http://www.mmjp.or.jp/shine/ 1999年1月2週号 通算第601号 shine@japan.email.ne.jp

言葉の森新聞

文責 中根克明(森川林)

  今の先生の名前は「山のたより」でたしかめて

 新学期から、担当の先生が交代した人がいると思います。前の学期の先生の名前を書くと、みなさんの書いた作文が、前の先生のところに行ってしまいます。今の先生の名前は毎週の「山のたより」に印刷されています。今の先生の名前をたしかめておいてください。

 また、通信の人には、新しい住所ラベルが課題フォルダにとじてありますから、その新しい住所ラベルを使ってください。古い住所ラベルや古い自習用紙は、かたづけておき、使わないようにしましょう。

  1.2週のヒント

  小3・4年生 1.2週 休み時間

 みなさんの休み時間のようすを書いてください。今の学年の休み時間の過ごし方と、一年前の休み時間の過ごし方で、ちがっているところなどを書いてみてもいいでしょう。天気のいい日の過ごし方と雨の日の過ごし方もちがうと思います。説明的に書くだけでは長く書きにくいと思いますから、「この前、こういうことがあった」とできごとを思い出して書いていきましょう。

  小5・6年生 1.2週 そっ啄の機(感)

 「そっ啄の機」という言葉をはじめて聞いた人もいるでしょう。最初の長文にしては、むずかしい言葉がたくさん出てきて読むのに苦労したと思います。こういう文章がすらすら読めるようになるまでがんばりましょう。

 長文は一度や二度読んだだけでは消化できません。少なくとも日をおいて五回は読んでおきたいですね。

 似た話はいろいろ考えられます。ものごとには、タイミングというものがあります。昔あまり興味のなかったことが最近急におもしろくなったということがあるでしょう。その反対に、昔熱中していたものが、今ではなぜあんなに夢中だったかわからないということもあります。小学生の中高学年のころは、何かを集めることに夢中になる時期のようです。酒ブタを集めたり、切手を集めたり、カードを集めたりということに熱中した経験を持つ人は多いでしょう。それは、ちょうどその時期に世界を分類する能力が育ってくるために、何かを集めたりそろえたりしたくなるということです。自分の内側に求める気持ちがあって、自分の外側にそれを引き出すきっかけがあるということが大事なのでしょう。

 もっと身近な例で言うと、おなかがいっぱいのときにいくら好物のものが出ても食べたくはありませんが、おなかがすいているときに食べ物が出てくればすごくうれしい、というようなことも、「タイミング」ということで説明できます。

 偶然の出会いやめぐり合いの体験は、小学生のみなさんにはあまりないかもしれません。お父さんやお母さんに、これまでの人生でそういうことがあったかどうか聞いてみるといいでしょう。「実はなあ、お父さんとお母さんがであったのはなあ……」と、今まで知らなかったおもしろい話が聞けるかもしれませんよ。

  中学生 1.2週 「ふしぎ」と言えば(感)

 「私」という存在の「ふしぎ」というのがテーマです。ふだんの生活の中で大切に考えているものは、例えば、学校の成績にしてもお年玉の金額にしても、その多くは数量に換算できるものです。つまり、「私」という固有の存在に結びついたものではなく、ほかのだれでもいいだれかにたまたま割り振られた成績であったりお小遣いの額であったりすると言ってもいいでしょう。

 「自分の生涯そのものが世界のなかでほかにはない唯一の物語である」ということを自覚する機会は、生活のあわただしさに追われているとなかなか持つことはできません。児童文学の魅力とは、こういう私という存在のふしぎを自覚させてくれるところにあるのかもしれません。

 話を児童文学から広げて、映画やテレビドラマなどから受けた感動というところで書いてもいいと思います。物語から感銘を受けるのは、そこに自分の人生に結びつく何かがあると感じるからです。昔話の実例も、自分が感銘を受けた本や映画を入れて書いていってもいいと思います。先生(森川林)は、この長文を読んで、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」を連想したけど、みんなはどんな本を思い出すかな。

  高・大・社 1.2週 その昔、サングラスを(感)

 サングラスの持つ、世間から隠れているという魅力にひかれるのは、私たちが世間のわずらわしさに疲れているからではないか、というのが筆者の主張です。

 確かに、今の社会は、学校の成績や仕事のノルマなど、管理されていることがあまりに多いので、たまには管理されない自由な自分をサングラスによって取り戻したいと思うようになるのかもしれません。

 このサングラスと同じ役割を果たしているのが、最近のインターネットや伝言ダイヤルの匿名性ということになるのかもしれません。

 昔話は、そのまま「隠れ蓑」なども入れられそうですね。

  次回1.3週は

  小3・4年生 1.3週 小学校一年生の(感)

 うそをつくつもりではないのに、つい言葉のはずみで「となり村の水車小屋へ、米を一ぴょうついてもらいに……」などと言ってしまうような経験(けいけん)は、みなさんにもあるでしょう。一年生の子供が、となり村まで米をはこんでいくなんて、とうていできそうもないのにね。

  小5・6年生 1.3週 ソクラテス(感)

 知らないことを「知らない」というのは大事なことです。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生(末代)の恥」などということわざをお母さんやお父さんから聞いたことがある人もいるでしょう。お兄さんやお姉さんがいる人は、「ソクラテスか。それは『無知の知』って言うんだよ。そんなことも知らないのか。はっはっは」と自慢されたりするかもしれません。おっと、知っているつもりがいちばん危ないんだった。

  中学生 1.3週 ラレルは(感)

 言葉は、効率のよさを求めて歴史とともに変わっていきます。その変化の背後には、多くの人の支持があります。普段の生活でも、「見れる」「食べれる」「来れる」という言葉はごく普通に使われています。筆者は、言葉の本質は保守的なものだという考えから、「見られる」「食べられる」「来られる」という正しい言葉を使おうと主張しています。言葉にかぎらず、新しいものと古いものの対立はほかにもいろいろありそうですね。

  高・大・社 1.3週 現在、子供の(感)

 問題のある子供がいた場合、専門家は専門的な知識によって、「それは学習障害です」とか「それは自閉症です」などとレッテルをはって済ませてしまいがちです。しかし、肝心の子供を救うのは、そういう専門家の知識ではなく、生身の人間の接触であることが多いものです。

 子供の問題にかぎらず、広く人間の問題として考えられそうです。

 学校でも、ベテランで知識も経験も豊富な先生のじょうずな授業より、新任の先生の試行錯誤の熱心さの方が、子供に与える影響は大きいということをよく聞きます。みなさんにもそういう経験はありませんか。

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  ミスプリント

 中学生の長文の解説で「淡白」となっていたのは、「淡泊」の誤りです。

  図書紹介コーナー

 ドガースさん(つら 小6)から、おすすめ図書の紹介がありました。

●「知らんふり」 梅田 俊作 (ポプラ社)いじめについて書いてある本だそうです。

 みなさんも、いい本がありましたら、自習用紙の「生徒から先生へ」の欄などに書いて教えてください。

  郵便ポストより

 パソコンで書いてインターネットから送られたパソコンは、郵便ポストというページに最新40件が掲載されています。

 今回は、その中で、1.1週の作文のいくつかを紹介します。インターネットに接続できる人は、作文を書き出す前に、同じ学年のほかの人の作文を読んでみると参考になると思います。書いた人のページに、感想を書くこともできますよ。

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「ポイ捨てのない未来へ」

 「まっいいか」この一言で若者に限らずちゃんとした大人や小さな子供まで世の中のたくさんの人々がポイ捨てをしていると思う。最近は繁華街に限らず近所の商店街や公園と、いたるところがごみ箱状態になっている。その一番の原因は世の中の人々の無責任さにあるような気がする。「自分さえよければいい」「みんなやってるじゃん」こんなことを言っている人たちは自分たちがやっていることの重大さに全く気付いていないのだ。

もっと今の自分達の行動について深く考えるべきではないだろうか。

 ポイ捨てを減らすにはまず、ポイ捨ては悪いことだという自覚が必要だ。

ずいぶん前のことだが、学校の帰りに駅のホームで電車を待っていると隣におばあさんとその孫が座ってきた。その子はまだ小さな女の子だった。そのおばあさんは孫にお菓子を渡した。するとその瞬間その女の子は渡されたお菓子の包み紙を走って線路に放り投げたのだ。私はとてもびっくりしてその光景を見ているともっと驚くことにそのおばあさんは帰ってきた孫を叱りもせず隣のおばさんに孫の自慢話をし始めたのだ。その時、私は「自覚がないって何て恐ろしいことなのだろう」と感じた。よく大人は「最近の若い子は」などと言うが、「自分はどうなんだ」と言い返してやりたい。最近の若者達を育てたのは自分たちなのにそれを棚に上げて本当にずるいと思う。大人も子供も関係なくまずは「ポイ捨てはいけないことだ」ということを理解することが大切なのだ。

 また心構えだけではなく実際に何かを起こしていかなければいけない。たとえば罰金制度を作るとかごみ箱をもっと増やすなど色々あると思う。そして学校の作文の時間中に「ゴミ問題」について書くのも良いかもしれない。そうすればこの問題について深く考えることができるからだ。

 「未来には、ひとりでにできる未来と、自分で作る未来との二つがある。」この言葉にもあるように未来には作る未来もあるのだ。ポイ捨てがない未来は自分達で作らなければ生まれない。それには、世の中の「まっいいか」を自分達の手で減らしていかなければいけない。

マッスル(高1) ● asowaより ● 課題コード10411 99/01/07 21:05:05

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私の宝物

 私の宝物は、3歳のときにもらったガラスの玉だ。今でも残っている。1つなぞがそのたまにある。なんと「人」と書いている。(なぜだ!(-_-メ)もらった日は、幼稚園でのキャンプファイヤーの日だ。その時の「お化け屋敷」で、(かすかな記憶だけど)変なおばさんがくれた。何しろ、8年前の話なのでほとんどおぼえていない。もしかしたら、8年前ではないかもしれない。

 その宝物は、今でも大事にしまっている。そして、その宝を見るたび、あの日をおもいだす。宝物は、過去を思い出させてくれる物だと思う。

岩崎 俊(小5) ● teseより ● 課題コード05411 99/01/07 18:48:44

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  郵便ポストより(つづき)

テディベア大好き

 「きゃあー、かわいいー。」

去年のクリスマスの朝、目を覚ますと、急いでベッドの横に置いてあるながぐつの中をのぞいてみました。中には、真っ白な箱が入っていて、開けてみると、小さなテディベアが入っていました。それで、「かわいいー。」と叫んだわけです。

 そのテディベアのかわいい事といったら、この上もありません。毛はつやつや光る栗色で、目も、これ以上大きかったら、かわいくない、これ以上小さかったらまたかわいくない、本当にちょうどいいほどの大きさなのです。テディベアに目をやると、こげ茶色の目が、こっちを向いて、まるで「だっこして。」といっているようで、ひきつけられるようにテディベアをだっこしてしまうのです。

 今も、私の大好きなテディベアと一緒に、ねています。

しっぽ(小4) ● hosiより ● 課題コード04411 99/01/05 17:58:21

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ポイ捨て

 ポイ捨てはいけない。と、言ってもほとんどの人はそれを聞いてくれない。いくらポイ捨て禁止条令が出たからといってゴミを道端に捨てる人が減ったとは限らない。今の日本は、この対策におわれている。しかし、なぜ日本人は道や道路にゴミを捨てるかということである。

 日本人は、戦争が終わって「もう戦後ではない」と言われた時代から物があふれ始め新しい物が出ると古い物を捨てるということになってしまった。それ以来物の大切さが分からなくなってきているのではないかと思う。そのため小さい物でも平気で捨てるようになってしまった。この対策としては、まず意識改革が必要である。罰金制にしても罰金になるから捨てないというのではなく町をきれいにしよう。という気持ちが大事である。だから子供の頃からポイ捨てについて考える事が必要である。僕は、小学校でポイ捨てについて先生からいろいろと話を聞いた事がある。それで子供がポイ捨てはいけないという気持ちをもっても、大人は子供の模範にならなくてはいけない。

 もう一つの対策としては、シンガポールのような事をするべきだと思う。シンガポールでは、ゴミが全然おちていないという。それだけ国民のゴミに対する考え方(町をきれいにしよう)が広まっていると思われる。それとつばをはいただけでも一万円の罰金だという。どうしてこのように厳しいかというと観光客に良いイメージをもってもらう為といっていた。

 江戸時代では、物を大切にする考えが強かったためポイ捨ては少なかったのではないかと思われる。それほど今と昔では差が大きいのである。

 ポイ捨て対策としてデポジット制度の普及がかぎを握ると思う。缶のポイ捨てがたばこと共に多いと思う。缶をお店などに持っていくと10円もらえるということである。こうすればもっとポイ捨てを減らす事ができると思う。今までの対策を政府がやればゴミの数を減らす事ができる。しかし、そこで問題が起きる。道を掃除している人の仕事がなくなってしまう事である。このような事もあるのでまだまだ大変である。「立つ鳥あとを濁さず」という言葉もあるように自分も鳥のように通った道に責任をもち汚さない事が必要である。

紫電改(中2) ● unoより ● 課題コード08411 99/01/05 17:23:48

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本当の豊かさ

 私達の住む日本は誰が見ても『豊かな国』である。教育の基盤が確立し、その上に経済、政治がきちんと成り立っている。しかし『物理的な豊かさ』はあるが『精神的な豊かさ』は無くなった、と言われるように自分の家族を含めて人と人との関係が希薄になったり有限な自然に関心を持たなくなったのは事実である。『物理的な豊か

さ』を手に入れ私達の生活は格段に向上したが、その一方で『精神的な豊かさ』を犠牲にしてしまった。最近になって、その犠牲にな

った『精神的な豊かさ』を取り戻そう、という動きが出てきた。私達が『精神的な豊かさ』を取り戻すためにどうすれば良いか。

 よく教育テレビでアメリカのホーム・コメディが放送されている。番組に登場する家族は決まって三世帯同居の大家族で賑やかに和気藹々と楽しく暮らしている。この番組を私達、日本人が見れば誰もが、このような家族に憧れる。しかし実際のアメリカでは、このような家族は都会では何十年も前に消滅しているそうだ。アメリカ人は理想の家族を創るために、この番組を作ったのかもしれない。『精神的な豊かさ』の原点は家族にあるのだと私は思う。

 だが最近では離婚も身近なものになり『バツイチ』も珍しくなくなった。近頃では『シングル・マザー』も急増している。自由な恋愛ができる証拠かもしれないが、それだけ人と人、家族の絆(この表現自体、古臭いかも)が希薄になってしまったことの象徴である。

 先進国の『家族体系』は急速に変化をしている。その変化は私達個人を様々な束縛から開放した。だが、その代償として『家族』を犠牲にすることとなった。最近では新聞やテレビどれも『家族危機』を訴えている。私達の社会の基盤は家族である。家族が集団化して地域を形成し地域が社会を形成し社会が国を形成する。一番の根本である家族が、これ以上、揺らいでしまったら私達の国は大変な事になってしまう。映画『ライムライト』でチャップリンが『人生に大切な物は勇気と想像力と少しのお金だ』と言った。私はこれに『家族を大切にすること』を付け足したい。

風間(大) ● kotoより ● 課題コード14411 99/01/04 19:16:10

  光る表現コーナー

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丸山さん(せと/小3)の作文より(もとばと先生/月日1211)

 げんしばくだんはまるで二つのとしをいっしゅんのうちにふきとばしたからおおきな鳥のようです。評:げんしばくだんのあっというまにびゅんと広島と長崎をふきとばしてしまったようすがよくあらわされていますね。

アルルさん(てよ/小3)の作文より(もとばと先生/月日1211)

 ナイチンゲールは神様に「ナイチンゲール、おまえはくるしんでいる人びとをたすける仕事をしなさい。」といわれたそうです。すごいなあと思いました。私もそういう医者になりたいです。評:がんばって女医さんになり病気に苦しむ人々を助けて下さいね。

磨田さん(あさあ/小4)の作文より(かつみ先生/月日1214)

 (車との間が1メートルくらいでとてもあぶなかったので)新かん線のようにはやくはしりました。 評:必死になっている真君の姿が目に浮かびます。

ミッキーさん(けく/小4)の作文より(かつみ先生/月日1214)

 「チョロ。」チーちゃんです。私は、まるでチーちゃんが、私もいるよと言っているようで、「はい、はい。」と返事をしました。 評:何気ない日常の動作だけれども、こういう表現を使うことで、読んでいる人が状況を想像しやすくなるんだよね。

早川さん(ふき/小3)の作文より(とこのん先生/月日1203)

 前足をぼくのかたにのせて、ペロペロなめます。なんだかしあわせ気分です。 評:ペットのアイちゃんと仲(なか)のいい様子(ようす)がよく伝わってきます。

ピカチュさん(とや/小3)の作文より(ひまわり先生/月日1211)

 犬になめられるとつめたい。(評)犬にぺろりとなめられたときの感じが伝わってくるね。

岡根さん(あその/小4)の作文より(もとばと先生/月日1213)

 (ともだちが)どうしてけがをしたのかというと体育でたかとびをしたときににほんとうはマットと上におりたはずなのにその子はしっぱいして木のゆかにうでをたたきつけるようにしてうでからおちてしまったのです。評:けがをしたときどんなようすだったかとてもよくわかるたとえですね。

大河原さん(こた/小4)の作文より(とこのん先生/月日1211)

 「もしかして0点(・0・)?」(タイトル)評:ほんとは10点満点だったのに、裏からみたら0点に見えたんだよね。作文の内容を上手にまとめた、とっても楽しいタイトル!

こずっちさん(さへ/小4)の作文より(ゆり先生/月日1212)

 (アルコールランプの実験をして)まるで、こおりのようにきんちょうした私をアルコールランプがとかして、ほぐしてくれたように思いました。評:マッチで火をつけたり、ふたをしめて火を消したりするときにこわくて手がふるえるほどだった気持ちが、だんだんほぐれてきたんだね。ぴったりの表現ですね。

たまごさん(せろ/小4)の作文より(もとばと先生/月日1211)

 (旅行中に飼い猫が出産した聞いて)この前のしゅっさんの時は、わたしがちゃんといて、さすってあげたり、うちわであおいだりしたし、生まれた赤ちゃんのようまくをとってあげたりしました。私がいないと、ニャンコはなんざんになってしまったようです。わたしはニャンコのおさんばさんみたいなものです。評:愛猫の出産にたちあえなくて残念でしたね。でも次回はおさんばさんとして立ち会ってあげて下さいね。

前田さん(つろ/小4)の作文より(ひまわり先生/月日1211)

 「だって空ってさ青くてきれいでさ、なやみごとあって相談したらぜったい答えてくれるんだもの。」(評)空に悩みごとを相談するというのはとてもすてきなことだね。空は高くて広いから、悩みごとが小さなことに感じられてくるのかな。

たかどんさん(ふさ/小4)の作文より(洋子先生/月日1127)

 そんな暑い日、おかあさんは、とつぜん「二日分の洋服を用意しなさい」といいました。「どこか行くの」と言ったら「どこか涼しいところ」と答えました。ぼくと、おかあさんと、弟、妹は、新幹線に乗って、どこかへいきました。新幹線をおりたら、そこは、越後湯沢というところでした。ぼくは、「どこか宿を予約してあるの」とお母さんに聞きました。すると、「ぜんぜん」とこたえました。ぼくは、びっくりしました。ぼくたちは、どこの宿に泊まるか決めるために、宿泊案内所いきました。—省略−とつぜんの旅でした。お母さんひとりでよくがんばってくれたと思います。(評:おとうさんが海外主張で家族旅行もできずにいたところをお母さんのとつぜんのひらめき(機転)で思いがけずいい夏休みの思い出旅行ができてほんとうによかったね。お母さんに感謝、感謝でしたね。とつぜんのという題名がお母さんと君の会話によくあらわれていました。頼もしい、すばらしいお母さんでよかったね。お父さんがおるすでもだいじょうぶね。むすびの思ったことに君のおかあさんにたいするやさしさがでていて、とてもよかったよ。君もお母さんを手助けしてあげてね。)

清水さん(てあ/小5)の作文より(スズラン先生/月日1210)

 「私の夢」「まかぬ種ははえぬ」というけれど、やっぱり夢を追い掛けて、少しずつでも努力していかなければ、夢に近づくこともできないと思う。評:まず、夢を持ち、それに向かって進んでいくことが大切なことですね。

魔法使いさん(あちほ/小6)の作文より(スズラン先生/月日1210)

 人間にとって夢というのは、一生のうちで一番大切なものなのかもしれない。その夢がない人は、心のせまい人だと私は思う。評:夢を持つことは、生きるための大きな目標になりますものね。

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斉藤さん(やあ/小2)の作文より(もとばと先生/月日1213)

 ぼくはおしゃべりなので、いろんな人とはなしてすぐともだちになってしまいます。・・・がいこくの人としゃしんをとってともだちになりました。いっぱいともだちがいてぼくはともだちっていいなと思いました。評:せっきょくてきでたくさんともだちができているようですね。

高光さん(あつわ/小1)の作文より(とこのん先生/月日1214)

 いぬと、ねこと、ねずみと、チーズは、あわてて、もとのばしょに、にんげんにみつからないように、あしおとがきこえないようにそうっとはやくにげていきました。評:犬とねことねずみとチーズがおいかけっこをするお話。たいへんおもしろかったです。すばらしい!みんなが人間に見つからないようにこっそりこっそり、しかもいそいでもとのところに帰るようすがうまく表現(ひょうげん)されています。

まささん(あうこ/小3)の作文より(みち先生/月日1210)

 学校から帰る時うれしくて走って帰れました。お母さんが「よくやったね」とほねてくれました。先生がていねいに、教えてくれたおかげだと思いました。先生が「矢野君やれば、できじゃないの。このちょうし、このちょうし」とよろこんでくれました」——(略)——とくに実験する時は、おもしろくてしかたありません。

ハッピィーさん(せさ/小2)の作文より(まや先生/月日1221)

 まるで、私の手に魔ほうがかかっているようでした。 【評】空中逆上がりが思いがけず出来た時の気持ちが、よく伝わってきます。

松浦さん(あてし/小2)の作文より(もとばと先生/月日1221)

 (びりっかすのかみさまという本を4−5回読んでいますが)少しふしぎなことがあります。1回目によんだ時は、ゆっくりしかよめませんでした。2回目は、よくいみがわなんないところが、だんだんわかってきました。3回目は、早くよめました。4回目は、もうかんぺきによめました。評:何度も読んでいる間によむのが上手になっていく様子がくわしくせつめいできたね!

秋間さん(つて/小2)の作文より(とも先生/月日1214)

 十二月九日の三時間めに、みかんをたべました。そのみかんは、ようむいんさんがそだてたそうです。ようむいんさんが「たべていいですよ」と言ったそうです。もぎとって、一つのはんに、みかんを一つくばられました。・・・評:前の話として「〜でした」ということばをつかって書いている作文のなかで、「〜だそうです。」というふうに「です・ます」をじょうずにつかってひょうげんを工夫しているね。

北川さん(てく/小2)の作文より(ゆり先生/月日1219)

 (ビンで人形をつくって)一ぱんのはまるで、おまつりのようでした。いろんな人形があってにぎやかです。評:ビンのどうぶつやカラフルな服の人形がたくさんならんだんだね。「おまつりのよう」というとてもピッタリのたとえができたね。

イルルさん(てや/小2)の作文より(もとばと先生/月日1219)

 (あやとびをするときに)わたしは、くつのそこにばねでもつけてとんでみたいなと、おもいました。評:どうにかしてあやとびをいっぱい上手にとびたいとおもっているようすがよくあらわされていますね。

サボテンさん(あさお/小3)の作文より(ゆり先生/月日1212)

 テレビがしばらくなにか言った後に、とつぜんユーフォーが消えて、びっくりしました。とび上がったほどです。あつくなったポップコーンがはじけるみたいに。評:うまいたとえですね。あんまりびっくりして本当にとび上がってしまった様子がよく分かります。

エコチャンさん(せゆ/小3)の作文より(まや先生/月日1221)

 私が、もう二つぐらいのぞんでいることは、この前のクリスマスみたいにじゃなくふつうにゆっくりすごすということです。それとみんながげんきでいてほしいことです。 【評】すばらしいお願いですね。

清水さん(てい/小3)の作文より(スズラン先生/月日1218)

 「クリスマスプレゼントの話から」お友達とクリスマスの話をしていたら、お友達から、「サンタさんに手紙だしたことある?」と聞かれたので、「えー。サンタさんに手紙かけるの。」とおどろきました。そして、今年初めてサンタさんに手紙をかきました。評:お友達と、クリスマスのことで楽しい会話をしていたことがわかりますね。

清水さん(てい/小3)の作文より(スズラン先生/月日1223)

 原子力の力が便利なだけ、原子力を使うのがむずかしいということかもしれません。評:これからも真剣に考えていかなければいけないことですね。

島邑さん(ねさ/小3)の作文より(ゆり先生/月日1212)

 ガシラは赤色をしたどくのようなはりをもつ魚だけどぼくのお父さんは、それをさわってとってくれたからお父さんは、すごいんだなあ。と思いました。評:ガシラがどんな魚か分かりやすく書けたね。お父さんはどくがありそうなのに、うまくとってくれたんだね。さすがだね。

柳沢さん(なお/小4)の作文より(スズラン先生/月日1215)

 お母さんは「今日の体験学習、休みだって。」といいました。わたしは「休みって、ないってこと?」というと、おかあさんは、「そうよ。」といいました。「ガーン」と思いました。評:楽しみにしていた気持ちが崩れてしまったことがわかりましたよ。

円谷さん(あおる/小4)の作文より(とも先生/月日1225)

(うちのマンションは)・・・海が近づきすぎていて、お父さんとお母さんは「もしも長いつりざおと、ふつうのよりとてつもなく長くてじょうぶなつり糸があれば、かなりつれそうだね。」と言います。・・・評:トンビの飛んでくる場所の説明。周辺のことをくわしく説明しすぎて、作文の中心がずれることはよくあることだけれど、これは会話文をじょうずに使ってわかりやすく説明できているね。

パリパリさん(にみ/小6)の作文より(スズラン先生/月日1224)

 私が飼っている犬のペコは、私が学校から帰ってくると、しっぽをしきりにふって、とびかかってきたり、うれしいようすを体全体で表現する。・・略・・実に、こちらが困ってしまうほどすごいあいさつをする。評:長文の内容を再現したようなペコちゃんのようすがでていますね。

松浦さん(あてさ/小6)の作文より(もとばと先生/月日1221)

 (暗い一日だけは過ごしたくない。)また、(相手の気分を良くして挙げたい。)などの自分の意志から{あいさつを}しているのです。つまり、あいさつは、心と心の結びつきを表す、キーワードのようなものだということです。評:あいさつが相手とのつながりを再確認するものだという長文の主旨がよくつかめているたとえですね。

ミッキーさん(けく/小4)の作文より(かつみ先生/月日1222)

 まるで私はマラソン選手のように、たくさんのきょりをはしりました。 評:ずいぶんつかれたゆめを見たんだね。マラソン選手がいいね。

コナン2さん(すた/小4)の作文より(ひまわり先生/月日1221)

 サンタは、本当は、わるものなのです。あんなに、プレゼントをもっているはずがありません。なら、ぬすんでいるということになります。サンタはいつも、ろうやにいます。略(評)意外なサンタの正体だね!

ホームズさん(なか/小4)の作文より(スズラン先生/月日1215)

 「なれるかなぁ」一番好きなのは、アルセーヌ・ルパンの生みの親、モーリス・ルブラン先生。まるで夢のような文を書いて、ルブラン先生はぼくを楽しませてくれました。評:物語に引き込まれながら読んでいたことが分かりますね。

たかどんさん(ふさ/小4)の作文より(洋子先生/月日1211)

 「えっ、どこからそんなことばを覚えてきたの」僕は、おどろいてしまいました。だれかがお母さんことを「おばっちゃん」といったら、僕の妹は、「おばちゃんじゃないよ、おかぁしゃんだよ」といったのです。妹は、まだ二歳です。名前は、みおです。妹がどこからそんなことばを覚えてくるのか不思議です。(評:妹さんの様子をとてもうまくとらえた会話文です。なんでも真似して覚えるころですね。おにいちゃんは、うっかりしたことがいえませんね。)

コナンさん(あうち/小6)の作文より(ゆり先生/月日1221)

 とうとう、友達、親友、北村正太君が転校した。評:井尾君にとって、北村君がとても大切な友達だったことがよく分かる表現だね。

魔法使いさん(あちほ/小6)の作文より(スズラン先生/月日1223)

 登校班の班長として・・略・・私は、毎日、元気ではないがきちんと挨拶をしている。だれもしないのに一人で言うのはかなりきつい。評:こういう体験が、きっと役にたつときがありますよ。

パリパリさん(にみ/小6)の作文より(スズラン先生/月日1216)

 人間に尊い命をなくすかなくさないかなんて決める権利はそもそもない。「一寸の虫にも五分の魂」ということわざのとおり、どんな命も大切にしなければならないのだ。評:人間とその他の生き物との関係をしっかり考えていましたね。

GOさん(うみ/中1)の作文より(スズラン先生/月日1215)

 「日本人が、淡泊で」小さな「床の間」にお正月の飾りがある。それだけでも、一つの風景になるのだ。評:床の間は、日本人の美意識がでてくる空間ですね。

和泉さん(えり/中1)の作文より(スズラン先生/月日1215)

 「日本人が、淡泊で」日本に仮名があったにもかかわらず、漢字を使うようになったのは、短さを求めた結果だったのかもしれない。評:漢字を見れば印象が強いということがありますね。

くみこさん(さく/中3)の作文より(ミルクティ先生/月日1220)

私は、言わなくても言いたいことが伝わるということは、とてもいいことだと思う。それは、とても心が通じあっていることだからだ。(略)例えば、もう結婚して何十年にもなる祖父母は、本当に以心伝心の仲だ。祖父が「おい。」と言っただけで、祖母はお茶や、おしょうゆや、お塩などちゃんと要求通りのものを出すのである。こんな関係はすばらしいと思う。<評>くどくど話したがらない日本人について、身近なところからうまい例を考えついたね。意見文だからといって、意見一辺倒ではなく、こういう実例を入れることが読み手を引きつけるポイントだね。

玲子さん(あそわ/高1)の作文より(ひまわり先生/月日1221)

 人は頼りにされることで自分の価値に気付くものなのだ。(評)主題に適した自作名言になっていますね。

たかゆきさん(けふ/高1)の作文より(ミルクティ先生/月日1218)

 「人間というものは、結果から事のよしあしを判断する」という言葉があるが、つまり、就職をするにしても、良い大学に入っていたらそれだけで、いい会社に入れるのである。しかし、そういう人の学歴だけで人を見るのではなく、大学に入っていなかったりしてもその人なりの才能を見つけて、良い職に就かせるべきだ。<評>「差別」についての結びの段落。自分の意見を強く主張するために名言を効果的に引用できましたね。