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  12.1週は進級試験
  公立校での作文入試
  速聴の波、授業の渚の実験ページ
   4倍速まで聞ける「速聴の波」
   授業の様子をフラッシュで放送する「授業の渚」
  正倉院展(けんけん/すもも先生)
  夜空を見上げて…(しろくま/いのこ先生)
  横道にそれてみよう(ひとみ/かもの先生)
  夢(たんぽぽ/たま先生)
 
言葉の森新聞 2005年12月1週号 通算第913号
文責 中根克明(森川林)

12.1週は進級試験
 12.1週に、作文進級テストを行います。課題フォルダの字数・構成・題材・表現・主題の●印が全部できていることが合格の条件になります。(表現の項目などで「たとえ」と「ダジャレ」など二つ以上の項目が指定されている場合はどちらかができていればその項目は◎です)。キーワードと字数が採点の基準ですので、指定された字数以上で必要な項目が全部入る作文を書いていってください。中学生以上の時間制限については、今回は採点の基準にしませんが、できるだけ時間内に書き上げる力をつけていきましょう。
 手書きで作文を書く人は、項目ができたところにシールをはっておいてください。
 パソコンで作文を書く人は、キーワードを入れておいてください。
 小学生の場合は、提出する前に、おうちの方が字数と項目シールをチェックしてあげてくださるとよいと思います。
 小学2年生までの生徒は、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。10月以降に受講を開始した生徒も、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。ただし、いずれの場合も、賞状は出ますので、できるだけ字数と項目ができるように書いていってください。
公立校での作文入試
 公立中高一貫校の入試や、公立高校の推薦入試などで、作文のウェイトが高まっています。これは、成績とは別の尺度で受験生を評価しようとすると、どうしても文章を書かせるような問題が中心にならざるを得ないからです。
 しかし、これらの試験の内容は、どこに評価の基準があるのかはっきりしません。実は、これはやむを得ないことなのです。作文の試験で明確な評価の基準を出して、その採点結果を公表しようものなら、混乱することは目に見えているからです。作文の評価で客観的に公開できるものは、誤字と字数ぐらいです。それ以外の、構成・題材・表現・主題などは、採点者による個人差があまりに大きいために、客観的な評価というものは、よほど上手下手がはっきりしているもの以外はあり得ないからです。
 ですから、逆に言えば、作文試験で大事なことは、まず誤字をなくして、字数をいっぱいまで埋めるということになります。
 作文試験をする学校によっては、短時間に大人でも書き上げることが難しいような長い字数の作文課題を課すところがあります。これは、作文の内容よりも、まず字数で大部分の足切りを行っているのだと思います。短時間で長い字数を書く力は、確かに作文の実力と高い相関がありますが、字数だけでほとんどの採点をしてしまうというのではやはり問題があるでしょう。
 ところで、800字程度の文章で1〜2ヶ所誤字のある生徒が、誤字の全くない文章を書けるようになるには、1年ぐらいかかります。誤字というと、簡単に直せることのように思われがちですが、実は、表面に表れた誤字は、その下にあるその人の膨大な誤字の蓄積の反映なのです。しかも、誤字の多くは、本人にとって自覚されていないという問題があります。誤字は、実際に書いて間違えたものを一つずつ覚えていくような勉強の仕方で直すしかありません。
 さて、誤字がなく、字数もいっぱいまで埋められる人は、どこに注意をして作文を書いていったらいいのでしょうか。
 人間の評価には、不思議な特徴があります。それは、全体的によく書けている文章よりも、どこかに光る場所がある文章の方に高い評価を与えがちだということです。反対に、どこかに誤表記があると、それだけで全体の評価は実力よりもずっと下がります。つまり、全体に90点の文章を書くよりも、全体が80点で一ヶ所100点のところがある文章の方が評価は高くなることが多いのです。特に印象に残る1ヶ所は、結びの部分です。上手な作文は、途中が上手であるよりも、結びに光る表現があるという特徴を持っています。
 結びを上手に書くコツは、小学生の場合は一般化した形で感想を書くことです。中学生以上の場合は、自作名言を入れて意見を書くことです。いずれも考える力が必要なのですぐにはできないかもしれませんが、これから作文試験を受ける人は、このことを心がけていきましょう。
速聴の波、授業の渚の実験ページ
4倍速まで聞ける「速聴の波」
 長文音読は、毎日繰り返し同じ文章を音読することで、文章のリズム感や語彙を自分のものにしていく練習です。
 しかし、中学生以上になると、なかなか毎日の学習時間の中で音読の時間が確保できないという状態も出てきがちです。
 そこで、長文速聴のページをホームページ上に実験的に作りました。
 このページは、普通の速さと2倍速、3倍速、4倍速の音読が聞けるようになっています。
 2倍速までは普通に注意して聞けば聞くことができますが、4倍速になるとかなり慣れないと聞き取れません。
授業の様子をフラッシュで放送する「授業の渚」
 港南台での授業の様子を実験的に放送しています。
 以前も、声の授業ということで、授業の様子を放送していたことがありますが、WMVファイルをストリーミングで流すようなやり方でした。そのため、ウィンドウズメディアプレーヤーがインストールされている環境でないと見られないという問題がありました。
 今回の放送は、フラッシュをHTMLファイルに組み込む形で行っています。フラッシュは現在ほとんどのパソコンにインストールされています。ただし、ブロードバンド環境でないとスムーズには見られないかもしれません。
正倉院展(けんけん/すもも先生)
 すっかり秋らしくなりましたね。今日、お友だちの家に遊びに行ったのですが、彼女の家は海の上の埋立地にあります。その埋立地の木々が紅葉して、きらきら光る海との組み合わせがとてもきれいでした。先生の家から見える六甲の山々も少しずつ色づいてきています。

 さて、みなさんにとって、秋という季節は何の秋なのでしょう?先生にはもちろん食欲の秋なのですが、昨日はひさしぶりに博物館に出かけました。たまには芸術の秋を感じてみたいと思ったのです。奈良の国立博物館では、現在恒例の正倉院展が開催されています。期間が短いためか、かなりの人出で平日だというのに話題の出品物には何重にも人垣ができていて、そのすきまからのぞくような有様でした。

 正倉院の宝物を見ていると、本当に「いい仕事してますね。」と感心してしまいます。たとえ大勢の人のざわめきの中でしか見ることができなくても、そのまわりにはなんだか古の空気が漂っているような気さえしてしまいます。自分の目の前に聖武天皇も遊んだと思われる碁盤や碁石があるのだと思うと鳥肌が立ってしまいます。本物を見るということはこんなにも心に強く働きかけるものなのだとしみじみ思いました。私は歴史を専攻したわけでもなく、当時のことに関する知識も学校で習った程度しかありませんが、それでも目の前で輝く螺鈿や琥珀や瑠璃はとても魅力的なものでした。自宅に帰ってから図録をながめていてもその美しさをすぐに思い描くことができます。

 自分で体験すると言うことは本当に貴重なことなのですね。先日大江健三郎氏が朝日新聞の市場で「知る」と「わかる」について述べていましたが、自分の目でみる、耳で聞く、手で触れるということも大きな要素となると思います。読書もしかり、書評だけ、本の帯だけをながめたり、人の話を聞いたりしてなんとなく読んだ気になっていることはありませんか?自分の五感をフルに働かせて読書することは、とても大切な体験になるのではないでしょうか。
夜空を見上げて…(しろくま/いのこ先生)
 秋になって空気が澄んでくると、都会でも星がよく見えるようになります。犬の散歩をしながら空を見上げると、きれいな月とともにキラキラと星が輝いています。山に出かけたら、もっとたくさんの星が見えるのでしょうね。降るような星とよく言いますが、いちどそんな星空を見てみたいなと思いますが、みなさんのおうちの方では、どんな星空が見えるでしょうか。
 私は、特に星座にくわしいわけでも、興味があるわけでもありません。でも、流星群がやってくるなど、特別なニュースを聞くと、すぐに自分の目で確かめたくなります。この秋は、ちょうど火星が地球に大接近しているのだそうです。さっそくインターネットで火星大接近の情報を調べ、昨日の夜(11/10)夜空を観察しました。火星は、赤い星と言われています。地球に近づいた火星も、やはり赤く見えました。東の空を見てみましょう。ひときわ赤く輝く星が火星です。火星というと、昔から火星人が住んでいるという話が出てきますが、あの赤い星に火星人がいるのでしょうか。むかしのSF小説に出てくるたこのような火星人が仲良くくらしているのでしょうか。そんなことを考えていたら、何だか楽しくなりました。
今ほど宇宙についての研究や調査が進んでいなかった時代、人間は夜空をながめては、広い宇宙についてあれこれと想像していたのでしょうね。はるか昔の人間たちもこの同じ夜空を見つめていたのかと思うと、不思議な気持ちになりました。大いなる宇宙の中では、地球上の人間は、ほんとうに小さな存在です。地球という小さな星の中で、つまらない戦争をくりかえしている人間は、なんとおろかなのでしょう。宇宙飛行士が、地球を飛び立って宇宙から地球を見ると、人生観が変わるのだと聞いたことがあります。きっと、広い宇宙の小さな惑星である地球で命を与えられているということだけで、とても幸せだということに気づくのでしょう。私たちは簡単に外側から地球を見ることはできませんが、夜空を見ることで宇宙の広さを感じることはできます。私たちは毎日とても忙しくくらしているので、ついつい目先のことばかりにとらわれてしまいがちですが、夜空を見上げ、大いなる宇宙の小さな一員であることを感じたいものですね。

 ☆ 火星大接近の情報は、こちらからhttp://www.nao.ac.jp/phenomena/20051030/
横道にそれてみよう(ひとみ/かもの先生)
 みなさん、こんにちは。
 このあいだ、高いところに上る、というテーマの作文がありました。そのときの、ある生徒さんの作文に、こんな講評をしました。
 <高いところに行くこと、まずロープウエー、岐阜城に行くロープウエーと、名古屋駅前の52階ビルに行くエレベーターと、この二つを比較して、行くときの情景もしっかり書けています。そうして、その違い、ゆっくり行くのと、30秒で行くのと、良い表現をたっぷりと入れて、とてもうまく書けています。>
 そのあとで、作文は、オーストラリアに行ったとき乗ったロープウエーのこと、お父さんお母さんは、木登りをしたことがないなど、盛りだくさんに書いてくれています。
 ここで、少し、話は横道に入ります。
 お年寄りの作家で阿川弘之さんという人がいます。阿川佐和子さんのお父さんです。と言っても、いまや大学生でも阿川佐和子さんを知らない人ばかりですから、どんな人かは、お父さんお母さんにでも聞いてみてください。
 で、その作家の阿川弘之さんが中心になって、若くして亡くなった高円宮さまの伝記を、宮さまを知るゆかりの人たち、十数人に書いてもらうことになったとき、阿川さんが言ったことがあります。
 それは、「横道にそれてください」「横道にそれてください」、これです。
 つまり、宮さまが、どんな人であったかを書くときに、人柄を書こうと思ってそのことばかりに視野を狭めてしまうのでなく、「わき道にそれて道草をくってください」というのですね。
 そうすることが、宮さまの本当の姿を浮き彫りにしてくれる、そういう意味なのでしょうね。
 で、さっきの作文の講評にもどります。
 <……まことに、盛りだくさん、視野を広く、たくさんのことが書けていて、これも大変にすばらしいことです。「横道にそれる」ということを言いますが、文を書くときに、あれこれと、横道にそれたように書くこと、それがとてもいいのですね。聞いた話を書こう、体験したことを書こう、前の話を書こう、これ、横道にそれるのと、同じ意味です。そして結び、山から見た景色と、都会のビルから見た景色と、その違いをしっかり書けていて、これも感心しました。……>
 「言葉の森」で、似た話を書こう、体験実例を書こう、社会実例、歴史実例、科学データを書こう、聞いた話・前の話を書こう、調べた話を書こう、と言いますね。これ、みな、横道にそれる、それと同じことなのですね。
 阿川さんが言った、「横道にそれる」、これを、「言葉に森」ではいつも実行してもらおうと、思っているのですね。
 体験実例、その他、書こうと思っても、思いつかないようなことがあったら、「横道にそれよう」、そう考えてみるのも、いいですよ。そう考えると、きっと、いろいろなことが思い浮かんできますよ。
 
夢(たんぽぽ/たま先生)


 私が最近よく読んでいる教育関係のブログの中で紹介されていた名言です。

― 永遠に生きるがごとく、夢をみろ。
  明日死んでしまうがごとく、生きろ。―ジェームス・ディーン (俳優)

(ジェームス・ディーンは、50年代のアメリカ映画の代表とも呼ばれる俳優でしたが、交通事故により 24歳の若さで彗星のようにこの世を去った伝説の人です。)

 「あなたの将来の夢は何ですか? そして今、大好きなことや、夢中になれることがありますか?」
 みなさんはこう聞かれたら、きちんと答えられるでしょうか。
 「夢」と言えるかどうかわかりませんが、私にはやりたいことがたくさんあります。もっとたくさん本が読みたい、資格試験にもチャレンジしたい、時間を気にせず子供と思い切り遊びたい、たくさんの人と関わって世界を広げていきたい・・・。欲張りな私に、時間はいくらあっても足りそうにありません。

 しかし後半部分を読んで、はっとしました。「今日を精一杯生きているだろうか」と。よくよく考えてみると、日常忙しいからと言って後回しにしていることの何と多いことか!
「今日は疲れているから、明日にしよう」「面倒だから、今度やろう」「時間があるから、もうちょっと後で」・・・。挙げてみればきりがありません。(^_^;)

 やりたいこと、やらねばならないことがたくさんあるというのに、なぜ「今」やろうとしないのか。それは自分の命の期限を意識していないからではないでしょうか。過ぎた時間は戻らないということは頭でわかってはいても、普段は忘れてしまっているものですね。

 「そのうちやろう」「いつかやろう」と思っていては、「そのうち」も「いつか」もやってきません。
 「もうやってるよ」。できなかったことを後悔する前に、こう言える人でありたいものですね。

 
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