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2000年1月4週号 通算第649号 mori7@mori7.com言葉の森新聞
文責 中根克明(森川林)手書き入力でオンライン作文を開始
手書き入力用タブレットに手書き文字認識ソフトを組み合わせたものが商品化されています。(NetWeb社製)
これまで、教室では、ローマ字を習った小4以上の生徒しかパソコンで作文を書くことができませんでした。しかも、ローマ字を習ったとは言っても大半の生徒はローマ字表を見ながらポツンポツンと打つ状態なので、手で書くのと同じくらいのスピードで書けるようになるまで日数がかかりました。
6年生ぐらいの生徒の場合でも、初めてキーボード入力すると、一時間で100文字がやっとというスピードでした。このため、パソコンに慣れるまで一時期、作文の勉強が遅れるといマイナス面もありました。
しかし、パソコンで作文を書く力ということは、これからは必要になってきます。
1月17日(月)から低学年の生徒に手書き入力タブレットで試験的に作文を書いてもらった結果、小学2年生の生徒でも1時間で100字から300字ぐらい書けることがわかりました。ソフトの文字認識の癖を飲み込めば、紙に書くのと同じペースで書けるようです。
パソコンで書くと漢字を覚えなくなるという心配をされる方もいますが、実際には手で書いてもパソコンで書いても、漢字を覚えるかどうかは作文の問題ではなく漢字の書き取りの勉強次第だということがわかっています。
2月から、教室では全員がパソコンで作文を書くようなかたちで勉強を進めていきたいと思います。
貸出図書を充実させる予定
教室の貸出図書のリストが古くなってきました。今春、新しい貸出図書リストを作り、併せて貸出の仕方を抜本的に改善していく予定です。
これまでの貸出方式では、貸出された本がすでに自宅にある本であったり、教室に通っている生徒以外は毎学期決まった時期にしか貸出を受けられないなどの問題がありました。
これらの問題は、ある程度やむをえない問題であるとも言えますが、インターネットを使えば解決できる可能性があります。いま考えているのは、ホームページに貸出用のページを作り、そこに表示されている在庫を見ながら生徒に自由に貸出希望を入れてもらうという方法です。貸出希望を入れた時点で在庫表示が減るので、どの本がいま借りられる状態にあるかリアルタイムでわかります。また、たくさん借りたい人には送料有料で追加貸出をするということも考えられます。
まだ検討中の段階ですが、できるだけ多くの人が希望に合った図書貸出を受けられるようにしていきたいと思っています。
来週2.1週のヒント(小1−中3)
(高1以上は学年別のプリントに)
小1−2年 2.1週 じゆうなだいめい
解説:まださむい日がつづきますが、天気のいい日などは、春がちかづいたことがかんじられるようになりました。こうえんの木のめもふくらんできました。だんだん、おもてであそぶこともおおくなってきそうです。みたりきいたりしたことだけでなく、じぶんのしたことがはっきりわかるようなできごとを作文のだいめいとしてみつけてくると、たのしい作文が書けると思います。
小3−6年 2.1週 楽しい夕食
解説:説明的な題名ですが説明だけでおわらずに、説明と出来事と感想を交互におりまぜながら書いていきましょう。また、短く終わりそうなときは、昔のできごととくらべたり、お父さんやお母さんの小さいころの出来事とくらべたりすると、長く立体的に書けるようになります。結びは、夕食というものについて自分が思ったことを書いてまとめてみましょう。
(例)
わたしのうちの夕食はいつも7時ごろです。お母さんがくたびれているときは、うちで夕食をとらずに近くのラーメン屋さんに行くこともあります。←と、ここまでが説明
この前、こんなことがありました。←と、途中からできごとを入れる
わたしは、……と思います。←と、途中で自分の思ったことを入れる
わたしのうちでは、ごはんつぶをのこすとしかられます。←と、また別の説明に入る
この前、こんなことがありました。←と、またできごとを書いていく
………………………………………←以下、同じようにいくつかの話題を書いてから
わたしは、……と思いました。←むすびは、夕食というものについて自分の思ったことを書いてみましょう。
中1年 2.1週 本質的な問題に(感)
内容:人間が本質的な問題に気づき正しい判断力を持って成長していくためにはいろいろなものが必要だが、中でも、家庭での人間的な愛情に満ちた躾が大切だ。
解説:キレル中学生が最近ときどき問題になります。みなさんの学校でも、よくキレル人がいるでしょう。え、私がそうだって?(笑)
人間の成長は家庭での愛情と躾によって支えられているようです。と言っても、自分の家庭のこと以外はなかなかわかりませんから、自分の家庭の話のほかには、伝記や物語などを例として実例をさがしてみるといいでしょう。
エジソンは学校には行きませんでしたが、お母さんが本や実験道具を用意して、エジソンが成長することを助けました。勝海舟は子供時代、犬に噛まれて死にそうな大怪我をしたとき、お父さんが何日も抱きしめて看病しました。
意見文として書くときは、意見をできるだけ単純にすっきりと書くことがわかりやすい文章を書くコツです。この場合の意見は、「家庭での愛情と躾が大切だ」で、反対意見への理解は、「確かに素質のようなものもあるが」となるでしょう。複数の理由で構成してみましょう。
中2年 2.1週 イスラエルを旅していたとき(感)
内容:イスラエルでは全員一致の裁決は採用しないと言われている。裁決を必要とする案件で全員が一致するというような事態は不自然だ。イエスとノーの差ははっきり分かれているものではなく、それぞれいくらかの割合で分かれている。そう考えると、全員一致の裁決を採用しないという考えには意味がある。
解説:イエスやノーをはっきりさせられないことというのは、ふだんの生活にもたくさんありますね。みなさんが洋服を買うときなども、「こっちにしようかなあ。それともあっちにしようかなあ」と迷うことがあるでしょう。この場合は、「色の面ではAが80%でBが20%だが、形の面ではAが30%でBが70%で、色と形とどちらのウェイトが高いかというと、色が40%で形が60%で……」という複雑な計算が頭の中で働くからです。
クラスで話し合いをするときなどは、全員一致で決まったことであっても必ずその決定を内心不満に思う少数者がいるものです。
しかし、日本では昔から全員一致を組織運営の原則とするという伝統もありました。村の方針を決める話し合いなどでは、多数決で決めずに何日も何ヶ月も話し合いを続けることによって最終的に全員一致になるまで話をするというやり方が採られていたようです。みなさんの中にも、「多数決で決めたことなら反対者がいてもゴー」という割り切り方に抵抗を感じる人が多いでしょう。日本人は、「一応、かたちの上だけでもみんなが賛成してくれなきゃ」というメンタリティを持っているようです。
全員一致のよい面、悪い面ということで考えていきましょう。総合化は、「全員一致か否かという結果ではなく、そこにいたるまでの話し合いの過程が大切だ」という感じになるかな。
中3年 2.1週 現代はアイデンティティ不定の(感)
内容:現代はアイディンティティ不定の時代である。それは第一に、近代以前は大人になることが共同体の一員に属することを意味し、元服のような単純な境目があったが、近代は大人になる過程を学校教育という長いプロセスに変えたからである。また第二に、近代以前は、子供期というものは存在せず、子供はそのまま社会の集団に参加していたが、近代以降は豊かな生産力を背景にした家庭の自立に伴い、子供が社会から隔離されて家庭内で育てられるようになったからである。
解説:近ごろの成人式は、式の途中でお喋りをするわ、携帯電話をするわで、主催者側も大変なようです。成人式と言っても、大学生のうちはまだ親のすねをかじっている身ですから、自分が一人の自立した人間として社会に参加していると自覚できるのは、就職をして給料をもらったり、結婚して子供が産まれたりしてからになるのでしょう。しかし、最近は定職を持たない人もいますし、子供が産まれても育児の自覚のない人も増えてきたようです。
親や家庭の庇護から離れることはだれでも不安を持つものです。しかし、近代以前は、「よし、今日からは男一匹(もちろん女の人も)、誰にも頼らずに生きていくぞ」という決心をする機会が社会の中にありました。
アイデンティティ不定の時代にアイデンティティを持って生きていくためにはどうしたらよいか、ということを主題にして、複数の方法を考えていきましょう。第一の方法は自分の心構えなどから、第二の方法は社会や教育のあり方などからと構成に広がりを持たせるように考えてみましょう。
来週2.1週のヒント(高1以上)
高1年 2.1週 ある書物がよい書物であるか(感)
内容:ある書物がよい書物かどうかは、そこに書き手の作った世界が感じられるかどうかで判断される。それは、書き手が何度も反復した場所である。私は少年期、自分の自分の思いがしゃべることによっては通じないという感じに悩まされた。しかし、自分の周囲には同じような人はいないのに、書物には同類がたくさんいた。あるとき、自分もまた周囲の他の人に、自分が周囲に対して思うのと同じように思われているのではないかと気づいた。私が畏れているのは、他の書き手ではなく、そういう周囲の人たちである。
解説:自分の本当の心はだれもわからない、とは多くの人が思うことです。しかし、周囲に目を向けてみると、ほかの人たちもまたその周囲に向かってそう思っているのです。
人間は自分のことは過大評価しがちで、他人のことは過小評価しがちです。スポーツやテストの結果でも、自分はもっと実力があるのに運が悪かったと思い、相手は実力がないのに運がよかった思いがちです。自分にはだれにもわかってもらえない深い内面があり、周囲の人には外から見るだけですぐにわかる表面しかないという都合のいい考え方をだれでもしがちです。
周囲の他人にも、自分と同じような深い内面があるのだと自覚することが、私たちの認識を一歩前進させることになるようです。
高2年 2.1週 どんな理路整然とした方法論に(感)
内容:歴史書は、生きた人間の活動を形象化するべきだ。しかし、日本ではそのような歴史書は少ない。それは、その歴史家の人間を見る目がひからびているからだ。ユネスコでの科学者の共同声明は、社会科学の役割を平和の基礎としての社会的洞察を民衆に与えることだと述べた。学問は日常生活の中で試されてこそ豊かになる。
解説:社会科学の分野では、書物の上での勉強だけで実際の日常生活からのフィードバックがなければ、社会に役立つ学問は生まれにくいでしょう。みなさんが学校で勉強している地理・歴史・政治経済などに結びつけて考えてみましょう。
私(森川林)が高校生のころ、歴史を教える先生は、ただ資料を読んだり板書して書き写しさせたりするだけの授業で生徒からかなり評判の悪い先生でした。一度、M君という友達が書き写しをしていないので先生から注意されたとき、M君は「そんなのばかばかしいから僕はやりたくありません」などと言って、一瞬クラスにジャジャーンという雰囲気が漂ったことがありました(笑)。その歴史の授業に比べて政治経済の授業はおもしろく、先生が現代の問題と関連させながら話をするので、私などはいつもいちばん前の席で(席が自由に決められた)一言ももらさずに聞いていました。何を聞いたかはもう忘れてしまいましたが。(^^ゞ
現代の社会に対する深い問題意識を持たない学問というと、大学の授業にも似たところがあり、経済評論家の邱永漢さんは1945年に東大の経済学部を卒業しましたが「大学での勉強は役に立たなかった」と述べています。最近は、だいぶ改善されていると思いますが。
高3大社 2.1週 経験界で出合うあらゆる事物(感)
内容:意識とは本来「…への意識」として志向性を持つものである。しかし、志向性を持つためにはそこに、その志向するものに対する本質把握がなければならない。サルトルの「嘔吐」には、本質を把握できずに存在そのものに直面した意識の混乱が描かれている。
解説:サルトルがいままた話題になっているようです。私(森川林)が学生時代にはじめて読んだ哲学的な本がサルトルの「存在と無」でした。中身はすっかり忘れてしまいましたが(笑)、存在の中に生まれた無が意識であるというような表現に新鮮な感動を覚えました。志向することをその本質とする意識が志向しきれない対象こそ存在そのものなのでしょう。
例えば、あるものを見て、言葉では言い表せないという印象を持つことがあります。また、あるものを見て気を失うということがあります。そのとき、意識は、その対象を対象として把握しきれないまま存在そのものに直面しているのだと言えるでしょう。感受性の強いサルトルは、その存在の本質を公園の木の根っこに見ました。
芸術家なども、絵を描く対象を存在そのものとして見るようです。ある芸術家は、馬などを描くときもそれを馬として描くのではなく、ひとつの茶色のすらりとした存在の美しさを一生懸命表現しようとして描いた結果、それが周りの人から「馬の絵」として見られると述べています。
これを今日の社会の問題として考えてみると、存在そのものに触れる機会の少なくなった現代社会ということが言えそうです。かつて、幼稚園で自由に絵を描かせると、「おふねにのっているどうぶつたち」という題で、船を表わしている線の上に、「牛」「馬」「犬」などの漢字を並べた絵を描いた子がいたそうです。知識や理屈を先に覚えてしまい、実際の体験が後回しになるという傾向は、現代社会のひとつの特徴と言えます。
なんでもわかった気がする。しかし、深い感動がない。存在を実感する機会がない。自分が生きている実感もない、という問題が現代の社会にありそうです。言い換えれば、意識の志向しきれない対象としての存在そのものが希薄になっているのが現代社会の問題として考えられそうです。
光る表現(小学生)
2000年1月4週号■
ドラちゃんさん(あよう/小1)の作文より(スズラン先生/1.2週)一月七日にとっきゅうでん車にのりました。はんきゅうでんしゃです。うめ田十三かんでは、きゅう行でん車ときょうそうしました。きゅうこうのほうが早かったです。十三えきをすぎるときゅうに早くなりました。評:急行に追い抜かれても、やっぱり特急電車のほうが早いので安心しましたね。よく見ていましたね。
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ししさん(あふか/小2)の作文より(スズラン先生/1.2週)ぼくはじてん車がすきです。ひまでもあれば、びゅんびゅんとばしていきます。評:自転車に気持ち良く乗っているようすがわかりますね。
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皓基さん(あもほ/小2)の作文より(かつみ先生/1.2週)ぼくはうしろからおおきな力におされたようなかんじで、ぼうそうぞくになったみたいに右や左にターンしながらコースをすすんでいきました。 評:うまい表現だね。うしろからおおきな力におされたようなかんじ、というところが、とくに気に入りました。
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一休さんさん(わら/小2)の作文より(けいこ先生/1.2週)かまくらの町の中はとてもこんでいてどこも人、人、人でした。その中をまるでたんけんたいみたいに自てん車ですいすいすすんでいきました。 評:はつもうでにお父さんと自てん車で行った時のこと。たくさんの人が集まってこんざつしている様子を「人、人、人」とくりかえすことで、分かりやすくひょうげんできたね。こんざつしている時はやっぱり「自てん車」が一番!
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えりさん(あなふ/小3)の作文より(ももんが先生/1.2週)せまいろじのところで、ネコにあいました。いつもあいますが、今日はとくべつに、にらめっこしています。ネコのほうは、こっちをみて、わたしは、ネコを見ています。じーっと。評:ネコとえりちゃんのすがたが、目にうかびます。目と目がばっちり合ったのね。楽しいたとえ。まさに「にらめっこ」ですね。ネコのようすをあらわす「じーっと」もいいね。
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むっちゃんさん(あひほ/小3)の作文より(ももんが先生/1.1週)まるでペンキをぬっているように、仕上がりました。評:おかし作りは、なんだか工作ににていますよね。いいところに気がつきました。ぺたぺたとクリームをぬって、おいしい手作りケーキができたのでしょうね。
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ペンギンさん(しろ/小3)の作文より(スズラン先生/1.2週)「あっ」自転車が僕の足をかすめて行きました。・略・ぶつかってきた人は、まるでチーターのようにあっという間に行ってしまいました。評:一瞬の出来事だったことがわかりますね。それにしても、あやまらずに行ってしまったのはひどい!
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穂香さん(すよ/小3)の作文より(きょうこ先生/1.2週)「(そり遊びで転んでしまった時は)しばらくの間キーーーーーーーーーーーーン!!! まるで骨折でもしたようにいたかったです。」 うわっ、ものすごいいたさが伝わってくるよ! とても痛かったけれど、作文の表現はバッチリね!
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芽恵照さん(そて/小3)の作文より(スズラン先生/1.2週)初めて、かけあしというのにちょうせんしました。でも、ベルテンポという馬はすごく早くて、落馬してしまいました。落ちたしゅんかんは、一しゅん、頭がどこかに行ったような感じがしました。評:落馬したときの衝撃が伝わってきますね。ガーンという感じでしょうか。
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瑞季さん(てく/小3)の作文より(かつみ先生/1.2週)毎日さりげなく、通る帰り道。いろいろな変化があるよ。 評:すてきな書き出しだね。詩のようなかんじでとてもいいよ。
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まささん(あうこ/小4)の作文より(ゆり先生/1.2週)(ウォータースライダーは)かいだんからのぼって、水がいきおいよくながれる中を、下まで、すべりおりる、すりるのあるプールです。すべりだしたと、おもったら、くねくね道にはいったる、とつぜんカーブがでてきたりします。ときどき、ウォータースライダーの中から、「キャー!」とか、「たすけて〜!」などひめいがきこえます。評:とてもおもしろい”ウォータースライダー”のことを、会話をつかいながら、とてもわかりやすく説明できていますね。
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けろっぴさん(あちえ/小4)の作文より(ミルクティ先生/1.1週)『宝台樹でのスキー』【書き出し】「ヒュー。ヒュー。」風にのってぼくは、中級からおりてきた。なかなか中級はむずかしかったなぁ。【結び】ぼくは、去年にくらべて何十倍もうまくなったような気がする。宝台樹に来たのは初めてだったけれど、ものすごく楽しかった。ぼくは、上級をすべっているぼくを思いうかべた。<評>風をきってすべりおりるようすを描いた書き出しと、未来の自分のすがたを想像している結びが、うまくつながっているね。
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ゆうちゃんさん(あにみ/小4)の作文より(ももんが先生/1.1週)翌日の二日は、とてもめでたい日です。なぜなら、お父さんが帰ってくるからです。(中略)お父さんは、「やっぱり家はいいなあ。」としみじみ言っていました。お母さんは、「これでやっとお正月がきたわ。」とうれしそうです。ふと外を見ると、とても気持ちの良い晴天でした。「そういえば、昨日もこんな天気だったのに、全然気づかなかったなあ。」と、ぼくは、つぶやきました。評:お父さんが退院した一月二日に、ゆうちゃんの家には、お正月がやってきたのですね。青い空と、家族みんなの楽しい気持ちが、上手に組み合わせてある、すてきな作文の結びです。
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カヤケムさん(あまく/小4)の作文より(ももんが先生/1.1週)ぼくの弟のいいところは、やさしい(すこし)ところです。評:かっこを使って、(すこし)を付け足しているのが、すなおな気持ちの表現でおもしろいですね。いつもけんかばかりしていても、本当は、弟の良いところをみとめてあげているんだね。さすが、お兄ちゃん!
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愉美さん(あはせ/小4)の作文より(はるな先生/1.1週)おじいちゃんが、「厚木のおじちゃんたちがくるよ!」と言ったので、いっしゅんうれしくなりました。「ピーンポーン」と、ドアのベルがなりました。「ダダダ」と足の音がしました。…・・(中略)羽子板(はごいた)をやりました。羽子板のおとは、「カーン」と聞こえました。 (講評); おじいちゃんちで、しんせきのみんなといっしょに、むかえたお正月。本当ににぎやかで、楽しそうですね。げんきなあいさつの会話や、羽根突き(はねつき)や、チャイムの音などが、耳に、ひびいてくるような感じに、とてもじょうずに、表現できました。
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マーボーさん(あみそ/小4)の作文より(きょうこ先生/1.1週)「(スキーのジャンプ台で)いっぱい飛んだ時は、まるで鳥になったような気分になり、気分そうかいだ。」 ジャンプ台はこわそうだけど、でも、鳥のような気分を味わえちゃうなんてすごくみりょくてきだね。飛んでみたい!って思えちゃうくらいすてきな表現でした。仁敬くんが鳥のようになって気持ちよさそうに飛んでいる姿が目に浮かんできそうよ。
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ナズナさん(あもせ/小4)の作文より(かつみ先生/1.2週)嫌うことから人間のいやみが見えてくる。 評:難しい表現を使ったね。たいしたもの。アクセントのある表現だよ。
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俊介さん(あやゆ/小4)の作文より(かつみ先生/1.1週)まるでいとこはテレビゲームに操られているかのように思えました。 評:操られているかのように、と言う表現がとてもよかったよ。
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ピカチュさん(とや/小4)の作文より(ふじのみや先生/1.1週)(セキレイは)まるで小さいラジコンカーみたいにちょこまかちょこまかと走っていた。☆こきざみに動き回るセキレイの様子。ラジコンカーとはおもしろいたとえですね。…ユリカモメかな? あたっていた。まるでプロペラひこうきのようだった。 ☆次は、ずんぐりとしていてのんきなユリカモメ号。ラジコンカー・セキレイ号とはえらい違いだね。
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信長さん(あえほ/小5)の作文より(けいこ先生/1.1週)もしかしたら一番の二千年問題は電気などではなく水道でも無く人間の精神二千年問題ではなかったのか。僕は出来事よりもそうした気持ちによる事件が怖い。評:問題の本質を見極めずに、いたずらに危機感だけをあおってしまうことへの批判だね。今回の二千年問題だけでなく、過去にも同様のことが起こっている。情報は大切だけど、それ以上にその情報をどう分析し対策を考えるかがより重要だということの教訓だね。
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美和さん(あきき/小5)の作文より(スズラン先生/1.1週)(初詣に行って)祖父の家があるのは、鳥取県境港市、つまり、鬼太郎の町だ。初詣は、西暦2000年を記念して作った「妖怪神社」に行った。行ってみると、思ったよりも小さくて、うら庭に続く道があり、そこに行くとあった物はただ一つ、それは作りかけのような人の足だ。評:なんだか不思議な神社ですね。そこが鬼太郎さんらしいのかもしれませんね。境港に行ったときは立ち寄ってみたいですね。
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穂奈美さん(あつえ/小5)の作文より(かつみ先生/1.2週)「そったくの機と言う言葉を聞くと・・・。「うーん、なんだろう?。」とむずかしく考えてしまう。 評:素直な意見。大人でも知らない人が多いよね。こういう、素直な直感的な感想を書き出しで書くこと、これも実は技術の一つ。いい書き出しだったよ。
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わたるさん(あにと/小5)の作文より(きょうこ先生/1.1週)「スペースマウンテンは、真っ暗やみの中をかけぬけるジェットコースターだ。周りが見えないのがけっこうこわい。そこが楽しい。」 おぉぉ、こわくてだめだなと言うのかと思ったら、そこが楽しいとは! 読んでいる人をびっくりさせてしまうようなじょうずな表現でした!
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真菜さん(あやた/小5)の作文より(かつみ先生/1.2週)生きている時には、必ず人と助け合い、いきを合わせて、いるんだ、と思うと・・・・・・ 評:いきを合わせて・・・本当にその通りだね。いろいろな呼吸というのが確実に存在している・・・そういう気がするよね。これは縁にも関係するかもしれないね。
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ミッキーさん(けく/小5)の作文より(メグ先生/1.1週)その真っ白な斜面は,まるで,私を吸いこんでしまうほどに真っ白だった。評:雪の白さをうまく表現したね。スキー場の真っ白な斜面に立っていると本当に吸いこまれてしまいそうな感じになるよね。
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たまごさん(せろ/小5)の作文より(スズラン先生/1.2週)私はピアノを一年生から習っている。いやでいやでしょうがなかった。当日は朝からいやな気分だった。まるでこれから病院に行くようだった。・略・それが、昨年の秋、本が「ブルグミュラー」にかわった。どれも楽しい曲で、夕食後とか、宿題が終わった後など、つい弾きたくなってピアノを弾く。・略・教科書がかわった時と、私が上手になったのと、ちょうどいいタイミングだったと思う。評:それまで努力していたことが、この本の曲との出会いで新しい力になったのですね。良い実例でした。継続は力なり!
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剛さん(あもも/小6)の作文より(ももんが先生/1.1週)人間の歌が聞こえて、バックバンドが聞きにくくなる耳せんなんかはないのだから、あまり大きな音を出さないでほしかった。評:ゴスペルコンサートでは楽器の音が大きく、お母さんの声が聞こえにくくなっちゃって残念だったね。不思議な耳せんのたとえを使って、自分の気持ちをすなおに表現できたのがとてもユニーク!
光る表現(中学生以上)
2000年1月4週号■
魔法使いさん(あちほ/中1)の作文より(スズラン先生/1.2週)人間は自分達の生活をよりよくするために機械を上手く使って、次々と便利なものを作っていった。でも、人間の生活にはいい結果が生まれたかもしれないが、人間自身には本当にいい結果が生まれたのだろうか。私はそうは思わない。評:便利になることだけを考えてきた結果に疑問を持つことは、これからの生き方を考えるヒントにもなりますね。
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幸子さん(あさも/中2)の作文より(スピカ先生/1.2週)反省すれば、次代に解決法が生まれてくる。逆に解決しようとすれば、前回の反省が必要となってくる。人間は遭遇した事のない事態に出会った時、疑似体験を探す。そして、どうすればよいのかをじっくりと考えてゆく。 評:反省の大切さがうまく表現できている。過去の出来事に対して、自分なりの答えを出しておくこと、出そうとすることが問題の解決に役立つんだね。
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たこ星人さん(こむ/中2)の作文より(きょうこ先生/1.1週)「いとこの所では丸くしたもちを2つ重ねて近くで取れたみかんを上にのせて各部屋に飾っていた。きっとそこには福がくるんだろうな〜などと思った。」大丈夫だよ! ちょっときれいすぎてしまったかもしれない大角地くんのお家の鏡もちでもきっと福は来る! なぜって、それにはたくさんの大角地くんの心がこめられているはずだからね!
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創さん(あもゆ/中3)の作文より(きょうこ先生/1.1週)「なんでも使わなければ、その本来の性能を発揮できなくなってしまう。」 創くん作のすてきな名言だね。私たちに与えられている感情豊かな心を大切に使っていきたいよね。「使っている鍬(くわ)は光る」だものね!
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AE86さん(えや/中3)の作文より(さかな先生/1.1週)・・・「畑仕事は、いくら人間が焦っても出来ないモノは出来ない!」という言葉を目にしたが、その通りである。しかし、今はこの言葉を覆すようなモノが開発されたのだ。そう、それは「遺伝子組み替え」である。評:これまでの常識を打ち破るような新しい技術に対する驚きが伝わってきます。・・・「畑仕事は、いくら人間が焦っても出来ないモノは出来ない!」という言葉を目にしたが、その通りである。しかし、今はこの言葉を覆すようなモノが開発されたのだ。そう、それは「遺伝子組み替え」である。評:これまでの常識を打ち破るような新しい技術に対する驚きが伝わってきます。
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MAIさん(いお/高2)の作文より(きょうこ先生/1.1週)「物や他の人間の周りにあるものは、常に時代と一緒に変化し続けていて、これからもそれは変わることはないと思う。そんな中で心といういつも変わらない物を持ちつづけたいと思う。そして目に見えないものだからこそ繊細であり、そして一番大切なものなのだということを忘れずにいたい。」 なるほどお、目に見えないものだからこそ!というのがすごく重要なところでもあったんだね。これを忘れがちになってしまうところが現代の問題点かな。