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  父母の広場より
  ネコ語がわかる・ヒト語がわかる(はち/たけこ先生)
  いい作文って? (ほたる/ほた先生)
  テレビ、見すぎていないかい(ひとみ/かもの先生)
  国語力をつける読解作文
 
言葉の森新聞 2005年6月3週号 通算第891号
文責 中根克明(森川林)

父母の広場より
母親としての接し方(小1母)
 小学1年生の子供ですが、やっと文字が書けるようになった程度で、作文を書くことはかなり大変です。私も作文はあまり自信がありません。子供が作文を書くにあたって母親としてどのように接したらよいでしょうか。
書く力の土台として読む力をつける(教室より)
 作文は、その子の文章力の結果です。結果に直接手をつけようとすると、無理に教えることになりがちです。
 作文力の土台は、読む力と聞く力です。土台の方を耕していると自然に作文力が向上してきます。
 読み聞かせと長文音読と読書を中心に家庭学習を行い、作文と音読については、いつも褒めてあげるようにしてください。
音読の教材の暗記(小2母)
 学校からの毎日の宿題に詩集(40編弱)の音読があり、何回か読んでいるうちに暗記してしまいます。1ヶ月で一巡し、現在は3巡目ですが、2巡目からは、音読というより暗記の確認といったかんじになっています。その上、本人は宿題の音読をしたといって、言葉の森の長文の音読(一回のみ)や短文の暗記(週に1、2回なんとか)をあまりしたがりません。
 一巡目で暗記をしてしまっていますし、詩なので、1〜2ページの長さとはいえ、勿論長文ではありませんので、宿題よりは言葉の森の長文音読や短文暗記の方がよいのでは、と親としては思ってしまうのですが、お考えやご助言お伺いできれば幸いです。
学校の音読との両立(教室より) 
 最近、学校でも音読の指導をするところが増えてきました。
 言葉の森の音読の目的は、作文を書く力をつけることですから、ただ有名な詩や文章を音読するだけの音読とは違います。
 しかし、子供にとって、似たような勉強を続けてやるというのは苦痛ですから、学校の宿題は夕方の時間に、言葉の森の音読は朝ごはんの前にというように、時間を分けてやっていくとよいと思います。
先生との会話が刺激に(小4父母)
 先生との会話で良い刺激があるのか、すごくはりきって作文に取り組んでいます。「ほめる」、「認める」ということは、本当に人にパワーと明るさを与えてくれるものなのですね。
勉強の内容は甘く、生活の習慣は厳しく(教室より) 
 高校生ぐらいの生徒になると、「先生、もっと悪いところをビシビシ言ってください」という子も出てきます。(笑) しかし、悪いところを直すというのは、教える側にとっても、教わる側にとっても、自己満足に終わることが多いようです。
 作文の勉強だけでなく、いろいろなことに当てはまることですが、教えることに自信のある先生ほど生徒をよく褒めるようです。 実際の学校の勉強などでは、褒めることに加えて、締めるときは締めるというメリハリも必要になります。家庭でも、勉強の内容については甘く、生活習慣については厳しくという姿勢でやっていかれるとよいと思います。
先生の励ましに感謝(小1父母)
 まだ字を読むのも書くのもたどたどしい小1の息子ですが、先生の温かい励ましで作文に取り組み、毎日音読しています。ありがとうございます。
今のうちにたっぷり褒めて(教室より)
 小学校低学年のころは、注意したり直したりしようと思えばいくらでもできる時期です。子供は、大人の言うことをただひたすら素直に聞いているからです。
 しかし、この時期に大人がいろいろなことを注意しすぎると、小学校高学年になるころから、子供はだんだん親の言うことを聞かなくなってきます。
 小学1年生のころは、すべてがたどたどしい段階ですから、そのたどたどしいままに認めてあげると、高学年になってからも親子の協力関係が続きます。
 たっぷり褒めて、毎日の音読を続けていってください。
 
ネコ語がわかる・ヒト語がわかる(はち/たけこ先生)

 みなさんの知っているネコは、「ゴハン!」って鳴きますか? 実は、「ゴハン」という声で鳴いてごはんをほしがったり、喜んだりする飼いネコは、けっこうたくさんいるのだそうです。うちのネコも鳴くんですよ、「ゴァアン!」って大きな声で。とくに、めったに食べさせてもらえない、おいしいおさしみのきれはしをもらったときなどは。これも、毎回ごはんのたびに、「ごはん、ごはん、ごはんよー」と大きい声で呼んでいたためです。

 私のネコは、私がタイに住んでいたとき、知り合いのタイ人にもらったのでした。といっても、そのタイ人の家の庭でのらねこが産んでいったこどもだったのですが。もらったときは、生後2ヶ月くらいのちっちゃなこねこでした。すぐにうちになれて、私をおかあさんだと思って、いつもそばについてきていました。

 タイという国は、1年中暑い国です。季節も日本とちがって、雨の多い「雨季(うき)」と、雨のふらない「乾季(かんき)」にわかれています。こねこが来たのは、乾季のはじめ、10月でした。そして、それから4ヶ月くらいたったある日。いつも晴天をうつしていたベランダに続くガラス戸が、まっ白にくもり、ごうごうざあざあと滝のように水が流れ、がたがたと風でゆれているのです。乾季に育ったこねこはそんなものを見たことがなかったので、もうびっくりして、おっかなびっくりガラス戸のほうににじりよっています。それで私がそばによりそって、「雨だよ、あれは雨だよ」と教えてあげました。
 私も動物を飼うのははじめてだったのですが、飼ってみてわかったのは、ついつい動物に話しかけてしまうのですね。ちいさい頭できっとわけがわからないと、こわかったり、不安になったりすることが多いだろうと思うのです。それで、ネコにとってはたとえ外国語のようでも、少しでもわかってもらおうと、話しかけてしまうのです。ネコは安心したようにすわりなおして、私といっしょに雨を見ていました。
 それからというもの、8年間、雨がふると、窓のそばで、ならんで「雨だよ」と言いました。それがこの前、ネコが一人で、ガラス戸の向こうの雨を見ているのです。そっとうしろから私が見ていると、ちいさい声で、「みゃー、みゃー」とつぶやいているではありませんか。きっと「雨だよ」と言っていたにちがいありません。人間とネコでさえ、少しずつでもわかりあえるなら、話すことばがちがう人間同士だって、愛情としんぼう強さでわかりあえるのではないでしょうか……。
いい作文って? (ほたる/ほた先生)


 新緑の美しい、風薫る季節になりました。みなさんは新しい学校、新しいクラス、新しい学年になってから、1ヵ月が過ぎましたね。特に、この春小学校、中学校、高校に進学したみなさんは、ようやく新しい生活に慣れ始めた頃でしょうか。新しい勉強、新しい部活、新しい友達……。いろいろ大変なこともあると思いますが、まずはチャレンジしていきましょう。そのうち、手の抜きどころもわかって(笑)、うまくこなせるようになってきますよ。

★いい作文って、どんな作文なんだろう?

 作文は、算数や数学のように、「誰が見ても正しい答え」というものがありません。オンラインで書いているみなさんには、「森リン」で点数がつくようになり、かなり客観的に作文のよさが点数で測れるようにはなってきました。ただ、これも絶対ではありません。それに、やってみるとわかりますが、「よーし90点を取るぞ」とファイト満々で書いても、思い通りの高得点を取るのは、至難の業です。それに、小学生のみなさんにとっては、森リンでの評価は、まだよくわからないですよね。

 では、作文を書こうとする時に、何に気をつけたらいいのでしょう。

 それは、まず、「自分らしい」作文を書く、ということです。3〜4年生の課題には、「自分だけが思ったこと」や「自分だけがしたこと」の項目がありますね。これが1つのポイントです。
 たとえば、遠足に行ったことを書くとします。「たくさん歩いたので、とてもつかれました。でも、たのしかったです。」これは、ふつうの作文です。なぜかというと、だれでも書けることが書いてあるからです。
 でも、「わたしは遠足の日にはこうと思って、新しいくつをとっておきました。」と書いたら、これは「自分だけがしたこと」ですね。そうすると、そのくつをはいて、とてもうれしくて走って行ったこととか、お友だちに見せたこととか、いろいろなことを書くことができます。それから、「最近こんなに歩いたことがなかったので、とてもつかれました。でも、帰り道の風がとても気持ちいいと思いました。」などと書くと、「自分だけが思ったこと」が書けますね。
 このように、どんな「自分だけ」が書けるか、ここが工夫のしどころです。中学生以上のみなさんにとっても、いかにユニークな「体験実例」が書けるか、これが勝負どころです。どこかで聞いたような意見をたくさん書くよりも、具体的な「体験実例」を書くことがまずは大切です。

★「たとえ」をうまく入れるコツ

 それから、もっと低学年のみなさんは、まだそこまで書けないと思います。でも、だいじょうぶ。みなさんは、「たとえ」をがんばってみましょう。「たとえ」は、「まるで……のような」「……みたいな」という書き方のことです。これは、最初は少しむずかしいですが、毎回練習しているうちに、かならずじょうずになります。この「たとえ」を入れると、作文は、ぐっと「自分らしい」ものになりますよ。
 「たとえ」は、じつは、小さいお子さんの方がとくいです。大きくなると、固定観念ができてきて(頭が固くなること)、へたになるのです。ただ、なれるまではちょっと大変ですから、お家の方に、少し協力していただきたいと思います。
 この時、「ほら、きりんのような首だね」というふうに、先にたとえを言わないことがコツでしょうか。「長い首だねえ。まるで何みたいかな。」というふうに聞いてあげて、好きなものを連想させてあげて下さい。その時、「えーっ、そんなの変だよ」というたとえが出てきても、決して否定しないで下さい。「うん、なかなかいいね。」とほめているうちに、本当にじょうずになりますから。
 もう少し大きいみなさんは、とにかく毎回たとえを入れてみること。それだけでも、ずいぶんちがいます。

 では、具体的に、どんな表現がすばらしいのでしょうか? みなさんが毎週書いてくれる作文には、本当に感心するようなものがたくさんあります。来月は、久しぶりに、みなさんの作文から「光る表現」を紹介したいと思います。
テレビ、見すぎていないかい(ひとみ/かもの先生)
 みなさん、こんにちは。
 みなさんは、テレビ、大好きですか。よく見ますか。
 でも、テレビ、これ、ちょっと怖いですよ、という話をしようと思います。
 つまり、テレビは、見方がちょっと、むずかしいのですね。
 スポーツや舞台劇を、あるがままに中継し伝えてくれる道具としてなら、あまり気にすることはありません。
 それから、完成された邦画や洋画をそのまま放映してくれる分には、余計なことを考える必要もありませんね。原風景を見る安心感がありますから。
 でもね、「テレビをつくる人」たちが介在した映像を見るときには、ちょっと、気を張っておきたい、と思うのです。
 何百、何千万の人に同時に伝えるから、テレビはマスメディアだと思いがちですが、受け取る側にとっては、パーソナルなメディアなのですね。
 「言葉の森」の長文のように、活字を読むときの集中力を、テレビは必要としません。無意識のうちに、こちらの内側へ入り込んでくるのがテレビです。
 音声と映像を通して伝えられる一つの考え方が、受けている側には、まるで自分の考え方のように錯覚してしまう力を秘めているのですね。
 そういうことを意識して作られた番組って、いっぱいありますよ。テレビCMなどは、そのいい例、極端な例といっていいですね。
 作家の司馬遼太郎さんは、「ディレクターなり、役者なりが作ったイメージが、頭をさっぱりは働かせなくても、そのまま見ている側に入ってくる。テレビというのは、イメージを作るという点で、本当に害になることがあります」と言っています。
 だから司馬さんは、「小説というのはイメージでできあがっていますから、テレビは害だと思って、ずっと見ませんでした」と言っていたことがあります。
 テレビの見すぎはやめよう。かわりに、「言葉の森」の長文を読もう。
 
国語力をつける読解作文
 国語の読解の勉強というと、物語文、説明文などの問題文を読んで設問に答えるという形がほとんどですが、本当にそれで読解力が身につくものなのでしょうか。わかる問題は、問題を解くまでもなくわかっていたことですし、間違えた問題を解き直してみたところで、それは本当の自分の力とは言えません。解説を聞いてわかったような気持ちにはなるかもしれませんが、解説を聞くことによって実力がついたことにはなりません。もちろん、このような設問に答える問題にも解き方のコツはあります。記号問題なら、消去法で解いていく、また、断定的な言い方のものは避けるなどといったことです。受験生は、このようなコツを覚えておくことも必要ですが、それも最終段階で間に合います。

     

 では、本当の読解力をつけるためにはどうしたらよいのでしょうか。まずは、ひたすら読むことです。読書好きでない人は、国語の勉強と割り切って、少しむずかしいと思えるくらいの文章を読んでいきましょう。読書好きの人も、自分の好みの本、つまり、同じレベルの本を何冊読んでも読解力がつくとは限らないので、普段はあまり読まないような論説文などを中心に少しむずかしい文章を読んでみましょう。ただ、普段から読書をしている人は、速読力がついているはずですから、速く読み進めることができると思います。問題集の問題文を読むことを日課にするとよいでしょう。ただし、同じ問題集を4回くらい読まないと実力はつきません。

     

 もう一つお勧めしたいのは、文章を読んだら、その文章について作文を書いてみることです。(言葉の森の長文の感想文課題と同じです。)私は、これを「読解作文」と呼んでいます。もちろん、すべての文章について書いていたら時間がかかって大変ですから、週に一度ぐらい、できれば、毎週違ったテーマの文章を選んで書くとよいと思います。単に、その文章を読んでどう思ったかという感想を書くだけではなく、自分の体験などを具体的書くのがポイントです。自分の体験だけでは足りない場合は、是非、お父さんやお母さんが助言してあげてください。文章の内容を、自分の体験や身近な人から聞いた話と重ね合わせることによって、筆者の視点が見えてくるからです。そして、少しずつですが、筆者の意見を自分のものとして理解できるようになります。最初は長く書くのがむずかしいかもしれません。また、見当はずれの作文になってしまうこともあるでしょう。でも、読解作文を繰り返していくうちに、文章の内容を深く読み取ることができるようになるはずです。

     

 このやり方は、遠回りに見えますが、確実に読解力をつけていくためには一番良い方法です。作文を書くためには時間も労力も必要ですが、設問に答えるような勉強よりは効率的です。また、読解力をつけるという狭い目的だけでなく、自分の生き方を考えるときにも役に立つと思います。すべての勉強は、幸せに生きるためのものですが、特に、国語の勉強は、自分の考えを整理し、自分の生き方を考えるときの直接の手段となるというすばらしい側面を持っています。そんな意味でも、広い視野を身につけ、着実に国語力を伸ばしていってほしいと切に願います。
                                     山田純子(メグ)

     
 
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