http://www.mori7.com/ 2000年3月1週号 通算第654号 mori7@mori7.com

言葉の森新聞

文責 中根克明(森川林)

  父母アンケート葉書を送ります

 3月に、父母アンケート葉書を送ります。お子様の勉強に対するご質問や、教室の運営に関するご意見などを自由にお寄せください。

  新学期からの教材について

 現在、4月からの教材を編集中です。

 以下の諸点を変更する予定です。

 ご意見ご要望がありましたらアンケート葉書にお書きください。

(1)小1・2年生は自由課題を中心に、小3・4年生は感想文課題を月1回に。

 1〜3月は学年の最後ということもあり、字数もかなり多くなりましたが、4月は新しい学年の課題で慣れない人も多いので字数が少なくなります。目安は学年の100倍ということで、小1は100字以上、小2は200字以上、小3は300字以上、というようになります。

 小1・2年生は、感想文課題はなくし、原則として毎週自由課題とします。

 小3・4年生は、月1回の割合で感想文課題とします。

 しかし、いずれも、長文音読をはじめとする自習は、読解力をつけるいちばんの要になりますので、感想文の有無に関わらずできるだけ毎日続けていってください。

 小学4年生までは、楽しく書く習慣をつけるという目標を中心にして勉強していきます。そのかわり、5年生からは感想文月2回で、感想文のもとになる長文もかなり難しいものになります。5年生は勉強に対して前向きになれる時期ですので、ある意味で難しいもののほうがやりがいがあると思います。

(2)自習をもっと簡単に。

 言葉の森の自習は、長文音読、短文暗唱筆写、漢字書き取り、読書となっています。

 自習を毎日することは、国語の実力をつける上で最も大切です。低学年のうちは時間もたっぷりあるので、ひととおり全部の自習をしている人が多いようですが、学年が上がるにつれて自習をする時間が取りにくくなるようです。

 何年生になっても無理なく自習を続けられるように、最低限必要なものにしぼった自習にしていきたいと思います。

◆長文音読は大事ですから毎日欠かさずやっておいてください。時間は5分程度です。必ずお父さんやお母さんの聞いている前で読みましょう。

◆短文は暗唱だけにして、筆写はしなくてもよいことにします。一つの短文を見ないでも全部言えるようにするのが練習です。時間に余裕のある人は筆写を続けていってください。

◆漢字書き取りはしなくてもいいです。漢字は学校でやっている人が多いということと、毎日やらなくても必要なときに集中して勉強すれば間に合うからというのが理由です。時間に余裕のある人は漢字書き取りを続けていってください。

◆読書は引き続きやっていきます。毎日必ず読んでいきましょう。

  偏差値の活用

 前週の言葉の森新聞の「受験も偏差値で」の記事で、何人かの方からご意見をいただきました。それらのご意見をふまえ、書き足りなかったところを補足します。

 まず、偏差値という言葉ですが、これはより正確に言えば確率密度分布というような言い方になるのだろうと思います。確率密度分布は、ものごとを数値的に考える場合の足がかりになるものです。単なる順位とか合計点とか平均点で見ていたのでは、ものごとの正確な姿はわかりません。また、ある一定以上の複雑さを持ったものを見る場合、単純な数字では全体像を把握できません。確率密度分布という考え方は、統計的に何かを論じる際の共通の尺度になりますが、偏差値という言葉自体のニュアンスにマイナスのイメージがあるので、偏差値問題が正しく話し合われていないように思います。

 次に、偏差値を基準に輪切りをすると、個性がなくなるということについてですが、これは偏差値の活用の仕方に問題があります。いまの偏差値の使い方は、全教科の偏差値を合計して評価するかたちがほとんどですが、これでは全教科が万遍なくできるおもしろみのない生徒が上から順にならぶだけです。しかし、もし数学の偏差値の高さに比べて英語と国語の偏差値が著しく低い子がいたら、その子はふだんの勉強はあまりしていないが、数学だけは特別の才能がある子だと予測できるかもしれません。また逆に、国語だけの偏差値が高くて英語と数学の偏差値が低い子がいたら、本を読むことが大好きで勉強のほうはあまりしていない子だと予測できます。全教科が万遍なくできる子は、いわば伸び切った子供です。教科によりでこぼこのある子は、でこぼこの「ぼこ」の部分でまだ十分な可能性がある子だと考えられます。偏差値はこのように活用しなければなりません。しかし、現在このような偏差値の活用の仕方はほとんど見られません。入試の問題ごとの得点とその生徒のその後の伸びの関連についてさえ十分な調査がなされているとは思えません。

 最後に、数学は標準偏差が大きく得点差が大きいので、標準偏差の小さい国語や社会に比べて、数学の得意な子は得をし、国語の苦手な子は損をするということについてです。ある方からメールで「そういう事情を口実に、自分は国語が得意だから損だというように甘えてはいけない」とのご指摘をいただきました。このご意見はそのとおりだと思います。しかし、この話の意図はもともと、だから数学が得意で合格した人は、実力よりも高く評価されてしまった可能性があるのだから油断しないようにというつもりでした。最近、身近に、難しい中学や高校に入ったあとに伸び悩む子がいることに気がつき、その背景を考えてみたのです。しかし、これを逆に生かすとすれば、中学受験や高校受験では、数学を重点に勉強していくことが大事だということがわかります。さらに先を読むと、中学受験や高校受験で数学を重点にして勉強する態勢を作るために、小学校低中学年のうちに国語を得意教科にしておくことが大事だということになると思います。我田引水のようですが。(^^ゞ

  来週3.2週のヒント(小学生)中学生以上は紙面の関係で来週

小1、2年 3.2週 じゆうなだいめい

 まちのあちらこちらに春のいぶきがかんじられます。1・2年生の人は、いい話を見つけたらカレンダや自習用紙にメモをしておくといいでしょう。

小3年 3.2週 料理

 料理を作ったことを書いてみましょう。たまご焼きやゆでたまごを作った人は多いでしょう。ホットケーキやクッキーやお好み焼きを作った人もいるでしょう。「ぼくはカップラーメンしか作ったことがない」という人もいるかな。(あれは作ったことに入らない)

 料理をしているときの色や音やにおいをよく思い出して書くと、おいしそうな作文になるでしょう。(^0_0^)

小4年 3.2週 化学繊維(かがくせんい)が発達(感)

 内容:化学繊維が発達し、養蚕をする人が少なくなりました。カイコは、クワさえあれば、かんたんに飼えます。カイコは、幼虫の生活も子孫をつくることも、すべてヒトの計画どおりになっています。長年の飼育化の結果、ヒトが飼いやすい、すなわち管理しやすい虫になったのです。

 解説:カイコは、この長文にあるように、逃げもしないしかみつきもしないとても飼いやすい昆虫のようです。しかし、いまはカイコを身近に見る機会はほとんどありません。カイコの似た話というよりも、ほかの虫を飼ったときの話などを思い出して書いてみるといいでしょう。ほとんどの生き物は、うまく飼わないと逃げ出します。先生(森川林)も子供のころ、カニを水槽に入れて飼おうとしましたが、翌日早速脱走しお風呂場で元気に水浴びをしているところを見つけ逃がしてやりました。コオロギを飼ったときもその日のうちに逃げ出して、夜の間ずっと押し入れの中で楽しそうに鳴いていました。またあるときは、足元を白いネズミがのそのそ歩いていると思ってよく見ると、逃げ出したハムスターだったことがあります。逃げ出さないカイコを作るためには、何百年もの時間がかかったのでしょう。

小5年 3.2週 レオナルド・ダ・ヴィンチ(感)

 解説:創造とは、いろいろなことを試してみることから生まれる、という話です。ゲームの攻略でも、攻略本を読んでそのとおりに進むよりも、自分でいろいろと試行錯誤をしてうまく行ったときの方が感動が大きいと思います。それは、創造が感動的なものだからです。現代社会は、能率を優先して、正しい答えをすばやく覚えるような勉強をしがちですが、自分でいろいろと間違えたり試したりしてみる方が、長い目で見ると人間の成長に結びつくようです。似た話は、すぐに答えを見たり聞いたりせずに自分でいろいろ試してみた、という話で。

 ことわざは、「35、かわいい子には旅をさせよ」「51、虎穴に入らずんば虎児を得ず」「145、禍(わざわい)を転じて福となす」「必要は発明の母」「人間は考える葦である」「失敗は成功の元」など。

小6年 3.2週 端的にいって、私たちは(感)

 内容:お話とは声によって伝達される文学である。お話は昔話などに求めることができる。昔話は、文学のもとのかたちと言ってよく、大きな力がかくされている。

 解説:似た話は、子供のころお母さんに聞かせてもらった「ももたろう」や「うらしまたろう」の話の懐かしさなどが考えられるでしょう。

 感想は、「昔話は人間の心のふるさとだ」というところで。例えば、「正直者が報われる」や「弱い者にはやさしく」などの価値観は、道徳的に説明されるよりも昔話を通して自然に文化の中に根づいていくと考えられます。

 ことわざは、「101、燈台下(もと)暗し(身近な昔話に実は大きな力が秘められている)」「130、三子(みつご)の魂……(小さいころに聞かされた昔話などがその子の価値観や人生観・世界観の基礎となる)」など。

  今週3.1週のヒント(中学生以上)

中1年 3.1週 たしかブレーズ・パスカル(感)

ミスプリント:「亀の子どもない」→「亀の子どもでもない」

 内容:人間にはだれにも「狂気」のようなものがある。我々が行動を起こすとき、心や体のなかの様々な傾向のものがある一定の方向を向く。それが進みつづけると歪みが生じ狂気が生まれる。この狂気が収まるともとの平静な状態が生まれるが人間はいずれ平静な状態に飽きてふたたび狂気を求める。狂気は否定するものではなく、狂気を反省する自覚が必要だ。

 解説:例えば、食事の例で考えると、いつも同じものばかり食べていると、だんだん飽きてきます。たまには変わったものを食べたいと思い、食べだすと止まらなくなり、おなかをこわしてまたもとの食事に、ということがあります。(あるかなあ)

 勉強でもスポーツでも同じです。試験や試合のように勝負を決めるときには、ふだんの穏やかな練習と違って、真剣にがんばらなければなりません。この真剣さが狂気に近いものになることもありますが、本当の狂気になって、反則をしたりカンニングをしたりしてはなりません。

 人間にはだれにも狂気があります。狂気というと言葉がきついようですが、言い方を変えれば「変化を好む心とやりすぎる傾向」とでも言えるでしょう。偉大なことで、この狂気なくして完成したものはほとんどありません。エジソンが電球を発明したとき、フィラメントの材料を何千種も試験してやっと日本の竹を炭化させたものが最良だという結論にたどりつきました。途中で社員のひげも材料として試してみたそうです。(笑)このへんは狂気というよりもジョークに近いかもしれません。

 しかし、このような狂気も、その裏に冷静な自覚と反省がなければ単なる狂気で終わってしまいます。エジソンの狂気を支えたものは、「いい材料さえ手に入れば電球は必ず成功するはずだ」という理性的な見通しでした。この見通しがあるからこそ、度重なる失敗にもくじけずに実験を進めたのです。

 感想文の意見の中心は、「狂気の大切さ」または「冷静と反省の大切さ」になるでしょう。「人間には、狂気というのもが必要だ。その理由は二つある。……」というかたちで展開していくといいでしょう。

中2年 3.1週 学童のあそびには多くの想像力や(感)

 内容:子供の遊びは年齢に応じて発達する。遊びの過程で子供たちは想像力や倫理観を身につける。おとなは子供の想像の芽をつまないようにしたい。

 解説:小学校時代の自分の遊びを思い出してみましょう。お店屋さんごっことかお母さんごっことか学校ごっことか、いろいろなごっこ遊びをしたことがあるでしょう。このごっこ遊びの中で、他人の立場というものを理解する想像力が育っていきます。小学校中学年のころは、いろいろなものを収集する遊びがはやる時期ですが、これも、収集することを通して世の中にある事物を分類するという力が育つのだと言われています。スポーツなどでは、フェアプレイの精神やドンマイの精神(そんなのあるのか)などを身につけることができます。

 もし、これらの遊びをほとんどせずに、計算練習と漢字書き取りだけをして育ったらどうなるでしょうか。日本に「よく学び、よく遊べ」ということわざがあるように、英語にも、「All work and no play makes Jack a dull boy」(勉強や仕事ばかりして遊びがなければ、それはジャックを愚鈍な少年にする)ということわざがあります。遊びの大切さというのは、洋の東西を問わず広く認識されています。

 しかし、最近は、大学生の学力低下に見られるように、遊びすぎて勉強しないという現象もあちこちで見られます。「やっぱり子供時代は遊ばなきゃ」と力説する人ほど勉強が苦手という傾向があるようです。(笑)

 勉強と遊びのそれぞれの大切さを論じながら、最後を総合化してまとめてみましょう。

中3年 3.1週 今日では、道徳的共同体を(感)

 内容:今日の社会は、法的社会である。しかし、共同体意識は、今も人々の間に生き続けている。孔子は、葉で、自分の父親の犯罪を証言した正直な息子を批判した。法がしだいに 社会的に認知されつつあった春秋時代に、共同体的原理を体現したのが孔子であった。

 解説:法的社会と道徳的共同体社会の対立がテーマになっています。例えば、友達が万引をする現場を見たとき、それを先生に告げるというのが法的な発想でしょう。先生に問い詰められてもあくまでも友達をかばうというのが道徳的な発想でしょう(どこが道徳的じゃ)。

 狭い変化のない社会では、道徳的共同体的意識が生きています。小さな村の選挙では、政策で人を選ぶのではなく、「この前、○○をもらったから、今度は、選挙で一票入れといてやろう」というような発想で投票する人がかなりいます。みなさんのクラスでの学級会でも、「あなたの考えのほうがまちがっていると思うけど、友達だからあなたのほうに手を挙げておいたわよ」などという友情がよく見られると思います。日本は、世界の中でも共同体的意識の強い国でしょう。

 これに対して、アメリカは法的意識の強い国です。多種多様な民族が同居している社会では、それぞれの民族によって道徳的習慣が違いますから、おのずからどの民族にも共通に理解できる法的な基準が中心になります。この法的社会が行き過ぎると、「自分の頭が悪いのは親の育て方が悪かったからで、親を裁判で訴える」という子や、「子供が事故を起こして親が弁償したが、その子供を裁判で訴える」という親が現われてきます。本当にあった話だそうです。

 日本では、最近よく「身内に手心を加える」ことが事件になっています。アメリカの基準から見れば、日本は法的に遅れている社会ということになります。しかし同時に日本人の心の中には、身内をかばうのは当然という感覚があることも事実です。全体のバランスとしては、日本人は法的なほうにもっとウェイトを置くぐらいでちょうどいいのかもしれません。

 

 

 

高1年 3.1週 もう一度、教室の光景へと(感)

 内容:現在の子供に見られる問題として、まず他者への無関心と気配りのなさがある。次にモノとの出合いの経験に乏しく道具の使用が未熟であることが挙げられる。言葉という道具についても活字離れが進行している。

 解説:現在の子供と言われても、比較する基準のない高校生のみなさんには納得しにくいと思います。むしろ現在の社会の問題としてとらえるといいでしょう。

 都会では、隣人に対する無関心が広がっています。昔は、朝ご飯を作るのにお味噌が足りなくなったから隣のうちから借りてきてというようなことがありました。いまは、そのような光景はまずありません。それどころか、道端で人が倒れていても、「お、ちょっとごめんよ」とまたいで通り過ぎてしまうような光景があちこちで見られます。(ないない)

 またモノとの出合いの少なさや道具使用の未熟さも、よく見られます。昔は、夏は汗をかくもので、冬は寒くてふるえるもので、鉛筆はナイフで削るもので、ご飯はかまどで炊くものでしたが、今は、夏はクーラー、冬はホットカーペット、セブンイレブンでシャーペンを買って、おかずはレンジでチンという生活です。自動車の免許なども、昔はエンジンの仕組みを知らなければ試験に合格しませんでしたが、今のようなハイテクのエンジンになると、なまじ仕組みを知らないほうが操作しやすいという皮肉な状態が生まれています。

 しかし、道具の使用が未熟になるというのは、時代の流れを見ればある意味で当然のことです。今では、自分で矢じりを作って、木と木をこすりあわせて火をおこし、落とし穴を掘ってイノシシをつかまえるというような生活をする必要はないからです。問題は、道具の使用が未熟になったり、他者との関わりが希薄になったりしていることそのものではなく、そのことによって、生きる実感や生きる喜びが失われているのではないかということにあります。

 他者、モノ、道具、言葉との関わりの薄さということを社会問題として考えてみましょう。

高2年 3.1週 自然に対する人間の働きかけには(感)

 内容:自然に対する人間の働きかけには二つの型がある。一つは量についてのもの。もう一つは制御と管理に関するものである。昔から人はいつでも量の不足に悩んできた。科学技術の発達は、量の問題の解決に大きな役割を果たした。しかし、核兵器に見られるように、量の問題の解決は必ずしもトータルな成功ではないことが明らかになった。量の問題を解決してみたら、その量を制御するものが不足していることが見えてきたのである。

 解説:食事にあてはめてみると、昔はいかに食べ物を確保するかということが大問題でした。今は逆に、いかに食べ過ぎないかということが大問題になっています。特にみなさんのお母さんを見ると、このことがよくわかると思います。冗談です。(^^ゞ

 食事ぐらいだと笑って過ごせますが(でもないか)、今後、量的な問題の解決は、さまざまな制御の問題の必要性を生み出しそうです。

 昔は、獲物をより効率よく捕ることが重要な課題でしたが、今は乱獲せずにいかに再生産を確保しながら捕るかということが課題になっています。

 昔は、清潔な環境を確保することが課題でしたが、その清潔すぎる環境が人間の免疫力を混乱させているために花粉症などのアレルギーが多発するという説が出てきました。そうすると、過度の清潔ではなく、ところどころにダニやゴキブリを定期的に散布するというような制御的な問題が新たに浮上してきそうです。月曜日はダニの日で、水曜日はゴキブリね、などという具合です。うちは清潔すぎるから、金曜日にハエもお願いね、などというところも出てきそうです。

 これから科学が発達すると、いまはまだだれにとっても足りないように見えているお金や寿命や成績も、やがて多すぎるからいかに制御するかということが課題になってくるかもしれません。早くそうなるといいですね。

高大社 3.1週 しつけは心の面で(感)

 内容:しつけは外からの制限を内在化して、その内的な規範や枠によって今度は自分を統制し、社会的に受けいれられるようになる人とのかかわりのプロセスのことである。しかしこの制限に信頼がないと外の力に一時的に屈服させられて命令に従うが、その命令は内在化さ れない。外的命令が内在化されないままの場合、外的な力が遠ざかると再び自分の内的な衝動に従った行動が出てしまうことになる。私たちは、「ほかの人に叱られるから」という外的な規制をすることがあるが、これは人格の受け身性を生み出し、自律性の形成不全をもたらす。

 解説:現代の社会では、何でも自由にのびのびとさせようとするあまり、我慢する機会が減っているようです。しつけの中心となる家庭でも、親が子育てに自信を持てず、子供のご機嫌をとったり、甘やかしすぎたりする傾向が見られます。叱り方でも、この長文にあるように「そんなことすると、おまわりさんに叱られますよ」というような気迫の感じられない叱り方が多いようです。子供は、信頼する人にしっかり叱られてこそたくましく育ちます。

 「もうテレビは1時間見たから消しなさい」「えー、だって、まだ面白い番組があるのにー。なんでだめなのー」「親の言うことに『なんでー』などというたわけたことを言うな。ゴツン」。こういう無理を言う親がいてこそ、子供はしっかり育ちますが、戦後民主主義の浅い理解から生まれた誤解で、何でも本人の自覚と自主性にまかせるという甘やかしが今は社会のあちこちでひずみを生み出しているようです。いじめがあったときなどでも、「なんでいじめちゃったのかな、そのとき相手はどんな気持ちだったのかな、自分でよく考えてみようね」などというふやけた指導が結構あるようです。

 外的な規範の不在と、規範が内在化されないことに伴う自立性の欠如ということを社会問題として考えてみましょう。

 

 

 

  光る表現(小1−小3) 2000年3月1週号

真以さん(あめふ/小1)の作文より(ふじのみや先生/2.2週)

 ゆきは まるでたからものみたいです。まいは こうおもいました。これがダイアとかルビーだといいな。 ☆キラキラと、町じゅうがまるで ほうせき箱のようになりますね。きれいでしょうね。

陽己さん(あもろ/小1)の作文より(ミルクティ先生/2.2週)

 ブランコののっているときは、まるでかぜにのっているようでした。わたしは、じぶんのからだが、まるでたかい山にのぼったようなきもちになれるのでブランコが大好きです。<評>ブランコにのったときに感じることを、たとえをつかって、じょうずに書けたね。ひとつの作文の中に、ふたつも たとえを書いたのも すごいよ。(^o^)

ドラちゃんさん(あよう/小1)の作文より(スズラン先生/2.3週)

 トトは、よわい人をまもるつよいぶしのようでした。評:お母さんを守ろうとしたトトのすがたにぴったりのたとえですね。

瞳子さん(あとふ/小2)の作文より(ミルクティ先生/2.3週)

 『すなすなタウン』(すなの)山は、まるでビデオの早おくりのようにできていきました。(略)なん分かたって、お母さんがかえってきたころには、もぐらがほったようなことになっていました。<評>瞳子ちゃんは、たとえを書くのが、ほんとうにうまいね。その場のようすが、よくわかる表現だね。

敦さん(あにい/小2)の作文より(めもま先生/2.3週)

 「ほうれん草を取っていると葉っぱのうらに塩みたいな物がくっついていました。『なんだろうこれ!』とゆりちゃんが聞きました。『見せてみい。』ちじゅんのすけ君が覗きこみました。・・・」評)友だちと畑でほうれん草を収穫しながら虫のたまごを見つけたりしている様子が良く書けています。

くくりさん(あひた/小2)の作文より(スピカ先生/2.3週)

 (「わたしのすきなどうぶつ」という作文で)うさぎは、かわいさもいいけれど、もっとだいじなのは、心のつながりです。心のつながりはたいせつです。目を合わせて、えさをやるといったことはじょうしきです。でもそれだけでも、まい日つづければ、だんだんなつくし、いうこともきいてくれる。まあいってみれば、テレパシーみたいなものです。 評:動物に対する心がまえ、ということだよね。なおこちゃんのやさしいきもちがつたわってきたよ。「テレパシー」は、つうじているとおもいます。

ししさん(あふか/小2)の作文より(スズラン先生/2.2週)

 ぼくはおとうさんとじてん車で深大寺に行きました。・略・デコボコのくだりは、じしんみたいにゆれました。評:がたん、がたんとゆれながら走っているようすにぴったりのたとえですね。

友葵さん(あしも/小3)の作文より(ゆり先生/2.2週)

 一番言われてズキンときたのは、おじいちゃんの一言でした。「また、けんかしようぜ。」という一言はいやみではありません。冬休みの思い出がいっぱいつまっている一言でした。評:「けんか」と言いながらも温かいおじいちゃんの一言に、ゆきちゃんが思わず泣いてしまった気持ちがよくあらわれていますね。

博美さん(あちは/小3)の作文より(スズラン先生/2.2週)

 (七輪でおもちを焼いて)少しこげちゃったから、こんどやるときは、こげないようにやきたいです。私は、今日はおしょうゆをつけたから、こんどはきなこをつけて食べたいです。評:ガスや電子レンジではなく、昔からある七輪でお餅を焼いたときのおいしさが伝わってきますね。あ〜いいにおい!

ひろみさん(あちや/小3)の作文より(ももんが先生/2.3週)

 私は、ツベルクリンはんのうのちゅうしゃと、はんこちゅうしゃ、インフルエンザの予防接種…などをしたことがあります。はんこちゅうしゃは、いたいどころか、さわったかんしょくもあまりないので、とても楽でした。インフルエンザとツベルクリンは、えきたいを入れる時が少しいたいし、おわって一秒くらいいたみがあまるのは、すこしいやでした。[評:それぞれのちゅうしゃの「いたさ」を、くらべて書いたのがよかったですよ。特に、はりをさされた時の「感しょく」と「ちゅうしゃが終わった後のいたみ」まで、書けちゃうなんて、すばらしい! こんな風に「感かく」を書いていくといいですね。]

えりさん(あなふ/小3)の作文より(ももんが先生/2.2週)

 でも、なんでなみだは、出るのでしょうか。どうぶつもなみだは、出すのかな。わたしたちは、「えーん、えーん」ってなくけれど、動物たちも「えーん、えーん」ってなくのかな。わたしは、なみだってふしぎと思いました。[評:たくさんのふしぎを考えることができるえりちゃんは、すごいと思います。特に、人間のことだけではなく「動物のこと」を考えられたのは、すばらしいです。この答えは、これからえりちゃんが大きく成長する中で、見つけていってくださいね。]

ミュウさん(あにた/小3)の作文より(けいこ先生/2.2週)

 小にかの、まち合い室に入って、すわってもたれていたら、急にドアが開いてわたしの頭に「ドカン!!」と当たりました。その時、病気で頭がいたいのか、ぶつけて頭がいたいのか、分からなくなってしまいました。それに、なきたくなったけど、「まだ、なくのは早い」と思ったので、なきませんでした。 評:これからいたい注しゃがあるのに、その前にドアをぶつけられてしまったシーン。本番(?)の前だから、なくのをがまんしたという部分、いたくてつらいけれどユーモアあふれる書き方になっているね。

むっちゃんさん(あひほ/小3)の作文より(ももんが先生/2.3週)

 「8の字のさいきん」って、どんなのかな。わたしは、たぶんこんなの「8」だと思います。[評:数字で太く、くっきり「8」の字を書いてくれた、むっちゃん。さいきんのすがたの予想が、数字の形を生かしておもしろくできましたね。今度、けんびきょう写真などがのっている図かんで、本当のコレラきんのすがたを調べてみよう。さて、どうなってるかな〜? (^o^)/ ]

えがすきさん(あひめ/小3)の作文より(スピカ先生/2.2週)

 (「なみだが」という作文の書き出し)「えーん。えーん。」となくとなみだが「ぽろぽろ」とでてくるときと「じゃあー。」とでてくるときと「たらたら。」とながれていくときがあります。 評:いろんな「なみだ」を思いうかべて、書くことができたね。かきだしとしてもおもしろいひょうげんななったよ。「たらたら」は「でてくる」じゃなくて、「ながれていく」になるところがとくにいいと思います。

芽恵照さん(そて/小3)の作文より(スズラン先生/2.2週)

 (テレビドラマを見ていて)なみだ目になって、最後には大つぶのなみだがポトンと落ちました。なみだは、出そうとして出したのではないのに、いきなり出てきて止ります。評:感動したシーンで、涙でウルウルという表情がわかりますね。

瑞季さん(てく/小3)の作文より(かつみ先生/2.3週)

 びょう気にまけないようにするには、自分たちで、けんこうな体をつくることだと、思いました。 評:本当にその通りだよね。なんでもたべて、よくねて、まいにちげんきにくらそうね。

純太さん(ねあ/小3)の作文より(ももんが先生/2.1週)

 「ごはんだよー。」おかあさんがぼくたちをよびました。ぼくたちは「ちょっと待ってー。」と言って、すぐ下のかいにおります。[評:お母さんが純太くんたちをよぶ声と、元気にかいだんをおりていくようすから、楽しく作文を始められました!(^o^)]そして、またもう一度ころびました。そのときいたみが広まってひりひりしました。[評:「なみだ」や「いたみ」は、じわじわっとこみ上げてくるのですよね。ふしぎですね。ただ「いたかった」だけで終わらずに、そのいたみが広がっていくようすが、しっかり書けましたね。]

  光る表現(小4−小6) 2000年3月1週号

紗由美さん(ああも/小4)の作文より(ふじのみや先生/2.2週)

 雪はまるで雲のように白く、わたのようにふわふわしています。 評:つもりたての粉雪はふわふわですね。白い雲がそのまま地面に降り立ったみたいで、きれいだったでしょう。

ゆりさん(あおへ/小4)の作文より(ミルクティ先生/1.4週)

 『さむい朝』学校に行く時、たまに水たまりに氷がはっていることがあります。気がつかないで、氷の上をあるくと、すべって、ころびそうになります。その時は、とってもびっくりします。学校につくと、花だんに、しもばしらがありました。しもばしらをふむと、「シャリシャリ」と音がして、おもしろいです。<評>さむい朝ならではのできごとを、ていねいに書けたね。しもばしらをふむ音も、感じがよくでているよ。

けろっぴさん(あちえ/小4)の作文より(ミルクティ先生/2.2週)

 (次は体育の時間なので、校庭にだんだんみんなが集まってきて)まるで厚さが一メートル三十五センチメートルで(一人分の身長)時速0キロのスピード(?)の人間の群のようになってしまいます。<評>バッタの大群はこわいけれど、四年生の大群は? 数値を入れておもしろいたとえが書けたね。(^o^)

ゆうちゃんさん(あにみ/小4)の作文より(ももんが先生/2.1週)

 「あっ! 火が消えそうだ!」「え!?……。」「早く着火ざいをいれてよー!」「フイゴ! フイゴ! 早く早くー。」「早く火つけて。」ようやく火が着きました。バーベキューは炭が命です。ぼくは、バーベキューの火おこしが大好きです。[評:会話を書いていく場合でも、このように、その時の状況が感じ取れるようなものをひろっていくと、とてもいいですね。ただ、かぎかっこをならべただけの文とは、全然違ってきます。(^o^)/]

ゼニガメさん(あひろ/小4)の作文より(ももんが先生/2.3週)

 (前略)…やっぱり、自分のたん生日の月が、私にとって一番好きです。毎月たん生日だったら、一年に十二才もふえるので、そういうことは、いやです。それに、たん生日が毎月あるということは、ケーキを毎月食べるということです。ケーキばかり食べていると、どんどん太ってしまうからこれもいやです。私にとっては、やっぱりこのままで、十二月が一番好きな月だと思います。[評:「もし、毎月おたん生日があったら…」と考えて、いろいろな想像ができましたね。同じことへの想像が、一つだけで終わってしまわずに、どんどん広がっていきました。すごいですよ]

カヤケムさん(あまく/小4)の作文より(ももんが先生/2.2週)

 もし、そのきょうぼうなバッタにかみつかれたら、どのくらい痛いんだろうか。なんだか、一回かまれてみたい気もする。でも、やっぱりいやだなあ。[評:「もし〜」がうまく使えました。同じ「もし〜」の使い方でも、こんな風に「具体的」なことを考えてみるのは、想像がふくらんでとてもいいと思います。大成功!)

マーボーさん(あみそ/小4)の作文より(きょうこ先生/2.3週)

  「蚊が血を吸うのは自分のためじゃなくて自分の子供のために吸うということです。なぜかというと、今まで吸った血は自分の食べ物にするのかと思っていたからです。まるで、ミツバチが蜜をとるのは女王蜂や巣の子供のために、せっせと花の上を飛びまわっているのと同じです。」 とてもすてきなところに気がついてあげられたね! 蚊も蜂も人間からは嫌われてしまっているけれど、かれらは子供を守るために命がけなんだね。殺してしまうのがかわいそうになってしまうね..。

雅貴さん(あめす/小4)の作文より(ももんが先生/2.2週)

 ぼくは図かんでバッタのことを調べていると、土の中からバッタのよう虫が出てきてる写真がありました。そのよう虫は、ひょろひょろとしていて、少しとう明が入っていました。そんなかわいいのが、悪いバッタになるなんて思えません。[評:調べたことに対して、自分が思ったことがしっかり書けましたね。幼虫のようすも、とても良く表現できました。]

ナズナさん(あもせ/小4)の作文より(かつみ先生/2.4週)

 大親友が言葉を終えてから大打撃を受けた。 評:内容がここで明らかにできないのが残念。先生もきっと同じような気持ちになると思うよ。言葉を終えてから、という表現と、大打撃がよかったね。

俊輔さん(あやゆ/小4)の作文より(かつみ先生/2.3週)

 カは命かけて人間の血を吸っていると思います。 評:そうだね。本来、食事をするということは命がけなのかもしれないね。

コナンさん(あえた/小5)の作文より(洋子先生/2.3週)

 私は、長岡市の女子サッカ−チ−ムに入っている。習っているだけあり、他の女子にくらべて確かにうまいが、相手が男子だったり他の小学校の人に比べたら、私など全然歯がたたないと思う。「井の中の蛙大海を知らず」というから、自分のチ−ムだけではなくいろいろな人とサッカ−をしようと思う。評:コナンちゃんは、長岡市のサッカ−チ−ムに入って活躍しているのですね!そこでの体験からみおもって「井の中の蛙大海を知らず」のことわざを実感したのですね。上には、上がいるということを知っただけでも偉いです。これからもがんばってください!

ひろりんさん(あしゆ/小5)の作文より(とこのん先生/2.1週)

 鉄火まきという新しい好物を見つけられて、なんとなく得をした気分である。 評:食べたことのないものに挑戦する時は、期待と同時に不安もあるもの。恐る恐る食べてみておいしかった時は、本当に「得した気分」になれるね。

真菜さん(あやた/小5)の作文より(かつみ先生/2.3週)

 図かんを見たくない。答えがつまっているだけで、何の意味もないからだ。 評:なるほどね。納得のいく意見です。力強い言葉です。

 

 

SAPPHIREさん(ああす/小6)の作文より(ミルクティ先生/2.2週)

 (道路予定地の原っぱについて)うす黄緑色のじゅうたんが、茶色になり、こい灰色になる。今、一年生くらいの子がきれいなじゅうたんの上で、なわとびをやっているが、きたないじゅうたんになると、車しか通らないのだろうか…?<評>うまい「たとえ」だね。読む人に伝わりやすいイメージを使って書けているよ。

小西さん(あおに/小6)の作文より(はるな先生/2.3週)

 この前、学校の社会科見学に「国会議事堂」へ行った。まず外から見た時、「こんな、どうしてかっこだけつけるのかな。」と思った。中へ入ると、たくさんのろうかがあり、まわりの形に合わに包んで、わたしたり……。洋服でも、夏なのに、暑そうな、格好をしている人もいる。アメリカの人なら、Tシャツ一枚、または裸の人もいる。アメリカは、外見など関係ないのだ。その他にも、人の部屋には、意味のない飾りのもなどもあるのだ。日本人は少しおかしいと思う。(講評);見栄えを気にしすぎる日本人の典型的な実例を、議事堂に見出したところに、あなたの着眼点の素晴らしさがあり、とても感心しました。行き過ぎた日本人の美意識に疑問を持っているのが、よくわかるように、説明できましたね。祖父は高いものでも、平気でたのんでしまうのであった。この前もすしやにいったとき、祖父は、特上大トロをたくさんたのんでしまうのだ。とても人間とは思えないと思った。 (講評); お店でたのしく、団欒(だんらん)したようすが、とてもくわしく具体的に、かきあらわせました。おじいさんの豪快な注文のとりかたを、とてもユーモラスに表現できました。外食のたのしさが、よくつたわってきます僕は、いまの日本人は、外見にこだわりすぎていると思う。

しおりさん(あそと/小6)の作文より(ふじのみや先生/2.3週)

 このように、「見た目」と「中身」は、どっちを重く取ったりはできず、もう、バランスをうまく取るか取らないかによって変わってきてしまうのだ。このバランスは、たまのりをしながらなわとびをする位、いや、それより難しいかもしれない。だが、それを乗り越えられるのが、真の品物選びの達人と言えるのだろう。 評:このバランス感覚にすぐれた人を「美意識のある人」というのでしょうね。しかし、たまのり&なわとび というたとえは面白いね。使ってみよう!

由希子さん(あとえ/小6)の作文より(はるな先生/2.3週)

 ある朝、なんだか熱っぽくなって、気分が悪くなって、からだが悪くて…と、かぜをひいてしまいました。(中略)一日で熱が40度まであがり、気分が悪くて、ご飯は食べられない、鼻水も止まらないしで、とてもこまっていました。こまっていたというより、死にかけ半分って言った方が良いのかもしれません。(講評); 風邪の症状がよく説明できています。本当に苦しそうですね。ちょっぴりオーバーかもしれないけれど、たとえの表現が実に効果的で、真に迫っています。お家の人たちも随分心配されたようですね。そのようすが、強く伝わってきました。

恵子さん(あにあ/小6)の作文より(ふじのみや先生/2.3週)

 「ねぇ、猫と犬、どっちが好き?」と、いきなり聞いてきた。だから「犬。」と答えると、「…私はお肉が好き。だっておいしいんだもん。」 おいおい。 評:わけがわからなくて、ヘナヘナになりそうな会話ですね。この場面をとらえたということで、「光る表現」の仲間入りです(@_@)。

スライムさん(あめひ/小6)の作文より(ミルクティ先生/2.3週)

 『痛かった』(サッカーの練習で指を三本折って)整形をした。とても痛かった。頭の中にさんずの川が見えた。それくらい痛かった。今考えただけでもこわい。<評>折れた指を治したときの痛みが、しっかり伝わってきたよ。大げさなたとえが、ユーモア表現にもなっているね。

有里さん(ありち/小6)の作文より(ももんが先生/2.3週)

 (「外見重視」のものについての意見…)このことについて、他の例もある。人から聞いた話だが、有名なカバンだ。名前が知れわたっているし、みんなももっているからと思って買ってみたが、重い、あけにくい、持ちにくいというのを、この前つかってみて知ったという。もし、私だったら、もう、使いにくいな、じゃまくさい、押し入れの中にでもしまっておこうと思って、ポーンと押し入れの中にかたづけてしまうだろう。簡単に言えば、家におけない大きなぬいぐるみは、すてる(かたづける)ということだ。[評:使いづらいカバンを、家に置けない大きなぬいぐるみにたとえたのが、とてもおもしろいね! こんな風に、役に立ちづらいという「共通点」を見つけ出すことは、たとえの表現を考える中で、とても大きなヒントになりますね。]

ラッキー7さん(せあ/小6)の作文より(とこのん先生/2.2週)

 雑草はスミレと同じように一生懸命生きているのに私たちは簡単にそんなことを無視して差別をしている。 評:私たちは、ごく無意識のうちに花壇の雑草なんかをぬいてしまうけれど、花壇に咲いているチューリップも雑草も、おなじ植物なんだよね。こういった何気ない行為が「差別」という意識につながっている、ということが鋭く指摘されています。

駿介さん(らる/小6)の作文より(ミルクティ先生/2.3週)

 このごろ外見ばかり気にしている人がたくさんいる。外見ばかりよくても中身がよくなければ全く意味の無い事だとぼくは思っている。東京では、今、すごいかっこうをしている人がたくさんいる。例えば、頭のかみの毛を金ぱつや、茶色にしている人もいるし、顔の色を茶色にしている人もいる。ぼくは、そういう人を見るといつもバカらしくなってくるし、あんな意味の無い事をやって何になるのだろうと思う。(略)外見を気にしても、中身がよくなければ全くだめなのである。だからぼくは、大人になっても、外見ばかり気にしないで中身がいい人間になりたいと思っている。<評>実例がおもしろい。外見をかざることに全神経を集中するよりも、もっと中身を磨かなくては、という駿介君の意見を印象づける例だね。