私たちのめざす作文教室
言葉の森 代表 中根克明(森川林)
http://www.mmjp.or.jp/shine/
勉強は自分でするもの
私が十数年前に作文教室をはじめたとき、出発点として、この教室を国語教室のようなものにはしないという考えがありました。なぜなら、およそ国語にかぎらず勉強というものは本来自分でするものですし、人に教わるよりも自分のペースでする方がずっと能率がいいと考えていたからです。私は学校教育や受験勉強を補完するような教室ではなく、そこで学ぶこと自体に意味がある教室を作りたいと考えていました。この考えはいまも変わりません。
作文の勉強はひとりではできない
英数国などの教科の勉強は、基本的に、独学でもできるものです。しかし、作文は、二つの点で独学ではできないものだと思います。
第一は、まとまりのある600〜1200字程度の文章を毎週書くということはかなり負担の大きいことだからです。小学校低中学年のころはそれほどでもありませんが、中学生・高校生になると、文章を書くことは高度な精神的作業となってきます。文章を書き出すときには、読書をしたり勉強をしたりする何倍もの精神的なエネルギーが必要です。自分の中によほど表現したい何かがなければ、その精神的エネルギーを毎週しぼりだすということはきわめて難しいものです。私自身も学生時代にマスコミをめざして自分で毎日1200字の文章を書く練習をしていたことがあるので、その文章を書き出すときに必要なエネルギーがどれほど大きいかよく知っています。
作文の勉強がひとりではできない第二の理由は、文章は書いた本人では評価できないところがあるということです。私も自分で毎日1200字の文章を書いていたころ、これがマスコミの入社試験でどこまで通用するか、力のあるだれかに見てもらいたいと痛切に思っていました。実際には、その後に受けたある大手新聞社の面接で「君は、文章がすごくうまいね」とほめられましたが。(しかし、そのあと「字がすごくへただ」と言われましたが)
日本の作文教育の問題点
こういう自分の経験をもとに、体系的な文章教育の必要性を感じながら、今の学校教育を見てみると、日本における作文・読書教育の問題点がいくつか見えてきました。
ひとつは、小学校の作文指導における生活文の偏重と読書指導における論説文の軽視です。小学校の作文は、ミニ小説家を育てることを目標にしているかのように、自分の体験を文学的に書くことを求めています。こういうジャンルがあることは決して悪いことではありませんが、そのためにものごとを正確に論理的に書くという最も大事なことがなおざりにされているところがあります。また読書は、物語文を中心に作者の心情や情景の描写をとらえながら読むことに重点が置かれすぎています。科学や社会の本は、理科や社会の教科の中で読むものだという固定観念があるかのように国語の授業の中では軽視されています。しかし、本当は国語という教科の中で、理科や社会の本も含めてあらゆるジャンルのものを読む力をつける必要があるのです。
日本の作文教育のもうひとつの問題点は、小学校の特に低学年における作文教育の行き過ぎ(低学年でむりやり読書感想文を書かせるなど年齢を考慮していない指導)と、それと対極的な中学・高校における作文読書教育の不在です。中学・高校では、作文や読書は学校の勉強としてするものではなく自分でするものと位置づけられていかのようです。しかしその結果、大学生になっても難しい文章を読んだりまとまった文章を書いたりすることが苦手だという人が大量に生まれているのです。
ほかの作文教室との違い
今、学習塾で作文のコースを開設するところが増えていますが、それらの教室の目的は、記述式の問題が増えている受験勉強に対応するという目先の範囲に限定されたものです。私たちの作文教室の目的は、子供たちが青年になったときに、その年齢にふさわしい思考力と表現力と感受性を持つことができるように育てていきたいというところにあります。この作文指導の目的の差異は、小学生の低中学年の間ははっきりしたものではありません。しかし、中学生・高校生・大学生になると、その差は次第に明らかになってきます。
言葉の森では、大学生や社会人になったあとも続けて勉強をする人が年々増えています。これは、作文の勉強が単に国語の成績を上げるとか小論文の試験に合格するといったものだけでなく、その人たちにとって自己を向上させることに役立つものと位置づけられているからだと思います。
国語の力がつく
言葉の森の作文の勉強は、現実の学校生活の中でも多くの成果を上げています。
まず、作文教室で勉強をすることによって、記述力・読解力・国語力がつきます。大学受験の現代文や小論文では、更に直接的な実力がつきます。
言葉の森の教材は低学年ではそれほどでもありませんが、高学年になるにつれて学年相応よりも難しい文章を読んで感想文を書く勉強になります。毎週こういう課題をやっていると、読む力や書く力は自然についてきます。
小学校高学年のころに国語が苦手だった生徒でも、高校生になるといつのまにか国語が得意教科になります。小学校のころから国語が得意だった生徒の中には、高校生になると大人が書くのと同じような立派な文章を書ける生徒が出てきます。
これは逆に言えば、現在の中学生・高校生がいかに本を読んだり文章を書いたりしていないかということです。中学生時代の三年間、言葉の森で毎週感想文を書いていれば、普通の中学生が決して読まないような難しい本を何冊か読んだのと同じことになります。これに、毎日の自習が加わればその効果はさらに大きくなります。
毎週一回作文を書く練習をしていると、高校生になるころには、書くスピードがかなりついてきます。
今の高校生・大学生は文章を書く機会がほとんどないので、書くことの上手下手以前に書くスピードがきわめて遅いという共通の弱点があります。文章を書くスピードは、大学受験で小論文を書くときには欠かすことのできない土台になります。
書く力は社会人になってからも必要
文章を書く力は、社会人になってからも必要です。書くことが苦にならないというのは、携わる仕事がリーダーシップを必要とするものになれば更に重要になってきます。特に、これからの情報化時代には、リーダーが自分の言葉で自分の考えを述べるということは組織の運営の要になってきます。
これまでの社会はいくつもの階層に分かれたピラミッド型の組織が中心でした。こういう組織ではトップは少数の幹部に対する指示や調整を中心にして組織を運営することができました。その結果、今の日本の社会では、極端に言えば原稿の棒読みしかしないようなトップでも、人柄がよくて調整力があれば通用するという状況が少なからず生まれているのです。
しかし、インターネットをはじめとする情報化の進展は今、組織をかぎりなくフラットなものにしています。そこでは、一人ひとりに根回しをするような能力よりも、全員に向かって自分のビジョンをわかりやすく表現する能力が求められています。
大学生の就職先として人気のあるソニーの魅力は、現在の出井社長の個性によるところが大きいと言われています。出井社長は自分の個人のホームページを持ち、そのホームページにはソニーの社員ばかりか世界中のだれもがアクセスできるようになっています。
これからのトップは、自分が何をめざしどこに行こうとしているかということを明確に説明することのできる能力を求められているのです。
将来はディスカッションのサークルを
言葉の森の作文指導の目的は、作文を通して子どもたちの個性・知性・感性を育てることです。それが、小中学生のころは、記述力・読解力・国語力をつけることに結びつき、高校生では大学受験の現代文・小論文の力をつけることに結びついています。しかし、私たちの本当の展望は、生徒が大学生や社会人になったあとにお互いに自由にディスカッションのできるサークルを作ることにあります。
それは、人生や社会や科学についての高度で広範な話題を自由に創造的に話し合うことができるサークルです。また、そこで、互いに良書をすすめ合ったり、価値ある情報を交換し合ったりすることもできるようにしていきたいと思っています。
このサークルの特徴は、そこでの交流が小学校低学年からの古い付き合いのある仲間どうしの信頼に基づいてなされるというところにあります。今は、小学校時代に仲のいい友達でも、中学受験や高校受験でばらばらになり、同じ地域に住んでいても卒業以来会うことも話すこともなくなるという関係が多くなっています。それが子どもたちの人間関係を地域から切り離された狭いものにしています。女子の場合、中学受験で女子校に入り大学でも文学部などを選ぶと、中学以来ほとんど女子だけの世界で暮らすようなケースが考えられます。男子の場合も同様で、中高一貫の男子校に入り大学で理科系の学部に入ると、男子だけの世界で勉強をしたり仕事をしたりする時間が生活の多くを占めるようになっていきます。
小学校低学年からの付き合いを継続して、社会人になってからも話し合うことができるようになれば、そのサークルは一種の同窓会のような親しみのある雰囲気で運営することができます。
また、地方や海外に行っても、今のネットワーク社会ではいつでも連絡をとることができますから、オンラインとオフラインを組み合わせて、仕事の仲間とはまた別の仲間との日常的な交流が可能になるでしょう。
現在、インターネットの世界では、掲示板やメーリングリストのようなかたちで気の合った人どうしが自由に話し合うことのできるサークルが無数に生まれています。しかし、これらの自主的なサークルの運営のむずかしいところは、人気のあるサークルはすぐに人数が増え交流の密度がうすくなってしまうというところにあります。かといって会員を限定した閉鎖的なサークルにすると、仲間内だけの会話は次第に知的な刺激が乏しくなり活気がなくなっていくという事情があります。
しかし、作文教室というかたちの運営主体があれば、必要に応じて弾力的にクラス替えを行い、しかも常に新しい仲間が参加するというかたちの変化のある運営ができるようになります。
言葉の森のサークルで、全国の生徒たちがそれぞれの地域で、出会いと触れ合いと創造と向上に満ちた生活を日常的に実現できるような場を作っていくことが、私たちの将来の展望です。
一緒に作文の勉強を
生徒の内訳
現在、言葉の森の生徒数は約290名です。このうち、通信で勉強している生徒が180名、教室に通って勉強している生徒が110名。学年別に見ると、小学校低学年30名、小学校中学年90名、小学校高学年60名、中学生50名、高校生以上60名です。
新しく入ってくる生徒の中には、作文の得意な子も苦手な子もいますが、小学校低学年で入ってくる生徒には作文の得意な子が多いようです。中学生になって新たに作文の勉強を始めるという人は少なく、小学生のころから続けている生徒がほとんどです。高校生は、大学受験で小論文を使うという生徒がかなりいます。
港南台の教室では、中学生以上の生徒はインターネットに接続した7台のパソコンを使って作文を書いています。今後はパソコンの台数を増やし、小学校高学年でローマ字を覚えた生徒もパソコンで作文を書くようにしていく予定です。パソコンで作文を書くと、同学年のほかの人の書いた作文を参考にできるので、意見文を深めることに役立ちます。この効果はかなり大きく、手書きで書いていたころに比べて、中学生以上の生徒の文章力はここ数年、格段に進歩が速くなっています。
パソコンを入れて個別指導で教室を運営するとなると、教室に入る人数もゆったりとできる範囲におさめなければなりません。例年、秋になると大学受験の推薦入試で小論文を書く生徒が増えるため教室がやや手狭になります。教室全体のバランスのとれた運営をしていくために今後は小学校低学年の生徒を優先し、細くても長く続けられる教室にしていきたいと思っています。
作文の勉強は学年が上がるにつれて難しくなるので、国語が苦手ないし普通の子が高学年になってから勉強を開始しても、高校生になるまで継続できる生徒はあまり多くありません。しかし、低学年からスタートした子には、高校生になるまで継続できる生徒がかなりいます。
勉強の曜日時間は自由に決められます
言葉の森では、個別指導を充実させるために、添削講評を担当している先生が、教室にいる生徒に電話をしてその週の課題などを説明をします。そして、教室にいる先生は、電話の先生とは別に、生徒が作文を書いている間に書き方のアドバイスをします。
電話の時間は平日4時〜9時、土曜1時半〜5時の間であらかじめご希望の時間を決めていただきます。生徒が教室に入るのは、この決めていただいた電話の時間以前でしたらいつでも結構です。
曜日や時間の変更、休んだときの振替、通学から通信への切替、通信から通学への切替などは随時できます。
受講を申し込まれる方は、同封の葉書をお送りくださるかお電話またはファクスでご連絡ください。