KotobanomoriNo.722
言葉の森新聞
2001年8月1週号
文責 中根克明(森川林)
7月懇談会の資料(その2)
■「和俗童子訓」■巻之一より(※は中根の考え)
よいことを教える
乳母は温和で謙虚でまめやかで口数の少ないものを。
※逆は、自己中心的でムラがあり口数の多い人か(笑)。口数の多い人は、理屈で子どもを言い負かして満足してしまうことが多い(私も反省)
ほしいままなる事をいましめる。
※決めたことを守る、我慢するなどの習慣は幼児期につく。
その場を取り繕うと偽りを教えることになる。
※お客さんがいるときに限ってわがままを言う子などの例
たはぶれにおそろしき事をいいきかせれば、後に臆病のくせとなる。
※怖い話、暗い話には、教育的意義はない。
※この点で、一部に誤った幼児教育論が見られる。子供には暗い真実より明るい夢を。
愛を過ごすべからず。
三分の飢えと寒を帯ぶべし。
童子の衣のわきをあくるは、熱おほきゆへ、熱をもらさんがためなり。
※豊かな時代に、「三分の飢えと寒」を実行することは難しい。現代では更にこれに「三分の貧」も必要かもしれない。
父母厳にしてきびしければ、孝の道行はる。
※このへんに戦後教育の弱点がある。子どもの意見や自主性を尊重するという建前のもとに、大人が自分の責任で権威を持つことを避けるようになった。しかし、子供たちの作文を読む限りでは多くの家庭は、しっかり厳しい躾をしている。一部に、親や先生が子どもに馬鹿にされていて教育力を持てない面が見られる。また、成績に関してだけ厳しく、生活はルーズという例も。
※叱ることは、褒めることよりも、多くのエネルギーを必要とする。
※子どもは、心から叱られるのであれば、叱られることをむしろ望んでいる。
※男の子は、だれでもいつかは、父親と力の対決をする時期が来るようだ。男の子の父親は、常日頃から体力と迫力をつけておく必要がある(笑)。
※石原慎太郎氏のエピソード:大学の空手部に入っている子どもがある日母親を馬鹿にするようなことを言った。慎太郎氏は怒って、子どもを玄関に引きずり出す。一瞬空手のポーズをとる子。「やる気か。ならば表に出ろ」と啖呵を切る父(しかし、もちろん強さの点では子どもの方が上のはず)。一瞬ためらう子。やがて素直に母親に謝る。この場面を読んだとき、畑正憲さんがヒグマのドンベエと対決した場面を思い浮かべた。男は野獣なので^^;褒めるだけで育てるというのは無理がある。
小児のときより手伝い・勉強などで忙しくさせ、苦労をさせ、不自由な思いをさせれば、大人になってからが楽。
偽りをいましむ。約をたがへず。利欲を教えしらしむべからず。
小児の教えは早くすべし。しかるに凡俗の知なき人は、小児を早くおしゆれば気くじけてあしく、只、その心にまかせてをくべし、後に知恵いでくればひとりよくなるといふ。
※これは次の何を教えるかと関わってくる。
子の好むところにまかせて、よしあしをえらばざれば、多くは悪しき筋に入りて、後はくせとなる。
※その程度にもよるが、親は子どもの関心の方向をある程度制御する必要がある。
小児の遊びを好むは常の情なり。道に害なきわざならば、あながちにおさえかがめて、その気を屈せしむべからず。
※のびのびとあそばせることも大事だ。これらを総合すると、やはり親のバランス感覚が大事になってくる。
幼(いとけなき)より、礼をつつしみて守るべし。人のわざ、事ごとに礼あり。
※返事は「はい」と言う、近所の人に会ったらあいさつをする、などの礼儀は、やはり家庭の中でなければ指導できない。教室でも、黙って入り黙って出て行く子と、あいさつをして出入りする子がいるが、あいさつのできる子は印象の上でかなり得をしている。
かりそめにも人をそしり、わが身におごらしむる事なかれ。
およそ人の悪徳は、矜(きょう)なり。
およそ小児の善行あると、才能あるとをほむべからず。
※「ほめて育てる」ということは大事だが、それが自慢につながらないような配慮が必要。
人柄よき師を求むべし。
※知識や技術の高さよりも、人柄のよさの方が子供にとっては大事。
学ぶ順序。礼儀・作法・仁義の道理→ものかき・算数→弓馬・剣戟(けんげき)・拳法(やわらほう)
ひたむきに、芸をこのみすごすべからず。学問は本なり。技能は末なり。
※昔は、バランスのとれた教育観があった。
以上、貝原益軒の「和俗童子訓」全五巻中の「巻之一」をざっと紹介しました。
これを見ていると、81歳の老人の持つバランスのとれた智恵がこの教育論の全体を流れていることを感じます。
戦後の日本は、占領軍の政策的な背景もあり、それまでの家父長制大家族主義が否定され、核家族化が新しい家庭のスタイルとして広められました。それは、日本の民主化を促進しましたが、同時に日本の文化が持っていた根を断ち切る役割も果たしました。
今30〜50代の世代は、子供に対してあまり強いことを言わない傾向があります。それは、その世代がその親からやはり強いことを言われずに育ったためです。
敗戦によって、日本人の多くは自信を失いました。その結果、敗戦時に親だった世代は、子供たち(今の親の世代)に、それまでの価値観や規範を伝える役割を積極的に果たそうとしませんでした。私(森川林)も親からあまりうるさく言われた記憶がありません。うるさいことはうるさかったのですが(笑)。それは、戦後の貧困と混乱という事情ももちろんありますが、それ以上に文化政策的な影響が大きかったと思います。
最近、多くの事実が明らかになっていますが、敗戦直後の日本を代表する新聞の社説は、「武力では負けたが、自分たちの文化が負けたのではない。誇りを持って再起しよう」という意気軒昂なものでした。しかしそれらの流れは占領軍によって即座に遮断され、以降マスコミを利用した組織的系統的な日本ダメ論が普及させられます。この文脈で見ると、社会科学の大御所であった丸山真男氏の著作も、その良心的な姿勢と深い洞察にもかかわらず、占領軍の政策の流れに乗ってでなければこれほど広がらなかっただろうと推測することができます。「日本の思想」(丸山真男著)は、言葉の森の高校生向けの推薦図書ですが。(笑)
自信を失った親に育てられた現在の30〜50代は、やはり子供たちに権威を示すことが苦手です。今、さまざまな情報機器が登場しています。テレビゲーム機、パソコン、インターネット、携帯電話など、今の親の世代が子供のころには当然なかったものです。ですから、親は自分自身がそれらの情報機器に対して何らかの権威ある基準を示されたことがありません。そのために、自分の子供に対しても、自信を持って基準を示すことができません。ただずるずると子供の要求を先延ばしして対処しているというのが多くの家庭の実態です。だから、いざそれらの情報機器が入ってくると、歯止めがなくなってしまうことが多いのです。携帯電話などでは、通話料は自分の小遣い持ちということで金銭的な歯止めがかかるように見えますが、将来、電話は無線に取って代わられますからやがて通話料は無料になり歯止め自体がなくなります。
親が子供に対して明確な指針を出すというのは、単なる技術的な問題ではありません。そこには戦後教育が避けてきた教育における哲学(価値観)の問題が横たわっているのです。
6月のアンケートより(その2)
●父母より(小2)
電話で先生とお話できて嬉しそうです。行事(運動会や遠足など)や旅行などの体験したことは楽しく書きやすいようです。日常的なことは難しいようですが、学校でも作文が大好きです。毎回の積み重ねによってもっと作文を好きになってほしいと思っています。▼教室より
小学校4年生までの子供の意欲は、主に自分の行動を喜んでくれる大人がいることによって伸びるようです。自分の書いた作文を読んで喜んでくれる人がいるというのが、子供にとってはいちばんの励みになります。ですから、この学年までは、何しろいいところをどんどん見つけてほめてあげることが大事です。そして、ほめる一方で、毎日の長文音読と読書を続けていくというのが実力をつける方法です。
作文の種類は大きく分けて、事実文、説明文、意見文などに分かれますが、このうち、実際にあったことを書く事実文は、子供の最も書きやすいジャンルです。例えば「今日のこと」「この前のこと」というような題材です。
しかし、説明文になると、急に書きにくくなります。例えば「ぼくのともだち」「わたしのお母さん」というような題材です。これは、書くことはもちろんあるのですが、どういう順序で書いたらいいのかが子供にはわかりにくいからです。ものごとを構成的に考えることのできる学年は、小学5年生からです。ですから、5年生からはこういう説明文も書きやすくなりますが、4年生まではあまり無理して説明文を書かせる必要はないように思います。
毎回の作文が「きょうのこと」だと、もう少し変わったことを書いてほしいと大人は思いがちですが、低学年のうちは、事実をしっかり書くことで書く力をつけていく時期と考えておくとよいようです。
●父母より(中2)
作文を書くのに抵抗感が少なくなったようです。誤字・脱字などは結構あり、親としては注意したくなるのですが、今のところは黙っています。先生からの可愛いシールのついてくる講評を本人は楽しみに呼んでおります。この調子で苦手な作文に興味を持てるようになってほしいと思っています。▼教室より
作文の勉強は、基本的に「よいところをほめる」ですが、中学2年生であれば、誤字・脱字はどんどん注意していっていいと思います。小学5年生以上の子は、作文の勉強も前向きにやっている子が多いと思います。それは、ほかの勉強も含めて、高学年に共通の心理です。5年生以上の子供は、優しくほめられるだけよりも、むしろ厳しくても自分のためを思って叱ってくれる方を好みます。
ですから、誤字・脱字があれば、暗い言い方にならないような配慮は必要ですが、注意してあげるというのが、高学年の子に対する基本的な接し方です。しかしもちろん、作文の勉強を始めたばかりの子に対しては、注意をしないこともあります。
このあたりの見極めは、実際に身近に子供と接している人が判断していくことになります。
光る表現
2001年8月1週号●くわがたさん
(いきと/小2)の作文より(ミルクティ先生/7.2週)『はがぬけた』つぎの日の夕がたに、おとうさんにはのことをいいました。「なんか、かわってない。」と顔をみせました。「うんと、わかんない。」と、お父さんが考えました。「せいかいは、はがぬけたことだよ。」と、ぼくは、にこにこした顔でいいました。そして、「ゆか下にぬけたはをほおって、つぎに、いいはがはえますようにって、おいのりしたよ。」と、せつめいしました。はがぬけたので、ちょっとごはんがたべにくい。けれど、はは、ほねとおなじでカルシウムからできているので、(牛にゅうをのんだり、魚のほねをたべないといけないかなあ。)と、かんがえています。<評>会話のあとを「と言いました」という言葉ではなくて、「と考えました」「と、せつめいしました」という言葉で書いたところが、うまいね。☆ カルシウムの話も、よく知っていたね。牛乳をたくさん飲んで、じょうぶな大人の歯を作ってね!
●泰児さん
(いおと/小3)の作文より(ミルクティ先生/7.2週)きょう、「父が母国をはなれた後」をよみました。お金がない三人の兄弟と、一人のお母さんの話しです。一人目のお兄さんは、お金をなくしました。ぼくが、このお兄さんだったら、だいたい一時間ぐらい探します。十円ぐらいだったら、あきらめます。五十円以上だったら、探します。…略…びんぼうな四人家族は、みんな、おかねをおとした、お兄さんのことを怒らないで、なぐさめました。ぼくは、この感想文をよんで、この家族はやさしいな。と思いました。<評>もし、ぼくだったら…と考えるときに、お金の額が○円だったら…という条件もつけて考えたところが、具体的で感心したよ。作文のさいごは、しっかり全体の感想になる文でまとめられたね。v(^o^)
●アッキーさん
(いそか/小3)の作文より(ももんが先生/7.2週)あまりにもおいしくて、おなかがすいていたのかよくわからないけど、おおもりのごはんにカレーのルーをいっぱいかけたのを、二はいもたべました。レーズンを入れなくてもおいしいけど、わたしはレーズンがはいったほうのカレーがすきです。なぜかというと、レーズンもおいしいし、カレーもおいしいので、よりいっそうおいしくなるからです。【評:大もりで二はいもおかわりした暁子ちゃんのようすが、手作りのカレーライスのおいしさをよく伝えてくれました。レーズンとカレーのあじのハーモニーを教えてくれたのもよかったですよ。おいしさが伝わってくる文しょうです(^o^)。】
●ラブリーさん
(あにせ/小4)の作文より(ミルクティ先生/7.2週)『ランプ屋の巳之助』この話を読んで一番ちがうと思ったことは、自分の意見とは正反対だったからと言って、人をうらむということです。なぜそう思ったかと言うと、世の中自分の思いどおりにならないことはたくさんあるけれど、そんなちょっとしたことで人をうらむことは、いけないとおもうからです。<評>作文の最初に【一番…は】の文を使って、自分の感想をしっかり書いたところがいいね。強く思ったこと、強く言いたいことをはじめに書いて中心をはっきりさせることができたね。
●ともっちさん
(いえさ/小4)の作文より(けいこ先生/7.2週)ぐみの実は、つぶすととろとろのしるが出てきて、そのしるをなめると、キュッとしまったような味がします。くわの実は、すっぱい味で、くろければくろいほど、おいしくて、白ければ白いほど、スッパくなります。くわの実は、(食べると)みんな「スッパ〜。」と言います。 評:学校に実がなる木がたくさんあるのね。うらやましい! キュッとしまったような味は、天然の味なのね。すっぱいけれど、おいしそうだね。
●義明さん
(いきき/小4)の作文より(きょうこ先生/7.2週)「ぼくがいまいちばんたべたいものは、おばあちゃんのつくるサーロイン?ステーキです。なぜかというとおいしいし、においもいいからです。・・・だから、ステーキのときだけそっこうでたべにいきます。」義明くんがステーキめがけて飛んで行くようすが目に浮かんできそうな表現だね。\(^-^)/「そっこうで!!」走っていくときは、ものすごく足が速くなった感じかな??
●拓樹さん
(いこや/小4)の作文より(ふじのみや先生/7.2週)今でも三番目ぐらいだから、来年は一番つよくなりたいです。一番つよくなったら、全員ぼこぼこにあて ぜんめつさしてみたいです。 ☆思い切りよく、心の中を表現したね。これは、強くなれそうだ!
●真裕子さん
(いさは/小4)の作文より(ふじのみや先生/7.2週)ボールがいきなり「ビューン。」と とんできて、私がよけたボールを、ほなみちゃんが、「バシッ」とうけとめました。 評:「ビューン」と、「バシッ」の音が、スピードと力をあらわしていますね。
●YOTOさん
(いせい/小4)の作文より(ミルクティ先生/7.2週)このムラサキツバメは、ふつう、四国、九州、おきなわと、山口県、紀い半島南ぶに分ぷしています。このムラサキツバメは、さいしゅうしたときから、ボロボロだったけど、理由はたぶん、台風かなにかでふきとばされたのだと思います。ムラサキツバメが生息しているここから一番近い紀い半島南ぶからでも、五百キロメートルぐらいはなれているので、自然に飛んできたとは、考えられないからです。<評>関東には生息しないはずのチョウが、なぜ近くの公園にいたのか? …名探偵YOTOの推理、さえていますね! 論理的な説明で説得力があります!
●アミーゴさん
(いそと/小4)の作文より(きょうこ先生/7.2週)「次にバタフライの足を練習しました。バタフライの足はくねくねしていてまるで、魚だけではなく、人魚が泳いでいるみたいです。次の日は、バタフライの手を練習しました。まるで、ちょうちょや、鳥のように、パタパタ羽が働いているようにみえます。・・・そして、後25mです。『もうすぐだ!200m。がんばれ。わたし!』心の中で、自分をおうえんしました。」なるほどぉ、バタフライというのはそういう感じのする泳ぎなんだね♪ 目をつぶって想像してみたくなるね! そして、自分をいっしょうけんめい応援しながらがんばって泳ぎきったんだね☆ 水の中から亜美ちゃんの声が聞こえてきそうだね!
●圭さん
(いそむ/小4)の作文より(スズラン先生/7.2週)(好きな遊びのおにごっこで)おにになると、ずっとおいかけていなければいけないのでさいあくです。でも、ぼくはおにごっこがすきです。:評:おにになると最悪と思いながらも、この遊びが好きだというのは、楽しいことがたくさんあるのでしょうね。「でも、、、、」ということから楽しさが伝わってきますね。
●すみすみさん
(あない/小5)の作文より(かつみ先生/7.2週)デッキブラシで、10分間こすりつづけて、やっと取れました。その時の10分間は、ものすごく長く感じました。 評:大変だった様子が良く分かりますよ。
●りんごさん
(いしも/小5)の作文より(ふじのみや先生/7.2週)私も なんでかなと思った。でも、ねていた私ののうみそが急に起きた。 ☆ピンとひらめく瞬間を、動きのある表現であらわしたね。
●うさぎさん
(いそに/小5)の作文より(スズラン先生/7.2週)妹から「ねー、お姉ちゃん、マンガかしてー」と言われたけれど、私はいやだったので、「いやだ」といったら、「ねー、そこをな・ん・と・か・」という具合なかんじだった。そのとき、わたしは、やっぱり貸してしまった。:評:「そこをなんとか」と言われたときの気持ちのゆれがでていますね。こう言われると弱いですね。
●早紀子さん
(いおよ/小6)の作文より(ゆり先生/7.2週)最近の厚生省の調査でも、日本はいまだにお米中心の生活だ。それはどうしてなのか。たぶん、昔からのお米の伝統を守っているんだと思う。うけつぐ、みたいな感じで。【評:「厚生省の調査」を引用したんだね! 説得力が出るなあ。そこに、自分でその理由を考えてつけ足したのがえらい!】
●孝太さん
(いくき/小6)の作文より(みち先生/7.2週)ぼくのばんがきて「よーしおもいきりうつぞ」といきごみをだしたらとんでうれしかったです。しかもスリーベースヒットでした。とてもうれしくて点がはいりました。(中略)人間にとってうれしいことは、生きてることがわかります。評:気持ちのもちかたが結果に現れたね。一般化の主題で上手くまとめられました。
●A.Lさん
(あそき/中1)の作文より(かつみ先生/7.1週)でも、テストはあまりいいかげんではなかったようだ。 評:この表現の裏にかくされている、様々な考察がうきあがってくるようです。いいかげんではなかったようだ、ここが一番いいね。
●あつしさん
(あむら/中1)の作文より(きょうこ先生/7.2週)「外国文化に憧れつつも、日本文化をとり入れて、日常生活をしていくといいとぼくは思います。・・・まるで、サッカーの試合でドリブルをしていて相手が来たら、フェイントをかけて相手をかわすように、(字を書く場合も)色々な字で書けばいいと、ぼくは思います。」文化に対する接しかたも、こういうサッカーのプレイのように、その時々の状況に合わせて、ということだね! とてもスピード感のある表現でビックリ! こんな風に、文化というボールともうまく付き合っていければいいね!
●祐司さん
(には/中1)の作文より(さかな先生/7.1週)でも僕はテストで好きな事がある。それはテストが終わったあとの達成感だ。それは解放感といってもいいかもしれない。(笑)これは、自分の目標があったから味わえるのだ。★評:目標を持ってテストを受けることの大切さ。集中して勉強に取り組んだ充実感が光っています。
●SAPPHIREさん
(ああす/中2)の作文より(ミルクティ先生/7.2週)子供中心、大人中心、どちらの育て方もよいが、一番重要なのは愛情を与えて育てることだ。どちらの育て方をされても、愛情さえもらっておけば、また次の世代にもその温かな愛情が伝わる。伝言ゲームのように、愛情というものは伝わり、大きくなっていくのである。<評>親から子へ、その子が親になって、また子供へ…と愛情がつながっていくことを「伝言ゲーム」にたとえたところがうまいね!
●駿介さん
(らる/中2)の作文より(ミルクティ先生/7.2週)子供というものは、育つ時の環境によって性格や考え方が変わってくる。環境によっては、良くも悪くもなるということだ。これからの世の中は、それをなるべく良い方向にむかわせるのが、一つの問題点なのではないか。<評>最後の文を、読み手に問いかけるような文で書いたところが印象的です。
●横浜太郎さん
(あわか/高1)の作文より(けいこ先生/7.2週)競争の真の目的は、表の意味は確かに利害をはっきりさせるということだが、そこに隠された真の意味は、相手との違いをはっきりさせて自己を確立し他を認め合う、こういうことだと思う。 評:「競争」の意味を深く考えられた。安易に競争を避けると、実は「認め合えない」という深刻な問題を引き起こすのだね。
●舞さん
(あおき/高3)の作文より(こあら先生/7.1週)出来あがった言葉を使うことではなく、何かを伝えようと思う心が、今必要とされているのかもしれない。【評】どこかで聞いたことのある言葉をつなぎあわせるのではなく、自分で言葉を探したいですね。
●ノッポさん
(いえは/高3)の作文より(森川林先生/7.2週)人はそれぞれ顔が違うように性格も異なっているのだから、一つの基準の中で争わせるのは必ずしも公平とは限らない。けれども「人は必ず一つ才能を持っています。」ある日本を代表するトライヤスロンの選手が言った言葉のとおり、一つの分野の競争で負けてしまった人は、ほかの分野で力を発揮させれば良いのである。◆評:こういう引用は、名言の効果があるね。
●恵美子さん
(いすあ/社)の作文より(森川林先生/7.2週)今の社会では競争は好き嫌いにかかわらず避けて通れないものである。そしてその競争は評点という形でしか評価されないのが現実かもしれない。しかし本当に競争すべき相手というものは、周りにいる「誰か」ではなく自分自身であることに気付き、自分自身が厳しい評点をつけ、またすばらしい評価もできるようにいたいものである。◆評:まとめの意見で、名言のようなスタイルで書いたところがいいですね。最後の文はもっと短くしてもいいか。
—————————————————————————————
■オンラインマガジンの登録と削除は下記のページで■
http://www.mori7.com/morion/imorion.html
■これまでの言葉の森新聞は下記のページで■
http://www.mori7.com/mori/komori/indexmori.html
■ホームページ■
http://www.mori7.com/
■メール■
nane@mori7.com