KotobanomoriNo.707
言葉の森新聞
2001年4月2週号
文責 中根克明(森川林)
新年度が始まりました
新しい学期が始まるときは、新鮮な気持ちがするものです。子供たちも、最初の作文は力作を書きます。新しい項目が増えて課題が難しくなった分、今学期の字数は減らしています。今学期のうちに、項目が全部できるように勉強していきましょう。
新しい項目が追加されましたが、小1〜小4はあまり大きな変化がないようにしています。小学4年生までは、基礎的な力をつける時期ですので、表現や構成の細かい点にはあまりとらわれず、毎日の自習(長文音読など)を中心に、実力をつけていってください。
小5の生徒からは、長文も項目も急に難しくなっています。これは、ちょうど小学5年生のころから抽象的な事柄を考える力がついてくるためです。学校での算数の勉強も、小5のころから考える要素が増えてきます。難しくなった分、力がついてくるのだと思って、前向きに取り組んでいってください。
さて、言葉の森の教室も、春の装いになりました。今年度は、「森」という名前にふさわしく、教室の中に自然を取り入れようと思っています。手始めに、小鳥を2羽、放し飼いにする予定です。生徒が勉強をしないでお喋りをしていると、つつくように訓練しています(笑)。名前は「コト」と「バノ」です。単純です。まだヒナですが、飛ぶようになったら、ホームページで公開します。
賞状と賞品の引き換えクラウン数
4月1週号の「言葉の森新聞」に同封した「賞状と賞品の引き換え」の用紙で、クラウン数が表示されていませんでした。上の段が50クラウン、中の段が100クラウン、下の段が150クラウンです。
ミスプリント
中1の長文集4.3週「いつから世の中が矛盾を(感)」の28行目「数殊つなぎ」は誤字です。正しくは「数珠つなぎ」です。申し訳ありませんがご訂正お願いします。
4.2週のヒントの追加(中学生)
●中学1年生相当 4.2週 ふだん私たちは、コインを(感)
▼第一段落
要約を書いて意見を書きます。意見は「ものごとはいろいろな面から見ることが大切だと思う」のように。または「レトリックが大切だ」のような意見でもいいでしょう。
▼第二段落
第一の理由を書きます。「その理由は第一に、いろいろな面から見ることによってものごとの本当の姿がわかるからだ」のように。理由のあとに、その裏付けとなる体験実例を書きます。「私も友達の○○さんと初めて会ったときはつい欠点にばかり目が行ってしまったが、ほかの面から見てみると長所が見えてきた」のように。ここに面白い表現を入れて「(笑)」と書きます。
▼第三段落
第二の理由を書きます。「また第二の理由としては、レトリックを使わずものごとを一面だけから見ると余裕がなくなるからだ」のように。理由のあとに、その裏付けとなる社会実例を書きます。この社会実例にはデータ(数字)を入れます。
「データの引用」は、社会的な実例を入れる際に、その年代や数字などのデータ的なものを調べるという練習ですが、実際には作文を書きながらデータを調べるというのは時間的に難しいので、便宜上、中学1年生の人には「データ集」を渡します。ホームページの「数字の草」にも同様のデータが載っています。
「数字の草」
http://www.mori7.com/mine/kusa/ikusa.html
インターネットを利用できる人は、「サーチ峠」で調べたいことがらを入れてデータを収集すると便利です。
「サーチ峠」
http://www.mori7.com/touge.html
しかし、サーチエンジンで特定のことを調べようとすると寄り道が多くなり意外と時間がかかります。データの引用、昔話の引用など、引用することにすべて共通することですが、調べたいことがあってからそのデータを探すというやり方ではなく、既に手元にあるデータを生かして実例を書くという引用の仕方をしていくといいと思います。
データの引用のかわりに、これまでに読んだ長文を引用するというやり方をしていってもいいです。この場合、昔読んだ長文をいつも手元に置いておくというのは現実的ではありませんから、「課題の岩」の検索フォームで、うろ覚えの長文を検索するといいでしょう。
「課題の岩」
http://www.mori7.com/iwa/iiwa.html
社会実例は例えばこんなかたちです。前の学期に勉強した長文の引用ですから、覚えている人もいるでしょう。「第二次大戦の時、イギリスの主要都市は、ドイツ空軍の激しい爆撃にさらされた。この時、建物を大破されたロンドンのあるデパートが、「平常通り営業。本日より入口を拡張しました」というカンバンを出した。このように見方を変えることによって心に余裕が出てくるのである」
データ実例の引用は、こんなふうに書くこともできます。データ集10番からの引用です。「四季を代表する旬の食べ物というと、春の場合はタケノコ53.3%、夏はスイカ44.5%というデータがある。これを見ても、私たちのものの見方が意外と狭い面に限定されていることがわかる」。
▼第四段落
反対意見に対する理解を入れながらまとめます。「確かに、ものごとをあまりにいろいろな面から見ていると行動力が鈍るということがある。『行動するためには、多くのことに無知でなければならない』という名言があるように、多面的な見方はかえって見るだけの人間を生み出しやすい。しかし……」と最初に書いた意見に戻ってまとめます。
●中学2年生相当 4.2週 「ふしぎ」と言えば(感)
▼第一段落
要約です。この長文は難しいのでまとめにくいと思います。
▼第二段落
筆者の意見に沿った意見Aを書きます。「確かに自分をかけがえのない人間だと自覚することは大切だ。そのことによって、周囲の人から自分が認められないときでも、自分に誇りを持って生きていくことができる」。続けてその裏付けとなる体験実例を書きます。「私も、学校の成績が悪くて先生に叱られたとき、一瞬自分は何て駄目な人間かと思いそうになったが、エジソンも子供のころ先生に叱られたという話を思い出して、自分だってやればできるはずだと思い直した」。「(笑)」という言葉で、ユーモア表現を入れます。
▼第三段落
反対意見Bを書きます。「しかし、周囲からの評価を受け止めることが大切なときもある。自分の実力を向上させようとせずに唯我独尊に陥るとすれば、その自信は自己満足でしかない」。そのあと、その裏付けとなる社会実例を書きます。この社会実例には、昔話やこれまでの長文からの実例を引用してみましょう。中学2年生には「昔話集」を渡します。これと同じものがホームページの「昔話の草」にも載っています。
「昔話の草」
http://www.mori7.com/mukasi/imukasi.html
「課題の岩」
http://www.mori7.com/iwa/iiwa.html
(これまでの長文でうろ覚えの実例を検索フォームで探すことができます)
昔話の引用は例えばこんな具合です。「『牛とカエル』という昔話で、牛の大きさを表わそうとして自分のおなかを破裂させてしまったカエルがいる。自分の狭い世間の中だけで自信を持っていると、客観的にものごとを比較することができなくなる例として考えることができる」。
▼第四段落
AB二つの意見を総合化したCの意見を書いてまとめます。
「このように、他人との比較の中で自分を見ることが必要なときもあるし、自分自身のかけがえのなさを自覚することが必要なときもある。しかし、いちばん大事なことは、その二つの方法を使い分けて、自分自身を高めていくことではないか」。次元を変えてCの意見を書いていくのがコツです。いろいろな考え方ができると思います。
●中学3年生相当 4.2週 「ふしぎ」と言えば(感)
中学3年生の意見は、「生き方の主題」の練習です。「私はこんな人間になりたい」「こんな生き方をしていきたい」と、自分の生き方に結びつけて意見を考えていきましょう。
▼第一段落
要約のあと、意見を書きます。「いたずらに便利さや快適さを求めるのではなく、自然と接する中で生きる実感が感じられるような人生を送りたいと私は思う」。
▼第二段落
そのための方法を書きます。「そのためには、便利な道具に頼るのではなく自分の手足をできるだけ使うことだ」。続けてその裏付けとなる体験実例を書きます。
▼第三段落
第二の方法を書きます。「また、現代の社会は、学校の教育などを見ても能率を優先するあまり、実際に実験をしたり調査をしたりする授業が少なくなっていると指摘されている。そのような能率最優先の社会を変えていくことが大事なのではないか」。そのあとに裏付けとなる社会実例を書きます。社会実例の中には、伝記からの実例や長文からの実例を入れていきましょう。伝記は自分の覚えている範囲で。長文は「課題の岩」で検索するといいでしょう。
▼第四段落
反対意見への理解を入れながら書き出しの意見に戻ってまとめます。
小学1・2年生は自習の習慣を(保護者向け)
小学1・2年生のころの作文は、字数も短く、作品的にもまとまりがないのが普通です。字の間違いも多く、表現も稚拙で、欠点を直し始めたらきりがありません。
しかし、この小学1・2年生のころが、実は作文の勉強を始めるのに最適な時期なのです。このころは、毎日の長文音読の自習もすんなりできる時期です。短文暗唱も、ごく自然に暗唱できるようになります。
こういうことが自然にできるのは小2までで、小3になると新たに長文音読の自習を始めるというのは急に難しくなります。小5以降になると、長文音読の自習を習慣づけるためには、親や先生のかなりの努力が必要になります。
小2までに長文音読の自習が毎日できるようになった子は、その後も同じようなペースで長文音読の習慣を続けていくことができます。長文音読の自習が国語力に密接に結びついてくるのは小5の難しい長文になってからですが、小5の長文音読の基礎ができるのは、小2からの自習によってです。ですから、小学1・2年生のころは、毎週の作文の出来不出来よりも、毎日の自習に力を入れて取り組んでいくことが大切です。
小学1年生から小学4年生までに共通する法則として、「楽しいことやほめられたことは得意になる」というものがあります。長文音読を毎日している子でも、それを横で聞いているお母さんが「ほら、また間違えた。ちゃんと気をつけて読みなさい」「ふざけないで読みなさい」「意味を自分で調べなさい」と注意したり叱ったりしている場合は、ほぼ例外なく長文音読が苦手になります。逆に、どんなにつっかえつっかえ読んだり、どんなに同じ読み間違いをしたりしていても、お母さんが「よく読めたね。だんだんじょうずになってきたね。こんなに難しいのよく読めるね」とほめてあげていれば、これも例外なく本当に長文音読が得意になります。小学校の低中学年で勉強が好きになるか嫌いになるかは、お母さんの明るさ次第と言ってもいいと思います。
毎日の勉強を明るくほめながら続けていくためには、無理をしないことが大事です。子供にはそれぞれ個人差があります。1ページの長文を簡単に読み、短文をおもしろがって暗唱する子もいれば、反対に、長文をほとんどまともに読めず、短文を何回音読しても覚えられない子がいます。それを一律に子供に強制するのは、いいやり方ではありません。教材を基準に考えるのではなく、子供の実態を基準に考えるのが、上手に勉強をさせるコツです。自習を始めてみて、子供にとってちょっと無理があると感じたら、子供の実態に合わせて、「長文は4分の1まで読めればいい。短文はしばらくお休み。漢字は今はしなくてもいい」などのように、柔軟にメニューを変えて、そのかわり決めたことは毎日例外なく続けていくというようにしてください。
小学1・2年生で重要なことは、何をするかということではなく、毎日例外なく何かをする習慣をつけるということです。小学1・2年生の勉強の内容はたかが知れています。この学年で漢字が満点だったり、計算が満点だったりすることは、その後の勉強にほとんど意味を持ちません。そのかわり、この学年で、毎日長文を読み本を読む習慣をつけることができた子は、その後の勉強に対する大きな基盤を形成したことになります。
一般に学校の先生は低学年で作文の指導について口うるさく言いすぎます。そのかわり高学年や中学生になると、作文指導はほとんどなくなります。小学校低学年での指導は欠点を指摘できることが多いので、だれでもいろいろなことを言いたくなります。しかし、小学校低学年のころは、むしろ、理屈で注意して直そうとせず、実力をつける中で自然に直すという方法をとることが大事です。
例えば、1・2年生の子が「わたしわおかしおたべました」などと書いていれば、ほぼ例外なく大人は注意して直そうとします。しかし、こういう表記のミスを、子供が注意されたと思わないように自然に直すことができるのが理想的な教え方です。
小学校低学年の勉強のポイントは、(1)楽しく勉強する、(2)同じことを繰り返す、の二つです。どんなにいい教材を使っても、子供が暗くなるような、つまり子供を叱ったり注意したりするような勉強の仕方をしていては、得るものよりも失うものの方が多くなってしまいます。
家庭での勉強は、百パーセント明るくほめちぎるような仕方でやっていきましょう。
小学3・4年生は質よりも量(保護者向け)
小学3・4年生になると、子供の体格もしっかりしてくるので、小学1・2年生のころと違った質的に高いものを子供に求めたくなりますが、小学3・4年生は、基本的に、小学1・2年生をそのまま大きくしたようなものです。質的に高いものを求めるのは、その後の小学5・6年生からになってからです。
表現の工夫のようなことは、説明すればすぐにできるようになりますから、大人は「そんなに簡単にできるのなら、その先のことを」と考えがちですが、実は、その先のことは全然できません。読書も、読むスピードがついてくるので、そんなによく読めるのなら、簡単な本ばかりでなく難しい本もと大人は思いがちですが、難しい本になると急にブレーキがかかります。
これは能力的なものではなく、年齢的なものです。教育学の専門家の間ではよく「10歳の壁」ということが言われていますが、「○○は人間にとって……である」などという抽象的な思考ができるのは、小学5・6年生になってからです。
つまり、小学3・4年生の時期は、小学生らしい時代を完成させるという位置づけです。作文は楽に書けますが、その楽に書ける作文でたっぷり書く練習をしていくというのが目標です。読書も楽に読めますが、その楽に読める本でたっぷり読む練習をしていくというのが目標になります。
受験勉強が低年齢化したとは言っても、小学3・4年生のころに勉強の先取りをすることはほとんど意味がありません。この時期は、本を読んだり豊かな体験をしたりする時期です。簡単な図式で言うと、小学3・4年生のころに読書や遊びのような無駄なことはせず、漢字の書き取りや計算練習のような役に立つことをやっていた子は小4まではいい成績を維持することができます。しかし小5から高学年になるにつれて成績が伸び悩んできます。逆に小学3・4年生でたっぷり読書や遊びをした子は、漢字は間違いだらけ、計算はミスだらけでも、心配ありません。学年が上がり受験勉強を本格的に始める時期になるとぐんぐん成績が上がってきます。
小学3・4年生の勉強で大事なことは、小2までについた長文音読の自習の習慣を絶やさないことと、勉強と同じぐらいの重要さで読書の時間を確保することです。感覚としては、勉強よりも読書を優先するぐらいでいいと思います。ただし、その一方で、テレビ・漫画・ゲームなどのレベルの低い受け身の娯楽は、時間制限をするなどコントロールしていくことが大切です。しかし、この場合も禁止というやり方ではなく、コントロールされた範囲の中で自由に自主的にというやり方をしていくことが必要になります。
小学5・6年生は困難に挑戦できる(保護者向け)
小学5・6年生になると、難しい課題に挑戦するということに喜びを持つようになります。たまに「うちの子は苦手なので易しい課題を」という保護者の方がいますが、小学5・6年生は、「易しいからできる」「難しいからできない」ということはありません。「がんばればできる」「がんばらなければできない」というのが、小学5・6年生の特徴です。
教室でも、友達どうしで字数の競争をするような雰囲気ができると、先生が止めてもがんばって書きます。そのかわり、やる気がないときはどんなに易しくしてもおだてても、甘えるばかりで先に進みません。
ほめるということは、教育の基本ですが、小学5・6年生以降は、単純にほめればできるというものではありません。逆に、いいかげんに書いたものをおまけでほめたりすると、ますますいいかげんに書くようになってきます。ここが小学3・4年生との違いです。
小学5・6年生以降は、意義を話し、情熱をこめて叱るという姿勢が大事になってきます。これは家庭でも同様です。優しくほめるだけとか、賞罰を与えるだけというのは、結局大人が手を抜いて接していることにしかなりません。お父さんやお母さんが勉強の意義を情熱を込めて話せば、小学5・6年生の子は、その意義の中身は理解できなくてもお父さんやお母さんが情熱を込めていることを理解します。子供の理解というのは、基本的にそういうものです。内容に賛同するのではなく、話している人のに熱意に賛同するのです。
熱意に賛同した子は、少々の困難にはくじけなくなります。課題が難しくても、だれにもほめられなくても、その困難に挑戦すること自体に一種の喜びを見出すようになります。小学5・6年生の子供たちの作文の中に、時に非常にストイックなものがあります。「体力をつけるために、毎朝ランニングをしている」というような内容のものです。これは、小学3・4年生の子供たちの考え方の中にはありません。自分の中にもうひとつの自我ができて、その自我と自分との対話によって行動を決定するという姿勢です。
このもうひとつの自我によって、ものごとを抽象的に考える力がついてきます。小学3・4年生の子供たちにとっては、ものごとは常に自分との関わりの中でとらえられています。このころの子供たちにとって、「それがぼく(わたし)にとってどういう意味があるか」ということがほとんどすべてです。しかし、小学5・6年生の子供たちにとっては、必ずしもそうではありません。むしろ、小学5・6年生の子供たちにとっては、「人間にとってどういう意味があるか」ということの方が「自分にとってどういう意味があるか」以上に大事になることがあります。
しかし、もちろん年中そういう抽象的なことを考えているわけではありません。子供たちの日常生活にいちばん大きな影響を及ぼすのは、小学5・6年生では同年代の友達です。親や先生の影響力は次第に低下しますが、子供たちの自我は独り立ちできるほどにはまだ十分育っていないために、友達にどう思われるかが子供たちの主要な関心になるようです。
話をしなくなる中学生・高校生(保護者向け)
中学1・2年生は更に自我が育つ時期です。ものごとが育つ時期というものは、外部との関わりを自然と遮断したくなるようです。よくこの時期の子供たちに何かを聞くと、「別に」「一応」「まあまあ」などというあいまいな返事が返ってくることがあります。これはつまり、育ちつつある自我を無神経な世間の風雨にさらしたくないという防衛的な気持ちの表われです。この時期の子供たちはきわめて傷つきやすいとも言えます。
しかし、話をしたがらないからと言って本任任せにはできないというのが、この時期の特徴です。中学1・2年生のころは、親が「ちゃんとやってるの?」と聞けば必ず、子供たちは「ちゃんとやってるよ」と言います。「しっかりやりなさいよ」と言えば必ず「大丈夫だよ」と言います。しかし、実際に調べてみると、ちゃんとやっていなかったり大丈夫でなかったりということがしばしばあります。
本人が自覚して自分の力だけでものごとに取り組むようになるのは、中学3年生以降のようです。
中学1・2年生のころは、作文も苦手になる時期です。この時期は、語彙もまだ十分に蓄積されていないので、抽象的なことを考えきれないという事情があります。子供たちの作文が安定してくるのは、中学3年生以降です。
中学生・高校生の時期は親と話をする時間が少なくなります。子供と親の共通の話題となると勉強ぐらいしかありませんから、子供も親とはあまり話をしたくなくなるのでしょう。勉強以外の話になると、子供の関心のある話題に親はついていけません。
ですから、この時期は、勉強以外の話題について、親子が話をする時間をとる必要があります。しかし、子供が中学生や高校生になってからわざわざそういう時間を設けるのはやはり難しいでしょうから、子供が小学5・6年生のうちから、テーマを決めて親子が話をする時間を作っておくといいと思います。
光る表現(小1−小4)
2001年4月2週号●小犬さん
(いこと/小1)の作文より(けいこ先生/3.2週)(カレーパーティのじゅんびで)わたしが玉ねぎをきると、「しゃき」というおとがしました。……カレーのにおいが「プーン」としたので、おなかが「グー」となりそうでした。 評:「しゃき」「ぷーん」「グー」おとのひょうげんがたくさんくふうできた。きっとおいしいカレーができあがったのだろうね。
●しょうさん
(あゆの/小2)の作文より(メグ先生/3.2週)でも、よけつづけるのは大へんでした。コートぎりぎりまで全力しっ走でにげまくりました。評:コート狭しと必死で逃げ続ける翔君の姿が目にうかぶようです。
●ドラちゃんさん
(あよう/小3)の作文より(けいこ先生/3.2週)(クロールの練習は)とっても、しんどくって、100メートルぐらいおよぐと、もう、しんどくてしんどくて、もう、いきが止ってはいがぶっちぎれて、血をはいて、つかれて死ぬかと思いました。まるで、マラソン大会みたいになってきて、しまいには、てきとうに、手をぐるーんと回して、およぎます。 評:水えいはたしかにこんなかんじだね。心ぞうとはいがフル活動しているものね。
●あやこさん
(ありろ/小3)の作文より(洋子先生/3.2週)…略…おもいきって、すべってみました。少しはこわかったけれどしゃかっこう(斜滑降)は、うまくいきました。すべってみたら、まるで、ジェットコ−スタ−みたいに速かったです。スキ−がすべりおわったら急いで温泉に入って私は、「あぁ−気持ちいいおふろだな−」と、気持ちよさそうに言いました。評:中級コ−スでしゃかっこうの滑り方をはじめて練習したときのことです。「たとえ」がうまくつかえていました。スピ−ドが速くてびっくりしたことでしょうね。(@_@)いっぱい練習して気持ちいい汗をかいたあとの温泉は、かくべつだったことでしょう。
●稔さん
(あわき/小3)の作文より(ももんが先生/3.2週)自分にとっては、とてもすごいことです。友だちにとっては、そんなにすごいとは思っていなかったかもしれないけど、はつちょうせんだったから、よけいうれしかったです。(中略...)ぼくは、きょうは、けっこういい日だなあ、と思います。だってこわいものが楽しいものにとつぜんかわったから、とてもうれしいのです。【評:自分の心の中で思ったこと、とてもていねいに表現できました。のぼりぼうができるようになって、よかったね(^o^)。】
●りゃりゃさん
(いいに/小3)の作文より(洋子先生/3.3週)わたしのクラスにも三がっきの一月ぐらいに入ってきた(転入してきた)子もけっこういじめられてないてしまっています。わたしもその子のことがかわいそうで、すごくかわいそうだと思ってわるくないときは、いっぱいかばってあげています。もし、わたしもそういう子だったらかなしいしかんがえてみたらそういう子は、お母さんとかにもいいづらいと思いました。もっとやさしくしておともだちになりたいです。評:おともだちのことをもし自分だったらどうだろうとそうぞうして考えてみたところがすばらしいですね。(^o^)ぜひいいおともだちになってあげてくださいね!
●ハム太郎さん
(いおせ/小3)の作文より(けいこ先生/3.1週)わたしが、学校から帰ると、げんかんの前のかいだんのところに、肉まんぐらいの黒っぽい茶色のがまがえるがうずくまていました。「こんなところで何してるの。」と声をかけたら「……」かさでつつくと、もぞもぞうごき、「やめてよ!」と言ったような気がしました。ここのところ、あたたかい日がつづいたので、春だと思ってまちがって出てきてしまったのでしょう。さわってみたらつめたく、ぬるぬるしていました。さむそうだったので、はっぱをおふとんがわりにかけてあげたら、どかしました。わたしは、「せっかくかけてあげたのに。」と少しおこってしまいました。 評:まちがって出てきてしまった、大きながまがえるの様子を、楽しくまとめられた。「やめてよ!」と人間が話しているようにせつめいしたのがいいね。
●瑞幾さん
(いおね/小3)の作文より(ドラえもん先生/3.2週)ぼくが一番楽しかったことは、お手玉とあやとりです。なぜかというとあやとりはいろいろなものを教えてもらっていろいろなものがつくれるようになったからです。そのいろいろなものは、ほうき・はさみ・ひこうきです。お手玉は二こでやっているうちにまるでまじゅつしのようになったからです。【評】「理由」や「たとえ」をとてもじょうずに書いてくれたね。まじゅつしのようなお手玉を見てみたくなりました。(^o^)
●ラーメンさん
(いおら/小3)の作文より(ドラえもん先生/3.1週)だからぼくは学校についてもぼーっとしていてまだちゃんと目がさめていません。まるで冬みんからさめたカエルのようです。【評】とてもじょうずにたとえることができました。早くあたたかくなって、おふとんからでられるようになるといいですね。(^o^)
●まいまいさん
(いかす/小3)の作文より(さかな先生/3.1週)「プログラム三番、二年生の発表です。」立ったしゅん間、むねのおくがいたくて、しめつけられるようなかんじでした。さらに、足ががくがくして、まるでがけっぷちに立っているようでした。★評:きんちょうした時の体の変化。ドキドキが伝わってくるようです。たとえもうまいね。
●翔太さん
(いきこ/小3)の作文より(洋子先生/3.2週)…略…先生がいっぱい入ってきてレ−シングから級別に発表しました。ぼくは、(名前が)よばれるかなと思いました。なんと、メダルをもらいました。口では、言えないくらいうれしかったです。評:翔太君は、このところめざましい活躍ですね!スキ−の検定に、漢字の検定も合格、さらに今回のゴ−ルドメダル大会では、とうとう銀色に光るメダルまでかくとくしてしまったのですね。(^o^)すごくがんばりましたね!うれしいきもちが「口ではいえないくらいうれしかった」とじょうずにたとえてかけていてよかったです。
●マドレーヌさん
(いきは/小3)の作文より(けいこ先生/3.2週)わたしは、プレゼントはふしぎな物だと思います。なぜかというと、もらう人がうれしいとあげた人がうれしい。あげた人が、プレゼントをえらぶ時も楽しい。まるで、人をうれしく、そして楽しくさせてくれるまほうのようです。 評:お友だちのバースデーパーティーにしょうたいされて、プレゼントをえらんでいるときに考えたことを、しっかりまとめられた。すてきなすてきなまほうだね。
●ユータンさん
(いくい/小3)の作文より(ポプリ先生/3.3週)すわるところがあまりにもいたいので、わたしは、「いたいっ。」とさけんでしまいました。わたしは、出ぱつしました。その自てん車は、おとな用なのでわたしたちには、少ししか足がとどきません。でも前にはすすみます。ペダルがしぜんにうごくのです。わたしは、ペダルがしぜんにうごくのがふしぎに思います。さい後は、自てん車にのったまま力いっぱい前のクッションにぶつけます。評:かがくぎじゅつかんは、ふしぎのたまて箱だね。ふしぎに思う気持ちをたいせつに。
●ブラッキさん
(あはな/小4)の作文より(はるな先生/3.3週)「やっと一年生かー」とおもったら、「もう今は、三年生で、もうすぐ、四年生か。四年生からクラブもはじまるし・・・・」『ワクワク』「がんばるぞ!」と、ぼくは、心の中で、さけんだ。(講評);ピカピカの一年生で、入学したのが、つい、昨日のことのように思われるのに、もうすぐ四年生!! 感慨深く、しみじみと、ふりかえっているあなたの表情が、作文の中から浮かび上がってきます。クラス替えや、担任の先生の交替やらで、はちきれそうな期待に胸をふくらませている光景が、いきいきと書き表せました。
●みゆさん
(あはみ/小4)の作文より(ドラえもん先生/3.2週)そして、ぼくは、「ならこんどふってきたらとってくれよ。」と言いました。そしたら八っちーが、「あ、ふってきた。お、とった、おっと手がすべった。あ、落っこちた。」と言いました。そして、ぼくは、「うそつけ」と言いました。【評】たくさん会話を書いてくれたね。そして、二人の仲のよさもよく表現されているね
●ししさん
(あふか/小4)の作文より(はるな先生/3.1週)今週の月曜日、今流行の風邪にかかってしまいました。(中略)『一緒に帰ろうぜ』と言ってくれて一緒に帰ることになりました。学校からお母さんが待ってる駅までの道はいつもよりとても長く感じてまるでマラソンでお腹が痛くなった時のようでした。駅まで秋澤くんと小牧くんに支えられてやっとたどりついた時お母さんの顔が見えて地獄から解放されたような気持ちでした。(講評);学校で急に、インフルエンザの症状が出て、お友達に支えられて、お母さんの待つ駅までやっとたどりつくまでの、心の動きが、たとえの表現で、とてもうまくかきあらわせました。
●みいきんさん
(いきゆ/小4)の作文より(ももんが先生/3.2週)それは、まるで大きなあなにおちていくみたいでした。「うわっっ」というその時です。「パシ」友だちのしおりちゃんが、手をつかんでくれました。うれしくてありがとうを百回くらい言いました。【評:つるんと転んでいくときの感じ、よく思い出して表現できましたね。たとえも上手(^o^)。】
●みいきんさん
(いきゆ/小4)の作文より(ももんが先生/3.3週)ウメは、そこらじゅうに、いいかおりをふりまいていました。【評:「ふりまいている」というのがおもしろいですね。うーん、いいにおいがしてきそう!】
●仁美さん
(いこい/小4)の作文より(ももんが先生/3.3週)松山じょうにのぼる山道は、とてもつかれました。わたしは友だちと、「まるで、体力テストのようだね。」と、話しました。【評:とても大変な山道でしたね。そのようすがよく伝わってきます。私たちは、知らず知らずのうちに、こんな風に「たとえの表現」を使っています。自分の話していることばをふりかえってみると、おもしろい発見があるかもしれませんね。】
●愛奈さん
(いこは/小4)の作文より(ももんが先生/3.1週)ゆっくり見てみると、まるで葉っぱがチョウのようでした。【評:こんな風にいろいろなものをじっくりと見てみると、おもしろい発見がありますね。】
光る表現(小5)
2001年4月2週号●さるきちさん
(あある/小5)の作文より(ゆり先生/3.3週)ぼくたち四年生は、今年ケナフを育てました。ケナフとは、今リサイクルにつかわれ、ちゅうもくされている木です。ケナフは、紙に生まれかわるからです。【評:ケナフから紙を作った話の始めに、ケナフの説明をうまくできたね。】
●ニルスさん
(あそな/小5)の作文より(さかな先生/3.2週)一年に一度だけ出るカツカレーはそれが出るとわかっただけでみんな「よっしゃー。」とか「イェーイ。」とか言って教室じゅうざわめきます。それだけに味はかく別です。★評:教室中が「ざわめく」ほどの作りたてのカツカレー、一緒に食べてみたいなぁ。「それだけに味はかく別」というつなぎ方がスマートで上手い。
●しょうたさん
(あたの/小5)の作文より(きょうこ先生/3.3週)「まるで、ジェット機のようにビュンビュン飛んでいました。ハエがいなくなったら、くたくたでたおれそうでした。ぼくははえのはやさにすごくはやくておどろいてしまいました。」捷太くんのおどろきがよく伝わってくるよ☆ハエをおいかけた後に、くたくたになってしまったというところからも、ハエのすごさがよく伝わってくるね!
●裕生さん
(あてい/小5)の作文より(ふじのみや先生/3.1週)まるでなわとびが生きていて ぼくの回りを回っているみたいでした。 評:なわが、ビュンビュン動くようすを じょうずにたとえましたね。
●すみすみさん
(あない/小5)の作文より(はるな先生/3.3週)「1年生のころは、出来ないからって、すぐ練習をやめたけど、何で今回はできたんだろう?」 と思いました。でも、そんな事を考えている暇はないので、後で考える事にしました。そしてまた、一輪車の練習に頭を集中させました。 そして3日後・・・ 「ヤッターーーーー!!」こんな声が校庭中に響き渡りました。なんと、80mの間、何にもつかまらず、転びもしないで、こげたのです。わたしは、 「これは、自分だけの頑張りじゃなくて、みんなが応援とか、良い練習法とかを教えてくれたから、出来たんだなー。」 と、実感しました。(講評);一輪車の練習をくりかえし、やっと一人でこげるようになって、実によかったですね。そのときのうれしさが、「オー!やったね!。」のひとことに、ほとばしり出ています。しかも、80mの間、何にもつかまらず、転びもしないで、こげたんだから、本当にすごい。そして、周りの人たちの応援や、助言のおかげだと、感謝の心を忘れないというのが、本当に立派だなーと、感心しました。
●むっちゃんさん
(あひほ/小5)の作文より(ももんが先生/3.2週)だから、ズラアアアァァァ……っと行列ができるんです。【評:とっても長い行列のようすが、楽しく表現できましたね。】
●チュムさん
(あもこ/小5)の作文より(ふじのみや先生/3.3週)ハエのようにすばらしい抵抗性はほしいけど、たった二週間のじゅ命はほしくありません。ぼくは、そう思いながら、「はっはっバクシュン」とクシャミをしました。 評:おみごと! 〈◎動作情景の結び〉が、ばっちり決まったね。 つらい季節だけど、おだいじにね…(>_<)
●茜さん
(あろさ/小5)の作文より(ももんが先生/3.2週)「ピューピュー。」みんなが、まどの外を見ました。だれかがまどの外で口笛をふいているようだったからです。それは、風の音でした。【評:北風の音を口笛にたとえるなんて、とてもすてきな作文の始まり方ですね
●茜さん
(あろさ/小5)の作文より(ももんが先生/3.3週)あとの四匹のオスは、全部しっぽで見分けます。まず一匹は、しっぽが短くて、上にこぶがあります。もう一匹は、しっぽが大きくてきれいだけど、さきっぽがぎざぎざしています。次は、しっぽは、ふつうくらいの大きさだけど、下がうす茶色です。最後は、しっぽは、ふつうくらいで、色もとてもきれいです。【評:一つ一つていねいに、色や形やもようを観察して書けましたね(^o^)。グッピーは、とても小さな魚だから、ぱっと見るとみんな同じように見えるのだけど、実は全然違うのですね。】
●有貴さん
(いおし/小5)の作文より(ふじのみや先生/3.3週)ハエの命は抵抗性のあるものだけを生き残らせて、抵抗性の無いものが死んで、グループ全体を抵抗性のあるものにするパーツのように書いてあったけど、僕はハエのような小さな命だからと言ってパーツ扱いはしないし、小さくても命は重いものだと思う。 評:一つの命は、全体のパーツでしかない。 遺伝子のレベルではそのような考え方もあるようですが、生きる命を軽く考えることはできないですね。
●けいさん
(いかわ/小5)の作文より(スピカ先生/3.1週)(お母さんが出産3カ月前に入院して)お父さんは、休みの日に、三時間もかけてお母さんのお見まいに行ったそうです。それから、お父さんとお母さんは「子どもが産まれたら、力を合わせて、一生けん命、大切に育てようね。」と約束したのだそうです。(中略)まるで、すぐお母さんにところにかけつけるスーパーマンのようだなと思いました。 評:とっても感動的な話が、ユーモラスなたとえを使って上手に書けたね。あたたかい気持ちがよく伝わりました。
●あんみさん
(いけみ/小5)の作文より(ドラえもん先生/3.3週)私は、まるでゆめの世界に入ったかのように、パストゥール、少年達は喜んだのではないかなぁと思いました。そう思っていると私も、一人の少年の命が助かったんだと思ってうれしくなりました。【評】あやみちゃんのやさしさがよく表現されているね。
●さくらんぼさん
(とあ/小5)の作文より(かつみ先生/3.2週)わたしの学校は、給食棟があって、全校で「いただきます。」をしてから食べます。 評:クラスごとが普通だと思っていたけれども、こんなすてきな給食の時間もあるのですね。楽しいね。
光る表現(小6)
2001年4月2週号●俊輔さん
(あやゆ/小6)の作文より(かつみ先生/3.3週)植物には植物の、人間には人間の生まれ方があると思った。 評:それぞれの方法がある。すばらしいことですね。違いを違いではなく個性と認める。この考え方はぜひ人間関係の中で役立てたいですね。
●田鳥倉部さん
(あゆと/小6)の作文より(さかな先生/3.3週)科学というのは、終わらないものであり、人間に必要なものであるという事がわかった。★評:「科学は完成していない」という言葉と共に、「終わらない」という言い方も鋭くて印象的でした。
●哲也さん
(ありけ/小6)の作文より(ふじのみや先生/3.2週)この話を読んで、わかったことは、くみあわせがうまくいくと、もとのよさの何倍にも大きくなるということだ。 評:組み合わせの妙(みょう)、という言葉もありますね。 大きな意見で最後をしめくくりました。
●泰佑さん
(あるい/小6)の作文より(ポプリ先生/3.2週)・・・ぼくは想像してみました。それは、犬が服を着てサングラスなどをかけたり、アリが人間のように巨大化していて今とは、全くちがうメチャクチャな世界になっているのだとぼくは思いました。評:おもしろいね。他にも考えてみたくなりました。
●SMILEY(^o^)さん
(あるわ/小6)の作文より(ドラえもん先生/3.2週)それだし、何事も答えを見て問題を解いたときより、答えを見ずに解けたというときの方が、答えを見たときの倍ぐらい感動が大きいだろう。【評】自分の意見をとてもじょうずに述べることができたね。
●知紗さん
(いいく/小6)の作文より(ドラえもん先生/3.2週)地球上には、おやつどころか、三食の食事も食べられない人がたくさんいる。そんな人たちがいるのに、私たちは、よくばりでぜいたくだなと思う。【評】広い視野で考えることができた。これからもこのような考えを忘れず頭に入れておくといいですね。♪
●早紀子さん
(いおよ/小6)の作文より(ゆり先生/3.2週)私は創造とは具体的にどんなことだろうと考えました。するとこんな答えがでました。 ○人のマネではない。〇人が考えてもみなかったもの。〇物を作りだすこと。これは例えていえば「発明」のような感じになります。【評:「創造」という言葉の意味を自分の言葉で分かりやすくまとめてみたんだね。】
●早紀子さん
(いおよ/小6)の作文より(ゆり先生/3.3週)昔はおやつといえばさつまいもやフルーツ、野菜等だった(略)昔なんて、おやつはあまり売ってなかっただろうし、昔の子らに今のカルビーのポテチを見し(せ)たら、あやしく感じられると思う。【評:おもしろい例だね! 百年前の日本にはポテトチップスはもちろん、チョコレートもアイスもなかっただろうから、きっとビックリして食べていいかどうかも分からないだろうね。】
●孝太さん
(いくき/小6)の作文より(みち先生/3.1週)ぼくは走るのがおそい人には、たっちされたくはありません。評:「どうして...」の項目に当てはめて書けたので、気持ちが良く分かって自分らしさが表れたね。
●たかやんさん
(いくの/小6)の作文より(スズラン先生/3.2週)(給食委員で重い給食を運んだりしている体験を通して)給食委員になって良かったなぁと思うことがあります。それは、同じクラスの人とかに、「がんばってるね」とか、「手伝うか」と言ってもらいます。とてもうれしいことです。評:クラスのお友達は、自分達のためにがんばってくれていることをちゃんと分かっているのですね。そういうお友達の気持ちを大切にしていることが伝わってくる文ですね。
●たかやんさん
(いくの/小6)の作文より(スズラン先生/3.3週)ゴミを捨てに行ったときにそこからハエが飛んできたのです。ハエってきたないんだなぁと思いました。しかし、本で調べてみると、ゴミなどにふれないハエがいると書いてあるのです。これにはぼくは、びっくりしてしまいました。評:「えっ、そうなの」と私もびっくりしました。きっと他のお友達もびっくりしそうですね。長文を読んで調べてみると楽しい発見があるのですね。
●う→さん
(いけわ/小6)の作文より(ふじのみや先生/3.3週)(ハエは)まるで忍者のように ハエの世界のごくひにんむ(極秘任務)をコソッとしているのかもしれない。 評: 食べ物に近づいて、どんな仕事をするのでしょう? 人間にとっては、あまり、歓迎できる仕事ではなさそうだね。
光る表現(中1以上)
2001年4月2週号●コナンさん
(あえた/中1)の作文より(洋子先生/3.2週)…略…三歳くらいでもお話を通せば、うそをついてはいけない。よくばりをしてはいけないなど、どういうことをしたらいけないのか、教えてもらわなくてもわかる。こういうこともおはなしの持つ不思議な力の一つだと思う。「三つ子の魂百まで」というが小さい頃に聞いた話しから得たものは、大人になっても忘れないでどこかで役に立っているものだ。評:あなたの好きだった昔話のこぶとり爺さん、舌きりすずめ、金の斧銀の斧、はなさか祖父さんなど(欲張りな人には、罰があたり、やさしくて正直者には、いいことがある)また一寸法師など(小さい体でも勇気と知恵を持って戦い、鬼までやっつけるスカットした)がみんなあなたの今日の価値判断の基盤になっていることでしょう。小さい頃たくさん昔ばなしやお話の本を読み聞かせしてもらったり、自分で読んだりできて幸せでしたね(^o^)
●ひろりんさん
(あしゆ/中1)の作文より(とこのん先生/3.3週)歩くだけで楽しいことがあるような、ゆとりのある土の道も、少しぐらいあったっていいんじゃないかと思う。評:私たちがどれだけ合理性や時間の短縮を求めて余裕のない生活を送っているかを気づかせてくれる一言でした。
●ひろりんさん
(あしゆ/中1)の作文より(とこのん先生/3.4週)昔話には大きな力がある。それを私的に考えると、子供に物語の興味を引かせてしまうところだと思う。評:文学の出発点として「昔話」がどのように自分の興味をひいていたのかときちんと見つめ、その価値を自分なりに「言葉」で表現しています。
●A.Lさん
(あそき/中1)の作文より(森川林先生/3.2週)昔話と言うのは、昔の人の知識の供給源でもあり、人間の生き方を表したものでもあると思う。評:こう考えると、昔話も新しい見方ができるね。
●日本太郎さん
(あねひ/中1)の作文より(ドラえもん先生/3.3週)ぼくはいつも山の色がいい色だと思っている。雑草が出たらすぐひっこぬく人もいるがそんな人にかぎって「自然はいいね」と思っているだろう。山の色と同じなのに・・・・・・。【評】自然を愛しているということがよく表現されているね。これからもこの気持ちを大切にね!(^o^)
●ミートさん
(あらよ/中1)の作文より(クマのプーさ先生/3.1週)「メロディーのとこ、少し間違えちゃったよ。」といっていた。『とこ』というのはもともと『ところ』という言葉だったのに、評:お母さんの言っていた「ら」抜き言葉の話から、自分の周りで不思議な言葉を探して、みなが当たり前のように使っていて、でも本当は正確な言葉がある、という身近な具体例をうまくピックアップできましたね。
●ミートさん
(あらよ/中1)の作文より(クマのプーさ先生/3.2週)そんなモーツァルトだってもともと普通の人間のように生まれてきたのだ。別に、生まれたときから偉大だったわけではない。評:伝記を読んでモーツァルトのことをよく知っている、というニュアンスが伝わってきます。「天才は1%の才能と99%の努力によってつくられる。」評:課題文にぴったりな名言をよく見つけま
●ミートさん
(あらよ/中1)の作文より(クマのプーさ先生/3.3週)自分が思っている「自分」と他人が考えている「自分」の食い違いは大きい。だから、真の自分を知ることは難しいことだと思える。たとえ、時間をかけてでも自分がどのような人間か知りたいと強く願う。【評】自分はマジメじゃないのに、マジメと友達には思われていたり・・いろいろな食い違いが人間同士にはありますね。でもそこであきらめないで、しかも自分を知ろうとするところが強く印象に残りました。
●ルフィさん
(あわせ/中1)の作文より(さかな先生/3.3週)今の日本は経済的には豊かだが、心は貧しいという人がいる。案外今の日本に一番必要なのは森総理解任ではなく心の余裕なのかもしれない。★評:うわぁっ、鋭いなぁ。政治や社会にも目を向けて考えていくセンスが光りました。
●龍太郎さん
(いあせ/中1)の作文より(はるな先生/3.3週)僕の家の前は、ずっとコンクリートで舗装されていて土の道ではなかったけれど、舗装された道より土の道の方が僕も皆も楽しい登下校ができるかもしれないと感じます。でも僕の学校に行く途中とても急な坂があって、そこでは前、人が大怪我をしたことがあると聞いたことがあります。だからコンクリートで舗装したということだそうです。コンクリートも大事かもしれないけど、舗装していない土の道も大事だと思う。だから舗装しすぎない、そんな街が一番だと思います。(講評);舗装しない自然歩道の大切さを、身近な坂道を実例にあげて、力説したところが、すぐれています。
●龍太郎さん
(いあせ/中1)の作文より(はるな先生/4.1週)本名だとコミュニケーションが取りにくい。僕はあだ名が付く前は、みんなと話すことが少なく友達がなかなかできなかった。しかし、あだ名ができたとたんに友達ができるようになった。(講評);本名で呼び合うと、堅苦しくてなかなか、コミュニケーションが取りにくいものですね。自分の体験を通じて、ニックネームのおかげで、仲間づくりがスムースにできたという利点を力説することができました。"☆" "☆" "☆"
●DARIAさん
(さあ/中1)の作文より(ゆり先生/3.1週)私は、まだお母さんのように、「フワッ」として雲みたいなオムレツや、「パリッ」と、いって歯ごたえのいいソーセージなどはできない。【評:お母さんのオムレツやソーセージが「おいしい」ことを、たとえをつかって分かりやすく表現できましたね。】
●たぬきさん
(のと/中1)の作文より(ゆり先生/4.1週)でも、人が嫌がるあだ名はだめだと思う。そういう事をしたらせっかく楽しいのに楽しみが無くなる。十二年生きていたけど頭のデータにはこういう事になった人はいない。【評:「十二年」の間の「頭のデータ」。とってもおも
しろい表現だ!】
●のんぴいさん
(いあえ/中1)の作文より(さかな先生/3.3週)私は土の好きな所がある。それは、においとつめたさだ。★評:土の道の光景がふっと立ちのぼるようでした。五感を使ったこの感覚、大切にしていきたいね。
●SAPPHIREさん
(ああす/中2)の作文より(ミルクティ先生/3.3週)“転がる石はこけをつけない”ということわざがあるのを皆は知っているだろうか。これはイギリスから生まれたことわざである。そしてアメリカにもわたったことわざである。しかし、イギリス人とアメリカ人とでは、このことわざの意味の解釈の仕方が違うのである。イギリス人は「転がる石」を“感心できないもの”、「こけ」を“安定によって育つよいもの”と解釈している。一方アメリカ人は「転がる石」を“流動してどんどん動き回るよいもの”、「こけ」を“消極的でいるとつく、よけいな歓迎されないもの”と解釈している。…略…日本人はこれからアメリカ人の「転がる石」にならなければならない。<評>自己PRをもっとするべきだ、という意見を支える例として、おもしろい実例を書けましたね。イギリスの意味とアメリカの意味の違いの説明も興味深かったです。
●ユッコさん
(あるろ/中2)の作文より(ドラえもん先生/3.4週)今の子供は、自然について、昔と比べてほとんど知らないと思う。アスファルトの道は、舗装されて、歩きやすくてという感じだけど、過ぎたるは及ばざるが如しというように、アスファルトの道を造りすぎてもいけないと思う。みんなが自然にふれあうためにも家の前の道がつてでできているということは大切なことだと思う。【評】ことわざも引用しながらとてもじょうずに自分の意見を述べることができました。
●潤之介さん
(かな/中2)の作文より(けいこ先生/4.1週)あだ名は、人と人との間を近づけたり遠ざけたりするものである。しかし、そういうことになるのは別にあだ名が良かったり、悪かったりするわけではない。それは、そのあだ名を使っている人によって変わるものだ。お互いにあだ名で呼び合うには、思いやりや親しみの心が必要になってくるのではないか。 評:「AかBかではなく、大切なのはC」という総合化がうまくできた。
●エガさん
(てせ/中2)の作文より(とこのん先生/4.1週)大事なことは(あだ名が)よい面だから使った方が良いのか悪い面があるから使わない方が言いのかではなく、友達同士の友情の確認として使った方が良いのである。評:客観的な考察のもとに、単なる「善し悪し」や「使う使わない」の問題なのではなく、相手にどのような感情を持って、どんな形でつかうのかが大切だ、という主張がきちんとされています。"☆" もうすぐプロ野球も開幕だあ〜
●惣さん
(やき/中2)の作文より(ドラえもん先生/3.3週)才能とは自分自身を信ずる能力であると言うことわざがある。ぼくも、バイオリンを習い始めたころは、全然うまく弾けなかったけど、だんだん曲が弾けるようになると、自信がついて次へ次へと進んでいけるものだ。だから、なんでも自信を持って前に進むべきだ。【評】自分の経験をとおしての意見なので説得力がありますね。これからも自信を持って前に進んでいってくださいね。♪
●青ちゃんさん
(ひえ/中3)の作文より(ふじのみや先生/3.1週)それに、勉強という、あまり楽しくはないことをやっているからこそ、遊びは楽しいのである。 評:その通り。食べ物なら、好物ばかり続くとうんざりするのと同じかな。
●まっちゃんさん
(あさも/高1)の作文より(スピカ先生/3.3週)「一人の敵も作らない者は、一人の友も持たない」というが、「友も要らないし敵なんかもってのほか」という人が増えているだろう。人とふれあい、大きくなる。人は所詮、群れで過ごす人間なのだ。自分が自分であるためにも。 評:人は人との関わり合いの中でこそその人らしくあることができる、ということが名言をうまく使ってしっかり表現できたね。"☆"
●眠雨さん
(うき/高2)の作文より(ミルクティ先生/3.3週)日本人に必要とされているのは、前人未到の荒野を切り開く「創造力」をもった人間である。…略…確かに秩序と平和の維持を考えるのならば、創造力の根幹の、他者と衝突する強烈な個性はあまり歓迎されるものではないだろう。しかし、他者に合わせるということは、自己をどこかで抑えつけることだ。それは自分の正しさを信じきれない薄弱な精神力であり、自分の意見をうまくもてない貧弱な自我だ。自我は進む一本の線であり、日本では誰かの線とぶつからないように、うまく方向を変え歪め、次第にその線の濃さは薄れていき、終には途切れようとしている。、欧米では直線たちがしっちゃかめっちゃかに伸び、衝突事故の際に生じる爆発的なエネルギーを創造力に、ひいては発展に、いや、生存に転換してきた。世界の流通は既に平和の維持とかそういった次元ではない。うねりのたうつ津波のような、それは生存競争だ。生き延びる適者になるために、日本もまた、変わっていくことが必要なのだ。<評>力強い表現で、読むものを圧倒します。頭の固い、創造力のかけらもないような大人にはならないよう、若者の創造力の芽を伸ばすような教育でなければ…と痛感しま
●太公望さん
(うの/高2)の作文より(けいこ先生/3.3週)人間は、社会的動物だから、周りとの協調が必要だが行き過ぎると馴れ合いになりそこから新たなるものが生まれなくなる。これからは、独創性を持っていなければ生きていけない。ということは、独創性を育てる教育をしていかなければならない。つまりみんなと一緒と言う甘い考えが通用しない。今こそ日本人は目覚めるべきである。 評:日本には「競争=悪」というイメージがあるみたいね。それを払拭して独自性を出していくことが、これからの課題であり、目標だということだね。
●MAIさん
(いお/大1)の作文より(きょうこ先生/3.3週)「日本人同士でも物事の進め方が自分と違うと批判する事があるが、頭から批判するのではなく、そういう進め方もあるのかと受け入れていく姿勢が、異文化との交流でも大切な事なのだと思う。このようにして私も視野を広げていきたいと思う。」大きな異文化交流における問題を、とても身近な日本人同士の問題に置き換え、対策を考えてみたところが、とても鋭い視点からの意見で良かったね☆ 大きな問題を身近な例でとらえたり、具体化していくことが本当にすばらしく上手でした♪
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