1996年7〜9月 第5週号 通算第489号 言葉の森
言葉の森新聞
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小学5年生以上の生徒は、難しい課題が続いていますが、3ヶ月ぐらいたつと、要約の要領がかなりわかってくるようになると思います。
私がドイツやイギリスが好きなのは
ドイツやイギリスの製品のよいところは、一つの品物を完成品にまで高めて、長く作り続けることだ。日本も新製品ばかり作らずに、もっと落ち着いた社会にしていけないものだろうか。
(この似た例は、たくさんありそうだね。自動車やパソコンなど、新しい製品がつぎつぎに出てくるから、なかなか落着かないでしょ)
私たちの環境は
地球上の生物は長い年月の中でバランスを保ちながら生きてきた。しかし、近代社会は、人間だけを自然とは切り離して考え環境破壊を引き起こした。科学技術と自然をうまく組み合わせて人間が自然と共存していくことが求められている。
(二人の対話も含めて、ひとまとまりに要約していこう。読みやすい文章なので、内容はわかると思うけど、これをどう感想文に結び付けていくかは難しいところ。「人間も、自然の一部と考えるべきだ」と単純に書いていくと、まとめやすい)
現代の若者文化の大きい特徴は
人間にとって、己を超えた存在とどのように接していくかは、大きい課題であった。「聖」は儀式を通じて、その超越的な世界をコントロールしてきた。しかし、今日の宗教や儀式は、その力を失っている。そのため、現代人は遊びを通じて「聖」に到ろうとしているが、それはまだ成功していない。
(これは難解。具体的なイメージがなかなか出てこない文章だね。例えば、「死」というものを考えた場合、人間の感受性では理解しきれないところがあるので、それを葬式のような儀式にして枠組みを与え、感情的に処理できるようにする、というようなことだね。さらに、昔は宗教も権威があったので、その儀式を通して神の世界に接することさえできた。今、宗教に権威はないので、若者は、シンナーを吸ったり暴走をしたりして、非日常的な世界に接しようとしている。これが著者の言いたいところだけど、この文章がわかりにくいのは、実は著者自身も何を言いたいのか考えがよく整理されていないから、というところもありそう。
小論文の主題としては、「今日の社会は、電車の時刻にしても、受験の偏差値にしても、何もかも計算され尽くしているような外見があるが、一皮むけば、人生の目的にしても、人間の生と死にしても、実は何もわかっていない、ということがよくわかる。そして、そのようなとらえがたい問題をどう考えるかということについては、学校も宗教も何も教えてくれない」というところを問題点として考えてみるといいかな)
右脳教育ということが盛んに言われています。右脳は、ものごとをイメージとして短時間にありのままに受け取る能力を持っています。このため、速読や漢字の学習なども、理屈によって理詰めに覚える従来の左脳的な方法ではなく、直観的に一目で吸収する右脳的な方法が採用されるようになってきています。
アナログ的に、ものごとをイメージ化して把握する方法は、歴史の年号を暗記するときに語呂合わせを利用するやり方と同じですから、みなさんも、これまで何度も利用したことがあったと思います。(イイクニ作ろう鎌倉幕府と覚えると、そのときのイメージがなぜかわいてきて、すぐ覚えられるでしょ)
この、アナログ的に、イメージを利用して何かを身につける方法は、きわめて効果的なので、アナログ的な方法がすべてであるかのように考えてしまう人も多いと思います。最近では、船井幸雄さんが「これからはアナログだ」と言っていますが、やや簡単に言い過ぎているところもあるようです。
アナログ的な方法の欠点は、その、「ありのままにすべてを受け入れる」という右脳的な吸収の仕方にあります。
人類が、数十万年の歴史の中で、アナログ的な右脳とデジタル的な左脳をともに発達させてきたのは、その両方を並行して発達させることが必要だったからです。
アナログ的な左脳がものごとをそのまま受け入れるのに対して、デジタル的な左脳は、ものごとを言語や数値に分解して受け入れます。しかし、自然界のものごとをデジタル的に分解することには限界がありますから(例えば、私たちがおいしいカレーライスとおいしいラーメンを食べたときに、「おいしい」という言葉以外に、その違いを表す言葉を探すのはかなり無理をしなければなりません)、デジタルと自然界との間にはいつもギャップがあります。
しかし、そのギャップこそが、人間に、理想や夢や創造を生み出させてくれた源なのです。
アナログ的な右脳によって世界をありのままに受け取るとともに、デジタル的な左脳によって理想と現実のギャップを発見すること、この両方が人間には必要で、どちらか一方で他方を代用することはできません。心と知性の両方を発達させること勉強の目的なのだと考えて、左脳と右脳をともに育てるような勉強をしていきましょう。