1998年6月1週号 通算第572号

言葉の森新聞

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  貸出図書の返却は6月10日までに

 5月20日ごろまでに教室に在籍していて、すでに前の学期の貸出図書の返却が済んでいる生徒には、2〜3冊の貸出図書が渡されていると思います。この貸出図書の返却期限は、6月10日です。通信の生徒には、返却用封筒が教材と一緒に送られていると思いますので、その返却用封筒に図書を入れて、そのままポストに投函してください。

  6.1週のヒント

 小3・4・5・6年生 6.1週 「たまごを使った料理」

 去年も同じテーマで書いたことがありますが、実際にお母さんが手伝って玉子焼きを作ったりスクランブルエッグを作ったりした人が多かったようです。自分で何かを作ってそれを作文の材料にするというのはいいことですから、ぜひおうちで何か作ってきてみてください。

 高学年の人は、たまごにかぎらず、料理を自分で作ったという話を書いてみましょう。家庭科の時間に野菜サラダを作ったというような話もあると思います。中には、「料理と言ったって……カップラーメンしか作ったことないし……」という人もいるかもしれません(カップラーメンは料理じゃないって)。この機会に、日曜日、自分で何かを作る練習をしてみましょう。最近、リンゴの皮もむいたことがないという人も多そうなので、いろいろ挑戦してみてね。でも、片づけもちゃんとするんだよ。

 中学生以上 6.1週 「地域社会」

 昔は、地域のお祭りや町や村単位の行事がたくさんありました。盆踊りなどもそのひとつです。町や村には消防団や青年団があって、自分たちの住んでいるところを自分たちが守り育てていくという気風がありました。しかし、いま都会では、そういう地域のまとまりが少なくなってきました。地域社会が崩壊すると、災害や犯罪や非行などの問題があったときに機敏な対処ができません。また、そこに住む人にとっても温かい交流のない住みにくい社会になってくると思います。そのかわり、わずらわしさがなくていいという面ももちろんありますが。

 地域社会ということでピンと来ない場合は、学校のクラスということで考えてもよいと思います。

 名言は、「6、家とは、外から見るためのものではなく、中で住むためのものである」「7、家の批評ができるのは、建築家ではなくそこに住む人である」「69、未来には、ひとりでにできる未来と、自分で作る未来との二つがある」など。

  来週6.2週は……

 小3・4年生 6.2週 「カタツムリや虫を見つけたこと」

 去年も同じテーマでしたが、「カタツムリなんていないよう」という生徒が多かったようです。お父さんと近くの神社などに行ってカタツムリを探してみましょう。(カタツムリはなぜか古い建物の石垣などにいます)。カタツムリを水槽などに入れて飼うと楽しいと思います(でも、水を入れるのではなく、土を入れてね)。カタツムリにニンジンを食べさせるとオレンジ色のフンをします。ときどき霧吹きで水気を与えてやると長生きして、そのうち、土の中に卵を産みます。カタツムリは殻が右巻きのものがほとんどですが、中に一種類だけ殻が左巻きのヒダリマキマイマイというのがいます。見つかるといいですね。

 小5・6年生 6.2週 「『ある日、五つに』を読んで(感)」

 きれいに印刷された体裁がよいだけものよりも、心のこもった手紙の方に価値がある、という話です。よく出てくる例で、年賀状。会社などから来る年賀状はカラーできれいに印刷されていますが、もらっても別にうれしくもなんともありません。義理で出していることがわかるからです。しかし、友達から来た年賀状は、鉛筆書きでときどき字をまちがえていたりしても、もらったときにうれしい気持ちがわいてくるでしょう。そういう例を思い出して書いてみましょう。感想は、「手紙とは……」というかたちで考えてみましょう。

 ことわざは、「136、山高きが故に貴からず」「69、人生意気に感ず」など。外見よりも中身という意味のことわざはほかにもありそうですね。

 中学生 6.2週 「『今日の都市生活』を読んで(感)」

 説明文なので、そのまま意見化することができない長文です。自分なりに身近な似た例にあてはめて意見を考えていきましょう。いろいろな考え方ができると思いますが、行列には身分や地位に関係なくみんなが平等に参加できるというプラスの面があるとともに、個人の創意や主体性を無視する不自由さもあるというところで意見が書けそうです。信号機なども同じ面があり、身分や地位に関係なくだれでも赤信号では止まらなければなりません(救急車などは例外)。しかし、車が一台も通っていないときに、わずか数メートルの幅の道路を、赤信号で止まっているというのも何か居心地の悪い感じがするでしょう。秩序を守ることの大切さというところで意見が書けるかな。

 名言は、行列がいちばん民主的に見えるが行列に並ぶ人はだれひとり決して満足していないという意味で、「36、すべてに効くという薬は、何にも、大して効かない」。場合によっては行列の秩序よりもその場に合ったやり方を臨機応変に使おうということで「48、できあがった規則をなんとか守ろうとすることよりも、実態に合わせて規則を変えていくことがしんに規則を生かす道である」。行列に並ぶと個々人の個性は失われるという意味で「62、人はその制服のとおりの人間になる」など。

 高校生 6.2週 「『人間以外の動物』を読んで(感)」

 人間は、文化=記号=言葉によって混沌とした世界に秩序を与えるという話です。だから逆に文化の中に組み入れられていない周辺部については、禁忌感情が働くと述べられています。これを現代の社会の問題として考えてみましょう。ある一つの文化に属することで世界の見方に枠組みを与えられ、異なる文化の見方を許容できなくなるというようなところが問題点として考えられそうです。いつも同じ黒髪、肌色の日本人を見ていると、肌の色が違ったり髪の色が違ったりする人を見るとき、一種の忌避感情が働きます。「おまえ、茶髪なんてやめろよなあ」という具合に。身近な例を通して考えてみましょう。

  「  」の使い方(この記事はホームページの「質問の広場」より転載したものです)

 「5年生の先生」という方から、<「 」の正しい使い方を教えて!>というご質問がありました

 かぎかっこの使い方は、実は、まだ確定していません。

 「の次の行を一マス下げて書く場合も、一マス下げずに書く場合もあります。また、「自体を一マス下げる人もいます。それは、教科書の出版社によってもまちまちです。国語審議会の方針としては、これだけいろいろな書き方がすでに存在しているのだから、統一的な基準を決める必要はないだろう、ということだと思います。

 小学生の場合は、会話を「 」で書く場合。文の終わりの句点も入れて、改行をして、

 

。」

と書くことが多いのですが、世間一般では、句点はつけずに、

 

と書くことが多いと思います。

 また、論説文などの場合は、会話自体も改行せずに、

 

 

と書くことが多いようです。

 ということで、とりあえず、今お使いの教科書に合わせて書くということでやっていくといいと思います。

 しかし、小学生のころの子供は、権威を欲しているので、「どういう書き方でも間違いではないんだよ」という指導は、実はあまりいい指導の仕方ではありません。ですから、国語審議会のみなさんは、勇気を出して、「一応、これを基準としたい」ということを言ってほしいと思います。また、文学者の方は、「統一的な基準があると、表現の自由がそこなわれる」などという視野の狭いことを言わないで、文学の場と教育の場では、事情が違うのだということを理解してほしいと思います。

  正しさの基準も変わる

 戦後すぐは、日本の文化に対する反省の気運が高まっていたために、日本語に対しても大幅な改善が提案されました。「漢字が多すぎるために民主主義が育たなかったのだから、漢字の数を減らそう」ということで、当用漢字表が制定され、それが今の常用漢字表に受け継がれています。また、この漢字制限に伴って、「小さいふりがなをつけると目が悪くなるから、ふりがなをつけないでもいいような易しい漢字だけで文章を書こう」という提案もなされました。極端な意見では、「ひらがなだけにしよう」とか「ローマ字だけにしよう」とか、更には「日本語をやめてフランス語にしよう」などという意見なども真面目に出されました。

 その後、日本の社会が安定し、日本人自身が自国の文化に自信を回復してくると、これまでの行き過ぎを是正する動きが起こってきました。今はその過程にあります。

 戦後の教育を受けた、現在の30代〜50代の世代の人(つまり、生徒のお父さんやお母さんの年代の人たち)は、多かれ少なかれ、その混乱期の影響を受けています。私自身が体験しただけでも、「『ぢ』や『づ』はすべてこれから『じ』や『ず』と書く」と小学校時代に教えられた記憶があります(今は、もちろん、「ちぢむ」「つづく」「みかづき」などと書きます)。また、これも小学生のころ、「『国旗』や『読解』は、これからは、『こくき』『どくかい』と読むことになった」と先生に教えられたこともあります(今は、もちろん、「こっき」「どっかい」と読みます)。最近では「『子供』の『供』は当用漢字表にないから正しくは『子ども』と書く」ということが言われた時期もありました(今は、『子ども』でも『子供』でも正しくなっています)。

 全体に、現状を追認し、あまり厳しく制限しないという方向に進んでいるようです。

  光る表現

■さるきちさん(あある/小2)の作文より(はるな先生/月日520)

 「おねえちゃん、ローラースケートはやくしようよ。」とぼくがいっています。「さきにやっておいて。」とおねえちゃんがいいました。・・・・・・・・ぼくは、いえのまえのさかも、らくちんです。それでおくのさんという、よその車庫のまえでまわりました。くだりは、スピードをあげて、いえのまえのでこぼこのところにいきました。そして、ほそいでんちゅうに、ダダーッとつかまりました。(評)たのしそうに、ローラースケートを夢中でやっているようすが、かけましたね。でも、あまりスピードをだしすぎて、けがをしないように、くれぐれも注意してね!

■プリンさん(あえは/小3)の作文より(スズラン先生/月日520)

 わたしはスズ虫をかっています。・・中略・・オスはこのころに、すずをふったように、「リーン、リーン」となきます。去年もきれいにないてくれました。評:スズ虫の声がきこえてきそうですね。

■もんきちさん(あさな/小3)の作文より(みち先生/月日515)

 岩の間を黒くて長いヘビが早くくねくねととうりすぎました。ぼくは、生でヘビを見たのがはじめてです。ぼくは、テレビでヘビを見たときは、お母さんに「ヘビを家でかっていいか」とたのんだぐらいヘビがかわいく見えました。そして、くびにまいてあそびたいと、思いました。でも、ぼくは、生でヘビを見たら口から細長いしたをシュッとだしてとてもはくりょくがありました。まるでぼくは、きょうりゅうのせかいでたんけんをしているようでした。ヘビはこんな山ですむのがしあわせなので、ぼくは、家でヘビはをかうのは、あきらめ

■直茂さん(ねさ/小3)の作文より(めもま先生/月日516)

 「〜うつときに、心が『どっくんどっくん・・・。』と、いっています。すっごくたのしかったです。(満塁ホームランを打ちたいなぁ、という気持ちがよくわかります。緊張しているけれどとても楽しそうですね!)

■しっぽさん(ほし/小4)の作文より(スズラン先生/月日523)

 水道の所へ行って、水風船をじゃ口にぴったりとくっつけました。じゃ口をひねると、風船がぷくぅっとふくらんで、ぷりんっとしました。最初は丸かったけど、水を入れるとひょうたんのような形にびろぉーんと長くのびました。評:水風船の形の表現にたとえがあったので良くわかりますね。

■ピングーさん(つこ/小6)の作文より(とも先生/月日520)

 (本についての考え)本がきらいな人におすすめというかアドバイスすること。それはたくさんあるが、私が思っているなかでもっとも大切なのは「無理していやいやきらいなタイプの本を読まない」ということだと思う。…中略…自分の気に入った本は自分で見つけるのが当然だ。本を読むことは習うことではないが、「習うより慣れろ」というふうに、本に慣れるのだ。・・・評:読書家らしい意見だね。本のきらいな人にはとても参考になるんじゃないかな。