第4週は清書と自習テストです
清書の仕方
第4週は、これまでに書いた作文の中から特によく書けたものを選んで清書をします。
この清書は、「広場」に掲載し、言葉の森のホームページに掲載し、新聞社の作品欄に投稿します。
清書用紙は、水色の罫線の原稿用紙を使ってください。原稿用紙の左上すみに生徒コードを書き、1枚目の原稿用紙の裏面に、学校・学年・住所・氏名・電話を書いてください。おもて面には氏名は書いても書かなくてもどちらでも結構です。くわしくは、「学習の手引」をごらんください。
新聞社に自宅から直接投稿される方は、原本を新聞社に送り、清書のコピーを教室の方に送ってください。その際、二重投稿にならないように、言葉の森に送るコピーの裏面には「投稿済み」と書いておいてください。
作文の勉強を始めたばかりで、まだ清書するのにふさわしい作品がないという場合は、清書用紙に直接、自由な題名で作文を書いて送ってください。
どの作品を清書するかは、先生のアドバイスを参考にしながら自分で決めてください。清書するときに、直すところがあれば自分で工夫して書き直していってください。
自習テストの仕方
第4週は、清書のほかに自習テストも行ないます。これは、自習の内容をもとにした漢字や読解のテストです。このテスト用紙も清書と一緒に提出してください。
今回の自習テストは、自習の教材から出しています。こういうかたちの出題は初めてですので、今回の長文の問題(主に問7、問8)は、長文を読みながら答えていただきますが、次回以降、第8週、第12週の自習テストは、教材を見ずに覚えている範囲で答えられるような問題にしていきたいと思いますので、毎日自習をやって内容をよくつかんでおいてください。
文章の仕組み
色には、明度・彩度・色相の三つの要素があります。運動には、質量・速度・方向の三つの要素があります。音にも、波長・波形・振幅の大きさの三つの要素があります。同じように文章にも、いくつかの要素があります。
もちろんこれらの要素は、文章をただ読むときには自覚する必要はないものです。キャッチボールをするときに、受け取るボールの質量・速度・方向を分けて考える人はいません。それは、まるごと「こちらに向かって飛んでくるボール」としてキャッチすればいいからです。
しかし、文章を指導する際には、これらを分析的にとらえておくことが必要です。指導する側が分析的でないと、「ここを、こうスパッと、こう、腰をひねって、スパッと思い切り振り切ればいいんだから」とか「これを、もっと、こうジワッとくるようにならないかなあ」とか「ここで、もっとググッと迫ってくるものがほしいなあ」という、言っている人にしかわからない説明になってしまうからです。
文章の主な要素は、題材・表現・主題の三つです。
表現の中は、さらに細かく、字数、構成、表現、表記、速度などと分けることができます。言葉の森では、字数・構成・題材・表現・主題・表記の6項目と、材料の面白さと着想の面白さの2項目を付け加えて、全8項目で文章の評価をするようにしています。面白さとは、個性・挑戦・共感・感動・ユーモアなどの要素を含んでいることです。
文章を書くことが得意な人は、こういう分析的な考えに違和感を持たれると思います。それは、優秀なスポーツマンが、理屈よりも直感を大事にすることと似ています。「文章というものは、そういうものじゃないんだ。もっと、こう、スパッと、腰をひねって……」と、ものごとをトータルにとらえたくなるものです。しかし、文章を書くことが苦手な人に対して、こういうトータルな指導は、かえってわかりにくくなるもとになります。
苦手な人に対しては分析的にアドバイスをし、最終的にはトータルな教え方をしていくという指導をしていきたいと思っています。
知識型の勉強と思考型の勉強
知識は与えれば増える
小学校の低中学年では、子供たちはおとなの与えたものを素直に吸収していきます。勉強なども、教えれば面白いように伸びていきます。そこでつい、たくさん教えればそのままどんどん頭がよくなりどんどん成績が上がると考えがちです。
しかし、そこで注意することは、目先のすぐに効果の見えるところにばかりに目を向けて、かんじんの本当の実力を育てることを忘れてはならないということです。
目先のすぐに効果の見える勉強というのは、知識型の勉強です。「ほかの人のまだ知らない○○を知っている」ということは、子供の心に優越感をもたらします。ほかの人よりも難しい漢字を知っていたり、まだほかの人が習っていない計算ができるということは、そのまま学力の差であるかのように考えられがちです。しかし、こういう知識の上での差は、年齢が上がりほかの子もその知識を学ぶようになれば自然に解消していくものです。
読書の少ない子
子供たちの勉強に関していま問題となっているのは、知識の勉強の時間が多すぎて、読書をしたり経験を積んだりする時間の少ない子供が増えていることです。
学校や塾の勉強は、小学校高学年から次第に考える内容になっていきます。このときに、読書量の少ない子は、考える勉強の分野で伸び悩んできます。
現在の大学受験は、まだ知識型の勉強で間に合う部分がかなりあります。したがって、知識をたくさん覚えている記憶力のよい子は、大学受験でもそれなりによい点数をとることができます。しかし、大学側ではこの知識の有無で評価する面をできるだけ少なくするように年々試験問題を改善しています。
また、社会に出れば、どれだけ多くの知識を持っていても、それがそのままその人の評価につながるわけではありません。多様な現実に合わせて柔軟に考える力や決断する力が、その人の実力になってきます。
こう考えると、読書をして考える力をつけることは、理科の勉強をしたり社会の勉強をしたりすることと同じかそれ以上の重要性を持っているということができます。小学校の低中学年で漢字の点数が悪かったり計算のミスが多かったりするのは、ただ勉強の時間が足りないだけで、あとからいくらでも追いつくことができます。しかし、小学校低中学年でその学年にふさわしい読書の習慣がついていない子は、その後ますます読書の質も量も低下していく可能性があります。
読書は家庭で
現在の学校の勉強のシステムを見ると、小学校で読書量の少ない子は、中学校でますます読まなくなり、高校ではほとんど読まなくなるという傾向があります。読書が学校の勉強の一部としてまがりなりにも位置づけられているのは小学校までで、それ以降は読書は個人の生活の分野と見なされ、学校教育からは除外されてくるからです。それは受験に合わせた効率のよい勉強をしようとすればするほど、すぐに効果の出ない読書よりも知識の勉強に力点を置かざるをえないという現実があるためです。
読書が個人の生活の分野の問題として学校教育から切り離されたときに重要になってくるのは、家庭での勉強と読書に対する位置づけです。
子供たちは、大人の与えたものをそのまま吸収していきます。家庭で「読書よりも勉強を」と考えれば、子供たちは読書を後回しにする成長の仕方をしていきます。また、「難しい本よりも易しく楽しい本を」と考えれば、同じように子供たちは読書は易しいものでよいという考えで成長していきます。また、家庭の会話でも、「これを知っているか」という知識中心の話をしていれば知識を重んじる子に成長し、「どうしてこうなるのか」と思考中心の話をしていれば考えることを中心にする子に成長をしていきます。
確かに、知識は考えや行動の基盤になるという意味で大切です。しかし、これからの時代はただたくさんの知識を吸収しているだけの人よりも、与えられた知識を活用して考える力を持つ人を要求しています。
学校や塾の勉強のペースに合わせていると、読書の時間はどんどん少なくなります。しかし、小学校高学年までのうちに読書の習慣をつけた子は、高校受験や大学受験で忙しいときも定期テストの直前でも最中でも空いている時間を見つけては自分なりの読書を進めていきます。表面に出てくる成績は変わらなくても、こういう子供たちこそが本当の実力のある子なのだと思います。