1997年7-9月 第11週号 通算第538号

言葉の森新聞

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  伸びる子と家庭のしつけ

船井幸雄さんが、社員の宿泊研修会で、宿泊した部屋の片付け具合とその部屋に泊まった社員の仕事のでき具合を実験的に調べたことがあったそうです。自分だけでなく複数の幹部と調査して出た結論は、部屋の後片付けとその人の実力は驚くほど相関しているということでした。

同じような話は、いろいろなところで見聞きします。甲子園に出場することの多いある高校野球部の監督は、グランドの片付けを黙々とやっているような子が最後には伸びると言っています。それは、必ずしも野球で伸びるということではなく、野球以外の分野に行ってもいい仕事をするということです。遅刻をしない、後片付けをきちんとする、約束を守る、嘘をつかない、などは、勉強や仕事の実力と一見関係のない道徳規範のように見えますが、多くの人が、この徳性と仕事の実力との関連を認めています。

そこで、では、こういう徳性がどこから来るかというと、それはひとことで言えば家庭からです。家族で食事に行ったときに、食べ散らかしたまま席を立つ親を見ていれば子供のそのように育ちます。片付けにくる人が気持ちよく片付けられるように食べたあとは片付けやすいようにしておくということは、子供のときに教わらなければ自然には身につくものではありません。

道で会った近所の人にあいさつをするなどということも、やろうと思えばいつでもできる簡単なことのように見えますが、ふだんやりなれていないとなかなかできるものではありません。これも、やはり家庭のしつけの中でできるようになるものです。

現在、親になっている世代は、戦後の自由化の影響で、無理や強制はよくないという価値観を根強く持っています。しかし、人間の徳性は、多少の無理によって初めて確立するものです。

小学生時代は、勉強に時間をかけるよりも、こういうしつけや読書に時間をかけることがずっと大切な時期だと思います。

  日本の作文教育の弱点

日本における小学校の作文教育は、世界で最も進んでいます。それは、日本語が英語などと異なり、ひらがなという書きやすい文字を持ち、口で言うとおりに表記できる仕組みになっているからです。(ただし「わ」と「は」の区別などいくつかの例外はありますが)

しかし、低学年のうちから書けるということは、その後の作文指導に歪みをもたらしています。そのいちばん大きなものが、文学的な作品を書くことを作文指導の目標にしてしまうことです。しかも、日本には、俳句のようにものごとを説明し切らずに描写する文学の伝統があるので、作文指導も文学的な描写に力点を置いたものになりがちです。

たとえば、「『うれしかった』と書かずに『思わず顔がほころんだ』と書きなさい」というような指導です。灰谷健次郎さんも「せんせいけらいになれ」という著書の中で、しきりにこういう作文や詩の指導を強調しています。灰谷健次郎さんに限らずおよそ作文や国語の指導に携わる人ならばだれも「説明よりも描写を」という指導をしたことがあると思います。

確かに小学4年生のころまでの思考力であれば、説明よりも描写に力点を置いた文章の方が表現が豊かになることは当然です。しかし、このために、作文の勉強が考える力を深める方向に進まずに、浅い考えのまま表現の仕方を工夫するような方向に進んでいることも事実です。

作文教育の目的は、小学4年生で文学的な文章を書けるようになることではありません。中学・高校と年齢の発展に応じて考える力をつけていくことこそが中心の目的になるはずです。もちろん描写力や表現力は文章の重要な要素ですが、それらはあくまでも補助的なもので、伝える中身こそが文章の本質です。

日本では、小学校低中学年まで活発な作文教育も、小学校の高学年から次第に少なくなり、中学生・高校生ではほとんどなくなってしまいます。本当は、学年が上がるにつれてより高度な指導をしていかなければならないのに、逆に学年が上がるほど指導が少なくなるというところに日本の作文教育の弱点が表れています。

  第11週の長文の解説

「私が市場へゆく道」

 市場へゆく道は以前は人間がふみならした土の道だったがアスファルトで舗装されてしまった。昔の土の道では、石や虫や花などがあり楽しみながら歩けた。舗装も大切だが、いちばん道らしいのはふみしめられた土の道だ。

 似た話は、近くの公園などの気持ちのいい土の道の話など。またはもっと大きく自然のよさなど。ペットなどを飼っている人は、うちが汚れたり臭くなったり片付けが大変だったりといろいろマイナス面があるが、生き物がいると心が温まるなどという話でもよい。

 感想は、衛生的で便利な環境も大切だが、自然とのふれあいも大切というところで。

 ことわざは、「71、過ぎたるは……」「75、清濁……(自然の道はきれいなものも汚いものもおおらかに受け入れる)」「129、水清ければ……(きれいに舗装されすぎたところでは虫や鳥も寄ってこないし、子供たちも楽しく遊べない)」など。

「妖怪」

 妖怪「もののけ」がつくと、そのモノをむしょうに捨てたくなる。人類はこれまでモノを捨てずにむしろ拾うことを常態としてきた。産業革命で大量生産が可能になったときに、消費を上回る生産を守るために妖怪「もののけ」が利用された。妖怪「もののけ」の操作によって流通経済は円滑に進行している。

 意見は、単純に、「モノを大切に」。反対理解は、「経済を発展させるためには、古いモノを捨て新しいモノに置き換える新陳代謝も必要だが」。

 名言は、「1、飽きるということも……(モノを捨てるということも確かに大切だが)」「11、限られた人生で大事なことは……(いろいろなモノを買うよりも買わずに済ます工夫を)」「30、自分の心のうちに……(モノよりも心のほうが大切)」「41、大切なのは健康らしい外見ではなく……(外見の豊かな生活よりも内面的に豊かな生活を)」など。

  作文の勉強のポイント

これからの社会で活躍できるための重要なひとつの要素として文章力があります。知識があるかないかということや学歴がどうかということは、いったん社会に出てしまえばほとんど重要ではありません。文章を書くことがおもしろい、または苦にならないという人が、自分の主張を社会に広げていくことができるからです。

この文章力の本当の実力は、小学校5年生の感想文の勉強から次第に出てきます。小学4年生まではそのための助走期間ですから、4年生までに、たっぷり読んだり書いたりして基礎的な力をしっかりつけておくことが大切です。

小学4年生のころは、ある意味で自由になんでも書けるという時期なので、同じ出来事ばかりを書くようになることがあります。また、作文自体も、たいした苦労もなくすぐに書き上げることができるので、勉強がものたりなく感じることもあるようです。しかし、このころにたっぷり書くことがその後の説明文の実力を支えます。

文章力を育てるためのいちばん大きなポイントは、「読むこと」と「ほめること」です。そして、なにごとも継続こそが力ですから、たゆまず継続していくために「しつけをきちんとすること」です。逆に言うと、文章力がなかなか伸びない生徒は、そのほとんどが本を読んでいません。また、読書や長文音読の自習なども、たまに思い付いたときにやるぐらいで毎日欠かさずにやるというしつけができていません。また、お母さんやお父さんがその子の作文をあまりほめません。

毎日、自習の時間をきちんととって、読書を欠かさずして、書いた作文についてはお母さんやお父さんがいつもほめてくれるということであれば、文章力は必ず上達します。

勉強のポイントは簡単なものですが、「読むこと」や「ほめること」や「しつけをきちんとすること」は、一種の習慣として家庭に根づいているものですから、実行するためには、かなりの意識的な努力が必要です。

  図書の返却はお早めに

今学期の貸出図書の返却期限はだいたいの人が9月10日になっています。(図書の表紙に貼ってあるラベルに書いてあります)。まだ返却が済んでいない方は早めにご返却ください。