KotobanomoriNo.696
言葉の森新聞
2001年1月3週号
文責 中根克明(森川林)
12月のアンケート葉書より(その1)
●塾の勉強量多いが、長く続けさせたい
塾では月に1回テストがあり、また2月から5年生になると週1回のテストがあります。勉強の量も多くなり作文を書く時間がとれるかと親は心配しています。できるだけ長くこのよい習慣を続けさせてあげたいと思っています。
▼長い目で見た勉強を
塾の勉強が忙しくなると、なかなか作文の勉強と両立できないという問題が生まれてきます。
このときに考えることは二つあります。
一つは、勉強が忙しいという理由で、これまで長く続けていた習い事をいったんやめてしまうと、また再開したときに、少し忙しくなるとつい休んでしまうという習慣がつきやすいということです。長く続けていきたい習い事は、忙しくなっても時間のやりくりをつけて継続していく方がいいようです。
ただし、どうしても時間の都合がつかなくなったときは、子供に「こういう理由でいったん休むけど、受験が終わったら○月からは再開するから」と説明しておくことが大事です。
もう一つは、学習塾で国語の勉強をするよりも、言葉の森で長文の感想文を書いている方が国語の力がつくということです(ただし長文をしっかり読んで)。塾での国語の勉強は、漢字やことわざなどの知識の勉強は教えられますが、肝心の読解の勉強については、読み取り方を説明したりテストをしたりするだけで、実際の力はつきません。
中学受験でも高校受験でも合否を制するものは主に算数・数学の成績ですから、国語は形だけ整えておけばいいというのが塾の本音に近いところです。
小6から中2にかけては、表現力と読解力が最も乖離する年齢なので、だれでも作文を書くことが苦手になってきます。この時期に細ぼそとでも書く練習を続けて、高校生になったときに立派な論説文を書けるようになるという長い展望で勉強していくといいと思います。
●子供の好きそうな工夫。親子で協力して作文を書く
一週間以内に講評が返ってくる速さと、字数ランキングやマンガでのヒントなど子供の好きそうな工夫がこらされている楽しさがすばらしいと思います。
言葉の森新聞で先生のいろんな考えに触れられるのも、気に入っています。お会いしたことも教室に伺ったこともありませんが、先生の書かれた文章を読んで、どういうお考えで子供に接し、教室を運営されてらっしゃるか、わかりますので信頼感が持てるように思います。いろんなご意見が参考になるのももちろんのことです。
受験などでいずれ大変になるかもしれませんが、できるだけ長く続けて、本人のかけがえのない成長記録ができるだけ分厚くなるよう希望しています。
(中略)親が手伝うことに否定的意見もあることと思いますが、現時点での本人の実力では①文になってない文、無駄な繰り返しがある、言葉たらず、など基本的な間違いがまだまだ多い。②書く内容が思い付かず、ふくらまず、目標字数に到達しない。ことがほとんどなので、いったん書かせた後、「ここをちょっとかえてみようよ」「ここに会話を入れたら」という具合に誘導尋問的に、書き直させます。母子でこういう合作?ができるのはパソコンだからだと、つくづく思います。もし手書きだったら、面倒でやってられないでしょう。
年齢的にそうなのか、性格的なものか、今のところ私の介入を嫌がらないので、こういう工程を経た作文を提出しています。実力だけの作文を出し続けるより、結果的には書く力も伸びるように思いますので、当分このスタイルでいきたいと思っていますが、よろしいでしょうか。
▼真面目な注意は子供の信頼感を増す
親からのある程度のアドバイスは、子供に喜ばれるようです。作文の指導はほめることが基本ですが、ときどき「ここはもっとこうしたほうがいいよ」と直してあげた方が子供は喜びます。ただし、この注意は、十分な信頼関係がないと、逆に子供を作文嫌いにさせます。親子の信頼関係ができている場合は、多少つっこんで欠点を指摘しても大丈夫です。これは高学年になっても同様です。
この注意の仕方ですが、よくないのはからかうような注意の仕方です。「こんなことも知らなかったの。だめねえ」という注意の仕方をすると(笑)、子供はだんだん親に作文を見せなくなります。からかう方は軽い気持ちなのですが、からかわれる子供の方は自尊心を傷つけられるということがあります。子供のプライドを尊重するかたちで、真面目に「ここはもっとこうしたほうがいいよ」と注意をすれば、信頼感が増します。
ただし、実力をつけるのは、注意の仕方によってではなく自習の蓄積によってです。親や先生がどんなにいいアドバイスをしても、それでそのまま子供の力がつくわけではありません。毎日、長文を音読して文章のリズムをつかむ練習をしていると、自然に滑らかでめりはりのある文章が書けるようになってきます。また読書を通して材料を増やしておくことも、作文を上達させるためには必要です。
ですから、一方で毎日の自習をしっかり続け、他方でいいところをいつもほめ、ときどき前向きな注意をするというかたちで勉強していくのが理想の勉強スタイルになると思います。
●文章を書くよい習慣がつく。素敵な文章を書ける人に
先生から作文の添削が郵送されてくると、自分のこともさることながら、兄の方もとても気になるらしく、負けじとがんばっているようです。
文章を書くというよい習慣がつき、このごろは読み聞かせをしなくてもひとりで読書をすることも増えてきました。幼いころからおしゃべりにもきらっと光る表現で書き留めたくなる場面も何度となくありました。素敵な文章を書ける人に成長してくれるよう親の夢もふくらみます。
▼親が関心を持つと子供も期待に応える
子供の書く作文には、きらりと光る表現がときどきあります。お母さんやお父さんが子供の作文に関心を持っていると、子供も自然にその期待に応えようとしてがんばります。
作文を見て欠点ばかりを注意するというのはマイナスですが、子供の作文を全く見ないというのも子供にとっては張り合いがないものです。親が前向きの関心をもって見ていてくれるというのが、子供にとっては理想的な状態です。
これからも折に触れて、書かれた作文を見て、いいところをほめてあげてください。
感動のある話
「伽藍(がらん)とバザール」というページがあります。(http://tlug.linux.or.jp/docs/cathedral-bazaar/)
ここに、Linuxなどで成功したオープンソースという考え方についての論文が載っています。著者はかつて、コンピュータプログラムというものは規模の大きなものになれば、大伽藍のようにある統一的な計画のもとに建設されなければならないと考えていたようです。(現在のウィンドウズというOSを見てもらえばわかります)。みんなでわいわい作り上げるバザールのようなスタイルの作り方は、規模の小さなものにしか適用できないと考えていました。
ところがLinuxという何テラバイトにもなるプログラムが、バザール的なやり方で成功してしまったのです。
Linuxを作ったのは当時大学生だったLinus氏ですが、彼が最初に書いたプログラムは今はもうほとんど痕跡をとどめるばかりになっています。現在のLinuxは全世界の無数のプログラマーの自主的な協力が積み重なってできた巨大な建築物です。Linus氏の役割は、それらのプログラマーたちの新しい提案や改良を、プログラムに反映させていくことでした。
この「伽藍とバザール」という論文に触発されて、ブラウザ戦争で敗北しつつあったネットスケープが、ネットスケープをオープンソース化する方針を打ち出しました。しかし、いろいろな事情がからんでこのオープンソース化は結局ネットスケープの業績を回復させるにはいたりませんでした。この間の事情は、ネットスケープの技術責任者の一人ザウィンスキー氏の「辞職そして追悼」(http://www.bekkoame.ne.jp/~kmakoto/opencom/Jamie-san.html)に感動的に書かれています。
このオープンソース化の運動を支えている一つの考えは「人生意気に感ず」の精神です。アメリカの若者の間で、こういう感動のあるエピソードが次々と生まれている一方で、日本の現状を見るとそこには感動とはあまり縁のない日常を過ごしている数多くの若者の姿が見えてきます。
歴史は今転換点にあります。この時代の流れを見ていれば、明治維新のときの若者のように新しい歴史を作る事業にだれでも参加したいと思うはずです。しかし、日本の現状はそうではありません。今、世界の動向はジャパン・バッシング(日本叩き)ならぬジャパン・パッシング(日本は素通り)になりつつあります。
その背景にあるのは、未来に対する感度の鈍さと、その裏腹にある現状に対する小さな満足感です。日本は、不況だとは言っても世界で最も豊かな国の一つです。この豊かさがかえって若者の改革意識や向上心を鈍らせているように思えてなりません。
いま高校生、大学生の人は、学校の勉強に加え、英語とコンピュータの勉強もして世界の動向にもっと目を向けていく必要があると思います。
おすすめリンク
ホームページには、ときどきおもしろいページがあります。
今日はその中で、作文関係のページを三つ紹介します。
http://homepage1.nifty.com/sakubun/
実践! 作文研究(学校の先生が運営しているサイト。作文の指導法などの記事が豊富です)
http://www.koubo.co.jp/
公募ガイド(文章に自信のある方は、ここから懸賞論文などに応募してみるといいと思います)
http://www.ne.jp/asahi/new/world/kokusen/index.html
国語専科教室(「日能研長文読解記述教室」や「国語のできる子どもを育てる」の著者、工藤順一さんのページです)
言葉の森のリンクの橋(http://www.mori7.com/sky/hasi/wslink.cgi)には、このほかに、先生のHPや生徒のHPなどがいくつも登録されていますが、全体に雑然としているので探しにくいと思います。そのうちに、もっとすっきりさせる予定です。
光る表現(小1−小4)
2001年1月3週号●しょうさん
(あゆの/小1)の作文より(メグ先生/1.1週)(アメフトの)ボールのいろは、まるでドーナツのようにちゃいろでした。評:アメフトのボールがこんがりおいしそうなドーナツに見えたんだね。
●まいまいさん
(いかす/小2)の作文より(さかな先生/12.3週)すると、まぶたがまるで石のようにおもくなってきました。うとうとうとうとなんどもなんどもまばたきしながら、こらえたけれど、からだがゆれてきて、きがついたら朝でした。★評:こんなにがんばってサンタさんを待っていたのに、ついにサンタさんのすがたは見えなかったんだね。でも、ちゃんとプレゼントがとどいて良かったね!
●翔太さん
(いきこ/小2)の作文より(洋子先生/1.1週)ぼくは、いっぱいお年玉をもらったからうれしかったです。植苗のおばさんに新しい二千円札と一円をもらいました。「今日は、20001年だから」といったからぼくは、わらいました。…略…ぼくは、まだお金を使いたくないです。ぼくは、一万五千円を使いたくないです。なぜならはじめて何万円という数字の大金をもらったからです。まだまだ一億円までためたいです。たまったら遊戯王カ−ド五0枚入りを買いたいです。またためて買って、またためて買ってまたためて…ていきたいです。評:20001年にちなんで新しい二千円札と一円をもらったのですね。なかなか機智にとんだユ−モアあふれるいいおはなしがはいりました。いい記念になりますね。(^o^)また、お年玉を合計してみたら、大金になってしまってびっくりしたのですね。(@_@)大金をもらった嬉しさと、大事に使いたいというおもいがとてもむすびのおもったことによく書けていました。
●アーサーさん
(あひわ/小3)の作文より(みち先生/12.1週)(題名)ピカピカ光れ豆電球。「あ光った」「どれどれ」「ほんとだ」。評:、思いが込められ内容と合った題名がいいですね。書き出しの会話も関心を引き、次が読みたくなる感動の会話です。ニコニコした友だちの顔のように豆電球がピカピカついていました。評:いつもたとえを非常によく考えて表現し印象に残る文です
●アーサーさん
(あひわ/小3)の作文より(みち先生/12.2週)〇〇君はカーッと赤とんぼのようにおこりだし、人ごみの中へ走っていってしまいまして。評:赤トンボのように、なるほどね。ぴったりのたとえが浮かびましたね。
●ししさん
(あふか/小3)の作文より(はるな先生/1.1週)1月3日に、サルティンバンコに行きました。 本当は、行きたくなかったけど、帰りに、原宿に連れてってくれるから、ついていきました。 少し早く着いてしまって中に入ると、テントの中に人がもう三千人くらいいました。その人達は、始まるのを今か今かと待っているようでした。僕は、最初はつまらなかったけれど、あとから楽しくなりました。どこが、楽しいというと、シーソーについている、板みたいなのが、ブランコについているのに乗って、勢いがついたら、ジャンプして落ちる前に、バックテンをして、着地するのが、すごかったです。飛んだり跳ねたり体がぐにゃぐにゃに曲がったりたくさんの練習をしているだろうなとは思ったけれど人間のできることにびっくりしました。 初めは気がすすまなかったのに、いつのまにか原宿に行くことは、どうでもよくなりました。(講評);[初めは気がすすまなかったのに、いつのまにか原宿に行くことは、どうでもよくな りました。」というくらい、サーカスのいろんな曲芸に見入っているうち、観戦に夢中になったようすがよくわかりました。その、テントの中のようすが、たいへんわかりやすく、せつめいできたので、先生も宍戸君と一緒に、サルティンバンコを見学しているような気分になりましたよ。
●しょうたさん
(あたの/小4)の作文より(きょうこ先生/12.3週)「この前、ぼくは学校の大そうじのとき、友達と一緒にがんばってやってとてもぴかぴかに教室がきれいになりました。それに友達と協力して早く終わることができました。それでぴかぴかの教室で勉強するのが楽しくなりました。そうじも好きになりました。協力すると、いつもいやいややっているそうじだって楽しくなります。」すごい! ”協力”というもののものすごいパワーが一気に伝わってきました!! 掃除が早く終わって、ぴかぴかになっただけではなくて、さらに、そのぴかぴかの教室で勉強することが楽しくなってしまっただなんて! 捷太くんが”協力”の大切さをかみしめていることもよ〜く伝わってくるじょうずな表現でした☆
●すみすみさん
(あない/小4)の作文より(はるな先生/12.3週)「やったー!!」心の中でさけんだ。・・・・・言葉は、魔法のようだ。私は、さいしょ跳び箱の前で「みんな、おうえんしてくれるけど、ぎゃくにプレッシャーかかるんだよね!」とひねくれていた。しかし、みんなのおうえんをうけて。気持ちは180度かわった。「ありがとう。がんばる!」という気持ちにかわったのだ。(講評);これまで、できなかった、とびばこの五段に挑戦(ちょうせん)して、見事、はじめて跳びきったうれしさと、そのときの、あなたの心の動きが、とてもいきいきとかきあらわせました。「言葉は、まほうのようだ」というたとえかたがとても、まとをえていて、本当に感心しました。みんなの友情と、それに感謝しているあなたのすなおな心が、作文のすみずみにあふれているようで、実によかったです。
●俊介さん
(あろな/小4)の作文より(きりこ先生/12.3週)米は日本人にとってとても大切な食物だと思いました。でも、今の人は農業をしていないのでそれでもつのはなんでかなぁと重います。<いいところに気が付いたね。>
●加恵さん
(られ/小4)の作文より(ポプリ先生/1.2週)「早くおきないと。」と心では、思っているのになかなかおきられません。おもいっきりふとんから出てみました。「寒いな。」 そしておきてもストーブの前でもじもじしているだけで、なかなか着替えられません。着替えおわってもなかなか部屋からでられません。私がおきるとだいたい部屋の温度が12度から16度くらいです。 ストーブがついているのにな。評:これこそ「冬の朝」。よくわかります。
光る表現(小5−社)
2001年1月3週号●まささん
(あうこ/小5)の作文より(ゆり先生/12.3週)昔の日本では、男はあぐらで、女は立てひざで食べるマナーがあった。これは、女と男がさべつされていたころの文化みたいなものである。(略)このさべつの話は、文化にかんけいしてくると思ったのでかいたのだ。<評>差別のことは、宗教や文化ととても深い関係があるね。いいところに気がついたよ。日本の古い習慣のこともよく知っていましたね。
●ヒトミンさん
(あよは/小5)の作文より(さかな先生/12.2週)その人あてに、二つとない手紙を書くから、もらった時は、招待状をもらうよりはるかにうれしい。二人だけのひみつという感じでワクワクしながら読むのだ。★評:毎日会っているお友達との手紙の交換。そのワクワク感の表現がお見事!
●翔太さん
(いいゆ/小5)の作文より(メグ先生/1.1週)万座温泉のスキー場は、あたり一面まっ白でとてもきれいでした。雪もふわふわしていてやわらかく、食べてみたらまるでアイスクリームのようでした。評:スキー場の一面の雪景色が目にうかぶようです。ふわふわの雪の上をすべるのは、気持ちがいいでしょうね。
●SIGNALさん
(あつえ/小6)の作文より(かつみ先生/12.2週)みんなちがってみんないい(題名) 評:ほんとうにその通り。みんな違うから世の中は楽しいんだよね
●たまごさん
(せろ/小6)の作文より(さかな先生/12.3週)「鉄は熱いうちに打て」とことわざにあるが、将来困らないよう、今のうちに基そ力と態度を身につけておきたい。勉強とは、長い期間かけてやりとげるものだと思う。★評:将来に向けての決意が光っているね。長距離を走りぬく力を養っていきましょう!
●たぬきさん
(のと/小6)の作文より(ゆり先生/1.2週)読書は人間にとって新しい世界を開いてくれる道具だと思う。<評>最後の一文を”人間にとって”という主題でうまくまとめていますね。まさにその通り!
●アリーさん
(あえゆ/中2)の作文より(ミルクティ先生/12.2週)去年の夏休み、私はカナダに行って現地の人の家にホームスティをした。その時に、やはり、外国人と日本人のちがいを感じた。たとえば、ごはんの時に、家の人が「もっと食べる?」と聞いてくれる。私はあまり食べないので、本当は「もう結構です。」といいたい。しかし、日本人なら、ここではっきり断わると、相手に失礼ではないだろうか、と考える。すると、「もう結構です。」とは言えなくなってしまう。そこで、しぶしぶ「もう少し下さい。」という。<評>日本人的な気のつかい方を、なるほど、そういうことってあるなぁという実例で説明できたね。
●怜さん
(あもい/中3)の作文より(けいこ先生/1.1週)内申は合格の花の種子のようなものだろう。花を咲かせるための、1つのきっかけになるからだ。生徒は学期末に返される成績表を見て、焦りや危機を感じ、勉強を始める。『受験勉強』の始まりだ。花でいう『生長』の始まりだ。 評:否定的にとられることの多い「内申」を、肯定的に考えられた。「花と種子」という比喩もうまい。
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