1997年4-6月 第8週号 通算第524号

言葉の森新聞

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  学校選びよりも大事な職業選び(つづき)

  (前号までの話:子供たちの将来を考えた場合、学校選び以上に職業選びを大人が考えておく必要があります。職業選びの際に大切な点は、第一に、社会の矛盾に立脚した職業には将来性がないということです。)

  第二に、外見や若さや体力に主に依拠した仕事には限界があるということです。これは、言うまでもないことだと思います。

  第三に、これからの安定した社会では、どのような分野であっても、その分野の第一人者になれば職業として成り立つ可能性があるということです。人間は主体的に生きられるときがいちばん成長します。真に主体的に生きるためには、ナンバーワンでなければなりません。どんな分野でもいいから一番をめざすことが、将来の職業を考える際の重要な要素になります。

  そして、第四に、世の中に何か新しいことを付け加えて生きていくことが人間にとって価値のある生き方だということです。そのためには、親は子供に「安全で苦労の少ない人生を歩め」というのではなく、「苦しくてもいいから創造的な人生を歩め」というべきだと思います。

  第8週は清書です

  第8週は、これまでに書いた作品の中から、自分でいちばんよく書けたと思うものを選んで清書します。

  清書の仕方は、「学習の手引」に書いてあります。

  担当の先生から、最近3週分程度の作品が返却されていると思いますので、先生のアドバイスを参考にしながら、自分でどの作文を清書するか決めましょう。作品が少なかったり、清書するのにふさわしい作品がなかったりする場合は、清書用紙に直接新しい作文を書いて送ってくださっても結構です。

  この清書は、「広場」に載せたあと、言葉の森のホームページに掲載し、新聞社などに投稿します。できるだけ濃い鉛筆かペンで書き、あいているところには絵を入れておきましょう。

  第8週は国語のテストもします

  前回、第4週に国語のテストを行ないました。これまでの自己採点のテストよりも、より正確に自分の実力がわかったと思います。前回のテストは、小2345年生はやや易しい問題だったので、今回は少し難しくしています。自分がどれくらいの力があるかを見るためのテストですので、読めない漢字などはお母さんやお父さんに聞いていいのですが、あとは自分の力でやっていきましょう。

  大切な民主主義教育

  言葉の森新聞に載せる文章としては、やや適切でないかもしれませんが、子供たちの将来の生き方を考えていくときに、民主主義の観点をしっかり家庭で教えておくことが大切だと思いましたので、ひとこと。

  ある宗教団体の人が自宅にたずねてきました。

  その宗教団体のパンフレットには、確かにためになることがたくさん書いてあります。

  家族がなかよくくらすためには、世界に本当の平和が訪れるためには、等々。そして、そのことを訴える勧誘員の顔も善意に満ちています。

  しかし、ひっかかるのは、「神様がそう言ったから」というところです。家族が仲よく暮らすことは、神様が言った言わないに限らず大切なことです。

  神様を基準にして考えると、最終的には、神様が言ったかどうかのみずかけ論になってしまいます。それは、更に進んでいけば、神様が「ポアしろ」と言ったから「はい、そうします」というところに行き着くはずです。

  人間の行動には、数多くの間違いがあります。自分がよいと思ったことでも、相手にとってはよくないということがたくさんあるのが社会です。しかし、ここで、神様を基準にして考えるのではなく、自分と相手との対話の中で解決策を考えていくのが民主主義ではないでしょうか。

  宗教団体の善意の笑顔の背後にある非民主主義的な本質を、私たちはしっかり見ていく必要があると思います。

  もちろん、私は、神様はいてもよいと思います。キリストでも釈迦でも天照大神でも、みんないてくれればにぎやかになっていいと思います。しかし、私たちは、神様が言ったからということでなく、自分が「そう思うから」ということでものごとを考えていく必要があると思います。自分が「そう思う」のであれば、「そう思わない他人」との対話もまた成立するからです。

  宗教団体が多数存在し、それに対してまともに対話をすることができず、頭ごなしに否定するか、または頭から信じ込むかのどちらかにしかならないのは、今日の民主主義教育がやはり十分に深く根のついたものになっていないからだと思います。

  あまい親にならないように

  この文章は、このあとに続く予定の文章「こわい親にならないように」「しかし問題は親ではなく社会に」とセットでお読みください。(まだ載せていません)

  よく、「子供に自習をしたほうがいいわよと言っているんですが、言うことを聞いてくれなくて……」とこぼすお母さんがいらっしゃいます。言葉の森の自習でだけそういうことなのであれば、私たちの自習に無理があるのだとも思いますが、子供に対する親の態度は、生活全般にわたっていることが多いものです。

  子供たちの住んでいる世界は、半分、動物の世界で(かわいい小動物ですが)、子供たちは、言わば小さな「弱肉強食」の世界に住んでいます。ですから、子供たちは、学校の先生に対しても、権威を感じる先生には喜んでしたがい、あまり権威を感じられない先生には反発をします。このとき、子供たちは、その先生の中身を判断してそういう行動をとっているのではありません。どんなに中身の濃い立派な先生でも、外見上、権威ある態度をとれない先生は、子供たちの信頼をかちとることはできません。

  同じことは、親についてもあてはまります。

  子供たちのよく言う言葉に「どうして、……しなきゃいけないの」というのがあります。「やだあ。したくない。難しい。めんどくさい。どうして、こんなことしなきゃいけないの?」という言葉を子供たちが発したときに、大人はひとこと、「これは、大人の私が君たちのことをよく考えた上で決めたことなのだから(もちろん、人間だから、まちがいはだれにでもあるでしょうが)、君たち子供は、それに対して「どうして?」という言葉で質問してはいけません(かなり横暴な言い方ですが)」と言えばいいのです。

  この場合、子供というのは15歳ごろまでと考えています。15歳つまり中学3年生になると、子供は精神的に自立してくるので、命令ではなく話し合いで納得する必要があるからです

  弱気な大人は、子供たちに「どうして?」と聞かれると、「だって、みんなもしてるでしょ」。するとすかさず子供「どうして、みんながしてるからって、ぼくがしなきゃいけないの?」。すると、弱気な大人「どうしてって……。そうしなきゃ大人になってこまるでしょ」。子供「どうして、こまるの?」。大人「もういいわ。勝手にしなさい。こまるのはあなたなんだからね」。子供「わーい。じゃ、しなくていいんだね」。大人「……(むすっ)」。こういうケースで子供たちのやりとりが進むことが多いようです。

  もし、こういうやりとりの仕方で、子供たちに接していたら、文化を伝えることなど何もできなくなってしまいます。「朝、おきたらあいさつをする」「席を立ったらイスをしまう」「玄関では靴をそろえる」「テレビは○時間しか見ない」「○時になったら勉強をする」「歩きながらものを食べない」「弱い人には優しくする」等々。こういうルールには、理由はありません。子供たちが、現代の日本の社会の中で人並みの文化的教養を身につけていきていくことができるように大人が伝えるものですから、理由なく伝えなければならないものなのです。

  そして、このルールは、もちろん家庭によって異なります。「うちは、歩きながらものを食べることは認める」というところもあるでしょうし、「朝起きたらすぐに水浴びをして身を清める」というところもあるでしょう。

  しかし、大事なことは、なんらかのルールを、大人が権威をもって子供たちにつたえることができる家庭は(学校で言えばクラスは)、子供たちが安定するということです。

  家庭で言うと、こういう権威を確立できるのは、子供が小学二年生ごろまでの間のようです。小学二年生の子供に、親「これをしなさい」子供「はい」と言わせられない家庭では、子供は際限なく気ままに育っていきます。(のびのび育っていいなんて言っていられません。自然農法でキュウリやナスを育てているのとはわけが違います)

  もちろん、ここで注意することは、親が命令したことは、親自身も必ず守るということです。例えば、「朝起きたらあいさつをする」と決めて、たまたま子供があいさつしないときに何も言わずに見過ごしてしまうと、それは、子供に対してこういうメッセージを送っていることと同じです。「親が命令したことは、一応口だけで言うことだから、その場では「はい」と返事をしておいて、あとは適当にさぼってもいいんだよ」

  ですから、親が守らせられる自信の持てないことは、絶対に口にしない方がいいのです。命令をして守らせられないというのは、何もしないことよりももっとよくないことです。これは、次のような悪循環を生みます。「命令する」「日常的に守らせられない」「たまに怒って命令する」「でも日常的に守らせられない」「また、たまに、すごく怒って命令する」「しかし、日常的に守らせられない」。そこで、愚痴をこぼすのです。「こんなに言っているのに、言うことを聞いてくれない」。それは、それまでの子供に対する接し方の中で、暗黙のうちに「一応、口では言うけど、適当にさぼってもいいからね」というメッセージを出しながら、子供をに接していたからなのです。

  このへんは、なかなか自覚しにくいところなので、実例をひとつ。

  犬を育てていると、こういう場面になることがあります。人間がものを食べているときに犬がおねだりをします。(以下の対話はイヌ語で)

  犬「ぼくにもほしいワン」

  人「人が食べているときにほしがっちゃだめでしょ」

  犬「ぼくも、ほしいようワン」ガリガリ(人をひっかく)

  人「こらだめでしょ。ほしがっちゃ」

  犬「そんなこと言わないで。ぼくもほしいんだようワン」ガリガリガリ

  人「こら、だめでしょ。まったく。じゃ、ひとつだけよ」

  影のメッセージ「人の食べているものをほしがっちゃだめと、一応、最初は口で言うけど、なんどもしつこく催促すれば、ほしいものをやるからね。これからも、しつこく催促するといいわよ」

  甘い親にならない秘訣は、言葉を大切にすることです。