http://www.mmjp.or.jp/shine/ 1998年12月2週号 通算第597号 shine@japan.email.ne.jp

言葉の森新聞

文責 中根克明(森川林)

  貸出図書の返却は12月10日までにお願いします。(再)

  12.2週のヒント

  小3・4年生 12.2週 おどろいたこと

 これまでで、どんなことにおどろいたことがありますか。うれしいおどろき、かなしいおどろき、いろいろありそうですね。いちばんおどろいたことを思い出して書いてみましょう。

  小5・6年生 12.2週 イギリス人は犬を(長文7)

 イギリス人は犬を家畜と考えて飼っているのに対し、日本人は犬を友達のように考えて飼っています。このことは、犬に限らずあらゆるものに対して日本人がとる独特の姿勢です。「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがあるように、日本人は、昆虫や草木に対しても友達のように接します。「やれ打つな ハエが手をする 足をする」「アサガオに つるべとられて もらい水」などの歌では、ハエやアサガオが人間のような魂を持ったものとして扱われています。

 にた話は、飼っているペットに対する自分の気持ちなどで書けそうです。近所の躾(しつけ)のよくできている犬と、躾のできていない犬(ほえてばかりいる、飼い主をひっぱって歩いているなど)の違いなどで書いてもいいでしょう。

 データは、下記のようなところから引用してみましょう。

(1)教養娯楽用品に占めるペット関係の割合は、平成2年の9.4%から、平成8年には14.5%に上昇。

http://www.stat.go.jp/zuhyou/topi73.gifより)

(2)あなたとペットの仲は、「子供(39%)」「友人(19%)」「兄弟姉妹(17%)」……「ペット(3%)」(96年 味の素ゼネラルフーヅ調べ ペット愛好家500人の調査)

(3)1990年→1994年で、犬の寿命は8.6歳→10.1歳に、猫の寿命は5.1歳→6.7歳に。(東京農工大の小川益男教授の調査 全国の14000匹の調査)

 ことわざは、「15、一寸の虫にも五分の魂」「71、過ぎたるは及ばざるがごとし」など。

 中学生 12.2週「日本人が淡白で(長文7)」

 「ごてごてしたものよりもあっさりしたもの」「理屈よりも直感」というのが日本人の美意識です。絵でも音楽でも食事でも、日本のものは全体に淡白です。欧米の人にとっては、この淡白さは理解しがたいものがあるようです。「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句を欧米人に説明しても「だから、なんなんだ」と言われるだけでしょう。

 意見は、「理屈と直感」を対比させて考えてみましょう。

 データは、「22、20代の独身男女の理想の朝食像」など。長い勉強(仕事)が終わってくたびれて帰ったときは、やはり柴漬けが食べたいでしょ?

 高校生以上 12.2週「知識の生産過程が(長文7)」

 情報と知識の違いがテーマ。知識は蓄積され体系化され文化の共有の基盤となりますが、情報はただ雑多なデータの集まりでしかありません。パソコンやインターネットを使うのならだれでもできますが、問題はそれを利用して何をするかということです。

 データは、高校生はインターネットや「現代用語の基礎知識」などをもとに、自分で探してみましょう。

  父母アンケート葉書の一部に料金不足?

 12月にお送りした「父母アンケート葉書」の一部に料金不足があった可能性があります。料金不足のあった方はご連絡ください。自習用紙の「生徒から先生へ」の欄に書いてくださるようお願い申し上げます。

 

  12.3週のヒント(予告)

  小3・4年生 12.3週 その日から(長文8)

 戦争というのは、国どうしのけんかのようなものです。日本に対して原爆を使ったアメリカは、アインシュタインらの核廃絶と戦争反対の声を無視して、ソ連との核開発競争に進んでいきます。友達とけんかするとき、「あいつがああやったから、こっちはこうやる」「それなら、こっちはこうだ」とだんだんエスカレートしてしまうことがあります。話し合って仲良くすればいいのにね。

 小5・6年生 12.3週「人間および動物を通して(長文8)」

 出会いや再会のときの挨拶は、相手の身元確認や相互の親愛感の確認という意味を持っています。久しぶりに会ったときや、遠くへ旅行するときなど、特に入念に挨拶をするでしょう。挨拶の身近な例を書いてみましょう。

 ことわざは「11、衣食足りて礼節を知る」。おなかがすいて死にそうなときは、何も言わずにガツガツ食べるというようなこともあるけど、普通の文化的な生活をしている人は、やはり「いっただきまーす」と言わないとね。道端で知っている人に会ったときにもちゃんと挨拶をしているかな。

 「49、郷に入っては郷に従え」イヌイットの人たちと挨拶するときは鼻と鼻をこすりあわせなきゃいけないし、チベットでは偉い人に挨拶するときは「あっかんべー」と舌を出さなきゃいけないんだよ。(「世界ふしぎめぐり2年生)より)

 

 中学生 12.3週「日本のある会社が(長文8)」

 日本人の「謙譲の美徳」「相手を枠にはめる見方」「長所を伸ばさない文化」などについて考えてみましょう。

 データは、「1、世界の億万長者」など。アメリカは日本の「謙譲の美徳」「長所を伸ばさない文化」とはほぼ正反対の文化を持っています。だから、ビル・ゲイツのような人が生まれるのでしょうね。

 高校生以上 12.3週「高齢化社会には(長文8)」

 高齢化社会は単なる調整の問題だ、というのがテーマ。高齢化社会というと暗い後ろ向きの面ばかりが語られがちですが、かえって落ち着いた暮らしやすい社会になりそうです。

  自習のさせ方(「どうして自習をさせにくいのか」のつづき)

 長文音読は親も楽しんで

 長文の音読を長続きさせるコツは、子供が読むのを聞いてあげるお母さんやお父さん自身も聞くのを楽しむということです。小学校5年生以上の長文は、大人が聞いていても「なるほど」と考えさせられるものがあります。それを何度も聞いていると、一度聞いたときとはまた違った発見があるものです。読書でもそうですが、一度読んでわかったつもりになっていても、二度三度くりかえして読むと、必ず一度目には気がつかなかったことに気がつきます。

 子供の長文音読を聞きながら、ふだんの生活上の似た話などをお母さんやお父さんが教えてあげると、子供の読み取り方はさらに深まります。こういう知的な話題で親子の対話ができるというのは、ほかではなかなかできないことだと思います。

 多少の脱線は認めて長続きを

 同じ長文を何度も読んでいると、子供は途中からところどころ暗唱して読んでいくようになります。暗唱できるくらいくりかえし読んでいくと、この長文のリズム感が数ヶ月か数年後の作文の中に生きてきます。

 しかし、同じものをくりかえし読むというのはやはり飽きるものです。子供は時にふざけて、長文の言葉を別の言葉に言い換えたり、「します」を「しません」と読み換えたりして読むことがあります。こういう多少の脱線は、あまり目くじらをたてずに認めてあげてもいいと思います。注意するときでも、明るく注意するようにして、長文の音読ができるだけ楽しい雰囲気で長続きするようにしてあげてください。

 決してからかわない

 長文集には、子供がはじめて接するような言葉もたくさん出てきます。子供が読み違えたときには、決してからかわないということが大切です。「なあに、こんなのもわからないの?」と子供をよくからかうお父さんやお母さんは、自身が子供のころやはりそのお父さんやお母さんからそういうふうにからかわれて育ったことが多いのだと思います。親子の楽しいふれあいは「からかい」とは別のところで作っていくようにしてください。

 感心が子供のやる気を引き出す

 子供がいちばんうれしいことは、お父さんやお母さんから感心されることです。長文を読み終えたら、「だんだん読むのがじょうずになったね」「ずいぶんむずかしい文章を読めるようになったね」「こんな難しいのを読んでいる子っていないよね」と、ときどき言ってあげてください。

 「ほら、またまちがえた」「なんでもっとじょうずに読めないの」と言っていると、読むことがますます下手になります。どんなにつっかえて読んでいても、「じょうずになってきたね」と言っていると、実際に読むことが上手になります。このことは、勉強やスポーツについてもすべて同じようにあてはまることだと思います。

 ほめることに飽きないで

 勉強を教えることの得意でないお父さんやお母さんは、全体にほめることが少ないものです。昨日ほめたから今日はもうほめない、一度ほめたことは二度はほめない、というふうに、ほめることを出し惜しみする人がとても多いように思います。「昨日と同じことが今日できたってえらくないのよ。今日は昨日よりさらにじょうずにできなきゃ」という発想で子供に接していては、子供は息切れしてしまいます。昨日ほめたのと同じことを今日も同じようにほめる、という接し方をしていくことによって、子供は自分の力で先に進む元気を出していくのです。

 親は○○をしながら聞いてあげる

 勉強は手取り足取り教えるものではありません。子供の勉強を見ていると親の方が先にくたびれるというお母さんやお父さんは、「教えすぎている」ことが多いものです。長文の音読でも、あまり熱心にやらせようとせずに、「お母さんは横で新聞を読んでいるから、あなたは大きい声で読んでね」というぐらいに距離をおいた教え方の方が長続きします。新聞を読みながらでも聞いていれば、自然にまちがえた読み方に気づくものです。算数でも漢字の書き取りでも、つきっきりでやらせようとすると、つい「ほら、そこ違うでしょ」と注意しすぎることになり、勉強が親にとっても子供にとっても負担の多いものになってきます。

 しかし、かといって、子供部屋で子供にまかせてやらせるというのは、勉強に対する自覚のできる中学3年生のころまでは無理だと思います。子供にまかせていると、必ず中身のない形式だけの勉強になっていきます。

 子供の勉強を見るときの親の姿勢は、「まかせる」でも「つきっきり」でもなく、「○○しながら」というつかず離れずの関係がいいようです。

(つづく)

 

 

 

  光る表現コーナー

—————98年11月20日〜98年11月26日(前週からのつづき)——————————————

しっぽさん(ほし/小4)の作文より(スズラン先生/月日1114)

 「う〜気持ちい〜!」おじいちゃんの船がびゅんびゅん走ります。その日は、いとこと、お母さんの弟とお姉さんといっしょに、無人島でバーベキューをするのでした。でも、その後、すごい事が起こるとはだぁれも知りませんでした。評:なにが起きたのかしら? と読み手を引き付ける書き出しですね。

大河原さん(こち/小5)の作文より(とこのん先生/月日1120)

 「球根が来たよーっ。」お母さんが大きな声で言った。今日家に球根がとどいた。「わあーい、うめよう。うめよう。」などとはしゃいでいたが 評:球根が届いてみんなが喜んでいる様子がよく伝わってきます。

後藤さん(わゆ/小5)の作文より(かつみ先生/月日1119)

 私は作ればいいじゃないかと思う。だってクローン羊なんかもいるんだもん。 評:むずかしいことしっているね。こういう具体例はとってもいいよ。

宇佐美さん(あうけ/小6)の作文より(みち先生/月日1103)

 下校時刻をすぎて、窓から夕がたの光がさしこんでくる六年二組の教室をでて、ぼくたちはげんかんへむかった。:評:情景の書き出し。見えるようです。表現力がつきましたね。

藤巻寿子さん(かえ/中3)の作文より(とも先生/月日1123)

 (物事そのものと、それらの余白や行間について。余白・行間の楽しみ方に対する反対理解)だからといって、主流であるそのものを忘れてはいけないと思う。建物が土台があって成立するように、知識や興味も土台が無くては意味がないように思える。・・・評:建物の構造にたとえて表現したのがとてもわかりやすいね。長文を自分の中で十分咀嚼しているのがわかるよ。

—————98年08月27日〜98年10月10日(まだプリントされていない分がありました)———

宮崎さん(あこい/小1)の作文より(かつみ先生/月日909)

 (うまにのって)「がたがた。」といいました。けが、ふわふわでした。(評:なんだか、詩をよんでいるような、リズムのいいひょうげんですね。とてもじょうずにかけました。)

ニルスさん(あそな/小2)の作文より(スズラン先生/月日910)

 ぼうで、さぐっていきました。バッタがピョーンとはねたのを見ました。ぼくは、ひっしにおいかけました。評:とつぜんバッタがでてきたときのようすがわかりますよ。

秋間さん(つて/小2)の作文より(ひかり先生/月日909)

 私は、すもぐりが得意です。ママはわたしがすもぐりをすると「し−ちゃんて、にんぎょうひめみたいだね」といいます。わたしは、プ−ルがとてもすきです。「評」お母さんがとってもいいたとえかたを示してくださっていますね。栞ちゃんのことを、にんぎょうのようだといってくれるなんて、楽しそうにもぐっている様子が目にうかぶようです。

三須さん(ああて/小3)の作文より(かつみ先生/月日909)

 おばあちゃんはおはなをならっています。先生になってもいいほどうまいんです。(評:先生になってもいいほど、というのがとてもいいです。上手なことがよくわかります。)

ゆりさん(あおへ/小3)の作文より(かつみ先生/月日907)

 おばあちゃんはトランプなどで遊ぶとき、まけてばっかりです。まけてもわらってばっかりいます。 評:たのしいおばあちゃんのようすが、じょうずにかけています。

チョチコンさん(あさお/小3)の作文より(ゆり先生/月日905)

 おばあちゃんがむりやりバッタを体そうさせて、バッタの足がとれたほど! しょう子は、(バッタもおばあちゃんに体そうなんかさせられちゃあ、たまったもんじゃないな。)と思いました。 評:おもしろいおばあちゃんだね。チョチコンさんを笑わそうと思ってしてくれたのかな? バッタの気持ちになったチョチコンさんの気持ち、おもしろいね。たしかにバッタは痛かっただろうね!

吉岡さん(あすえ/小3)の作文より(ひかり先生/月日909)

 「まだなの−!」と冷蔵庫にちょっかいをだしました。「もう時間ないからジュ−スのままのんじゃおう!」といいました。冷蔵庫を何回あけてみても凍ってなくて、もう1回空けてみたらやっと凍っていてうれしかったです。そして仲良くわけてたべました。「評」アイスキャンデイ−がなかなか固まらないのでやきもきして、待っているようすや、ちはるちゃんの人柄がわかる会話文がはいっているので、とても生き生きした作文がかけましたね。

ドラゴンさん(ちわ/小3)の作文より(スズラン先生/月日903)

 あげたては、ホクホクしてとてもおいしかったです。お店で売っているコロッケもおいしいけれど、お母さんのコロッケはもっとおいしかったです。きょうは、ぼくもお手伝いができたので、とくべつおいしいコロッケでした。評:初めてのコロッケ作りが大成功、あげたての味が伝わってきましたよ。

 

清水さん(てい/小3)の作文より(スズラン先生/月日914)

 おじいちゃんはせっかちで、ぼくが車で送ってってもらうときの時間じゃないのに、「行くぞ、行くぞ。」と言って、車のかぎを持ってうろうろしています。評:せっかちなようすがよくでていますね。

飯田さん(あいい/小4)の作文より(かつみ先生/月日907)

 (ちかちゃんを一番でしにしたいと言ったすみ絵の先生が教室を開いたら、ちかちゃんも習いたいかとお母さんに聞かれて)「もちろん!!」とはりきって、答えました。 評:ちかちゃんのうれしかった気持ち、何か自分の得意なことが見つかったような気持ちなどが、はりきって、という表現にふくまれていますね。とてもいい表現です。

髙津さん(あうれ/小4)の作文より(スズラン先生/月日918)

 今年は雨がふらないので、みかんの木の葉や、花が水がほしくてしおれています。かれる木も多いことでしょう。評:香川県は雨がすくなかったのですね。木や花のようすを良く見ていますね。

みみデカさん(あえほ/小4)の作文より(かつみ先生/月日907)

 ぼくは、まるで生き物みたいな火が好きになった。 評:生き生きとしている火がイメージできる、いい文章だね。

みみデカさん(あえほ/小4)の作文より(かつみ先生/月日915)

 「わっスゲエデッケーたんこぶこしらえてる。はやく保健室いかないともっとたんこぶが大きくなってミミデカをおおってしまうぞ」といった。触ってみるとまるでみかんのような大きさだった。【評:ユーモアたっぷりと、いたいことを表現していますね。笑ってしまうけれど、みかんの大きさのたんこぶは、やっぱりいたいよね。】

岡根さん(あその/小4)の作文より(かつみ先生/月日909)

 ぼくがきのう、足がいたくなった時、おばあちゃんがもんでくれました。そうしたら、足をもんであげられるまごがいてよかった。」と言いました。ぼくは「足をもんでくれるおばあちゃんがいてよかった。」と言いました。これからもおばあちゃんと仲良くしていきたいと思います。(評:とってもいい雰囲気が伝わってきま

岡根さん(あその/小4)の作文より(かつみ先生/月日924)

 (ともだちの)だいきは体が大きいので体をもってくれました。評:とげが刺さって、歩けないときだいきくんが助けてくれたんだね。たよりになるともだちがいてよかったよかった。いつか、おんがえしをしないといけないね。

こずっちさん(さへ/小4)の作文より(ゆり先生/月日905)

 おばあちゃんは、何度も何度もお手本を書いてくれました。そして、何度も色紙用の紙をくれました。(略)色紙に書いたら、まるで、習字がうまくなったような気がしました。 評:やさしいおばあちゃんですね。おばあちゃんのアドバイスで、"気がした"だけじゃなく、きっと本当に字がうまくなったんだよ。でも色紙に書くととてもカッコウいいよね!

ダヤンさん(そら/小4)の作文より(スズラン先生/月日921)

 いたみというものは、自分のもう一つのかげのようなもので、私のあとからついてくるように、しつこくじんじんいたませて、私がどんなに逃げてもついてくるので、私といたいのがおにごっこをしているみたいでした。:痛いときは、その痛さを切り離すことができないものね。かげのようなもの、というのがおもしろいたとえでしたね。

古尾谷さん(なみ/小4)の作文より(もとばと先生/月日917)

 私は、「どれくらい(ドッチボールが)うまいの。」と母に言われますが、あまりうまくありません。「好きこそ物のじょうずなれ」ということわざがありますが、私はその逆です。評:むずかしいことわざを上手に使っていますね。

清原さん(ねる/小4)の作文より(洋子先生/月日908)

 そういえば、五歳のころヤカンにはいっていた熱湯がうでにかかってやけどをしたことがあります。その時はものすごくいたかったです。でも(今回の)木のぼうで手首をけがしたほうが二倍いたかったです。(「いたかったこと」の作文でまえのはなしがうまく感想を入れてかけていました。ケガには、くれぐれも気をつけて)

しっぽさん(ほし/小4)の作文より(スズラン先生/月日914)

 できものは、ますますはれて、ズキズキ痛くなりました。私には、できものが私をからかって、笑っているように思えました。評:できものが痛くなったときの気持ちがでていますね。ぐっと我慢していたこともわかりますよ。

SAPPHIREさん(ああす/小5)の作文より(ミルクティ先生/月日915)

 「今日はここで遊んで、二日目に武蔵の里をまわろうな。」(中略)武蔵のお墓へ行った。そのお墓は武蔵神社の中にあった。そこには両親のお墓もあった。「大きいね。」「そうじゃなぁ。」と祖父と話していた。評:旅先での会話におじいさん、おばあさんらしさが、よく出ていますね。

宮崎さん(あたつ/小5)の作文より(かつみ先生/月日924)

 それは、いつもの五時間目だった。台風の過ぎ去った快晴の空…だったが、嵐は突然起きた。評:わくわくするね。読みたいという気持ちにさせるよね。こういう文章力は、テクニックなので、いろいろな案を考えておくと、後々役に立ってくるよ。

 

 

 

はるるさん(くあ/小5)の作文より(はるな先生/月日913)

 祖父母の家に遊びに行くと、「裕ちゃん、次はメロン食べる?」 「次はケーキ食べる?」などと、いろんなものが冷蔵庫から、マジックのようにでてくる。これには、びっくりした。・・・・(講評)おばあちゃんたちは、ひさしぶりにやってきたあなたたちのために、おいしいものを、たくさん用意して待っていてくださっているんですね。おもしろいたとえの表現です。

岩田さん(にの/小5)の作文より(洋子先生/月日918)

 「お母さん、お母さん、見て見て、風船爆弾の番組をやっているよ」と僕は、興奮しながらお母さんを探した。(戦争の話をおばあさん、おじいさんから聞いたときの作文の出だしのところです。おばあさんに聞いた風船爆弾のことをテレビでやっていたのに気がついたのですね。読む人をひきつける書き方でうまいですね。)

カイリューさん(らさ/小5)の作文より(とも先生/月日911)

 (阪神大震災の本を読んで、感想文のまとめ)毎日毎日同じ生活をして、毎日毎日同じ顔を見ていたのに、ある日とつぜん、いつも見ていた顔が消え去っていった。いっしゅんのうちに多くの命を失った。いつもの楽しい生活もこなくなった。できなくなった人もいる。生きるということは、あたりまえのことだけど、あたりまえのことを大切にしなければならない。

佐藤さん(らる/小5)の作文より(ミルクティ先生/月日915)

 祖母は、旅行が好きだってさ。だから、このあいだ伊豆にもいってきた。だけどあの体じゃあまり旅行にも行けない。かわいそうと思った。ぼくは、野球のおみやげに、クッキーを買ってきた。わずかなお金で買ってきたクッキーをおいしそうに食べていた。ぼくは、祖母をこれからも、大切にしたいと思った。評:おばあさんとのエピソード一つ一つに、駿介くんの思ったことが書いてあって、おばさんへの思いがよく伝わってきたよ

後藤さん(わゆ/小5)の作文より(かつみ先生/月日915)

 デパートやせんもん店に行ったり来たりしていたので、この1日は長いな、と思いました。【評:買い物に付き合っている時間は、本当に長く感じるよね。もっと見たいところがたくさんあるのに、そういう気持ちが伝わってきます。】

ロンさん(わわ/小5)の作文より(ひかり先生/月日917)

 プ−ルの底を行ったり来たりして5回がすぎたところで「ゴオ———」とすごい波がきました。昨年は、ほんの小さな波だったのに、今年は成功しました。来年も頑張って、成功したいです。「評」人工の波づくりを競う水泳教室の企画。とても珍しい競技ですね。「ごお————」すごい波がきました。昨年今年来年を比較したり、希望を結びとしているところで、たつのすけくんのこの競技にかける、思い入れがよくわかる作文になりました。

ドリカムさん(うせ/中2)の作文より(ひかり先生/月日918)

 朝、学校へ行くまで友達と待ち合わせていくが————「中略」————言葉もしゃべらずに心が通じ合うことは、とても素敵なことだ。言葉だけの世界だけだと心の中まではみえない。だからこそ、そのような日本の文化を大切にしなければならない。「評」言葉なくても心が通じた体験実例をあげて、だからこそこのような日本独特のコミュニケ−ション文化を大切にしなければならないと結びに自分の意見をしっかり書けたのはりっぱです。

Bearさん(ふね/中2)の作文より(ミルクティ先生/月日911)

 「親は、子供に教育を受けさせる義務があり、子供は、教育を受ける権利がある。」私の学校の先生は、時々そう言う。今の日本では、義務教育によって、学校で九年間教育を受ける。ところで、勉強することには、どのような意味があるのだろうか。評:「勉強と遊び」という作文の書き出しです。「勉強の意味」について、これからどんな意見が展開されるのか、思わず引き込まれる、うまい書き出しですね。

さやかさん(あおべ/中3)の作文より(スズラン先生/月日914)

 勉強は私達の知識を豊富にするが、遊ぶということからは、私と他人が関わってゆくときに必要なことを学べるのだ。人間は一人では生きて行けない。私達が人と関わって行くときに、真の人間性がとわれるのではないか。そう思うと、遊ぶことも又、人間を作るための基礎となっているのだ。評:勉強の大切さを述べたあとの遊びに対する意見として、素直な意見で同感できますね。

FD3Sさん(あしあ/高1)の作文より(あかね先生/月日918)

 もし浦島太郎が詰め込み型の教育を受けていたら、柔軟な考え方が不足しているために竜宮城などある訳がないと思って冷たく亀を突き放してしまうだろうし、亀がしゃべった時点で驚いて逃げてしまうかもしれない。(評)おっしゃるとおり! 見事な例えです。

堤さん(いし/高1)の作文より(ミルクティ先生/月日918)

 確かに今までの日本は一流大学に入れば一流の会社という時代だった。しかし、今では超一流の大手会社もあっという間に倒産する時代。なんのための一流なのか。そんな暗い時代なら私は小さな会社のトップで時代を変える生き方の方が人間らしくて楽しいんじゃないかと思う。評:「鶏口がよい」という意見を、社会状況に照らして展開しているところがいいね。

 

 

 

坂本さん(おて/高1)の作文より(ミルクティ先生/月日918)

 人は、井の中の蛙、大海を知らず、もとい「点数の上位者、社会を知らず」になってはならないと私は考える。やはり、広い視野をもってこそ、良い人間になれるのではないだろうか。鶏口に甘んじず、牛後からでも、牛口を目指した方が、人としても成長していけるのでは、と私は思う。評:「鶏口で満足してしまってはいけない。むしろ牛後から牛口を目指す生き方がよい。」という意見に、ことわざの加工をうまく使えたね。

ゆりりんさん(あいち/小2)の作文より(ひまわり先生/月日825)

 おじさんがまっかになってとおりすぎました。わたしはまるで赤人間のようにおもいました。評:日焼けをして真っ赤になっている様子がとてもよく分かります。

栞さん(つて/小2)の作文より(ひかり先生/月日825)

 「わたしの大事なももちゃんの大きさは、私の手ふたつぐらいの大きさで、目はきょろきょろしてかわいいです。」「評」「大切な宝物であるももちゃんが、どのぐらいの大きさであるかが、自分の手を2つあわせたぐらいと、とっても読む人にわかりやすいたとえで大きさを表わすことができましたね。

柴山さん(らき/小2)の作文より(かつみ先生/月日825)

 わたしは、おともだちが2人できたのでうれしかったです。(プールのれんしゅうでおともだちができたんだね。ともだちは、なんにんいてもいいよね。)

チョチコンさん(あさお/小3)の作文より(ゆり先生/月日822)

 (パストゥールも、かんぷまさつをしていたのかな。)と思いました。なぜかというと、コレラ菌や炭疸菌が、うつるかもしれないのに、パストゥールにはうつらなかったからです。まるで、きん肉マンのような体だったのでしょうネ。(評:ホント、毎日毎日コレラ菌や炭疸菌の研究をしていてうつらなかったのは、やっぱり体が丈夫だったんだろうね。かんぷまさつ、してたのかなあ・・・ とてもおもしろい発想ですね。)

千陽さん(あすえ/小3)の作文より(ひかり先生/月日825)

 お父さんは「、そう、偶然に発明されたんだよ。」「大発明というものは、元々偶然が多いんだよ」とはなしてくれました。私は偶然が、役に立つなんてびっくりしました。「評」本当に、昔から何か発見してやろうとか、発明するぞ−と思って発見されたり発明された物って少なく、偶然みつかったことがおおいそうですね。先生もびっくりです。ちはるちゃんの素直な驚きがよく表現できています。

まなみっちさん(しあ/小3)の作文より(スズラン先生/月日824)

 ライオンの赤ちゃんは、コロコロころがったり、はしりまわったり、ひまそうにすわったりしていて、とてもかわいかったです。評:ライオンの動作を良く見ていましたね。

清水さん(てい/小3)の作文より(スズラン先生/月日822)

 葉っぱや木に、水でっぽうでうつと、木はうれしそうにいっしょうけんめいのびようとします。葉っぱにかけると、しずくをつけながらうれしそうに水の力でゆれます。評:ことに暑い夏など、水をかけてもらった木が、気持ちよさそうにしているのがわかるたとえですね。

乙坂さん(ねす/小3)の作文より(かつみ先生/月日826)

 「ぼくは、こんなたくさんつかまえられるなんてゆめみたい。」だと思いました。(評:なかなか、つかまえられないもんだよね。きっと、まさきくんもはじめてたくさんとったんだね。いい思い出ができてよかった

みみデカさん(あえほ/小4)の作文より(かつみ先生/月日824)

 僕は水鉄砲で、どうして水がいきおいよくでるのかなといつも思っていた 評:疑問を持つって大事だね。

みみデカさん(あえほ/小4)の作文より(かつみ先生/月日825)

 まだ、小さいころは、小人がつつの中にいて押すのかと考えたくらいだ。 評:面白い表現だね。そんな風に考えられる、ユーモアって、ずっと持ちつづけたいね。

円谷さん(あおる/小4)の作文より(とも先生/月日824)

 (北海道で乗馬をしたときのこと)一つの馬屋の天井をのぞくと、スズメの巣がたくさんあります。私は思わず、「この馬屋は馬屋でもあり、スズメのおやどでもありますなぁ。」と言ってしまいました。…評:「スズメのおやど」という発想がとてもいいね!

SAYAさん(そよ/小4)の作文より(まや先生/月日818)

 本当に水はよくとぶし、色も、キラキラきれい。暑い夏に水のかんしょくは、すてきだし、大好き。だから、私の大の宝物。 [評]作文の終りのところです。最後の言葉に工夫があっていいですね。

たかどんさん(ふさ/小4)の作文より(もとばと先生/月日828)

 「自由研究小麦粉にするならなにをすればいいかなあ。そうだ、小麦粉の本。図書館から借りてきたから読んでみよう。」僕はそれを読んで、うどんの作り方がのっていました。・・・「お母さん、一緒に手打ちうどんつくろうよ。」でも、お母さんは妹のめんどうで、いそがしいのです。なので、自分一人で作ることにしました。評:自分一人で手打ちうどんをつくってお母さんにごちそうしたなんてすごいね。こうどうりょくがありますね。

—————98年08月27日〜98年10月10日(次週につづく)———