書く力というのは、小学生のころの「私の○○(ペット、家族、趣味など)」という題名までは、主に表現力に依存しています。その後の中学生以降の考える題名の作文(「○○はよいか悪いか」など)になると、思考力との関連が深くなってきます。
表現力、思考力とも、その基盤となるのは、読む力です。小学生の表現力について言えば、読書量の多い生徒は、自然に表現力も豊かになります。表現力というのは、同じことをいろいろな言い方であらわすことができるという力ですから、語彙が少なければ当然、いろいろなニュアンスの違いを表現することはできません。
中学生以降の思考力は、読書の質と深い関連を持っています。難しい文章を読める生徒は、抽象的なことをあらわす語彙を使うことができるので、当然、考えるレベルも深くなってきます。
今の子供たちを見ていて、ちょっと心配になるところは、小学校高学年から高校生にかけての、読書の質と量が伸びる時期に、読書よりも教科の勉強に追われてしまう傾向があることです。読む力のある生徒は、受験中でも、少しの暇を見つけては読書をしますが、大多数の生徒は、勉強が忙しいとすぐに読書の時間を削ってしまいます。また、読むとしても、軽いものしか読まくなります。
また、受験という時間的制約がない生徒も、小学校高学年から、次第に読書の量と質が低下する傾向が見られます。
この対策は、ひとつしかありません。親や先生などの大人が、読書を、教科の勉強と同じ重要性を持つものとして認識することです。そして、その読書も、ただ読んでいればいいというものではなく、どの本をどのくらい読むか指示してあげることです。
よく「そんなふうに読書を強制すると嫌いになりませんか」と聞く方がいますが、そういうことはありません。逆に、「そんなふうに勉強を強制すると勉強が嫌いになりませんか」とか「そんなふうに野菜を食べることを強制すると野菜が嫌いになりませんか」というような心配は、普通しません。よほど過酷な強制でなければ、必要な強制は、大人の責任として当然していかなければなりません。
読書については、特にそういうことが言えます。読書の面白さは、ある程度読む力がつかなければわかりません。楽に読める本ばかりを読んでいる生徒は、ずっと、難しい読書の面白さに気がつかず、楽に読める本ばかり読み続けるようになります。
言葉の森の自習では、現在、最低ラインとして、毎日必ず10ページは本を読むとしていますが、これは本当に最低の基準です。1日50ページ以上読んで、1週間で1冊は楽に読みおえることを、冊数の目安として取り組んでいきましょう。
小4年生の短文集「トチの山」の1番、4番、5番にプリントミスがありましたので、小4年生には訂正版をお送りします。
短文集は、暗唱をしてから筆写をするのが自習の内容です。100字以下の短文ばかりですが、慣れないうちは暗唱するのがなかなかたいへんだと思います。がんばって、全部覚えるようにしていきましょう。
前の学期に毎日小学生新聞に入選した「乗れた!!」(高橋奈津子さん)の作品を参考にしましょう。書き出しの「「わぁ。ころんじゃうよー。」そう言いながら、わたしは、一輪車に乗りました。」というところが、印象的ですね。
これも、前の学期に神奈川新聞に掲載された「自然環境を守り共存へ努力を」(浅賀桃子さん)の作品を参考にしましょう。「東京都交通局は…」というところは、自分で調べたデータです。社会実例はこのように新聞などから選べると説得力がありますね。
◆「島に住む動物と」
① 島では大きいものは小さくなり、小さいものは大きくなる傾向がある
② 敵の多い大陸では、大きいことにも小さいことにもそれなりの利点がある
③ しかし、敵の少ない島では、動物は普通のサイズにもどる
④ 人間も、日本のような島国では、エリートのスケールは小さくなり、庶民のスケールは大きくなる
⑤ 大陸は大思想を生み出したが、思想にも人間に似合いのサイズがあるのではないか
結構複雑な文章なので、要約が長くなると思います。⑤番目はつけたしなので、なくてもいいでしょう。
似た例は、アフリカ大陸にはゾウやキリンがいるが、日本にはいないとか、海にはクジラがいるが、池にはいないというような単純な例でいいと思います。
ことわざは、「井の中の蛙大海を知らず」、名言は、「大切なのは健康らしい外見ではなく健康自身である」などが入りそう。
◆「人は、その両親を」
①私は雪国に生まれたので冬が好きだった
②雪国の冬の体験から、苦しいことも前向きに取り組めば楽しくなることを知った
③雪の細道で道を譲ることにも、咄嗟の判断力や慣れが必要だった
④子供は、冬が終わりかけると、春が来るのを待ち遠しく思うようになる
エッセイなので、要約するのには不適当な文章です。④番目はなくてもいいかもしれません。
似た例は、冬や雪の楽しさを書いてもいいのですが、それよりも、苦しいことも取り組みようによっては楽しくなるということで書いていけるといいでしょう。例えば、大人にとっては、迷惑な台風や大雨や雪も、子供にとっては何かわくわくするものがある、というような例。中学生ならば、みんなの嫌いなテストも、自分がよく勉強してきたときには、待ち遠しくなるというような例でもいいと思います。
意見は、「物事は前向きに考えるべき」。反対理解は、「苦しいことや不快なことをなくす努力も大切だが」。
したがって、名言は、「良い馬は長い坂を欲する」「不幸な人はどのような考えの中にも不幸の理由を見出す」など。
わかりやすい内容。日本の国内で、人間的なつながりで取り引きが行われている商習慣が、欧米などは、自由な貿易の障壁となるアンフェアのシステムだと映る例など。日本の国内だけならば気楽でいいのだが、国際社会の中で考えると、やはり問題になる。
名言・ことわざは、個人の自立の大切さということで、「出る杭は打たれる」などを加工して。
①日本語を知らない外国人に本物の子守り歌とにせものの子守り歌を聞かせると、本物のほうが覚えやすいという結果になった
②ヘブライ語の認知についても同様の結果が出た
使う頻度の高いものは、形の場が形成される、という考え。説明文なので、これをそのまま意見化して感想文に書くことができないので、自分で意見化するところを見つける。見つけるポイントは、自分の生き方に関連させるのがコツ。自分の人生や生活にも、本物を目指そうというところ。
毎日小学生新聞に入選した「さかなつり」(薄井環(たまき)さん)の作品を参考にしましょう。「たまき、つれるかなー?」というおばあちゃんの会話がほのぼのとした作文です。自分でつった魚をやいて食べるなんて、なかなか体験できないですね。
神奈川新聞に掲載された「安全の管理をさらに完全に」(小原(おばら)正之さん)の作品を参考にしましょう。咄嗟(とっさ)の危機に機敏に対応するというのは日本人はどうも苦手なようです。しかし、そのかわり、日本人の得意な普段からの打ち合わせと準備で、いざというときの対応を整えておくとよいのかもしれません。
10月から、手書きの作文も全部インターネットに掲載して、読めるようにしました。紙で印刷する広場は、同学年の生徒数人の間での交流しかできませんが、インターネットの広場は、接続できる生徒が増えれば、いろいろな学年の生徒と感想をやりとりすることができるようになると思います。
広場へのひとことは、インターネットの画面からも簡単に送れますから、言葉の森のホームページを見た人は、試しにひとことを書いて送ってみてください。
第3週の山のたよりと一緒に、7〜9月の賞状をお渡しします。どの賞にも該当していない人には、賞状はありません。賞はこれまでの評価データをもとに計算していますが、9月に曜日や時間の変更をして、担当の先生が替わった人は、データが正しく出ていない場合があります。賞状の賞に疑問のある人は、事務局に連絡をしてください。
小5・6年生は、7月から長文の感想文を中心に勉強をしていますが、今学期は、小1〜4年生にも、長文の感想文を指導します。ただし、感想文は作文よりも書きにくいので、担当の先生が生徒の学習状況を見ながら進めていきたいと思います。
第3週は、感想文を初めて書くことになる人が多いので、かなり書きにくいと思いますが、書けたところまでを一応出してくれれば結構です。広場を見て、同学年のほかの人がどういう感想文を書いているか参考にしていってください。
この感想文指導は、このあと、7週と11週にも行なっていく予定です。
担当の先生の説明があるときに、まだ長文を読んでいない生徒がいますが、長文は、先に先生の説明を聞いたりヒントを読んだりせずに、自分の力だけでひととおり読んでおくことが大切です。
読解力をつけるためには、文章をくりかえし読んでいくことが大切です。読む力がなかなかつかない生徒は、1回だけじっくり読むという読み方をしています。これは、勉強の仕方やスポーツの技能の身につけ方など、すべてに共通して言えることです。苦手な人ほど理屈で理解してもらいたがり、理屈を理解するためにじっくり1回だけ読む(または練習する)というパターンの学習をしがちです。しかし、この文章の解説を聞くという勉強の仕方は、わかった気になるだけで、実際の実力はつきません。
まして、自分で文章を読まずに、先生の解説を先に聞くという勉強では、読解の力は到底つきません。
どんなに難しく見える長文も、宇宙人が書いたわけではなく人間が書いたものですから(笑)、繰り返して読めば、一つ二つの語句の意味がわからなくても、全体で何を言いたいのかは必ずわかってきます。今、右脳の力が次第に明らかになってきていますが、左の脳で考えた理屈で「この文の意味がわからないから、先に進めない」というような逐語的な読み方をしている生徒は、「わからないところがあってもいいから、そのわからないところも含めてまるごと消化してしまう」という右脳的な読み方に切り替えていきましょう。