Kotobanomori No.674

■言葉の森新聞 2000年8月1週号

文責 中根 克明(森川 林)<nane@mori7.com>

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  8.1週号と8.2週号は同時に送ります

   8/11(金)〜8/17(木)は休み宿題

 言葉の森新聞は、8.1週号と8.2週号を同時に送っています。

 8/11(金)から8/17(木)まで教室は休みで、この週の作文は自宅での宿題となります。

 先生の説明を聞いたほうが書きやすいという人は、言葉の森の休みの日以外で、平日午前10時〜午後8時、土曜午前10時〜午後5時の間に教室に電話をして説明を聞いてください。

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  「眼の休憩」のページ

   立体の文字が浮き出ます

 毎日パソコンに向かっていると、目が疲れます。

 そこで、目の休憩というページを作りました。

 これは、目の焦点を遠方に合わせると、文字が立体的に浮かびあがるというページです。http://www.mori7.com/me/rittai.html

 最近、読売新聞にそういうコーナーがあるそうで、おもしろそうなので、パソコンでできないかといろいろ調べてみたら、いくつかのソフトを組み合わせるとうまく作れることがわかりました。

 日曜日、朝から晩まで作っていたので、作っている私(森川林)はかえって目が疲れてしまいました。

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  「アクセス解析」スタート

   言葉の森へのリンク先を集計しています

 言葉の森のホームページは、これまでそれぞれのページのアクセス数だけを集計していましたが、この7月31日からリンク先の集計も始めることにしました。

http://www.mori7.com/sky/replist.cgi

 まだ始めたばかりですが、意外だったことが二つありました。

 ひとつは、Yahooから「作文」をキーワードにアクセスしている方が意外に多かったことです。

 もうひとつは、OSの分類で、Win98(62%)、Win95(28%)、Mac(7% )Win2000(1%)という結果が出たことです。教室のパソコンは全部Win95ですし、企業ではWin95がまだ主流ですから、個人で新しいパソコンを使ってアクセスしている人が多いということがわかります。

 新しいパソコンを入れている人が多いということは、使っているブラウザのバージョンからもわかります。MSIE 5(72%)、MSIE 4(18%)、Netscape 4(6%)、Netscape 3(1%)という結果が出ました。

 これらの結果を見ると、古くからインターネットを利用している人がバージョンアップをしたのではなく、新しくパソコンを購入した人がインターネットの利用者の大部分を占めているという事情があるのではないかと思われます。日本よりもずっと前からパソコンとインターネットが普及している米国では、まだウィンドウズ3.1を使っている人がかなりの割合でいるそうです。上の集計だけを見れば、いま日本でウィンドウズ3.1を使っている人はひとりもいません。(話は変わりますが、先日教室のパソコンが故障して、再インストールするとき、いったんWin3.1から入れ直したのですが、懐かしい画面でした。7年ほど前なのですが、青春時代の朝から晩までパソコンに向かって苦労していたときの記憶がよみがえりました。今もあまり変わっていないか…)

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  「詩的思索」のページ

   ふとした思いつきを短い文章で

 ふだん折りにふれて考えたことを詩のような短い文章の形で掲載することにしました。

 言葉の森新聞などに載せるにはまだまとまっていない独り言のようなものばかりです。

 こういう思いつきのようなことにこのページを使っていいのかという気もしましたが、あえて載せてしまいました。

 本当はみんなが参加できる詩作のページを掲示板のかたちで作ろうかとも思ったのですが、あまりあちこちに掲示板ができても書く人が混乱すると思い、当面は見るだけのページにしました。

 しかし、こういうかたちの詩作の掲示板を希望する人が多ければ、みんなが書き込めるかたちのものにしていきたいと思います。

   ■一般

  コンピュータリテラシーとは

   コンピュータを使う能力ではなく、どこにコンピュータが使えるかを見抜く能力

 コンピュータリテラシー(コンピュータを使いこなす技術)とかデジタルデバイド(コンピュータに関する技術格差)とかいう言葉を聞いても、それほど大きな問題はないような気がすると思います。

 確かに、ワープロを使ったりインターネットにアクセスしたりするだけなら、クリックの仕方やキーボードの打ち方に慣れるだけですから、それほど大きな差はありません。

 しかし、いったん何かの仕事をするためにコンピュータを使うことを考えると、どこにどういうソフトがあり、そのソフトをどう使えばその仕事が能率的に進むかということを判断する力が、大きな差になってきます。

 言葉の森のホームページは、毎週かなり頻繁に大量の情報を更新していますが、この作業のほとんどはアクセスというデータベースソフトのリンク機能とマクロ機能、ワードのマクロ機能、ロケットマウスという自動操作ソフトなどの助けを借りて能率化されています。この中のどれかひとつでも手作業でやろうとすればすぐに一時間や二時間がたってしまいしかも人間のすることですから必ずミスが出るというような作業です。

 ホームページに掲載する清書の画像の縮小作業も、数年前は手作業でやっていたので、スキャナで読み取ってからアップロードするまでに、日曜日のほぼ丸一日かかっていました。ところがある日、画像縮小の自動化ソフト(1000円ぐらい)を使えば簡単にできそうだとわかり、試してみたら、なんと十数秒の設定をすれば人間がするのはボタンを押すことだけ。あとは、パソコンがジー、チャリーン、コキーンと数時間延々と同じ作業をしてくれたのです。

 私(森川林)はまだ、コンピュータに関する知識や技術を体系的に学んだわけではなく、仕事の必要に迫られてなんとかやっつけ仕事でやっているだけですから、いまの作業の中では無駄な部分がまだかなりあると思っています。

 コンピュータリテラシーがあるということは、例えれば周りの多くの人が銅製の剣しか持っていない中で、ひとりだけ鉄製の剣を持っていることに相当すると思います。

 ところが、こういうことが好きで自分から進んで勉強する子供というのはやはり限られています。アクセスというデータベースソフトの使い方を基礎だけでも習得すれば将来さまざまな場面で役に立つはずなのですが、コンピュータの学習というのは、英語や数学などほかのあらゆる勉強と同じように、ある時期までは何の役に立つのかわからないまま面倒なだけの基礎知識を身につける期間が続きます。かといって社会に出て必要に迫られてから勉強するのでは、時間的に間に合いません。

 ですから、コンピュータリテラシーは、英語と数学の勉強に継ぐぐらいのウェイトで学校教育の中で無理矢理勉強させてしまう必要があると思います。しかし、社会的にそういう意思統一ができるのはまだ先の話になるでしょう。

 と考えると、家庭で、高校生のうちにワード、エクセル、アクセスをある程度自由に使えるように勉強できる環境を作ってあげる必要があるように思います。

   ■一般

  「勉強」がやがて日本の輸出産業に

   「ポケモン」に続く第二のヒットになるか

 英語はイギリスの最大の輸出産業だと言われています。ビートルズはかつて第二の輸出産業だと言われていました。

 アメリカはディズニーやハンバーガーやコカコーラという文化を世界中に輸出しました。

 日本はいま、ポケモンやアニメやゲームを輸出しています。鉄腕アトムが日本人のロボット観を形成したように、いま輸出されているポケモンは、世界の人々の日本人観を形成することに大きく貢献しています。従来の日本人観は眼鏡、カメラ、団体旅行というイメージでしたが、いま海外の子供たちの間ではポケモンを通してクールな日本人像が形成されているようです。

 このあと、日本の花形輸出産業になる可能性の高いものとして、私は「勉強」を考えています。その勉強とは、現在、塾でやっている受験勉強のようなものではありません。また、いま学校で行われている一斉授業の勉強でもありません。日本人が家庭の中で、折り紙をしたり、しりとりをしたり、カルタ取りをしたりする中で自然に行なってきた家庭教育の体系化されたものです。また、茶道、華道、剣道など、「道」の文化の中で培われてきた芸能教育のより意識的に体系化されたものです。また、いまは薄れてしまいましたが、かつて地域社会の中で子供どうしの遊びやまた大人に対するお手伝いとして行われてきた社会教育の体系化されたものです。

 もちろん、このような教育体系を持っている国は、世界中にあります。それぞれの民族はそれぞれ独自の優れた教育システムを社会の中に持っています。しかし、それらの教育の長所を集大成する仕事にいちばん近いところにいるのが日本ではないかと思います。

 世界における不幸の原因の多くは、無知と貧困です。日本が勉強を輸出産業にできるようになるころには、世界から無知による不幸が姿を消しつつあるでしょう。そのことはまた、教育によって人間の可能性が大きく広がる時代がやってくるということでもあると思います。

 

  ■光る表現(小1−小3) 2000年8月1週号

●ドラちゃんさん(あよう/小2)の作文より(けいこ先生/7.3週)

 ぼくは、火あそびは、しません。火じになるとこまるので、したくないのです。そして、まわりの人に、めいわくをかけることだってあるからです。 評:火あそびをして、火じをおこしてしまった話しのかんそう文。こんなふうに考えて「やめようよ。」という子がいたら、たいへんなことに、ならずにすんだのにね。

●まあちゃんさん(あよさ/小2)の作文より(ふじのみや先生/7.3週)

 いま おもうと ゲームをしているじかんが はやかったなとおもいました。ぼくは もっといっぱいあそびたいな とおもいました。 たくまくんも もっとあそびたいな と おもっているとおもいます。☆たのしい時間は、みじかく感じるものですね。

●カヤさん(ありそ/小2)の作文より(ももんが先生/7.2週)

 広しましみんじゅうじょうに、ちかづいたとき、楽しさがひろがりました。(中略)おにいちゃんと、まえのほうにいっておうえんしました。どうやっておうえんしたかというと、メガホンもって、手でバンバンたたきました。【評:とてもすてきな表現ですね。「わあ、やってきたぞ〜!」という、うれしいドキドキが聞こえてきそうです。おうえんのようすも、バッチリ!】

●ヤマユーさん(ありは/小2)の作文より(けいこ先生/7.1週)

 本を百ページくらいよんでもまだねむれないくらいつかれていて、もうだめだというぐらいつかれていました。 評:つかれすぎていると、ねたくてもねむれない……そういうことがあるよね。どうしてこんなにつかれていたのかな?

●瞳子さん(あとふ/小3)の作文より(ミルクティ先生/7.2週)

 「やった、またかった。」「あああ、また瞳子のかちか。まいったなぁ。」わたしが一番すきな遊びは、チェスです。(略)遊びは、子供の一番すきなじゅぎょうのようなものだと思います。<評>好きな遊びはチェス…かっこいいね! チェスの試合の場面から書き出したところも、くふうしているね。最後の文を「遊びは…」と、まとめたところは、大きなまとめ方ができて、すばらしいです。(^o^)v

●ピッチーさん(あねあ/小3)の作文より(けいこ先生/7.3週)

 さなぎになりました。もうチョウの勉強は終わったけどかんさつしていると、なんときれいなアゲハチョウになりました。ふだん見ているチョウより、ずっときれいな気がしました。それは、はじめからさいごまで、育てていたからだと思います。 評:「やだな〜気持ち悪い〜。」からはじまったチョウのたまごのかんさつ。いろいろなハプニングをのりこえて、アゲハチョウになるまで育てたんだね。気持ちのうつりかわりをていねいにまとめられたね。さなぎになりました。もうチョウの勉強は終わったけどかんさつしていると、なんときれいなアゲハチョウになりました。ふだん見ているチョウより、ずっときれいな気がしました。それは、はじめからさいごまで、育てていたからだと思います。 評:「やだな〜気持ち悪い〜。」からはじまったチョウのたまごのかんさつ。いろいろなハプニングをのりこえて、アゲハチョウになるまで育てたんだね。気持ちのうつりかわりをていねいにまとめられたね。

●ちび豆さん(あのわ/小3)の作文より(スピカ先生/7.2週)

 ペタクタと言うのはいたに、りぼんをまき上のいたからじゅんばんにぱたぱたとひっくりかえって絵がかわるやつです。だからおかあさんはなんど名前をおしえてもぱたぱたといいます。とうとうおかしくなってしまったのかと思いました。 評:ユーモアのある表現で、ペタクタのことをじょうずにせつめいしできたね。おかあさんとちび豆くんとのかんけいもよくわかる。ほほえましいです(^o^)

●ししさん(あふか/小3)の作文より(はるな先生/7.1週)

 泳げば、だんだんうまくなっていくような気がするから、およぐことが好きなんです。・・・・・プールは気持ちよくて海みたいです。ぼくはプールのことがあたまからはなれません。(講評);暑い夏は、やっぱり、プールが一番ですよね。むしあつい日に、元気よく水に入ったときは、最高だったことでしょう。たとえのかきあらわしかたで、そのときのうれしさが、よくわかりました。これから、思いっきりプールでたのしみまし

●諒さん(あろつ/小3)の作文より(森川林先生/7.3週)

 「でも、雪がとけたとき、フレイのやつが先に貯金を見つけなきゃいいけどな。」とリュドビクが言ったところが、一番いいなと思いました。どうしてかというと、ロベルトのしょんぼりした気分が直ったからです。評:中心を決めて、しかも理由をはっきり書いたところがよかったね。

●雄太さん(いあさ/小3)の作文より(かつみ先生/7.3週)

 これからは、だれかがミスをしたら声をかけてやろうと思います。僕がしてもらったように。   評:僕がしてもらったように・・・と終わり方がとてもいいよ。

●理良さん(いいそ/小3)の作文より(けいこ先生/7.3週)

 (早田くんの大声で、先に行っていた)三人が気付いてしまいました。ぼくは、「ギクッ」立花くんが「見、見つかった。」早田くんが、「まさかまさかの、そのまさか、んなはずないよ。」と言いました。ぼくと立花くんとこしょこしょ話で言いました。「あいつ気づいてないなー。うん。」 評:先に行っている三人のついせきが、早田くんの大声でばれてしまったシーン。会話を使って、とてもテンポよく、ひょうげんできた。三人のせいかくがそれぞれの言葉によく出ているね。

  ■光る表現(小4−小5) 2000年8月1週号

●さるきちさん(あある/小4)の作文より(ゆり先生/7.3週)

 ぼくは、みの助さんが、自分がやっていることは、悪いことだと、気づいてくれて、本当によかったと思います。もしかすると、神さまが、みの助さんに、そんなことをするなと、言ったのかもしれません。(評)まちがったことを考えてしまっても、”自分で”悪かったと気づいたからよかったんだよね。さるきちくんは、そう感じて、神さまの力かな? と考えたんだね。

●しょうたさん(あたの/小4)の作文より(きょうこ先生/7.3週)

  「火打というのも初めてしりました。昔のことをこうやってしらべていけば楽しいと思ったので、昔のことをしらべたいです。」 初めてしったことにたくさん感動したみたいだね。その感動の気持ちから、昔のことをしらべてみよう!と思うなんてとってもすてきだなことだね。 「火打というのも初めてしりました。昔のことをこうやってしらべていけば楽しいと思ったので、昔のことをしらべたいです。」 初めてしったことにたくさん感動したみたいだね。その感動の気持ちから、昔のことをしらべてみよう!と思うなんてとってもすてきだなことだね。

●チュッチュさん(あもこ/小4)の作文より(ふじのみや先生/7.3週)

 えさのうどんをつけて川にいれたら、つれるわかかるわ すごいりょうがつれた。みていた人がよってきてばしょをとった。……ここで一句 「 あつい日に  さおをだしても つれません」 ☆魚つりって、つれる時は一度にどっさりだけど(^○^)、つれない時は、ポツリと俳句がでてくるぐらい、ひまなもの(゜゜) 

●直人さん(あゆる/小4)の作文より(はるな先生/7.3週)

 ・・・・・どうしてかというと、まちがっていたということは、そのとき巳の助さんは、れいせいにかんがえていたとなので、そうだと思いました。(中略)ぼくが巳の助さんだったら、むりにでも火をつけて、けいさつにつかまり、死刑にされていると思います。けれども、巳の助さんは、自分のまちがいにきづいて、やめたところがりっぱだと思いました。あなたが、主人公の気持ちになって、いろいろ、考えをめぐらしながら、感想をのべたところが、たいへんよかったです。母屋に火をつけることを、思いとどまった巳の助さんの潔さ(いさぎよさ)には、読んでいて本当に、尊敬の念を抱きますよね。

●将也さん(あれう/小4)の作文より(さかな先生/7.3週)

 ・・・下の人に今日は、月食の日だよと、聞いたので僕はとてもおどろきました。僕の友達達も声を揃えて「ほんとーーー」と叫びました。★評:こういう天体ショーは、ついつい興奮してしてしまうね。そのニュースを聞いたおどろきが、よく表れています。

●茜さん(あろさ/小4)の作文より(ももんが先生/7.3週)

 家に入ろうとしたら、弟が、「まって、おねえちゃん。せみがうごいた。」と言うので、「えっ、ほんとう。さっきは、動いていなかったのに。」と言いながらせみを見ました。たしかに六本の足が上にいったり、下にいったり、よこにいったりしています。【評:せみの足の小さな動きも見のがさず、とてもよく観察して書けていますね。自然からのメッセージをこんな風に、どんどん受け取っていきましょう。】

●けろっぴさん(あちえ/小5)の作文より(ミルクティ先生/7.2週)

 ところで、日本の絵画の特質の「余白の美」であるが、これと同じように、相手に勝手に想ぞうさせる物には、「はい句」と「詩」などがあげられる。例えば、『小学生』という堀口大学が作った詩は、「先生、植物学はうそですね、樹木もやはり笑うもの、梅が一輪咲きました」というものだ。この詩は、「梅が一輪咲きました」とはどうしてでてくるのか。なぜ『小学生』という題名なのか。読者に勝手に想ぞうさせている。<評>説明しすぎないことで生み出される味わいや広がり、自由な発想について、「詩」を例に考えてみたんだね。堀口大学を知っているなんて、すごいなぁ。

●雅貴さん(あめす/小5)の作文より(ももんが先生/7.2週)

 もし、一年中秋だったらあきる(秋る)かな?【評:楽しいユーモア表現だね。秋が一番すきという雅貴くん。でも、毎日が秋だったら…、あきちゃうよね。漢字をかっこでくくって付け足したところがよかったね。】

●一輝さん(あもあ/小5)の作文より(ももんが先生/7.1週)

 今から十八年前にあみは、うまれました。ぼくが生まれる前からあみは、いたので、ぼくとあみは、いっつもいっしょでした。ようち園の時の七月七日、今日、ぼくとあみは、いっしょに写真をとりました。その時の写真は、今でもあります。【評:犬のあみと、一輝くんがいつもいっしょに過ごしてきたことがよくわかる文章ですね。「生まれる前からいた」ことや「幼稚園の時の写真」の話を使って、ずっと仲良しだったことを上手に伝えられました。】

●れいさん(あよも/小5)の作文より(けいこ先生/7.3週)

 高校生はどうでしょう。(食べ物や飲み物は)ほとんど大人と同じだと思います。ルールいはんをして高校生でお酒を飲んでいる人もいるかもしれません。それで高校生は、ほとんど大人と同じことが分かりました。 評:虫と比較して、人間の食の変化について考えてみたんだね。小学生はビールを苦くてまずいと思うけれど、高校生くらいになるとほぼ大人と同じ味覚になることの発見。「ルールいはん」がおもしろい。高校生はどうでしょう。(食べ物や飲み物は)ほとんど大人と同じだと思います。ルールいはんをして高校生でお酒を飲んでいる人もいるかもしれません。それで高校生は、ほとんど大人と同じことが分かりました。 評:虫と比較して、人間の食の変化について考えてみたんだね。小学生はビールを苦くてまずいと思うけれど、高校生くらいになるとほぼ大人と同じ味覚になることの発見。「ルールいはん」がおもしろい。

  ■光る表現(小6−中1) 2000年8月1週号

●知尋さん(あえな/小6)の作文より(みち先生/7.1週)

 新校舎が建ったので市長さんもいらっしゃいました。前の校長先生やとなりの小学校の校長先生もいらっしゃいました。評:敬語を使った表現が美しいですね。

●ミュウさん(あおゆ/小6)の作文より(ももんが先生/7.3週)

 (前略…)その(すずしい)部屋を出た瞬間「もわぁ、もわわわぁん」としてせなかがかゆくなる。私の部屋に近づくにつれ、だれかが背中をチクチクさすようにかゆくなってくる。私の部屋にはいると、「もわもわん星人」がさらにまいおりてくる。そのうえ、荷物やらなんやらで部屋がせまくなり、もわもわんたちは扇風機なんかではふきとばないというかんじだ。「あぁ。もわもわん達がみえるきがする。」と独り言をいってみたりして。【評:すずしい部屋から、クーラーのない部屋へうつると、じわじわっと暑さがつたわってくるよね。「だれかが背中をチクチクさすようにかゆくなる」や「もわもわん星人」というユーモアあふれる、自分らしいたとえの表現がとてもいいね!】

●なりあきさん(あそき/小6)の作文より(森川林先生/7.3週)

 ほかにも、学校から帰った後、いつもランドセルをろう下やソファーの上に置くので、いつも邪魔になる。これは、たぶん父の遺伝子が伝えたのだろう。評:お父さん、苦笑いでしょう。

●SIGNALさん(あつえ/小6)の作文より(かつみ先生/7.2週)

 確かに味などは変わらないが、一つだけ足りないところがある。   評:一つだけ足りないところ・・・この表現がとても生きています。ちなみにその一つは「達成感」。良い意見ですね。確かに味などは変わらないが、一つだけ足りないところがある。   評:一つだけ足りないところ・・・この表現がとても生きています。ちなみにその一つは「達成感」。良い意見ですね。

●佐保さん(あるま/小6)の作文より(ふじのみや先生/7.3週)

 そして、先生は、それをしっかり見破ったのです。いや、こういう場合、「聞き破る」とでもいうのでしょうか…? …「ちゃんと練習して来ないのなら、先生も見ないよ!!」そう言われてから、私は、しっかりと練習しないと、と思うようになりました。それでも、時々練習せずにいる、悪い私です…。 評:もしかすると、さくらももこさんが書いたのかな!? 思わずニヤリとさせられる表現です。

●ナッキーさん(あうく/中1)の作文より(さかな先生/7.3週)

 「時代がどんどん変わり、親と子の経験が異なってもそれにまどわされてはいけない。ときには”温故知新”のように昔の知恵が役立つときがたくさんでてくる。しかし、私は”脱皮できない蛇は滅びる”のように、古くなった皮を脱ぎ捨てる勇気も必要だと思う。親も子も新しい関係を持って幸せに暮らしていくべきだ。」★評:不幸なニュースを目にすることが多い昨今だけれども、親にも子にも、自信や希望を与えてくれる意見がしっかり書けたね。

●たば星人さん(あころ/中1)の作文より(はるな先生/7.3週)

 5月頃買ったパソコンが、7月の終わりに発売された今のパソコンよりおくれているぐらい。世の中が急に進んでいるからだということ。二つ目の理由は、このごろの新聞には親子で殺す記事がたくさんでているからだ。それは、親子の間に、落差がある証拠だと思う。ぼくの意見は、時代が変わり進歩するのは、当たり前のことで、それはしょうがないことだから、その落差をなくすことだと思う。それをするには、親子の間でコミュニケーションをとって、時代についていくしかないと思った。(講評);筆者の考えに、「賛成」の意を示すために、パソコンの進歩の激しさや、最近の親子関係にまつわる悲惨なニュースなど、二つの理由をのべながら、自分の考えをかきあらわしたところが、実によかったです。

●しおりさん(あそと/中1)の作文より(ふじのみや先生/7.3週)

 相手とどの位解り合えるかによって、親子の関係は変わってくるのである。確かに相手をきちんと解るには、いろいろな努力が必要になり、きつい事かもしれない。だが、後で良い関係になれる事を考えれば、たやすいものではないだろうか。一生付き合っていく、変えられない運命なのだから、どうせなら良い方がよいではないか。評:難しいものだと最初からあきらめるのではなく、希望を持って力強く訴えかけています。相手とどの位解り合えるかによって、親子の関係は変わってくるのである。確かに相手をきちんと解るには、いろいろな努力が必要になり、きつい事かもしれない。だが、後で良い関係になれる事を考えれば、たやすいものではないだろうか。一生付き合っていく、変えられない運命なのだから、どうせなら良い方がよいではないか。評:難しいものだと最初からあきらめるのではなく、希望を持って力強く訴えかけています。

  ■光る表現(中2以上) 2000年8月1週号

●アリーさん(あえゆ/中2)の作文より(ミルクティ先生/7.1週)

 手助けはよいか、それとも悪いか、これははっきり決められる問題ではないと思う。それは、手助けされた本人が、手助けをされてよかった、と思うか、手助けをされない方がよかった、と思うかによってちがってくると思うからだ。しかし、一ついえる事は、自分の思い込みで手助けをしてはいけない、という事だ。<評>相手のためになるかどうか考えること…自己満足で手助けしないためには大事な視点だね。総合化の主題の形でうまく書けましたね。

●イフリートさん(てる/中2)の作文より(スピカ先生/7.1週)

 「おいおい、そんな場所もクリアできないの、飯野。たのむよ」と、僕ができないのをうれしそうに野次を飛ばす谷川君。なにかとうるさい奴だけど根はいい奴だ。テレビゲームがとても得意で、いつもまわりのみんなに新しい情報を流して喜んでいる。 評:「手助けは良いことか?」という作文の書き出し。会話の書き出しで、手助けの名手「谷川君」を上手に紹介している。表現もユーモラスで友情を感じるよ。「おいおい、そんな場所もクリアできないの、飯野。たのむよ」と、僕ができないのをうれしそうに野次を飛ばす谷川君。なにかとうるさい奴だけど根はいい奴だ。テレビゲームがとても得意で、いつもまわりのみんなに新しい情報を流して喜んでいる。 評:「手助けは良いことか?」という作文の書き出し。会話の書き出しで、手助けの名手「谷川君」を上手に紹介している。表現もユーモラスで友情を感じるよ。

●TERUさん(ふり/中2)の作文より(メグ先生/7.3週)

 私の考えでは、一番大切なのは、手助けをするにも相手の気持ちをよく考えてから行うべきだと思う。あまり考えずに手助けをしてしまえば、自分では親切のつもりでやったことが、反対に相手にとっては、余計なお世話だと思われてしまう。評:まさにその通り。手助けすることだけが優しさではないよね。 私の考えでは、一番大切なのは、手助けをするにも相手の気持ちをよく考えてから行うべきだと思う。あまり考えずに手助けをしてしまえば、自分では親切のつもりでやったことが、反対に相手にとっては、余計なお世話だと思われてしまう。評:まさにその通り。手助けすることだけが優しさではないよね。

●拓馬さん(ねき/中3)の作文より(まさみ先生/7.3週)

 「過ぎたるは及ばざるがごとし」どころか、「過ぎたるは及ばざるより悪し」だ。評:うまい表現です。今の社会は確かにそうかもしれませんね。無くても生活できるものがありすぎて、地球破壊につながっているというものは多いですね。

●MAIさん(いお/高3)の作文より(きょうこ先生/7.2週)

  「どちらかに片寄った考え方は、栄養が片寄ると体が成長しないのと同じで、人間を成長させることはないのだと思う。どちらにも欠点はあるのだから、その欠点をお互いのいい面で埋めていき、片寄りのない人間を社会へ送り出していくような教育方針を作り上げてほしい。」点数化のいきすぎと点数化を避けることのいきすぎについて、すごく説得力ある指摘と提案ができたね☆ これ以上ない!というくらいすばらしいたとえだね\(^▽^)/ 「どちらかに片寄った考え方は、栄養が片寄ると体が成長しないのと同じで、人間を成長させることはないのだと思う。どちらにも欠点はあるのだから、その欠点をお互いのいい面で埋めていき、片寄りのない人間を社会へ送り出していくような教育方針を作り上げてほしい。」点数化のいきすぎと点数化を避けることのいきすぎについて、すごく説得力ある指摘と提案ができたね☆ これ以上ない!というくらいすばらしいたとえだね\(^▽^)/

●jfkさん(ひの/高3)の作文より(ミルクティ先生/7.1週)

 『流行と古典』オックスフォード大学の文学科で必修だったシェークスピアの講義がなくなったとニュースで報道していた。またロシア文学は最近日本ではあまり読まれなくなったと聞いた。古典離れが進んでいるということだけれど、古典は長い間生き残ってきた価値のあるものだから機会があれば触れてみる方がいいのだと思う。長続きするものばかりがいいわけではないという考えもあるかもしれないけれど、古典も大事である。古典や古典をふまえた新しいものがあることで他のものもひき立つのだと思う。<評>古典離れの実例が、なるほど、という例でうまい。印象に残る作品でした。

 

 

 

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