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■言葉の森新聞
2000年5月4週号 通算第665号文責 中根 克明(森川 林)nane@mori7.com
■図書の返却は6月10日までに
今学期の貸出図書の返却期限は6月10日です。図書と一緒にお送りした返信用封筒に入れて、そのままポストに投函してください。現在、貸出中の図書は、「山のたより」の右上に表示されています。万一返却したはずなのに表示されているというような場合がありましたらご連絡ください。
■インターネットでの放送開始
インターネットで、教室の授業のようすを放送します。
先生が生徒に図を描きながら説明している内容を、スライドと音声で流します。スライドは、図を中心に掲載し、生徒の顔などは載せません。音声は、先生の説明が中心で、ところどころに生徒の返事や周囲の雑音が入ります(笑)。
インターネット放送を流すのは、当面、書きにくい感想文の課題の週だけです。その週の授業が全部終わってから放送します。次学期からは、授業の前に放送できるようにしていきたいと思います。
必要なソフトは、リアルプレイヤー7です。ベイシック版はインターネット上で無料でダウンロードできます。ほかに有償のプラス版もありますが、通常はベイシック版で十分です。しかし3千KB以上もあるので、ダウンロードには1時間ぐらいかかります。日本語版ダウンロードサイトは、下記の場所です。↓
http://www.real.com/player/index.html?lang=jp
現在、書店に並んでいるインターネット関連の雑誌の付録CDにも「RealPlayer」という名前でついていることが多いようです。(「日経netbrain6月号(690円)」「日経ネットナビ6月号(690円)」「日経WinPc6月号(980円)」では付録についていました。ほかにも多数あると思います。教室のパソコンには、試しに「日経netbrain」の付録CDでインストールしてみました)
放送時間は、それぞれの学年のそれぞれの週で7〜8分です。ストリーミング放送ですから、放送されている間は、インターネットに接続している必要があります。
↓放送予定の載っているページは、「放送の谷」です。あいかわらずのネーミングですが。(^^ゞ
http://www.shine.ccsj.com/
■小学生時代はムラのない勉強生活を
犬を例にとるのは、どうかとも思いますが、子供の躾を考えるときに、犬の躾との共通点がかなり多いように思います。自分で実際に子育てと犬育てをして、そう思いました。
その共通点は、(1)最初に、いい癖をつけてしまう、(2)一度決めたら例外を作らない、(3)時には叱ることも大事だが愛情を忘れずに、などです。
犬の場合、生まれつき躾のしやすい性格とそうでない性格の違いというものは、確かにあるようです。シベリアンハスキーなどはもともと山野をかけめぐる元気者ですから、なかなか人間のペースに合わせておとなしく生活することができません。その反対にゴールデンレトリバーなどは、生まれつき穏やかな性格の犬なので、躾がしやすいということはあります。しかし、生まれつきの性格よりも、やはりその後の育て方が躾を左右します。
「吠えない」「呼んだら来る」「決まった場所をトイレにする」などの躾は、「お手」や「おかわり」の芸よりも、優先して教える必要があります。子供の時分に吠えることを覚えたり、呼んでも来ないことを覚えたりすると、成犬になってからは治すことはまずできません。我が家の犬の躾で失敗したのは、「決まった場所をトイレにする」ということです。盲導犬などは、出かける前にトイレを済ませて行くのだと思いますが、そういう躾ができていると、散歩がかなり楽になります。人間の都合だけですが。^^;
人間の子供で言えば、「身の回りをいつも整理しておく」「決まった時間に勉強をする」「うそをつかない」「弱い者をいじめない」などが、最初に教える基本の躾になると思います。我が家の躾で失敗したのは、「身の回りをきちんと整理しておく」です(笑)。これらは、小学校低学年のうちに習慣づければ簡単に身につきますが、小学校中学年を過ぎると、なかなか身につきません。長文音読などの自習の習慣も、小学校2年生までに始めれば毎日楽にできるようになりますが、小学校高学年を過ぎると継続するにはかなり強い意志力が必要になります。
貝原益軒はその著書「和俗童子訓」の中で、教育の基本は「予(あらかじめ)する」だと述べています。その現象が生じる前にあらかじめ教えたことは無理なく定着します。その現象が生じてから対処療法的に教えたことはなかなか身につきません。いま中学で教えている禁煙教育なども、喫煙する生徒がちらほら出始めてから教えても効果があまりありません。禁煙などとはまったく関係のない小学校低中学年のころに教えたほうが効果が上がります。
「予(あらかじめ)する」ためには、同じことを何度も飽きずに繰り返す必要があります。ムラがあるというのは、そのこと自体は人間味のある性格ですが、子供を育てる上では大きなマイナスになるようです。子供は、決まった時間に起きて、決まった時間に勉強をして、叱られる基準もほめられる基準も決まっている中で、決まりきった生活したほうがのびのびと成長できます。あるときは夜更かしをして、あるときは猛烈に勉強をして、時には甘く、時には辛く、その場の雰囲気で注意されたり注意されなかったりするという環境では、正しく成長することはできません。
高校生以降になれば、ふだんはのんびりしていて、試験前に猛烈に勉強して、試験が終わったらたっぷり遊ぶというような生活も変化があっていいと思いますが、小中学生のころは、そういう生活の仕方をするべきではありません。休みの日も平日も、雨の日も晴れの日も、毎日同じように決まった生活をするという枠組みを親がしっかり作っておく必要があります。
■来週6.1週のヒント(小1−小6)
●小1・2年 6.1週 自由(じゆう)な題名(だいめい)
これからつゆにはいるまでは、いい天気がつづきます。しかし、春は天気のかわりかたがはやいので、今日は雨、あしたははれと、毎日空のようすがかわります。
6月に入ると、羽アリのきせつになります。これは、アリのけっこんしきです。羽のついたアリは、女王アリかオスアリです。オスアリはすぐにしんでしまいますが、女王アリは、羽をおとしたあと、すをつくりはじめます。水そうの中に入れてかうと、アリのすづくりが見られるかもしれません。あ、水そうの中には、もちろん土をいれるんだよ。
アリのかい方は、下記のページにかなりくわしくのっています。このページを見ると、アリのかんさつをしてみたくなる人も多いと思います。
http://ant.edb.miyakyo-u.ac.jp/INTRODUCTION/Gakken79/Page_02.html
このほかにも、カタツムリやザリガニなどの生き物をそだててみると、おもしろいかんさつができると思います。
●小3−6年 6.1週 おもしろい先生、私の父(母)
これまでに習った先生で、おもしろかった先生の話を書いてみましょう。よく寒いダジャレをとばす先生がいるでしょう。授業が進まなくてダジャレと脱線ばかりの先生も困りますが、それでも真面目でつまらない先生よりもずっと楽しく勉強ができますね。
あいにく、そういうおもしろい先生に教わったことがないという人は、「私のすきな先生」や「私の父(母)」などの題名で書いてもいいでしょう。
説明的な題名ですが、説明だけで終わらないように、実際にあったできごとを会話などを思い出して書いてみましょう。
高学年の人は、「先生とは……」と大きくまとめて感想を書いていけるといいですね。
■来週6.1週のヒント(中1−中3)
●中1年 6.1週 人間の生涯は物事を(感)
内容:人間は生涯学習する動物である。犬や猫も学ぶが、早い時期に学習をやめてしまう。人間が何かを学ぶのは、学ぶことが楽しいからである。人間が味わう充足感や感動の大半は、ものを学ぶことから生まれる。
解説:勉強の大切さというテーマでは、前にも書いたことがあると思います。今回は少しちがったアプローチで、「勉強とは楽しいからするのである」という話です。学校の勉強は、ほかから課題を与えられてすることが多いので、楽しさよりも苦しさを感じることのほうが多いかもしれませんが、学校の勉強にかぎらず学ぶこと全体をとってみれば、何かを学んで自分自身が成長することがうれしいから勉強をするというのが人間の本来の姿です。学校の勉強であっても、もしみなさんが、明日から学校に行く必要がなくなったとしたら、最初の数週間は楽しいからもしれませんが、すぐに「もう一度、学校に通って勉強したいなあ」と思うようになると思います。
意見の書き方は、「学ぶことの大切さ」ではなく、「学ぶことは楽しいと思うべきだ」にするとよいでしょう。その理由は、(1)世界には、戦争や貧困のために勉強することのできない子供たちが1億3千万人もいるからだ、(2)学ぶことの楽しさを自覚すれば積極的に勉強できるからだ、などと考えていけるでしょう。実例には、何かを学んだあとの充足感の体験などを書いていきましょう。
●中2年 6.1週 ノンフィクションの書き手は(感)
内容:フィクションの書き手は「真実に近づくために創作する」と言う。しかし、のんフィクションは、創作しないという約束の上に成り立っている。ノンフィクションのライターにできることは、事実の断片を収集することである。ノンフィクションとは、事実の断片による、事実に関するひとつの仮説である。
解説:事実をありのままに伝えるノンフィクションと、真実により近づくために創作するフィクションのそれぞれの役割を考えてみましょう。
昔、ある新聞カメラマンが、沖縄のサンゴ礁がダイバーたちによって荒らされているという報道をするために、自分でわざわざサンゴに落書きをしてそれを報道したことがありました。これは単なるウソの報道とも言えますが、カメラマンの意識の中には、「真実に近づくためには、多少の脚色も必要」という考えがあったのでしょう。もし、これがウソだとわからなければ、サンゴ礁を守ろうという大きな世論が作られたかもしれません。しかし、事実に基づかない報道で世論を形成することが、果たして本当に望ましいことだったのでしょうか。
「嘘も方便」ということわざがありますが、このことわざの中には、相手に対する思いやりという真実があれば、嘘をつくこともやむをえない、という考え方があります。
二つの意見を比較して、総合化してまとめてみましょう。
●中3年 6.1週 テレビで見える戦争の部分と(感)
内容:テレビでは見えない部分がある。テレビによって見えている部分と見えない部分とを総合的に判断することによって、初めて、真実に近づくことができる。しかし、人間はテレビで見たことは自然に納得してしまいがちだ。現代では、あらゆる分野がテレビに露出される機会を求めている。
「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、人間は目に見えたものはそのまま信じてしまう傾向があります。言葉で聞いたものには、批判的な見方ができますが、実際に目に見えたものには批判的な姿勢はなかなかとれません。
テレビには、事実を目に見えるかたちで報道するという面がありますが、これを逆に利用して、都合の悪いものを見えなくするという操作をすることもできます。しかし画面を見ている人は、何が隠されているかということにはなかなか気がつきません。
例えば、A君とB君がけんかをしているところを報道する番組があったとします(そんなのあるかいな)。A君がB君をやっつけているところだけを報道して、B君がA君を逆にやっつけているところを報道しなかったとしたら、その番組を見ている人は、だれもが「A君のほうが悪そうだなあ」と思うでしょう。これが、国際問題のレベルで行われてしまうことがあるというのが、テレビの持つ情報の操作性ということです。
目に見えるものをそのまま信じてしまうのではなく、隠されているものを批判的に見ていくことが、現代の情報社会を生きている私たちには必要になっているのです。このことを自分の生き方に結びつけて考えてみましょう。
■光る表現(中1−社)
2000年5月3週号●
駿介さん(らる/中1)の作文より(ミルクティ先生/5.1週)人間、学習していても、一人で学習をやっているなら、それはあまり意味の無い事だとぼくは思う。なぜかというと、人間一人で何かをやっていても、一人分の意見や考えしか出てこないが、二人や三人などとたくさんの人といっしょに学習をしていれば、それだけたくさんの意見や考えが出てくるということで、ぼくは、たくさんの人と学習をやった方がいいと思う。<評>「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあるけれど、まさにそのとおりだね。特に若者には、お互いに切磋琢磨することでそれぞれの力を向上させてほしいですね。
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魔法使いさん(あちほ/中2)の作文より(かつみ先生/5.1週)いつの間にか心の花も咲いてしまう。 評:心の花、いい表現ですね。最後にこの文章がきていることで、ホッと安心するような、そういう気持ちに読む人はなりますね。
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優里さん(あまこ/中2)の作文より(まさみ先生/5.2週)確かに豊かな生活は便利だ。自分でやれることでもやらなくてよい。だが、それによって豊かな心が失われてしまうのは悲しい。評:豊かな生活ということは、それだけ周りが機械化されているということだよね。便利なことはいいことだけど、やっぱり自然に近い生活ほど、豊かな気持ちでいられるんでしょうね。
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青ちゃんさん(ひえ/中2)の作文より(ふじのみや先生/5.1週)人間社会には、必ず自分よりも偉い人やリーダー的な存在の人がいる。それにより他の人が引っぱってもらえるというなにか団結した物でできている。それを維持していくためには、自分とそのリーダー的存在の人の間に、近からず遠からずの距離が必要だと思う。そしてそれは態度ももちろんなのだが言葉の使い方が大切なのだ。 評:視野を広げて、人間社会から言葉の役割を考えています。説得力十分ですね。
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拓馬さん(ねき/中3)の作文より(まさみ先生/5.2週)読書が、読書のための読書ではなく、他の目的のための読書になっている。しかし周りは、もっと本人に合った本を見つけさせる手伝いに力をいれるべきではないか。評:そうだね、確かにそういうことが言えるかもしれないね。自分が読みたいと思う本を、読みたいと思う時に読んではじめて、読書のおもしろさに気づくのかもしれないね。
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啓介さん(いおり/高1)の作文より(さかな先生/5.2週)「こういうことを見ていると人間集団というのは非常に弱いものだ。だからこの人間集団の弱さを強くしていくことも大事なのではないか。それには人間の一人一人が強くなっていくことなのではないかと思う。」★評:自分が所属する集団の弱さや脆(もろ)さを自覚した上で集団に主体的に関わっていけば、集団にも個人にもきっと新たな展望が開けてくるね。
■来週6.1週のヒント(高1−社)
●高1年 6.1週 美とは、本来、自然の(感)
内容:美とは、自然の造化物におのずから備わった性質である。人間は、芸術を通して自然の美に接近してきた。自然の美の本質は、美醜の対立を超越したところにある。これに対して、人間の作った美は、無心の美ではなく、醜に対立する相対的な美である。しかし、近代の美術は、その次元の低い相対的な美を美の基準としてきた
解説:洞窟で壁画を描いたり、土器や石器を作っていたりした古代の人々は、この壁画や土器で今度の展覧会に入選して賞状をもらおうなどという意識はなかったはずです。自分の気に入ったものを作ろうという意識で、無心に創作に取り組んでいたのでしょう。
野山の花は、だれに見てもらうわけでもなく無心に美しく咲いています。鳥の声も虫の音も、みんな無心に美しい音楽をかなでています。しかも、その美を表現するのに、ゴッホのように耳を切ったり、ベートーベンのように髪の毛をかきむしったり(笑)という無理なことはしていません。
確かに、人間の作った芸術は、美の範囲を広げました。しかし、私たちは自然がもともと持つ美というものに、もっと目を向けていく必要があるのかもしれません。
港南台の駅前に、わけのわからない抽象彫刻がいくつか並んでいます。あれはあれでおもしろいオブジェクトですが、その横に並んで立っている普通の街路樹のほうがずっとセンスがいいような気がときどきします。
●高2年 6.1週 能を見るとわかるが(感)
内容:能役者の体は、人間の自然の体を拒否している。型をくりかえしているうちに美を表現する力が生まれるというのが日本人の考え出した身体に対する思想である。この身体の思想は西欧近代の精神と肉体の二元論とは、全く対照的なものである。日本人は、精神と肉体が別の次元にあるのではなく、現実の肉体をこえてあらわれたもう一つの身体に精神性があると考えている。
解説:無理な姿勢は、私たちも日常生活でよくとっています。ごはんを食べるときの正座などは、考えてみるとかなり無理な姿勢です。しかし、日本人は、この正座という無理な姿勢の中に精神性を見出しています。みなさんも、先生に、「こら、ここでしばらく正座しとれ」などと言われたことがあるでしょう。このときに、「先生、僕は心から反省しますから、そのかわり姿勢は楽な姿勢で寝ころんでいていいですか」などと質問する人はいません。日本人にとって、心は姿勢の中にあるもので、姿勢を抜きにした心というものはないからです。ここが、心と身体を区別する二元論とは異なるところです。
心を病んでいる人がいた場合、アメリカなどでは、精神分析で心そのものを対象として考えることが多いようですが、日本では、「上を向いて歩こうじゃないか」などと姿勢や動作から解決の糸口を見つけようとします。
スポーツでも、欧米では、何しろボールにうまく当たればいいんだろうという練習の仕方が主流ですが、日本では、当たる当たらないよりもまず姿勢を整えるのが先だというところから練習を始めます。
身体の問題を軽視しがちな現代社会ということで問題を考えてみましょう。
●高3年 6.1週 もしも「忘れる」という現象が(感)
内容:私たちは呼吸や消化を通じて大気や大地と交流し合って生きているが、そのことをふだんは忘れている。しかし、忘れるということは、それほど深く交流し合っていることでもある。私たちはもともと区別された個体なのではなく、世界との交わりの中で存在している。多くの人は、個体をこえた生命現象があるという直観を日常的に持っている。しかし、その考えは日常の用語でまだ十分に記述されていない。
解説:先生(森川林)が昔、海岸の波打ち際で、岩についている海草を見るともなく見ていたとき、ふと、こんなことに気がつきました。ある場所は日当たりもよく波も穏やかで、そこについた海草は青々と成長しているのに対して、別の場所は日陰で波も荒く、そこの海草は糸のように細いまま必死で岩にしがみついています。しかし、その日陰の海草は何も文句を言わずに黙々と波に揺られています。ここにあるのは、個々の生命ではなく、海草全体の生命で、一つひとつの海草は、その与えられた場所で最善を尽くすことに満足しているのです。それを見ていて、なんとなく感心してしまいました。
人間の生命も、もとはこの海草と同じように、全体の調和が先にあるものだったのでしょう。
近代の資本主義は、個人の利益追求が最初にあり、それが「神の見えざる手」で全体に調和するという考え方に立脚して発達しました。確かに、資本主義の発展期には、この個と全体の調和は実現されていました。しかし、現在のように経済全体の発展が鈍化し、ゼロサム社会の様相が濃くなってくると、個人の利益は他者の不利益をもとにして成立するようになってきます。
今、人類の生産力は、飛躍的に増大しています。この膨大な生産力を、マネーゲームに費やすのではなく、人類全体の幸福に生かすためには、全体との調和を優先した新しい原理が必要なのでしょう。
個人の利益追求を優先した現代社会の問題ということで考えてみましょう。
●社会人 6.1週 いま、マネー経済の世界で(感)
内容:いま、マネー経済の世界で一番儲かっているのは、アメリカである。しかし、そのお金の出どころは日本である。もともとアメリカにお金はなく、アメリカは、世界のマーケットから集まったお金を運用しているだけである。日本人は、自分の意志でお金を運用する仕方を覚える必要がある。日本が自分の意志でお金を運用できるようになったあと、与えることを国是とする憲法を新しく作るべきだ。
解説:1989年の土地バブルの崩壊とそれに続く金融バブルの崩壊の反動から、日本はやはり技術生産立国を目指すべきだという考えが広まってきました。しかし、マネー経済の規模が実体経済よりもはるかに巨大になった現代社会では、単純にお金の運用はアメリカにまかせて、日本は生産にいそしむべきだという考えで割り切ることはできません。手先も器用で金勘定も達者でという両刀使いのうえに、更に人助けを信条とするという理想の社会に転換することが今日本に求められています。これは、やり方を誤ると、全部反対の方向に行ってしまうかもしれません(笑)。現代の日本に生きている人の責任は大きいと言えるでしょう。
■光る表現(小1−小4)
2000年5月3週号●
嘉子さん(あろも/小1)の作文より(メグ先生/5.1週)ちかくの山がふじの花でむらさきいろになっていました。評:ふじの花がきれいな季節ですね。むらさきいろにそまった山が目にうかぶようです。
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恵里さん(あらり/小2)の作文より(さかな先生/5.2週)わたしが岩男さんに、「いっしょに、おべんとうたべよ。」と、ダメといわれないかなとしんぱいしていいました。岩男さんは、「いいよ。」と、やさしくいってくれたのでわたしは、ほっとしました。★評:話をしている恵里ちゃんとお友だちのようすが、目にうかぶようです。恵里ちゃんの気持ちがとてもうまく書けているね。
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真章さん(ありる/小2)の作文より(メグ先生/5.2週)トンボには、えだのようにほそいトンボがいたので、まるで、ほそいみじかいえだに、トンボのはねと、小さい石と、みじかい糸を六本くっつけたようでした。評:トンボをよくかんさつして、そのようすをたとえをつかってあらわすことができたね。
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トトさん(あれは/小2)の作文より(メグ先生/5.2週)わたしは、しょうらいりっぱなかせきのけんきゅうかになって、いろんなかせきをこの手でみつけてみたいです。評:トトさんなら、きっとりっぱなかせきのけんきゅうかになれると思うよ。かせきをじぶんの手でみつけたいというつよいきもちがあらわれているね。
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みゆさん(あはみ/小3)の作文より(ももんが先生/5.2週)ドッジボールをしました。帰り、あせが、かいだんとボールにおちました。あつかったです。【評:ぽたぽたと落ちる「あせ」を書くことで、ドッジボールでがんばったことを上手に表現できました。(^o^)/ 】
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すずらんさん(あふよ/小3)の作文より(ミルクティ先生/5.1週)『スィートリーコちゃん』(おばあちゃんの家のインコがいろいろお話できるので…)どうして色々覚えられるのかなー? たぶん、おばあちゃんがいっしょうけんめい教えたからだと思います。<評>「どうして」「たぶん」をつかって、想像(そうぞう)したことをじょうずに書けたね。もし、すずらんさんが言葉を教えるとしたら、どんな言葉を教えたいかな?
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しょうたさん(あたの/小4)の作文より(きょうこ先生/5.1週)「つぎに、じゃまな竹をおりました。太いのは、がんじょうでまるで石みたいなかたさでした。ほそいのは、まるでようじみたいに先がとんがっていました。」 太いのはかたくてなかなか折れないし、細いのは先がとんがっていてあぶないし、とても大変だっただろうね。(^_^;) 捷太くんの表現がとってもじょうずだから、その大変さがすごくよく伝わってきたよ☆
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真亮さん(あむこ/小4)の作文より(洋子先生/5.2週)前には、ミニ四駆を集めていました。いまでも持っていますがミニ四駆もビ−ダマンと同じで作らないといけません。どちらかというとミニ四駆のほうが簡単です。ビ−ダマンは、たぶんふくざつなので、むずかしいのです。ぼくは、(完成するまでかかる時間は)でもミニ四駆は十分以内でビ−ダマンは、十五分から二十分です。——省略——ビ−ダマンを集めているので、新しいビ−ダマンの情報がはいるとすぐに読みます。評:現在形をうまくつかって、まえに集めていたミニ四駆と今集めているビ−ダマンとを比較しながら、説明、思ったことが上手に書けていましたね。
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ワッフィーさん(あめむ/小4)の作文より(けいこ先生/5.2週)「ようし。これならつれそうだな。」そう思いながら大きな岩のかげにえさを近づけました。ちょうど五秒ほどたったとき、ブルッという感じが手に流れこみました。 評:魚がえさに食いついた瞬間。「手に流れこむ」という表現が、あたりの瞬間をうまく表しているね。
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あずささん(ありな/小4)の作文より(メグ先生/5.2週)あとになってから、よしおお兄ちゃまは、私に、「すごいうまかった。」って言ってくれました。私は、そういう言葉を聞いた時に、なんだか、ほこらしく感じました。どうしてかというと、私は、「上手だったよ。」と言われるとは思ってもみなかったからです。評:「ほこらしい」とは、大人っぽい表現だね。ほこらしく思った理由が書けている点もいいね。
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穂香さん(すよ/小4)の作文より(きょうこ先生/5.2週)「いっぱい入っているけれど、私のお気に入りの物はひとつです。それは、シャチの消しゴムです。理由は、シャチが好きだからです。『私の将来の夢』の作文でも、『私の将来の夢は、シャチのしいくがかりになることです。』と将来にまで出てくるほどシャチがだーーーーーーーーーーーーい好きなのです。」 うわぁ、シャチは幸せものだぁ〜。この思いは遠くの海にいるシャチにまで届いてしまいそうだね☆ 好きな気持ちをとても分かりやすく表現できたね♪
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瑞季さん(てく/小4)の作文より(かつみ先生/5.2週)バスがくるまで、庭の中で、手をふってくれました。 評:うれしいね。この一言の中に、おばあちゃんの愛情と、おばあちゃんに対する愛情がよくあらわれています。
■光る表現(小5−小6)
2000年5月3週号●
ザッカルさん(あおぬ/小5)の作文より(きょうこ先生/5.2週)「カブトムシになったら、木の棒とか置いてあげて、ゼリーなどあげる。あと、みつもあげる。はやくカブトムシになってほしいな。」 うわぁ、耕平くんの待ち遠しい気持ちがすごくよく伝わってくるなぁ。カブトムシの幼虫も耕平くんを喜ばすためにいっしょうけんめいに成長してくれるはずだよ☆
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ナズナさん(あもせ/小5)の作文より(かつみ先生/5.1週)そしてただ暇なだけでも自分は幸せだとかんがえたほうがいい。 評:ちょっと意外な意見で、感動しました。暇だと罪悪感を抱いてしまう先生としては、こういう考え方もあるのだな、新鮮な思いで読みました。
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仁美さん(あよは/小5)の作文より(さかな先生/5.1週)基地は、一ヶ月後、妹の友達により、あとかたもなく取りこわされたが、私の心に、この基地作りで学んだ、協力や、本当の楽しさは、まだ残っている。★評:基地作りを通して貴重な経験をしましたね。この結びは印象深くて素敵ですね。
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コナンさん(あえた/小6)の作文より(洋子先生/5.2週)私は、どうだろうか?最近十七歳の少年が主婦を殺したり、バスをハイジャックして、やはり人を殺したり、傷つけたりした事件が続けてあった。「え−、信じられない!ひど−い、こわ−いなぁ−、被害者や、家族がかわいそう。」とわたしの知っている言葉で表すとどれも軽い感じになってしまう。事件は、もっと重いものなのに。「継続は、力なり」というから、このまま言葉の森をつづけてボキャブラリ——(語彙)をすこしづつ増やしたいと思う。日本語とは、むずかしくて、奥がふかくて、ず−と勉強していかなければならないものだと思う。評:タイムリ−な題材を入れて自分の語彙の貧弱さに気づき、日本語の語彙をもっと豊かにしていきたいと結びへ発展させていったところがよかったですね。お母さんから聞いた話で、なぜお母さんが「ことばの森」をあなたに勧めたかのわけもとてもよく書けていました。
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ミュウさん(あおゆ/小6)の作文より(ももんが先生/5.1週)「あははははははあっはははあひひひひ」【評:大笑い事件の笑い声の描写です。涙を流し、おなかを抱えて笑っているミュウちゃんたちの姿が目にうかびます。ありきたりの表現にならずに、こんな風に「自分の言葉」で笑い声や泣き声を表現できるのは、とてもいいですね。】
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たぬきさん(のと/小6)の作文より(ゆり先生/4.3週)テレビは映像で見れて(見られて)、情報などがすぐ分かる。(略)新聞や本は、情報はすぐ分からないけど、電気代もかからず、場所も取らない。どちらも楽しめればいいので、どちらかを選ぶ必要はまったくない。評:そうだよね。両方の良いところを分かった上で、どちらもうまく利用すればいいんだよね。