言葉の森新聞
2005年2月1週号 通算第873号
文責 中根克明(森川林) |
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■父母広場より |
◆読書について(小4父母) |
息子は今、小4ですが、私自身、本が大好きなので、小さいころから絵本の読み聞かせをしたり、図書館、書店へ何度となく足を運んだりして、本の楽しさを知ってもらおうと努力してきました。(無理強いしない程度に。)でも、残念ながら読書が好きではありません。体を動かす方が好きなようです。こういうことって、持って生まれた性分もあるようで、どうしたものか困っています。 |
▼すべてはこれからの実行に(教室より) |
体を動かすことが好きな子の場合は、普通よりも力を入れないと読書をするようにはなりません。 親が読書好きだと、本は自然に好きになるものだという意識があるので、どうしても無理に本を読ますことができなくなります。しかし、読書というものは、ある時期は無理にでも読ませないと読む力がつきません。読む力がつかないと、読むことが好きにはなりません。力をつけるのが先で、好きになるのがあとです。決してこの逆ではありません。 よく、無理に読ませて本が嫌いにならないかと心配する人がいますが、そんなことはありません。そういう心配は、無理に勉強をさせて勉強が嫌いにならないかと心配するのと同じです。同じように、無理に早起きさせて早起きが嫌いにならないか、無理に貯金をさせて貯金が嫌いにならないか、無理に近所の人に挨拶をさせて近所の人や挨拶が嫌いにならないか、無理に歯磨きをさせて歯磨きが嫌いにならないか、無理にお風呂に入らせてお風呂が嫌いにならないか、などいくつでも挙げられます。生活や人生に必要なことは、そのつど必要な範囲でやっていかなければならないのです。しかし、必要なことであってもやり過ぎればゆがみが出てきます。そのときは、その時点で軌道修正していけばいいのです。基本路線は、本は無理にでも読ませるということです。 しかし、小学4年生というのは、もう既に生活スタイルが確立している時期です。このころまでに本を読むことが好きになっていない子に、今から本を読ませるというのは並大抵の努力ではできません。親が、これから一日も欠かさずに読書を勉強よりも優先させて読ませると決心して実行しなければなりません。そのためには、もちろん父親の協力も必要です。小学生が読書好きになるかどうかは、学校の責任でも子供本人の責任でもありません。すべては親の決心と実行にかかっています。 ときどき、学校で朝の読書運動をしているから家では読まなくても仕方がないと勘違いしている人がいます。読書といういちばん根本の勉強を学校まかせにしていれば、そのつけは必ずやってきます。読書だけは、何がどうあろうと家庭がまず第一に取り組まなければならないものなのです。 |
◆難しい長文について(小6父母) |
長文集の中で、本人にとって難しすぎる内容があり、感想文を書くことも難しいと思われるものがあります。そのときは、どのようにすればよいでしょうか。11月3週の「誰もがよく知っている」は難しいようです。語句も意味を調べるものが多すぎます。小学生の国語辞典にのっていないような語句が多いです。ですから、11月3週の長文は読んでいませんが、どうすればよいでしょうか。 |
▼まず音読に慣れることから(教室より) |
長文集は、学年相当よりも難しいものを載せています。 小学6年生の長文もそうですが、中学生でも高校生でもやはりその年齢では読みにくい文章です。 こういう難しい文章を読むときに大事なことは、意味はわからなくてもいいからまずすらすら読めるようにするということです。これは何度も音読をしていれば必ずできるようになります。 このやり方とは逆に、まず意味を理解させようとすると、いつまでたっても読めるようにはなりません。わからない言葉を辞書で調べるようなことをすれば、ますます敷居が高くなってきます。 戦後の教育スタイルの大きな弱点は、慣れよりも理解を優先させたことです。現在の親の世代は多かれ少なかれこの教育の影響を受けています。そのために、できないことがあったらまず正しく理解させようと考えます。ところが、算数の計算でも漢字の書き取りでも、まず慣れてできるようにすることが先決で、理解はそのあとの段階でするものなのです。まして、文章の読解のような複雑な勉強は、理解を後回しにする必要があります。 理解できない文章であっても、すらすら読めるようにすると、その文章の全体が頭の中に蓄積されます。その蓄積のあとに出てくるわからない部分こそが真に理解する必要のあるところなのです。すらすら読めるようになる前にわからないところは、死んだわからないところですが、すらすら読めるようになったあとにわからないところは、生きたわからないところです。音読を続けていると、子供自身が「これ、どういう意味?」と聞いてきます。それが生きた質問です。音読をする前に「この漢字読めない。どういう意味?」と聞くのは死んだ質問です。 子供が生きた質問をしたときに、辞書を引いて自分で調べさせるという方法をとる人もいます。自主性を重んじるという点ではいいやり方のように見えますが、毎回同じように「自分で調べなさい」では芸がありません。それよりも、子供が生きた質問をしたときには、その場に居合わせたお父さんやお母さんがアドリブで生きた答えをしてあげる方がいいのです。もし、お父さんやお母さんでも答えられないような難しい質問であったら、大人でも簡単に答えられないような質問なのだとわかることが子供の生きた理解につながります。 長文音読のような形の勉強を、今の大人の世代はほとんどしたことがありません。そのために、音読の仕方も通常の理解の勉強と同じものと考えがちです。しかし、音読は、理解するよりも先に、まず慣れるものなのです。 |
■『紙風船』(ぺんぎん/いのろ先生) |
これは、日本の代表的な現代詩人 黒田三郎さんの詩(し)『紙風船』です。とてもやさしい言葉を使って、すきとおるような気持ちを伝えてくれる黒田さんの詩を、いっしょに味わいたいと思います。まず、目にうかべ、想像(そうぞう)してみましょう。赤、白、緑の和紙でできた、ぱりぱりの紙風船を。さあ、それを、精一杯(せいいっぱい)打ち上げてみるのです。青く澄(す)んだ1月の空に! 高く高く、何度でも舞(ま)い上げましょう。少しへこんでも大丈夫(だいじょうぶ)。「もっと高く!」という願(ねが)いを受けて、プワッとふくらみながら、空でエッヘンと自慢(じまん)げに笑ってくれることでしょう。(そんなふうに先生は思いえがきました。) 新しい年になりました。新しいことを始めましょう。新しい願いごとを打ち上げましょう。この紙風船のような……! 今年の真っ青な美しい空に、高く高く、すてきな思いをはなちましょう! 新しい一歩はどんなでしょう? 過去(かこ)のことにとらわれないで! もっと高く。もっともっと高く。自由に、始めましょう。先生も、すごい願いごとを決めました。言葉にしなくてもいいね。からだで、心であらわせれば! そんな新しい気持ちを大事に、今年も楽しみながら、生きいきなんでもしていきましょう! その中の一つに、「作文の学び」が入っていれば最高(さいこう)ですね! 先生は「勉強」という言葉はできるだけ使いません。「学び」。この言葉の方が、体にしみとおっていく気がするのです。自分のやる気をエネルギーにして、やっていける気がするからです。「学び」、と言うとき、勉強が楽しみの一つに仲間入りできるのです。 たくさんの紙風船を打ち上げてください。飛び切り、イキのいいのをお願いしますよ! 新しい年もよろしくお願いいたします。 |
■【絵本の世界】(ほたる/ほた先生) |
今回は、ちょっと絵本についてお話ししてみたいと思います。「絵本? 小さいころに読んだなあ(または、読んでもらったなあ)」というみなさんがほとんどでしょう。大きくなったら、手にすることもありませんね。しかし、小さい子供だけに読ませておくのはもったいない絵本が、たくさんあります。大きくなった今だから、よりよく意味がわかるものもあります。もちろん、ちゃんと難しめの本に挑戦したり、言葉の森の長文を音読したり、息抜きにマンガを読んだりするのも大切なことですが、たまには絵本をのぞいてみるのもいいのではないでしょうか。 多くの言葉を連ねて、たくさんの説明を重ねて、複雑なストーリーを組み立てていくのがいわゆる小説(長いお話)です。それに対して、選び抜かれた短い言葉と絵で一つの世界を作っている絵本は、詩や音楽のようなものだと思います。そこには想像力を刺激してくれる、優しい力があります。そして時には、どんなに長い文章よりも力強く、印象的に、大切なことを伝えてくれます。 たとえば、(あまりにも有名ですが)佐野洋子 作・絵『100万回生きた猫』という絵本があります。そのお話は、こんなふうに始まります。 「100万年もしなない ねこがいました。 100万回もしんで、100万回も生きたのです。 100万人の人が、そのねこが しんだとき なきました。 ねこは、1回もなきませんでした。」 しかし、このお話の最後に、この不死身の猫もついに死んでしまいます。それはどうして? ……そのあたりは、ぜひこの絵本を読んでもらうとして、裏話を一つ。この絵本を英語に訳して、アメリカで出版しようという話が出た時、アメリカの出版社は、「最後にねこが死なないハッピーエンドにしないと出版しない。」と言ったそうです。何しろ、あのアンデルセンの「人魚姫」を、主人公の人魚姫が死なないで王子と結婚するハッピーエンドに変えた上、娘まで生まれてその娘の続編まで作ってしまう国です。でも、ねこが死なないと、この絵本の意味は全くなくなってしまうんです。そのあたりも、ぜひ、一度読んでみてほしいです。 絵本は買うとかなり高価なので、図書館の利用がお勧めです。中学生以上の皆さんなら、英語の絵本もいいですね。こちらも、図書館にあったりしますから、調べてみてください。 |
■『世界物理年』(まあこ/ゆた先生) |
今年は『世界物理年』なんだそうです。アルバート・アインシュタインが「光電効果の理論」、「ブラウン運動の理論」、「特殊相対性理論」という三つの重要な論文(ろんぶん)を発表した“奇跡(きせき)の年”1905年からちょうど100年経ったことを記念して、世界中で物理を見直そうということなんですね。 物理(ぶつり)というのは、理科です。理科の中でも自然に起こることの法則(ほうそく=決まり)を見つけたり、研究したりする学問です。りんごが木から落ちるのは引力があるからだとか、船が水にうくのは浮力(ふりょく)があるからだなどというような、身近なことです。でも、当たり前にそうなるものだと思っていることを、いざ、どうしてそうなるのかと説明しようとすると、とてもむずかしいことに気がつくでしょう? そういう物理の世界で、天才的な発想をもったアインシュタインは、光の速さや、時間と空間の関係などを、すっきりと説明することに成功しました。言葉の森で“ススキの山”の課題を勉強したことのある人にはおなじみですね。ぼさぼさ頭で古いセーターにサンダルばきのアインシュタイン博士は、人々から愛される人柄もあって、20世紀を代表する偉人(いじん=えらい人)とされています。 正直に言ってしまうと、私は高校時代の教科の中で物理の成績が一番悪かったのです。ですから、アインシュタインの三つの論文といわれても、実はなんとなくしかわかっていません。でも、物理の授業は大好きでした。先生の話がとてもおもしろかったからです。 みなさんは遠心力(えんしんりょく)いう力を知っていますか? 乗り物に乗っていてカーブを曲がったときに、外にほうり出されるような力を受けたことがあるでしょう。それが遠心力です。その遠心力の授業で聞いた先生の話が忘れられません。 「この前の休みに嫁(よめ)さんと娘を連れて、K遊園地に行ったんだよねー。」 学校からもほど近い市民に愛されている小さな遊園地です。 「それで、あのヘリコプターってヤツに、嫁さんと娘が乗ったんだ。」 太い柱を中心にして放射状(ほうしゃじょう)に取りつけられたヘリコプターがぐるぐる回るという乗り物です。みんなもそういう乗り物に乗ったことがあるかな? 「そこまではパパとしてさ、9才の娘のかわいい写真をとろうとしてカメラをかまえていたんだけど、あれよあれよといううちにけっこうなスピードで回り出して、すごい遠心力が娘をおそいだしたんだ。というより、遠心力を受けた嫁さんにさ、娘がおしつぶされてんだよぉ。」 どういうことだかわかりますか? つまり、二人ならんで座る座席の外側に娘さん、内側にお母さんが座っていたんですね。そこで二人とも遠心力を受けて外側にほうり出されそうになるわけですが、娘さん側はヘリコプターの壁(かべ)があってそれ以上行けないのに、お母さんは容赦(ようしゃ)なく力に押されてくるわけです。お母さんとかべにはさまれた娘さんはもうぺちゃんこ。 「娘はね、ぼくに似てすごくスリムなんだよね。でも嫁さんは栄養満点でしょ。それがいけなかった。反対に娘が内側だったら大した力じゃなかったんだ。」 重いものほど大きな力となる遠心力。計算式は忘れてしまったけど、十数年経って同じヘリコプターに息子と乗ることになったとき、しっかりそのことを思い出しました。ちゃんと私が外側に乗りましたよ。先生! アインシュタインは『学校で学んだことを一切忘れてしまった時になお残っているもの、それこそ教育だ』と言いました。学生時代の私は、苦手な計算式のことで頭がいっぱいになって、物理はつまらないと思いこんでいました。しかし、その計算式を忘れてしまった今になって、ようやく物理のおもしろさに気づきました。それは、今も残っている物理の先生の雑談(ざつだん)があったからです。計算式を丸暗記するだけの授業だったら、一生気づかなかったかもしれません。 才能のある人は、さらに専門知識を深める年になるのでしょうが、私は肩の力をぬいて『世界物理年』を楽しもうと思っています。自然現象(しぜんげんしょう)の不思議は身のまわりにたくさんありますね。アインシュタインは、5才の時に、方位磁石(ほういじしゃく)の針がつねに北を向く不思議な力に気づきました。みなさんも、どうしてだろうと思うことがあったら、じっくり考えてみてください。 |
■親子(うるっち/かん先生) |
新しい年がスタートしましたね。充実した一年になるようがんばっていきましょう。私も楽しくわかりやすく作文を教えていきたいと思っています。今年もどうぞよろしくお願いします。今月の学級新聞はお母様向けに書いてみました。ぜひご一読ください。 私は、作文を教えるこの仕事がとても好きです。大学を卒業してからいくつかの仕事をしてきましたが、今のこの仕事が一番やりがいがあります。明るく前向きでへこたれない性格のせいでしょうか、今までは営業職を勧められることが多かったのです。いろいろな人と出会いお話をすることはとてもいい経験になりましたが、心から(この仕事が好き、楽しい)とは思えませんでした。でも、(好きで楽しいことがそのまま仕事になる人なんてほんとうにラッキーな人なんだから。仕事に辛さはつきもの。)と考えて過ごしていました。ですから、今、 「仕事が楽しいです。大好きです。」 と堂々と言える状況にとても感謝しています。 「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくる」ということが書かれた本を読んだことがあります。人はどこから生まれ死んだらどこに行くのか、ということは永遠のなぞでしょう。一説では、生まれる前の魂は空の上で地上を観察し、どの女性のもとへ生まれていこうかを自分で選択するのだそうです。その選択は、赤ちゃんも両親も互いに最も学び合える組み合わせなんですって。そうした記憶を持つ赤ちゃんが世界中に少なからず存在し、それぞれの話が多くの点で合致しているとのこと。こうした説を100%信じるわけではありませんが、ちょっと素敵な話だなと思ったりもします。 私事になってしまいますが、我が家には4歳の長男、3歳の二男、2歳の三男がいます。二男が生まれるまでずっとフルタイムで仕事を続けていました。二男が生まれてからも仕事を続けたかったのですが、ちょうど夫の転職に伴い転居が決まり退職を決めました。その後、二男が生まれてから仕事を探し、運良く翌春の入社が決まりました。これも営業職だったのですが……。長男と二男の保育園もみつけてあとは入社を待つばかり。そんなとき、全く思いがけず三男がおなかにいることがわかりました。もちろん仕事はあきらめました。振り返ってみると、もしあのとき三男の命が芽生えていなかったら、私は作文の仕事にめぐり合うことができませんでした。多分(仕事なんてこんなもの)と半ばあきらめて営業職をしていたことでしょう。そう考えると、三男が私の人生を変えるために生まれてきてくれたような気がしてくるではありませんか。こんなことがあったので、赤ちゃんがお母さんを選ぶ、という説にうなずける部分があるのかもしれません。 言葉の森の作文の課題は家庭でのひとときを書かせるものが多くあります。今学期の課題にざっと目を通してみてください。それから、項目の<前の話聞いた話>でもお父さんお母さんに聞いてみてねと指導しています。お忙しいとは思うのですが、どうか協力してあげてください。「ママの子どものころはこんなことがあったよ。それでこんなふうに思っていたよ。」と。または、長文を一緒に読んでみて似た話を考えてみるのもいいと思います。作文を書くことで、家庭での親子の会話が増える、それも何かのテーマについて話合える、というのも素敵だと思います。そしてそんな中から、お互いに何かを学びあっていけるのではないかと思います。親子としてこの世に生を受けたなぞが少し理解できたら、それもまた素晴らしいなあと思うのですが、いかがでしょうか……。 |