KotobanomoriNo.685

言葉の森新聞2000年10月4週号

文責 中根克明(森川林)

   10.4週は清書。10/30(月)10/31(火)は休み。

 10.4週は清書です。10/30と10/31は予定表にあるとおり教室は休みです。

  言葉の森はどんな教室を目指しているのか

 言葉の森の目標は、作文を通して子供たちの個性・知性・感性を育てることです。

 これを個々の子供たちに対する教育活動として行なうとともに、日本に作文文化を広げるという文化運動としても行なっていきたいと思っています。

 また、もうひとつ、これに加えて作文を通して子供たちに出会い・触れ合い・向上・創造の場を作っていきたいと考えています。

   ひとりではできない作文の勉強

 これらの目標の出発点にあるのは、自分自身の体験です。

 私(森川林)が20代のころ、作文の勉強を自分でしているときに「自分の文章を評価してくれる人がいたらいいなあ」と心から思ったことがあります。それまで勉強というものは独学でやるものと思っていましたが、そのとき自分の作文の評価は自分ではできないことを痛感しました。これが作文教室をスタートするひとつのきっかけになりました。

   作文と読書の楽しさを多くの人に

 もうひとつは、私は昔から考えたり書いたりすることが好きで、暇なときはよくノートに文章を書いていました。大半はどうでもいい内容のものでしたが、時に自分でも驚くようないい考えが浮かぶことがありました。そういう日は一日中幸福でした。よく詩を書いたり音楽を作ったりする人が、いい詩や音楽ができるときにインスピレーションを感じることがあると言いますが、ちょうどそのような感じです。こういう楽しさをみんなにも味わってほしいという思いが作文教室をスタートするもうひとつのきっかけでした。

 これに関連して読書の楽しさを知ってほしいということもあります。小学生のころの読書の環境は今の日本では充実していますし、良書を薦めてもらう機会も豊富です。しかし、中学生以降特に高校生大学生をめぐる読書の環境は今も昔もきわめて貧困であるように思います。青年時代に読む本は何よりも古典(古今の名著という意味です)でなければならないと思いますが、多くの高校生大学生は流行の本やハウツー書で読書時間の大半を費やしているように思います。教科書に載っている書名と著者名は結びつけることができても、実際にその本を読んだことがないという人がきわめて多いのです。そして、そういう古典は、頭脳が柔軟で勉強に専念する時間のある青年時代にしか読めません。読む本の質に応じて書く内容の質も変わるという意味で、良書を読む楽しさは作文を書く楽しさとセットになっていると考えることができます。

   自由で創造的なディスカッションの場を

 作文教室の第三のきっかけは、ディスカッションのおもしろさです。討論会などで意見を交わすと頭が活性化してきます。体がくたびれているときでも、頭を使っていると自然に全身に元気が出てきます。しかも話がはずむと、討論の中でお互いが単独で考えている以上の新しい考えが生まれてくることがあります。ところが社会人になると、なかなかそういうディスカッションの機会が得られなくなりました。岩波新書に「人間にとって科学とは何か」という湯川秀樹氏と梅棹忠夫氏の対談があります。一方は理系他方は文系の両者が、科学と人間について縦横に論じる対談は、対談とは思えないほどきわめて密度の高いものでした。社会人になっても、こういう自由な対話のできる場があったらいいと思ったのが、作文教室のもうひとつのきっかけでした。

 以上、いずれも小さなきっかけですが、私の心の中には、作文は一人ではできない、そして作文や対話や読書は時に寝食を忘れるほど楽しい(笑)という深い確信がありました。

 言葉の森には多くの先生がいますが、いずれもこの作文の楽しさという理念に共鳴して参加しています。また生徒の保護者の多くも、こういう言葉の森の雰囲気に共感して参加してくださっていると思います。

   毎日新しい思索の花を咲かせるような生活を

 こういうきっかけで始まった作文教室も15年を迎えました。そこで、今回は、言葉の森の理念に立ち戻って、私たちがどういう教室をイメージしているかということを説明したいと思います。

 子供たちの個性・知性・感性を育てる教育活動としてのイメージは次のようなものです。子供たちが成長して、作文を書いたり読書をしたり対話をしたりすることが好きになってほしいというのがまず最初の目標です。次に、毎日新しいことを考えつくような創造的な人生を送ってほしいということです。実は、多忙な日常に追われていると、新しいことを考え出すというのはなかなか大変です。日常生活のほとんどは次から次へと起こるルーティンワークに忙殺されて過ぎてしまいがちです。そういう多忙さに流されず、毎日新しい花を咲かせるような生活を送ってほしいというのが教育活動としての作文教室のイメージです。「花いっぱい運動」というものが昔ありましたが、言葉の森で学んだ子供たちが毎日の生活の中で日々新しい思索の花を咲かせるような生き方をしてほしいというのが私たちの願いです。

   科学と民主主義の時代にふさわしい言葉を

 作文の文化運動というイメージは次のようなものです。日本は言葉の文化の伝統のある国です。古くは万葉集に見られるように、庶民の文化の中に言葉による創造を楽しむという風土がありました。しかし今、日本の言葉の文化は衰退しつつあるように思います。その原因のひとつは、日本の文化が持っていた俳句や短歌という形式が、今日の科学と民主主義の時代に十分に対応していないからです。短歌や俳句に見られる日本の言葉の文化は、自然や心情を描写することには優れていましたが、社会や科学の分野を論じることには向いていませんでした。そのため、日本では「思想」というと難解で生硬なものというイメージを持たれがちです。万葉集に匹敵するような庶民的でしかもみずみずしい思想の言葉の文化を育てること、それが作文の文化運動としてのイメージです。深い思索と美しい言葉を結びつけることが、これからの日本語には求められていると私は考えています。

   作文を通して出会いと触れ合いの場を作る

 出会い・触れ合い・向上・創造の場とは、次のようなイメージです。言葉の森では今小学1年生から大学生・社会人までの生徒が参加していますが、学年が上がるにつれて子供たちの考えは個性的になっていきます。これは毎週文章を書く練習をしているのですから、ある意味で当然のことと言えるかもしれません。こういう個性にあふれる生徒どうしが交流できたら楽しいはずだというのが出会い・触れ合いという意味です。ふだんの生活では、作文の課題にあるような真面目なテーマで自分の考えを述べるという機会はあまりありません。そういう知的な交流を、子供時代からの長い付き合いという信頼関係の上で交わすことができれば、それは自己の向上と創造に大きく役立つものになると思います。人間の楽しみの多くは、出会いと触れ合いの楽しさに関連しています。しかし、出会いと触れ合い自体が目的となる楽しみはあまり根の深いものではありません。互いの向上と創造が目的でその副産物として出会いと触れ合いがあれば、それはその人の生活を豊かなものにすると思います。

 子供たちが社会人になってから、インターネットで次のような会話が交わせれば楽しいだろうと私は考えています。以下、空想物語。「この前、新聞でこういう記事があって僕はこう思ったんだけどAさんはどう思う?」「私は今アメリカにいるから日本のことはよくわからないんだけど、そう言えばBちゃんは、小学3年生のとき、○○っていう作文を書いていたもんね」「いやあ、恥ずかしいなあ。その作文はまだhttp://www.○○/○○.htmlにあるよ。あの作文、今度ちょっと書き直しておこう」「いや、あのままでいいんじゃない」こういう感じです。(笑)

   まだ弱い作文の勉強の動機づけ

 言葉の森の現状はまだそこまでは行っていません。

 その大きな原因の一つは、作文の評価と目標がまだ充分に徹底できていないことにあります。

 子供たちは小学校低中学年のころは無邪気に楽しく作文を書いています。小学校高学年になると作文の課題は難しくなりますが、ほとんどの生徒はその難しさを楽しむ感覚で勉強するようになります。中学生の時期は学校での勉強と作文の勉強の関係が薄くなるために中だるみ状態になる生徒が増えます。高校生になると、作文を書くということ自体に知的な楽しみを感じられるようになります。

 しかし、そのいずれの期間にわたっても、作文を熱心に勉強するための動機づけがまだ弱いのが現状です。何も言わなくても熱心に勉強する子というのは、ごく一部です。大半の生徒は親や先生が絶えずほめたり叱ったりする中で、かろうじて熱心に勉強しています。自習などでも、先生がじっくり自習の大切さを話せば次の週は長文を5回ぐらい読んで準備して教室に来ます。しかし、それでほめられて、やはり自習をちゃんとしてきた日はいい作文が書けるとわかっても、次の週にはすぐまたもとの何も準備しない状態に戻ってしまいます。

 こういう状態を根本的に改善するためには、作文の目標と評価をもっとわかりやすく明確にする必要があります。

 今年はインターネットを利用することによって、友達の作文を見たりマンガのヒントを見たり音声のヒントを聴いたりすることができるようになったので、作文の書きやすさに関してはかなり改善されました。インターネットに自由に接続できない家庭はまだ多いと思いますが、定額接続のフレッツアイや定額接続でかつ高速のケーブルやADSLの急速な普及状況を見ると、この数年でほとんどの家庭が電話料を気にせずにインターネットを利用できるようになると思います。まだパソコンの設定が初心者にはやや難しいという壁がありますが、これもたぶんここ1、2年のうちにテレビ並みの簡単さとPHS並みの低価格を併せ持ったインターネット端末が開発されて、パソコンは難しいという話は過去のものになると思います。したがって、インターネットの利用による勉強のしやすさは、今後さらに広がっていくと思います。

   作文の勉強の目標を明確に

 しかし、これからの重点は、作文の勉強をもっと目標と進歩の明確なものにしていくことです。

 作文の勉強というものは、気楽にやろうとすればどこまでも気楽にやれるところがあります。これが、英数国などの教科の勉強と違うところです。教科の勉強は、到達の目標がはっきりしているので、勉強したかしないかが点数としてはっきり表われます。

 しかし、教科の勉強は今の受験体制のもとでは、どれだけ知識を蓄積したかが問われる言わば受け身の勉強になりがちです。こういう勉強に知的向上心を感じられるようになるには、長期間の忍耐が必要です。勉強が面白く感じられるようになるには、この蓄積の上に更に自分の創造性を付け加えることができるようになってからですが、そういう段階にまで達するのは主に研究職を専門の仕事とする人に限られると思います。多くの人にとって、勉強とは受験のために仕方なくやるものに留まります。

 作文の勉強は、目標と進歩がはっきりしたかたちで行われればそれ自体が創造性のあるものですから、勉強すること自体が面白くなる可能性を秘めています。そういう意味で、作文は本物の勉強にきわめて近い位置にあると考えられます。

 ゲームの面白さは子供のうちだけのものです。社会人になってからまでゲームに熱中する人はいません。勉強の面白さは長い蓄積とその蓄積の生かせる仕事に就くという幸運に恵まれた人に限られると思います。作文は、子供時代から楽しむことができ、また大人になってからもその勉強を発展させる場があればずっと熱中していけるものになる可能性があります。

 しかし、そのためには、作文の勉強の途中で目標と進歩が目に見えるかたちで示される必要があります。作文の勉強をする中で勉強の進歩に対応したさまざまなイベントが用意されることがこれから必要になってくると思います。

 言葉の森に参加する子供たちが、それぞれの個性の花をいっぱいに咲かせ、その勉強の過程で出会いと触れ合いと向上と創造を感じられるような場を作っていくことがこれからの言葉の森の目指すものです。

 

  光る表現(小1−小3) 2000年10月4週号

●しょうさん(あゆの/小1)の作文より(メグ先生/10.2週)

  四きゅうのれんしゅうは、足をてつぼうにかけてとんでいくようにおります。まるでとりのようです。評:たとえがうまくつかえたね。つばさのない人間にとっては、むずかしいわざですね。こんなにむずかしいわざをれんしゅうしているなんて、すごいなあ。

●樹里杏さん(あろも/小1)の作文より(メグ先生/10.1週)

 バッタの色は、みどりでおなかのところの色は、きみどりです。バッタはまるでにんぎょうのようにじっとしていてうごきません。

●ドラちゃんさん(あよう/小2)の作文より(けいこ先生/10.2週)

 (ロッテたい近てつせんを、大阪ドームで見ていて)「パパどっちおうえんするんか教えて。」と聞くと「こっちにホームランとばしてくれるほうや。」と言いました。 評:しあいをもり上げてくれる方をおうえんする、というお父さんの考え方がおもしろいね。今回はパリーグだけど、セリーグだったらやっぱり阪神かな?

●カヤさん(ありそ/小2)の作文より(ももんが先生/10.1週)

 きょうは、大じしんがおこりました。とてもひどかったです。そのときは、学校にいました。学校にまですごいのがきたので、びっくりしました。すごく、よこにふれました。しゃしんも、大きくゆれました。【評:この前のじしん、びっくりでしたね。けがをしなくて、よかったよかった。カヤくんのおどろきが、文しょうからとてもよくつたわってきます。また、そんな大きなじしんがきたのに、おちついてまわりのようすを見ることができたのは、えらい!】

●カヤさん(ありそ/小2)の作文より(ももんが先生/10.2週)

 ふあんだけど、ともだちがいるので、ふあんではありません。【評:新しくサッカーに入ることになったカヤくん。わたしたちは、新しいことをはじめる時(それがとてもたのしみにしていることであっても、)やっぱりちょっと不安になります。でもそこに、しっている友だちがいたら、とても心強い。そんな気持ちをうまく書けましたね。】

●真章さん(ありる/小2)の作文より(メグ先生/10.2週)

  家町くんは、ジェットき、ぼくは、じてん車にのっているようにはしりました。評:二人のはしりかたを、それぞれ、」のりものにたとえたところがうまいね。

●稔さん(あわき/小2)の作文より(ももんが先生/10.1週)

 ぼくは、うんどう会は、おきゃくさんにみてもらうことと、みんなが元気になってほしいからあるのだとおもいます。かみさまは、どうおもいますか。【評:「なぜかな〜?」と自分でよーく考えてから、かみさまにしつもんできましたね。こんなふうに「なぜ」をたくさん考えていくと、新しいはっけんができそうです。】

●あっぴぃさん(あなあ/小3)の作文より(ミルクティ先生/10.2週)

 『ドキドキしたピアノの発表会』次だ。と思った時、二曲あるうちのさいしょにひく曲がとつぜん思いだせなくって何をひいたらいいのか、いっしゅんわからなくなってしまいました。その時のわたしは、まるでお人形のようにかたまってしまい頭の中がまっ白になってしまいました。<評>いつもは何でもなくできていることが、本番になるときんちょうしてわすれてしまうことって、あるよね。「まるで〜のよう」のたとえが、とてもじょうずですよ。そのときのあっぴぃさんのようすをよく表せています。(=^^=)

●くくりさん(あひた/小3)の作文より(ふじのみや先生/10.2週)

 (お母さんは)「きんちょうして、ドキドキするのは、とてもよいことです。」と、次のように言っています。「このドキドキは、何かこれからやることをせいこうさせたい、とか、うまくやろうという前向きな気もちがあるというしょうこだからね。」☆100倍の勇気が出るお薬のような言葉ですね。

●秀雄さん(あろう/小3)の作文より(ももんが先生/10.1週)

 かまぼこの作り方は、まずいわしを身だけにします。次にほうちょうのとがったところでたたきます。その次に、すりばちでこすります。こすっているときに、にんじんやとうもろこしや、さとうにしお、さけにかたくりこをまぜます。次に形をととのえ。サランラップでつつみました。最後にむしきで三十分間むしました。【評:一つ一つじゅんばんに作り方がせつめいできましたね。「まず」や「次に」のことばの使いかたも上手です。お料理の先生みたいだよ(^o^)。】

●綾花さん(いあお/小3)の作文より(とこのん先生/10.1週)

 体育の時間にはつづけて(かたひざかけ回りが)10回できました。先生は、目がまわりそうだったといってくれました。自分でも、なにがなんだかわからなくなってしまいました。とってもうれしかったです。  評:先生に誉めていただいた言葉から、とても上手に回れたようすがよく伝わってきます。また、夢中で何度も鉄棒で回った様子や、先生に誉められたことと上手に回れたことがうれしくてたまらない気持ちもよく表れています。

 

  光る表現(小4) 2000年10月4週号

●しょうたさん(あたの/小4)の作文より(きょうこ先生/10.2週)

 『「どきどきするな。」と、運動会の日の朝にどきどきしました。それはリレーの選手に選ばれて、失敗しないか心配だからです。それに練習では、3番目に走るはずだったけど、最初に走るように順番が変わってしまいました。スタートダッシュがうまくできるか、すごく心配だからです。』これらのことたちが、捷太くんのことをドキドキさせていたんだね☆ あの時はものすごくドキドキしたけれど、それはどうして?と考えて書けたところがとてもじょうずだね!

●えりさん(あなふ/小4)の作文より(ももんが先生/10.1週)

 「あっ、いいもん見っけ。」「なになに?」 私が見つけたのは、ドングリです。(そういえば、ちょっと、こうようしてきたのよね。そうじの時、ヒラヒラーッとおちてきて…)「ドングリよ。まだ、小さくって青いけど、かわいいわね。」(…中略…)そうです、もう秋なのです。ドングリは、青いけど、私は秋のけはいがします。【評:えりちゃんが身体全体で、秋の気配を感じ取っているのがよくわかります。かぎかっこの使いかたも楽しいね。(^o^)】

●チュムさん(あもこ/小4)の作文より(ふじのみや先生/10.2週)

 いよいよぼくの番です。ひぐち先生が「よーい」と言いました。ぼくはかまえました。「バーン」と、かやくでっぽうの音がしたしゅんかん、走り出しました。 ゴールが目の前に来ました。ぼくは、全力でつっこみました。となりの人とほとんど同時でした。五位か六位かわからないまま、競技はおわってしまいました。でも、順位はもうどうでもよくなっていました。一生けんめい走ったので、とても気持ちがよかったです。(評)力いっぱい走りきったんだね。「やったぁ!」という気持ちをスピード感たっぷりに書き表しています。

●直人さん(あゆる/小4)の作文より(はるな先生/10.2週)

 こんどの坂も最初は楽でしたけれど、少しのぼったら、こんどはさっきの坂よりも急です。まるで、80度のさかをのぼっているような感じです。つかもうとする木もたおれていたりして、ひっぱったらすぐぬけてしまいそうな木ばかりなのです。 (講評);2つの急な山道を通って、困難に直面しながら、進んでいった様子を、とてもくわしくかきあらわせました。急な坂道を必死でのぼっていく姿が目に浮かびます。二つ目の坂のきつさを、たとえをつかってたいへんじょうずに表現できましたね。

●RAZORさん(あると/小4)の作文より(けいこ先生/10.2週)

 「だってリレーの選手二人もいるんだよ。」「まじっすか?」と(友達が)聞き返しました。そうなのです。ぼくはリレーの選手とあたってしまったのです。 評:運動会の短きょり走の話し。同じグループに速い選手がいることに気づいて、ドキドキしてきたんだね。意識すると、余計ドキドキしてくるのが不思議だね。

●茜さん(あろさ/小4)の作文より(ももんが先生/10.1週)

 「アッハッハッハッハ。」という笑い声がいっせいに聞こえてきました。もちろん私も笑いました。そのわけは先生が、「うつつ川川(うつつがわがわ)」と言ったからです。「うつつ川のまちがいだよね。」とわたしは思いました。だけど、ほんとうにうつつ川川という名前の川でした。わたしは「おもしろい名前だなあ」と思いました。【評:作文の書き出し、教室のみんなが大笑いした場面から始められましたね。そんな楽しい場面を書く中で、みんなのようすや茜ちゃんの思ったこともよく表現できています。「うつつ川川(うつつがわがわ!)」には、ももんが先生も大わらいです(^o^)。】

●將さん(いうや/小4)の作文より(ふじのみや先生/10.2週)

 その中でも一番興味しんしんになったのが かん速ろ過方式の ろか池です。まるで海のように下に、小石やすななどをしいてあって、おもしろそうだったからです。評:海の底のような施設に、「興味しんしん」の目を向けていたみんなの様子が静かに伝わってきます。

●瑞希さん(いおは/小4)の作文より(ポプリ先生/10.3週)

  起きると鶴巻さんが私のふとんをせんりょうしに来ていたので鶴巻さんのふとんに移るとまた転がって来たので菅原さんの方にいきました。(中略)・・・ところで鶴巻さんはどうなったかというと、、、、、、今度は菅原さんのほうまで来ていたのでした。まるで私に発信機がついてるのか?????と思いました。評:発信機という部分が、とても印象的です。光っていますよ。

●穂香さん(すよ/小4)の作文より(きょうこ先生/10.3週)

 「まるで自然は、なんでもこなせる機械のよう!」おぉぉ、すごいたとえだね! これこそお米の話を読んで、自然のすごさを実感したほのかちゃんの感想だね。自然も「へへん、そのとおりだい。」と得意げなポーズをしていそうだね☆

●デジモンさん(てつ/小4)の作文より(ふじのみや先生/9.1週)

 そして「中川様。」と、よばれました。ぼくは、いすにすわり、おなかがペコペコなので、はやくこないかなぁと、うずうずしているところでした。もうちょっとして、「おまたせしました。」と、やき肉とビールとキャベツとお茶がきました。ぼくは、だれよりも先に肉をやいて、だれよりもはやくタレをつけて、だれよりもはやくたべました。おなかペコペコの中で、はじめの一まいは、とてもおいしいです。 評:読んでいると、焼き肉のいい匂いがして、おなかがすいてきた!

●キティさん(とあ/小4)の作文より(かつみ先生/10.1週)

 おばあちゃんも竹ぼうきをもって、ザッザッとはいています。  評:竹ぼうきという言葉と、ザッザッと言う言葉がとてもいいですよ。秋らしくていいね。

 

  光る表現(小5−小6) 2000年10月4週号

●紗由美さん(ああも/小5)の作文より(ふじのみや先生/10.2週)

 (友達にさそわれて)わたしは、ねむたいのにむりやりおこされて活動するハムスターのような感じでした。評:気持ちが乗らないようすを、人気のペット、ハムスターのしぐさにたとえたね。

●ザッカルさん(あおぬ/小5)の作文より(きょうこ先生/10.3週)

 「僕は、小さいころだったので、手作りの良さも知らず、ついもんくを言ってしまった。「えーやだー手作りのバックよりかおみせのバックがいい。」とついつい言ってしまった。僕は、思った、(本当は、手作りのほうがよかったりして)と。」 「ついつい」という言葉に、耕平くんの「実は手作りの良さをわかってるんだぞ、だけどついつい文句を言ってしまうんだよなぁ。」という気持ちが実にじょうずに表わされているね。この本当のすてきな気持ち、お母さんにも通じていたはずだよね☆

●クリリンさん(あかの/小5)の作文より(とこのん先生/10.1週)

 これからもずっとずっと美味しいアイデア料理を作っていって欲しいです。お母さんいつもご苦労様!!!評:家族の健康(幸せ)は、毎日の食事が何よりの基本。それを支えているのがお母さま。毎日楽しい食事をつくってくれるお母さまへの尊敬と感謝の思いが素直に伝わってくる一言です。

●ハムさん(あそみ/小5)の作文より(ドラえもん先生/10.3週)

 「私は、この感想文を読んで、機械でやるよりは、手仕事でやったほうがいいということが分かりました。」【評】そうですね。機械は早くてたくさん作ることができるけど、手作りのほうが心がこもっていますよね。ハムさんも何か手作りに挑戦してみてね。(^o^)丿

●知尋さん(あえな/小6)の作文より(みち先生/10.1週)

 名前というのは、人間にとって、ただ区別するだけの単純なものではなく、それぞれの親の気持ちが入っている。長い人生のなかでも、一生に一度親からもらえる最高のプレゼントなのかもしれない。評:人の名前には、思いが込められ特別なものだということがわかったのですね。考えた成果が表れています。

●ミュウさん(あおゆ/小6)の作文より(ももんが先生/10.2週)

 もしも私が柿だったら、かたいときに食べてもらいたい。時間がたってぶよぶよのものよりおいしいからだ。私が他に柿の中で好きな所は、あのたねのまわりについているすこし透き通ったゼリーのようなところである。感触がおもしろくて、口のなかで種がスケートをしているかのようにすべっている。【評:好きな果物の気持ちになってみるなんて、なかなかおもしろい! 「おいしいときにはやく食べて〜! 」という柿の声が聞こえてきそうだね。柿の種のまわりのつるっとした舌触りも、表現が工夫できたね。バッチリ(^v^)】

●ひろりんさん(あしゆ/小6)の作文より(とこのん先生/10.1週)

 考えてみたら名前は一生使うわけだから、自分の気に入っている名前で良かったー、と思う。  評:この言葉を読んだら、名前をつけたご両親も(きっとすごーく考え抜いてつけたと思う!)、「いい名前をつけたなあ」としみじみ喜ばれるはず!こんなふうに自分の名前に愛着をもてるということはすごく素敵なこと。ちなみに私も、自分の名前、大好きです〜。

●なりあきさん(あそき/小6)の作文より(森川林先生/10.2週)

 朝起きたら何者かに赤くて大きくて一番おいしそうなのを、食べられてしまった。まるで、「とびに油げをさらわれる」ということわざのようになってしまった。二度三度食べられるうちに、いちごのプランターの周りを時々うろうろしているムクドリのしわざだと分かった。……もっとも、父が家族がしらないうちにいちごを食べることもあったが。評:楽しいお父さんだね。 

●プリンさん(あにも/小6)の作文より(けいこ先生/10.1週)

 なぜもっと楽しい所に行かないかと思ってしおりを見たら・・。見ーつけた!!そのわけ発見!!その秘密は「修学旅行」という字にあったのだ。なんと、修学旅行とは「修学旅行」と書いて学を修める旅行なのだ。 評:「修学」のための旅行だということに気付いて、つまらなかった理由がわかったわけだね。確かに、渋めのコースだったみたいだなぁ。

●あつしさん(あむら/小6)の作文より(きょうこ先生/10.2週)

  「もう一つどきどきしている事があります。それは塾のテストが返ってくる時です。……それは、まるでライオンがおそってくる時のようなどきどきです。」あつし君の心臓の音まで聞こえてきそうなスゴイ表現だったね☆ テストが返ってくるのを待っている間のあつし君の心の中では、あつし君とライオンが追いかけっこをしている姿が浮かんでいそうだね。これいじょうない!というくらいじょうずなドキドキの表現でした☆

●夏希さん(いえほ/小6)の作文より(かつみ先生/9.4週)

 音の一つ一つの真剣さを感じる気がする。   評:すてきな表現だね。音の一つ一つ、という言葉が夏希ちゃんの一生懸命さを物語っているね。

●たぬきさん(のと/小6)の作文より(ゆり先生/10.3週)

 寝てたりして運がないなーっていっても、知ったこっちゃない。運があっても、ピューピューと風に飛ばされ、待ってーと言ったてすぐ空に散ってしまう。(笑い)<評>たぬき君は、長文の内容に共感したんだね。ユーモアたっぷりの表現で分かりやすく書けていますね。

 

  光る表現(中1−社) 2000年10月4週号

●茉有さん(ああの/中1)の作文より(とこのん先生/10.1週)

 (テストの良い点として)自分の力を知ることができるし、勉強をすることによって力がつく。将来の土台になる。  評:「テストが自分の力を試すことの出来る機会」だと考えていることがしっかりと主張されています。

●しおりさん(あそと/中1)の作文より(ふじのみや先生/10.1週)

 私はこうも思う。きっとけんかは、相手をわかっているからするのだ。お互いの意見を正しいと考えるからこそ口論したりするし、発展して殴り合いで取っ組み合いしたりする。評:見方を変えて「目からウロコ」的な意見を取り出したね。

●ヘノチャさん(けら/中1)の作文より(みち先生/10.1週)

 ケンカは時に、自分自身の直すべきところを教えてくれる。そんな時にケンカによる友人の客観的意見はためになる。ケンカをする事で、鏡に写っている自分自身を見つめなおす事ができるようになる。(中略)相手の悪い所を指摘するには、まず相手のことをよく知っている必要があるからだ。(中略)ケンカをする事でその信頼関係をいっそうに深めることができる。意見を言い合い、自分自身の悪い所に気づいた双方には、ケンカ前よりもさらに深い友情がきざまれると私は思う。評:相手の悪い点ばかりに原因を見つけないで、マイナス面をプラス面に変えていこうとする向上心がものごとを冷静に考えることができるのですね。

●ラッキー7さん(せあ/中1)の作文より(とこのん先生/10.2週)

 科学が人間を超してしまうことだと私は思う。人間が作った物に超されて人間の手に負えなくなった時が一番怖くて危険だと思う。評:確かにコワイ。人間は科学を過信してはいけないし、人間自身が本来持っている能力を放棄してしまってはいけないんだね。

●サイコロさん(あつと/中2)の作文より(洋子先生/10.1週)

 ——省略———このように、勝ち負けがあると思わず相手のミスを願ったり、喜んでしまうこともあるが、これは、スポ−ツだけに限らずに日常生活だったとしても、とても嫌みな人間に見えてしまう。「上手なプレ−をした時よりも悪いプレ−をしたときの態度が大切である」というが悪いプレ−のときでもよいプレ−の時でも、それを自分のためにいかせるかどうかが問題なのだ。評:このことは、人生のあらゆる場面に通用する大切なこころえですね。今回のオリンピックでも前回までの勝敗を大いに生かした選手が好成績をおさめたことでしょうね。

●恵美さん(あれく/中2)の作文より(けいこ先生/10.1週)

 私は、時々、人につられたり、自分の意見をしっかり言えない事があるから、石が好きというより、“石の堅さ”という事が好きなのです。 評:「石」というテーマから、「石」の持つ「堅固」というイメージで作文をうまく展開できた。

●GOさん(うみ/中3)の作文より(けいこ先生/10.1週)

 名言に「寒さにふるえた者ほど、太陽の暖かさを感じる」とあるように自然にもっと感謝しなければならない。確かに、科学などが発達していく上ではクーラーなどの機械と付き合うことも大切だが、私たち自身が機械にならなくても良いのだ。私たちは自然に季節を感じそして共に生活していけば良いのだ。 評:「人間は機械にならなくてもよい」という主張が力強い。これは、機械のように毎日を過ごしている現代人への警告とも取れそうだね。

●ひまわりさん(あなつ/高1)の作文より(とこのん先生/10.1週)

 人は、その場に与えられた状況に感謝すれば充分しあわせになれる。そしてその幸せは他人と分かち合って初めて感じるものなのだ。評:幸福=人間愛(隣人・家族愛)という持論を、簡潔に表現しています。

●○○○○さん(うい/高1)の作文より(けいこ先生/10.2週)

 現代の過保護な社会では、「危ないものは無くす」という一見正しいようで危険な思想によって、子供は「あること」にチャレンジするどころか、「あること」そのものが無くなってしまっているのだ。何もしない。それだけで子供は成長していくのだ。 評:現代の過剰な過保護の風潮を、鋭く批判できた。「何もしない。……」という断言が潔いね。

●UZI.SMGさん(そお/高1)の作文より(ミルクティ先生/10.2週)

 受動的なやり方をいっさい否定し、子供は自然な状態においてもっとも意欲的になり、ひとりでに自己向上していくと考えた人がいる。ルソーは、その考えの元に子供を育て、いっさい強要せずに子供の探究心に期待した。そしてその子が成人し、どんなに立派な人間になったのだといえば、何の教養もないただの阿呆になっていた。笑い話みたいだが、やはり親による強制力は必要なんだということが良くわかる逸話だ。<評>子供の能力を伸ばすのに、子供の能動性だけに依った場合の例をルソーの『エミール』に求めた部分です。題材の選び方がうまいですね。

●正博さん(いえわ/高3)の作文より(森川林先生/10.2週)

 柿が歴史のある果物だということを言えば世界中から歴史のある果物が名乗りを上げるだろう。柿に良い所があるならもちろん他の果物にも他に良いところがある。柿が好き人は柿が食べられ、りんごや梨など他の果物が好きな人はその果物が食べられる。それが果物の自然な食べ方だと思う。評:長文とは違う立場で考えた自分らしい意見だね。

●○○○○さん(あう/社)の作文より(森川林先生/10.2週)

 所得再分配に関する定理は多く存在するが、誰に対してどのように所得を分配すべきかという問いに対して絶対的な答えは出していない。むしろ、それは個人の価値観に基づいて決められるものである。……つまりどの学問も個人の価値観によって加工されてはじめて生きた学問になる。評:大学での勉強を実例として生かしているね。●大切なことは同じ価値観でも竹のような思想を持つことではないだろうか。まっすぐ空へ伸びている巨木は強風に煽られると折れてしまうが、竹は風が吹くと風が流れる方向へしなやかになびき、風が止むと元のまっすぐな状態に戻る。おなじ個人の価値観でもこのようなしなやかさが求められるのではないだろうか。入学式で教授が「自分自身の核を持つ」ことのほかに「見聞を広げること」「知識を深めること」を付け加えたのはそのような意味があったと思う。評:たとえがきれい。書き出しの話に戻ってまとめたところもうまいね。

 

 

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