Kotobanomori No.671
■言葉の森新聞
2000年7月2週号 http://www.mori7.com/文責 中根 克明(森川 林)<nane@mori7.com>
■夏休み中の授業について
言葉の森の7−9月の予定は、課題フォルダの中の予定表に書いてあるとおりです。
夏休みは帰省したり塾の夏期講習に行ったりするために、通常の時間に授業を受けられない場合も多いと思います。
しかし、ここで簡単に8月は一ヶ月間休みということにしてしまうと、それまでに継続していた自習の習慣もなくなり、9月以降の勉強に大きなマイナスとなるケースがよく見られます。
国語の学力は、学習塾で講義を聴いたり問題を解いたりするなかでは上がりません。言葉の森の長文音読を毎日行ない、その上で毎週作文・感想文を書くなかで上がるものです。ところが長文音読のような単調な自習は、いったん中断すると再開することがきわめて難しくなります。
したがって、一ヶ月の休会というかたちはできるだけ避けて、他の曜日や時間に振り替えたり、7月または9月の間に休みの分をカバーしたりするなど、工夫して継続していってくださるようお願いします。
夏休み中に限り、授業の振替による電話指導は、平日午前10時〜午後8時、土曜午前10時〜午後5時まで行ないます。(通常は、午後4時〜午後8時。土曜は午後2時〜午後5時)。作文を書く時間がとれるときに、直接教室(0120−22−3987)にお電話ください。希望の週の課題を説明します。
教材の送付先を田舎などの帰省先にすることもできます。数週間田舎などに滞在する場合は、ご連絡をいただければ教材の送付先をその滞在先にして郵送します。また、先生からの毎週の説明電話もその滞在先にすることができます。ただし曜日や時間を変更する場合は、先生から生徒にはお電話しませんので、生徒から教室にお電話をして説明を聞いてください。
また、事情により休会せざるを得ないという方は、次のような扱いになりますので、ご了承ください。
この規定は、夏休み以外の休会にも同じように適用します。
ただし、(A)海外にホームステイで出かける場合、(B)病気治療のため入院する場合など、電話連絡のとれない状況での休会と、(C)受験の1ヶ月前に休会する場合は別途考慮しますので、ご相談ください)
(1)受講料
金融機関からの自動引き落としは通常と同じかたちで行なわれます。上記(A)(B)(C)以外は受講料の返金はありません。
(2)郵便物
言葉の森新聞などの印刷物は毎週同じようにお渡しします。
(3)授業の振替
その学期中(7〜9月)の間であればいつでも授業の振替できます。教室の授業時間(平日午後4時〜8時、土曜午後2時〜5時)にお電話をくださるか、直接教室においでください。
■夏休みの体験学習
ご兄弟やお知り合いの方で言葉の森の勉強を体験してみたいという方にお知らせください。遠方の方で夏休みだけ横浜に来られるという方でも結構です。
■場所:港南台教室(港南台駅徒歩1分)
■期間:7月15日(土)〜8月31日(木)で教室が休みの日
(※)を除く全2回(ただし、2回とも同じ曜日同じ時刻に限らせていただきます)■時間:平日4時〜7時、土曜2時〜4時の間でご都合のよい時間を決めていただきます。
(例)火曜日の4:20、土曜日の2:30など。
■対象:小学生(小学校低学年の方を優先させていただきます。)
■内容:作文と感想文の勉強
■費用:教材費実費1,000円
■お問い合わせはお電話で:0120-22-3987
(※)教室の休みの日は、7/29〜8/3、8/11〜8/17、及び日曜日
■宿題の読書感想文の書き方
(この記事は1999年の森新聞に掲載したものに一部手直しを加えたものです)
いまの感想文指導には無理がある
感想文が楽に書けるようになるのは、年齢的には小学5年生からです。小学1〜4年生は、全体の構成を考えて書くという能力がまだ育っていませんから、大人の人が全体の方向づけをしなければ自分で本の流れに合わせて感想文の流れを考えていくという書き方はできません。
また、小学1〜4年生の場合、似た話がうまく見つかる場合と見つからない場合とでは、作品の出来に大きな差が出てきます。大人(親や先生)が近くにいて、「この次はこんなことを書いたらいいよ」とときどきアドバイスをしてあげなければまとまった作品を書くことはできません。
なぜ学校のふだんの授業で感想文を指導せずに、夏休みの宿題というかたちで感想文を書かせるかというと、感想文は(特に低中学年の場合は)、一人ひとり別のアドバイスをしなければならないからで、30人から40人を相手にした一斉指導ではそういうアドバイスはできないからです。
子供まかせでは書けない
「なんでもいいから自分で好きな本を選んで、自分で好きなように書いてごらん」ということでは、感想文は書けません。小学生の場合は、大人がなんのアドバイスもせずに感想文を書かせるぐらいなら、感想文を書くことそのものをしない方がいいのです。単に字数を埋めるだけの感想文は、何の勉強にもなりません。
じょうずな感想文を書くコツはあるが
書くからには、じょうずな感想文を書いて、コンクールなどに入選したいとはだれもが思うことです。作品の出来具合の半分は、似た話などの題材の部分に支えられています。また、もう半分は、感想の部分の一般化の深まりに支えられています。ですから、感動のある似た話が連想できるような本を選び、感想の部分で大人の人が一般化の手助けをしてあげれば、じょうずな感想文が書けます。
しかし、こういうかたちで親や先生がアドバイスをすることは、子供にとってはあまりうれしいことではありません。また、親や先生に支えられてじょうずな作文を書いても、教育的な意義はありません。ですから、感想文の目標はじょうずな作品を書くことにではなく、ひとまとまりの本を読み、ひとまとまりの文章を書く練習をするということに置くべきです。
書き方の手順「まず本選び」
まず本選びですが、子供が「この本、おもしろいから書きたい」と言うような本が必ずしも書きやすい本であるとは限りません。子供が自分なりに似た話を見つけることができたり、想像をふくらませたりできるような本が書きやすい本です。この本選びは、大人がアドバイスをした方がいいようです。少なくとも、子供には「似た話や想像した話が書けるような本が、感想文の本としては書きやすいよ」と言ってあげるといいと思います。
書き方の手順「次に字数配分」
感想文の宿題は、原稿用紙3枚程度(400字詰めで1200字)の分量で指定されることが多いようです。これだけの分量を1日で書くというのは大変です。無理のない字数配分は、1日1枚(400字)です。感想文の宿題をするために、4日間の予定を立てて、1日目に400字以上、2日目も400字以上、3日目も400字以上と書いていって、4日目に全体を通して要らないところを削り、清書するという予定を立てれば無理なく書くことができます。
書き方の手順「1日目の400字」
本のはじめの方から一ヶ所、似た話や想像した話の書けそうな場所を選び、そこを引用し、自分の似た話を書き、最後に「たぶん」「きっと」「もしかしたら」などという言葉を利用しながら、自分の感想を書きます。
本の引用(1)
↓
似た話(1)(もし…だったらと想像してもよい)(たとえも入れる)
↓
感想(1)(たぶん、きっと、もしかしたらなどと考えてみる)
書き方の手順「2日目の400字」
2日目も同じです。本の中ほどから一ヶ所、似た話の書けそうな場所を選び、そこを引用し、似た話を書き、感想を書いていきます。
本の引用(2)
↓
似た話(2)
↓
感想(2)
書き方の手順「3日目の400字」
3日目も同じように、本の終わりのほうから一ヶ所選んで書いていきますが、最後の感想のところがちょっと違います。1日目、2日目は、引用した小さな箇所の感想でしたが、3日目は本全体についての感想を書いていきます。
小学5・6年生の生徒の場合、この感想は、「○○は(人間にとって)……である」というような一般化した大きな感想を書いてまとめます。この感想の部分は、お母さんやお父さんと話し合いをして、子供自身の考えを深めていくといいと思います。そして、「私はこれから」などという言葉を使い、この本から得たことを自分のこれからの生き方にどうつなげていくかを考えてまとめます。中学生の場合は、結びの5行に「光る表現」を入れていくとよいでしょう。
本の引用(3)
↓
似た話(3)
↓
大きな感想(○○は人間にとって……。私はこれから)
書き方の手順「4日目の清書」
4日目は清書です。お母さんやお父さんが全体を通して読んであげると、要らないところが見つかると思います(書いた人自身には、要らない部分というものはなかなかわかりません。これは大人でも同じです)。この要らない部分を削ります。次に、書き出しの部分に本の引用として情景描写の部分を入れられれば、書き出しの工夫ができます。これは無理のない範囲でやっていくといいでしょう。
書き方の手順「できたらほめる」
書いている途中でも、書き終えたあとでも、親や先生が「これは、おもしろいね」「それは、いいね」と、子供の書いた内容のいいところやおもしろいところをどんどん認めてあげることが大切です。多少おかしいところや変なところがあっても、子供が書いた内容をできるだけ尊重してあげてください。これと反対に「これは、こうした方がいいんじゃない?」「そこは、ちょっとおかしいんじゃない?」などという否定的なアドバイスをすると、勉強でいちばん大事な子供の意欲をそぐことになります。大事なことは、いい作品を仕上げることではなく、手順にそってできるだけ自力で書く力をつけることです。
教室では宿題の感想文の個別指導はしませんのでご了承ください。
感想文の指導には、生徒ひとりずつ異なるアドバイスが要求されます。更に作品として完成させるためには、書いている途中にも頻繁にアドバイスをする必要が出てきます。このような対応は、普段の勉強の中ではできませんので、夏休みの宿題のための感想文指導は、教室では行ないません。
宿題として感想文を提出しなければならないという事情のある方は、教室で練習した長文の感想文で似た話のよく書けたものをベースにして、ご家庭で書き直していかれるといいと思います。
■光る表現(小1−小3)
2000年7月2週号●しょうさん
(あゆの/小1)の作文より(メグ先生/6.3週)はじめは、ぼくがヒットをうって、つぎはおにいちゃん、つぎはともだち、…ぼくがうったときだけ、ポーンという音がしました。評:自分の耳で聞いた音に注意して書くことができたね。きっと、翔くんがうったときは、いいあたりだったんだね。
●ドラちゃんさん
(あよう/小2)の作文より(けいこ先生/6.3週)きょう、今年はじめてのプールがあったよ。まず、シャワーをしたよ。みんな「ぢごくのシャワーや、ヒャーシャワー。」と、さわがしかったよ。 評:プールの水よりも、シャワーの水の方がつめたかったんだね。「ぢごくのシャワー」という名前がつくほど、水がいきおいよく出てくるんだね。みんなの元気なようすが、目にうかぶな。
●カヤさん
(ありそ/小2)の作文より(ももんが先生/6.3週)おたまじゃくしは、すばしっこくって、ちかくのいわに、かくれることがあります。ときには、ぼくたちじゃあ、もてないいわに、かくれることがあります。【評:「つかまっちゃ、たいへん!」と、おたまじゃくしたちは、ひっしににげるんだね。そんなようすが、とてもよくわかります。特に、大きな岩を、「ぼくたちじゃあ、もてないいわ」と書けたのは、すごくよかったね。こんな風に、大きさや重さを、たとえをつかって書いてみるとおもしろい!】
●稔さん
(あわき/小2)の作文より(ももんが先生/6.3週)ゴールキーパーは、とくいのしみずくんということは、ゴールのいちばん上にあたったらゴールにははいらないから、上のところぎりぎりぐらいのところになげればいいなとこころの中でおもいました。【評:なるほど! いろいろなさくせんを考えながら、ボールをなげているんだね。こんなふうに、心の中で思ったことや考えたことを、そのまま書いてみるのは、とてもいいですね!(^o^)】
●祐治さん
(いあと/小2)の作文より(さかな先生/6.2週)「(ビール工場では)コンピューターはしごとをして人間はコンピューターがこわれていないかしらべているだけです。」★評:大きな機械(きかい)が仕事をしているビール工場のとくちょうを、とてもうまく言い表したね!感心しました。
●敦さん
(あにい/小3)の作文より(めもま先生/6.3週)これは評価の練習です。ここに講評を書けば良いのでしょうか?それともここは光る表現でしょうか?"☆"
●みゆさん
(あはみ/小3)の作文より(ももんが先生/6.3週)(ピアノの発表会の話…前略)はじめは、もうやりたくない、いやだと思うが、終わってみたら、あの快感がとてもたまらない、というようになってきている。【評:発表会の前の緊張感と、ひき終わった後の満足感。そして、それがだんだん、心地よくなってくるんだよね。自分の言葉で、気持ちの変化をすなおに表現できました!】
●ししさん
(あふか/小3)の作文より(はるな先生/6.3週)2年生の時、ぼくが学校からかえるとき、やけにうしろのほうがさわがしいから、すぐそばにいた人にきいてみると、「あそこにツバメのすがあるんだよ」とおしえてくれました。すぐそばのみせのてんじょうのほうを見たら、ツバメの親がミミズをくわえて、雛にたべさせていました。(講評);お店の天井にすをつくって、ヒナにえさを運び与えている親ツバメのようすを、じっと、観察できて本当に、よかったですね。その光景が、手に取るように、よくわかりました。
●智さん
(あよら/小3)の作文より(はるな先生/6.2週)「カーン」という音がしてたまがとんでいきました。ぼくは、フライだったので、とられると思いました。けれどとれなくて、ぼくは、全力ダッシュをしました。(中略)そこで、5時のかねがなり、「やった! かった。」と、ぼくたちのチームが、 「ああ、もうボロまけだ。」と相手チームが言いました。(講評);2つのチームにわかれて、野球の試合をやったら、強豪(きょうごう)ぞろいの、あなたのチームが、好成績で、勝ってしまったいきさつが、たいへんくわしく、音や会話をまじえて、わかりやすくせつめいできました。試合展開が、手にとるようによくわかりますね。
●秀雄さん
(あろう/小3)の作文より(ももんが先生/6.2週)雨になって、があんと思いました。【評:ははは…(^o^)。雨でショックだったひでおくんのようすが、「があん」という言葉にとてもよく表れていますね。ただ「ざんねんでした」と書くよりも、ずっと生き生きしていて気持ちがつたわってきます。】
●直樹さん
(あろら/小3)の作文より(きょうこ先生/6.2週)「今日も雨か、また外であそべないな。もうつゆのきせつだなと思いました。」すてきなすてきな作文の書き出しだったね! 今日の作文は、雨の日の直樹のくんの気持ちを書いたものなんだな、ということがすぐにわかったよ☆
●綾花さん
(いあお/小3)の作文より(とこのん先生/6.2週)雨がザンザカふっていたので、虫ははっぱのうらにかくれます。雨がふると、スズメのえさのミミズがでてくるので、ポツポツ小ぶりになってくると、スズメが下りて来て、えさをさがしに来ます。 評:雨の日ならではの生き物のようすを、とてもよく観察しているんだね。雨を楽しんでいるからこそ、こんなふうに学校の行き帰りも楽しむことができるんだね。「ザンザカ」「ポツポツ」と、水の音も生き生きと表現されていま「あーあ、やっと一時間目がおわったよ。早く二十分休みにならないかなあ。しぜん池に行きたいのになあ。」 評:自然池にいくのを本当に楽しみにしている様子がよくわかります。かぎかっこで表現しているので、その気持ちがさらに生き生きとつたわってくるね。
●れもんさん
(ふれ/小3)の作文より(ミルクティ先生/5.3週)私はこの話を読んで、「もし日本に牛が放しがいになっていてせんろや道路にねそべっていたら、たぶん交番に通報したり、牛につなをつけて動かしたりして大変なさわぎになるだろうな。」と思いました。「一寸の虫にも五分のたましい」というように、虫と牛ではだいぶちがうけれど、牛にもたましいがあるので、日本でももっと大切にあつかってほしいと思います。でも、牛をまるで神様のようにあつかうインドでは、ちょっとうやまいすぎで、こまってしまうとも思いました。<評>「一寸の虫にも五分のたましい」という、ことわざをつかって、じぶんの思ったこと「生き物を大切にあつかってほしい」をしっかり書けたね。インドは、すこし、やりすぎかな、という意見もおもしろかったよ。
●瑛世さん
(いいこ/小3)の作文より(ゆり先生/6.3週)わたしは、どうしてつばめは手がないのに、あんなにきれいなすを作ることができるのかふしぎです。たぶんくちばしをうまくつかうからだと思います。評:前につばめのすを見たときのこと、思い出してみたんだね。そのときにふしぎに思ったことをよく思い出してじょうずに書けていますね。
■光る表現(小4)
2000年7月2週号●しょうたさん
(あたの/小4)の作文より(きょうこ先生/6.3週)「このことわざは、たまにだけど、みんなにあることなんだと思いました。」最後にきちんと、このことわざについて感じたことを書いてみたところ、すごくよかったよ☆ 本当に、みんなが「うんうん、あるある。」とうなづいてしまうようなスゴイことわざだよね♪
●博美さん
(あちは/小4)の作文より(みち先生/6.3週)私は、この本をよんで、バスにのらなくてよかったなと、おもうこともあるんだなと、思いました。評:「けがのこうみょう」という、ことわざの意味を知り、失敗してもがっかりしないで、良いこともあるとわかったね。バスのたとえは勇気づけられる思いがしますね。
●えりさん
(あなふ/小4)の作文より(ももんが先生/6.2週)(ようち園の頃の思い出…前略)「みてみて、ママ。かいがらのない、かたつむりを見つけたよ。ほら 見て見て。」かいがらのないかたつむり…。それは、りゃくして、ナメクジ。私は、ナメクジを、ふくろの中にどっさり入れて立っているのです。家に帰って、それが、ナメクジだとわかると「うえ〜。ほんと? もうぜったいに、カタツムリ、いやいや、ナメクジをつかまえない! ぜったい。」今だって、「ぜったい」お目にかかりたくありません。お目にかかれば、しおこうげきをします。【評:カタツムリとナメクジって、本当にそっくりですものね。びっくりでしたよね。(きっと、お母さんもびっくりだったでしょうね(;^_^A )生き生きとした言葉を入れて、ユーモラスに思い出を表現できました。】
●ミュウさん
(あにた/小4)の作文より(けいこ先生/6.2週)(毛虫がたくさん落ちているので)つまさきで歩いて内またの、ちょびちょび歩きになってしまいました。(次の日は、毛虫の死がいを)アリが食べていました。アリがぐんたいみたいに、運んでいました。(数日後)雨なので、アリのぐんたいも来ていません。やっぱり雨なので、ぐんたいはおやすみなのかなぁ…。 評:梅雨どきに、毛虫がたくさん落ちている話し。毛虫をさけて歩いている様子や、毛虫を運ぶアリのことなど、とてもいきいきと表現できたね。梅雨ならではの題材を見つけて、季節感あふれる作文に仕上がったね。
●勇之さん
(あよか/小4)の作文より(ミルクティ先生/6.2週)「勇之! 起きなさい!」ぼ〜っとしていたぼくの頭に、母の声がひびいた。ぼくは、起き出して行って、着がえながら考えた。どうしてこう、最近は、ねすごしてしまうことが多いのかな? たぶん、雨は音を吸収したり、消してしまうそうだから、それでしずかだから、起きられないのか。<評>雨の日は、確かに寝ぼうしてしまうことが多いみたい。(^^; 会話の書き出しもうまいし、「〜かな? たぶん〜」と自問自答の文で表現したのも、おもしろいよ。
●大輔さん
(あよむ/小4)の作文より(ももんが先生/6.3週)その手紙は、とても美しい字で、心のこもったものでしたので、母は感げきしたそうです。とくに、妹のことを『すてきなおじょうちゃま』と書いてあるところがよかったそうです。いつも、風ろ上がりにおしりをふっておどっている妹を、です。その手紙を見せてもらいましたが、ほとんど読めませんでした。読めたのは『○○様(註:大輔くんの苗字)』と『YMCA』ぐらいでした。(これが大人のきれいな字というものなのか。)と思いました。(…中略…)とにかく、母は妹の失敗で、とても感げきしたのです。手紙は、気持ちをよく表すことができるのだと思います。【評:心の中で思ったことを、すなおに表現できましたね。かざらない作文は、とても楽しいし、とても生き生きしているね!】
●穂香さん
(すよ/小4)の作文より(きょうこ先生/7.1週)「そのセミをダンボール箱にいれると、10箱ぐらいあったそうです。そんな事を毎日やっていたそうです。」うわぁ、それはスゴイね!! とても分かりやすい表現だ☆うぅぅん、だけど想像したくないなぁ...。(^_^;)
●えびすさん
(せや/小4)の作文より(みち先生/6.2週)雨の日はサッカーでも野球でもできると思います。でも一つできない遊びがあります。それはリレーです。なぜかかというとバトンがすべってしまってできません。でもビニールぶくろをつければできると思います。だから雨の日はぜんぶ遊びならできると思います。雨の日っていいな。なぜかというとなんでもできそうだからです。ぼくは雨が好きです。なぜかというときもちいいからです。これからも雨がふってほしいな。きれいだし。評:雨はきれいだ!という観察眼が自分らしい行動や考え方で表現できたね。泥んこというイメージではない、きれいだと観たこと、よく観ると発見があるね。
●キティさん
(とあ/小4)の作文より(かつみ先生/6.2週)二、三日続けて雨がふりました。そのころのことです。 評:そのころのことです、という表現がとてもいいです。こういう一拍おいた書き方をすると、その前の表現がとても強調されますね。
■光る表現(小5−小6)
2000年7月2週号●まささん
(あうこ/小5)の作文より(ゆり先生/6.3週)なえが田んぼの中におちるたびに、どろがとびあがり、「うわ〜」「キャー」などと、どろがかかると、さけび声をあげていた。これこそ、スリルまんてんだった。まるで、どろあそびをしているようだった。評:はじめての田植えの様子が、生き生きと書かれていますね。
●むむらさん
(あめお/小5)の作文より(けいこ先生/6.3週)(目をつぶって吹いたリコーダーの「ドーーーー」という音は)「まるで砂漠の向こうまで響いているように思う。」と思った。 評:音楽の時間の話し。音の感じ方は人によって違うという例だけど、それをどう表現するか、これも人によって様々だね。音楽の先生とは全く違っていたけど、拓也君らしい捉え方と表現だね。
●ナズナさん
(あもせ/小5)の作文より(かつみ先生/7.1週)作文は人の心情を映す鏡である。 評:本当にそのとおりだと思います。そのときの気持ち、どういう単語を選んでいるか、どういう言い回しをしているか、どういう表現を使っているかでよくわかるよね。
●泰佑さん
(あるい/小5)の作文より(メグ先生/6.2週)ぼくは、日本はぜいたくすぎるのかなあと思いました。「自業自得」ということわざのようにむだ使いをしていると、あとでばちが当たるかもしれないのです。ぼくは心配です。評:「自業自得」という言葉がずしんと重く響きますね。泰佑君が感じている日本の危機感をうまく表すことができました。
●Wさん
(あゆな/小5)の作文より(ももんが先生/6.1週)(ピアノの発表会の話…前略)はじめは、もうやりたくない、いやだと思うが、終わってみたら、あの快感がとてもたまらない、というようになってきている。【評:発表会の前の緊張感と、ひき終わった後の満足感。そして、それがだんだん、心地よくなってくるんだよね。自分の言葉で、気持ちの変化をすなおに表現できました!】
●くすおさん
(ありみ/小5)の作文より(スピカ先生/6.2週)一番好きなのは雨音です。雨音を聞くと、何だかいい気持ちになれるからです。(略)しかしさんせい雨だけはふってほしくないと思いました。さすがにぼくでも、さんせい雨はすきにはなれませんでした。 評:雨が好きだという気持ちと、だからこそ、酸性雨なんていやだ! という環境問題に対するしっかりした意見をじょうずに書くことができたね。
●雅貴さん
(あめす/小5)の作文より(ももんが先生/6.2週)もし、しゅう理をしなくてリサイクルもしなかったら、世界はゴミの山になっていると思う。けれど、本当にそうなってしまうかもしれない。だって、前見たけど自転車がすてられてあった。もしそれを、日本の一億人の人がしたら、自転車の山になるのではないか。そんなことになれば、人類は住めなくなるのではないか。けど、みんながみんなそんなことさせないと思う。一生けん命リサイクルする人もいる。うちの母も、ティッシュ箱になにか入れたりして使っている。【評:「もし」を使って深く考え、自分の意見を述べることができました。一つ一つていねいに、言いたいことを積み上げてあり、とても説得力があります。】六月のプールはすごく寒い。ただでさえ寒いのに、雨の中のプールはもっと寒かった。(…中略…)プールがプルプルプールとふるえているようだ。【評:ユーモア表現、大成功ですね。また、このような短い文章の積み重ねは、テンポもよく、言いたいことがしっかり伝わりますね。】
●ピカチュさん
(とや/小5)の作文より(ふじのみや先生/6.3週)自転車をかりている時近くの木でいきなり鳴きだしてびびるのなんのいきなり大きな声でしかも耳もとで鳴かれたらたまったもんじゃない。だけど遠くはなれるとあんがい美しい声でルールーリーリ鳴いていて、ちょっとうっとりした。評:虫の声と遊ぶ、夏の夕方の風景がうかんできます。ちょっとうっとり…が特にいいね。声の美しさに聞きほれたんだ。
●イフリートさん
(らよ/小5)の作文より(ミルクティ先生/6.2週)(先生が話してくれた、おもしろい話を二つ書いて)普通、先生は、勉強を教えるだけだと思っていたけれど、和田先生が担任になって、それが違うことが分かって、いいたいけんになりました。<評>子供時代のしっぱいや、いたづらの話は、何度聞いてもおもしろいよね。おもしろい先生のことは、きっと記憶(きおく)にも深く残ると思うよ。作文の最後が、このまとめでピシッと決まったね。
●ミュウさん
(あおゆ/小6)の作文より(ももんが先生/6.3週)動物や植物が自然を壊されるというのは、人間でいうと家を壊されているのといっしょだ。【評:ピッタリのたとえですね。動植物にとって自然破壊とは、住んでいる家を壊されているのと同じようなもの。そして、私たち人間も、実は、彼らと同じ仲間だ(動物だ)ということも、忘れないようにしたいですね。自分で自分の家を壊す動物って、他にいるのかしら…?】
●ゆみっちさん
(あにわ/小6)の作文より(とこのん先生/6.3週)「フレ〜っフレ〜っ青組ソ〜レッ!!」校庭にひびいた。私の声はかれていた。でもひびいた。 評:声がかれるまで応援を続けている、そして声がかれてもまだひびくほどの声で応援し続けている、そんな力いっぱい声援を送る様子がとてもよく伝わってきます。
●ティディーカさん
(あみせ/小6)の作文より(洋子先生/6.2週)闘志は、表面に出さず,うちに秘めておくもの、これが私の美意識ですと作者が書いていたが、たしかに著者の言う通りで自分の感情をあからさまに人前にだしても何の意味もない。人に嫌われるだけだ。評:なかなかするどいところを指摘していましたね。「盲目的ないちづさ]は、こまるということですね。難しいことですがいつもこころに余裕を持って物事にあたりたいものですね!
●まなピーさん
(あやた/小6)の作文より(ふじのみや先生/6.3週)『ふく水ぼんに返らず』こんなことわざがある。一度こぼれた水は、もうもとにもどらないように、動物や自然も一度破壊されると二度とかえってこないのだ。 評:ことわざ→ことわざの意味→意見への当てはめと、流れよくまとめています。今度、ことわざを使う時は、この表現を思い出して書くといいね。
●晃章さん
(あらか/小6)の作文より(メグ先生/6.3週)これ以上地球環境を悪くしていったら、ぼくたち人間も本当に滅びてしまうかもしれません。評:今、私たち一人一人が地球環境を守るための努力をしていかないと、大変なことになるかもしれませんね。
■光る表現(中1−中3)
2000年7月2週号●GTO−Z2さん
(あとべ/中1)の作文より(森川林先生/6.1週)人間は、何かを知って進歩していくものであり、何も学ぼうとしなければ、何も進歩しない。評:そのとおりだね。あらためて一般化して考えてみたところがいい。
●達也さん
(あむか/中1)の作文より(みきこ先生/6.1週)未来をよくするためには、今をよくしなければいけない。(評):はっとさせられる言葉ですね。地球の発展も人間の成長も、まずは今できる一歩から始めなくてはいけないなあ、と思いました。
●スライムさん
(あめひ/中1)の作文より(メグ先生/6.2週)「百聞は一見にしかず」という言葉があるように、いくらたくさんのくわしい知識を持っていても、それを実際に見たりしなければ意味がないと言える。知識を得たら、それで終わりにしないで、それを生かしてさらに実物を見て、理解を深めるといいと思う。評:知識を得ただけで満足することなく、自分で確かめ、理解を深めることが大切だね。
●コナンさん
(あろあ/中1)の作文より(ミルクティ先生/6.1週)世の中には学べない人もいるから学べるだけしあわせだし、がんばるべきだ。ちなみに学べない人たちだが、世界には戦争や貧困のために勉強することのできない子供が一億三千万人いる。これは日本人全員集まってもたりない数だ。これだけ多くの子供たちが勉強できないのは、とてもかわいそうだ。こうみると、いつも勉強などいやだぁと思っていたけれど、この子供たちの分まで学んだり勉強(学習)できたらよいと思う。<評>データを通して自分が考えたことを、意見としてしっかり書けたね。(^o^)v
●潤之介さん
(かな/中1)の作文より(けいこ先生/7.1週)(テストの)結果自分の分からないことを知ることが出来てかなり学習能力が上がると思う。だから実は、バツの多い方が勉強になるのである。 評:テストの目的をしっかり理解できている。自分の弱点がわかれば、次の対策が立てやすい。「バツ」を逆転の発想からとらえたところがいいね。
●はるるさん
(くあ/中1)の作文より(みち先生/6.3週)題名—比喩という財産。それにしても、平安時代にあれほどつかわれた比喩なのに、どうしてこんなにもすくなくなってしまったのだろうか......。これから私達は、この伝統、効率の良さを持ち合わせている「比喩」を守っていかなけれがならないと思う。比喩は、一種の人間の財産なのだ。
●太一さん
(あうけ/中2)の作文より(ミルクティ先生/6.4週)人間の多くの行動は直感的に判断しそれを実行する、というようなものだと思う。もし、論理的に判断している場合でも、その論理的思考を始めるときは必ずふと思いついた発想から始まるはずである。要するに、人間の考えというのは、まず「思いつき」から始まって、そのまま実行する場合や、「思いつき」から始まり、「論理的思考」へ発展して物事を実行する、その2つの思考のやり方でほとんど人間は行動しているのだと思う。<評>初めに「思いつき(発想)」ありき…という考えを、自分の言葉でしっかり説明できているね。
●魔法使いさん
(あちほ/中2)の作文より(かつみ先生/6.3週)私が言う「幸せな未来」とは、自分の思想、科学の思想、それを両立させることである。 評:奥の深い表現だね。ぜひ、この両立した考えで様々名社会の問題を解決したり正しい方向に導いたりしていきたいね。
●夏海の歌さん
(あもう/中2)の作文より(ミルクティ先生/6.2週)(一つの物を長く使いつづけることの大切さについて書いた後)しかし、いつまでも同じ物を使用していると、人間にも飽きがくるのだ。(略)制服など決まった格好はあっても、ネクタイの模様を変えたり、リボンの色を変えてみたり…。ほんの小さなことでも何かが違うのだ。このように、人間には欲望があり、いつも、もっとよく、もっとよくと思っているのだと思う。あれが欲しい、これが欲しいという気持ちが、新しい物を作り出し社会や経済を支えているのかもしれない。<評>新しい物を生み出すことで社会は進歩してきた…という意見に、制服のちょっとしたアレンジという身近な例を取り上げたところが新鮮。
●青ちゃんさん
(ひえ/中2)の作文より(ふじのみや先生/6.3週)思いつきでも、それをためしてうまくいったのならそれでいいと思う。それでは、論理なんて必要ないではないか。ということになると、それは違う。発見したことがなぜそうなるかを考えたその答えは次の新しい応用のものを造りだすのに重要なことだ。 評:意見をたたみかけるように短くつなぎながら、最も主張したいことを導いたね。印象的です。
●幸子さん
(あさも/中3)の作文より(スピカ先生/6.3週)一番良いのは、常識はもちろんの事、専門を極めながらも、教養を深めていくことである。「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈してきた。しかし、大切なのは、解釈することでなく、変革することである。」という通り、専門家は研究のために研究を重ねているが、大切なのは研究することではなく、常識の範囲内で、研究したことをどう利用するかである。 評:名言をうまく使って、専門家による研究のための研究ではなく、社会のために広く利用できるものを、と訴えたところがすばらしい!
●武志さん
(あひは/中3)の作文より(みきこ先生/4週)時代小説は本によって善悪がいれかわり、いろいろな角度から昔の人をよく見られるのでおもしろい。評:善悪が見る角度によって違ってくるというこの事実、大切な考え方としていつまでも持ち続けてほしいと思います。
●友樹さん
(あわか/中3)の作文より(メグ先生/6.2週)国際化というと、妙に他国のことばかり気にする人がいるが、そもそも国際化とは、自国、他国関係なく付き合おうという意味だから、確かに他国のことを知るのはいい事であるが、他国のことばかり知っていて、自国のことは全く知らないというのでは、国際化は語れないと思う。評:その通り。これは、忘れてはならないことだね。
●たこ星人さん
(こむ/中3)の作文より(きょうこ先生/6.3週)「...、しかし彼は本に囲まれながら生活をしているのでそのことを知らない。これは一般的に象牙の塔といわれるらしい。」おぉぉぉ、長文と似たお話としてピッタリの題材。そしてこれまたピッタリのことわざだったね☆
●拓馬さん
(ねき/中3)の作文より(まさみ先生/6.3週)本当に一つだけでは、世間では決してまかり通らない。常識や教養といった、自由人として生きていけるだけのものが必要である。私は、広く広く、多くのものをものを見れる「千」門家になりたい。評:『千門家』という表現はすごい!!!一つのことを深く追求することも大切ですが、まずは『千門家』であるほうがいいですね。その中で、特に興味が出てきたものがあれば、『専門家』として研究を続けていけばいいですよね。<p>
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