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  読解マラソンの方法
   シンプルな勉強
   ストーリー性のある勉強
   数値で表す勉強
  「……かもしれないね」(まあこ/ゆた先生)
  何事も失敗はない(ゆっきー/かき先生)
  上位語・下位語(スピカ/かも先生)
  言葉がみつからない! (けいこ/なら先生)
 
言葉の森新聞 2006年6月3週号 通算第939号
文責 中根克明(森川林)

読解マラソンの方法
シンプルな勉強
 読解マラソンの勉強の仕方は、あくまでもシンプルである必要があります。
 準備に手間がかかったり、教える人がいないとできなかったり、問題を解いたり答え合わせをしたりという複雑な過程が入れば入るほど、長続きしなくなります。
 現在の教育の弱点として共通しているのは、教える人が工夫しすぎたり、教材が工夫されすぎたりしていることです。そのことが逆に、優れた指導者や優れた教材がなければいい教育が受けられないという誤解のもとになっています。
 教育の基本はただ一つ、優れた方法があるだけです。そして、優れた方法はどれもシンプルです。
ストーリー性のある勉強
 優れた方法と同じぐらいに大事なのが意欲です。
 意欲を持ち続けるためには、一つには読解マラソンの意義を両親と子供自身が理解している必要があります。
 もう一つは、勉強の進み具合がイメージ化できるということです。
 読解マラソンをイメージ化しやすくするために、次のようなストーリーを作りました。
 主人公(参加者)は、マラソンの旅に出ます。主人公が住んでいる地球は、20世紀後半から加速した環境破壊のために荒れ果てた星になっています。砂漠や岩だらけの大地に、主人公は草の種をまきながら走り続けます。まいた種によって、走ったあとにはいろいろな草原ができます。
 月に1回第4週目に、読解テストの木という実のなる木を植えます。主人公が日ごろのマラソンによって鍛えられていれば、その木にはたくさんの実がなるでしょう。
数値で表す勉強
 現代の教育が、過去の教育よりも優れている点は、評価を数値化するツールをいくつも持っていることです。
 国語力のような漠然としたものの評価は、これまで数値化されにくいと思われてきました。しかし、自分の進歩のあとが数値的なものでわからなければ、努力のしようがありません。
 数値化のポイントの一つは、確率密度分布の活用です。これは偏差値と呼ばれているものです。1回目のテストと2回目のテストの成績を比較する場合、単に得点を比較するだけでは、実力が上がったのか下がったのかわかりません。しかし、ほかの人も別の時期にそのテストを行っていれば、それぞれのテストの難易度がわかります。その難易度に応じて得点を見れば、実力が上がったか下がったかがわかります。
 数値化のポイントのもう一つは、長期間の記録です。英語や数学の勉強は3ヶ月で成果が出始めると言います。国語の勉強は、英数よりも勉強の範囲が広いので、成果が出るまでに時間がかかります。しかし、作文の自動採点ソフト森リンの記録や、速読の記録を生徒ごとに見ていくと、近似線はどの子もゆるやかな右肩上がりの直線になっています。
 こういう記録を長期間にわたって残すためには、組織的な取り組みが必要です。読解マラソンの方法は単純なので、家庭だけで取り組むこともできます。しかし、偏差値の集計や1年間にわたるテストの記録の保存などは、それなりのシステムが必要です。
 読解マラソンは、組織的な取り組みの利点を生かして、さまざまな数値化を活用していきます。
 以上の、シンプルな勉強、ストーリー性のある勉強、数値で表す勉強が、読解マラソンの3本の柱です。
「……かもしれないね」(まあこ/ゆた先生)


 お天気に恵まれたゴールデンウィークでしたね。楽しい経験を書いてくれた作文もたくさん届きました。たーっぷり羽をのばして楽しんだあと、学校に行くのがだるかった人はいないかな? 先生は2日間ぐらい朝のお弁当づくりがキツかったです(^^;)。しかし、これはただの遊びすぎ。

 連休が終わったころになると聞かれるのが「五月病」という言葉です。これはこのころに、やる気がなくなってしまう症状のことをいう言葉です。もともと大学の新入生が新しい環境で緊張とともに4月を過ごしたものの、この頃になってその疲れやストレスがどっと出て、体調をくずすことから言われるようになったものなのだそうです。

 五月病の原因の一つに「人間関係」があります。大学は様々な人が集まる場所です。まわりは自分の思い通りのいい人ばかりとは限りません。「どうしてこの人ってこうなの!?」と、納得のいかないことをする人に出会ったとき、ただでさえ新生活で緊張しているときなのに、悩みが加わって心も体も疲れてしまうのでしょう。
 社会人になると「人間関係」はもっと複雑で、五月病に限らず、ストレスで体調をこわす原因の第一位だそうです。

 「人間関係」といわれても小中学生のみなさんにはピンとこないと思います。でも、ひょっとしたら、クラスメイトや友だちとのつき合いで「どうしてこの人ってこうなの!?」と腹を立てたり悩んだりしている人がいるかもしれません。また将来、人間関係で悩む場面は必ずやってきます。そのときの対処法を一つ伝授。

 といっても、テレビの受け売りです(^^;)。去年の暮れに何気なくチャンネルを回していたら、韓国ドラマ「チャングムの誓い」のチャングム役、イ・ヨンエさんの顔がうつりました。そのころチャングムの誓いを夢中になってみていたので、スッピンのイ・ヨンエさんを見てうれしくなってしまいました。そこで見続けてみると、そこは韓国のお寺のようで、かなり話は進んでいたところでした。

 お坊さんが「最近、腹が立ったことはない?」と聞くと、言いよどみながら「顔を整形しているとウソのうわさを流された」とイ・ヨンエさんは答えました。
「その人に対してどんな気もち?」──「軽蔑する」。本当に不満に思っているようで、相手の人を少なからず憎く思っているようでした。
「そうだよね。じゃあ、その人はどうしてそんなことを言ったのか考えてみよう。そのときに『……かもしれないね』と考えるんだよ」──「ねたましかったのかもしれないね」
「そうだね。イ・ヨンエがきれいだからねたましく思ったのかもしれないね。それから?」──「不確かな人の話を信じてしまったのかもしれないね」
 その後、「……かもしれないね」と相手の事情を推察していくうちに、それほど悪気はなかったのかもしれない、と思える言葉が出てくるようになりました。
「ここまで考えてみて、今どんな気もち?」──「心が広くなったような気もち」
「そうか、だったら、その広い心に気づかせてくれたその人に感謝しなくてはいけないね」──「そうかもしれないね(笑)」
 晴れやかな笑顔でした。私も胸に詰まったものがスポンとぬけたような気がしました。
「いいかい、そうやって考えるんだ。『……かもしれないね』とね」

 その当時、私は友人同士のいさかいに心を痛めていたところでした。「どうしてAさんはBさんにそんなことをするんだろう」。しかし「……かもしれないね」とAさんの気もちを考えていくと、結論はでないにせよ、自分の心の中に余裕が生まれることに気づきました。Aさんの良い面もたくさん浮かんできました。「Aさんは良くない」と憎むような気もちだったのがほぐれて、眉間のしわが消え、優しい顔になれました。

 みなさんも腹が立って「あの人はこんなに悪い!」と決めつけている自分に気づいたとき、「……かもしれないね」を思い出してみてください。心に余裕ができて、ストレスも軽くなります。
        
何事も失敗はない(ゆっきー/かき先生)
 新緑の空気がさわやかな季節となりました。今月は、保護者向けにお話いたします。

 先日、子どもが通っている保育園で講演会がありました。講師は東京で「わくわく創造アトリエ」を開いている積み木デザイナーの和久洋三先生です。「童具館の積み木」の製作者と言えば、おわかりになる方もいらっしゃるかもしれませんね。広島の小さな保育園に、NHK教育テレビ『すくすく子育て』『おかあさんといっしょ』に出演や監修をされている和久先生が、絵画指導と講演をされるということで、その日の保育園はちょっとした騒ぎでした。さすが、芸術家ということもあって、お話は「子どもの創造力と想像力」から始まり、多岐に渡りました。その中で、とても印象深い話がありましたので、ご紹介いたします。
 それは「何事も失敗はない」という話でした。普段、私たちは何かうまくいかないと、すぐに「あ〜あ、失敗しちゃった……」と嘆いたり、そこで諦めることが多いと思います。和久先生は、子どもの描いた絵を示しながらこんなことをおっしゃっていました。
「この子は、初めに塗った色が気に入らず、どんどん上から重ねて色を塗ってしまい、とうとう、もとの絵が何かなんだかわからなくなってしまいました。しかし、この子はちっとも悔しがらず、むしろ楽しんで色を塗り重ねていました。つまり、大人から見れば、ぐちゃぐちゃの失敗作かもしれませんが、この子にとっては、絵の具を混ぜたら、こんな色が生まれるんだ、という発見の時間だったのです。決して、失敗ではないのです。」と。
私は、この話を聞いて、とある番組で紹介していた、発明王エジソンの名言を思い出しました。
「(電球発明の際)私は実験において、失敗など一度たりともしていない。この方法では電球が光らないという発見を2万回してきたのだ。」
うまくできなかったことを「失敗」という言葉で片づけるのは簡単なことです。でも、それ以上の進歩はなく、あきらかにマイナス思考です。しかし、和久先生やエジソンのように「失敗=新しい発見」と物事をとらえると、目の前が開けたような気分になってきます。和久先生の話を聞きながら、我が子が悪い点数のテストを持って帰ったとき、「この問題は、こうやったら解けない、という発見ができたね。」と開口一番に言えるような母親になりたいとつくづく思いました。それが、子どもにとって何よりの励ましの言葉になるのですから。「発想の転換」の重要性を心から感じたひとときでした。
上位語・下位語(スピカ/かも先生)
 さて、今回は、「上位語(じょういご)・下位語(かいご)」というお話です。低学年の人には、ちょっと難しい言葉だけれど、中身は意外と簡単(かんたん)なので、がんばって読んでみてください。

 例えば、「自動車・飛行機・遊覧船(ゆうらんせん)・乗用車・ジェット機・タンカー・ボート・乗用車・プロペラ機・トラック・船・ヘリコプター……」というような言葉が並べられていたとします。何か共通点があることに気がつくでしょう。そう、「乗り物」ですね。これらの言葉、もう少し整理することができないでしょうか。一言で言うと「乗り物」。さらに、陸上を走る「自動車」、水上の「船」、空を飛ぶ「飛行機」と3つにまとめることができそうです。

 乗り物 − 自動車 − バス
           − 乗用車
           − トラック

     − 船   − 遊覧船
           − タンカー
           − ボート

     − 飛行機 − ジェット機
           − ヘリコプター
           − プロペラ機

上記のような図に表すことができますね。このように整理したときに、よりまとめる言い方になっている言葉を「上位語」、よりくわしく分ける言い方になっている言葉を「下位語」といいます。例えば、「乗り物」と「自動車」では、「乗り物」が上位語、「自動車」が下位語となります。また、「自動車」と「バス」では、「自動車」が上位語、「バス」が下位語となります。

 普段(ふだん)から、「この言葉の上位語は何だろう?」と考えることで、まとめるきっかけが発見できたり、今注目している言葉(ものごと)と共通点のある言葉(ものごと)について、まとめて整理することができたりします。これは、長文の要約や「三文抜き書き」をするときにも役に立つ考え方です。上位語の多く並んでいる文に注目してみると、自然にその文章全体をまとめている文を探す(さがす)ことができます。
 また、同様に、「この言葉の下位語は何だろう?」と考えることで、よりくわしく、より具体的に言葉やものごとを理解したり説明したりすることができます。これは、「前の話・聞いた話」などの実例を挙げるときに役に立つ考え方です。
 言葉やものごとを並べたり、比べたりするときも、上位語と下位語を並べたり、比べたりすることは、ふつう不自然です。長文と似た話を考えるときも、この点に注意してみるといいと思います。

 「ナツメ」の5.3週の長文「モグラは食虫類に属し」を例にとってみましょう。人間が、直立し、自由に手を使えるようになったことで、さまざま道具を生み出し文明を持つことができるようになったという話です。
 読んでみると、「モグラ・食虫類(しょくちゅうるい)・ノネズミ・ミミズ・鳥・イタチ・哺乳類(ほにゅうるい)・ライオン・キリン・ゾウ・人間……」と、たくさんの「生き物」を表す言葉が出てきます。これは、登場する順に書いたものです。並べただけではよくわかりませんが、上位後・下位語の考え方を使って整理してみると、見えてくるものがあるかなと思います。さらに、「動物」のからだの「しくみ」の「モグラの前あし・ライオンの牙・サイの角」と「人間」が作った「道具」である「シャベル・ナイフ・棍棒(こんぼう)」を比べていることがわかれば、このほかにも似た話を考えるのも難しくはなさそうです。「(動物の)しくみ」「(人間の)道具」が上位語で、「モグラの前あし・ライオンの牙・サイの角」「シャベル・ナイフ・棍棒」が下位語だということがわかるよね。
 では、これからは、上位語に注目して要約を、下位語に注目して実例を考えてみましょう。^.^
言葉がみつからない! (けいこ/なら先生)
 縦に細長い地形の日本では、北と南とで季節感が大きくずれることが、よく話題になります。今の時期だと、「桜前線が北海道に到達するころ、沖縄は梅雨入りする。」ということでしょうか。以前、沖縄在住の子を担当していましたが、九州出身の私からしても、感覚的にはかなり差がありました。北海道のMちゃん、連休最後に桜の開花宣言が発表されましたね。もう、花見には出かけましたか? 東京の桜はとうに散ってしまい、今は葉桜です。
 6年生の長文に、「自然を言葉で表すのは難しい」という内容のものがあります。少し引用しますね。
   *   *   *
 肌に感じるほどの風はなく、空は青く晴れわたり、いましも枝離れした花びらは、空気がそこにあるのだということを気づかせる程度の支えを受けて、静かに漂うがごとくにしつつ、しかし確かに地表へ降りてゆく。それは「漂う」でもなく、もとより「降りる」でもない。
   *   *   *
 筆者は「桜の花びらが○○○ていく」の○○○にあてはまる言葉はないか、あれこれと探します。「散る・落ちる・流れる・こぼれる」どれもぴたりとはいかないと、もう何十年も考え続けているようです。さて、○○○にあてはまるような言葉、誰か見つけられるでしょうか。「私だったら、こう表現する。」というものを考えてみましょう。千葉のBちゃんは、こんな感想文を書きました。
   *   *   *
 私はこれまで自然で言葉に表せないものをたくさん見てきた。例えば、アゲハチョウの羽化したばっかりの時に羽がしわくちゃになっているところだ。『しわくちゃ』か『ぐちゃぐちゃ』だったら『ぐちゃぐちゃ』は汚くて新聞をくしゃくしゃにしたようなイメージで、アゲハチョウの羽は汚くないし、新聞のようにカサカサでもないのでどちらかといえば『しわくちゃ』のほうがあっていると思う。でもやっぱりどうやって説明すればいいのかが分からなかった。まるでつっかかっているようだ。
   *   *   *
 日本語にはたくさんの擬音語・擬態語があります。どの言葉が羽化したてのアゲハにぴったりなのか、Bちゃんは考えてみたのですが、苦労しているようです。『ぐちゃぐちゃ』『くしゃくしゃ』『しわしわ』『しょなしょな』『へなへな』うぅん、どれも違うなぁ。そんな声が聞こえてきそうです。そして、Bちゃんは作文をこうまとめました。
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 日本語が足りないのか自分の知っている言葉が足りないのかはまだわからない。
   *   *   *
 おもしろい結論です。先生にも残念ながら、どちらなのかわかりません。なので、どちらだろうと考える必要があるのでしょうね。ぴったりの表現が見つからないときのもどかしさは、それをあきらめるのではなく、探し続けて見つけたときのうれしさに結びつけたいものです。長文筆者のように、何十年も考え続けている人もいます。すぐには見つからないからこそ、見つけ出そうとすることに意味があるのです。
 まずは、自然をよく観察して、「いいなぁ。」と思ったことを言葉で説明してみましょう。それを、家族や友だちに伝えてみましょう。その中から、表現することの難しさと楽しさと、両方を味わえるといいですね。自分の中に生まれた「いいなぁ。」という気持ちを他の人に理解してもらえるのは、格別ですよ。
 
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