとても大切な役目をはたしているということがわかった。くずかご以外にも大切な物はあるかもしれないから、もっと気をつけてみてみたいと思った。【評】地味で目立たないけれど大切な役割をしているものってほかにもありそうですね。

●初夏さん(いやる/小5)の作文より(はるな先生/4.3週)

 「パクパク モゴモゴ・・・・・ほら、えさだよ」私たちの家では最近、金魚を飼い始めました。・・・・(「たった三びきの金魚で大さわぎ」より) (講評);題名とユニークな会話の書き出しが、たいへん魅力的ですね。

●DD51さん(あある/小6)の作文より(ポプリ先生/4.3週)

 大きい「バリ-ン。」という音とともにガラスがわれ、ぼくの手がガラスをつきやぶり教室の方に入った。そーっと手をぬいてみると、うでが、ニ、三センチ切れ、そしてその切り口が二つ。そして先たんできず口が交わり皮ふがひらひらと動くじょうたいになっていた。評:具体的に良く書けました.

●寛和さん(あめね/小6)の作文より(メグ先生/4.3週)

 人間はいろいろな好みを持ち、そして本もいろいろな種類があり、不思議に思う。【評】誰もが自分にぴったりの本に出合うことができるといいね。

●たこ焼きさん(いとつ/小6)の作文より(ぴのこ先生/4.3週)

 二十四時間をどうやって過ごすかは、自分で決めることだ。時間をつかうのが上手な人は、いろいろなことができるだろう。また、有効に使えなくて、だらだらしている人はあとになって困るだろう。【評】書き出しのキーワードをうまく使えたね。時間の有意義な使いかたってなかなか難しいけれど、空き時間も上手に使えるようになれたら、退屈だなぁって思うことが少なくなるような気がするね。

●くま吉さん(いにし/小6)の作文より(けいこ先生/4.3週)

 私は、読んだ本が面白いと、つい何回も読み返してしまう。そうすると、最初に読んで気づかなかったところに気づくことがある。まさに『読書百遍意自ずから通ず』だ。そういう発見がちょっと好きだ。私にとって読書とは、知識を得るためだけではなく、主人公と共に成長していけるものである、と私は思う。 評:ことわざを実体験で理解しているね。読み手の成長が、新たな気づきにつながるということだね。

 

●穂香さん(すよ/小6)の作文より(ゆうこ先生/4.3週)

 「ハリー・ポッター」の人物のことを話ていると、ハリーについて・ある子はでこっぱちの男の子、そしてある子は色黒の男の子、といった風に人それぞれの主人公が決まっている。【講評】私たちは活字から様々なイメージをします。ハリーの例はとても面白いですね。映画のイメージで固まりすぎてしまったらつまらないですよね!

●クリリンさん(あかの/中1)の作文より(えんぴつ先生/4.3週)

 平面論理だけで考えるのはあまりよくなく、物事は色々な方向から見るのがよいと分かった。また、物事をありきたりな言葉で表現するのではなく、自分らしい言葉で表現するのがよいということも感じた。★【評】本当にその通り。何才になっても、これは永遠のテ−マです・・・。

●宏一郎さん(いてほ/中1)の作文より(メグ先生/4.3週)

 色々な本があり、どれも同じじゃない。だから、読んだ本の数によって、考え方は変わってくると思う。何故なら色々な本で学んだことが纏まって結論を出すからだ。【評】色々な考え方を知ることによって、柔軟な考え方ができるようになるよね。

●はせぽくんさん(いなあ/中1)の作文より(ふじのみや先生/4.3週)

 しかし、カチカチの論理的考えに加える少しの矛盾というものは、おすしに入れるわさびのようにまたはピザにかけるタバスコのように、ピリッとしたききめが出てくるかもしれない。 ただ、調味料はかけすぎないように、かけすぎるとまずくなってしまう。 【評】食べ物にたとえて書くと、難しい矛盾というテーマもとたんに身近なものになってきますね。

●トノチュウさん(いなさ/中1)の作文より(みのり先生/4.4週)

 (ざまあ見ろ!!)と思ったが果たしてA君も僕と同じ思いだっただろうか。いや、逆にかわいそうにと思っていたかもしれない。あいつはいい奴だから。(評)A君のよさがわかる東野君もいい奴(^^)だね♪

●正人さん(いなり/中1)の作文より(ゆえ先生/4.3週)

 しかし、論理的な話ばかりでは、人間関係もうまくいかないだろう。このバランスをとるのが人間関係として大切だと思う。◆評◆竹内くんの体験にもとづいた意見が、しっかりとこめられていますね。矛盾という言葉からこの意見を導き出した発想、結論に組み込む感性はすばらしいです。

●晃一さん(いやは/中1)の作文より(きりこ先生/4.3週)

 人間とは生活がかわっても、それにうまく適応することによって、今までと違った才能が出来るのだと僕は思う。<中学生活の第一歩を踏み出した晃一君、応援していますよ。>

●ひろりんさん(あしゆ/中2)の作文より(とこのん先生/4.3週)

 時代の流れで新しいものができてくるのは当然のことで、新しいもののよい所を認めて進化させていくことが大事だと思う。評:常に変化を続ける時代の中で、どのような形でその変化をとらえてゆくべきか、その姿勢を端的に、そして前向きに提案しています。

●SIGNALさん(あつえ/中2)の作文より(ゆうこ先生/4.1週)

 今私たちの生きている時代は平安時代だったかもしれない。何一つ、『疑問』がないということは現代のような科学の発展はまずないと言っていいと思う。こうして考えてみると、私たちが無意識、当たり前のように感じる『疑問』は私たちの生活になくてはならない存在だ。【講評】科学の進歩がなければ、現在の我々の生活はまったく違ったものになっていたことでしょう。まるで平安時代のような生活様式だとしても不思議ではありません。

●日本太郎さん(あねひ/中2)の作文より(クマのプーさん先生/4.3週)

 「存在する物には、良いとか悪いとかを言う前に、すべてそれなりの理由がある。」と言う名言があるように新しい物も、古い物も、それなりの理由があるから使い分けをするべきだと思う。【評】名言の選び方もフィットしているし、「使い分け」の提案へとスムーズに結びついていますね。

●尚志さん(いても/中2)の作文より(クマのプーさん先生/4.3週)

 「どんな時代でも変わらないもの」といえば人間の善悪の意識だろう。【評】「いいこと悪いこと」は、ベーシックな部分では変わらないし、変わってはいけないですね。不当な圧力などいろいろな障害は襲ってきますが。

●由希子さん(あとえ/中3)の作文より(きりこ先生/4.3週)

 熱中することは、時間の世界に捕まらず、自分の時間で過ごす事ができて良いと思う。<時間の世界という表現がいいですね。>

●眠雨さん(うき/高3)の作文より(森川林先生/4.2週)

 歴史に存在する史観への反応は、あくまで黙認であるべきだ。それを承認・奨励してしまうことは、歴史を個人思想の表現に変えてしまう危険を伴う。◆評:難しい表現だけど^^; いい意見。一種の名言になっているね。

●香奈子さん(いし/社)の作文より(森川林先生/4.1週)

 私は「キレイ」になりたいと長いあいだ思ってきた普通の女の子だ。友達に恋の相談でネガティブになられると「あんたは心が『キレイ』だから十分だよっ!!」と思うがいざ自分のこととなると、そうも思えなかったりしてしまう。どうしても人の庭は青く見える。しかし、大人に少し近づいた私は思う。年をとればみな、シワシワのおばあちゃんだ。そこに残るの「キレイ」は心のみだ。◆評:いいねえ。納得。ユーモアのある表現も効いている。

 

 

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