http://www.mori7.com/ 2000年1月3週号 通算第648号 mori7@mori7.com

言葉の森新聞

文責 中根克明(森川林)

  来週1.4週は清書です

 1.4週は、清書です。教室に通っている人は、これまでの作文を持ってきましょう。

 清書は、担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙ではなく清書用紙に清書してください。

 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するようなものがない場合もあります。そのときは、清書用紙に直接自由な題名で作文を書いて送ってください。

 名前は、清書用紙の下の部分に書くようになりました。この部分は、インターネットに掲載したり印刷したりする際は表示されないようにしています。学校名は、小学生の場合だけ書いてください。学校名以外は、すべての生徒が書いてください

  パソコンの本質はインターネット、

  インターネットの本質は民主主義

 しばらく前までの家庭でのパソコンの使われ方は、ワープロで文章を清書することがせいぜいだったと思います。ところが、ここ数年のインターネットの普及で、家庭でのパソコンの使われ方の中心はインターネットの利用になりつつあります。

 パソコンを自動車にたとえれば、インターネットは道路にあたります。いまはまだ道路が世界中に続いているだけで、その道路に沿った店も公園もまばらにしかありません。しかも通行料がかかるので、道路を利用する人はまだあまり多くありません。

 しかし、これからは通行料も安くなり、道路沿いの街も急速に発展してきます。こうなると、今のパソコンの機能は、インターネットの端末としてもっとスリムなものになってくると思われます。すでに、携帯電話でホームページを閲覧できるようになってきました。インターネット端末に特化した携帯電話的なパソコンであれば、国の政策として国民全員に無料で配布することも可能です(やらないでしょうけど)。今、電話がほとんどすべての家庭に引かれているように、すべての家庭に複数のインターネット端末が入る時代がまもなく来ると思います。

 パソコンの多種多様な機能は、これからも発展していくでしょうが、家庭でのパソコンは、インターネット端末として割り切って使用されるようになると思います。

 それでは、インターネットとは何なのでしょうか。インターネットの本質はひとことで言えば、徹底した民主主義です。

 現代の社会のルールは一応建前の上では民主主義ですが、それは分野も範囲も限られたきわめて不徹底な民主主義です。例えば、政治の分野では、有権者が数年に1回代表者を選ぶと、その代表者が数年間勝手なことをする資格を与えられるというのが、現代の代議制民主主義の実態です。また、政治の分野以外、例えば企業では、民主主義というルールでものごとが決まることはありません。

 インターネットの普及によって、社会のあらゆる分野であらゆる範囲にわたって民主主義が実現するというのが、これからの社会の特徴です。17世紀の清教徒革命、名誉革命、18世紀のアメリカ独立戦争、フランス革命と、民主主義は、常に当時の既成の権力の圧力に抗して広がってきました。インターネットの普及による民主主義の徹底も、これから多くの摩擦を引き起こすでしょう。しかし、その流れは止めることはできません。

 民主主義の徹底を受け入れる社会や組織が生き残り、民主主義に制限を加えようとする社会や組織は衰退していくというのが、これからの時代の流れだと思われます。

  めりはりのある叱り方

 教室では、できるだけ楽しい雰囲気で勉強ができるようにしています。しかし、小学校の高学年になると、楽しさにうかれてか、先生の注意を聞かずに隣の人とお喋りをして勉強の邪魔をしてしまう子も出てきます。我が家(森川林)では、一度目は言葉でやさしく注意して、二度目は拳骨と決めているので、教室でもほぼ同じ路線でやっています。しかし、叱る場合も、決して憎々しげに叱るような叱り方はしません。明るく楽しく、時には面白く叱ります。ですから、子供たちにとって、教室は居心地のいいところになっているようです。

 また、態度については厳しく叱りますが、勉強の中身については何度同じ間違いをしても決して叱らずに忍耐強く同じことを説明するようにしています。

 漢字の書き取りや算数の簡単な計算などは、教える大人にとってはすっかりわかっていることなので、子供が同じ間違いをすると、つい叱ってしまう人が多いようです。「この前教えたばかりなのに、また間違えたの! もう、何度同じ間違いをしたら気が済すむの!」というような叱り方です。

 しかし、好きで間違える子はいません。繰り返しの練習が少ないために理解が不十分で間違えるというのが実際の姿です。

 勉強で同じ間違いをしたときは、「これはこの前教えたことだけど、また同じ説明するからね。何度も説明を聞けば必ずわかるんだから、よく聞いててね」という感じで、三度でも四度でも五度でも十度でも同じように説明をします。

 よく親が子供に勉強を教えるのは難しいと言いますが、それは、この忍耐強い繰り返しができないからです。たいていの親は、三度目ぐらいになると切れてしまうようです(笑)。

 勉強というものは、繰り返しやればだれでもわかるようになるのですから、その過程が叱られながらの苦しいものと、ほめられながらの楽しいものとどちらがいいかと言えば、もちろんほめられながら楽しいもののほうがずっといいのです。叱られながら苦しく理解したものは忘れるのもまた早いようです。

 私の場合、小学校のころの思い出で、いまもすぐに思い出せる学年は例外なく楽しい学年でした。そのかわり、つまらなかった学年は、ほとんど記憶に残っていません。楽しい生活をしているときは、精神も活性化しているので吸収力が高いのだと思います。

 子供たちにとって、言葉の森での勉強が一生の思い出に残るものになるようにしていきたいと思います。

  字数ランキング

 字数ランキングを、ホームページで毎日掲載しています。子供たちはランキングが好きで、教室では、「あ、上がった」「下がった」とにぎやかにみんなで見ています。http://www.mori7.com/kouen/kawarank.html

 

  今週1.3週のヒント(中3以上)

   中3年生 1.3週 われわれ自身は必ずしも意識して(感)

 内容:ひとつの言語を習得して身につけるということは、その言語圏の文化の価値体系を身につけることである。しかし、われわれはそれに必ずしも気づいていない。

 解説:「スミマセン」という言葉は、よく使われます。「ありがとう」と「ごめんなさい」の二つのニュアンスが合体した表現というのはどこでも使えて便利ですね。「これ、やっといてあげたよ」「あ、すいません」。「このプレゼント、君にあげよう」「あ、すいません」。「ところで、煙草、すうかい」「あ、すいません」「どっちだ」なんてね。

 こういう「スミマセン」というような言葉を使って暮らしていると、だんだん、周りの人に迷惑をかけないように謙虚に控えめに生きていくのが美徳だという日本的な価値観を知らず知らずに身につけていくのかもしれません。似たような表現に、「これ、つまらないものですが…」というのもありますね。

 「どうも、どうも。いやあ、ちょっとそこまで」なども日本的な表現で、この言葉を使っていると、あいまいにお茶を濁しておくのが立派な大人で、白黒をはっきりさせるのは野暮だという気になってくるでしょう。

 自分の使っている言葉がどういう価値観に基づいているかということはなかなか自覚できませんが、世界には異なる言語=価値観を持っている人がいるのだということを折りに触れて考えてみることが大切なのでしょう。

   高1年生 1.3週 庭は原始社会では(感)

 内容:庭は原始社会では集団全体の広場だった。歴史が進み階級制度が現れてくると権力者占有の庶民から閉ざされた庭園ができるようになった。日本の庭園が封建的な伝統を固定化し個人のアクセサリーに堕したのに対して、早くから近代化した西洋では、貴族の庭園を開放して共有の公園を設備した。「庭」をただ眺めるだけのものとしてでなく、現代生活にふさわしい機能的な共同の広場として考えていくことが大切だ。

 解説:日本庭園というとすぐに頭に浮かぶイメージがあります。しかし、それは時代的に制約された特殊な庭園像のひとつにすぎません。

 きれいに手入れされた公園で、「芝生に入ってはいけません」とか「木にのぼってはいけません」とか「火をたいてはいけません」とかなどという看板が立っている公園がときどきあります。5、6月の芝生の芽の生えるころに「芝生に入ってはいけません」というのならいいのですが、そうではなくて、ただきれいなままの見るだけの公園にしておきたいから年中立入禁止というのであれば、話があべこべです。

 先生(森川林)も、先日、海の公園というところに犬を連れて行きましたが、「犬は海の中に入れないでください」と注意されてしまいました。先生のうちの犬は海が大好きなので(泳ぎ方はもちろんクロール。うそうそ、犬かき)、海に入れないと聞いてがっかりしていました。注意する人にはそれなりのもっともな理由があるのでしょうが、「そんなに、役所みたいに固いこと言うなよな(実は役所で運営している)」というのが正直な気持ちです。

 また、この前は、近くの山の広場でバーベキューでもしようと思ってガスコンロを持っていきましたが、そこにはしっかり「火をたかないでください」という看板が立っていました。しょうがないからかたづけて帰ろうと思いガスコンロをしまおうとすると、うっかりまちがえてスイッチが入ってしまい、うっかりまちがえてフライパンにお肉が入ってしまい、うっかりまちがえてお皿にタレが入ってしまい、最後にうっかりまちがえて食べてしまい、やっとかたづけて帰ってきたという苦い思い出があります。

 音楽などの芸術も、もともとは歌ったり踊ったりするのが好きだという民衆のエネルギーから生まれたものですが、文化的に成熟し洗練されるにつれて、次第に富裕な階級のアクセサリーのようなものになり、本来持っていたエネルギーが失われていくということがあるようです。

 公園も、絵葉書のようにただ見るだけのものではなく、みんなの集まる広場として再生していくことが求められているのでしょう。

   高2年生 1.3週 首飾りというものは(感)

 内容:首飾りは地位の象徴や財貨としての機能を持っているが、同時に思い出の糸口やお守りとしての機能も持っている。「物」に思い入れをしてしまうことを物神崇拝(フェティシズム)というが、物心崇拝の対象を持っていないことはむしろ不幸である。

 解説:アルバムの写真は、他人にとってはどうでもいいようなものばかりですが、本人にとってはかけがえのない宝物であることが多いものです。中には、彼女との初めてのデートのときに河原で拾った石ころなどを宝物にしている人もいるかもしれません。(いないか)

 現代の社会では、「物」は、価格という普遍的なものに還元されてしまいがちです。しかし、何百万円もする壷や絵画に囲まれてその金額を自慢して暮らしている人よりも、孫の描いた絵や自分の気に入ったガラクタに囲まれて暮らしている人のほうが幸福な感じがします。(かなり図式的ですが。(^^ゞ)

   高3大社 1.3週 アジアには国と国との協調を(感)

 内容:アジアでは、ヨーロッパに比べて、国と国との協調をはかる組織が少ない。ナショナリズムの強いアジアの国を回って香港につくとほっとする。香港は植民地であった歴史から東西と南北を仲介する緩衝地帯の役目を果たしている。

 解説:日本は、これまで欧米に追いつくということを目標として成長してきました。しかし、これからは、近隣のアジアの諸国といかに協力していくかということが大きな課題になってきます。

 ところが、当のアジアは経済成長の真っ只中で、協力よりも国家主義の主張のほうが盛んです。また、同じアジアの中でも、経済的には日本が、軍事的には中国が突出しているというアンバランスな状態が続いています。

 アジアの国どうしの協力がなぜ必要かというところから出発して、協力が十分でない原因と、今後の対策及び日本の役割を考えていきましょう。

  光る表現(小1−小3) 2000年1月3週号

真以さん(あめふ/小1)の作文より(ふじのみや先生/12.3週)

 いくせいかい(育成会)では おっさんみたいなわらいかたをするからおもしろいよ。☆「おっさんみたい…」とは、もしかすると「グワッハハハ、ウッヒョヒョヒョ」って わらうのかな。おもしろい「たとえ」ね。

ドラちゃんさん(あよう/小1)の作文より(スズラン先生/1.1週)

 (温泉に行ったときのこと)そのうち三人がおふろから出てきました。そうすると、「中は、すごくよかったよ。」といいました。評:温泉に入って、ふわーっと良い気持ちになったことがわかる会話ですね。

愛捺さん(あなあ/小2)の作文より(ミルクティ先生/12.3週)

 わたしは、あせってすごくたいせつなんだぁと思いました。でも夏はあせびちょびちょで体そうふくから、ようふくにきがえるのが大へんです。もし、あせがなかったら、からだがあつくなって、かぜをひく人が多くてたいへんだと思います。だからやっぱり、あせってたいせつなんだなぁと思いました。<評>あせをかくと大へんなこともあるなぁ、でも、あせをかかなくても大へんだなぁ…と「あせ」について、いろいろなことをかんがえたのが、すばらしいね。

健介さん(あねみ/小2)の作文より(はるな先生/1.1週)

 おもちを見ていたら、まるで、ふうせんがふくれているように見えました。…・・お母さんの作ったおぞうにのおしるの中に、さっきやいたおもちをいれたら、まるで、ちんぼつせんのようにしずんでいきました。 だいこんやいろいろなやさいやとりにくは、さかなのようにおよいで、よこにやけたようにみえました。講評;お雑煮(ぞうに)のおもちを焼くお手伝いを、健介君が、一生懸命やっているようすが、とてもくわしく、かきあらわせました。もちがふくらむようすや、おしるのなかに、もちをいれたときの有様が、いきいきと、たとえで、うまく表現できました。おいしいおぞうにで、新年が祝えて、最高でしたね。

ししさん(あふか/小2)の作文より(スズラン先生/12.3週)

 「ぼくはべんきょうきらいだし、どうしようかなぁ。プレゼントが来ないとこまるしなぁ。そうだ! お手伝いをすればいいんだ。これでプレゼントは来るぞ! 」と思いました。評:勉強も大事ですが、お手伝いも大事ですから、お手伝いをすることを思いついたのは良かったですね。プレゼントが楽しみ!

洋貴さん(あむぬ/小2)の作文より(ももんが先生/12.1週)

 雪竹君が「うまく、できそうだね」といってくれたから、いっしょうけんめいかきまぜた。評:たのしいスライム作り。「どうしてがんばってかきまぜたのかな?」という、りゆうもじょうずに入れて、くわしいようすが書けました。(^o^)

あやぽんさん(ふれ/小2)の作文より(ゆり先生/12.3週)

 (ねつを出したお兄ちゃんがひえピタをはっていて)わたしはみているだけでさむくなってきておふとんのなかにもぐってしまいました。その時わたしはお兄ちゃんのたかいねつをひえピタがすいとってくれるんだなと思いました。評:長文にピッタリの”にたお話”を、とてもおもしろく書けたね。

さるきちさん(あある/小3)の作文より(ゆり先生/1.1週)

 「やったーレゴのロケットだ。」ぼくは、朝起きた時にまくら元にあった、ほしかったレゴのロケットにおもわずだきつきそうになりました。評:うれしい気持ちが伝わってくる、ワクワクするような書き出しですね。ぼくは、サンタはほん当にいるのだろうかと、いつもつくづくぎもんにおもっていました。評:「つくづく」という言い方がおもしろいね。

友葵さん(あしも/小3)の作文より(ゆり先生/1.1週)

 (いとこたちとすごろくを)みんなで大笑いしながらやっていました。「まるで酔っぱらいの人たちが大声で笑っているみたいに、にぎやかだな。」と思いました。評:おもしろいたとえですね。どんなににぎやかだったかよくわかりますよ。

えりさん(あなふ/小3)の作文より(ももんが先生/12.3週)

 もしかしたら、わたしのあくびをみて、トトがじまんしているかもしれません。そうおもったら、わたしも、トトもむき合ってあくびをしたくなっちゃうな。評:うさぎのトトのあくびを見たことがあるという、すてきなじまんをもつ、えりちゃん。「もしかしたら...」をつかって、楽しくそうぞうできましたね。トトは、うさぎ年に生まれたうさぎですから、すばしっこいです。評:たのしい表現ですね。まさに、トトは「うさぎの中のうさぎ」なのね。さくからにげだしたトトを、いっしょうけんめい追いかけたえりちゃん。ふう〜、おつかれさまでした!(^o^)

 

むっちゃんさん(あひほ/小3)の作文より(ももんが先生/12.3週)

 もし、わたしがアルバートだったら、ゆうきを出して、自分の思いを思いっきり言いたいです。評:「もし...だったら」を上手に使えましたね。「ぜったいにせんそうはやめたほうがいい!」という、むっちゃんの思いが伝わってきます。

ペンギンさん(しろ/小3)の作文より(スズラン先生/12.2週)

 「あっ」みんなが、びっくりして言いました。それは、十メートルぐらいの木の、てっぺんより少し下ぐらいのところに、僕の靴が引っかかったからです。評:書き出しから、思いがけないことが起きてびっくりしているようすがわかりますね。

穂香さん(すよ/小3)の作文より(ゆり先生/12.3週)

 戦争は国と国とのけんかなのに、けんかで勝っても平和をとったことにはぜんぜんなりません。国と国とがけんかをして仲直りをしなくては、意味がないのと同じだと思います。評:お友だちとけんかしても、仲直りをうまくすると前よりも仲良くなることだってあるけど、仲直りしないままだとずっとすっきりしないもんね。人を殺し合う戦争ではうまく仲直りはできないよね。

芽恵照さん(そて/小3)の作文より(スズラン先生/12.2週)

 (乗馬教室で進級ができて)私は、一しょうけん命がんばろうという気持ちがあれば、何事もできるんだなぁと、その時思いました。評:良い体験でしたね。がんばって練習をして、その成果が出たときのうれしい気持ちですね。

純太さん(ねあ/小3)の作文より(ももんが先生/12.2週)

 ぼくは、そのカードが、ほしくて、ほしくて、たまりませんでした。評:気持ちがよく伝わってきました。「ほしくて」を二回重ねて、上手に「すごーくほしい!」気持ちを表せましたね。

聡一朗さん(ふま/小3)の作文より(ふじのみや先生/12.3週)

 それでも、けっちゃくがつかないと、なぐりあいになります。それでも、けっちゃくがつかないと、けりあい。それでも、けっちゃくがつかないと なかなおりをします。なかなおりをすると 心がほっとして、気もちがすうっとします。 ☆まけてたまるか、と思う気持ちが、最後に引き分けになって、おちついた気持ちになるのですね。心のうつりかわりを、じょうずに書けました。

  小3のパソコン作文

 教室の小4以上の生徒は、学校でローマ字を習ったので、パソコンで作文を書くようになりました。

 すると、それを見ていた小3の生徒で「ぼく(わたし)も、ローマ字、わかるから書きたい」という子が何人か出てきました。

 言葉の森で、いま検討しているのは、ローマ字を知らない子でも、手書き入力タブレットで書く方法です。

  光る表現(小4) 2000年1月3週号

友理絵さん(ああて/小4)の作文より(とこのん先生/12.3週)

 わたしたちのがっこうにさいばいがあって、かもはつかっていないけど、無農薬です。草は、あまりはえないけどむしは、たくさんいます。いつもがんばってとってます。(アイガモ農法を知って)わたしたちは、むしをたべるどうぶつがほしいぐらいです。 評:とてもがんばってとっているのですね。学校の畑の害虫を取り除くことが、とてもたいへんだということがよく伝わってきました。

まささん(あうこ/小4)の作文より(ゆり先生/12.2週)

 ぼくは、いっぱいおどろいたことがあります。また、ふしぎなこともいっぱいあります。そのたまりばがぼくの小学校です。評:「たまりば」という言い方がおもしろいね。「おどろくこと」と「ふしぎなこと」のたまりばなんて、楽しそうでいいね。

パフィーさん(あおけ/小4)の作文より(ゆり先生/12.2週)

 水でひやすと、たちまち白いけむりがあがり、ふくらんでいてわを通らなかった玉は、わを通るようになりました。白いけむりがあがったとき、みんなで、「お〜〜〜〜う!」と、いってしまいました。評:実験をしていてびっくりした様子が、「びっくり」という言葉をつかわずにとっても分かりやすく表現できていますね。ゆき子ちゃんのお母さんに、ドーナッツをあげてもらいました。うすいドーナッツだっだので、すぐに、こがねいろになって、ドーナッツ屋さんのお店にひろがるあまいにおいがしました。評:ドーナッツができていく様子を、とてもじょうずに書けたね。おいしそうだなあ!

けろっぴさん(あちえ/小4)の作文より(ゆり先生/12.3週)

 今の人は、少なくとも農業をやっている人でなければくわやすきとは交かんしない、と思います。どうしてかというと、くわやすきを持っていても意味がないからです。まるで、リスがじょうぎを持っているのと同じくらい意味がありません。評:おもしろいたとえだね。ケロッピ君がくわやすきを持っていても使い道がないものね。

淳一さん(あとは/小4)の作文より(ももんが先生/12.3週)

 (前略)「カンニングしよった。」とかいうやんちゃもんが多いです。ほかにも、体育できがえるとき、「...君見て。」といってパンツを見せる人もいます。先生も「なさけない。」と言って泣くくらいです。評:クラスのじまんの作文に、生き生きとみんなの会話を取り入れられました!楽しいようすが、伝わってきます(^o^)

寛史さん(あなに/小4)の作文より(洋子先生/12.2週)

 僕も田植えをしたことがあります。田植えをした後に、「これを田んぼに入れて」といわれて、どじょうをたんぼにはなしたことがあります。その時、どうしてどじょうを田んぼにはなすのだろうとおもったことがあります。後で、お母さんから聞いたところ、どじょうは、たんぼの中の害虫を食べ、土の中にもぐったりすることで土を柔らかくするそうです。この文章で、昔のたんぼにどじょうがいたことをしりああそうだったのかと思いました。あいがもも昔たんぼに住んでいたのでしょうか。むかしのたんぼには、いろいろな虫や生き物がいて楽しかっただろうな。 この文章を読んで、農業は、人の命を守りほかの生き物の命を守る大切なものだと思いました。たくさんのたんぼで、どじょうやあいがもが多く見られるようになるといいなと思いました。学校帰りにたんぼでどじょうを見つけるのは、楽しいだろうな。あのヌルッとして、クニクニしたかんしょくをもう一度味わいたい。評:以前田植えをした経験とてらしあわせてこの文章を読んだので、作者の意図がより深く理解できたようですね。お母さんに聞いたおはなしがこの文を読んでさらに納得できましたね。いいおはなしが思い出せよかったです。君と一緒に先生もあいがもの親子がすいすいと泳ぎながら雑草を食べていたり、ぴょこんとかえるが顔をのそかせてくれるそんなたんぼへどじょうを探しに行きたくなりました。

ゆうちゃんさん(あにみ/小4)の作文より(ももんが先生/12.1週)

 ぼくが、今、一番きょう味があるのは、なんといっても天体です。なぜかというと、ぼくは、幼ち園のころからお母さんに、よく天体の本を読んでもらっていたからです。たぶん、このことが、きっかけになったのだと思います。今は、もう読んでもらっていないけれど、本屋さんに行った時には、ついつい天体の本を買ってしまいます。評:天文学者になるゆめをもつ、ゆうちゃん。なりたい理由を「天体に興味があるから」だけで終わらせずに、「どうしてそうなのか?」までしっかり書くことができました。こんな風に、より深い理由を書いてみると、「なりた〜い!」という気持ちがぐーんと伝わってきますね!

 

 

 

ゼニガメさん(あひろ/小4)の作文より(ももんが先生/1.1週)

 乗る前に、私は、ドキドキしていたけれど、ワクワクもしていました。評:こわいな〜と思う気持ちと、でも楽しみだな〜という気持ちが入りまじったようすを、上手に表現できましたね。うさぎがこんなにたくさんうんちをするのを、びっくりびっくりぎょうてんしました。評:ゼニガメさんの「びっくり〜!(@_@)」が伝わってきましたよ。父さんの言ったこと(「自分はかっこいい〜!」というじまん)がおかしかったので、そのおかしさをもう一度思い出そうと思って、お父さんの顔をじーっと見ていました。アハハハハハ……。評:作文の結びの文章です。かざらない生き生きしたゼニガメさんの気持ちが伝わってきますね。まわりのことを感じ取る「目と耳と心」をいつも大切にしていきましょう(^o^)/

カヤケムさん(あまく/小4)の作文より(ももんが先生/12.3週)

 もし、お米がなかったら、ぼくたちは、いったいなにを、食べているんだろう。もしかすると、日本は、なかったかもしれない。お米を作った人にあえるなら、「ありがとう。」といいたい気持ちになりました。評:「もし...だったら」と想像をふくらませ、たくさん気持ちを表現することができましたね。カヤケムくんの「ありがとう」が、遠い昔の人にも伝わる気がする、とてもいい文章です。

マーボーさん(あみそ/小4)の作文より(きょうこ先生/12.3週)

  「まるでお米は神様みたいな食べ物だなあと思った。」 お米も喜んでしまうくらいすてきな仁敬くんの表現でした! 

雅貴さん(あめす/小4)の作文より(ももんが先生/12.1週)

 ぼくは、この前に、青いグローブを買ってもらいました。そのグローブは、青い「バナナ」のように見えます。評:たとえの表現、上手にできました。野球のグローブの形って、バナナのふさにそっくりですよね〜(^o^) 。また、バナナをかぎかっこで「バナナ」と強調しているのもおもしろいですよ。

ナズナさん(あもせ/小4)の作文より(かつみ先生/1.1週)

 まるで空きビンの海外旅行です。 評:おもしろい。すてきな海外旅行だね。どんな景色や出来事を見てきたのか、聞いてみたいね。便利なため、その便利にたよりすぎて、愛と言う物は忘れられて、やがて捨てられてしまうでしょう。 評:深刻な問題ですね。一人一人気がつくことこの問題は解決されると思います。いい問題を具体例としてあげましたね。

俊介さん(あやゆ/小4)の作文より(かつみ先生/12.2週)

 僕がこの話を読んで一番驚いたことは、あいがもをつかって米づくりをする事です。何故なら、あいがもが害虫を食べるなんてしらなかったからです。 評:知らないことを知ることができた。そういう喜びが伝わってきます。

ちっピーさん(ちこ/小4)の作文より(ふじのみや先生/12.3週)

 お米には、まだだれも知らないひみつがあるような気がします。 評:いろいろなものに変身できるんだもの、これからも人間を「あっ」と言わせてくれるかもね。

ピカチュさん(とや/小4)の作文より(ふじのみや先生/12.3週)

 だからぼくはお金があってよかったと思う。だってスーパーに行っていちいち大こんやにんじんなどをもっていったらすごく不べんだからだ。 評:人間は、便利なものを思いつきますね。ところで、最近はお金を持っていかなくても支払いができるシステムもあるらしいですよ。

直茂さん(ねさ/小4)の作文より(ももんが先生/1.1週)

 「やった、三発あたるなんて…。」と、ついじまんしたくなりました。評:ダーツゲームで大活やくだった直茂くん。かぎかっこの後に「思いました」ではない表現を上手に使って、自分の気持ちを表すことができましたね。

友二さん(ふき/小4)の作文より(とこのん先生/12.1週)

 (すごく寒い日の練習中)その日は、つらいことに、カヌーで二回も岩に引っかかって、カヌーがひっくりかえって、川に流されてしまいました。波がどんどん次から次へと顔に当ってしまって、それを何回もくりかえしたので、息が苦しいのと、つめたいのとで、「低体温症で死んでしまったら、どうしよう。」と、心の中で思って、あせってしまいました。 評:そばにいたカヌー仲間の人に引き上げたもらったということですが、とても大変な目にあってしまったんですね、助かって何よりです!! その時の冷たさや苦しさがとてもリアルに表現されていて、読みながらドキドキしてしまいました。

  光る表現(小5−中2) 2000年1月3週号

コナンさん(あえた/小5)の作文より(洋子先生/1.1週)

 おばあちゃんが一人家にいて、テレビ相手にだれともしゃべらないでいればぼけるのも当然だと思う。私がもし、おばあちゃんみたいな状況だったら、心配ごとばかり考えて人生が不安になるだろう。つまり、いつもはうるさいなと思う親でも家族がいるということは、あらためてしあわせなんだということがわかった。評:今、一番お年寄りの介護が問題になっていますね。痴呆の症状のではじめたおばあちゃんのお世話を通して、家族が一緒に生活することの大切さがよく理解できたのですね。これからもお母さんに協力しておばあちゃんのお世話をがんばってください!

信長さん(あえほ/小5)の作文より(けいこ先生/12.3週)

 (中国人の転校生は)最初のころはあまり話せず腕力で話して喧嘩であいさつしていた。 評:共通の言葉を持たない場合のコミュニケーションの手段が腕力と喧嘩だったんだね。慣れない国で、言葉も分からず……という状態での意志表示は、体でしかできなかったということだね。彼の不安な気持ちをうまく表現できている。

ミュウさん(あおゆ/小5)の作文より(ももんが先生/1.1週)

 私は空気になったようにとびはね、喜んだ。評:「わあ〜!」という弾む気持ちが、とてもうまく表現できたね。ミュウちゃんの輝くような笑顔が目に浮かびます。

穂奈美さん(あつえ/小5)の作文より(かつみ先生/1.1週)

 家族みんなと友達で見たしし座流星群はまるで宝石のようにとてもきれいで、今でもはっきりと覚えている。 評:宝石のように、という表現がいいね。先生も見たかったなあ。

わたるさん(あにと/小5)の作文より(きょうこ先生/12.2週)

  「むねがどきどきするのをおさえて...。」「とても待ち遠しくてじっとしていられなかった。」 航くんの化石発掘を楽しみにしている様子がすっごくじょうずに書けたね! 私までドキドキしてきてしまったよ。

竜介さん(あもか/小5)の作文より(みち先生/12.1週)

 お父さんはおじいちゃんがカメラマンだったので、ちいさいころからなりたかったそうです。「カエルの子はカエル」だとおもいました。評:確かにこのことわざは、そのような時に使われていますね。

真菜さん(あやた/小5)の作文より(かつみ先生/1.1週)

 「う〜〜」とみつばちの大群が来たぐらいの・・・ 評:たとえがそのときの様子を具体的に伝えてくれるね瀬戸内海にうかぶ小さな島のお寺にお参りしました。大きなかねを一つつきました。 評:小さな島、大きなかね、この部分がいいね。こういう書き方ほかにもできそうだね。いろいろ考えて使ってみよう。

キティさん(さあ/小5)の作文より(ゆり先生/1.1週)

 朝ごはんには、かまぼこ、だてまきなどのおせち料理がじゅうばこにつめられて、すましてならんでいた。まるで「わたしたちの味はサイコーよ!!しかも美しいし、味にもすがたにも、自信おおありですわ。」とつぶやいているみたいだった。評:お正月の朝、おせち料理がかがやいて見えた様子が、とっても楽しく表現できていますね。

たまごさん(せろ/小5)の作文より(スズラン先生/12.3週)

 (リンゴを文化の違いの実例に出して)西洋では、「朝のリンゴは金のリンゴ、昼のリンゴは銀のリンゴ、夜のリンゴは銅のリンゴ」とか、「一日一個のリンゴは医者を遠ざける」などのことわざもあるそうだ。同じリンゴでも、日本と西洋では大分違うようだ。評:楽しいことわざですね。白雪姫が思わずリンゴを食べたのもわかりますね。母は、「こちらが出しているから、お父さんも出してくれるんだよね。蒔かぬ種は生えぬだよ。」と、教えてくれた。評:手紙を出して、その返事をもらう喜びを体験している言葉ですね。

ホームズさん(なか/小5)の作文より(ミルクティ先生/12.3週)

 『国の文化』価値観の違いということで、こんなことがあった。おこづかいをもらっているかいないかのアンケートで、もらっている人にも、もらっていない人にもいいところはあるのだという。このような結果になったのは、おこづかいをもらっている人ともらっていない人に、価値観の違いが生じるからだと思う。このように、価値観というのは、人によって様々なのである。<評>「価値観の違い」という例を、身近な話で書けたね。ちなみにホームズ君はどちら派かな?

星野惇さん(のと/小5)の作文より(ゆり先生/1.1週)

 「駒沢大学優勝」実況が叫ぶ。僕のお正月は、夜遅く寝て、朝10時ごろ起きる。そして僕は、箱根駅伝を見る。評:とてもうまい書き出しですね。「実況が叫ぶ」という表現もいいし、「夜遅く寝て・・・」という文もお正月らしさを表していていいね。

茉有さん(ああの/小6)の作文より(かつみ先生/1.1週)

 写真や見本を見ていたので、よけい腹の虫が鳴きそうな状態だった。 評:先生もこの文章を読んで、グー---とおなかがなりました。連鎖反応かな??おなかがすいた、と書くよりも、説得力があるね。いい表現を使ったね。

宮淳さん(あたつ/小6)の作文より(かつみ先生/1.1週)

 三つ目は、おぎなえあえることだと思う。 評:おぎないあう、この表現がとてもいいね。いい言葉を使えるって、すてきなことですね。

剛さん(あもも/小6)の作文より(ももんが先生/12.3週)

 (すきなことは)強制されたこととちがい、夜やってもねむたくならないくらい、とても楽しい。評:いいことに気付いたね!自分から「やりたい!」と思ったものは、心がスポンジのようにやわらかくなっているから、どんどんいろいろなことを吸収していくね。ここまでという限界はなく、知れば知るほど楽しくなって、どんどん勉強したくなる。それが、本当に「学んでいる」ということなのでしょうね。

恵子さん(あにあ/小6)の作文より(ふじのみや先生/1.1週)

 「おっちゃん!! 話はいいから早く戦わせろよ!!! 」と、言いたい所だが言えない。 早く!!! おっちゃん!! 「はい、ではここでハブとマングースの戦いを、お見せしましょう…はい!!!」二匹を別れさせていたガラスの板が上げられた。二匹は見合っている… 評:このあと、壮絶な戦いが繰り広げられたのであった、というわけなのですが、始まるまでの気持ちの盛り上がる様子をストレートに表現していて、読んでいて感情移入できますね。

千秋さん(やお/小6)の作文より(ふじのみや先生/12.1週)

 「いってきます。」と言って、小学校へ向かう。しかし、この道を歩くのも、あともうわずか。わたしは来年の四月には中学校に行っている。 評:未来への広がりを感じさせる明るい書き出しです。

アリーさん(あえゆ/中1)の作文より(ミルクティ先生/12.2週)

 名言に「人間というものは、結果から事のよしあしを判断する」というのがある。このように、人間は、行列ができると人気があると思いこむ。確かに、行列ができるということは、人気があるのかもしれない。しかし、私は、行列がないからといって人気がない、と決めつけるのはやはりよくないと思う。これからは、行列ができるところだけでなく、行列ができないところにも新しい発見をしてみたいと思う。<評>行列について書かれた長文から、「行列=人気のバロメーター」と果たして言いきれるのか? と疑問に思ったことを書いたのが個性的でしたよ。

サイコロさん(あつと/中1)の作文より(洋子先生/12.3週)

 「できあがった規則をなんとかまもろうとするよりも、実態にあわせて規則をかえていくことが真に規則を生かす道である」というがぼくは、それだけでなく守っていったほうがいい言葉もあると思う。評:名言をうまく引用して自分の意見を述べたところがよかったですね。日本人として日本文化のきびを表現するのにふさわしい言葉などいろいろありますね。だいじにしたいものです。大野晋さんの「にほんご練習帳」はよみましたか?そのなかで「言葉は、天然自然に通じるものではなくて、相手に分かってもらえるように努力して読み、あるいは、聞く。そういう行為が言語なのだ」とのべています。また時間があったら井上ひさしさんの「日本語よどこへ行く」なども読んでみるといいでしょう。

まりりんさん(あなり/中1)の作文より(ふじのみや先生/12.1週)

 (小学校の時は熱が出てうけられなかったものを)、先生が受けさせてくれた。とってもうれしくなってさけびそうになった。 評:「やったぁ、うれしー!!」という気持ちね。(中学に入って、受けられなかった)「先生、私テスト受けてないのでください」。と、何回も言って声がへんになりそうな気がした。それは、気のせいだった。 評:小学校の時のように、簡単には行かないのね。先生に頼むのもドキドキしたり…。(ダンスダンスレボリューションをしている時)なぜか、知らないけどいつもみんなダンスをするとき、口が少し開いていることに気づいた。 評:うーん、なかなか観察力がありますね。どうして、口が開くのかな。体をやわらかくして踊るせいかな?

裕子さん(あねさ/中1)の作文より(きょうこ先生/12.3週)

  「流行というものは一年すぎれば流行でなくなる。でも、昔の言葉なら、もうずっと使われてきた言葉で変わることもないのかもしれない。」 本当だね。でも、そのずっと使われてきたという理由は一体なんなのだろうね。裕子ちゃんの作文から生まれてきた問題提起だね。ぜひ、考えてみたいね!

TERUさん(ふり/中1)の作文より(メグ先生/1.1週)

 自分の気持ちや心をコントロールするのはとても難しい。でもその気持ちをあんまりにもおさえてしまうと体に悪いと思う。できることはきちんとして,やってはいけないことはしないときちんと判断すべきだと思う。心の健康は自分の人生を左右するのだ。私も心がいつも健康な生活を送れたらいいなと思う。評:確かに心の健康が自分の人生を左右すると言っても過言ではないね。善悪の判断をきちんとした上で,心をうまくコントロールしていくことが大切だというTeruさんの意見がはっきりと述べられているね。

GOさん(うみ/中2)の作文より(スズラン先生/12.3週)

 一人でやる→みんなでやる=個人意識→全体意識となるように、世界中の人が、自分の国のことだけではなく周りの国の事も考え、自分自身が周りの人の事を考えることが大切である。評:宇宙飛行士が見た、地球は一つという思いをみんなが持つべきなのでしょうね。心とは傷つけるものではなく、人を思いやり、それらの気持ちを伝えるためのものなのに、なぜその心を傷つける人がいるのだろう。評:書き出しから、心の問題への取り組み方が示されていたのが良かったですね。

  光る表現(中3以上) 2000年1月3週号

アッポさん(うえ/中3)の作文より(ふじのみや先生/12.2週)

 井の中の蛙は、井の中からでも見える真上の空ばかりにあこがれている。、日本人も、真上の空ばかりにあこがれていて、もっと広い空があることを忘れている。つまり、比較的すぐ目に入る欧米ばかりに気を取られ、ついつい他の国のことを忘れていたのだ。 評:蛙を日本人の姿にあてはめて、想像力豊かに考えましたね。

太公望さん(うの/中3)の作文より(スズラン先生/12.2週)

 「国際化」の真の意味は、私が思うに、国と国との交流を深めたり、異なる文化を認め合ったりすることだと思う。評:こういう考えが基本になると思います。

 もっと私達は、「死」や「命」について深く向き合っていくべきである。・・中略・・本来そのことについて(命の大切さ)、いちいち学校で学ぶようなものではないはずである。家庭での生活などにおいて分かっていく問題なのに、それができなくなってしまっている。評:悲惨な事件が多い昨今、命の大切さを常に考えておくことが強く求められるようです。

GTOさん(えま/中3)の作文より(メグ先生/12.3週)

 人間はいつか,必ず死ぬときがくる,だから人間は毎日を悔いの無いように生きなければならないんだ。評:まさにその通り。「生」の先には必ず「死」があることを念頭に置いて,一日一日を,漫然と過ごすことなく,大切に生きていきたいものですね。

泰寛さん(つひ/中3)の作文より(ももんが先生/12.3週)

 このように「真似る」だけでは、追いつくことはできても、超えることはできない。評:「追いつく」「超える」という二つの言葉を効果的に使って、簡潔にいいたいことを表現できました。また、キーワードの「真似る」を、強調の意味でかぎかっこでくくったのもいいですね!

さやかさん(あおべ/高1)の作文より(けいこ先生/12.2週)

 「できあがった規則をなんとか守ろうとすることよりも、実態に合わせて規則を変えていくことが、真に規則を生かす道である。」という言葉があるように、秩序という器をきちっと決めて、それからもれそうなものを抑圧するのではなく、それをすべてを受け入れられるように、理解する努力をして、秩序の器の形を変えていくことが大切であると思う。 評:秩序を「器」と表現したのはうまい。「器」としたことにより、秩序の枠に押し込め、入りきらないものは排除するという部分がよりリアルなイメージとなったね。

ユウアイさん(ねも/高2)の作文より(かつみ先生/12.2週)

 確かに弱者を守るような規制を作るのはいいが不自由な規制を作るのはよくない。しかし、規制が多すぎる。 評:まとめの文章。余韻を残しているところがいいね。そして、最後の最後に逆説の言葉「しかし」がきているところも、いいね。

藤巻寿子さん(かえ/高1)の作文より(みきこ先生/12.2週)

 カメラマンはレンズのほこりを払う前に目のほこりを払わねばならない。文化は時として人間にとって、目の中に入ったほこりになりかねない。(評)鋭い意見ですね。文化と呼ぶ自分たちのからの中に入っていると、なかなかほこりに気づかなくなってしまうのかもしれません。気をつけねば。

玲子さん(あそわ/高2)の作文より(ふじのみや先生/12.3週)

 うちの学校の生徒が近くの盲学校に行き なんでもいいのでボランティアをしたいと先生に言ったそうだ。すると返事は、何も知識がない人がただ手伝いをしたいと言ってもかえって危険なことになってしまう。だからちゃんと知識をつんでからその後にお願いしたい。というものだった。私たちは誰かの助けになりたいという思いは十分にあると思う。私たちは積極的に誰にどのような助けが必要なのか学ぶ必要がある。 評:ボランティアの問題点を象徴するような出来事をとらえています。こういう例は、私たちに反省を促しますね。

香奈子さん(いし/高2)の作文より(ミルクティ先生/12.2週)

 今、目の前に私の大好物のチョコレートが置いてあるとする。もちろんのどから手が出るほどそれを食べたい。しかし私は食べないだろう。なぜならダイエット中だからだ。(略)規制とは人の道を外さない一つの道しるべのようなものだ。そこに不条理と感じる事があるのは、自分の欲がおさえられているからではないだろうか。<評>どうして規制に対して不条理を感じるのか…それをダイエットを例に書いたところが、わかりやすく、おもしろく、共感を誘いますね。