KotobanomoriNo.735

言葉の森新聞

2001年11月2週号

文責 中根克明(森川林)

  勉強のコツ

 今年の6月から、言葉の森でプログラム研究会というものを行なっています。これは、PHPというスクリプト言語とMySQLというウェブデータベースを使って動的なホームページを作る勉強をする会です。(参加自由、会費無料)

 参加者の多くが初心者なので、なかなか先に進みませんが、やっているうちにだんだんわかるようになると思っています。

 さて、この研究会をしながら感じたことですが、新しい勉強に取り組むときのコツは、勉強そのものに取り組むコツと共通するところがあるようです。

 ふだんの勉強では、学校でゆっくり順序よく教えられるので、新しいことを学んでいるという実感がないまま新しい勉強にも自然に慣れていきます。しかし、社会人になって自分で新しい勉強を始めようとするときは、その新しい勉強の持つ枠組みに慣れること自体に一苦労します。

 このときに、勉強に取り組む姿勢として大事なことは、初歩からこつこつ積み上げるだけでなく、何しろ最後までやって全体を把握することだと思います。読書などでもそうですが、難しい本になると、読み始めの最初の方でつまずきます。しかし、最初から丹念に理解しようとする人よりも、わからないところは保留にして最後まで読み終えてしまう人の方が、結局早く理解できるようです。

 これは、参考書を読む場合でも、問題集を解く場合でも共通していると思います。最後までやり終えて、また最初から繰り返すというやり方の方が、最初から一歩ずつ着実にやっていくやり方よりも一般に理解度が深く速いのです。

 コンピュータやインターネットなどの新しいジャンルでは、子供の方が大人よりも早く慣れるというのは、このへんの事情もあると思います。子供は、プログラムでも何でも何しろ動くものを作ってそれから理解しようとしますが、大人になると理屈で理解しようとすることが先に立って「何しろ動けばいいのだ」という単純な気持ちになかなかなれません。

 作文でも、同じような場面に遭遇することがよくあります。句読点や段落の指導なども、大人は理屈での説明を先行させたがりますが、理屈で句読点や段落を教えようとすると、例外が多すぎてどんどん複雑になります。とりあえずは形だけ似ていればいいということで、「まる一つに、てん一つ」「まるが三つ来たら段落」と教えておき、そのスタイルになれてきたところで理屈を説明した方が、子供にとっても先生にとっても勉強がスムーズに進みます。

 自動車教習所で、縦列駐車の練習をした人は覚えていると思いますが、指導教官は、「あのコンクリートの角に、車のこの部分が重なったら、ハンドルを思い切り右に回して」などと教えたと思います。

 勉強のコツは、まず全体のイメージを手に入れるということにあるようです。

  海外からのお便り

 アメリカ在住の小学生の生徒のお母様よりメールをいただきました。

 英語と国語の関係について、実際に経験された立場からの感想で、多くの方の参考になると思いましたので、ご本人の許可を得た上で転載します。

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 今週のことばの森新聞をよんで思ったこと簡単にコメントさせてください。

 「国語が英語の基礎になる」ですが、私自身、日本で英語を習ったとき、強く感じました。中三のとき、最初は苦手に思えていた英語が、あるとき、「あれ、英語って国語に似てる」と気づいてからはとてもすきになり、楽になったのを克明に覚えています。

 我が家のバイリンガルの子供達と国語の勉強をするときにも英語とのバランスをよく考えますが、どちらかでもひとつの言語ではっきり言いたいことがいえるようになってくると、ヴォキャブラリーの問題はあるにしても、もうひとつの言語のほうも文の構成はしっかりできてくると感じていました。

 ちなみに、トロント大学の中島和子さんの「言葉と教育」((財)海外子女教育振興財団)にも、訪米後まもない子供達に英語を覚えさせようとして無理に日本人の親が英語で話したり教えたりすることは効果が低く、むしろ、日本語でしっかり国語をおしえると、英語を学んでいく力がめきめきとついていくことが述べてあります。この本を読んだとき、常々思っていたことがかかれていたので「やっぱり」と嬉しく思いました。

 もう一点は、これも英語の国語への類似性についてです。日本語で「○○と言った」というとき、「言った」を何回もつかわないとのことですが、英語でも文章を書くときにこの点はまったく同じです。つまり、said のかわりに、commented, voiced, mentioned, spoke, argued, agreed, discussed, etc., etc. です。

 大学の英語の作文講座では、say, is (be), get, take などの簡単な動詞がどのように別の動詞で置き換えられるか、置き換えることによって文章の表現がうまくなるかの練習をさせられます(むしろ、英語のほうが同じ動詞を同じ文章で二度と使わないようにする傾向が強いと思います)。

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 日本語も英語も言葉という点では共通しています。自国語がしっかり身についていることが、他国語の習得の条件になるのだと思いました。

  勉強の軽重(その2)

 数学も、成績を上げるのに時間がかかります。しかし、国語ほどではありません。夏休みの一ヶ月でも集中して取り組めば劇的に変わるというぐらい変わります。しかし、数学は、「できる・できない」の差がはっきしているので、できない子は、それを能力の差のように考えてしまうところがあります。だから、将来文系でやっていくとしても、不必要な劣等感を持たないために、数学は力を入れてやっていく必要があります。小学生でも中学生でも、毎日の勉強時間のほとんどは数学になると思います。

 勉強の仕方は、これ一冊と決めた問題集を百パーセントマスターすればいいのですから、簡単です。しかし、この場合百パーセントということが大事です。一度やってできなかった問題は、何度も繰り返しやってみて、最後にはほとんど問題を見ただけで解法がわかるというぐらいにまでしておく必要があります。

 公立の小中学校で教科書に準拠した問題集などが渡されることがありますが、教科書レベルの問題では簡単すぎて、あまり力はつきません。部分的に難問の含まれた問題を家庭で独自に用意する必要があります。逆に、学校や塾で、難問の含まれた問題集を渡されている場合、その一冊に重点的に取り組むことが大事です。複数の問題集を並行して取り組むのは、能率の悪い勉強の仕方です。

 まれに、学校や塾で、答えを渡さずに問題集だけ渡すようなやり方をとるところがあります。自分ですぐに答えあわせのできない問題集は、やる意味がありません。それでもやらざるを得ないとしたら、○×がはっきりしたあとに、×のところだけを繰り返しできるように家庭できちんとカバーしておく必要があります。

 数学の問題集は、1回目に解くのは何の勉強でもありません。単なる勉強の準備です。1回目に解いて×になったところを2回目以降に繰り返し解いてみるときに初めて勉強が始まります。ところが、ほとんどの子は、1回目に解くこと自体を勉強と考えています。

 英語も、成績を上げるのに時間がかかります。しかし、「できる・できない」の差があまり大きくないので、英語の成績の差を能力の差のように考える子はいません。できない子も、やればできると思っていることが多いのが英語です。しかし、本当に英語の成績を上げるためには、数学と同じように時間がかかります。ですから、英語の出来不出来は、毎日の勉強習慣の有無に左右されます。

 勉強の仕方は、中学ではそれほど難しい文法はしませんから、文法については薄い参考書兼問題集を繰り返しやっていくだけで十分です。しかし、繰り返しやることによって確実に自分のものにする必要があります。この点で、現在の英語の教科書は文法的な説明が少なすぎます。独自に参考書を準備する必要があります。

 また、中学英語は基本中の基本ですから、教科書の音読暗唱はぜひやっておくべきです。ところが、現在の親の世代は、自分が音読暗唱ということをしていないので、なかなか子供に音読暗唱をさせることができません。また、英語の参考書や問題集を見ると、文法的なことが中心なので、勉強もつい文法的なことに偏りがちです。

 教科書会社によっては、会話体中心の短い文ばかりの教科書を作っているところもあります。子供の勉強している教科書の英文があまり適当でないと思ったら、ほかの出版社の英語の教科書を別に用意するとよいと思います。

 理科と社会は、ふだんの勉強ではする必要がありません。むしろ、ふだんの勉強で理科社会をすると、その分算数数学に使う時間が割かれてしまうので、ふだんは学校の授業だけに抑えておいた方がいいと思います。理科・社会は、中学生の定期テストでも、直前の一週間で集中して勉強する方が能率が上がります。

 しかしもちろん、理科や社会が好きで、時間もあるという場合は、自分の得意を伸ばすという意味で理科や社会にも取り組んでいくといいと思います。

 勉強全体の時間配分で行くと、毎日の家庭学習は、小学生の場合は国語1:算数1ぐらい、中学生の場合は国語1:数学2:英語1ぐらいになると思います。1:2:1というのは、1時間勉強する時間があれば、国語15分:数学30分:英語15分ぐらいということです。

 勉強をする順序で言えば、長文音読、数学問題集、英語暗唱、読書ということになると思います。長文音読のような短時間の勉強はなるべく最初にやって、読書のように長引く可能性のある勉強は最後に持っていくのがコツです。

 くたびれているときなどで勉強する気になれないときは、長文音読と読書だけ。さらにもっとくたびれているときや中途半端な時間のときは読書だけというように、読書を勉強時間の隙間を埋めることに使うと、時間を有効に使えます。

 本をよく読んでいる子は、バスを待つ間の5分や10分という細切れの時間を読書にあてています。日曜日などで、遊ぶ予定もなく、勉強する予定もなく、中途半端な時間のときがあります。そういうときは、「ようし、読書を50ページしたら、ゲームをしていいよ」などと、読書を中心に生活を組み立てていくと、読書の習慣が自然に身についてきます。

 勉強と遊びの関係は、昔から言うように「よく学びよく遊べ」ということに尽きます。

  光る表現 2001年11月2週号

●クリリンさん(いあし/小1)の作文より(けいこ先生/10.3週)

 「キャー。」とお母さまがひ鳴を上げました。「どんぐりの中に虫が入っているわよ。」と見せてくれました。わたしがこわごわのぞきこむと、白い虫が「へんな親子に見つかったぜ。」といって(い)るかのようににげていました。 評:お母さんのひ鳴が、すごく大きな声だったのね。虫もびっくりしただろうなぁ。虫は食事中だったのかもね。

●南美さん(いそみ/小2)の作文より(ポプリ先生/10.4週)

 きょう二十五分ほうかに、ながなわをしました。たのしかったです。どこがたのしかったかというと、なわをとぶときです。なぜかというと、わたしは、とぶのが大すきだからです。評:たのしかったりゆうがきちんとかいてあります。よくかけました。

●ミニリュウさん(いにと/小2)の作文より(ぴのこ先生/10.4週)

 ぼくは(あっいててて。)と思いました。でも青木君が「ごめんね」と言ってくれたので、心の中でうれしいなと思いました。「いいよ」と、ぼくは答えました。【評;よんでると、とってもやさしい気持ちになってきました。様子も、心の中で思ったことも、とてもよく書けたね!】

●ミニパンダさん(あもろ/小3)の作文より(ミルクティ先生/10.3週)

 次に、魚の工場へ行きました。魚がいっぱいありました。タイを見た時に、目にビーダマが入っているようでした。<評>魚の大きな目がピカピカしていて、ガラスのようで「ビーダマみたい」と感じたんだね。この【たとえ】は(なるほど、そうだなぁ)と感心しました!

●大介さん(あよう/小3)の作文より(けいこ先生/10.3週)

 アルバートくんの先生がうちのたんにんの先生だったら、その学校と同じ暗記ばかりで、それにしつもんしたら、「そんなしつもんはするな。暗記しろ!! お前は3時間バケツを持って立っとれ!!」とかおこられて、みんな登校したくなくなります。ぼくだってイヤです。 評:こわーい先生だ。アルバート君が学校に行かなくなったのも、わかるような気がするね。アルバート君の気持ちが、しっかりりかいできた。

●稔さん(あわき/小3)の作文より(ももんが先生/10.4週)

 ぼくは、まだ木のぼりのしょしんしゃだけど、いちおう木のぼりがすきです。でも友だちは、まるでチンパンジーのようにのぼっていきます。ぼくもそのようにのぼりたいです。【評:ひょいひょいと、えだに足をかけてのぼっていく友だちのすがたが、目にうかびます。楽しいたとえですね。】

●くろくるくんさん(いかゆ/小3)の作文より(スピカ先生/10.4週)

 直すところを直して、じょうずに書けました!

●みいきんさん(いきゆ/小4)の作文より(ももんが先生/10.3週)

 そして、とうとうわたしの前の人のばんがきました。わたしには、そのしゅんかんがとてもゆっくりかんじられました。【評:大なわとびで自分の番を待っているときの気持ちが、とても上手に書けました。こんな風にできごとによって、同じ時間でも「長く」感じたり、「短く」感じたりするから、ふしぎですね。】

●ヒマワリさん(いすさ/小4)の作文より(こあら先生/10.4週)

 (どんぐりを)みんなで食べてみたら…「うえっ。まじっ」と、とても苦くてぺっと出しちゃいました。(本当にまずかったです)【評】どんぐりを実際に食べたことのある人はすごく少ないような気がする…貴重な経験をしたかも(笑)お腹こわさなくてよかったね。

●れもんさん(ふれ/小4)の作文より(ミルクティ先生/10.3週)

 私は二年生の頃、水田で、じっさいに、田植えからお米をつくったことがあります。…略…私たちがやったのは、田植え、草取り、稲刈りだけでしたが、水田を管理してくれた先生が毎日田んぼの様子をみて世話をしていたそうです。田植えからお米ができるまでは何ヶ月もかかります。何ヶ月もかけて、やっとお米ができるのだからお米を大切にしていかなくてはいけないと思いました。このように昔から日本人にとってお米というものは、なくてはならないものではないのでしょうか。そして、水田とは、まるで日本の顔のようなものだと思います。<評>お米を作るためには多くの手間がかかるんだね。日本人とお米の密接な関係について考えた最後の部分は、とても説得力があったよ。「まるで日本の顔」というたとえも、おもしろいね。

●DD51さん(あある/小5)の作文より(ゆり先生/10.3週)

 例えばお茶の収かくの時、手で一つ一つつみとった葉は高く売れ、機械でつみとったものは、あまり高く売れないと聞いたことがある。【評:手仕事と機械の仕事について、習ったことを思い出したんだね。ピッタリの例だよ。】

●裕生さん(あてい/小5)の作文より(ふじのみや先生/10.1週)

 ぼくはあやまりに行こうとしたけどなぜかあやまれない。でもあやまらなかったらとても気分が悪くなる…(略)その相手もそう思っているだろう。だからぼくは、ある作戦に出た。 評:なやむ気持ちを立て直す「作戦」。 続きが楽しみになる書き方ですね!

●まもるさん(いそき/小5)の作文より(ももんが先生/10.4週)

 ぼくは、まだまだ修行がたりないので、もうちょっと、いやだいぶがんばっていこうと思います。【評:「もうちょっと」を「いやだいぶ」と言い換えたところが楽しいね。気持ちがよく伝わってきます。よーし、がんばれ〜。応援しているよ!\(^o^)/ 】

●史子さん(いぬは/小6)の作文より(こあら先生/10.3週)

 (運動会での演技のあと)お客さんからは、パチパチと拍手があり、とってもうれしかったとともに、終わってしまったのかとさびしくなったり、満足したりしました。【評】練習したかいがあってよかったね。何かが終わるときって、それがどんなに大変なものでも少しさびしくなるものだよね。そんな微妙な気持ちがよくあらわれていました。

 

●たごさくさん(あによ/中1)の作文より(ミルクティ先生/10.4週)

 確かに、知識をもつことは大事だし、理屈で考えることで科学が発達するかもしれないが、「行動するためには多くのことに無知でなければならない」という名言があるように知識がないほうが広い視野でものを見ることができる。ぼくも、身近なものに興味をもち、それに疑問をもっておおいに見聞を広めていきたい。<評>子供のもつ「なぜ? どうして?」という疑問の大切さについて述べた意見文の最後の部分。【反対意見への理解】や【名言の引用】をいれて、自分の意見を強くアピールできていますね。

●あつしさん(あむら/中1)の作文より(きょうこ先生/10.3週)

 「ドラえもんの愛される理由は、個性が豊かで、おっちょこちょいだけど(そして、話もワンパターンだが)、優しいというところにあるのだと思う。」確かに問題もあるがという点を確認した上で、それでもドラえもんが愛される最大の理由、それを『優しさ』というキーワードで結んでみたんだね♪ 「もう、しょうがないなぁ、のび太くんはぁ」と、困りながらも優しいドラえもんの顔が目に浮かんできそうだね☆ 

●祐司さん(には/中1)の作文より(さかな先生/10.2週)

 確かに中学校高校では科学的な考え方が必要になってくる。でも、「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産でない。」という名言があるように、科学的な考え方が必要になっても心から納得することは忘れてはいけないと思う。★評:「肝心なこと」を考えてまとめることができた。公式等の丸暗記ではなく、身につく勉強をしたいものだね。(昔の我が身を反省・・・。)

●しっぽさん(ほし/中1)の作文より(メグ先生/10.3週)

 人間は、いつも科学が引き起こす危険にびくびくしながら毎日を送っている。例えば、原子力発電所はとても便利なものだが、ちょっとした失敗で大事故となってしまう。『ドラえもん』のまんがのなかでの失敗は笑いばなしですむことだが、現実ではとても恐ろしいものなのだ。【評】人間が操るべき科学に、逆に、びくびくしなければならないなんて本末転倒ですね。

●おかゆさん(あすこ/中2)の作文より(ふじのみや先生/10.3週)

 正直に生きているからこそ人は変わるのだ 評:自作名言だね。変化を鋭くとらえた意見のしめくくりとして、光っています。

●実由記さん(いそほ/中2)の作文より(こあら先生/10.4週)

 彼女は、明るい良い性格をもってはいるが、反面、口が軽い。【評】100%良いもの悪いもの、というものは存在しないのだ、ということに気がついていくのが「大人になる」ことなのだと個人的には思っています(笑)実由記ちゃんがこんなふうに、あるものごとについて両面から見られるようになったのは素晴らしいことだよね。「反面」という表現もいいね。

●眠雨さん(うき/高2)の作文より(ミルクティ先生/10.2週)

 確かに自身なくして人は存在し得ないし、指標なしに自身を確立し得るほどに人は強くはない。だがごく小規模の価値観の中で自己を見出しそれに満足するようでは、殻の中の蝸牛と変わらない。陽光を知らず外世界を恐れ、存在はすれど成長はしない。我々は他者との交流によって成長ができる。自身の避難所としての小さな殻は必要であろうが、そこはあくまでひとときの休息所、そこに留まらずさまざまな交流を以って、自己を確立するばかりではなく成長させるのが、我々人間の人間らしい生き方ではないだろうか。<評>居心地のいい小集団にいることで満足していてよいのか! … さらに世界を広げていくことが大切だという意見を簡潔な文章で力強く主張しましたね。

●AE86さん(えや/高2)の作文より(さかな先生/10.4週)

 ものが(ご)とを動かすことは簡単だが、それを止めるには動かした時の何十倍もの制動力が必要となる。★評:世の中にとって好ましくない動きに対抗するには、それ以上の知恵や信念を持ってやらねばならないんでしょう。確かに、自然科学の法則と重なるね。

●UZI.SMGさん(そお/高2)の作文より(ミルクティ先生/10.3週)

 その原因の一つにアメリカ、日本を中心とする資本主義経済圏の一方的な拡大があると思う。このシステムに組み込まれた日には、人々の生活はお金なくして成り立たない。その日の食べ物すら手に入らない人々が満ち溢れている世界にこのシステムを押し付ければ当然後進国、貧国になることは間違いないし、お金を稼ぐ余裕のない貧しい人はいつまでも貧しい。つまり農耕文化の確立から余剰生産物のトレードに始まり租税の貨幣化、そして一般市民の生活への貨幣の浸透という一連のプロセスを踏まずして資本主義など成り立たないのだ。それなのに自由や平等、豊かさなど奇麗事を掲げて我々はそうした貧しい人々から希望さえも奪ってはいないだろうか。そうした理想が実現しうるのは自分たちのような限定された「先進国」だけであることに気づいているのか、それともあえて押し付けているのか。今回の戦争の舞台であるアフガンは明らかに貧しいが、仮にタリバンが滅んだとしてその後アメリカや国連を主体としてアフガンを資本主義化して旗色を塗り替えることが果たして最善なのか。「グローバリゼーション=資本主義化」という無意識な常識を考え直さない限り形を変え「テロリズム」は起こりつづけるだろう。政治的に資本を持たない後進国が資本主義のテーブルで主導権を握り話し合いができるはずがなく、言葉による話し合いの道が閉ざされてしまっているのではないのか。<評>今回の同時多発テロ及びそれに対するアフガニスタン空爆についての原因を論じた部分。「資本主義を押し付けることの非」という視点で原因を深く掘り下げることができたね。

●舞さん(あおき/高3)の作文より(こあら先生/10.3週)

 今日の芸術作品の中には、この絵を始めとして見ているだけで悲しくなるようなものが多い。(中略)新聞を通して知らされる詳しい戦況を自分の感想を添えて絵に託したのである。【評】現代美術はただ単に美しいものを描くというだけでなく、社会を啓蒙するという役割を持っているのかもしれませんね。

●キウィさん(いしわ/高3)の作文より(森川林先生/10.3週)

 確かに偏差値というものさしが出来て大学のランクが分かりやすくなった。しかし、人はここの大学は自分の偏差値にあってるから勉強は程々にしよう。とか努力したって無駄と考える人も出て来ている。しかもで自分の目標があやふやになってしまった。学校が総序列化された為に目標や競争への焚きつけは主体の欲望からではなく受験社会からやってくるものになってしまった。◆評:長文の内容をよくとらえているね。抽象的な語彙をそのまま使って考えを進めていくことは大事。

 

 

 

 

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