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2000年3月2週号 通算第655号 mori7@mori7.com言葉の森新聞
文責 中根克明(森川林)個人面談のお知らせ
後日、保護者のみなさまに事務局よりアンケート葉書をお送りします。担当の先生との電話による面談を希望される方は、その葉書にご希望に曜日・時間をお書きのうえご連絡ください。
また、電話による面談とは別に、港南台の教室に来られる方は直接個人面談も行なっています。
毎週、土曜の午後5時半から6時までを個人面談の時間(10分程度)にあてていますので、ご希望の方はお電話でご連絡ください。電話0120−22−3987
3月の予定は下記のとおりです。
3月11日(土)午後5:30〜6:00
3月18日(土)午後5:30〜6:00
3月25日(土)午後5:30〜6:00
無料体験学習受付中
言葉の森では、現在、無料体験学習を受付中です。生徒のみなさんのご兄弟やお友達で言葉の森の体験学習を希望される方がいらっしゃいましたらお知らせください。
体験学習は通常の授業と同じ時間帯で行ないます。(通信は平日4時〜9時・土曜1時〜5時、通学は平日4時〜8時・土曜1時〜5時)
港南台の通学クラスは曜日によっては混んでいる場合がありますので、体験学習を希望される方は事前にお電話でご希望の曜日・時間をご相談ください。
小学生からパソコンを使う意味
言葉の森では、ローマ字を習う小学4年生からパソコンのキーボード入力で作文を書くようにしていました。小学3年生までにひらがな入力を先に覚えてしまうと、あとでローマ字入力に戻すのは難しいからです。ローマ字入力を覚えていれば、そのまま英文を入力するときも同じ指使いでキーボードを使えます。
パソコンのタッチタイピング(ブラインドタッチ)によるキーボード入力は、現代人には必須の技術になっています。日本の学校教育におけるパソコン利用は、米国に比べて著しく遅れていると言われていますが、その日本でも、最近パソコンの利用が次々と始まっています。公立中学の技術家庭科では実習の中にワープロや表計算などパソコンの利用に関するものが取り入れられるようになってきました。その実習テストの結果が内申点として高校受験に影響するのですから、パソコンに慣れている生徒はそれだけでかなり有利になっています。
現代という時代にパソコンの技術を習得することは、明治時代の初期に英語を習得したことと似たような意味を持っています。江戸時代からの知識人の多くは、新しい技術である英語を学ぶことを過小評価し、古くからの四書五経を学ぶことを学問の中心に置いていました。現代でも、パソコンの技術習得を過小評価する傾向が見られますが、学生時代のうちにパソコンを手足のように使えるようになっていると、将来大きく役立ちます。
日本でパソコンの利用が遅れていたのは、キーボード入力にローマ字が必要だということが大きな原因でした。しかし、最近手書き入力タブレットとソフトが登場しました。これにより、現在小学1年生から、希望する生徒は手書き入力でひらがなを使ってパソコンで作文を書くことができるようになりました。
パソコンで作文を書くことによる副産物として、難しい漢字の読みを覚えるということがあります。「きょう、じゅぎょうさんかんがありました」と書いて、漢字に変換できる文字を試しているうちに、「今日、授業参観がありました」と漢字変換できることがわかり、「せんせい、『授業』ってこういう字なんだね」というような場面がよくあります。そのほかに、好奇心の旺盛な子供は、インターネットで資料を探したり、ワープロソフトのさまざまな機能(要約の仕方、文字数の数え方、文章の一括変換の仕方、修正やコピーや変換の仕方、縦書きの書き方、文字の大きさや色を変える方法、絵やグラフを入れる方法など)を自由に使っています。
言葉の森の勉強の中心は、あくまでも読解力と作文力です。パソコンを利用しなくてももちろん充実した勉強ができるものですが、パソコンの利用でより価値ある勉強ができるようになっています。
キーボードに慣れた生徒は手書きよりもずっと速く書けるようになります。手書き入力タブレットで書く生徒は、紙に鉛筆で書くのと同じくらいかやや遅いスピードで書いています。しかし、それでも子供たちはパソコンで書くほうを好むようです。それは、大人でも同じですが、自分の書いたものが作品としてきれいにまとまるほうが、何かを仕上げたという実感が強くわくからだと思います。
来週3.3週のヒント(小1−小4)
小1年 3.3週 みよこちゃんは(感)
感想文は小学校低学年の生徒にとっては難しいものですので、まだ作文を書くことになれていない生徒は無理に感想文に取り組まず、通常の自由な題名で書いていってもかまいません。
内容:みよこちゃんは星がほしかったので、お父さんにおねがいしました。でも、お父さんにむりだといわれてみよこちゃんはなきだしました。みよこちゃんの足もとから出てきたモグラは、みよこちゃんの話をきくとじめんにもぐり、土のかたまりをもってきて、ちきゅうも星のひとつなんですよといいました。
解説:みなさんも、すごくほしいものをお母さんやお父さんにおねだりしたことがあるでしょう。すぐにかなったねがいもあったでしょうし、なかなかかなわないねがいもあったでしょう。教室に来ている生徒のみなさんはよく、「犬をかいたいんだけど、うちはだめだって」などと言っています。そのかわり、ハムスターをかってもらったという人もいます。中には、「やさしいおにいちゃんかおねえちゃんがほしい」なんていっている人もいるかな。
ねがいごとの話のほかに、星を見たことなどをにた話として書いていってもいいでしょう。
小2年 3.3週 ふいに、わたしは(感)
感想文は小学校低学年の生徒にとっては難しいものですので、まだ作文を書くことになれていない生徒は無理に感想文に取り組まず、通常の自由な題名で書いていってもかまいません。
解説:学校でも、男の子と女の子が同じ場所で別の遊びをしていて、おたがいに「じゃまだぞ。どけよ」「そっちこそ、向こうでやりなさいよ」なんて言い合うことがあるでしょう。
また、急に大きい声でどなられたりすると、おどろいて何と答えていいかわからなくなってしまうことなどもあります。
うそをつくつもりではないのに、うそをついたと思われた、という悲しいにた話がある人もいるかもしれませんね。
いろいろなにた話を考えてみましょう。
しかし、それにしても「ひばしやほうきをもって、すっとんでくるおばさん」というのは迫力(はくりょく)がありますね(笑)。みなさんのうちの近所には、そういう元気なおばさんがいるかな。
小3年 3.3週 事件がおこったのは(感)
狂犬病の予防注射が発明されたのは、今から百年前です。今では狂犬病で死ぬ人はほとんどいなくなりましたが、昔はとてもこわい病気だったのです。名前からしてこわそうでしょう。
パストゥールは少年の命を助けるために、それまでニワトリコレラなどで実験していた予防注射を初めて人間に試してみました。それにしても、必ず死ぬと言われている狂犬病のウィルスを人間に注射するときは不安だったでしょうね。
似た話は、予防注射の話。自分だけで似た話を思い出すのはむずかしいと思うので、お母さんやお父さんに、自分がこれまでどんな予防注射をしたか聞いてみるといいでしょう。
パストゥールが注射をしたのは、すでに狂犬病にかかっている少年でした。ウィルスがもう体内に入っているのに、そのウィルスを倒すために、毒性を弱めたウィルスをさらに体内に入れようというのです。これは、例えば、食べ過ぎておなかをこわしたときに、その食べ過ぎに対して抵抗力をつけるために、もう少し食べ過ぎてみる(ややこしいけど)といようなやり方です。当時の人たちは、そういうやり方でウィルスが倒せるとはなかなか信じられなかったでしょう。
人間は、成長するにつれて、自然に抵抗力を身につけていきます。赤ん坊のころはみんな弱く、ちょっとしたことで風邪を引いたりおなかをこわしていたりしますが、大きくなると、めったなことでは病気にかからなくなります。それは、自然の中にあるいろいろな病気を吸収して体の中に抵抗力ができてくるからです。病気に負けない体を作るためには、どんどん病気にかからなければならないのです。
そう考えると、みなさんが病気にかかって頭が痛かったりお腹が痛かったりするときは、みなさんの体がそれらの病気に対する抵抗力をつけているときなのかもしれません。
似た話は、幅広く考えて、自分が病気にかかったときのことなどを思い出して書いてみてもいいですよ。
小4年 3.3週 ヒトとイエバエの対比(たいひ)(感)
季節はずれのテーマが続きますが、ハエの運動能力のすごさなどを感じてくれるといいと思います。またハエはすぐに子供を産んでどんどん増えるということなども驚くところでしょう。似た例が長く書きにくい場合は、「おどろいたこと」「ふしぎにおもったこと」「わかったこと」などの感想を長く書いていくとよいと思います。
ハエが飛んだり止まったりするのはなんでもない動作に見えますが、人間にあてはめてみると、百メートルを全力疾走で走ってきてゴール前で突然ぴたりと止まるという信じられないような動きをしているのと同じだそうです。そう見てみると、たかがハエなどとばかにできませんね。
来週3.3週のヒント(小5−小6)
小5年 3.3週 月ができた原因に(感)
科学は決して完成したものではなく、これからも新しい考えが出て古い考えが否定されることがある。自分の考えをどんどん科学界にぶつけていこう、という話です。学校で勉強をしていることは、すでにほとんど確実になった知識ばかりですから、昨日まで正しかったものが今日から間違いになるということはあまりありません。日本一高い山は昨日までは富士山だったが今日からは円海山になったというようなことがしばしばあったら大変です。しかし、日本一古いお金は「和同開珎(わどうかいちん)」ではなく「富本」だったというようなことはこれからもありそうです。言葉の使い方でも、昔は「つずく」が正しい書き方でしたが今は「つづく」が正しくなっています。ヨーロッパの中世のころは「太陽が地球の周りを回っている」が正しい答えでしたが、今、理科でそういう答えを書いたら×です。最近では、太陽系の水・金・地・火・木・土・天・海・冥のうち、冥王星が惑星からただの小惑星に格下げされるかもしれないという話題がありました。
理科や社会の知識で、今、小学生のみなさんが学校で習っていることと、お父さんやお母さんが小学生のときに習っていたことが違うというような例を聞いてくるといいでしょう。
ことわざは、「142、例外のない規則はない」。「52、塞翁が馬」なども使えそう。
小6年 3.3週 私が市場へゆく道は(感)
市場へゆく道は以前は人間がふみならした土の道だったがアスファルトで舗装されてしまった。昔の土の道では、石や虫や花などがあり楽しみながら歩けた。舗装も大切だが、いちばん道らしいのはふみしめられた土の道だ。
似た話は、近くの公園などの気持ちのいい土の道の話など。またはもっと大きく自然のよさなど。ペットなどを飼っている人は、うちが汚れたり臭くなったり片付けが大変だったりといろいろマイナス面があるが、生き物がいると心が温まるなどという話でもよい。
感想は、衛生的で便利な環境も大切だが、自然とのふれあいも大切というところで。
ことわざは、「71、過ぎたるは……」「75、清濁……(自然の道はきれいなものも汚いものもおおらかに受け入れる)」「129、水清ければ……(きれいに舗装されすぎたところでは虫や鳥も寄ってこないし、子供たちも楽しく遊べない)」など。
光る表現(小学生)
2000年3月2週号■
恵美子さん(あみく/小1)の作文より(ミルクティ先生/2.2週)『にいがたのほうじ』きょうのにいがたの雪は、まえとちがって多くてすごくおどろきました。(略)ほうじが ながくて、だんだん手がひざにおちていきました。ストーブが五、六こあったけど、さむくていきが白くなりました。<評>作文をよんでいて、さむさや しーんとした ふんいきがつたわってきたよ。ことばのちからだけで、よむ人に、そのときのようすを つたえることが できるなんて すごいなぁ。「いきが白くなりました」の文は、とてもきれいな おわりかただね。
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アトラさん(あたそ/小2)の作文より(けいこ先生/2.3週)うそというのは、まるでどろぼうのようなものだと思います。なぜかというとうそをついたあと、むねがもやもやしたりこそこそしているからです。 評:「うそつきはどろぼうのはじまり」ということわざもあるね。うそをつくことになれると、この心のもやもやも感じなくなって、どろぼうまでもやってしまうということ。長文の内容を理解して、うまくまとめられたね。
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アーサーさん(あひわ/小2)の作文より(みち先生/2.3週)題名—とんでとんでうれしくて。評:心のはたらきで感動がうまれたね。三年生が思いっきりなげたボールは風みたいに早くてとれませんでした。「やったーやったー、ヤッホーイエーイイエイ」ととびはねてよろこびました。評:うれしいと身体でひょうげんしたくなるね。
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真亮さん(あむこ/小3)の作文より(みち先生/2.2週)さいしょの首をしめられてなくのはふつうではないでしょうか?。ぼくはどうしてよくないてしまうんだろう、、、、、、。そこがぎもんです。まあ一人一人のこせいがあるからいいと思います。いつかあんまりなかなくなりたいです。評:自分だけのことをよく分かるように書けました。自分が少しでも向上しようとする内容がいいですね。表現力がついてきましたね。”上を向いて歩こう涙がこぼれないよーにーー”とうたってね。
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弘将さん(やあ/小3)の作文より(ゆり先生/2.2週)なくげんいんはぼくがちょっかいをしてけんかすることもあるし、でっかいあくびをして、なみだが出ることもあります。評:そうだね。あくびをするとなぜかなみだが出るんだよね。こうすけくんらしくておもしろいね!
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チョコボさん(あさつ/小4)の作文より(ミルクティ先生/2.3週)この前の夏、夜に蚊が、寝ているときに、ブーンと言って飛んできたことがありました。私は、すぐにおきてしまいました。あまりにもうるさかったので、まるで蚊が耳の中に入ってきてしまったようでした。でも耳の中には、入っていなかったのでよかったです。<評>耳元で蚊が飛ぶと、あんなに小さい体なのに本当に大きく聞こえるよね。そんなようすをうまくたとえで書けたね。
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雅貴さん(あめす/小4)の作文より(ももんが先生/2.3週)だれでもそうだと思うけど、夏にカに血をすわれます。カに血をすわれると、ふくれます。ふくれるとよく、ふくれたところに×バッテンをします。まるでふくれたところは、ちっちゃいたんこぶのようです。[評:カにさされたあとを「たんこぶ」にたとえたのが、とてもいいですね。ぷくっとふくらんだところなど、本当のたんこぶにそっくりですものね。また、短めの文章の中に、言いたいことを一つずつ入れて書いているから、とてもわかりやすいのですね。]
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知尋さん(あえな/小5)の作文より(みち先生/2.1週)さっそくみんが走ろうとすると先生が走りはばとびは、リズムがあるといっていた。こんなかんじかな?(えーとダダダダダダトントントーンだっけ)「ダダダダダダーン・トン・トン・トー....ボフッ」頭からつっこんだ。顔が砂まみれになった。口の中がジャラジャラする。注目の二回目。「ダダダダダダ・トン・トン・トーンドササササッ」しりもちをついてしまった。またしっぱい。(中略)「ダダダダダダ・トン・トン・トーンストッ」あしがのびて、新記録がでた。評:リズムを練習によってつかんだね。そのまま言葉で表現するのは難しいけれどわかりやすく書けたね。リズムの効果は調子よく飛べたんだね。
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ミュウさん(あおゆ/小5)の作文より(ももんが先生/2.3週)家のタント君(亀)は、ペットショップでいたときは、五百円の1、5倍ほどしかなかったが、今は、コンピューターのマウスの3分の2くらいの大きさになっている。[評:タントくんの大きさを、すごくわかりやすい「たとえ」を使って教えてくれました。さすが! これならどんな人でも、想像することができますね。]
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尭弘さん(あその/小5)の作文より(とこのん先生/2.2週)そのときのパシャは、とてもきたなくて目やにはあるし、はなみずはたれているししっぽも針金のようだったのでネコ好きなお母さんでもかうのをためらったぐらいのおせじにもきれいとはいえないネコでした。 評:今はすっかりきれいにしてもらって、おじょうちゃまのような「パシャ」ちゃんですが、最初拾われた時はなんともかわいそうな姿だったんだね。愛情深い飼い主に巡り合えて、「パシャ」ちゃんは本当に幸せだね。
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キティさん(さあ/小5)の作文より(ゆり先生/2.3週)私は、その日、つぼみが出かけているたんぽぽを見つけたのだ。まるで、そのたんぽぽは、「あーるき始めたみいちゃんがおんもに出たいとまっている・・・。」という歌のように、体を土の中からはやく出したいと思っているようにかんじた。評:かわいいたんぽぽを見て、歌を思い出したんだね。キティさんのやさしさも伝わってくるようなステキなたとえですね。
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剛さん(あもも/小6)の作文より(ももんが先生/2.2週)日本が台風や梅雨のえいきょうが強く、ヨーロッパのように(リンゴ栽培が)うまくいかないことは、百もしょうちだが、だからといって、ヨーロッパの本流から離れてはいけないと思う。本流から大きく離れたら、日本のリンゴはリンゴではなくなってしまう。[評:なぜ、本流から離れるべきではないか、自分の意見をしっかり書くことができましたね。「リンゴがリンゴでなくなってしまう」という表現がすばらしい! 物事の「みかけ」だけでなく、「なかみ」がしっかりとらえられる眼をもっている証拠ですね!]
今週3.2週のヒント
(中学生以上)中1年 3.2週 日本人が、淡泊であるかわりに(感)
「ごてごてしたものよりもあっさりしたもの」「理屈よりも直感」というのが日本人の美意識です。絵でも音楽でも食事でも、日本のものは全体に淡泊です。欧米の人にとっては、この淡泊さは理解しがたいものがあるようです。「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句を欧米人に説明しても「だから、なんなんだ」と言われるだけでしょう。
意見は、「理屈と直感」を対比させて考えてみましょう。
中2年 3.2週 二十年前、私は京都で(感)
内容:日本人は、日本文化は外国人にはわからないという迷信を持っている。アメリカ人は、アメリカ文化は全ての国の人に通じるはずだという迷信を持っている。それぞれの立場に悪意はないが、相互理解の妨げになる。
解説:「自分の考えが唯一のものと考えない視野の広さを」という意見をAとすれば、反対意見のBは「他人にわずらわされず自分の世界を深く掘り下げていくのも大切だが」となるでしょう。また、Aの意見を「日本文化の閉鎖性を脱却し国際化を」と考えるのなら、反対意見のBは、「それぞれの文化の独自性を尊重することも大切だが」となるでしょう。
ことわざでは、「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」など。
中3年 3.2週 イロリの社交は、家族結合の(感)
内容:イロリの社交は、家族結合の社交であった。ひとつの火を通じて心がかよいあう。そういう不思議な力を火はもっていた。火が人間を接近させ、親密さを強める効果をもっていることをわれわれは直観的に知っている。火の共有による親密な人間関係に関して、日本文化はいろんな工夫を凝らしてきた。人間は実用性を超えて、火を人間関係調整の手段としても展開させてきたのであつた。
解説:冬になると、家族みんなで鍋をつついて食事をとるという家庭も多いでしょう。夏になると、河原でバーベキューパーティーをするというところもあるでしょう。火を囲んで話をすると、お互いにぐっと近しい関係になった気がします。文化祭のあと、校庭で火を囲んだ体験を思い出す人もいるでしょう。水くさい関係というのは、火を囲んだ関係の反対です。(ホントかいな)
人間は「1+1=2」という合理的な関係だけで生きているわけではありません。食事もただ食べればいいというだけで、家族が一人一人ばらばらに、自分の好きなときにレンジでチンという食べ方をしていたのでは味気ないでしょう。やはり、みんなで食卓を囲んで食べるところに味わいがあります。
火を囲むという、一見合理的には説明のつかない人間の心を大切にするような生き方をしていきたい、といかたちで意見を考えていくといいでしょう。
高1年 3.2週 私はこの数年間テレビ、ラジオ(感)
解説:世界でもまれなほど自由が保障されている日本の言論環境と、それにも関わらず驚くほど画一化されているマスコミの商業主義的な報道というのがテーマです。ベマ・ギャルポ氏のこの短い文章の中に、日本のマスコミをめぐる問題点の本質がわかりやすく説明されています。
テレビの番組を見ていると、「どうしてこんなにくだらない番組をやっているのかなあ」と怒りたくなることがあるでしょう。なら、見るなって。品の悪い番組ほど人気があるというのは、作る人ばかりでなく見る人にも原因がありそうですね。
高2年 3.2週 芸術というものは、ある時理論を(感)
内容:芸術家の作品のもとには、幼い時の根本的な体験がある。日本人にとって西洋の芸術は文明の体系が違うので、自身の幼いときの体験との差を埋めるのは困難に思われる。ある文化から生まれた芸術は、その後のその文化の方向を規定する。ヨーロッパで花瓶に生けてある花を見ると、どれもブリューゲルの花の絵の影響を受けている。
解説:若いときはだれでもハンバーガーやスパゲティが好きなものですが、年を取るとだんだんお茶漬けやたくあんが好きになってきます。テレビ番組の好みもだんだん紅白歌合戦や水戸黄門に傾いてきます。幼いときの根本的な体験は、その人の感受性を深いところで方向づけているのでしょう。色彩やデザインの好みも文化によって違うようです。街や公園や住まいの作りも、西洋と日本では好みがだいぶ違います。西洋式の公園のように区画が計算されたようになっているデザインは、日本人にはあまり好まれないようです。住居でも、大理石の床にイスとテーブルがあるような作りではなかなか落ち着きませんが、畳の上にこたつがあるような作りだとほっとします。
芸術には、民族や文化を超えて普遍的な感動を呼び起こす面ももちろんありますが、民族的文化的な面もまたぬぐいがたくあるようです。私たちが人間的な生活をしていくためには、文化における民族的なものを深く自覚していくことが必要です。それは、自国の民族的なものを大切にすることであるとともに、他国の民族的なものを尊重することでもあるでしょう。
高大社 3.2週 人間科学における根本問題は(感)
内容:人間科学における根本問題は、研究の対象が人間であり、それを行う主体の方も人間である、ということである。近代の自然科学は分析という方法論によって発達してきたが、人間科学は、「自」と「他」の区別を少なくすることによって逆に研究の対象に接近することができる面もある。
解説:スプーン曲げなどの超能力の実験では、懐疑的な人がいると実験がうまくいかないということがあるそうです。もしこれが本当だとすれば、ものごとを客観的に分析するというこれまでの方法論とはまた違ったアプローチが必要になってくるでしょう。人間が関与することには、こういう逆説がしばしばあるようです。物理的なこと、例えば水の流れなどでは、障害物のないほうがうまく流れることは言うまでもありませんが、人間の場合は逆に障害物があったほうがファイトが出てきて結果としてうまく行くということもよくあります。スウェーデンの調査で健康管理をしたグループよりも健康管理をしないグループのほうが長生きをしたという実験がありました。子供の教育に関しても、その子供の過去の直線的な延長線上に未来の姿があるわけではありません。これからDNAによる病気の予防などが実用化されるようになるでしょうが、その過程で犯罪者になりやすい遺伝子や正義の味方になりやすい遺伝子なども発見されるでしょう。しかし、その遺伝子のとおりの人間になる保証はありません。むしろ、犯罪者になりやすいことを自覚した人の中にこそ立派な人が生まれるような気がします。
しかし、今の科学はまだ分析科学のパラダイムを大きく超えていません。今のところ、分析科学の単純な因果関係を克服する可能性があるのは、確率論や統計学の分野にあるように思われますが、もしかしたら将来もっと斬新な方法論が出てくるのかもしれません。
光る表現(中学生以上)
2000年3月2週号■
アリーさん(あえゆ/中1)の作文より(ミルクティ先生/1.4週)『お金について』ある名言に「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである」というのがある。お金もそう考えてみてはどうだろうか。私は、将来悪いお金の使い方はしたくない。お金は何かを得るために有こうに使う道具にしたい。<評>お金はあくまで道具に過ぎないという意見にはハッとしたよ。使う人の心がけ次第で、良い力にも悪い力にもなるのだね。自分で選んだ名言を意見とうまくつなげて書けたね。
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サイコロさん(あつと/中1)の作文より(洋子先生/2.3週)コトバの表記は、いい加減だ。その例として、「兄と弟」の例が挙げられる。僕は、二人っこの長男だから、「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」とか、「お兄ちゃんなんだから弟をいじめるのをやめなさい」等などとよく言われた。この「お兄ちゃん」という言葉は、適当に作り出された言葉だ。ということは、もしかしたら、ぼくが弟のことを「お兄ちゃん」と読んでいたかもしれない。そしたら、僕は、「お兄ちゃんなんだからooしなさい」といわれないですんだのだ。「人は、その制服のとおりの人間になる」というがこれは、まさにこのことだと思った。評:長男の立場からの実感ですね。お兄さんである前に。君個人としての人格を尊重してもらいたいものね!
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夏海の歌さん(あもう/中1)の作文より(ミルクティ先生/2.1週)そして、今いけないことは、親が本当の愛情をわかっていないことだ。例えば塾へ勉強に行かせること。親は子供のためだと思いやっていることでも、子供にとっては、やりたくないことをやらされているだけになってしまう。ついにはストレスがたまり、家庭ほうかいまでもがおきてしまう。また、楽しい思い出や、好きなことをやらないで大人になると、勉強しか知らない、自分で考えることのできないロボット人間になってしまう。本当の躾とは、子供に自ら考え行動できる力を身に付けさせることなのかもしれない。そして、それを教えるために、興味のある心や挑戦をする心を大切にすることが、精一杯の愛情だと思う。<評>理路整然としていて、わかりやすい文章です。いろいろな文末表現を使ったところも工夫していますね。
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青ちゃんさん(ひえ/中1)の作文より(ふじのみや先生/2.2週)朝っぱらから、わけのわからない政治・経済のことを考えるより、ああ、きんさんがとうとうなくなってしまったか などその辺のわかりやすいものの方が興味がわくのである。 評:肩の力の抜けたユーモア表現です。眠〜い朝、きんさんのニュースでちょっと目が覚めた人は他にも多いかもね。しかし、そんな青ちゃんも十年後には、まず、経済ニュースにかじりついているかもよ。
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拓馬さん(ねき/中2)の作文より(まさみ先生/2.3週)夢をもて。そして、その夢に向かってはばたく翼を造れ。評:この言葉が最後に来ていることで、文章全体が引き締まったね。特に「はばたく翼をつくれ」という言葉がいいね。夢を持つのは大切なことだけど、その夢に向かってはばたくための翼をつくる努力をすることが、一番大事なことだよね。
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GOさん(うみ/中2)の作文より(スズラン先生/2.3週)確かに、岡本太郎のように、周りの人が何を言おうと自分の道を進んでいくのも大切だが、時には周りの人の意見も聞き、自分に一番合った道を選ぶのも良いと思う。評:自分の考えを持ちながらも、迷ったときには周りの人の意見に耳を傾ける余裕も必要かもしれませんね。「すべてに効くという薬は、何にも、たいして効かない」という名言があるように、みんながみんな同じ意見のときは少し疑ってみた方が良いかもしれない。評:名言を上手に使っていましたね。これで良いのかなと思うことが大切なんですよね。
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たこ星人さん(こむ/中2)の作文より(きょうこ先生/2.3週)「ゲームなども最近だと本物とうりふたつの画像が出てきている。しかし、僕としてカクカクした『これぞゲーム』という画面でのゲームのほうがおもしろく感じられる。」 周りは周り、自分は自分なんだね。カクカクかぁ。うんうん、よく分かるよ! じょうずな表現だね。目をつぶるとカクカク動いているキャラクターが浮かんでくるね。(笑)
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泰寛さん(つひ/中3)の作文より(ももんが先生/2.1週)そもそも個性とは、その人だけが持っている特別な性質だ。とすると、個性がないというのもある意味、個性なのかもしれない。世界中探しても同じ人はいないのだから。一人一人が違った個性を持っている。(中略)…ぼく自身、個性つまり「自分らしさ」を大切にしていきたい。[評:「個性」って何だろう?と、じっくり考えることができましたね。さらに「個性」ということばを「自分らしさ」に置き換えて、自分の生き方をしっかり述べられたところが、すばらしかったよ!]
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愛さん(たの/高1)の作文より(きょうこ先生/2.1週)「一つのものが流行するのはなぜだろう。それは、多くの人の裏の気持ちから来るのだと思える。自分だけが仲間の中で浮いていたらいやだなぁとか、自分だけ違っていたならいやだなぁと周りの目を気にしてしまうのである。そんな裏の気持ちが流行などを生むのだと思う。しかし、それが自分一人だけなら流行にはならない。周りの人も同じなのである。」 なるほどぉ。「自分だけが...」という気持ちが流行と結びついているとは! みんなが心で感じることって実はそんなに違いはないのかもしれないね。でも、こんなことに気付けるなんて、その愛ちゃんの感性はすばらしいわ!! 愛ちゃんだからこそ気付けたことかもしれないよ!