KotobanomoriNo.725
言葉の森新聞
2001年8月4週号
文責 中根克明(森川林)
「山のたより」の点数表示
「山のたより」の点数表示やランキングの説明は、「学習の手引」に載っています。ホームページの中では、「森のガイド」というところに載っています。
http://www.mori7.com/guide/iguide.html
さて、この点数表示で、ときどき非常に大きい数値が出てしまうことがあります。(平均は100。通常は90〜110の範囲)
この数値は、もともと偏差値と同じように確率密度分布を使ったものです。ですから、ある項目がどのくらいできたかということを同学年のほかの生徒の中での位置として把握するには便利です。しかし、たまたま同学年の生徒がまだだれもやっていない週の課題をひとりだけ先に取り組んだ場合は、比較する相手がいないので異常に大きい数値になってしまいます。
比較する相手がいないときは数値を修正するように直せばいいのですが、アクセスというデータベースの中で、この数値をあちこちにリンクしているので、一ヶ所なおすと必ず数箇所関連して直すところが出てきます。そのため、バグを修正していると半日か一日仕事になってしまいます。場合によっては数日かかることもあります。そうすると、現在使っているシステムをいったん止めて作業しなければなりません。
現在のアクセスに基づいたシステムは、近い将来ウェブデータベースに移行する予定ですので、どうせ直すなら、ウェブデータベースに移行してから直そうと思っているうちに、夏休みが終わってしまいました。^_^;
以上のような理由で、時折高い数値が出る現象は、しばらく我慢してくださるようお願いします。ほとんどの場合、次の週になり、比較するほかの生徒の評価も入ると、高い数値も元に戻ります。また、賞状の集計に使うための点数は、ある期間を区切って集計するので、このように高い数値が入ることはありません。
ご連絡いただいた生徒や保護者のみなさん、ありがとうございました。こういうことでよろしくお願いします。
9月に父母アンケート
9月1週に父母アンケートを行なう予定です。ふだんの勉強でお気づきの点やご質問の点がありましたら、アンケートにお書きください。
これまでのアンケートと回答は、「父母の広場」に掲載されています。
http://www.mori7.com/nohara/hubo.html
「PHP/MySQLプログラム研究会」9/8(土)15:30
ホームページ作りとプログラム研究のための研究会を9月8日(土)午後3:30より港南台教室で行ないます。
研究会は今回で3回目。8月までにPHPとMySQLによる掲示板作成が終わり、9月はPHPとMySQLによるウェブ認証ページを作る研究です。
研究会のメンバーは現在26名。生徒・父母・OBなど多彩です。名前だけでまだ何も始めていない人もたくさんいますから(笑)、これから新たに参加したいという方もお気軽にどうぞ。ただし、英語のテキストを読むことが多いので、高校生以上でないと参加は難しいと思います。というか、大人でもかなり難しいです。しかし、わからない者どうしですから気軽です。参加費はもちろん無料(ただし本代がかかります)。
eラーニングの可能性
前号にも書きましたが、ITは、単なる新しい情報技術というよりも、情報の自己編成を促す新しい技術というかたちで発展していきます。
この点で、IT化は、教育や文化の分野ときわめて高い親和性を持っています。
現在、アメリカを中心にeラーニングの技術が発展していますが、今後学校で行なわれている授業のうち、先生という人間が担当しているかなりの部分はITによって置き換わる可能性があります。
いま、学校でも塾でも、数十人の生徒を一人の先生が一斉に教える、いわゆる一斉指導が授業の基本的なスタイルになっています。しかし、この一斉指導で楽しいのは実は先生だけです。(笑) 先生がおもしろい話をすれば生徒もそれなりに楽しむことができますが、生徒の自主性や主体性というものは一斉指導ではもともと発揮できないようになっています。
昔から教え方のじょうずな先生というものがいて、現在、予備校でも人気講師の授業というのは、生徒が多数集まります。しかし、どんなに教え方のじょうずな先生でも、数十人の生徒を一斉に相手にして、そのそれぞれの生徒に意味ある指導をすることはできません。この部分がITによってとって代わられる部分です。
先生の役割は、授業ではなく、コンサルタントのようなものになると思います。評価自体はコンピュータがはじきだしますが、それらの評価を総合的に判断して、その生徒が何が得意で何が苦手で、これから何をすべきかということを総合的に決断し、生徒に力強くアドバイスできるのは人間をおいてほかにありません。
日本でのeラーニングは、まだ、これまで紙に印刷されていた教材をパソコンで見られるようにするぐらいの段階ですが、今後、更に劇的に発展していくと思います。
公教育の意義
教育の目的は、二つの方向で考えることができます。
一つは、個人の能力を育てること、もう一つは、その社会の文化を育てることです。
第一の個人の能力に関して言うと、人間には生まれつきの能力の差というものがあります。教育が、この生まれつきの差異まで克服できると考えるのは幻想です。教育によってカバーできるのは、常にある程度までです。
進学実績を上げている進学校や学習塾の共通点は、膨大な勉強時間です。じょうずな勉強の仕方の工夫などではありません。要するに、時間をかけてがんばれば、生まれつきの差異をある程度まで克服することができるということですが、しかし、それでもある程度までです。
しかし、そのように考えると、教育には大きな意味がないように思われます。個人の能力を育てるという点で考えると、教育の力にはむしろ限界の方が多く感じられます。
しかし、もう一つの文化に関して言うと、ここに教育の力が大きく働いていることがわかります。ある民族や社会のトータルな文化水準、または文化の傾向は、教育の力以外には説明できません。日本人が生まれつき勤勉で、手先が器用で、治安がよくて、集団で活動する能力を持っていると考えることはできません。そこには、家庭教育、社会教育も含めた教育の力が大きく働いているはずです。
しかし、この文化の教育では、市場の原理が成立しません。個人の利益追求が社会全体の利益になるという「見えざる手」が働かないのです。ここに、市場とは独立した公教育の意義があります。環境問題、福祉問題、軍事問題などはすべて、市場で決定することができないから、公の機関が登場するようになっています。
しかし、その一方で、個人の能力を育てることに関しては、市場化された教育というものが、民間の学習塾や予備校というかたちで発展しています。ここでは、個人の利益追求が社会全体のより優れた教育環境を生み出しています。そして、この点で、現在の公立学校における教育は大きく立ち後れています。公教育は、競争による市場原理導入なしには民間教育に太刀打ちすることはできないでしょう。
ここで考えられるのは、教育の分離です。公教育は市場化されない文化の教育を主に担当し、個人の教育に関しては市場原理にまかせるというかたちです。
これからの教育をめぐる状況はたぶんこの方向で進んでいくでしょう。
eラーニング、下流の支流の上流
変な題名ですが……。
経済の上流というのは、資源、エネルギー、食料などの分野です。中流に、機械、製造などの第二次産業群が入り、下流に、販売、サービスなどの第三次産業が入ります。教育サービスは(公教育のカバーすべき文化教育の分野を除けば)、下流に属するサービスです。
上流は巨大な資本やシステムが必要なので、新たに参入する企業はほとんどありませんが、下流は多様でだれでもすぐに参入できるので、いろいろなサービスが次々と登場します。これが下流の百花繚乱を生み出し、この多様性が消費者の利益と結びついています。
ここで、eラーニングの役割を考えてみると、今、教育という下流に大きな変化が起きようとしていることがわかります。それは、単なる下流であった流域にいくつもの小高い丘が生まれ、その丘から下流に向かって新しい支流が次々と誕生しようとしているという現象です。
そして、たぶんこの小高い丘はアメリカを中心に誕生しているのです。いつも言うように、日本は遅れています。日本のeラーニングは、だれでもがすぐに考えつきそうなことしかしていません。しかし、あるいは、どこかでそういう芽が育っているのかもしれません。日本で生まれる新しい芽に期待したいと思います。
進級基準を明確に
言葉の森の作文指導は、小1から高3まで、ある一つの流れで段階的に発展していくように組み立てられています。しかし、中には、学年によって難しすぎるかと思われるような項目あります。(例えば中2の「総合化の主題」)。また、前に勉強したことが土台となって次の段階に進むという流れを一応は考えていますが、その結びつきがまだそれほど緊密ではありません。
この進級基準を今よりももっと明確にしていくことが、言葉の森の当面の課題です。
現在、PHPとMySQLによるインタラクティブなページを作る実験をしていますが、このPHP/MySQLシステムを早めに軌道に乗せて、そのシステムの上に、進級基準を明確にする運動をつなげていく予定です。
やることはたくさんありますが、いずれも面白そうなことばかりです。
担当している先生ばかりでなく、父母や生徒のみなさんの声も反映させながら、今後よりよい教材作りをしていきたいと思います。
光る表現(小1−小3)
2001年8月4週号●クリリンさん
(いあし/小1)の作文より(けいこ先生/8.1週)「(うち上げ花火の)音がからだにひびくねぇ。」とおとうさまがいいました。わたしはおばさんのおなかのなかのあかちゃんは、びっくりしてるかなぁと、しんぱいしていると、「おなかの中でけってるわ。」と(おばちゃんが)おしえてくれました。 評:うち上げ花火はドンドンヒューという大きな音がするものね。おなかの中のあかちゃんにも、音がきこえたみたいだね。
●遼さん
(いつみ/小1)の作文より(みのり先生/8.1週)ゴキジェットを、ゴキブリにかけていたら、じぶんもしにそうなかんじでした。(評)いっしょうけんめいゴキブリをやっつけようとしているのに、じぶんまできぶんがわるくなったようなきがしたんだね。
●はるかさん
(いてふ/小1)の作文より(ポプリ先生/8.1週)わたしは、おかあさまとおねえさまとうまれたばかりのあかちゃんをみにいきました。とってもかわいかったです。だっこしたらあたまが、おもかったです。ひょう;うまれたばかりのあかちゃんのあたまがおもかったようす、よくわかりますよ。
●くわがたさん
(いきと/小2)の作文より(ミルクティ先生/8.1週)『図形教室』しかくいぼうえんきょうは、二日めにつくりました。せいほうけいが六まいいりました。できたりっぽうたいのかどから中をのぞくとビルが空から見たようにみえました。ひこうきになったきぶんです。ふしぎなくうかんでした。<評>四角いぼうえんきょうから見えた世界…ふしぎな見え方をしたんだね。その感じを見事に表現しています。ひこうきになったきぶん…しかくいぼうえんきょう、作ってみたくなるね。(^o^)
●智一さん
(いくせ/小2)の作文より(けいこ先生/8.1週)なんだかわからないけれど、「ヒュー、ヒュー。」と耳もとで音がして、「ハッ。」と気づくと両足がペダルをすいすいとこいでいました。なんと一人で乗れるようになったのです。 評:気づいたら、風を切って自転車に乗っていたのね。耳もとで音がした、という説明は、自転車のすがすがしさがよく出ているね。
●祐美子さん
(いけこ/小2)の作文より(けいこ先生/8.2週)(もも園の)ももは、さわるとひえひえっとして、ふわふわとしていたので、ほっぺにすりすりしようとしたら、「だめ!」とおかあさんがちゅういしました。「なぜ?」とぼうぜんとして聞いてみると、「おかあさんもむかし、やわらかいのでほっぺたにすりつけてみたらちくちくいたくってないたほどだったのよ。」とやさしくおしえてくれたので、「ふーん。」とももをながめていました。 評:おもわず「すりすり」したくなるくらい、気もちよさそうだったのね。「ピーチスキン(もものはだ)」という布地(ぬのじ)は、このやわらかい感じを出したものだけど、本物のもものうぶ毛は、チクチクするのね。これもしんせんだからかな。
●みかんさん
(いさえ/小2)の作文より(ふじのみや先生/7.3週)チョコパンダの、顔は、目がちょこっとして、耳がちょこっとして、はながちょこっとしています。 ☆ちょこっとしているから、チョコパンダ! 顔のようすを、たのしくかけました!
●充さん
(いさせ/小2)の作文より(スズラン先生/8.1週)(サッカーの合宿に行って)さいごにコーチが「またこいよ」といいました。ぼくは、またいきたいなーとおもいました。:評:コーチとも仲良くなったのですね。楽しい合宿だったことがわかります。
●真水さん
(いすく/小2)の作文より(ももんが先生/7.4週)水は、ま水で、まるでこおりのようにつめたかったです。【評:とうめいで、ひんやりつめたい水のようすが、よくわかりますね。うーん、気持ちよさそう!(^o^)】
●いちごさん
(いすも/小2)の作文より(けいこ先生/7.2週)(ピアノの発表会で)もうすぐでばんという時に、私はとってもドキドキしました。まるでじぶんの心ぞうが、馬がパッカパッカと走っているような気がしました。 評:馬が走るときのいきおいとスピードは、すごいものね。そのくらい「ドキドキ」がつよくかんじられたのね。
●いちごさん
(いすも/小2)の作文より(けいこ先生/8.1週)私はいま7さいです。せみのようちゅうも7年かん(土の中で)すごして土の上にでてくる、ということは、いま鳴いているせみは私とおなじ7才なのかな? なんだかことしのせみとは、おともだちになりたいです。もし、せみが1しゅうかんだけしかい切られないのなら、私はとてもかわいそうなので、せみとりをしたくないと思いました。 評:せみと自分がおなじ年だと思ったら、きゅうになかよくなりたくなったのね。せみのせいしつをうまく作文に入れて、やさしい気もちをうまくまとめられたね。
●茉理枝さん
(いせう/小2)の作文より(森川林先生/8.1週)わたしは、一番上まであがって、サイレンみたいな音が出るゴムでできたものをおしたら、ホンクホンクと、トラックみたいな音が出ました。◆評:たとえの使い方もじょうずだし、音の感じもよく出ている。こういう説明を読むと、ようすがよくわかるね。
●慧人さん
(いそゆ/小2)の作文より(きょうこ先生/8.1週)「ぼくははじめてママからはなれてママがかわいそうだった。帰ってきてママがぼくのかおを見たらうれしがってた。」うわぁ、なんだか心があったかくなるようないい場面だなぁ。ママのお顔のようすをじょうずに書くことができたね☆ そんなうれしそうなお顔を見たけいと君も、きっととってもうれしかったのだろうなぁ。
●カヤさん
(ありそ/小3)の作文より(ももんが先生/8.1週)(クワガタの)色は、黒っぽい茶色です。かっこいいです。たたかいは、しません。みんなよく、上にのぼろうとしています。とびません。えさは、プチゼリーの食べ物みたいで、中に丸いものが入っています。メスは、よく食べます。オスよりよく食べると思います。水もよく、メスはのみます。土は、とてもくさいです。【評:とてもよく観察しています。じっくりと生き物を観察すると、こんな風にたくさんのことに気付くのですね(^o^)。】
●椿さん
(いそら/小2)の作文より(スズラン先生/8.1週)(遊園地のお化け屋敷で)おばさんが「こわいと思うからこわい。こわいと思わないからこわくない」と言いました。のりものにのったら、わたしはみみをふさいで、目をつぶっていました。:評:おばさんに「、、、、こわくない」と言われても、やっぱりおばけやしきにはこわいものがありそうですね。こわかったようすがわかりますよ。
●ミニパンダさん
(あもろ/小3)の作文より(ミルクティ先生/8.1週)『キックボールのれん習』しゅう子ちゃんは、わたしより、ずっと学年が上なので、わたしのお姉さんのようでした。どのようにおしえてくれたかというと、わたしがうまくけると「そうそう、うまいうまい。」と言ってくれるのです。そして、しゅう子ちゃんが高くなげて、わたしがうまくとれると、「そうそうそうそう、うまいね。」といっていれるのです。その時、すごくうれしくかんじました。<評>中学生のお姉さんとれん習したときのようすを【その人らしい会話】を使って、うまく表現できましたね。ミニパンダさんがお姉さんになった時も、おなじようにやさしく教えることができるでしょうね。§^。^§
●ドラちゃんさん
(あよう/小3)の作文より(けいこ先生/7.3週)「来年は、ここにござしいて、ビールもってきて、おつまみとおやつと、ジュースもってきて、ばあ(おばあちゃん)もつれてきて見よか。だけど、おこられるかもな。」 評:よそのビルのおどり場で花火を見たときの、お母さんの言葉。花火がよく見えて、お母さんがごきげんなのがよくわかるね。
●カヤさん
(ありそ/小3)の作文より(ももんが先生/8.2週)次に、火をたきました。なかなか火は、おきませんでした。でも、おとうさんがくると、いっきにつきました。【評:ようすが、目にうかびます。カヤくんのお父さんは、火起こし名人!?】
●真章さん
(ありる/小3)の作文より(スズラン先生/8.1週)(大阪でセミとりをしていて)クマゼミがむらがっている所へ来ました。お父さんが、バッとセミのいる場所へあみをかぶせようとしました。けれど、せのびをしていたので、手元がふるえてとりにがしました。その時、一しゅん、お姉ちゃんが、あみをふりおろしました。みてみると、一匹、あみに入っていました。:評:セミをとるタイミングの良さが見えるようでしたよ。これではセミもかなわないですね。
●稔さん
(あわき/小3)の作文より(ももんが先生/8.1週)ターンに成こうしたときの気持ちは、とてもすっきりします。でも、反対にしっぱいしたときは、とてもくやしいのです。【評:ターン成功のために、なんと九回も開放プールに通ったという稔くん。このようにならべて、二つの違った気持ちを書くのは、とてもいいですね!】
●瑞幾さん
(いおね/小3)の作文より(ドラえもん先生/8.1週)もうひとつびっくりしたことはあかりガラスなのに火の中にいれると黄色にかわったからです。まるでたこのように色がかわってしまいました。【評】あかりガラスの色がかわっていく様子をとてもじょうずにたとえることができました。(^o^)
●俊吾さん
(いかゆ/小3)の作文より(スピカ先生/8.1週)ペンチのような物で、はをぬくときに、「じぶんでぬくかい。」とお父さんに言われて、うなずきました。ぬく物を手にもって回しながら引っ張ると、バリボリ音がしたので、「ちがいっぱいでちゃってるかな、はがとちゅうからわれてないかな。」といろいろしんぱいしました。 評:お父さんが歯医者さんならではのすごい経験。会話や音の表現、思ったことが生き生きとじょうずに書けたね。
●ユータンさん
(いくい/小3)の作文より(ポプリ先生/8.1週)今度は、水が少しある所でのカニつりです。私が糸をたらすと、四,五ひきのカニが、やってきました。このカニたちは、水がなかった所のカニたちよりも足がはやいと思いました。一番近くにいた二ひきが、えさにとびつきました。二ひきは、えさをつかんだままけんかをはじめました。でも、一ぴきのはさみに、糸が、からんでしまいました。それで、私は、その一ぴきのカニをつりました。つりあげてから、私は、、カニに糸がからんでいるのを見つけました。家の中からはさみを持ってきて糸を切ってあげました。・・・カニつりも楽しいです。評;つぎはどうなるの?つれたの?つれないの?とはらはらしましたよ。楽しいカニつり、よかったね。
●ゆうぎさん
(いくし/小3)の作文より(けいこ先生/8.2週)「それぼくが作ったやつだぞ。」とだれかが言うと、「ぼくが、考えたんだぞ。」と、他の人が言いました。みんながおなじようなモンスターを考えていましたが、ちょっとずつちがっていました。 評:カードを手作りしたのね。こんなふうに言い合いをしながら、自分だけのカードができ上がるのだね。
●りんちょさん
(いしろ/小3)の作文より(スズラン先生/8.1週)ぼくは夏休みまえに、青木君と、かたおか君と、横山君といっしょに、たま川の近くに、たっている林みたいに草がはえているところに、バッタをとりに行きました。:評:どんな草がはえている所かわかるたとえですね。バッタがいっぱいいそうな所ですね。
●アッキーさん
(いそか/小3)の作文より(ももんが先生/8.1週)SOPHIEという子もてがみを書いてくれました。いまでも、そのてがみをもっていて、だいじにひきだしにしまってあります。【評:友だちからの手紙を「たいせつな宝物のように思っている」気持ちがよく伝わってきますね。「〜と思います」ということばをつかわなくても、こんな風に「自分やまわりの動作やようすを書く」ことで、気持ちをいっぱい伝えることができます。】
●マーヤさん
(いちこ/小3)の作文より(さかな先生/8.1週)(黒アゲハのサナギになりかけている幼虫を)家に持って帰ると、木の枝にくっつけようとしました。でも、ピョコンとにげました。しかたなく、せっちゃくざいで木にくっつけました。次の日、朝見ると、木から落ちてさなぎになっていました。(たぶん、ピョコピョコうごいたから、おちたのじゃないかな?)と考えました。★評:マーヤちゃんが考えたことと、サナギのピョコピョコと動く様子が、手にとるようにわかりましたよ。「たぶん・・・」という想像も、どうやらぴったり当たっていそうだね。
光る表現(小4−小5)
2001年8月4週号●ビーバーさん
(あにい/小4)の作文より(メグ先生/8.1週)昔の酸素の量は、今の二倍近くだったそうです。今は約二〇%、昔はなんと三十五%だったそうです。広葉樹を沢山植えれば、昔ぐらいの量の酸素ができるんじゃないかと僕は思います。そうしたら温暖化を防げるんじゃないかと。【評】聞いた話だけではなく、それに対する対策を考えて書くことができたね。
●ピッチーさん
(あねあ/小4)の作文より(けいこ先生/8.2週)「あっ。あるある。」私がさがしていたような(工作用の)板がたくさんありました。まだ作っていないのにもうできたよう気持ちになりました。透明なアクリル板を見ていたら、ステンドグラスペンで絵を書くことを思いつきました。もう4時です。今日は買い物だけで終わってしまいそうです。「何だか高級な貯金箱ね。」ほんとうです。何千円も使ってこのまま作らなかったらママのカミナリが落ちそうです。 評:工作用の材料をホームセンターに買いに行った話。材料を目の前にして、いいアイディアがうかんだのね。何万円も貯まる貯金箱ができたら、お母さんもニッコリするかな?
●ししさん
(あふか/小4)の作文より(かつみ先生/8.1週)だけど今朝はもう朝から暑くて暑くて三十度をとっくにこえていて、掃除はやりたくないなと思っていたところでした。 評:三十度をとっくにこえていて・・・というところが、いいね。本当に読んでいる先生まで暑くなってきました。
●ナッチさん
(あめか/小4)の作文より(メグ先生/8.1週)「あちいいいいい」と私は思わず言ってしまいました。(おにぎりをにぎったから)でも、お母さんは、平気で熱い御飯をにぎっています。「何で、平気でにぎっているの。」「なれているからよ。」と笑いながら言いました。(でも、どうやってなれるかが分からない)多分、おにぎりを何回も何回も何回も作っているからだと思います。【評】書き出しも工夫されているし、現在形の使い方もうまい。お母さんの表情を書いたところもいいね。
●諒さん
(あろつ/小4)の作文より(森川林先生/7.3週)もしも火打ちのかわりにマッチを持ってきていたら、もしも火打ちがすぐに燃え上がっていたら、巳之助は考える時間もなく、犯罪者になっていたかもしれない。これは怪我の功名といってもいいかもしれない。◆評:似た話のかわりに、想像した話を書いたんだね。いいことわざを思い付いた。
●直樹さん
(あろら/小4)の作文より(メグ先生/8.1週)はじめて(セミを)とったのは、よしと君でした。(中略)なぜか、ぼくがとってないのにきんちょうしています。でも、よしと君はらくらくつかまえました。【評】現在形がうまく使えたね。直樹君が見守る中、よしと君はぶじにセミをつかまえることができてよかったね。
●上原さん
(いきあ/小4)の作文より(ふじのみや先生/7.3週)ぼくは、もしみのすけさんにあえたら こういってあげたいです。「できないことがあっても一生けんめいやることが大切です。新しいしょうばいも一生けんめいやったらきっとうまくいきますよ。みのすけさんが、自分がまちがえていたことをみとめたのは えらいですね。」 評:こんなふうに、はげまされたら、みのすけさんのつらい思いもむくわれるでしょうね。
●みかんさん
(いこい/小4)の作文より(ももんが先生/8.1週)私は、おたまじゃくしをよくつかまえるので、おたまじゃくしがいそうな場所は、だいたい分かります。それは、流れのおそいところです。そこには、おたまじゃくしがたくさんいます。でも、それを見つけるだけでは、おたまじゃくしはたくさんとれません。にげられないように、そーっととるとり方も大切です。そのとり方は、まず、おたまじゃくしのいるちかくに、そっと両手をおきます。そして、かたほうの手で、もうかたほうの手の上に、おたまじゃくしをおいこみます。そのおたまじゃくしがちょうど手のまん中にきたら手をあげます。そうしたら、おたまじゃくしがとれるのです。【評:おたまじゃくしの探し方やつかまえ方が、一つ一つとてもていねいに書けています。みかんさんは、おたまじゃくしとりの大名人ですね! みんなもこの方法で、ぜひ、ためしてみましょう!(^o^)。】
●まいポンさん
(いこに/小4)の作文より(ふじのみや先生/8.1週)どうしておにぎりには塩をつけるのでしょう。たぶん、おいしいからと、さっきんのためだと思います。お母さんに聞くと、その他にあせでなくなった塩分をもどすためだそうです。昔、おにぎりができた時代、人々は、あせをかく仕事のあとにおにぎりを食べたそうです。体の塩分があせで出ていくのです。 評:おにぎりは、人の体の働きをたすけるために考えられた食べ物なんだ! 興味深い話を聞き出せたね。
●かずさん
(いしす/小4)の作文より(かつみ先生/8.1週)セミは力強く鳴いていました。 評:力強く、というのが、とても心に響きました。
●きのこさん
(いすこ/小4)の作文より(こあら先生/8.1週)お母さんはランプの引退式みたいだと言いました。【評】文中に他の人の意見や会話を入れると、文章に変化があってとてもいいね。
●きのこさん
(いすこ/小4)の作文より(こあら先生/8.2週)この前、明石でおきた花火の事件を思い出しました。(中略)お母さんに、気をつけないと自分さえよければになってしまうと言われました。【評】最近実際に起こった事件と他の人に意見を入れて、話をすすめているところがとてもいいです。内容の深い作文に仕上がりましたね。
●アミーゴさん
(いそと/小4)の作文より(きょうこ先生/8.1週)「(九州から東京につい電車をおりた時)九州と東京の空気がちがうことに気がつきました。そして、ぶじにお家に帰れました。お家に帰ると、お母さんが、『おねえちゃんらしくなったね。』と言ってくれました。とってもうれしかったです。」九州と東京の空気がちがうことに気がついただなんて、かっこいい表現だなぁ。まるで詩人みたいだね♪ おねえちゃんらしくたくましく成長した亜美ちゃん。作文もさらにじょうずになったみたいだね☆
●れもんさん
(ふれ/小4)の作文より(ミルクティ先生/7.2週)「ヒューヒュー」暑い夏に、冷たい風を真正面から受ける。私は今、私が一番好きな遊び、鉄棒をやっているところです。<評>書き出しの部分。なるほど、鉄棒で風を切って回っているところなんだね。音を使ったうまい情景描写の書き出しです。
●一休さんさん
(わら/小4)の作文より(けいこ先生/8.1週)お母さんとおにぎり勝負をしました。ルールは簡単、おにぎりを早く作って形がいい方が勝ちです。引き分けだった場合、味の競争です。ぼくは早くは作りましたが、形がへたでした。お母さんは、おそく作って形がよかったので結局引き分けになりました。そして、味対決になりました。なんとお母さんは、なぜおそかったのかというと、おにぎりにふりかけをかけていたからです。そして勝負は、食べていないのにお母さんの勝ちとなりました。ぼくは(さすがお母さんだなあ。たぶん、ふりかけをかけていなくても負けたな)と思いました。まだまだ修行をしなくてはなりません。待ってろよお母さん、次は必ず勝ってやるぞ!! 評:お母さんの技に完敗……。この夏休みに修行を重ねるのね。おにぎり勝負の様子を、テンポよくまとめられた。
●あおぞらさん
(あある/小5)の作文より(ゆり先生/7.3週)小さい時、アゲハチョウの幼虫をかっていた時、半日ごとに、アゲハは食べる葉をかえて、いろいろな場所にいた。食よくもすごく、三日すると葉は丸ぼうずになり、じくだけが残っていた。ふんもケースの底をうめつくしていた。【評:小さい頃の話をくわしく書けました。「葉は丸ぼうず」や「うめつくしていた」などの表現がうまい!】
●あおぞらさん
(あある/小5)の作文より(ゆり先生/8.2週)このくせは、ぼくだけでなく、おねえちゃんや、妹にもあり、ちょっとずれてお茶を飲むと、「はーっ」「はーっ」と、二回連続で音が聞こえることもあります。時には、「はーっ」と音が合わさって大きな音がすることもあり、その時は、みんなでいっしょにげらげら笑います。【評:兄弟いっしょの「くせ」のせいで、とっても楽しそうですね】
●友葵さん
(あしも/小5)の作文より(ゆり先生/8.1週)それに、ケガをして少し嬉しかったこともある。それは友達が心配して、手紙をくれたりカルシュウムたっぷりのお菓子をくれたりしたことだ。中でも友達がお手製のお守りをくれたことが一番嬉しかった。思わず、号泣!!それは、決して悲しいからではなく、嬉しかったからだ。なんか、友達との関係も、深まった気がするし、こういうことから考えると、“禍を転じて福となす”だと感じる。【評:痛い思いをしたけど、その経験から”いいこと”もあったんだね。ことわざを使ってうまく書けています。】
●えりさん
(あなふ/小5)の作文より(ももんが先生/7.3週)(前略)キャベツをアオムシは、ムシャムシャと、どんどんどんどん食べます。葉っぱ一枚、まるめてアオムシとくらべれば、ほぼ同じサイズです。それをどうやって、胃の中におしこむのでしょうか。アオムシは、あの小さな小さなかたいキャベツを、どうやってかみくだくのでしょうか。【評:アオムシとキャベツの大きさを、とてもおもしろい形で比べていますね。こんな風に比べてみると、「アオムシって、すごくたくさんのキャベツを食べるのだなあ」とよくわかります(^o^)。】
●茜さん
(あろさ/小5)の作文より(ももんが先生/7.3週)わたしは、自分のカレンダーを、もう八月にしてしまいました。【評:動作情景の結びです。八月に子どもだけで飛行機(ジュニアパイロット)に乗るという茜さん。「待ち遠しくてたまらない!」という気持ちが、とてもよくつたわってきますね(^o^)。】
●有貴さん
(いおし/小5)の作文より(ふじのみや先生/8.1週)そしてみんなあきらめかけていた。というよりあきらめるほかは無かったのだ。そして長い時間をかけて上ってきた道を二十分の一位のスピードで下りていった。評:がっくりすると、一気に疲れを感じるものですね。
●有貴さん
(いおし/小5)の作文より(ふじのみや先生/8.2週)だがどんな花も花だけでなく葉をそして土の中の根も花の中に生き生きと描くべきだ。評:こんな絵が見たい・描きたい、そう思わせる力のある表現ですね。
●けいさん
(いかわ/小5)の作文より(スピカ先生/8.1週)一番むずかしかったのは、たとえば、Tのキーは、左手の人差し指でたたくように、ホームポジションに指をおいて、指使いを覚えることだ。まるで、ピアノの指使いを覚えるようだ。 評:ワープロの練習を始め、今楽しくてたまらないという恵子ちゃんも、最初は苦労したようだね。この時期は後で振り返るとほんの少しのことなんだけど、練習し始めのときはすごく大変なもの。多くの人が「そう、そう。」って共感してくれそうだ。たとえも上手に使えたね。
●健太さん
(いせつ/小5)の作文より(メグ先生/8.1週)というのも僕は初孫だったのでみんなからかわいがられた。祖父は散髪をしてまで僕の誕生を待っていた。【評】おじいちゃまがうっちー君の誕生を心待ちにしていた様子がよくわかるよ。
●穂香さん
(すよ/小5)の作文より(きょうこ先生/8.1週)「ハチのことではなしを聞くと、たいていの人は「暴れたりちょっかいを出したりしなければさされないよ」と言う。だから言うとおりにした。なのにさされた。ずっと頭をかしげている。」あたまをかしげている、とはじょうずな表現だったね! 「とてもふしぎだ。」などと直接思ったことを書くのとは少しちがって、その動作からほのかちゃんの気持ちが伝わってくるよね☆ また、気持ちとともに、そのようすも目にうかんでくるし、楽しい表現だよね♪
●加恵さん
(られ/小5)の作文より(メグ先生/8.1週)私はけがをするということは(こういうことをしていけないよ。)と教えてくれていることなのかなと思った。これからは、けがをしたらこういうことをすると危険なのか、あぶないのかと思うことにしようと思う。【評】けがをするということにどんな意味があるのか、加恵ちゃんなりに考えることができたね。けがというものを前向きにとらえているところがすごいね。
光る表現(小6−中1)
2001年8月4週号●クリリンさん
(あかの/小6)の作文より(こあら先生/7.3週)このお話を読んで、片付けっていうのは日ごろからやっていないといけないのだと思いました。【評】うっ、耳が痛い…(笑)物事はなんでも日ごろからの積み重ねですよね。
●クリリンさん
(あかの/小6)の作文より(こあら先生/8.1週)(旅行にいて)そのようなことがないと相手の性格やくせが見つかったりはしません。このようなことは1つの家族としていっしょな家に住んでいるから体験できることであって、別々にすんでいたり、たまに会っただけでは出来ないのだと思います。特に旅行の時はいっときは別々にならず24時間いっしょにいるのでよく分かります。【評】そうだね。旅行でずっと一緒にいると相手がよくわかって、けんかしたりもするけど仲良くなれるよね。
●シュシュさん
(あさつ/小6)の作文より(えみ先生/8.1週)旅館ではゆっくりできたが、なんとなくさわがしくないようなきがして、ジグソーパズルの1ピースがかけているようなかんじだった。【評】物足りない、なんとなく寂しい気持ちがよく表れた表現だね。「寂しい」という一言よりその時の気持ちがよく伝わってきます。
●けろっぴさん
(あちえ/小6)の作文より(ミルクティ先生/7.4週)『お米』ぼくが一番思ったのは、やはり、お米無しでは日本文化は成り立たないという事だ。…略…お米は二千年前から作られてきた。別に卑弥呼が税は米と決めた訳ではないが、大化の改新の頃には、きっともう米が尊重されていたのだろう、租税は米だった。そして、米類を長年食べ続けてきた日本人は、お米を純粋なものとして考えるようになった。<評>自分の意見を歴史的視点から説明したところ。学校の社会科の授業で習ったことを作文にうまく取り入れるましたね。
●雅貴さん
(あめす/小6)の作文より(ももんが先生/8.1週)みんなの話を聞くと自分が痛くなってきた。【評:「ご家族みんなの痛い話」を書いた第三段落のまとめの一文。自分がどのように感じたのかを、こんな風に感覚的に書くのもおもしろい!(^o^) 。】
●SMILEY(^o^)さん
(あるわ/小6)の作文より(ドラえもん先生/7.3週)それと同じ様に家庭訪問のときでも、日頃からちゃんと机の上を整理するようにしていれば、恥ずかしい思いをすることはない。だから片づけにはふだんの心構えが大事なのだ。【評】日頃から少しずつ片付けるように心がけているといいね。そのうち、片付いていないと落ち着かないようになるかもしれないね。(ならないかなぁ)笑(^o^)
●SMILEY(^o^)さん
(あるわ/小6)の作文より(ドラえもん先生/8.1週)私には大好きな言葉がある。それは、「みんなちがってみんないい」と言う言葉。母がよく言っていたこともあり、私はこの言葉が大好き。家族にしても、世の中、いっぱいいっぱい家族がいる。だから、一つ一つの家族がみんなちがってあたり前。みんなちがってこそ、話がうまくすすんだり、仲良くなったりするもの。いろんな人がいて、いろんな家族がいてこそいいのだ。【評】「家族」についてよく考えているね。簡潔にまとめることができました。(^o^)
●翔太さん
(いいゆ/小6)の作文より(けいこ先生/7.3週)ことわざに「後悔先に立たず」という言葉があります。これはすんでしまったことをあとでいくら残念がってもどうしようもないという意味です。人にやってもらって大変な思いをするのなら、初めから自分でかたづけてやった方がいいと思います。 評:散らかした部屋をかたづけてもらって、物の場所がわからなくなった話のまとめ。ことわざの意味を紹介して、自分の体験と結びつけたのは、とてもわかりやすい説明だね。
●さやさん
(いうる/小6)の作文より(こあら先生/8.1週)(犬にかみつかれたその瞬間)その時は,声さえでなくて,気絶しそうでした。【評】本当に怖いときは声も出ないと聞きますが、やはりそうなのですね。うわ〜想像するだけで痛いです。
●美佳さん
(いうわ/小6)の作文より(ドラえもん先生/8.1週)どこで打つかというと、階段でいつも打ちます。それも、急いでいるときに階段をかけ登っているときによく打ちます。その痛さは、打ったことのない人たちには、絶対に予想もつかないような痛さで、一瞬、時間の流れがスローになったかのように止まってしまい、ノックアウトという感じです。【評】「痛さ」をとてもじょうずに表現できました。ノックアウトという表現がなかなか面白くてユーモアがあっていいですね。
●たかやんさん
(いくの/小6)の作文より(スズラン先生/8.1週)「家族のいいところ」人間にとって家族というものは、かけがえのない時間を楽しく過ごせる、なくてはならない存在だと思う。:評:家族に守られて暮らしている日々がいかに大切なものか、これからもずっと思っていたいことですね。
●バンビさん
(いそせ/小6)の作文より(こあら先生/7.3週)面白いと思った部分は、先生が、「つくえのうえもきれいになっているね。だけど引き出しのなかはどうかな」と言ったところです。多分、先生は、ももこの引き出しの中が汚いことは予想していたのだと思います。だから、冷静に言ってそうで、いやみっぽいところがとても面白いと思いました。【評】(註:家庭訪問のためにももこの母があわててももこの部屋を掃除した)ももこではなく、先生の方に注目しているのがユニークで面白いですね。
●バンビさん
(いそせ/小6)の作文より(こあら先生/8.2週)アフリカで、今でも原始的な生活をしている部族は、生活している土地、とくに森を神聖な場所で、何千万年の年齢をもつ、「多くの植物、多くの動物が、森の主人」で、この地球上で一番後におとずれた新米の生き物、「人類がお客さん」という考えをもっている。客は主人に対して礼儀を守らなければならない。この考えは、他の国も見習うべきだと思う。【評】先進国では『人間がいちばん偉い』と思われているみたいだよね。わがまま放題のこの生活が、かなり恥ずかしいです。
●ウルフさん
(すふ/小6)の作文より(メグ先生/8.1週)痛みというのは、神様のプレゼントだ。だってけがをしたことが無い人なんかこの世界に一人もいない。けがは、つきものだ。【評】神様からのプレゼントだと思えば、痛みも半減するかな?
●ミュウさん
(あおゆ/中1)の作文より(ももんが先生/8.1週)そのものが自分の目の前の自然の中にあるとき、自分で触れることができそのものの感触、形、いろ、大きさ、すべてを頭の中に入れることができるだろう。テレビだと、触れることができないので感触やはっきりとした形を知る事ができない。テレビは、見るだけだが、自然の中だと、乗り物の場合のることができるし、昆虫や植物であれば触れることができ、楽器のようなものは当たり前のように使うことができる。【評:私たちは、テレビから「見る(聞く)」という一方方向の矢印しか受け取ることができないね。そして、「ちょっと待って」と思っても、すぐ次の場面に移ってしまう。わかりやすい例をあげて、映像と実物の違いを述べることができている。】
●ひろりんさん
(あしゆ/中1)の作文より(とこのん先生/8.1週)こんな時代だからこそ自然に学ぶことは多い。そのことを忘れてはならないのである。評:具体的に自然と人工的なものとの違いをきちんと比較し、最後に自然へ敬意を払うことの大切さを主張しています。難しい長文を、よく読みこなしたね!!
●日本太郎さん
(あねひ/中1)の作文より(クマのプーさ先生/8.1週)自然のおかげで、好奇心が上昇すると言うような、いいことが起こる。【評】自然から学ぶものはあまりにも多い、という著者の言葉を自分の中で考えた時に、『好奇心が上昇する』はそのひとつを見事に言い当てているし、実感のこもった表現ですね。
●あつしさん
(あむら/中1)の作文より(きょうこ先生/8.1週)「福岡行われたた世界水泳大会でも、イアンソープ選手とピーターファンデンホーヘンバンド選手がライバル対決をしたりしました。その時も、負けた選手も勝った選手も、あく手をしたりしました。ライバルがいると、(共に目標を)こえようとして必死にがんばるのでライバルはいた方のがいいと思います。」その戦いもすばらしかったけれども、その様子を見て、ライバルがいることのすばらしさにも感動したみたいだね♪ そんな気持ちのつたわってくる意見でした。
●ルフィさん
(あわせ/中1)の作文より(さかな先生/8.1週)確かに自然には弱肉強食というきびしいおきてがある。しかし、今の文明社会でも姿を変えてそのおきてはあるのではないか。受験勉強、殺人・・・・「強くなくては寛大ではありえない」と言うが、弱いものも安心して生きられる社会はないのだろうか。★評:自然界の優しさや厳しさから学ぶことはたくさんありそうだね。名言を引き合いにして、弱者に配慮した社会を提案しているとことが素晴らしい。
●奈央さん
(いしえ/中1)の作文より(メグ先生/7.1週)テストが嫌いな私でもやって良かったなと思ううテストが1つあった。それは、受験だ。受験をすると決めてから変わったことがたくさんある。塾に通うようになったり、いろいろな先生や友達と出会ったり、・・・・。1番変わったと思うのは、人生である。これで、テストの力はすごいなと実感した。テストは、勉強に苦労したほどよく覚えている。このような思い出に残るテストは、いいテストだと思う。【評】中学受験には、賛否両論ありますが、奈央さんのように、自分にプラスにできるのなら、受験して良かったと言えますね。
光る表現(中2−社)
2001年8月4週号●マサさん
(あうて/中2)の作文より(ポプリ先生/7.3週)対等に扱われたいとはいっても、やっぱり助けは必要だ。私も、松葉づえをついている時は、荷物を持ってもらわないといけないし、机を運んだりする時もやってもらっていた。このように、いくら強がっていても、やっぱり助けが必要だ。評:自分の稀な経験に基づいた意見。よくまとめてあります。
●コナンさん
(あろあ/中2)の作文より(ミルクティ先生/7.3週)『障害者とともに…』次に第二の意見は一人の人間として考えることだ。ぼくもそうだが、小中学生など(特に背が低い人)は子供とみられて一人の人間と見られない。前にこんなことがあった。それは、お店で「どの筆がいいですか。」と聞くと、いやいや応待された。しかし、大人が来るとやさしく言うのだ。…略…つまりぼくたち(小中学生)がいやがるのだから、二十歳をこえた障害者の人はもっといやだろう。なりたくてなっているわけでもないのに。だから、一人の人間として考えるべきだ。<評>自分が子ども扱いされて不愉快だった経験を、障害者が必要以上に過保護に扱われる現状に重ねて、意見を展開できましたね。身近な実例をよく見つけました。
●実由記さん
(いそほ/中2)の作文より(こあら先生/8.1週)ときには「ら抜き言葉」のほうが正しいという人もいたりします。【評】きっと「食べれる」のほうが「食べられる」よりも、その人の身のまわりでは耳にする機会が多いのでしょうね。
●すみれさん
(いてそ/中2)の作文より(かつみ先生/7.4週)まずは右手をゆっくり、左手でひょうしをとりながら。次は左手をゆっくり、右手でひょうしをとりながら。 評:練習している風景が目に浮かんできますよ。
●太一さん
(あうけ/中3)の作文より(ミルクティ先生/7.4週)社会はほとんど考える必要が無い。例えば、1945年と1947年の間に起こった大きな出来事をひとつ挙げなさい、という問題がでたら、まさか数学のように考え、計算して解答できる人はこの世には存在しない。すべては自分の記憶を使い問題を解いていく。よって、知識が無ければどうしようもない。したがって、このような教科は一夜漬けで普段の勉強では絶対に出せない集中力ではるかに高効率で覚えることが出来る。これらはいわゆるカメ式に対するウサギ式である。<評>「ウサギとカメ」というテーマで書いた意見文の一節。即効性のある一夜漬け式勉強=ウサギ式勉強、という意見を社会科を実例にあげたところがおもしろい。
●アリーさん
(あえゆ/中3)の作文より(ミルクティ先生/7.4週)もう一つの方法は、自分の中でいる物といらない物の区別をしっかりつける、ということだ。今は、ほとんどの人たちが、「これはいちおういる物だから…」といって、物を買っている。そして、いらない物は捨てずに、物だけがどんどんふえていく。ここで、自分のいる物、いらない物の区別をしっかりつけておけば、いらない物まで買わなくてすむ。その方が地球の環境にやさしいと思う。名言で、「短いスピーチが長いスピーチよりも難しいのは、言い直しがきかないからである」というものがある。なんでもかんでも物を買うのは、すごく簡単である。しかし、本当に必要な物だけを買うのは、とても難しい。<評>自分の意見と直接的には関係なさそうな名言をうまく使ったね。インパクトが強かったよ。
●金剛くんさん
(あゆわ/中3)の作文より(えみ先生/7.3週)……回すべきものは経済のためのお金か、それと地球かということを考えることも大切ではないかと思う。【評】難しい内容を面白い言い回しで表現しているね。締めの文章としてとても印象的!
●青ちゃんさん
(ひえ/中3)の作文より(ふじのみや先生/8.1週)それが本当はどんな力を持っているかということを、見失ってしまったのだと思う。今、自分がやっていることは当然で、その常識に見合わない事が起きれば、それは事故になる。評:確かに、人間の作った「常識」はどんどん自然から離れつつあるね。 「事故」と「常識」を対比させて述べたのは鋭い。
●ひまわりさん
(あなつ/高2)の作文より(こあら先生/7.3週)私は小学生高学年くらいになってから、友達関係で悩む事が多かった。今でもやはり気の合わない友達はいるし、悩む事もある。だがそれを乗り越えていくうちに、自分ではきづかないが、必ず成長しているのだと母はいう。【評】苦しんでいる本人はなかなか気が付かないけれど、後になってプラスになった、と感じることは多いです。
●ひまわりさん
(あなつ/高2)の作文より(こあら先生/8.1週)競争とは、前にも述べたが、お互いを高めるためにはすばらしいものである。よって、ライバルというものが出現するのだ。正直、スポーツで競うとき、相手が足を怪我していたら、なんだが公平に競えなくて嫌である。こう考えることが正しいことで、この状況で、自分が必ず勝てる!と喜ぶことは、競争の意味を取り違えている。【評】そうですね。現実の社会では悲しいことに、こんな状況を「チャンス」と言ったりするんですよ
●ひまわりさん
(あなつ/高2)の作文より(こあら先生/8.2週)はやっているものには手を出したい。逆にはやっていないものには目もやらないという考え方が間違っているのだ。だから、自分たちが本当にすごしやすくて、利用しやすいものが分からなくなっているのだ。【評】自分の価値観に自信がないから、はやっているものに飛びついてしまうのですよね。自分のものさしがしっかりしてくるとそうでもなくなってくるんじゃないかな?
●眠雨さん
(うき/高2)の作文より(ミルクティ先生/7.3週)切磋琢磨という言葉がある。玉石を磨くこと、転じて学問や人格を深めていく意味をもつ。こすりつけることによって余分な部分を削り落とし、より輝きをもたせていくそのプロセスには、当然削り落ちるものの痛みもある。しかし傷無くして進歩はありえない。その傷を埋めるのもまた人間関係である。我々は、傷つくことを怖れすぎるべきではない。人と人との関わりを、もう一度信じてみるべきではないだろうか。バリケードをとり、他者を信じることが、人間関係の第一歩なのだから。<評>現代の「希薄な人間関係」について論じた意見文の最終段落から。「切磋琢磨」という言葉を人間関係の在り方に結び付けていくところが、読ませます。
●UZI.SMGさん
(そお/高2)の作文より(ミルクティ先生/7.4週)ゼネラリストとスペシャリストには、総合的な考え方ができるか、それとも専門的な考え方ができるか、という違いがある。どちらも重要だが、特に日本では政界等においてゼネラリストが不足してはいないだろうか。その原因を探りたい。第一に、総合的、包括的な発想法を教育していないという理由が考えられる。海外のことは知らないが、少なくとも日本では教えている科目数が多い割にそれらは個々に独立されていて相互の関係性は全く無視されている。例えばこれからは英語の時代だといっていながら、英語以外の科目では全く英語を使わない。本来なら英語で論文を書くとか、英語の論文を読むという授業があるべきではないか。<評>「総合化」という視点からの教育が、まだまだ弱いという指摘は、なるほどとうなづける。具体的に「英語」の扱いを例に挙げて書いたところもわかりやすいね。
●○○○○さん
(あう/社)の作文より(森川林先生/8.1週)近年のIT化の記事を見ると、戦国時代に導入された火縄銃のことを思い出す。火縄銃は確かに戦国時代の戦争様式を決定的に変えた。火縄銃それ自体は有効な道具であったが、一方で雨の日は使用できない、連続して発射できないなどの欠点もあるため、導入すれば戦争に勝てるという武器でもなかった。使用方法やそれに合わせた軍隊組織を編成することによって始めて大きな効果をもたらす。長篠の合戦がその典型例といえる。今のITもこの火縄銃と共通する点が多い。◆評:自分の得意な歴史実例をひとつ知っていると、これが意外といろいろなところで応用できる。歴史や伝記というのは、実例の宝庫だね。
●稔央さん
(いつや/社)の作文より(森川林先生/7.4週)確かに複雑さや現実味を求めるあまり人間の闇の部分を強調しすぎることは子供向けのアニメにおいては逆効果だろう。重要なのはアニメをただ表面的に現実に近づけることではなく、子供達が現実の複雑さに目を向け、仲間の多様性を認めるきっかけを与えるような作品を作ることである。◆評:長文のテーマをもう一段深めた考えだね。
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